俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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序章39 夕間暮れに写したいつかの約束 ②

 

「んじゃ、試してみましょ?」

 

「試す?」

 

「そ。実際どうなるか。わかんないんならやってみればいいじゃん? カンタンでしょ?」

 

「……それはそうだろうが、結果に責任は持てんぞ? それでもいいのならキミの好きにすればいい」

 

「なーに他人事みたいに言ってんだか、このドンカンおばかは」

 

「? どういう――」

 

 

 ビッと指差して彼の言葉を遮る。

 

 先ほど弥堂の顔面に右ストレートを叩き込んだ時よりも速く、自身に出せる最速のスピードで、彼の鼻先に希咲は人差し指を突き付け、そして告げる。

 

 

「――『共犯者』」

 

「……俺が、か?」

 

「そーよ。当たり前でしょ?」

 

「……何故、そうなる」

 

 

 困惑気味に自分の指先を見ている彼の様子に、希咲は自身の胸の奥が騒めきだすのを自覚した。

 

 

「だって、あたし一人じゃ無理じゃん。一緒の時間を一緒に経験した人が必要なんでしょ?」

 

「……それは、そうだが」

 

「まさか、法廷院とか白井に頼めなんて言わないわよね? いくらなんでもそれは無理があるでしょ?」

 

「……そうかもしれんが、だがな――」

 

「――いつかの未来。これはいつにしようかしら」

 

 

 反論を試みようとする弥堂を無視して、希咲は彼に指を突き付けたまま宙空を見上げて考えるフリをする。

 

 

「おい、希咲――」

 

「――そうね。卒業っ。卒業の時にしましょ」

 

「……卒業?」

 

「そそ。ほら、さ? うちのガッコって2年から3年になる時はクラス替えないじゃん? どうせこのまま卒業まで同じクラスなんだから、そん時でよくない?」

 

「だから、俺は――」

 

「――ちゃんと、あんたから言ってよね? 『あんなことあったけど楽しかったな』って」

 

「……これは『取り引き』か? それなら――」

 

「――違うわ。『約束』よ」

 

「約束……」

 

「そ。約束。ただの口約束。守っても守んなくてもどっちでもいい約束」

 

「…………」

 

 

 逡巡するように黙る弥堂の顏をじーっと面白そうに希咲は見上げる。

 

 

「あ、ちなみにっ。あたしがさっきあんたとしたのは『取り引き』だから、卒業する時には『お前誰にも言ってねーだろーな⁉』って問い詰めるかんね?」

 

「…………結果は保証できんぞ」

 

「だから。それを、あたしと、あんたで、一緒に確かめましょって話じゃん? そうすれば、あんたも誰かに言われたらーとか、そいつの方が優秀だからーとか、なっさけない理由じゃなくって、ちゃんと自分でどういうことかわかるでしょ?」

 

「…………」

 

「だから――」

 

 

 一度言葉を切り、弥堂へ向けていた右手の人差し指を引っ込め、代わりに小指を差し出す。

 

 

「――だから、よろしくっ」

 

 

 そう言って、自分にどこか挑戦的な風にも映る強気な笑顔を向ける彼女の瞳に弥堂は魅入った。

 

 

 数瞬、彼女と目を合わせ、それから特に何も考えずに彼女の差し出した手に自身の右手を動かす。

 

 緩慢な動作でゆっくり吸い込まれるように弥堂の手は希咲の手へ近づいていく。小指と小指が触れ合いそうなったその瞬間――

 

 

 スーっと寄って行った弥堂の手を、希咲の手がサッと躱してそのままぺシっと叩き落す。

 

 

 虚を突かれた弥堂は目を丸め、ぱちぱちと瞬きをしてから、不意に拒絶された自身の右手を見下ろす。

 

 そんな彼に似つかわしくない表情や仕草を見た希咲は、悪戯が成功したことを喜びクスクスと笑みを溢す。

 

 

「ざーねんでしたっ。そうカンタンにあたしに触れるなんて思わないことね。そんなに安くないんだからっ」

 

「…………金を払えばいいのか?」

 

「ばーかっ」

 

 

