俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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序章43 hurts because no pain ②

 

『弥堂君。キミには何度も言っていますがもう一度言います。いいですか? 探偵とは、そういうものでは、ありません。言ってみなさい』

 

「はい。探偵とはそういうものではありません」

 

『よろしい。ではこのデータは削除します。キミの方も完全に消去するんですよ?』

 

「はい、所長」

 

 

 弥堂は雇い主の命に従い復唱をしながら、PCとスマホをケーブルで繋ぎデータをコピーしてバックアップをとった。

 

 件の理事長の週末のスケジュールは抑えている。

 

 日曜のゴルフ帰りに馴染みのキャバクラに一人で行く予定のようだ。すでに奴のお気に入りのキャストは買収済みだ。そこで接触が出来る。

 

 

 仮に直近で実行に移さなかったとしても、そのうち使える時が来る可能性は十分にある。せっかく手に入れた有効な手札を意味もなく自分から捨てさるなどマヌケな素人のすることだ。

 

 次の機会に備えこの場では雇い主の顏をたててやった。

 

 

 しかし、相手が雇い主とはいえ、相手の要求を呑むばかりではナメられるので少々釘を刺してやることにする。

 

 

『まったく。キミはすぐに悪いことを考えるんですから。私の目の黒いうちは絶対に犯罪なんてさせませんからね!』

 

「残念ですがそれは手遅れです」

 

『ど、どういうことですか⁉』

 

 

 驚愕の声が聴こえてきた電話の向こうへ冷徹に事実を伝える。

 

 

「この写真が我々の手元にある時点ですでに犯罪です。なにせ誰に依頼されたわけでもない。ただの盗撮だ。これは貴女自身が言ったことです」

 

『言ってることがコロっと変わりました!』

 

「そしてこれは貴女にとっても他人事ではない」

 

『な、なんでですか⁉』

 

「俺は貴女に雇われている従業員だ。その俺がこんなことをしでかしたのは貴女の監督不行き届きが原因ではないのか? どうなんだ?」

 

『キミがそれを訊いちゃうんですか⁉』

 

「あくまでも可能性の話です。俺はそうは思っていませんが、だが。もしも。これはあくまでもしもの話だが、この写真が世に流出するようなことがあり、事の次第が明らかにされるようなことがあれば。その時は貴女が世間からそう問われる可能性もあるでしょうね。そういう話です」

 

『私脅迫されてます⁉』

 

「それは貴女の受け取り方の問題です。俺はただ、これからも上手く付き合っていきましょうと、そう言っているだけです」

 

『とてもそうは聞こえないのですけれど!』

 

「所長。俺と貴女は一蓮托生です。今後ともよろしくお願いします」

 

『キミは悪い子です!』

 

 

 弥堂は自身の所属する営利組織の長に今後も変わらぬ忠誠を誓ったが、不思議なことに相手は不満そうな声をあげた。

 

 

『ところで。上手くやろうと言われたからこれ幸いと話すわけではないのですが――』

 

 

 クレバーさとプロ意識の足りない上司を心中で見下していると、少し調子の変わった声で呼びかけられる。

 

 

「なんでしょう」

 

『えっとですね。前にもお願いしたことですので心苦しいのですが……』

 

「?」

 

 

 歯切れが悪くなった通話相手の言葉に眉を顰める。

 

 

『やっぱり現場を手伝ってもらうことは、難しいでしょうか……?』

 

 

 相手からの要請は、今までに何度か頼まれそして断っていたものであった。

 

 

「その件は解決したのではないのですか?」

 

『それがですね……』

 

 

 申し訳なさそうな調子で語られる。

 

 

『実は不測の事態でレギュラーメンバーに欠員が出てしまいまして。少し前にずっと主力で頑張ってくれてた子がステップアップして巣立っていき……これはうちのような弱小では仕方のないことなんですけどね。問題は、その後もどうにか残ったメンバーでカツカツで回していたんですが、最近一人仕事中にケガを負って入院をしてしまいまして……』

 

「早い話が諜報員が足りない、と?」

 

『そのとおり……なんですが、諜報員ではなく調査員です。似てますけど全然違いますからね!』

 

