戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

11 / 106
5話 うまく笑えない

あの日から三日経っていた。たった三日しか経っていないのに、ずっと水の中にいるみたいだった。

 朝、制服へ袖を通す。それだけで手が止まる。リボンを結ぼうとして、指先が動かなくなる。

 

「……っ」

 

 息が詰まる。脳裏に浮かぶ。乱れた制服。押さえつけられた腕。笑い声。

 

私は慌てて首を振った。

 

 違う。思い出すな。大丈夫。学校には行ける。ちゃんと歩ける。そう言い聞かせているのに、鏡の中の自分は全然大丈夫そうに見えなかった。

 

 廊下へ出る。

 

 人と肩が触れそうになった瞬間、体が勝手に跳ねた。

 

「っ、ご、ごめんなさい……!」

 

「え? あ、うん……?」

 

 相手の生徒が戸惑った顔をする。最悪だ。別に何もされてない。ただ近づかれただけ。なのに。喉の奥がきゅっと縮む。

 

 私は俯いたまま、その場を離れた。

 

 最近ずっとこうだ。人が近いと駄目。背後に立たれるのも嫌。廊下の狭い場所を通る時、無意識に肩へ力が入る。でも、一番苦しいのは別だった。

 

 ヒフミ先輩。

 

 あの日から、一度もまともに顔を見れていない。

怖いわけじゃない。嫌いになったわけでもない。むしろ逆だ、だから駄目だった。

 

 思い出す。泣きながら銃を撃っていた姿。震えていた声。“返して”って叫んだ声。それと同時に、自分の惨めな姿も思い出してしまう。

 押さえつけられて。泣いて。抵抗も弱くなって。最後には助けられた。

 

「……っ」

 

 胸の奥が重くなる。あんなところ、見られた。一番見られたくない人に。

 

 教室の前まで来たところで、足が止まった。向こう側。窓際の席。

 

 ヒフミ先輩がいた。

 

 友達と話している。いつもの柔らかい笑顔。なのに、私はその姿を見た瞬間、息が浅くなった。

逃げたい。いや違う。合わせる顔がない。

 

 その時だった。

 

「あっ、レナちゃん!」

 

 視線が合う。ヒフミ先輩が立ち上がる。

 

 私は反射的に一歩下がった。

 

「――っ」

 

 しまった、と思った時には遅かった。ヒフミ先輩の動きが止まる。

 

「あ……」

 

 空気が固まる。

 

 怖かったわけじゃない。でも、体が勝手に。

 

「……ご、ごめんなさい」

 

 なんで私が謝ってるんだろう。

 

 分からない。でも口から出ていた。ヒフミ先輩が困った顔をする。

 

「えっ、あの、違っ……その……」

 

 ヒフミ先輩まで焦り始める。それが余計に苦しかった。

 

 やめて。

 

 困らせたくない。私は慌てて笑おうとした。

 

「だ、大丈夫です、から」

 

 失敗した。自分でも分かる。全然笑えてない。声も震えてる。

 ヒフミ先輩が何か言いかける。

 

 でも。その前に私は目を逸らした。

 

「……すみません、ちょっと」

 

 逃げるみたいに廊下を歩く。背中へ視線を感じる。最悪で最低だ。助けてもらったのに。あんなに必死に助けてくれたのに。

 

 なのに私は、ヒフミ先輩を避けてる。

 

 階段の踊り場まで来たところで、ようやく息を吐いた。

 

「……っ、ぁ……」

 

 うまく呼吸できない。

 

 手すりを掴む。

 

 指先が震えていた。

 

 その時。

 

 後ろから、小さな足音が止まる。

 

「……レナちゃん」

 

 柔らかい声。

 

 私は肩を強張らせた。

 

 でも。

 

 ヒフミ先輩は近づいてこなかった。

 

 少し離れた場所で立ち止まったまま、静かに続ける。

 

「ごめんなさい」

 

 私は目を見開いた。

 

「……え」

 

「その……私、怖がらせちゃいましたよね」

 

 違う。違うのに。でも声が出ない。ヒフミ先輩は少し笑った。無理やりみたいな笑顔だった。

 

「私、あの時、ちょっと……ちゃんとできてなかったので」

 

 その言葉で、胸がぎゅっと痛くなる。それも違う。ちゃんとしてなかったのは私だ。私は何もできなかった。負けた。助けられた。泣いた。なのに、ヒフミ先輩は、自分が悪いみたいに言う。

 

「……なんで」

 

 気づけば声が漏れていた。

 

「なんで、先輩が謝るんですか……」

 

 喉が熱い。ヒフミ先輩が少し困った顔をした。

 

「だって、レナちゃん、ずっと辛そうですし……」

 

 その優しい声が、今は苦しかった。

 

 私は俯く。

 

 涙が落ちる前に隠したかった。

 

「……っ、私、」

 

 声が掠れる。

 

「私、ほんとに……全然、駄目で……」

 

 そこで言葉が止まった。

 

 駄目だ。

 

 これ以上喋ったら、多分泣く。

「私、ほんとに……全然、駄目で……」

 

 そこで言葉が止まった。

 

 喉が詰まる。

 

 駄目だ。

 

 これ以上喋ったら、多分泣く。

 

