戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
消灯、という言葉が一応あった。
ただ、それを本気で守るつもりのある人は、部屋の中にあまりいなかった。
照明は落とされている。けれど、完全に暗いわけではない。端末の待機ランプと、床に置いた小さなライトと、アカネが用意したポットの保温ランプが、毛布の山をぼんやり照らしていた。
さっきまで、みんなで眠る場所を作っていた。
毛布を並べて、クッションを運んで、誰がどこに寝るかを決めて。
それだけなら、もう寝る流れだった。
けれど。
「じゃーん」
マキが、毛布の中から大きな袋を取り出した。
レナは瞬きした。
「……マキさん、それは?」
「夜のお菓子!」
マキは小声のつもりで言った。
でも、普通に大きかった。
ハレが毛布にくるまったまま、目だけ開ける。
「声」
「あ、ごめん」
「あと、それどこから出したの」
「さっき買ってきた」
「いつ」
「みんなが毛布でわちゃわちゃしてる時」
ネルが眉を寄せる。
「お前、そんな時に抜け出してたのかよ」
「抜け出してないよ。必要物資の調達だよ」
「菓子が?」
「心の栄養」
マキは自信満々に言った。
ハレがぼそっと言う。
「糖分は脳に必要」
「ほら! ハレもこう言ってる!」
「ただし、寝る前に食べると眠りの質は落ちる」
「裏切りが早い!」
アスナが袋の中を覗き込む。
「何があるの?」
「ポテチ、チョコ、グミ、ビスケット、あと何かよく分かんない期間限定のやつ」
「よく分かんないの買ったの?」
「期間限定って書いてあったら買うでしょ」
「分かる!」
「分かるな」
ネルが言った。
でも、言いながら袋の中を見ていた。
レナはそれに気づいて、少し笑う。
「ネルさんも、食べますか?」
「食わねぇ」
即答だった。
その二秒後、ネルはポテチの袋を一つ取った。
マキがにやっとする。
「食べるじゃん」
「うるせぇ。これは見張りのための塩分だ」
「見張りに塩分いる?」
「いる」
カリンが静かに言った。
「長時間の警戒では、適切な補給は必要です」
「カリンまで乗るの?」
「事実です」
ネルは少し勝ち誇った顔をした。
「ほらな」
「でも食べすぎはよくありません」
「どっちだよ」
アカネがくすっと笑った。
「では、紅茶も少し淹れ直しましょうか。甘いものには合いますから」
レナが顔を上げる。
「アカネさん、無理しなくていいですよ」
「無理ではありません」
アカネはポットに手を伸ばしながら、少しだけ柔らかく笑った。
「今度は、私が飲みたいので」
レナは一瞬だけ黙って、それから嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、お願いします」
アカネは「はい」と返して、紅茶を注いだ。
その手は、さっきより少しだけ落ち着いていた。
完全に震えが消えたわけではない。
でも、今はそれを隠すためではなく、みんなに温かいものを配るために動いている。
それだけで、少し違った。
コタマはお菓子の袋を見て、ヘッドホンを首に下ろしたまま小さく言った。
「咀嚼音が増えますね」
マキが固まる。
「え、聞くの?」
「聞こえます」
「やだ! 私のポテチ音、聞かないで!」
「聞き分けはできます」
「もっとやだ!」
レナが思わず笑った。
「コタマさん、今日は聞き分けないであげてください」
「努力します」
「努力なんだ」
アスナがビスケットを一つ取りながら言う。
コタマは真面目に頷いた。
「音は勝手に入ってくるので」
「じゃあ、いい音にしよう!」
「いい音」
「お菓子おいしい音」
「……それは、少し分かる気がします」
コタマはチョコを一つ取った。
包みを開ける音が、小さく鳴る。
さっきなら、静けさの中で気になったかもしれない音。
でも今は、誰かが隣でお菓子を食べようとしている音だった。
それは、悪くなかった。
少しして、マキがまた何かを取り出した。
今度は箱だった。
「で、これ」
ハレが半目で見る。
「まだあるの」
