戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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2話 いまさら来た救護騎士

 

 

 「……今さら?」

 

 歓迎とは、まったく違う温度だった。

 

 開いた扉の向こう、腕を組んだ少女がこちらを見ていた。鋭い目。少し高めの声。怒っているようにも、呆れているようにも聞こえる。けれどその言葉の奥には、単純な敵意だけではない、もっと擦り切れたものが混ざっていた。

 

 レナの指が、胸元のリボンを握る。

 

 アビドスの砂より先に、その言葉が胸に刺さった。

 

「セリカちゃん」

 

 眼鏡の少女が、慌てたように名前を呼んだ。

 

 けれど、セリカと呼ばれた少女はすぐには引かなかった。視線は先生を見て、それからレナの救護バッグ、胸元のリボンへ落ちる。その目が、ほんの一瞬だけ細くなった。

 

「外から来た人が、砂漠で迷って、シロコに拾われて、それで今さら対策委員会に来るわけ? シャーレって、そんなにのんびりしてるところなの?」

 

「セリカちゃん、まずは確認を……」

 

「確認ならしてるでしょ。先生っぽい大人と、救護騎士団のリボンをつけた子。今まで誰も来なかったのに、急に二人も来た。……それで、何を助けるつもりなの?」

 

 レナは何も言えなかった。

 

 先生は、すぐには割って入らなかった。ただ、レナの前へ出すぎない位置で立っている。守るために遮るのではなく、必要なら支えるという距離だった。生徒の言葉を、大人として受け止める人。けれど、その場にいる子の答えまで奪わない人。

 

 シロコは、扉の横に立ったまま黙っている。さっき水を渡してくれた時と同じ、静かな目だった。けれど、今はレナだけを見ているわけではない。セリカ、先生、レナ、部屋の中の全員を、必要な順番で見ている。

 

 部屋の中には、他にも三人いた。

 

 眼鏡の少女は、机の上に広げた資料を押さえながら、困ったように眉を下げている。金髪の少女は、柔らかな笑顔を浮かべようとしているのに、口元だけが少し固い。机の奥では、眠そうな上級生らしい少女が、だらりとした姿勢のままこちらを見ていた。

 

 広い部屋だった。

 

 けれど、人が少なすぎる。

 

 本来ならもっと机が並び、もっと椅子が使われ、もっと声が重なっていたはずの場所。今は、たった五人の気配だけが、その空白を必死に埋めているように見えた。

 

 レナは息を吸う。

 

 喉がまだ少し乾いていた。シロコにもらった水で足元のふらつきは薄れたけれど、体の奥に残った砂の熱は消えていない。それでも、今ここで俯いたままではいけない気がした。

 

「遅かったんだと思います」

 

 声は、思っていたより小さかった。

 

 でも、出た。

 

 セリカの目がわずかに動く。

 

「私は、ここがこうなるまで知りませんでした。アビドスがどんな場所で、どんなことに困っていて、どれだけ長く待っていたのかも、今日ここに来るまで、ちゃんと分かっていませんでした」

 

 言いながら、胸元のリボンを握る指に力が入る。

救護騎士団の色。帰る場所を持つ証。その綺麗な布が、今は少しだけ場違いに思えた。

 

「だから、助けに来ましたなんて、簡単には言えません。でも、今ここでできることがあるなら、させてください。遅かったことを、何もしない理由にはしたくないです」

 

 部屋の空気が、細く張った。

 

 セリカは何か言い返そうとして、唇を開きかける。けれど、言葉は出てこなかった。代わりに、腕を組んでいた指が制服の袖を強く握る。怒っている。けれど、怒りきれていない。責めたいのに、責めたところで戻らないものが多すぎると分かっている顔だった。

 

「……綺麗なこと言うのね」

 

 セリカは吐き捨てるように言った。

 

 けれど、その声はさっきより少しだけ低かった。

 

「セリカちゃん」

 

 眼鏡の少女がもう一度名前を呼ぶ。今度は、セリカもそれ以上は続けなかった。

 

