戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

110 / 114
第4話 補習授業、たぶん開始

 

 

 補習授業部の教室には、なぜかお菓子があった。

 

 机を四つ寄せた中央に、個包装のクッキーと、小さなチョコレートと、誰が持ってきたのか分からない飴が置かれている。

 

 黒板には先生の字で、

 

『第一回 自習会』

 

 と書かれていた。

 

 その横に、なぜかコハルの字で大きく、

 

『絶対合格』

 

 と追加されている。

 

 レナは黒板を見て、それから机の上のお菓子を見た。

 

「補習って、お菓子ありなんですか」

 

「集中力維持のために適量なら」

 

「先生、その言い方だとユウカさんに怒られます」

 

「怒られそうだね」

 

「怒られそう、じゃなくて怒られます」

 

 レナが真面目に言うと、先生は笑った。

 

 教室の中は、昨日より少しだけ騒がしかった。

 

 ヒフミは自分の席にノートを二冊、参考書を三冊、筆箱をきれいに並べている。

 コハルは腕を組んで、黒板の「絶対合格」を見上げていた。

 アズサは配られたプリントを裏表確認している。

 ハナコは、いつの間にか窓際の席に座り、優雅に紅茶の紙コップを持っていた。

 

 紙コップなのに、持ち方だけはやけに上品だった。

 

「ハナコさん、それどこから」

 

 レナが聞く。

 

「秘密です」

 

「教室に入った時、持ってませんでしたよね」

 

「レナさんは細かいところをよく見ていらっしゃいますね」

 

「誤魔化しました?」

 

「はい」

 

「はいなんだ……」

 

 コハルが振り向く。

 

「ハナコ! 変なもの持ち込んでないでしょうね!」

 

「変なものとは?」

 

「その聞き返しがもう怪しいの!」

 

「まあ。コハルちゃんにそんな目で見つめられると、私……」

 

「やめて!」

 

 コハルの声が裏返った。

 

 ハナコは楽しそうに目を伏せる。

 

 レナは先生を見た。

 

「先生、この部活、救護係より風紀係が必要では」

 

「風紀係ならコハルがいるから」

 

「私に押し付けないでよ!」

 

「コハルちゃん、頼りにされていますね」

 

「ハナコは黙って!」

 

 ヒフミが慌てて笑いながら両手を振った。

 

「あ、あの、まずは勉強しましょう? せっかく先生がプリントを作ってくださったので」

 

「ヒフミさん、えらいです」

 

「え、えらいですか?」

 

「はい。今、この教室で一番まっすぐ勉強に向かっています」

 

「一番って言い方、他の三人がだめみたいじゃない?」

 

 コハルが机に手をつく。

 

 レナは少し考えた。

 

「じゃあ、二番目にします?」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 アズサがプリントから顔を上げた。

 

「順位は必要なのか」

 

「アズサまで真面目に受け取らないで!」

 

「必要なら、基準を決めるべきだ」

 

「決めなくていい!」

 

 先生が軽く手を叩いた。

 

「はいはい。始めようか。まずは前回までの範囲の確認。今日は自習が中心だから、分からないところがあったらお互いに聞いていいよ」

 

「はい!」

 

 ヒフミが元気よく返事をした。

 

 コハルも少し遅れて、

 

「ま、まあ、余裕だけどね」

 

 と胸を張る。

 

 レナはその言い方を聞いて、少しだけ首を傾けた。

 

「コハル、余裕なんですか」

 

「当たり前でしょ。私は正義実現委員会のエリートなのよ」

 

「勉強と正義実現委員会って、関係あります?」

 

「あるわよ! ……たぶん!」

 

「たぶんなんですね」

 

「今のは言葉の勢い!」

 

 コハルはプリントを表にした。

 

「とにかく、一年生用のテストならちゃんとできるの。今まで赤点だったのは、ちょっと事情があっただけで」

 

「事情?」

 

「二年生用のを受けてたの!」

 

 なぜか誇らしげだった。

 

 ヒフミがぱちぱちと小さく拍手した。

 

「すごいですね、コハルちゃん」

 

「でしょ?」

 

「でも、どうして二年生用を?」

 

「そ、それは……」

 

 コハルの視線が横へ滑る。

 

 ハナコがにこにこしている。

 

「より高い場所を目指すコハルちゃんの、向上心あふれる挑戦だったのでしょう」

 

「そう! そういうこと!」

 

「そして階段を一段飛ばしどころか、校舎の屋根から跳ぼうとした結果……」

 

「そこまで言ってない!」

 

「失礼しました。表現を抑えますね」

 

「最初から抑えて!」

 

