戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
サオリさんが名乗った直後、奥の通路から足音が近づいてきた。
後方へ下がっていたヒヨリさんとアツコさんだった。ヒヨリさんは途中で何度か後ろを確認しながら走ってきて、サオリさんたちのところまで戻ると荒い息のまま銃を構える。アツコさんは何も言わず、その隣へ並んだ。
「向こうは予定通りです。こっちに回れます」
「分かった」
これで四人。
先生の前にいるヒナさんは、戻ってきた二人を見ても表情を変えなかった。ただ銃を握り直し、先生を庇う位置から半歩だけ前へ出た。
近くで見ると、立っていること自体がおかしいくらい傷だらけだった。制服はところどころ裂け、肩から腕へ流れた血が乾きかけている。左脚にも傷があるのか、重心を移すたび身体が僅かに傾いた。
先生がその背中へ声を掛ける。
「先生、もう少しだけ」
ヒナさんは振り返らなかった。
「ここを抜ければ、あとはセナたちと合流できるから」
「……本当に、しつこい」
次の瞬間には銃声が響いていた。
最初に動いたのはヒナさんだった。
サオリさんの射線から身体を外し、そのまま撃ち返す。右へ散ったミサキさんにもほとんど同時に銃口を向け、先生の側へ回り込もうとしたヒヨリさんには瓦礫へ身を隠させるほど正確に弾を送った。
「うわっ!?」
ヒヨリさんが頭を引っ込める。
「ちょ、ちょっと待ってください! さっきより酷くなってるはずですよね!?」
「口動かす暇あるなら撃って」
「撃ってますよぉ!」
ミサキさんが瓦礫の陰から数発撃つ。
ヒナさんは先生の前から大きく離れなかった。正面のサオリさんへ撃ち返しながらミサキさんの位置まで見ていて、アツコさんが動けばそちらへも銃口を振る。
私には誰がどこから撃っているのか追い切れなかった。
銃声が重なるたび身体が強張る。それでも柱の陰から目を離さず、足元の縄を古びた金具の縁へ押しつけていた。
引く。
ざらざらした金属へ縄が擦れる。
さっきより僅かに細くなっている。
「ん……っ」
もう一度引きながら前を見る。
ヒナさんはまだ戦っていた。
一発を避けて撃ち返し、先生へ近づく射線を自分で潰す。私には圧倒的に見えるのに、先生だけは違うものを見ていたらしい。
「ヒナ!」
「来ないで!」
先生が手を伸ばした瞬間、ヒナさんが強い声を出した。
右脚が一瞬沈んでいた。
すぐに姿勢を戻したけれど、今度は銃を構える腕が僅かに震えている。
「まだ平気だから」
そう言って、また撃つ。
平気なはずがない。
肩の傷からは新しい血が滲み、さっきまで小さかった呼吸も明らかに速くなっていた。避ける動作のあとに一瞬止まることが増え、前へ踏み込んだ右脚をすぐ戻すことも何度かあった。
サオリさんも気づいていた。
「ミサキ、右から押せ。ヒヨリは先生を見ろ」
「分かった」
「は、はい!」
二方向から銃撃が重なる。
ヒナさんが左へ身体を逃がし、すぐ先生の前へ戻る。ミサキさんへ二発撃ち返したところでヒヨリさんが動き、今度はそちらへ向きを変えた。
一人で全部を止めようとしている。
「……っ!」
足がもつれた。
その隙へサオリさんの弾が飛ぶ。ヒナさんは首を傾けて一発を外し、続く弾も身体を捻って避けた。
もう一発。
肩が跳ねた。
「ヒナ!」
先生の声。
「……まだ!」
ヒナさんはすぐ撃ち返した。
声は強かった。
でも身体がついてこない。
前へ出ようとした足が途中で止まり、銃を持った腕がゆっくり下がる。本人も気づいて持ち上げ直したが、今度は照準が揺れていた。
ミサキさんが僅かに目を細める。
「……もう無理なんじゃない」
「決めつけるな」
「分かってる」
サオリさんがまた撃った。
ヒナさんは避けようとした。
身体が遅れた。
「っ……!」
弾が制服を掠め、ヒナさんが壁へ肩をぶつける。そこから離れようとして一歩踏み出したところで、とうとう膝が床についた。
先生がすぐに駆け寄った。
「先生……前……」
ヒナさんは片手を床へつきながら顔を上げる。
「私じゃなくて……前、見て……」
息を吸う。
立とうとする。
肘が震えた。