「失礼しました」

 

 

 弥堂はテーブルに付いていた汚れを爪で擦りながら謝罪をした。

 

 

『コホン。というわけで恥ずかしながらまた人手不足でして。皆さんのおかげでここのところ順調に依頼が増えていたのですが……』

 

「欠員が出る前の戦力をフル稼働させた時のポテンシャルを基準にして受けたから消化しきれないと?」

 

『うぅ……おっしゃるとおりです。面目ありません』

 

 

 ばつが悪そうな謝罪の声を聴きながら、弥堂は手を止めてどうするべきかと考える。

 

 

「現場と言いますが、現在俺が請け負っている仕事もある意味現場仕事のようなものです。要は俺にも事務所に出頭して依頼者を直接捌けということですか?」

 

『そう、ですね。そうなると思います。実は内勤専門でアルバイトをしてくれていた子が、気を遣って外の仕事も手伝ってくれるようになりまして。その子ばかりに負担をかけるのも心苦しくて、私もどうにか人手を増やせるよう頑張ろうと……』

 

「そうですか。立派なことです」

 

『助けを求めている立場でこんなことを言うのも烏滸がましいのですが、うちにはあなたのように事情を抱えた子が何人かいます。似た境遇の子たちと関わりを作るのはあなたにとっても損なことではないと思います。その……聞きづらいのですが、学校でお友達は出来ましたか……?』

 

「問題ありません」

 

 

 情に圧を以て訴えかけるような話し口を受けて、弥堂はノートPCで開いていたタスクアプリを閉じた。

 

 

「残念ですがお断りします」

 

『そう、ですか……』

 

「1件単位での依頼という形でなら報酬の上乗せがあれば条件次第では考えますが、シフトに組み込まれるのは絶対に御免です。顔が売れることによるデメリットの方が大きい」

 

『うぅ……痛い所を突きますね…………報酬アップはなかなか懐事情が厳しくて……』

 

「でしょうね。差し出がましいですが、情に感けて組織のキャパを超えた人数を拾ってきて雇う、そいつらに給料を払うために仕事を無理に増やす、構成員のスキルが追い付いていないから数をこなすことで誤魔化す、人が減る、増やした仕事が消化できずに破綻する。悪循環を起こしていますよ」

 

『耳が痛いです……』

 

「そこで先程の提案です。まとまった資金が入れば組織に当座の体力がつきます。そうすればしばらくは人材育成にリソースを割くことも可能でしょう。どうです?」

 

『ダメですうう! 犯罪だけは絶対にダメっ!』

 

 

 相手が隙を見せたので試しに誑かしてみたのだが、あえなく却下された。

 

 

「そうは言いますが所長。犯罪というのならば、高校生に探偵の実務を手伝わせるのも違法でしょう?」

 

『ゔっ! その指摘は刺さりますね…………ですが、一応うちはそれが可能になる認可は得ているので、きちんと条件を守ってさえいれば厳密に法に照らし合わせた場合、決して違法ではないのですよ? ただ、モラル的な部分でどうかと世間様から問われれば、私は頭を下げるかもしれないです……みなさんにも本当に申し訳ないと思っていますし、弥堂君、あなたにもとても助けられています。いつもありがとうございます』

 

 

 企画を蹴られた腹いせにちょっと精神を攻撃してやっただけのつもりだったが、思いのほか落ち込んだ声が返ってきた。

 

 

「冗談です。こちらこそ、俺のような訳アリの人間を拾って頂いて感謝しています。貴女から毎月貰っているくらいの金を安定して稼ごうと思えば、それこそ犯罪に手を染めるしかなくなる」

 

『ふふ。犯罪に手を染めている時点でもう安定とは程遠いですよ?』

 

「なるほど。やはり貴女から学ぶことは多い」

 

『またそんなお世辞を言って。でも私の責任は重大ですね。ちゃんとキミが社会に溶け込めるように面倒を見ちゃいますよ!』

 

「ありがとうございます、所長。俺がこうして屋根のある部屋で温かいスープとパンを毎日食べられるのも貴女のおかげです。貴女無しでは俺は生きていられないでしょう」

 