「ボードゲーム」
「寝るって話は?」
「一回だけ。一回だけだから」
「マキの一回だけは信用できない」
「そんなことないよ!」
「前に一回だけって言って、三時間やった」
「あれは盛り上がったから」
「つまり信用できない」
マキは箱を開けた。
人生ゲーム風のボードだった。コマとカードと、お金っぽい紙と、妙に派手なイベントマスが入っている。
ネルが顔をしかめる。
「こんなもん誰が持ってたんだよ」
「部室にあった」
「なんでヴェリタスに人生ゲームがあるんだ」
「知らない。たぶんマキが前に置いた」
ハレが言った。
「え、私?」
「たぶん」
「じゃあ私かも」
「否定しろよ」
ネルが呆れる。
レナは箱を覗き込んだ。
「これ、みんなでできるんですか?」
「できるできる。チーム戦にすれば人数多くてもいける」
マキがぱっと顔を明るくする。
その顔を見て、レナは少しほっとした。
さっきまで白い紙の前で固まっていたマキが、今はゲームの箱を広げている。
たぶん、完全に元気になったわけではない。
でも、少し動いた。
それがうれしかった。
「じゃあ、少しだけ」
レナが言うと、マキが嬉しそうに頷いた。
「決まり!」
「少しだけだからね」
ハレが釘を刺す。
「ハレもやるんだ」
「やらないとは言ってない」
「やるんじゃん」
「寝るまでの待機」
「それ、やるってことだよ」
ハレは何も言わずに、カードを一枚引いた。
もう参加していた。
チーム分けは、なぜか大騒ぎになった。
「レナちゃんと同じチームがいい」
アスナが真っ先に言った。
マキが顔を上げる。
「あ、それ私も」
「私も」
コタマが小さく言う。
ネルが眉を寄せた。
「全員同じチームにしたらゲームにならねぇだろ」
「ネルもレナちゃんと同じチームがいい?」
「言ってねぇ」
「じゃあ違うの?」
「……そういう話じゃねぇだろ」
ネルは視線を逸らした。
マキがにやにやする。
「なるほどね」
「何がだよ」
「いやー、何でも?」
「マキ」
「はい黙ります」
カリンが冷静にカードを配る。
「公平性を考えるなら、くじ引きが適切です」
「カリンさん、真面目ですね」
レナが言うと、カリンは少しだけ目を伏せる。
「このままだと、レナさん争奪戦になりますので」
レナの手が止まった。
「争奪戦……?」
アカネが紅茶を配りながら、さらりと言う。
「すでになりかけていましたね」
「アカネさんまで」
レナの顔が赤くなる。
アスナは素直に首を傾げた。
「争奪戦って、レナちゃんを取るゲーム?」
「違います」
レナがすぐ言った。
「違うんですか?」
コタマが真面目に聞く。
「違います」
「では、記録名を変更します」
「記録しないでください」
「していません。心の中です」
「それも少し恥ずかしいです……」
結局、くじ引きになった。
チームは、レナ・ハレ・アカネ。
マキ・コタマ・カリン。
ネル・アスナ。
「二人チーム、不利じゃない?」
マキが言う。
ネルは腕を組む。
「二人で十分だ」
「ネル、勝つ気だ」
「当たり前だろ」
アスナが楽しそうに手を上げる。
「がんばろー!」
「声でかい」
「小声でがんばろー」
「それも何か違ぇ」
ゲームが始まった。
最初の数ターンは、思ったより普通に進んだ。
マキが妙に運が悪く、最初から借金を背負った。
「なんで!?」
ハレがカードを見て、淡々と言う。
「人生」
「重い!」
コタマがマキの札を見る。
「初手でこれは珍しいです」
「分析しないで! 傷口に塩!」
「塩分補給か?」
ネルがポテチを食べながら言う。
「ネル、絶対それ言いたかっただけでしょ!」
「悪いか」
「悪い!」
レナはサイコロを振る。
出た目は一。
「あ」
止まったマスには、こう書いてあった。
『困っている人を放っておけず、一回休み。ただし全員から好感度+1』
部屋が一瞬静かになる。
ハレがカードを覗き込む。
「レナさん専用マス?」
「違います」
レナが赤くなる。
マキが笑いをこらえきれない。
「いや、これはレナさんだよ」
「違いますってば」
アスナが嬉しそうに言う。
「好感度、もう高いよ?」