 レナは少し笑ってしまった。

 

 コハルがこちらを見る。

 

「レナまで笑わないで」

 

「ごめん。ちょっとかわいかった」

 

「かわっ……!」

 

 コハルの顔が一気に赤くなる。

 

「そういうこと急に言わないで!」

 

「急じゃない方がいいですか?」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 ハナコが紙コップをそっと置いた。

 

「なるほど。急ではない可愛い、という選択肢も」

 

「ハナコは広げないで!」

 

 先生が黒板の前で笑っている。

 

「仲が良くなってきたね」

 

「なってません!」

 

 コハルが即答した。

 

 ヒフミは小さく笑いながら、プリントに名前を書いている。

 

 アズサは、すでに一問目に取りかかっていた。

 

 レナはアズサの手元を少しだけ見た。

 

 迷いがない。

 問題を読んで、必要なところに線を引いて、答えを書く。

 ただ、使っている参考書の開き方がどこか不慣れだった。

 

 武器の扱いに慣れた人が、初めて別の道具を持っているような。

 

 レナはそう思って、すぐに視線を戻した。

 

 今は勉強会だ。

 

 救護バッグは足元に置いてある。

 出番がないのが一番いい。

 

「レナさん」

 

 ヒフミが小さく手を上げた。

 

「はい」

 

「ここ、先生に聞くほどじゃないかもしれないんですけど……」

 

「私で分かれば」

 

 ヒフミがノートを見せる。

 

 丁寧な字だった。

 色分けもきれいで、どこで悩んでいるのかも分かりやすい。

 

「ここ、用語を覚えるだけでいいんでしょうか。それとも、理由も書けた方がいいんですか?」

 

「理由も軽く押さえておくと安心です。丸暗記だと、少し聞かれ方が変わった時に迷うので」

 

「なるほど……」

 

 ヒフミはすぐにメモを取る。

 

「レナさん、説明分かりやすいです」

 

「よかったです。ミネ団長に説明が長いって言われたことありますけど」

 

「えっ、長いんですか?」

 

「救護の時に、私が焦って全部説明しようとして」

 

 そこでレナは少しだけ言葉を止めた。

 

 全部言う必要はない。

 

 ヒフミは、それに気づいたように見えたけれど、何も聞かなかった。

 

「じゃあ、今日はちょうどいいです」

 

「ちょうどいい?」

 

「私、ゆっくり説明してもらえる方が安心するので」

 

 ヒフミはそう言って笑った。

 

 レナは返事に少し迷って、

 

「じゃあ、今日はゆっくりにします」

 

 とだけ言った。

 

 その向かいで、コハルがプリントを睨んでいた。

 

「……」

 

「コハル?」

 

「見ないで」

 

「まだ何も言ってない」

 

「言う前の顔してた」

 

「そんな顔してました?」

 

「してた」

 

 レナはコハルのプリントを覗き込まないように、少しだけ身を引いた。

 

「じゃあ、聞かれるまで待ちます」

 

「……」

 

「待ちます」

 

「……ちょっとだけ」

 

「はい」

 

「ちょっとだけだから」

 

「はい」

 

「この問題、何を聞いてるの?」

 

 レナはプリントを見た。

 

 問題文は長い。

 でも、聞かれていることはそこまで複雑ではない。

 

「たぶん、最初の二行は状況説明です。答えるのは最後の一文」

 

「最初の二行、いらないじゃない」

 

「問題文はたまにそういうことします」

 

「性格悪くない?」

 

「問題文に人格を感じ始めるのは、少し疲れてるかも」

 

 コハルが机に額をつけた。

 

「もう嫌」

 

「まだ一問目です」

 

「言わないで!」

 

 ハナコがそっとチョコレートを差し出した。

 

「糖分はいかがですか」

 

「……いる」

 

「はい、どうぞ」

 

「変な意味ないでしょうね」

 

「チョコレートに変な意味を見出すかどうかは、受け取る側の心次第かと」

 

「やっぱりあるじゃん!」

 

「ありませんよ?」

 

 コハルは文句を言いながら、チョコレートを受け取った。

 

 ヒフミがくすくす笑っている。

 

 アズサはそのやり取りを見て、少し不思議そうにしていた。

 

「糖分を摂取すると、集中力が戻るのか」

 

「多少は」

 

 先生が答える。

 

「では、合理的だ」

 

 アズサはチョコレートを一つ取った。

 

 包みを開ける。

 食べる。

 少しだけ目を伏せる。

 

「甘い」

 

「昨日も聞いた気がします」

 

 レナが言うと、アズサは真面目に頷いた。

 

「同じものだからな」

 

