戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
......やばっ寝過ぎた。今何時だろう?早く帰らなきゃ。
救護騎士団の部室は、相変わらず不思議な空気だった。薬品の匂いがするのに紅茶の香りもするし、医療器具が並んでいるのにソファはやたら座り心地がいいし、団員たちは忙しそうなのに、気づくと誰かが毛布の位置を直しに来る。
……なんか、ここ、休ませる技術が高すぎるんだよね。油断すると人間を駄目にする部屋に早変わり。
「えっと、それじゃあ私、そろそろ帰りますね。長居しちゃってすみませんでした。紅茶も毛布も、その……すごく助かりました」
レナはできるだけ自然に立ち上がろうとした。
その瞬間、部屋の奥で書類を確認していたミネが顔を上げる。
「帰る?」
「はい。もう夕方ですし、あんまりここにいると邪魔になっちゃうかなって」
「邪魔ではありません」
即答だった。
早い。
こっちの言葉が着地する前に撃ち落とされた感じがある。
「そして、帰宅については許可できません」
「……はい?」
レナは瞬きする。
許可。え?今、許可って言った?
「あなたは現在、睡眠不足、食事量の低下、精神的疲労の蓄積が見られます。その状態で単独帰宅するのは、救護騎士団として見過ごせません」
「いやいやいやいや、そんな大げさな……! 私、別に倒れたりしませんし、道も分かりますし、帰るだけなら全然できますって!」
「“帰るだけなら全然できます”と言う人は、帰った後に何かしようとします。あなたの場合、荷物整理、課題、明日の準備、ついでに復習まで始める可能性が高い」
「なんでそこまで読めるんですか……?」
「顔に書いてあります」
書いてない。、、、、、はず。
レナが自分の頬を触ると、近くの団員が小さく肩を震わせた。
『団長、また救護対象を追い詰めてますよ』
『でも実際、今帰したら絶対なんかやりますよね』
「あなたたちも同意見のようです」
「多数決みたいにしないでください」
レナは困った顔で笑う。笑って誤魔化そうとした。
でもミネ先輩は誤魔化されなかった。
「レナ」
「は、はい」
「今日、ここに泊まりなさい」
部屋が一瞬だけ止まった。いや、止まった気がした。レナの脳も止まった。
「……と、泊まる?」
「はい」
「ここに?」
「はい」
「救護騎士団の部室に?」
「正確には、隣の仮眠室です。清潔な寝具がありますし、緊急時にも対応できます」
ミネ先輩は真剣だった。本当に真剣だった。
何か冗談を言っている顔ではない。
レナは助けを求めるように団員たちを見る。
団員たちは一斉に目を逸らした。
……なんで?
『団長があの顔してる時は無理ですね』
『もう救護計画が頭の中で完成してる顔です』
『レナさん、諦めた方が早いです。抵抗すると毛布が一枚増えます』
「毛布で制圧するんですか?」
「必要であれば」
「必要ないです!」
思わず声が大きくなる。でもミネ先輩は怯まない。
「あなたは休むことに対して抵抗が強い。ならば、こちらが環境を整え、休息を避けられない状況を作る必要があります」
「それ、言い方変えた監禁では……?」
「いえ救護です」
「救護って言葉で押し切らないでください!」
団員の一人が吹き出した。別の団員が慌てて口元を押さえる。レナは顔が熱くなるのを感じた。
なんかもう、完全に遊ばれてない?
