戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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ミネ編
1話 保護対象


救護騎士団の部室へ入った瞬間、最初に感じたのは薬品の匂いだった。消毒液と紅茶の香りが混ざった、不思議と落ち着く空気。トリニティの他の教室より静かなはずなのに、どこか慌ただしくて、それでいて妙に整っている。

 

 レナは入口の前で小さく頭を下げた。

 

「失礼します。保健委員の方から、この書類を預かって……」

 

「ありがとうございます。そこへ置いていただければ――」

 

 団員の一人が顔を上げる。

 

 でも、その途中で動きが止まった。

 

「……あれ?」

 

「え?」

 

「もしかして、前に団長が言ってた子ですか?」

 

 ん?どういうことだろう..?話が見えない。

 

 レナが困っている間にも、部室の奥から別の声が飛んできた。

 

『え、ほんとですか? “放っておいたらそのうち倒れそうで気になる”って団長が言ってた……』

 

『ちょっと、本人いる前で言わない』

 

 なんだろう。すごく嫌な予感がする。その時、部室の奥にいた人影がゆっくり立ち上がった。

 

 青みがかった長い髪が揺れる。

 

 視線が自然とそっちへ向いた瞬間、レナは少しだけ息を呑んだ。

 

 背筋の伸びた立ち姿は騎士みたいに綺麗で、少し鋭い目元まで妙に似合っている。近寄り難そうなのに、不思議と怖いだけでは終わらない。

 

 ……綺麗な人だなぁ、なんて場違いなことを考えてしまう。

 

 蒼森ミネ先輩は、こちらを見るなり眉を寄せた。

 

「……あなた、やはり顔色が悪いですね」

 

「や、やはり?」

 

「以前廊下ですれ違った時も気になっていました。ですがその時より、今日はさらに疲労が進んでいるように見えます」

 

 圧があった有無を言わせないような、そんな圧が。

 レナは反射的に目を逸らす。

 

「い、いや……そんなことないです。今日はちょっと寝不足なだけで――」

 

「寝不足の時点で十分問題です。加えて、あなたは自分の不調を誤魔化す癖がありますね。無理に姿勢を正しているせいで肩に力が入りすぎていますし、呼吸も浅い」

 

 そこまで一気に言われると、逆に怖い。なんでそんな分かるんだろう。

 

 ミネは真っ直ぐレナを見たまま、小さく息を吐いた。

 

「……やはり放置できませんね」

 

『団長、その顔完全に“保護対象発見”なんですよ』

 

『あーあ、今日はもう逃げられませんねぇ』

 

「人聞きの悪いことを言わないでください。私はただ、明らかに無理をしている人間を見過ごせないだけです」

 

『世間ではそれを過保護って言うんです』

 

「適切な保護です」

 

 真顔だった。一切ブレない。

 

 レナは思わず少し笑いそうになる。

 

 でもその瞬間、ミネ先輩の視線がすっと細くなった。

 

「……今、少しふらつきましたね」

 

「え」

 

 言われてから気づいた。確かに視界が少し揺れているような気がする。

 

「だ、大丈夫です。本当にちょっと寝不足なだけで、今日はもう帰る予定でしたし……」

 

「その“帰れば休みます”という言葉を信じて放置した結果、悪化した生徒を私は何人も見ています。あなたのようなタイプは、帰宅後も『少しくらいなら平気』と動き続ける」

 

 完全に見抜かれていた。

 

 レナが言葉を失っている間にも、ミネは周囲へ視線を向ける。

 

「温かい飲み物をお願いします。それからブランケットも。あと、今日はこの人を長時間立たせないように」

 

『団長、“この人”じゃなくて名前で呼んであげてください』

 

「……そうでしたね。あなた、名前は?」

 

「れ、レナです」

 

「ではレナ。あなたは今から休憩です」

 

「決定事項なんですね……」

 

「もちろんです。救護対象に自己判断を任せると、大抵の場合さらに無理を重ねますから」

 

 あまりにも迷いなく言い切られて、レナはとうとう吹き出してしまった。

 

 すると、なんだかさっきから妙に視線を感じる。

 

 ……いや、絶対見られてる。

 

 レナが恐る恐る顔を上げると、団員たちが揃って微妙に口元を緩めていた。

 

『団長』

 

「なんでしょう」

 

『笑わせましたね』

 

「そのようですね」

 