身体が半分ほど持ち上がり、そこで力が抜けた。
倒れた。
「ヒナ!!」
先生が身体を支える。
私は柱の陰から思いきり前へ出た。
「ん゛っ!!」
足元の縄が張り、腰から後ろへ引き戻される。
痛みが腹へ響いた。それでももう一度引く。金具へ擦りつけていた部分から、細い繊維が何本か切れた。
「んんっ……!」
先生の腕の中で、ヒナさんはもう起き上がらない。
銃声が止まった。
ミサキさんがようやく銃口を少し下げる。
「……やっと倒れた」
疲れた声だった。
ヒヨリさんも瓦礫の後ろから顔を出した。
「本当に……やっとですよぉ。あんな怪我だったのに、どうしてまだあれだけ動けるんですか……」
アツコさんは何も言わなかった。
倒れているヒナさんを静かに見ていた。
サオリさんだけがすぐに先生へ視線を移した。
「トリニティもゲヘナも、中心になる者はもう動けない」
先生がヒナさんをそっと床へ横たえる。
「残ったのは貴様だけだ。シャーレの先生」
先生が立ち上がった。
それまでとは違う静けさが辺りを包んだ。
遠くではまだ戦闘が続いている。爆発音も銃声も聞こえる。それなのに、今いるこの狭い場所だけは妙に静かだった。
先生は四人を見る。
「……君たちが、アリウススクワッド?」
少し間があった。
ミサキさんが小さく息を吐く。ヒヨリさんは何とも言えない顔をして、アツコさんは相変わらず黙っている。
最後にサオリさんが答えた。
「ああ」
先生を正面から見る。
「私たちがアリウススクワッドだ。ようやく会えたな、先生」
先生の顔が僅かに変わった。
「アズサから話は聞いている」
その名前に、私も反応した。
「あいつがここへ来てから世話になったそうだな。特に先生には」
「アズサは――」
「今から会いに行く」
先生が続きを止める。
サオリさんも、それ以上アズサについて説明しなかった。
「その前に、先生には知っておいてもらおう」
古聖堂の方角へ視線を向ける。
「今日、この場所で結ばれた条約はもうトリニティとゲヘナだけのものではない。私たちは両校に代わって調印を済ませた」
先生が問い返す。
サオリさんは淡々と答えた。
自分たちアリウススクワッドが、条約の名のもとに武力を行使する新たなエデン条約機構になること。
それは本来、アリウスにも関わるはずだった権利だったこと。
ずっと昔、最初の公会議の頃から、アリウスもその歴史の当事者だったこと。
「だがトリニティは私たちを切り捨てた」
サオリさんの声が少し低くなる。
「争いを起こす側だと決め、排除する対象にした。その後は存在自体を忘れていった。何百年もの間な」
先生は途中で口を挟まなかった。
私は足元の縄を引きながら、その話を聞いていた。
何度か聞いたことのある言葉だった。
憎しみ。
トリニティ。
アリウス。
ここへ連れてこられてからも、断片的には耳にしている。
でも、今日古聖堂へミサイルを落とした時よりも、先生へ話している今の方がサオリさんの声には感情があった。
「それなのに今さら、トリニティとゲヘナだけで手を取り合うという。過去の争いを終わらせるための条約だと」
サオリさんは先生を見る。
「こちらが何を失ったのかも知らないまま」
先生が何かを尋ねた。
サオリさんは首を横へ振る。
「終わらせたいわけじゃない」
一度息を置いた。
「今度はこちらが決める」
先生の眉が寄る。
「これまで私たちを排除の対象にした側を、今度はアリウスが定義し直す。ゲヘナとトリニティ。その両方を、条約に反する存在として」
「……それって」
「排除する」
先生が黙る。
「文字通りだ。この二つの学園を、キヴォトスから消す」
ヒヨリさんは俯いていた。
ミサキさんは何も言わない。
アツコさんも動かなかった。
「これから貴様らは知ることになる」
サオリさんの声だけが続く。
「数百年積み重なったものが、どういう形で残っているのかを」
先生がそれに何かを返した。
長い言葉ではなかった。
サオリさんの表情が僅かに動く。
「……そんなことを言うのか」
先生はもう一度口を開いた。私は全部を聞き取れなかった。ただ、アズサの名前が出た。サオリさんが少し黙る。
「アズサは……違う道を選んだ」