「同じものなら同じ感想なんですね」

 

「違う感想が必要か?」

 

「いえ。なんか安心します」

 

 アズサは少しだけ考える。

 

「安心」

 

「はい」

 

「甘いものが甘いことに?」

 

「アズサさんが、それをちゃんと言うことに」

 

 言ってから、レナは少しだけ後悔した。

 

 踏み込みすぎたかもしれない。

 

 アズサは怒らなかった。

 ただ、手元の包み紙をきれいに折った。

 

「そうか」

 

 それだけだった。

 

 ハナコがこちらを見ていた。

 

 レナは気づいたけれど、目を合わせなかった。

 

 ハナコも何も言わなかった。

 

 それからしばらく、教室には鉛筆の音が続いた。

 

 ヒフミは時々小さく唸り、コハルは三回ほど「問題文の言い方が悪い」と言った。

 アズサは分からないところを先生に短く聞き、必要な答えを受け取るとすぐに戻った。

 ハナコは、驚くほど真面目にアズサの質問に答えていた。

 

「ここは、選択肢の言葉に惑わされない方がいいですね」

 

「惑わすためにあるのか」

 

「ええ。問題文とは、時にそういうものです」

 

「敵か」

 

「敵に見える時もあります」

 

「なら、対処する」

 

「ふふ。アズサちゃんらしいですね」

 

 ハナコは笑っていた。

 

 でも、説明は丁寧だった。

 

 レナはそれを少し離れたところから見ていた。

 

 ハナコは、変なことを言う。

 わざと場をかき回す。

 コハルをからかう。

 先生を困らせる。

 

 でも、アズサに教える時の声は、ちゃんと相手の速度を見ていた。

 

 その切り替えが、あまりにも自然で。

 

 レナは、ハナコが地図を逆さまに持つ人ではないことを、もう分かっていた。

 

 ただ、そういうふうに見せている。

 

 たぶん。

 

「レナさん」

 

 ハナコに呼ばれて、レナは少しだけ肩を揺らした。

 

「はい」

 

「そんなに見つめられると、私、照れてしまいます」

 

「すみません。見てました」

 

「素直ですね」

 

「変に誤魔化すと、ハナコさんの方が面白がりそうなので」

 

「正解です」

 

「やっぱり」

 

 ハナコは楽しそうに笑った。

 

「では、レナさんも一問いかがですか」

 

「私ですか?」

 

「救護係さんの実力を拝見したく」

 

「え、私、補習対象じゃないんですけど」

 

「まあ。では特別出演ということで」

 

「そんな舞台みたいに」

 

 ハナコはプリントの一問を指差す。

 

「こちらです」

 

 レナは覗き込んだ。

 

 基礎問題だった。

 解ける。

 

 はずだった。

 

「……」

 

「レナさん?」

 

「待ってください。今、頭の中で救護バッグの中身を確認し始めました」

 

「逃避ですね」

 

「はい」

 

「認めるのが早い」

 

「ミレニアムで学びました」

 

 先生が遠くから笑っている。

 

「レナ、そこは前にやった範囲だよ」

 

「先生、そういう情報を今出されると逃げ道が減ります」

 

「減らしてる」

 

「味方じゃない……」

 

 コハルが勝ち誇ったように笑った。

 

「ほら! レナだって分かんない時あるじゃん!」

 

「あります」

 

「認めるの早っ」

 

「分からないものは分からないので」

 

「なんかそれはそれで強い……」

 

 ヒフミがノートを少し寄せた。

 

「一緒に考えましょうか」

 

「ありがとうございます」

 

「ここは、まず用語の意味を確認して……」

 

 ヒフミの説明は丁寧だった。

 

 ゆっくりで、少し迷いながら、それでも相手を置いていかない。

 レナはそれを聞きながら、ヒフミは教えるのが上手いのだと思った。

 

「なるほど」

 

「分かりました?」

 

「はい。ヒフミさん、先生向いてるかも」

 

「えっ!? そ、そんな……」

 

「ヒフミが先生……」

 

 コハルが想像したのか、少し頬を緩める。

 

「なんか似合うかも」

 

「コハルちゃんまで……」

 

「ヒフミ先生」

 

 アズサが真面目な顔で言った。

 

 ヒフミが完全に赤くなった。

 

「や、やめてください、恥ずかしいです!」

 

「悪くない響きだ」

 

「アズサちゃん!?」

 

 ハナコが手を合わせた。

 

「では、私はヒフミ先生に個人指導を」

 

「ハナコさん!?」

 

「コハル、止めてください」

 

「なんで私に言うの!?」

 

 教室が一気に騒がしくなる。

 