『わわわっ。そんな大袈裟な! 私なんてまだまだです! キミが生活出来ているのはキミが頑張っているからですよ!』

 

 

 ここに来てから一度たりともスープなど作ったことはないが、弥堂はとりあえずそう言ってやった。

 

 

 この手のすぐ情に流されるような女にはどのように接してやればいいのかを弥堂は熟知していたからだ。

 

 こういった自己を高く評価することの出来ない女は、他人の役に立つことで満足感を埋めがちだ。しかしそれで感謝をされても元来気の弱い性分なので、自分を肯定してやることが出来ない。

 

 だが、それでも他人から求められるという快楽には溺れる。

 

 そしてその行動を続けるうちに、今度は必要とされなくなることを恐れ、もっと役に立たねばと自分を追い詰めていくのだ。

 

 

 昔の恋人であったエルフィーネがそういう女であった。

 

 

 冷血な戦闘マシーンのような女であったが、その一方で彼女は自身の所属する修道院が経営する孤児院の子供たちの世話をすることを好んでいた。

 親を亡くした子供や捨てられた子供。社会に居場所のない子供たちを育てることに執着をしていた。

 

 そして現在の通話相手であるこの女もまた同様に、社会に居場所のない訳アリの子供を拾っては仕事を与え面倒を見るという活動をしている。

 

 

 エルフィーネと過ごした時間の中で得た経験のおかげで、今ここでこうして他の女から生活するに十分な定期収入を引き出すことが出来ている。

 

 

 弥堂は胸の前で小さく十字を切った。

 

 

 神など存在しないことを弥堂はよく知っていたが、エルフィーネが信心深い女だったので今この部屋には居ない彼女の代わりに、彼女の信じる神とやらに感謝の祈りを捧げてやったのだ。

 

 その記憶の中の冷血メイドが生ゴミを見るような目を自分に向けているような気がしたが、気がしただけならば気のせいなので気にすることをやめた。

 

 

『……では、出来ればでいいので考えるだけでも考えてみて下さい。もちろん無理強いはしません。あと……これは私事、なんですが――』

 

「……なんでしょう?」

 

 

 適当にオートモードで電話相手の女に対応しながら昔の女を思い出しているうちにどうやら話が転換をしたようだ。

 

 

『――あの娘は……妹は元気にやっていますか……?』

 

「……妹?」

 

 

 何故この女が自分に妹がいることを知っている? こいつに渡した自分の戸籍情報は偽造したものの方で、そちらには家族の情報など記載していないはずだと目を細める。

 

 しかしすぐに、彼女の言う妹とは弥堂の妹ではなく、彼女自身の実妹のことを言っているのだと思い当たる。油断をして藪蛇を突きそうになった自分を戒める。

 

 

「えぇ。元気ですよ。立派にお勤めを果たしていらっしゃいます」

 

『……そうですか。でも、ちょっと信じられません。とても内気な子だったので、あの子が生徒会長だなんて……』

 

「大丈夫ですよ。会長閣下はとても優秀な方です」

 

『そう、なんですね…………あの、それはいいのですが、弥堂君。あなたは何故うちの妹のことを閣下だなんて呼ぶんです?』

 

「俺は風紀委員なので学園の最高権力者には敬意を払う必要があります」

 

『本当ですか? 私が知らないだけで普通の高校生とはそういうものなんです?』

 

「えぇ。そういうものです」

 

 

 箱入り過ぎて一度も学校に通わずに最終学歴までを家庭内で取得したお嬢様に、弥堂は適当な知識を植え付けた。

 

(そんなお嬢様が何の因果か今では場末で探偵事務所の所長とはな)

 

 現実の苦さを感じる。

 

 

「よろしくお伝えしましょうか?」

 

『……いえ、大丈夫です。合わせる顔がありませんから。立派にやっているのなら私のことなど気にかけない方があの子の為にもいいと思います』

 

「そうですか」

 

 

 彼女も彼女で訳アリのようだが、弥堂は首を突っこむ気はないので適当に流す。

 

 

『では弥堂君。次のお仕事はまたメールでお送りしますね』

 