 目を細めて舌を出す、そんな彼女の顔を見て、弥堂は自身が騙されたことに安堵した。

 

 

「んじゃ、約束したかんねっ。あたし帰る!」

 

 

 しかし指切りはせずとも、どうも『約束』は成立していたようで、その旨を告げた彼女はわけがわからず呆ける弥堂を尻目に踵を返し校門へ向かう。

 

 ステップを踏むように跳ねていく希咲の髪の動きをやや茫然と見送っている内に、彼女は学園の敷居を跳び越える。

 

 そこでようやく我に返った。

 

 

「――おい、きさ――」

 

待て(ストップ)!」

 

 

 慌てて呼び止めようとしたが、それよりも速く振り返った彼女に再び指を差され制止させられる。

 

 

「この距離でいこ?」

 

「……?」

 

 

 言われた意味がわからず眉を顰める。

 

 

「あんたの任務はあたしが無事に下校するのを見守ること! そうよね?」

 

「……あぁ」

 

「べつにさ。バカ正直に隣り合って一緒に歩いて送ってく必要ないでしょ?」

 

「……だが――」

 

「――だってさ、そうやって一緒に帰ったら。あたしは無言とか苦手だからいっぱい喋っちゃうし、あんた的にそれはうざいでしょ?」

 

「仕事を遂行するかどうかの判断に、俺が不快感を持つことが影響を齎すことはない。それは三流の仕事だ」

 

「女子に話しかけられて不快感もつんじゃねーよ。そこは気ぃ遣って『全然そんなことないよ』って言え。嘘でもいいから」

 

 

 社交辞令という概念など持たぬ男に一瞬だけジト目を向けるが、すぐに意思の強い瞳に戻す。

 

 

「大体さ。わかるでしょ? もしもヘンなのに襲われたとかあっても、そんじょそこらの暴漢や変質者にあたしをどうこう出来ると思う?」

 

「それは…………」

 

 

 ほんの少し前に、そんじょそこらのオタクや変態にイジメられてギャン泣きしていたギャル女が何か言っていたが、注意されたばかりなので弥堂は気を遣い口を慎んだ。

 

 

「あたしが先に歩く。あんたはこんくらい距離空けて着いてくる。無事に目的地に着いたら解散! どう?」

 

「…………」

 

「仮に何か問題が起きても、こんくらいの距離なら、あんたは間に合うでしょ?」

 

「それは、そうだが……」

 

「それに一緒に歩いておしゃべりしてたら、絶対にあたし達またケンカになるって思うの。だから、その方がお互い余計な手間もかからないし、気も遣わない。そうね。効率がいいって思わない?」

 

「……わかった。いいだろう」

 

 

 自分にとってのキラーワードを放った――放ってくれたのかもしれない――希咲の説得に弥堂も折れて、彼女の提案を呑むことにした。

 

 効率がいいというフレーズが気に入ったのだ。

 

 そういうことにした。

 

 

「あたしのバイト先、新美景の駅前なんだけどさ。そこまで歩くけどいい? 二駅分くらいあるけど」

 

「……大した距離じゃない。無駄に歩かされるのは慣れている。問題ない」

 

「無駄っつーな。そうゆうとこよ、あんた」

 

 

 ジッと咎めるように睨むも束の間、

 

 

「んじゃ、いくわ」

 

 

 表情を緩めると同時に身を翻し、希咲は校門の壁を右に曲がる。

 

 

 やはり彼女の切り替え速度に着いていけず、その様子をややボーっとしながら、壁の向こうへ彼女の髪の尾が消えていくのを見つめた。

 

 遅れて自身の足に動くよう命令を出し、一歩踏み出そうとしたところで、先行した希咲が壁の向こうからヒョコっと顔だけ覗かせる。

 

 またも虚を突かれ思わず足を止めてしまった。

 

 

「そうそう。二つ言うの忘れてた」

 

「……なんだ?」

 

 

 怪訝そうに問い返す弥堂の顏を希咲は悪戯げな表情で楽しそうに見つめる。

 

 

「さっきの『約束』。あんたは、いつかの時に自分がその言葉を言えば、今日のイヤなことが楽しかったことに変わる――それが本当かどうかって考えてるみたいだけど……」

 