『なんでちょっと誇らしげなんですか』

 

「先ほどまでのレナは明らかに緊張していました。表情筋の自然な弛緩は精神状態の改善として非常に重要な――」

 

『あーもう始まった、団長の理論武装』

 

 団員の一人が肩を竦める。

 

 その横で、別の団員が苦笑しながらレナへ毛布を掛けてくれた。

 

『まあでも、団長がここまで気にするの珍しいんですよ。いつもはもっと“とりあえず治療台へ”って感じなので』

 

「語弊があります。私は常に状況に応じた適切な対応を――」

 

『いやいや十分重いですよ、団長』

 

 そのやり取りが妙におかしくて、レナはまた少し笑ってしまう。たぶん、レナが思っている以上に、この人は真面目なんだろう。だからこそ余計におかしかった。

 

「……レナ」

 

「は、はい」

 

「あなた、自分で思っている以上に疲れています。ですから少なくともここにいる間は、“大丈夫なふり”をする必要はありません」

 

 静かな声だった。押しつけるみたいな強さじゃない。でも、不思議と逆らえない。レナは毛布を少し握りながら、小さく頷いた。

 

 その直後、後ろの方でまたひそひそ声が聞こえた気がしたけれど、紅茶へ口を付けた瞬間、思っていたより温かくて、レナの意識はそっちへ引っ張られてしまった。

 

 気づけば、ここへ来る前より呼吸が少し楽になっていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 レナが眠った後、救護騎士団の部室は妙に静かになった。普段なら誰かが書類をめくる音や、医療器具を片付ける音がしているはずなのに、今は全員が申し合わせたみたいに動きを小さくしている。ソファの端で丸くなったレナは、毛布を両手で握ったまま、浅い呼吸を繰り返していた。

 

『……団長』

 

「なんでしょう」

 

『これ、完全に寝ましたよね』

 

「見れば分かります。声量を落としてください。せっかく安心して眠れているのですから、起こすような行動は厳禁です」

 

『いや、団長が一番声低くしてるの、ちょっと面白いんですけど』

 

「面白がる場面ではありません。睡眠不足と精神的疲労が重なっている状態での休息は非常に重要です。今のレナに必要なのは刺激ではなく、安全な環境と継続的な観察です」

 

『団長、言ってることは正しいんですけど、顔が完全に拾った猫を見てる時のそれなんですよね』

 

 ミネは返事をしなかった。

 

 ただ、レナの肩から毛布が少しずれているのを見つけると、当然のように直した。指先の動きは驚くほど慎重で、普段の「救護です」と言い切って突き進む姿とは別人みたいだった。

 

『団長』

 

「なんでしょう」

 

『今、かなり優しい顔してましたよ』

 

「救護対象に対して適切な配慮をしているだけです」

 

『否定するところそこなんですね』

 

『というか、レナさんって不思議ですね。最初はただ疲れてる子だと思ったんですけど、見てるとなんか……こう、放っておくと自分から端っこに行きそうで、気づいたら真ん中に座らせたくなるというか』

 

「分かります」

 

 即答だった。

 

 団員たちが一斉にミネを見た。

 

 ミネは少しだけ咳払いをした。

 

「……いえ。医学的、救護的観点から見て、彼女は周囲が意識して休息を促す必要のあるタイプです。本人が自分の疲労を軽視する傾向にある以上、こちらが環境を整えなければなりません」

 

『団長、今の説明、半分くらい照れ隠しですよね』

 

「違います」

 

『早い』

 

 レナが小さく身じろぎした。

 

 その瞬間、全員が黙った。

 

 レナは起きなかった。ただ毛布の端を少しだけ握り直して、また小さく息を吐く。その寝顔はまだどこか不安そうで、けれど起きている時より少しだけ力が抜けていた。

 

 ミネはしばらく黙ってそれを見ていた。

 

「……ここで眠れるなら」

 

 ぽつりと、ほとんど独り言みたいに言う。

 

「ここが、彼女にとって少しでも安全な場所になっているのなら、それは悪いことではありません」

 

 団員たちは誰も茶化さなかった。

 

 レナは眠ったまま、何も知らない。

 

 自分がどれだけ大切そうに見守られているのかも、ミネが毛布の端をもう一度だけ直したことも、団員たちが音を立てないようにそっと作業へ戻ったことも、何も知らないままだった。

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