 私は俯いたまま、ぎゅっとスカートを握った。震えてる。指先も、呼吸も、全部上手くいかない。

 

「……レナちゃん」

 

 ヒフミ先輩の声がする。

 

 近い。

 

 でも。

 

 近づいてこない。

 

 私は少しだけ顔を上げた。

 

 ヒフミ先輩は、階段の踊り場の少し離れた場所に立ったままだった。今すぐ抱きしめられるくらいの距離には来ない。ただ、困ったみたいな顔で私を見ている。

 

「……あの」

 

 ヒフミ先輩が、小さく息を吸う。

 

「無理に、喋らなくていいですからね」

 

 優しい声だった。

 

 その優しさが、また胸を痛くする。

 

 私は唇を噛んだ。

 

「でも、私……」

 

「はい」

 

「助けられて……っ」

 

 そこで声が崩れた。あの日の光景が頭へ戻る。押さえつけられた腕。

乱れた制服。泣いてる自分。何もできなかった自分。それを全部、ヒフミ先輩に見られた。

 

「私、全然……っ、勝てなくて……」

 

 涙が落ちる。

 

「抵抗、してたのに……っ、途中から、ちゃんと力も入らなくなって……」

 

 言いながら、自分で苦しくなる。

 

 情けない。

 

 思い出したくない。

 

 なのに口から止まらない。

 

「怖くて……っ、でも、それより、先輩に見られたのが、ほんとに嫌で……っ」

 

「……うん」

 

「なのに、助けてもらって……っ、私、ほんとに、みっともなくて……!」

 

 最後はほとんど泣き声だった。私は俯いたまま肩を震わせる。ヒフミ先輩は何も悪くないのに。

 

 でも、そんな私へ返ってきたのは、すごく静かな声だった。

「……みっともなくなんか、ないです」

 

 私は目を見開く。

 

 ヒフミ先輩は泣きそうな顔のまま、小さく笑った。

 

「だってレナちゃん、最後まで抵抗してたじゃないですか」

 

「っ……」

 

「私、見てました」

 

 その言葉で、胸の奥が熱くなる。

 

「ちゃんと怖がってたのに、ずっと抵抗してました」

 

 ヒフミ先輩がゆっくり座る。

 

 でも。

 

 まだ少し距離を空けたまま。

 

「だから、駄目なんかじゃないです」

 

 私は何も言えなかった。

 

 涙だけが落ちる。

 

 ヒフミ先輩は少し困った顔をしたあと、制服のポケットを探り始めた。

 

「あっ」

 

 取り出されたのは、小さなペロロ様のハンカチだった。

 

 しかも微妙に顔が歪んでる。

 

「……それ」

 

「限定品です!」

 

 ちょっとだけ強めの声。

 

 でも次の瞬間、ヒフミ先輩自身が「あっ」って顔をして、慌てて小さくなる。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 私は思わず、ふ、と息を漏らした。

 

 笑った、というより。

 

 張っていたものが少しだけ緩んだ感じだった。

 

 ヒフミ先輩が、その変化に気づいて目を丸くする。

 

「……あ」

 

「……変な顔」

 

「ひどくないですか!?」

 

 ちょっとだけ大きくなる声。

 

 でもその直後、二人とも黙った。

 

 静かな踊り場。

 

 窓から夕方の光が差している。

 

 私は涙を拭った。

 

 ペロロ様の顔がちょっと濡れる。

 

「……ごめんなさい」

 

「だからなんで謝るんですかぁ……」

 

 ヒフミ先輩が、本当に困ったみたいに眉を下げる。

 

 それから少し迷う。

 

 何か言おうとして、やめて。

 

 また迷って。

 

 やがて小さな声で、

 

「……あの」

 

「はい」

 

「その……嫌じゃ、なかったら」

 

 ヒフミ先輩がそっと自分の手を見る。

 

「手、繋ぎます?」

 

 私は息を呑んだ。

 

 怖い。

 

 一瞬、体が強張る。

 

 触れられる。

 

 その感覚を思い出しかけて、肩が少し震えた。

 

 でも。

 

 ヒフミ先輩は急かさなかった。じっと待っている。怖がらせないように。傷つけないように。まるで壊れ物を扱うみたいに。その優しさが、苦しかった。

 

 でも。

 

嬉しかった。私はゆっくり、自分の手を伸ばす。少しだけ震えていた。

 

ヒフミ先輩の指先が、そっと触れる。

 

びく、と肩が揺れる。

 

 でも。

 

 怖くない。強く握らない。逃げられないようにも、押さえつけるようにもしてこない。ただ、そこにいる、それだけ。

「……大丈夫ですか」

 

 小さい声。

 

 私は俯いたまま、小さく頷いた。

 

 その瞬間。

 

 張り詰めていたものが、全部切れた。

 

「……っ、ぁ……」

 

 涙が溢れる。

 

 止まらない。

 

 でも今度は、怖くて泣いてるんじゃなかった。

 

 ヒフミ先輩が慌てる。

 

「え、えっ、ご、ごめんなさい!? 嫌でした!?」

 

「ちが……っ」

 

 私は泣きながら首を振る。

 

「ちが、くて……っ」

 

 上手く言葉にならない。

 

 でも。

 

 ヒフミ先輩の手は、最後まで優しかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。