「……あぁ」

 

「あたしはね。この話の『キモ』ってそこじゃないって思ってるのよね」

 

「……どういうことだ?」

 

 

 彼女の言うことがますます理解のし難いものになる。

 

 

「それはね――」

 

「…………」

 

 

 勿体つけるように言葉を切る彼女を黙って待つ。

 

 

「ふふーん。教えてあげないよーだ」

 

「……おい」

 

 

 しかし、あえなく肩透かしをされ咎めるように睨む。

 

 

「知りたかったら、『約束』。守ってみせなさいよね」

 

「…………」

 

「あたしはべつにどっちでもいーけどっ」

 

 

 焦らして弄んでいるつもりなのか、どこか得意げな様子の彼女の顔を黙って見つめる。

 

 

「それが一つか。二つ目はなんだ?」

 

「ん? んーーー?」

 

 

 弄ばれるのも癪なので諾否は返さず、次を促すと希咲は宙空へ目線を遣り少し考える。

 

 それから彼女は若干身を正すように姿勢を変え、コホンと一つ咳ばらいをして体裁を整えると――

 

 

 

「――じゃあね弥堂。バイバイっ」

 

 

 

 そう言って目を細めた。

 

 

「…………あぁ」

 

 

 弥堂がそのように挨拶にもなっていない返事をすると、彼女は器用にパチッとウィンクをしてみせ、今度こそ壁の向こうへと歩いていった。

 

 

 彼女の言うことすることが弥堂にはまるで理解が及ばず、その場に立ち竦む。

 

 

 思考を巡らせようにも、彼女について何が解らず何から考えればいいのか、まるで手も足も出ない。

 

 

(――いや)

 

 

 足は出る。

 

 

 弥堂は左足から一歩踏み出した。

 

 

 例え目的地がなくとも、何処へ向かっているのかわからずとも、左右の足を交互に動かせばとりあえず前へは進む。

 

 

 その作業には思考も思想も必要ない。

 

 無能な自分にも出来る簡単な作業だ。

 

 

 

 いつかの未来で、一緒に過ごした過去の時間は楽しかったねと、そう言えたのならば。

 

 それは楽しかった思い出となる。

 

 

 

 優秀な廻夜部長がそう言い、自分よりも遥かに機微に聡い希咲が否定をしなかった。

 

 ならばきっと、それはそういうものなのだろう。

 

 

 以前、『世界』に放り出され――或いは吸い込まれ――右も左もわからずただ怯え立ち竦むばかりであった役立たずの子供に過ぎなかった頃、ルビア=レッドルーツは自分に「いいからとっとと歩け」と命じこの背中を叩いた。

 

 

 縋るように記憶から記録を取り出す。

 

 

『――ビビってんじゃあねぇよクソガキがよぉ。世間の右も左もわかんなくてもよぉ、テメェの右足と左足ぐらいはわかんだろ? そいつを順番に動かせ。そうすりゃお前は進める。進んでる方が前だ。そうすりゃどっちが右でどっちが左かなんて勝手に決まんだろうがよ。どうでもいいことゴチャゴチャ考えてねえでよ、いいからとっとと歩け! ……あ? どこに向ってんのかって? ……へへっ、クソしみったれた町だと思ってたらよぉ、あっちの路地裏にウメェ酒出す店見つけたんだよ。ちぃっとばっかガラ悪ぃがまぁ、なんかあったら全部燃やっしちまえばいいだろ。オラいくぞユキ。このアタシに着いてきな――』

 

 

 彼女の背を追うばかりだった日々の彼女の言葉を思い出す。

 

 

『前』を見る。

 

 

 猫背でヨタヨタと歩くガラの悪い後ろ姿の彼女とは違い、背筋を伸ばし綺麗な所作で歩く希咲が居る。

 

 

 彼女とは遠く離れたこの地で、今も自分は変わらず女の背を見て歩いている。そのことに酷く嫌悪感を抱く。

 

 彼女の背中を見て、彼女の言葉を浮かべる。それが途轍もなく気に食わなかった。

 

 

 だから、目線を少し上げて『前』から逸らし、希咲の揺れるサイドテールに固定して歩く。

 

