戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
通路の奥から、足音が聞こえた。軽い靴音だった。一定の速さ。放課後の廊下によくある、誰かが移動しているだけの音。
私は反射的に顔を上げる。嫌な予感がした。
来ないで。
今だけは。
足音が近づく。通路の角。その向こうから、金色の髪が見えた。
「……あれ、レナちゃん?」
柔らかい声。
次の瞬間。
止まる。
ヒフミ先輩が、完全に固まった。
「……え」
小さい声だった。本当に、理解できないものを見た時みたいな声。
視線がゆっくり動く。押さえつけられてる私。乱れた制服。涙。拘束されてる腕。全部を順番に見て、また私の顔へ戻る。
「……え、なんで」
呼吸が少し乱れる。
ヒフミ先輩はまだ理解できていないみたいだった。
「……レナ、ちゃん?」
私は反射的に顔を逸らした。
「……見ないで、ください……っ」
掠れた声。
その言葉で、ヒフミ先輩の肩がびくりと揺れた。
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ。なんで来るの。なんで見られるの。頭の中がぐちゃぐちゃだった。制服を押さえたい。逃げたい。隠れたい。
でも腕を押さえつけられてるせいで、上手く動けない。
「ぁ、……っ」
呼吸が乱れる。喉が詰まる。涙が止まらない。最悪だ。
こんなの。
ヒフミ先輩にだけは見られたくなかった。
不良の一人が笑う。
「なんだ、知り合い?」
「迎え来た感じ?」
でもヒフミ先輩は返事をしなかった。ただ、私を見ていた。いや、“私が押さえつけられてる”って状況から、目を離せなくなっていた。
「……なんで」
ぽつり、と声が落ちる。
「なんで、そんな……」
その瞬間、涙が落ちた。
私は息を呑む。
ヒフミ先輩、泣いてる。なのに、表情だけが、全然変わっていなかった。
怖い。
怒鳴ってるわけじゃない。睨んでるわけでもない。なのに、空気だけがゆっくり冷えていく。
「おいおい、そんな怖い顔すんなって」
「別に大したことしてねぇよ」
「離して、ください」
ヒフミ先輩が言う。
静かな声だった。でも、その声を聞いた瞬間、通路の空気が変わった。
「……は?」
「離して、ください」
もう一度。今度は少しだけ低い。
ヒフミ先輩の手が震えていた。銃を持つ指も。呼吸も。でも、視線だけが一切揺れない。私を押さえつけてる相手だけを、真っ直ぐ見ている。
「……レナちゃん、嫌がってるじゃないですか」
ぽろ、と涙が落ちる。
なのに、銃口だけがぴたりと止まっている。
「いや、だから――」
乾いた破裂音。
ぱんっ、と。
一瞬遅れて、金属が床を滑る音が響いた。不良の手から銃が弾き飛ばされている。
「……え?」
「は?」
誰も反応できなかった。
私も見えなかった。
ヒフミ先輩は、その場から一歩も動いていない。ただ涙を流したまま、真っ直ぐ銃を構えている。
「離してって、言いました」
声が震えている。でも、その震え方が異常だった。恐怖じゃない。感情を押さえ込めなくなって、体の方が先に壊れ始めてるみたいな震え。
「お、おいおい……」
「なんだこいつ……」
不良たちの笑みが消えていく。
でも。
私を押さえつけてる相手だけは動かなかった。むしろ少しだけ面白そうにヒフミ先輩を見ている。
「……へぇ」
低い声。
「お前、そんな顔できるんだ」
その瞬間だった。
ヒフミ先輩の目が、大きく揺れた。息が乱れる。
涙がまた一気に溢れる。
「――っ、ぁ……」
壊れたみたいに呼吸を詰まらせた次の瞬間。
銃声。
一発。
二発。
三発。
壁が弾ける。床が砕ける。火花が散る。
なのに。
全部、急所だけ外している。
怖い。
ヒフミ先輩、自分で止まれてない。
泣きながら撃ってる。
「返して、ください……っ!!」
初めて声が荒れた。
その叫びに、通路の空気が震える。
私を押さえつけていた相手が動く。速い。さっきまで私を完全に封じていた動き。そのままヒフミ先輩との距離を詰めようとする。
でも。
ヒフミ先輩の方が速かった。
乾いた銃声。
一発。
肩。
相手の体勢が崩れる。
二発目。
脚。
膝が折れる。
「っ、ぁ!?」
初めて相手の声が乱れた。
ヒフミ先輩は止まらない。
「なんで、そんなことするんですか……!」
三発目。
壁際。
逃げ道を潰す。
四発目。
手元。
武器を弾く。
完全だった。
私じゃ届かなかった相手を、ヒフミ先輩は数秒で制圧していく。
でも、それでも止まらなかった。
「レナちゃんが、嫌だって……言ってるじゃないですかっ!!」
銃声。
また一発。
壁が砕ける。
「なんで、なんで、そんなことするんですか!!」
涙がぼろぼろ零れていた。呼吸も滅茶苦茶だった。
なのに。
射線だけが狂わない。
怖かった。
読めない。
今のヒフミ先輩、自分で自分を制御できてない。
優しい人が壊れた時の怖さだった。その光景が、胸をぐちゃぐちゃにした。
悔しい。
怖い。
情けない。
私は、あんなに必死だったのに。あんなに抵抗したのに。届かなかった。
でもヒフミ先輩は違う。
泣きながら。壊れそうな顔をしながら。それでも、圧倒的に強かった。
拘束が外れる。
でも私はすぐ動けなかった。
「っ、ぁ……は、っ……」
呼吸が上手くできない。腕が震える。頭が回らない。立たなきゃ。逃げなきゃ。でも脚に力が入らない。
ヒフミ先輩がこっちへ来る。
私は反射的に乱れた制服を押さえた。隠したい。
見られたくない。
「……や、だ……」
涙で視界が滲む。
助けられた。
こんな惨めな姿で。