「申し訳ありません」

 

 眼鏡の少女が、先生とレナへ深く頭を下げた。

 

「私は奥空アヤネです。アビドス廃校対策委員会の書記を務めています。先ほどは、その……失礼しました」

 

「失礼じゃないわ」

 

 先生が静かに答える。

 

 アヤネが顔を上げる。

 

「あなたたちがそう感じる理由があるのなら、まずはそれを聞くために来たの。私はシャーレの先生。連邦生徒会から委任を受けて、アビドスからの要請を確認しに来ました」

 

「シャーレの、先生……」

 

 アヤネの表情が変わった。

 

 驚きと安堵が同時に来たような顔だった。けれど、すぐに全部を信じ切るほど軽くもない。机の上に置いた手が、資料の端を押さえ直す。

 

「本当に……来てくださったんですね」

 

「ええ。遅くなってしまったことは、私の側からも謝るわ」

 

 先生はそう言って、頭を下げた。

 

 レナは少しだけ目を見開いた。

 

 先生は大人だ。生徒に謝ることを、体裁や立場で避けない。シャーレの先生として、ここに来た大人として、必要ならちゃんと頭を下げる。

 

 セリカが、気まずそうに視線を逸らした。

 

「……別に、先生が悪いって言ったわけじゃ」

 

「でも、あなたがそう言いたくなる時間があったのは事実でしょう」

 

 先生は責めなかった。

 

 その穏やかさが、逆に部屋の痛みをはっきりさせる。

 

「私は十六夜ノノミです」

 

 金髪の少女が、空気を少しだけ柔らかくするように微笑んだ。

 

「遠いところからありがとうございます〜。砂漠、大変でしたよね。シロコちゃんが見つけてくれてよかったです」

 

「うん。倒れそうだった」

 

 シロコが短く言う。

 

 レナの肩が小さく跳ねた。

 

「倒れそう、とまでは……」

 

「倒れそうだった」

 

「……はい」

 

 言い返せなかった。

 

 先生が少しだけ笑う。ノノミも、今度はほんの少しだけ本当に笑った。けれど、それもすぐに薄くなる。笑っていられる状況ではないことを、みんな知っているからだ。

 

「うへぇ」

 

 机の奥から、気の抜けた声がした。

 

 眠そうな上級生が、頬杖をついたままひらひらと手を振る。

 

「おじさんは小鳥遊ホシノ。ここの委員長みたいなことをやってるよ〜。いやぁ、シャーレの先生に、救護騎士団のレナちゃんねぇ。砂漠で迷ってシロコちゃんに拾われるなんて、なかなか派手な登場だねぇ」

 

「ホシノ先輩、派手とかそういう問題じゃありません」

 

 アヤネが少しだけ声を強める。

 

「はいはい、ごめんねぇ」

 

 ホシノは軽く謝った。

 

 軽い。

 

 眠そうで、だらしなくて、どこか掴みどころがない。けれど、レナはそのゆるさに少しだけ違和感を覚えた。ホシノの目は半分閉じているのに、こちらを見逃してはいない。先生の立ち位置、レナのリボン、救護バッグの中身の重さで傾いた肩、セリカの握った袖。たぶん全部見ている。そんな気がする。

 

 そして、見た上で、ゆるく笑っている。

 

「レナちゃん、だっけ」

 

「はい」

 

「救護騎士団ってことは、怪我人とか見られるの?」

 

「習っている途中ですが、応急処置や負傷者の優先判断なら、少しはできます」

 

「そっかぁ。真面目だねぇ」

 

 ホシノはそう言った。

 

 ただの感想みたいな声だった。

 

 でも、レナはその一言の奥に、薄い拒絶を感じた。

 

 真面目な子。外から来た子。巻き込まれたら、傷つく子。

 

 そんなふうに距離を置かれている気がした。

 

「状況説明を行います」

 

 アヤネが資料を広げた。

 