 

 

 全て詮無き――

 

 

 揺れる彼女の尾を目で追いながら足を動かす。

 

 自分をただそれだけの装置として、思考を鈍らせることを試みる。

 

 

 考えても仕方のないことは、考えても意味がない。

 

 だが、そうであっても別に考えないことに価値があるわけでもない。

 

 どちらにせよ意味がないのなら、どちらをしても良く、どちらをしても悪く、どちらをしてもやはり意味がない。

 

 

 答えを探して抗おうとも、流れに身を任そうとも、結局辿り着く結末は同じだ。

 

 

 何も出来ず何も為せず。

 

 

 早いか遅いかの差しかそこにはなく、その違いを決定付けるのはただの運だ。

 

 

 弥堂が今日ここでこうして歩いていることは、ルビア=レッドルーツに謂わせれば運のいいことであり、しかし弥堂にはどうしてもそうとは思えなかった。

 

 

 だけど、未だ死んでいないから、何を考えても考えずとも彼の心臓は毎秒動作する。

 

 

 拍動したそれは弥堂の全身のあらゆる箇所に血と魔を遍く巡らせてから、『世界』より齎された恵みと肺の中で混ぜ合わせ、その身に熱を灯し揺蕩う生命を留めさせる。

 

 

 詮無き矮小な身なれど、然れど未だこの身は朽ちず。

 

 

 ただ燃え尽きぬ怨嗟が虚ろな生命を燻らす。

 

 

 

 いつかの未来で――

 

 

 もしも、自分とルビア=レッドルーツに――或いはエルフィーネとの間に、そんな『いつか』があったとして、彼女らに『あの頃は楽しかったね』などと、そんな恥知らずなことを言ったとして。

 

 もしも、廻夜 朝次(めぐりや あさつぐ)の謂うとおりに、あれらの時間が『楽しかった思い出』などというものに変わってしまったとしたら。

 

 

 きっと自分はもう己という存在を保ってはいられないだろう。

 

 心砕け身は千切れ、『魂の設計図』は見えない粒へと崩れいき、この形状を保てなくなる。

 

 

 だからそれは在り得ないことであり、決して許されない。

 

 決して許されてはならないから、在り得てはいけない。

 

 

 

 希咲 七海との『約束』。

 

 

 この学園から卒業し高校生を終えるその時に、今日の出来事が『楽しかったね』と彼女にそう伝える。

 

 

 たった二年ほど先の未来でたった一言彼女へと喋りかける。

 

 

 ただそれだけのこと。

 

 

 しかし、弥堂にはそのたったそれだけのことが、到底自分には出来るとは思えない。

 

 

 たった二年先の未来すらまるでリアリティがなく、想像をすることすら出来ない。

 

 

 だからきっと彼女との『約束』は果たされることはなく、そして果たす気もない。

 

 

 そんな簡単なことすら自分には出来ず、だから自分は何者にも為れない。

 

 

 弥堂 優輝という存在を定義付ける為の『魂の設計図』がそうデザインされているからだ。

 

 

 

 だから詮無きことであり許されていることだ。

 

 

 そのことに罪悪感はなく、在るのは諦観と僅かな劣等感だ。

 

 

 そしてその劣等感が水無瀬 愛苗(みなせ まな)を想起させた。

 

 

 彼女ならばきっと可能だろう。

 

 

 自分よりも遥かに存在の強度が高い、彼女を彼女たらしめる彼女の『魂の設計図』はそのようにデザインされているからだ。

 

 

 そんな彼女ならば、きっとこんな約束を守ることは可能だろう。

 

 

 希咲は約束をする相手を間違えた。

 

 

 彼女が約束を結ぶべき相手は水無瀬であり、希咲 七海の『共犯者』にはやはり水無瀬 愛苗が相応しい。

 

 

 だから自分は悪くない――とは思わない。

 

 

 自分は悪であることが多いし、正義であることには意味がない。

 

 

 

 もしも何か欲しい物があるとしたら。

 

 

 それは、いつかの未来ではなく、過去のいつかだ。

 

 

 それは叶わないし、許されてはいない。

 

 