「アスナさん」
レナの声が少し裏返った。
ネルが顔を逸らす。
「ゲームの話だろ」
「ネル、今助けた?」
「助けてねぇ」
「助けたね」
「うるせぇ」
アカネが静かに微笑んだ。
「では、好感度は加算しておきましょう」
「アカネさん」
「ルールですので」
「そのルール、本当にありますか?」
「今あります」
ハレが小さく言う。
「強い」
「アカネさんが?」
「うん」
レナは困った顔でカードを戻した。
けれど、嫌ではなかった。
みんなの目が、映像の中の自分ではなく、今ここでサイコロを振って赤くなっている自分を見ている。
それが少し照れくさくて、少しうれしかった。
数ターン後、マキがイベントカードを引いた。
「えーっと……『恋バナカード。隣の人に好きなタイプを聞く』」
部屋が止まった。
完全に止まった。
ハレが目を開ける。
コタマの手がヘッドホンに伸びる。
ネルがポテチを噛むのをやめる。
アスナがぱっと顔を上げる。
カリンが静かに姿勢を正す。
アカネが紅茶を置く。
レナは、嫌な予感がした。
「……それ、飛ばしませんか?」
「ルールだから」
ハレが言った。
「ハレさん?」
「ルールだから」
「さっきまで寝るって」
「今起きた」
マキはカードを持ったまま、にやにやしている。
「隣の人って、私の隣……コタマ?」
コタマが固まる。
「私ですか」
「うん。コタマの好きなタイプ」
「音が綺麗な人」
即答だった。
マキが目を丸くする。
「迷いないね!?」
「はい」
「それ恋バナなの?」
「音は重要です」
ネルが小声で言う。
「お前らしいな」
コタマは少し考えてから、ぽつりと言った。
「……でも、声で安心できる人は、強いです」
その言葉で、レナは少しだけ目を伏せた。
コタマは慌てて視線を落とす。
「今のは、一般論です」
「一般論なんですね」
レナが柔らかく返すと、コタマの耳が少し赤くなった。
アスナが手を上げる。
「私も言いたい!」
「まだ聞かれてねぇだろ」
ネルが言う。
「言いたいから言う!」
「自由すぎる」
「私はね、ぎゅーってしていい人が好き!」
「でしょうね」
ハレが言った。
アスナはにこっとする。
「あと、笑えない時も一緒にいてくれる人」
少しだけ声が柔らかくなった。
レナの胸が温かくなる。
アスナはすぐ明るい顔に戻って、レナの袖をつまんだ。
「レナちゃんは?」
「私ですか?」
「うん。レナちゃんの好きなタイプ!」
レナは固まった。
「えっと……それは」
マキが身を乗り出す。
「聞きたい!」
コタマも小さく頷く。
「聞きたいです」
「コタマさんまで」
カリンは静かに目を伏せた。
「無理に答える必要はありません」
そのわりに、耳は少しだけ赤かった。
アカネが穏やかに紅茶を注ぎ直す。
「答えにくければ、別の質問に変えても」
ネルがそっぽを向く。
「くだらねぇ」
「ネル、聞かないの?」
アスナが聞く。
「聞かねぇ」
少し間があく。
「……いや、別に聞こえてくる分には止めねぇ」
マキが吹き出しかけた。
「ネル、素直じゃなさすぎ」
「黙れ」
レナは赤くなったまま、カップを両手で包んだ。
少し考える。
あまり綺麗な答えにしたくなかった。
でも、適当に流すのも違う気がした。
「……困っている人を、放っておけない人」
小さく言う。
部屋が静かになる。
レナは慌てて付け足した。
「あ、でもそれだけじゃなくて。ちゃんと怒れる人とか、笑えない時に無理しない人とか、怖い時に怖いって言える人とか」
言いながら、自分でも少し恥ずかしくなる。
「あと……誰かを大事にするために、不器用になる人も、私は好きです」
全員が黙った。
マキが顔を赤くしてスケッチブックで口元を隠す。
「範囲、広くない?」
ハレがぼそっと言う。
「全方位に刺した」
「刺したつもりはないです……」
ネルが顔を逸らしたまま言う。
「詐欺みてぇな答えだな」
「詐欺ですか?」
「全員に当てはまりそうなこと言いやがって」
「でも、本当にそう思ったので」
ネルは何も言えなくなった。
アスナが、レナの腕にぎゅっとくっつく。