「わかりました」

 

『毎回思うのですが、よくこんな写真を迅速に入手して来られますね。どうやって撮影しているんですか?』

 

「大したことはしていませんよ。ネットで検索すればなんでも集められます。便利な時代になったもんです」

 

『……答える気はないってことですね…………私はまだ、キミにとって信頼するに足りませんか……?』

 

「そんなことはありません。俺には貴女が必要だ」

 

『…………そうですか。長々とすみませんでした。上手く学業と両立させて無理のないようにして下さいね』

 

「恐縮です。では」

 

 

 少し気落ちしたような声の相手に平坦な声で別れを告げ、通話を終了させる。

 

 

 スマホをテーブルに置いて、手を離すとほぼ同時にメール着信の通知が鳴る。

 

 弥堂はPCを操作してメールを確認する。

 

 相手は今電話を切ったばかりの所長。早速次の仕事の指示だ。

 

 

 内容は先程納品した仕事と同様の種類で、別の依頼人から頼まれた浮気調査だ。

 

 添付されていたファイルに依頼人と標的(ターゲット)のプロフィールが書かれている。

 

 弥堂に要請されたのは、物的な証拠を見つけること。それがなければその証拠を抑える為に標的の行動予定を掴むことだ。

 

 

 マウスカーソルを標的の名前に合わせてコピーする。

 

 次にWebブラウザを開いて検索窓にその名前をペーストしEnterキーを押す。

 

 

 一瞬PCの画面が揺らめき僅かなラグが発生する。

 

 その後に表示された検索結果に並んだいくつかの画像から一つを選択して拡大させる。

 

 画面に大きく映し出されたその画像には、男女が腕を組んでホテルから出てきたシーンが写されていた。

 

 弥堂はつまらなそうに鼻を鳴らす。

 

 

「本当に便利な時代になったものだ。実に効率がいい」

 

 

 同じ人物が写された類似の写真画像を数枚ダウンロードし、コピーしたものをフォルダにまとめ返信メールに添付する。

 

 実にイージーな仕事だ。この程度の作業を熟しただけで生活に充分な金が稼げるのだからこの国は本当に豊かだと感じる。

 

 

 愛想のない返信文をワンセンテンスで適当に打ち込み、内容を一度確認してから送信ボタンを押そうとして寸前で止める。

 

 

 メールを送信画面で待機させたままスクールバッグに手を突っこむ。

 中から取り出したのは先程とは別のUSBメモリだ。

 

 USBを差し替えながら、確かこの中にあったはずと記憶を確認する。

 

 記憶に記録されたとおりに目当てのデータを見つけ、画像ファイルを開く。

 

 

 その画像に写っているのは弥堂の通う美景台学園の生徒会長である郭宮 京子(くるわみや みやこ)だ。周囲の風景を見る限り階段の踊り場だと思われる。物憂げな表情で立ち止まっている場面に見える。

 

 

 弥堂はその画像をコピーして待機中のメールに追加で添付し送信をした。

 

 

 雇い主の機嫌をとっておくのも悪くはない。それだけのことだ。

 

 

 仕事に関してはこんなところか。続いて反省文の作成に移ろうかとマウスに手を伸ばしたところでまたスマホが鳴る。今度は電話だ。

 

 

 画面に表示された相手の名前を見て眉を顰め、すぐに電話に出る。

 

 

「どうしました、御影所長。なにか不備でも――」

 

『なっ、なんなんですかこの写真はあぁぁっ!』

 

「…………」

 

 

 開口一番、先の通話の開始時と同じ言葉を叫ばれる。

 

 

「何、と言われましても。頼まれていたものですが」

 

『頼んでません! いえ、最初の方の写真はいいです。確かに依頼主が求めていて、私がキミにお願いしたものです。間違いありません。ですが、なんですか⁉ このもう一枚の写真は⁉』

 

 

 少し考えてから他に言い様がなかったので一度目の通話とまったく同じ言葉を返したら、相手からもほぼ同じ台詞が投げ返された。

 

 

「なんですかと言われましても、貴女の妹でしょう。家族の顏もわからなくなったのなら、所長。貴女は疲れているんです。休暇をとることをお勧めします」

 