 彼女と歩いた道はもうないし、あの時自分の背を押した彼女の手もここにはない。

 

 

 ただ、この胸の奥で燻る燃え尽きぬ怨嗟の火種が仄かに熱を伝えてくる。

 

 

 だが、それは弥堂 優輝という形を作る『魂の設計図』の中の僅か一文にそう記されているからであり、それすらもこの牢獄の中に居る自分というナニカから生み出されたものではない。

 

 

 地を蹴ろうとする左足の爪先に僅かに力がこもる。

 

 

 この背を押す懐かしい手はなく、しかし海へと帰る春の風が彼女の代わりにこの背を押した。

 

 

 

 春。

 

 

 誰かと別れたまま今までが続いており、これからなどどこにもない。この道の先には誰もいない。

 

 それでも、優しくて残酷なその春の風が弥堂の背に手を付けたまま、ただ『前』へ進めとその耳に囁く。

 

 行く先も生い先もわからず、それでもこの足は動き、動かせばどこかへは進む。

 

 骸となった幻想を置き去りにしながら。

 

 

 

 そのことが全て栓無きことと諦めを助ける。

 

 そのことに弥堂 優輝は特に何も、思わない。

 

 

 右足と左足を交互に、コッコッコッ――と不変の拍子を意識する。

 

 

 弥堂 優輝は今も歩いている。

 

 

 

 そんな彼の『前』を希咲 七海は歩く。

 

 

 彼の今の心の内など当然知らず、ただ自分の心の内を知られぬことにだけ努める。

 

 

 綺麗な歩調で姿勢を保ち軽やかにその長い脚をスッ、スッ――と左右交互に前へと動かす。

 

 

 何も考えてなどいないと、背後の彼にそう見えるように。

 

 

 

 いつかの未来で――

 

 

 もしもその『約束』がきっと叶ったのならば、それは多分楽しいんだろうなと期待をし、そして絶対にその『約束』が叶わないことを願って歩く。

 

 

 彼女の特徴となる緩やかにウェーブするサイドテールを軽やかに揺らして。

 

 希咲 七海はその瞳に何も映さないで済む為に前を歩く。

 

 

 

 今日、誰も居ない桜の並木道で交わされた誰も知らない二人の『約束』。

 

 

 無数に舞う桜の花びらたちに見守られながら交わされた二人の『約束』。

 

 

 

 だが、約束をした当人たち二人ともに、それが果たせるとは考えず、果たそうとも思わず。

 

 

 このまま二人ともに口を閉ざしてしまえば、なかったことにされるそんな『約束』。

 

 

 目撃者である桜の花びらはすぐに地に堕ちて風に攫われその亡骸を朽ちさせ、そして口は封じられる。

 

 

 だが――

 

 

 夜の訪れに抗う夕間暮れの時に僅かに『世界』に色を残す、そんな春の空に滲んだ夕陽が、確かに二人の『約束』をその光の中に写した。

 

 

 このまま誰にも知られず消えていくだけのその約束の証人となった。

 

 

 

 いつかの未来で――

 

 

 約束を果たすことは過去への罪で。

 

 約束を果たさぬことは現在への罪で。

 

 

 だから二人ともに、なかったことと、流れる時間の中で漸滅し立ち消え忘れられることを願う。

 

 

 

 間接正犯の生ひ末を許すか否か。

 

 

 それは『世界』だけが決める。

 

 その権限を――『加護(ライセンス)』を、『世界』は二人には能えていない。

 

 

 

 将又それを暴き罪に問うか否か。

 

 

 それは二人が決める。

 

 総ての人間には『嘘』という『加護(ライセンス)』が平等に能えられている。

 

 

 なのに、人間が人間の『嘘』を許すことはない。

 

 

『世界』が許しても人間が人間を許さない。

 

 

『嘘』を行使し、『嘘』が露見したその時に、彼と彼女は己を許すのだろうか。相手を許すのだろうか。

 

 

 自分にとって。相手にとって。誰かにとって。

 

 

 何が『嘘』となり、何が『誠実』となるのか。

 

 

 

 いつかの未来へ――

 

 

 

――コインは投げられた。

 

 

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