「じゃあ、私も入ってる?」
「はい」
「やった」
マキがすぐ言う。
「私も?」
「はい」
「ハレは?」
「眠そうでも、ちゃんと見てくれるので」
ハレが毛布に顔を少し沈める。
「寝たふりしよ」
「今さら無理です」
コタマが小さく言った。
「私も、入りますか」
「もちろんです」
レナが言うと、コタマはヘッドホンのコードを指でいじった。
「……今の声、残りました」
カリンは何も聞かなかった。
けれどレナは、カリンの方を見て言った。
「カリンさんも」
「私は何も」
「見てくれています」
カリンは目を伏せた。
「……ありがとうございます」
アカネが微笑む。
「私はどうでしょう」
「隣にいてくれました」
アカネの指先が止まる。
「それだけで?」
「それだけじゃないです。でも、今はそれが嬉しかったので」
アカネは小さく息を吐いた。
「……困りましたね」
「困らせましたか?」
「はい。かなり」
レナはますます赤くなった。
「すみません」
「謝らないでください。今のは、責めていません」
マキが小声で言う。
「これ、恋バナじゃなくてレナさんが全員落とす会じゃない?」
ハレが頷く。
「危険イベント」
「カードゲームのバランス壊れてる」
「レナさんが強すぎる」
レナは両手で顔を隠した。
「もう次のターンにしてください……」
その様子を見て、みんなが笑った。
今度は、ちゃんと笑った。
完全に明るい笑いではない。
まだ少し、涙の気配も混じっている。
でも、確かに笑いだった。
その後もゲームは続いた。
ネルとアスナのチームは、なぜか戦闘系イベントばかり引いた。
「またバトル?」
マキが言う。
「運命だな」
ネルは少しだけ楽しそうだった。
「ネル、戦うマスだと元気になるね」
「当然だろ」
アスナはサイコロを振って、変なマスに止まった。
『うっかり迷子になる。誰かに迎えに来てもらう』
「アスナさんですね」
カリンが静かに言う。
「私だね!」
「自信を持つところじゃねぇ」
「じゃあ、レナちゃん迎えに来て」
「えっ」
「だめ?」
アスナが見上げる。
レナは少し笑った。
「迎えに行きます」
「やった」
ネルが小さく舌打ちした。
「ゲーム内だろ」
「ゲーム内でも嬉しいよ」
アスナは本当に嬉しそうだった。
マキはまたカードを引く。
『大切な人に秘密のお菓子を分ける』
「これ、誰にあげてもいいの?」
「いいんじゃない」
ハレが眠そうに言う。
「じゃあ、レナさんに」
「またレナかよ」
ネルが言う。
「大切だから」
マキはさらっと言った。
言った後で、自分で赤くなった。
「いや、あの、変な意味じゃなくて。いや変じゃないけど。えっと、ゲームだから!」
レナはお菓子を受け取って、柔らかく笑った。
「ありがとうございます。大切に食べます」
「食べ物だから食べて!」
「はい」
レナが一口食べる。
マキはそれを見て、なぜか満足そうにスケッチブックへ一色足した。
ハレは途中で本当に眠くなり、サイコロを振る手が遅くなった。
「ハレ、寝る?」
レナが聞く。
「寝ない」
「目、半分閉じてます」
「節電」
「人間の機能に節電ってありますか?」
「今作った」
「便利ですね」
「便利」
ハレはそう言いながら、レナの袖を掴んだ。
「次、私の番になったら起こして」
「はい」
「あと、変なイベント引いたら代わりに処理して」
「代わりに?」
「保護者」
「私がですか?」
「うん」
レナは少し笑った。
「分かりました。変なイベントは見ておきます」
「任せた」
ハレは目を閉じた。
まだ完全には眠っていない。
でも、さっきよりずっと近かった。
コタマはそれを聞きながら、小さく言った。
「今の会話、いい音でした」
「コタマさん」
「記録はしていません」
「本当ですか?」
「本当です。……少し、したいですが」
「だめです」
「はい」
素直に頷くコタマを見て、レナはくすっと笑った。
その笑い声を聞いて、コタマはまた少しだけ目を伏せる。
記録したい。
でも、しない。
今夜の音は、たぶん、機械より自分の中に残した方がいい。