『確かに疲れていますけど、そんなことはわかっています!』

 

「では何が問題なんです」

 

『なにってこの写真! 思い切り下着まで写ってるんですけど! このアングルはどう見ても盗撮ですよね⁉』

 

「肯定です」

 

『認めた⁉』

 

 

 何でもないことのように告げた弥堂の自白に、電話の向こうで相手がびっくり仰天した気配が伝わってくる。

 

 

『な、なんでキミがこんな写真を⁉ 一体うちの妹をどうするつもりですか⁉』

 

「落ち着いてください所長。貴女は誤解をしている」

 

『ご、誤解……? うちの妹の下着を盗撮して、それをわざわざ私に送り付けてきて……ま、まさか、私脅迫されてます⁉』

 

「違います」

 

 

 大層混乱している様子の上司に呆れながら説明をする。

 

 

「確かにそれは盗撮写真ですが、撮影をしたのは俺ではありません」

 

『え?』

 

「学園内で女生徒のスカートの中を撮影することはアートだと言い張り、その芸術性に傾倒する男を摘発したのですが、この写真はその時に押収したものの一つです」

 

『げ、芸術……? ちょっと何を言っているのかわかりませんが、でも何故これを消さずにキミが持っているんです?』

 

「探偵事務所の所長ともあろうものが何を。これは重要な証拠品です。あの男が他で問題を起こして警察の世話になることがあれば必要になるかもしれませんし、何より俺は風紀委員なので。罪人を更生させるための強制労働に従事させるには弱みを握っておくことは有効な手段です」

 

『うぅ……是正しなければならない所が多すぎます。ですが、妹が被害者だと思うとキミを責めづらいです』

 

「ご安心を。幸い会長閣下はご自身が盗撮されたことに気付いていません。被害を受けたことを認識する者がいなければ被害者はどこにも存在しないことになります」

 

『キミは色々と考え方がズレています……危険な方向に……』

 

 

 事情を飲み込めてきた様子の相手を落ち着かせるために安心材料を与えてやったつもりだったが、妙に疲れたような声が返ってきた。しかし、一応落ち着きはしたようなのでどうでもいいと流す。

 

 

『その……事情はわかりました。ですが、それだけですよね? キミがこの写真を保管していたことに他意はありませんよね?』

 

「どういう意味です?」

 

『ですから、その……これを使って変なことしてませんよね⁉』

 

「使う? 変なこと? 具体的に言って頂けませんか?」

 

『具体的に⁉ そ、そんなこと言えません!』

 

 

 曖昧すぎる相手の言葉に弥堂は苛立ってきた。

 

 

「言われている意味がわかりませんが、今のところは証拠品は犯人の脅迫にしか使ってませんし、これからも他の目的に使用する予定は特にありませんね」

 

『ほ、本当……ですか……? お願いですから妹にだけは手を出さないでください。お金はありませんし犯罪も許可できませんが、私に出来ることは何でもしますので、どうか妹だけは……』

 

「違ぇつってんだろ」

 

 

 聞き分けの悪い上司にうんざりとしてくる。

 

 

『どうにかこのデータ消去して頂くことは出来ないのでしょうか? 妹が不憫です』

 

「それは出来ませんね」

 

『で、ですが他に使用目的がないのですよね? それなら――』

 

「現時点で予定がなくとも先々で必要になる可能性はある。今日のように」

 

『え?』

 

「妹の顏が見たかったのではないのか? 役に立っただろう?」

 

『あっ!』

 

 

 弥堂としては大変心外だが、ようやく相手も何故写真データを渡されたのか合点がいく。

 

 

『うぅ……そう言われてしまってはもう責められません。キミなりによかれと思って私のためにしてくれたんですね……』

 

「上司の機嫌をとるのは部下の役目だ」

 

『お礼を言いたいのですが姉として複雑です……。久しぶりに見た成長した妹の姿がパンチラ写真だなんて……あんまりです……』

 

「しつこいぞ。わがままを言うな」

 

『ご、ごめんなさい』

 

 

 すっかり敬語を投げ捨てた弥堂は雇い主に謝罪をさせた。

 