 それは、きちんと整えられた資料だった。文字は細かく、線は揃っていて、何度も見直した跡がある。けれど紙の端は少し擦れている。インクの濃さも場所によって違う。きっと、何度も何度も同じ説明をするために用意し、それでも相手が来なかった資料なのだと、レナは思った。

 

「まず、アビドス高等学校は現在、廃校の危機にあります。生徒数は大幅に減少し、現在校内に残って実質的に活動しているのは、私たち廃校対策委員会の五名だけです」

 

 五名。

 

 分かっていたはずの数字が、アヤネの声で言われると、改めて重くなる。

 

「原因は、周辺地域の砂漠化、それに伴う人口流出、治安悪化、そして……」

 

 アヤネの声が、一拍だけ止まった。

 

「借金です」

 

 セリカが視線を落とす。

 

 ノノミの笑顔が少しだけ固くなる。

 

 シロコは表情を変えない。

 

 ホシノは眠そうな顔のまま、机の上のペンを指先で転がしていた。

 

「かなり大きな額なの?」

 

 先生が尋ねる。

 

「はい。正直に申し上げて、通常の学校運営で返済できる規模ではありません。毎月の返済だけでも厳しく、備品や食料、弾薬の確保も綱渡りです。さらに、最近はカタカタヘルメット団などの武装集団による襲撃も増えています」

 

 レナは救護バッグの肩紐を握った。

 

 借金。

 

 廃校。

 

 武装集団。

 

 救護対象、という言葉で簡単に括れない問題が、いくつも重なっている。

 

 包帯を巻けば済む怪我ではない。消毒液で洗えば消える汚れではない。もっと深く、学校そのものが削られている。

 

「だから、私たちはシャーレへ支援要請を送りました」

 

 アヤネは先生を見た。

 

「物資支援、戦闘指揮、状況改善のための助言。可能な限りで構いません。ただ、こちらの状況はかなり……」

 

「面倒よ」

 

 セリカが途中で言った。

 

「アヤネは丁寧に言ってるけど、要するに面倒なの。借金は減らないし、学校は砂に埋もれていくし、変な連中は襲ってくるし、まともな支援はずっと来なかった。だから、今さら来た相手に期待しすぎる方が馬鹿を見る」

 

 アヤネが小さく息を呑む。

 

 ノノミが「セリカちゃん」と困ったように呼ぶ。

 

 でも、セリカは今度も引かなかった。

 

「言っとくけど、私は別にあんたたちに優しくするためにここにいるんじゃないから。できることがあるなら見せて。ないなら、変に期待させないで」

 

 レナは胸の奥が痛んだ。

 

 言葉はきつい。

 

 でも、そのきつさはレナに向けられているだけではなかった。期待したくない自分を守るための言葉。もうこれ以上、助けが来るかもしれないと思って傷つきたくないから、先に突き放している。

 

 レナは、少しだけ分かった気がした。

 

 嫌われているのではない。

 

 まだ、信じられていない。

 

 信じる余裕が、もうほとんど残っていないのだ。

 

「分かりました」

 

 レナは言った。

 

 セリカが眉を寄せる。

 

「...何が分かったのよ」

 

「優しくしてもらうために来たわけじゃありません。期待してもらえるほど、私はまだ何もしていません。だから、まず見ます。ここで何が起きていて、何が足りなくて、私に何ができるのか」

 

 レナは救護バッグに手を置く。

 

「できることがあるなら、やります。できないことは、できないと言います。無理をして倒れたら、それこそ迷惑になるので」

 

 言いながら、少しだけシロコの水を思い出した。

 

 倒れられると困る。

 

 さっき言われた言葉が、妙に残っている。

 

 セリカは何か言い返そうとして、今度も言葉を止めた。

 

「……ふん」

 

 それだけ言って、腕を組み直す。

 

 認めたわけではない。

 

 けれど、完全に拒絶されたわけでもない。

 

 アヤネが、ほんの少しだけ表情を緩めた。

 