ゲームはぐだぐだになっていった。
誰が何マス進んだか分からなくなり、マキが途中で借金を踏み倒そうとしてハレに見つかり、ネルがバトルイベントだけ異様に真面目に処理し、アスナがルールを勘で進め、カリンが淡々と修正し、アカネがお菓子の皿を整え、レナが笑いながら何度も「えっと、今どこですか?」と聞いた。
勝敗は、最後まで分からなかった。
というより、誰も最後には気にしていなかった。
「もう眠い」
マキがスケッチブックに顔を伏せた。
「始めたのはお前だろ」
ネルが言う。
「楽しかったからいいの」
「雑だな」
「雑でいいの。夜だし」
アスナが大きなあくびをした。
「レナちゃん、隣で寝る」
「はい」
「予約」
「予約制なんですか?」
「うん」
カリンが静かに言う。
「でしたら、位置を整理しましょう」
「カリン、真面目」
「寝る時に混乱すると危険です」
「危険かな?」
「アスナがレナさんに絡まったまま寝る可能性があります」
「ありえる」
ネルが即答した。
「あるね」
マキも頷く。
「あります」
アカネも頷いた。
「皆さん?」
レナは困った顔をした。
アスナだけが嬉しそうに笑った。
「絡まっていい?」
「だめです」
「ちょっとだけ」
「ちょっとだけでも、朝起きられなくなります」
「それは困るね」
「はい」
結局、寝る場所はこんなふうに決まった。
レナは中央寄り。
アスナはその隣。
ハレはソファから手だけ届く位置。
マキはスケッチブックを抱えて足元側。
コタマは少し離れて、でも声が届く位置。
ネルは入口側。
カリンはその斜め後ろ。
アカネは毛布を整えやすい端。
「アカネさん、寝られますか?」
レナが聞く。
「寝ます」
「本当ですか?」
「……努力します」
「ハレみたい」
マキがぼそっと言った。
「私は悪くない」
ハレが目を閉じたまま返す。
「起きてるじゃん」
「寝る途中」
もう何度目か分からないその返事に、また小さな笑いが起きた。
照明がさらに落とされる。
お菓子の袋は閉じられ、ゲームのコマは途中のまま箱に戻された。カードが一枚だけ毛布の下に入り込んで、誰も気づかなかった。
アスナがレナの袖を掴む。
「レナちゃん」
「はい」
「朝、起きたらおはようって言ってね」
「はい。言います」
「一番に」
「……なるべく」
「一番」
「はい。一番に」
アスナは満足そうに目を閉じた。
ハレが小さく言う。
「私も聞いた」
「証人ですか?」
「うん。寝るけど」
「有効ですか?」
「有効」
レナは笑った。
「じゃあ、有効で」
マキが寝ぼけた声で言う。
「レナさん、朝描くから逃げないで」
「逃げません」
「かわいく描く」
「ほどほどにしてください」
「無理」
「即答……」
コタマは目を閉じたまま、静かに言った。
「今の声も、覚えます」
「はい」
「おやすみの声も」
レナは少しだけ照れた。
「おやすみなさい、コタマさん」
「……はい。おやすみなさい」
ネルが入口側から言う。
「何かあったら起こせ」
「はい」
「いや、寝るわけじゃねぇけど」
「寝てください」
「……少しだけな」
カリンが目を閉じる。
「おやすみなさい、レナさん」
「おやすみなさい、カリンさん」
アカネが最後に毛布の端を直し、静かに座った。
「おやすみなさい、レナさん」
「おやすみなさい、アカネさん」
部屋が静かになる。
でも、さっきの静けさとは違った。
誰かが近くにいる音がする。
毛布の擦れる音。
小さな寝息。
まだ眠れていない誰かの呼吸。
安心して力が抜けていく音。
レナは、目を閉じた。
今夜は、事件の話をしなかった。
怒りも、怖さも、全部消えたわけではない。
でも、お菓子を食べて、ゲームをして、変な恋バナで照れて、誰かにからかわれて、笑って。
そういう夜が、確かにあった。
映像の外に。
ちゃんとあった。
レナは眠りに落ちる直前、アスナの指が袖を握り直すのを感じた。
逃げないで、と言われた気がした。
レナは小さく指先を動かして、返事の代わりにした。
います。
朝まで、ここにいます。
そのまま、部屋はゆっくり眠りに沈んでいった。