戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
最初に起きたのは、たぶんコタマだった。
部屋の中には、まだ夜の名残が残っている。毛布のこすれる音。誰かの寝息。端末の待機音。小さく丸まったマキの横で、スケッチブックが半分だけ開いていた。
「……朝、ですね」
コタマが小さく言うと、ハレがソファの上で目を閉じたまま返した。
「まだ朝じゃない。朝になりかけ」
「厳密ですね」
「眠いから」
レナはその声で目を覚ました。
袖を掴まれている。
左はアスナ。右はハレ。少し離れて、マキがスケッチブックを抱えて寝ている。ネルは入口近くで腕を組んだまま、寝ているのか起きているのか分からない顔をしていた。
「……おはようございます」
レナが小さく言う。
アスナがすぐに目を開けた。
「おはよう、レナちゃん」
「本当に一番に言いましたね」
「約束したから」
アスナは少し得意げだった。
その顔を見て、レナはふっと笑った。
昨日の夜より、少しだけ空気が軽い。
全部が消えたわけじゃない。
でも、みんな同じ部屋で朝を迎えた。
それだけで、少し違った。
その時、先生の端末が鳴った。
部屋の空気が一瞬だけ止まる。
ネルが目を開けた。
「……誰だ」
「ヒナから」
先生は短く答えて、通信を開いた。
画面越しのヒナの声は、静かだった。
『ゲヘナ側の関係者は全員確保したわ。候補者、周辺協力者、通信の中継に関わった生徒も含めて、今は全員こちらの管理下にある』
アコの声が続く。
『端末も押収済みです。外部への再送信経路は遮断しました。ブラックマーケット側の線は追跡中ですが、少なくとも該当映像がこれ以上流れる可能性はありません』
レナは、息を止めていたことに気づいた。
もう、誰かに届かない。
その言葉が、胸の中でゆっくり落ちていく。
続いて、ミネからも短い連絡が入った。
『トリニティ側の関係者も確認を進めています。レナ、後で経過観察の時間を取ります』
「……はい」
レナは思わず返事をした。
通信の向こうで、ミネが少しだけ声を柔らかくする。
『良い返事です』
「団長、それ、朝から言うんですか……」
『朝だからです』
先生が少し笑った。
通信が切れる。
部屋はしばらく静かだった。
レナは膝の上で手を握る。
「……もう、誰かに届かないんですね」
「うん」
先生が頷く。
「少なくとも、この映像はここで止めた」
レナは目を伏せた。
泣きそう、とは少し違った。
ほっとした。
ただ、それだけだった。
「よかった」
小さく言うと、袖を掴んでいたアスナの手に力が入った。
「レナちゃん」
「はい」
「朝ごはん食べよ」
あまりにまっすぐな言葉で、レナは瞬きした。
「……朝ごはん?」
「うん。お腹すいた」
マキが毛布の中から顔を出す。
「私も……昨日お菓子食べたけど、普通にお腹すいた……」
「寝る前にあれだけ食べて?」
ハレが言う。
「ハレも食べてたじゃん」
「私は糖分補給」
「同じだよ」
ネルが立ち上がった。
「飯にするなら早くしろ。腹減るとマキがうるさい」
「私だけ!?」
カリンが静かに毛布を畳み始める。
「朝食の場所を確保します。アカネ、手伝います」
「はい。ですが、今日は完璧に整えなくてもよさそうですね」
アカネはそう言って、少しだけ笑った。
コタマはヘッドホンを首にかけたまま、レナを見る。
「今の声、少し安心した音でした」
「音で分かるんですか?」
「はい」
「……恥ずかしいです」
そのやり取りに、みんなが少し笑った。
朝ごはんは、急ごしらえだった。
購買で買ったパン。温め直したスープ。アカネが淹れた紅茶。マキがまだ残っていたお菓子を「デザート」と言い張って並べたもの。
レナはパンを両手で持って、ひと口食べた。
あたたかい。
昨日の夜、あれだけ重かった部屋で、今は誰かがパンの袋を開ける音がしている。アスナがスープをこぼしそうになって、カリンがすぐに支える。ネルが文句を言いながらも、マキに余ったパンを渡す。ハレは半分寝ながら食べていて、コタマがその音を聞いている。
レナは少しだけ笑った。
「……なんか、変ですね」
「何が?」
アスナが聞く。
「昨日はみんなで寝て、今日はみんなで朝ごはんで」
「楽しい?」
「はい」
レナは柔らかく頷いた。
「楽しいです」
その返事に、部屋の空気が少しだけほどけた。
事件は終わっていない。
処分も、調査も、まだ残っている。
でも、あの映像はもうここから先へ行かない。
今は、それでよかった。
レナは紅茶を一口飲んで、小さく息を吐いた。
「ごちそうさままで、ちゃんと起きてます」
ハレが横から言う。
「そこ目標低くない?」
「朝だから」
マキが笑った。
アスナも笑った。
レナも、つられて笑った。
朝のミレニアムは、まだ少し眠くて、少し散らかっていて、でもちゃんと明るかった。