その言い方だけが、少し普段と違った。
「ここでの生活を選び、先生たちの側へ行った。それは知っている」
先生が続けようとする。
「だが、それで今日やることが変わるわけじゃない」
サオリさんの手が銃へ動いた。
私の身体が強張る。
「先生はここで処理する」
「んっ……!」
足元の縄を引く。
先生はサオリさんの手元を見ていた。
「貴様が残っている限り、計画がどう転ぶか分からない。実際、ここまで何度も予定外のことを起こしてきた」
銃口が上がる。
「先生が最大の障害になる。そう言われている」
「ん゛んっ!!」
思いきり身体を前へ出した。
縄が足へ食い込む。
切れかけた部分が伸びる。
「んんっ!! ん゛っ……!」
やめて。
先生。
逃げて。
どちらへ言っているのか、自分でも分からなかった。
サオリさんの指が引き金へ近づく。
その瞬間。
「ああぁぁぁぁっ!!」
床から叫び声が上がった。
先生が振り返る。
サオリさんも咄嗟に銃口を向け直した。
「……っ!」
ヒナさんが立っていた。
さっきまで全く動かなかった身体を、片腕で無理やり起こしている。膝は震え、壁に手をつかなければ立っていられない。それでも身体を先生とサオリさんの間へ持っていった。
「まだ動けるのかっ……」
サオリさんの声にも、初めてはっきり驚きが混じった。
「先生……」
ヒナさんは先生を見ない。
「下がって……」
通信機へ手を伸ばす。
一度掴み損ねる。
床へ落ちかけたそれを、もう一度掴んだ。
「セナ……っ」
息が続かず、声が途切れた。
「セナ! こっち……!」
数秒もしないうちに、遠くからエンジン音が聞こえてきた。
最初は銃撃の合間に混じる程度だった。それが急激に大きくなる。
「えっ……救急車!?」
ヒヨリさんが通路の奥を見る。
次の瞬間、白い車体が瓦礫を跳ね飛ばして飛び込んできた。タイヤが石床を擦り、車体を大きく振りながら先生たちのすぐ近くで止まる。
扉が開く。
「先生!」
セナさんだった。
「手を!」
先生が救急車へ向かう。
ヒナさんも一緒に動こうとしたが、最初の一歩で身体が傾いた。
それでも先生の背中を押す。
「行って……早く……!」
サオリさんが動いた。
「逃がすな!」
銃声が響く。
ヒナさんはすぐに振り返った。
「っ!」
さっきまで倒れていた身体とは思えない勢いで先生の後ろへ入り、撃ち返す。ヒヨリさんとミサキさんも加わり、一気に弾が飛び交った。
「先生、早く!!」
セナさんが腕を伸ばしている。
先生が走る。
ヒナさんは少し後ろで射線を潰し続ける。
一発を止める。
横へずれる。
また撃ち返す。
次の一発にも間に入る。
ただ、そのたび身体が大きく揺れた。
「っ……は……!」
息が切れる。
右脚がもつれる。
先生との距離が少し開く。
サオリさんがその一瞬を狙って横へ出た。
ヒナさんがすぐに気づく。
「先生!」
踏み込んだ。
射線へ身体を入れる。
あと少し。
ほんの少しだけ足りなかった。
銃声がした。
先生の身体が揺れた。
「……え」
ヒナさんが止まった。
先生が腹部へ手を当てる。
指の間から赤い色が広がった。
一歩よろめく。
膝が折れる。
「先生!!」
ヒナさんの声が裏返った。
セナさんが救急車から飛び降り、倒れかけた先生を両腕で受け止める。
「先生! 聞こえますか!? 先生!!」
先生は目を開けていた。
でも返事をしない。
「銃創……っ、担架! 早く!!」
後ろから救護の生徒たちが走ってくる。
先生の身体を支え、急いで救急車へ運ぼうとする。
「ん……」
私は息をするのを忘れていた。
赤い。
先生の服が赤くなっている。
「ん゛っ……!」
前へ出る。
縄が張る。
「んんっ!!」
何度も引く。
金具へ擦れていた部分がさらに細くなる。
ヒナさんは先生を見たまま立ち尽くしていた。
ほんの一瞬だけだった。
次にサオリさんが銃を上げると、その顔が変わった。
「……っ!」
ヒナさんも向き直る。
「近づかないで……!」
銃を構える。
腕が上がり切らない。
先生は救護の生徒たちに支えられ、救急車へ運ばれている。
サオリさんが少し横へ動いた。
ヒナさんの身体を避ける位置。