 

『あ、あの……こんな言い方失礼なのですが、今日こうして私の手に渡ったことでこの写真の役目を終えたということには……』

 

「いい加減にしろ。何度同じことを――」

 

『5万円! 5万円でどうでしょうか⁉』

 

「了解しました社長。送信メールを完全に削除しました」

 

 

 優秀で正常な犬である弥堂はお金をくれる飼い主の命に従いメールの画像を削除した。

 

 

『あ、ありがとうございます!』

 

「ちなみに画像フォルダ内にコピーが残っていますがそちらは別料金になります」

 

『1枚5万円⁉』

 

 

 御影所長は雇い主を強請ることに躊躇いの部下に恐れ慄いた。

 

 

『うぅ……わかりましたぁ……全部で10万円払います……』

 

「取り引き成立です。貴女とは今後も上手くやっていけそうです」

 

『キミは悪い子です!』

 

「削除完了しました。確認をしますか?」

 

『……いいえ。キミを信用していますから結構です』

 

「そうですか」

 

 

 思わぬ臨時収入を得た男は、雇い主との信頼関係が築けていることに一定の満足感を得た。

 

 ちなみにUSBメモリ内の元データについて言及をしなかったのは、ついうっかりしていただけのことであり決して意図的ではない。そういうことになっているし、そういうことにする。

 

 人間はミスをする生き物なのだ。『世界』がそうデザインをしている以上これは仕方のないことなのである。

 

 

『ですが――』

 

「あ?」

 

『妹の写真のことについては置いておいて。私はキミの身近な大人として、キミの言動や考え方について色々と注意をしなければなりません』

 

「なんだと?」

 

 

 臨時収入に満足していた矢先、弥堂はこの後長々と説教を聞かされる羽目になる。

 

 

 何か事情があって妹と顔を合わせることが出来ない。

 

 その事情に首を突っこむ気はないが、生活資金の提供者へのサービスと思って写真を提供してやったつもりだった。

 

 

 打算あってのことだったが割に合わない。

 

 

 弥堂は二度とこんなことをするかと、適当にスマホから聴こえてくる説教を聞き流しオートモードで返答をしながら、うんざりした顏でPCから取り外したUSBを乱暴にバッグに突っ込む。

 

 すると傾いたバッグの中から何かが転がり出てきた。

 

 

 それに目を向ける。

 

 

 缶コーヒーだ。

 

 

 

 スマホをハンズフリーにしてテーブルの上に置き、代わりにそれを手に取る。

 

 

 無糖と白文字で書かれた黒いアルミ缶をじっと視る。

 

 

 これは日本全国で販売をするために工場で大量生産をされ、学園の誰が購入するかもわからない自販機に入れられていた物だ。

 

 

 それを今日たまたま希咲 七海が購入した。

 

 

 彼女が自販機に金を入れボタンを押しこれを取り出して自分に手渡すまで、一度も目を離していない。

 

 その時の彼女の一部始終を記憶の中に記録している。

 

 

 

 

――はいっ

 

 

――あげる

 

 

 

 記憶の中の彼女越しにもう一度缶コーヒーを視る。

 

 

 弥堂はプルタブを開けた。

 

 

 慎重に口元へ運び口に含む。

 

 

 安っぽい透明度の高い感触。蘞味(えぐみ)のような苦味。

 

 酸味などなくピリついた刺激を感じる。

 

 飲み込むとその後もしつこく不快感が咥内に残る。

 

 

 簡単に言えば不味い。

 

 

 

 だが、その安っぽい不味さに安堵感を得た。

 

 

 それは何故なのか。

 

 

 パイプ椅子に背を預け天井を見上げる。

 

 

 

 意味などない。

 

 

 意味を、報いを求めてはいけない。

 

 

 意味を求めず飲み込み続けることこそが罰なのかもしれない。

 

 

 

 外は黄昏。

 

 

 遮光カーテンに塞がれた部屋の中でスマホとPCのディスプレイがぼんやりと光る。

 

 

 

 アルミ缶を傾けもう一度咥内に注ぐ。

 

 

 

 苦い。

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