 先生は黒板の前で笑っていた。

 

 レナも笑った。

 

 勉強会。

 

 ちゃんと勉強しているはずなのに、たびたび話が逸れる。

 誰かが間違えて、誰かが突っ込んで、誰かが笑う。

 

 ミレニアムの部室とは違う。

 アビドスの教室とも違う。

 

 でも、こういう時間を、レナは嫌いではなかった。

 

 むしろ、少し好きだと思った。

 

 だからこそ、机の端に置かれたナギサからの資料が、ときどき目に入るのが気になった。

 

 補習授業部。

 

 ただの補習ではない。

 

 でも今は、誰もそれを口にしなかった。

 

 先生も、ヒフミも、コハルも、ハナコも、アズサも。

 

 それぞれ、何かを知っているのかもしれない。

 何も知らないのかもしれない。

 

 レナは、プリントの余白に小さく丸をつけた。

 

 午後の最後に、先生が小テストを出した。

 

「えっ、今から!?」

 

 コハルが椅子から半分立ち上がる。

 

「確認テストだよ。今日やった範囲から出す」

 

「そういうのは最初に言ってよ!」

 

「最初に言うと緊張するでしょ」

 

「今してる!」

 

「じゃあ一緒かなって」

 

「一緒じゃない!」

 

 ヒフミは深呼吸している。

 

「だ、大丈夫。今日やったところなら、きっと……」

 

 アズサは鉛筆を持ち直した。

 

「制限時間は?」

 

「十五分」

 

「分かった」

 

 ハナコはにこにこしていた。

 

 コハルがその顔を見て眉をひそめる。

 

「ハナコ、余裕そうなのが腹立つ」

 

「余裕というほどではありません」

 

「絶対余裕じゃん」

 

「ふふ」

 

「その笑い!」

 

 先生が用紙を配る。

 

 レナは後ろで見守ることになった。

 

 テストが始まると、教室の音が変わった。

 

 鉛筆の音。

 紙をめくる音。

 コハルが小さく息を詰める音。

 ヒフミが消しゴムを使う音。

 アズサが一度だけ止まる間。

 ハナコが、なぜか一問目で楽しそうに首を傾ける気配。

 

 十五分は、思ったより早かった。

 

「はい、そこまで」

 

「待って! あと一文字!」

 

「コハル、時間切れ」

 

「先生の無情!」

 

「時間は守ろう」

 

「正論!」

 

 答案が回収される。

 

 先生はその場で採点を始めた。

 

 待つ時間が、一番落ち着かない。

 

 ヒフミは両手を膝の上に置いている。

 コハルは机に突っ伏している。

 アズサは姿勢よく座っているが、視線は少しだけ答案の方に向いている。

 ハナコは窓の外を見ていた。

 

 レナは、救護バッグの横に座り直す。

 

 小テストで救護バッグの出番はない。

 

 ないはずだった。

 

「結果、出たよ」

 

 先生が答案を持って戻ってきた。

 

 コハルが顔だけ上げる。

 

「早くない?」

 

「採点しやすい問題にしたから」

 

「怖い」

 

「まずヒフミ」

 

「は、はい」

 

「七十二点」

 

 ヒフミの顔がぱっと明るくなる。

 

「よ、よかった……!」

 

「合格ラインは六十点だから、合格」

 

「ヒフミさん、すごいです」

 

 レナが言うと、ヒフミは少し涙目で笑った。

 

「ありがとうございます……!」

 

 コハルがそわそわする。

 

「つ、次は?」

 

「アズサ」

 

「はい」

 

「三十二点」

 

「三十二」

 

 アズサは点数を繰り返した。

 

 その声には、落ち込むというより、確認する響きがあった。

 

「合格には届かなかったけど、理解しているところもある。伸ばせるよ」

 

「分かった」

 

 アズサは答案を受け取る。

 

 じっと見る。

 赤い印を、目で追っている。

 

 レナは何も言わなかった。

 

 次。

 

 コハルが両手を握りしめる。

 

「コハル」

 

「……はい」

 

「十一点」

 

 教室が止まった。

 

「……」

 

 コハルが答案を見た。

 

 それから、もう一度見た。

 

「じゅう、いち」

 

「十一」

 

「……一の位と十の位、逆じゃない?」

 

「逆でも十一だね」

 

「先生!」

 

 コハルが叫んだ。

 

「ち、違うの! これは、その、問題文が!」

 

「問題文は全員同じです」

 

 アズサが淡々と言う。

 

「今それ言わないで!」

 

 ヒフミが慌ててコハルの肩に手を置いた。

 

「コハルちゃん、次があります。次、一緒に頑張りましょう」

 