「っ、待って……!」
ヒナさんも動こうとした。
右脚が崩れた。
床へ手をつく。
「待ちなさい……!」
すぐ立とうとする。
膝が上がらない。
もう一度力を入れる。
身体が半分ほど持ち上がり、また落ちた。
サオリさんの銃口は先生を追っている。
ヒナさんの顔から血の気が引いた。
「……嫌」
小さく漏れた。
さっきまでどれだけ傷ついても見せなかった表情だった。
先生を見る。銃口を見る。手を伸ばす。届くはずがない。
「先生っ!!」
私は足を思いきり引いた。
ブツッ、と何かが切れた。
身体が前へ倒れる。
一瞬何が起きたのか分からなかった。
足が軽い。縄が外れている。立った。一歩目で身体が傾いた。二歩目で転んだ。
膝を床に打ち、縛られた手も石へ擦れた。
すぐに起きる。
痛いかどうかも分からなかった。
サオリさんの指が動く。
「ん゛――っ!!」
走った。
先生へじゃない。
銃の方へ。
サオリさんがこちらを見るより早く、肩から身体ごとぶつかった。
「っ!?」
硬い衝撃が返ってくる。
サオリさんの身体が横へずれた。
同時に発砲。
弾は先生の横を抜け、救急車の後ろにある石壁を砕いた。
私はその勢いのまま床へ転がった。
肩を強く打つ。
腹にも痛みが戻ってきて、呼吸が止まりそうになる。
それでもすぐ顔を上げた。
先生には当たっていない。
今度は。
それだけ分かればよかった。
私はサオリさんを見なかった。
身体を起こして先生のところへ向かう。
「んっ……んん……!」
布に声が潰れる。
足がちゃんと動かない。
数歩走ったところでまたつまずき、今度は前へ手をついた。
縛られた両手では受け身も取れない。
「……っ」
息を詰めて起き上がる。
先生。
早く。
「んんっ……!」
ヒナさんが私に気づいた。
銃口が反射的にこちらへ動く。
「待って!」
私は止まれなかった。
先生のところへ行くだけだった。
縛られた手。
口を塞ぐ布。
足首に残った切れた縄。
そんなものを見ている余裕もない。
「んっ……!」
その時、先生の手が僅かに上がった。
「……先生?」
ヒナさんが振り返る。
先生は喋らなかった。
呼吸が浅く、顔色も明らかに悪い。それでも震える腕を少しだけ持ち上げ、私の方へ手を向けた。
ほんの小さな動きだった。
でもヒナさんはそれを見た。
先生。
私。
もう一度先生。
銃口が下がる。
「……分かった」
それだけだった。
私は先生のそばまで行った。
血の匂いがした。
「ん……っ」
縛られた手を伸ばしかける。
何もできない。
救護騎士団なのに、先生の傷が目の前にあるのに、手首すら自由にならない。
「レナさん!?」
セナさんがようやく私に気づいた。
一瞬、目を見開く。
顔と拘束を見て、何かを聞こうとしたようだった。
「……今は後です! 乗って!!」
すぐ先生へ戻った。
「先生を先に! 急いで!」
「はい!」
「ヒナさんも!」
「私はまだ動ける!」
「動けてませんっ!」
ヒナさんが振り返る。
「後ろを抑えないと――」
「こっちでやります! 早く!!」
壁へ弾丸が当たり、石片が飛んだ。
「っ!」
ヒナさんが反射的に撃ち返す。
「ヒナさん!!」
「分かってるっ!」
叫び返した声には、もういつもの落ち着きがなかった。
先生が担架ごと車内へ運び込まれる。
私はその後を追った。
ステップへ足を掛けたところで膝から力が抜け、車体へぶつかりそうになった。
「レナさん!」
セナさんが咄嗟に腕を掴む。
「ごめんなさい! でも今は乗って!」
私は頷いた。引かれるまま車内へ入る。
「ヒナさん、早く!!」
ヒナさんも最後に乗り込んだ。
扉が閉まる寸前まで、銃を外へ向けていた。
「閉めて!」
重い音を立てて扉が閉じた。
「出して!!」
セナさんの声と同時に、救急車が急発進する。
車体が大きく揺れ、私は縛られた手を床へついて身体を支えた。
外の銃声が遠ざかっていく。
先生はすでに車内へ寝かされていた。
セナさんたちが一斉にその周りへ集まる。
私は先生のすぐ近くに座り込んだ。
何もできないまま。
腹部を押さえる布へ赤い色が滲んでいくのを、ただ見ていた。
早くイチャ甘ストーリー書きたいいい