「では、まず現在の物資状況と、最近の襲撃記録を共有します。先生、レナさん、こちらの資料をご覧ください」

 

 先生が頷く。

 

 レナも隣に座ろうとして、椅子を引いた。

 

 その時、シロコが何も言わずに水のボトルを机の端に置いた。

 

 レナの近く。

 

 すぐ手が届く位置。

 

「あ……ありがとうございます」

 

「飲んで」

 

「はい」

 

 シロコはそれ以上何も言わなかった。

 

 けれど、レナがボトルに手を伸ばすまで、視線はそこにあった。

 

 必要だから見ている。

 

 まだ、それだけ。

 

 でも、その視線は不思議と雑ではなかった。

 

 アヤネの説明が続く。

 

 レナは資料を見る。数字。地図。襲撃記録。物資リスト。返済予定。どれも、救護騎士団で見た訓練記録とは違う重さを持っていた。そこには、誰かが倒れた後の処置だけではなく、倒れる前から少しずつ削られてきた生活が書かれている。

 

 先生は静かに質問を挟み、要点を整理していく。

 

 その横顔は、いつもの穏やかな先生だった。けれど、机の下でシッテムの箱を支える指が、ほんの少しだけ強く端を押さえているのをレナは見た。先生も、軽く受け止めているわけではない。

 

「先生」

 

 不意に、シッテムの箱から小さな通知音が鳴った。

 

 先生が画面を見る。

 

 レナには内容までは見えない。ただ、先生が一瞬だけ目を細め、それから小さく息を吐いたのが分かった。

 

「アロナ?」

 

 先生が静かに呼ぶ。

 

 部屋の中の数人が、端末の方へ視線を向ける。アヤネは少し驚いた顔をし、ノノミは不思議そうに首を傾げた。セリカは「何それ」と言いたげな顔をしたが、まだ黙っている。

 

 先生は短く表示を確認してから、顔を上げた。

 

「……どうやら、ゆっくり話している時間は少ないみたい」

 

 その瞬間だった。

 

 遠くで、乾いた破裂音がした。

 

 銃声。

 

 レナの体が先に反応する。

 

 椅子が床を擦る音。アヤネが資料を押さえ直す音。セリカが舌打ちする音。シロコが無言で武器へ手を伸ばす音。

 

 ノノミの笑顔が消えた。

 

 ホシノが、眠そうな目を少しだけ開く。

 

「カタカタヘルメット団ですね」

 

 アヤネの声が硬くなる。

 

「また来たの?」

 

 セリカが立ち上がる。

 

「しつこいわね、本当に……!」

 

 レナは救護バッグを掴んだ。

 

 胸の中に、砂の熱とは違うものが走る。

 

 怖い。

 

 でも、座っているだけではいられない。

 

 ミネの声が、胸の奥で静かに響く。

 

 敵を見るのではなく、道を見る。

 

 自分も救護対象に含める。

 

 レナは深く息を吸った。

 

「先生」

 

 先生がレナを見る。

 

「私は、負傷者対応と避難導線を見ます。前に出すぎないようにします。……必要なら止めてください」

 

 先生の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

 

「分かったわ」

 

 シロコが、レナを見た。

 

 水を渡した時と同じ目。

 

 必要なものを見る目。

 

 けれど、さっきより少しだけ長く。

 

「倒れないで」

 

「……はい」

 

「倒れたら困る」

 

 同じ言葉だった。

 

 でも、レナにはさっきと少しだけ違って聞こえた。

 

 それが優しさなのか、ただの判断なのか、まだ分からない。

 

 分からないまま、レナは救護バッグを肩に掛け直した。

 

 歓迎ではない。

 

 信頼でもない。

 

 けれど、ここで最初にできることが来た。

 

 アビドスの砂の中で、レナは初めて、この学校の痛みの内側へ足を踏み入れた。

アビドス編の最終的な展開について迷っています。ぜひ見たい方を投票してください。

  • 百合って綺麗だから綺麗に終わって
  • 曇らせドロドロ依存エンド希望
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