「ヒフミ……」

 

 コハルが少し泣きそうな顔になる。

 

 ハナコがそこで微笑んだ。

 

「コハルちゃん、十一点ということは、まだ八十九点分も伸びしろが」

 

「慰め方が雑!」

 

「では、伸びしろが豊満に」

 

「言い方!」

 

「おっと」

 

 ハナコは口元を押さえた。

 

「つい」

 

「ついじゃない!」

 

 レナは笑いを堪えた。

 

 コハルがこちらを見る。

 

「レナ、笑った?」

 

「笑ってません」

 

「今、目が笑ってた」

 

「笑わないように努力してます」

 

「笑ってるじゃん!」

 

 少しだけ教室の空気が戻る。

 

 そして、最後。

 

 先生がハナコの答案を持った。

 

「ハナコ」

 

「はい」

 

「二点」

 

 今度こそ、教室が完全に止まった。

 

 ヒフミが固まる。

 コハルが口を開ける。

 アズサが少しだけ目を瞬かせる。

 レナも、思わず答案を見た。

 

 二点。

 

 コハルより低い。

 

「……二点?」

 

 コハルの声が震える。

 

「二点」

 

 先生が頷く。

 

「ハナコ、あんた、さっきアズサに教えてたよね?」

 

「教えていましたね」

 

「教えられてたアズサが三十二点で、教えてたあんたが二点!?」

 

「不思議ですね」

 

「不思議で済ませるな!」

 

 ハナコは答案を受け取って、上品に微笑んだ。

 

「まあ。二点もいただけるなんて」

 

「いただけるなんて、じゃない!」

 

アズサは答案を見てから、ハナコを見る。

 

「意図的か?」

 

 ハナコは笑った。

 

「どうでしょう」

 

 それだけ。

 

 レナは、ハナコの答案を見た。

 

 解けなかった答案ではない。

 そう見えた。

 

 空欄の作り方が、少し不自然だった。

 

 でも、言わなかった。

 

 ハナコも、こちらを見ていない。

 

 ただ、コハルの方へ笑いかけている。

 

「コハルちゃん、次は一緒に頑張りましょうね」

 

「なんか納得いかない……!」

 

「はい。納得できない気持ちは大切です」

 

「それっぽいこと言って誤魔化さないで!」

 

 先生が答案を机に置いた。

 

「というわけで、合格はヒフミだけ。みんな、次に向けて頑張ろう」

 

「は、はい……!」

 

 ヒフミはまだ少し震えている。

 

 アズサは答案を折らずに、きれいに鞄へ入れた。

 コハルは机に突っ伏したまま、何かぶつぶつ言っている。

 ハナコは涼しい顔で紅茶を飲んでいる。

 

 レナは、答案の赤い数字をもう一度見た。

 

 七十二。

 三十二。

 十一。

 二。

 

 教室は騒がしい。

 

 けれど、どこか少しだけ明るかった。

 

 落ち込んで、叫んで、突っ込んで、笑って。

 それでも、次があるみたいな空気があった。

 

 補習授業部。

 

 まだ始まったばかりの、変な部活。

 

 レナは救護バッグを持ち上げた。

 

「先生」

 

「うん?」

 

「次から、お菓子少し増やしましょう」

 

「どうして?」

 

「救護係として、糖分が必要だと判断しました」

 

「それは救護判断?」

 

「半分くらい」

 

「残り半分は?」

 

 レナはコハルの答案を見て、ヒフミの泣きそうな笑顔を見て、アズサの静かな横顔を見て、最後にハナコの涼しい顔を見た。

 

「……私が、見ていて必要だと思ったので」

 

 先生は少し笑った。

 

「じゃあ、次は用意しておこうか」

 

 コハルが顔を上げる。

 

「チョコ多めで」

 

「コハル、立ち直り早い」

 

「うるさい!」

 

 ヒフミが笑う。

 

 ハナコも笑う。

 

 アズサは、少し遅れて、机の上のチョコレートをひとつ手に取った。

 

「次は、もう少し取る」

 

 それが点数の話なのか、チョコレートの話なのか、一瞬分からなかった。

 

 でもヒフミが嬉しそうに頷いた。

 

「はい。一緒に頑張りましょう」

 

 アズサは短く頷く。

 

 レナはその横顔を見て、少しだけ口元を緩めた。

 

 その日の補習授業部は、赤点と叫び声と、チョコレートの包み紙の音で終わった。

 

 まだ、不穏なものは遠くにあった。

 

 少なくとも、この教室の中では。

 

 今はまだ、女の子たちが机を囲んで、勉強ができないと騒いでいるだけだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。