いや違う。ミネ先輩は本気だ。本気で善意だ。本気の善意だからこそ逃げ道がない。
「えっと、本当に大丈夫です。泊まるなんて迷惑ですし、寝具とか準備とか、色々大変じゃないですか」
「いますぐに準備できます」
「早い」
「仮眠室は救護騎士団の活動に必要な設備です。あなた一人を休ませる程度で支障はありません」
「私一人を休ませる程度って言い方、なんか規模がおかしいです……」
レナがそう言った時、後ろの団員がそっと立ち上がった。
『団長、仮眠室のシーツ替えてきます』
『じゃあ私は温かい飲み物の追加を。寝る前ならカフェインなしの方がいいですよね』
『レナさん用の着替えってあります? さすがに制服のまま寝かせるのは団長が許さない気がします』
「当然です。予備の患者用衣類を用意してください。サイズは……」
ミネ先輩の視線が私の身体へ向けられる。私は反射的に自分の体を抱えた。
「今、目測しました?」
「救護に必要な確認です」
「絶対そういう言い方すれば何でも許されると思ってますよね!?」
部屋のあちこちで笑い声がこぼれる。
ミネ先輩は少しだけ眉を寄せた。
「何かおかしいでしょうか」
『団長が大真面目なのが一番おかしいんです』
『でもレナさん、患者服似合いそうですよね』
『分かります。袖ちょっと余りそう』
「袖が余る前提で話を進めないでください!」
レナは必死に反論する。
でも、誰も悪意はなかった。それがまた困る。
団員たちは完全に楽しんでいるけれど、からかうだけじゃなくて、本当にレナが楽になるように動いている。カップは空になった瞬間に下げられるし、気づけばテーブルの上には小さな菓子まで置かれているし、ブランケットの端がずれたら誰かが直そうとする。
……待って。
これ、私、完全に世話されてない?レナがその事実に気づいた頃には、ミネ先輩が当然みたいな顔でメモを取っていた。
「夕食は消化の良いものにしましょう。食欲が戻っていないなら量は少なめに。ただし、糖分だけで済ませるのは認めません」
「先輩、もしかして私の夕食まで決めてます?」
「はい」
「はいじゃないんですよ」
「あなたが自分で適切な量を判断できる状態なら任せます。しかし現状では、自己申告よりこちらの観察を優先すべきです」
「そんな信用ないですか、私……?」
「ありません」
レナは胸を押さえた。
「今のちょっと傷つきました」
「傷ついたなら、まず座ってください。立ったまま胸を押さえるのは転倒リスクがあります」
「そういう問題じゃないです!」
団員たちがまた笑う。
でもミネ先輩は、ほんの少しだけ表情を緩めた。
それがなんだかずるかった。
真面目で、圧が強くて、救護と言えば何でも通ると思ってそうなのに、時々こういう顔をする。
……綺麗な人だなぁ。
さっきも思ったけど、やっぱり思う。
青みがかった髪も、まっすぐな目も、ちょっと怖いくらい整った立ち姿も。全部が騎士みたいで、でも今やっていることは「寝不足の後輩を帰さない」なので、絵面と内容の差がすごい。
「……レナ?」
「へっ、あ、はい」
「またぼんやりしていましたね」
「いやその、ミネ先輩って綺麗だなぁって……」
えっ、私今なんて言った?
部室の空気が、今度こそ変な方向に止まった。
レナは数秒遅れて、自分の発言を理解する。
「あっ、いや違っ、違わないですけど! 変な意味じゃなくてですね!? なんかこう、騎士みたいで綺麗だなぁって思っただけで、別に口に出すつもりはなくて!」
早口になる。完全に焦っている。団員たちは口元を押さえている。
ミネ先輩は、ほんの少しだけ目を見開いていた。
「……そうですか」
「はい……」
「ありがとうございます」
淡々としている。
でも、耳が少し赤い。
『団長』
「なんでしょう」
『今、かなり効きましたね』
「何がですか」
『レナさんの天然褒め攻撃です』
「攻撃ではありません」
『でも被弾しましたよね』
「していません」
即答だった。
でも耳は赤い。レナはもう顔を上げられなかった。
なんだこの状況。
帰ろうとしただけなのに、なぜか泊まることになって、夕食を管理されて、患者服のサイズを目測されて、ついでにミネ先輩を褒めてしまった。
情報が渋滞している。
「……あの、本当に泊まるんですか?」
最後の抵抗として、レナは小さく聞いた。
ミネ先輩は真っ直ぐ頷いた。
「はい。今夜はここで休みなさい。これは命令ではなく、救護騎士団としての判断です」
「命令より強そうなんですけど……」
「安心してください。安全は保証します」
その言葉は、冗談みたいな流れの中で出てきたのに、不思議と胸に残った。
安全。
その言葉に、レナの指先から少しだけ力が抜ける。
それをミネは見逃さなかった。
でも何も言わない。
ただ、紅茶のカップを少しだけレナの近くへ寄せた。
『団長、今の見ました?』
『見ましたね。ちょっと安心した顔しましたね』
『これは泊まらせるしかないですね』
「あなたたち、声量を落としなさい」
『団長が一番嬉しそうですよ』
「嬉しそうではありません。適切な救護方針が定まっただけです」
レナはカップを両手で持ち直す。
温かい。帰れない。いや、帰らせてもらえない。それでも。不思議と、嫌ではなかった。それどころか、ほんの少しだけ。
ここにいてもいいのかもしれない、と思ってしまった。