戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
銃声は、乾いた砂に吸われるように響いた。
トリニティで聞く銃声とは、少し違う気がした。校舎の壁に反射して跳ね返る音ではなく、広すぎる空と乾いた地面の間へ散っていく音。遠いのに近い。近いのに、どこから来ているのか一瞬分からない。レナは椅子から立ち上がりかけた姿勢のまま、救護バッグの肩紐を握り直した。
怖い。
そう思った。
けれど、足は止まらなかった。前に飛び出すでも、机の陰に隠れるでもなく、まず部屋の中を見た。先生。アヤネ。ノノミ。セリカ。ホシノ。シロコ。出口。窓。廊下の幅。校舎外へ出るなら、負傷者を戻す場所はどこがいいか。救護バッグの中身。水。包帯。消毒液。手袋。
敵を見るのではなく、道を見る。
ミネの声が、胸の奥で静かに残っていた。
「カタカタヘルメット団ですね」
アヤネが端末を確認しながら言った。声は硬い。けれど、慌ててはいない。慣れているのだ。慣れてしまっているのだと分かった瞬間、レナの胸が少し痛んだ。
「ほんっと、しつこいわね!」
セリカが舌打ちし、銃を取る。怒り方が鋭い。でも、その動きは迷いがない。さっきまでレナに向けられていた棘が、今は外から来た敵へ向いている。
「シロコちゃん、正面から来ています。人数は……少なくとも六、いえ八。校門側です!」
「ん。行く」
シロコは短く返して、もう動き出していた。走るというより、砂の上を滑るような速さだった。さっき水を渡してくれた時と同じ無駄のなさで、必要なものだけを選んでいく。
「ノノミ、校舎側から回り込んで。セリカちゃんは右、アヤネちゃんは後方で情報お願いねぇ」
ホシノがゆるい声で言う。だらけた調子は変わらない。それなのに、全員の動きが自然に整った。眠そうな先輩の声ひとつで、散らばりかけた役割が形になる。
この人が、委員長。
レナは改めてそう思った。
「先生、指揮をお願いできますか」
アヤネが先生を見る。
「ええ。状況を見ながら指示するわ。レナは……」
先生の視線がレナへ向く。
大人の目だった。行けとも、下がれとも、すぐには言わない。レナが自分で申告するのを待っている。
レナは一度、胸元のリボンに触れた。
「私は負傷者対応と避難導線を見ます。前に出すぎないようにします。もし私が状況を見失ったら、止めてください」
「分かったわ。自分も救護対象に含めること」
「はい」
その返事に、セリカが一瞬こちらを見た。
「……何それ。戦う前から弱気なの?」
刺すような言い方だった。
けれど、レナは首を横に振った。
「弱気でも逃げるわけでもじゃありません。止めてもらえる状態にしておくためです。私が倒れたら、救護対象が増えますから」
セリカは言い返しかけて、黙った。
ほんの一拍。
その横顔に、苛立ちとは違うものが浮かんだ気がした。驚き。あるいは、何かを認めたくない時の、ほんの小さな詰まり。
「……勝手にすれば」
セリカはそう言って、部屋を飛び出した。
アビドスの外は、室内よりさらに熱かった。
校門の方から、カタカタと妙に軽い金属音が聞こえてくる。名前の通り、ヘルメットを被った武装集団が、砂を蹴りながら近づいていた。声は大きい。動きも荒い。けれど、数がある。勢いがある。疲れた学校をさらに削るには、それだけで十分なのだとレナは思った。
「また来たわけ? 暇なの、あんたたち!」
セリカが右手側へ走りながら撃つ。怒鳴り声は勢いがあるのに、射線は雑ではなかった。敵を止める場所をちゃんと選んでいる。
「ノノミ、そっちお願い!」
「はいは〜い。あまり校舎に近づかないでくださいね〜」
ノノミの声は柔らかい。けれど、構えた武器の存在感は柔らかさとは別物だった。砂埃の向こう、敵の足が止まる。正面から来ようとした数人が、思わず横へ散った。
「ん。そっちは通さない」
シロコが低く入る。
速い。
レナは思わず目で追いかけた。シロコは言葉が少ない分、動きがそのまま意思になっている。敵の前に立つのではなく、敵が行きたい場所へ先にいる。レナがミネから教わった「道を見る」に近い。でも、シロコのそれはもっと鋭く、もっと戦闘に寄っていた。
強い。
そして、少し怖い。
レナは救護バッグを開けながら、校舎の壁際へ視線を走らせる。最初の銃撃で割れた窓はない。廊下側へ避難する必要はまだない。対策委員会の五人は動けている。先生は少し後方でシッテムの箱を確認しながら、落ち着いた声で指示を出している。
「シロコ、左の二人が校舎側へ抜けようとしているわ。セリカ、右を抑えたら一歩下がって。ノノミ、正面を広く止めて」
「了解」
「分かってるわよ!」
「は〜い」
先生の指示に、動きが整っていく。
レナはその中で、自分にできることを探した。
前に出たいわけではない。けれど、後ろで立っているだけでも違う。救護は、怪我人が出てから始まるものだけではない。怪我人を増やさない配置、逃げ道、戻る場所、消耗した人を下げる判断。それも救護だと、ミネは教えてくれた。
砂に半分埋もれた看板が倒れかけている。撃たれれば崩れる。そこに味方が下がると足を取られる。校舎の壁際には日陰があるが、割れたガラスの破片が残っている。処置場所にするなら、もう少し内側。玄関の階段横がいい。
「先生」
レナは声を上げた。
「負傷者が出た場合、玄関横の影へ下げます。砂が少なくて、バッグを広げられます。校舎の壁際はガラス片があります」
「分かったわ。アヤネ、玄関横を一時救護位置に」
「はい、共有します!」
アヤネが端末へ入力する。
レナの言葉が、作戦の中に入った。
それだけなのに、胸が少しだけ熱くなる。役に立てた、と思うにはまだ早い。でも、ここに立っているだけではない。救護騎士団のリボンをつけているだけではない。自分の見たものが、ほんの少しだけ誰かの動きを変えた。
その瞬間。
「セリカ、右からもう一人!」
先生の声。
「分かって――っ!」
セリカが振り向く。反応は早かった。けれど、砂に足を取られた。ほんの少しだけ体勢が崩れる。敵の銃口が、セリカの横を狙う。
レナは走り出しかけた。
でも、すぐ止まった。
私が前に出ても間に合わない。
撃つ?
違う。止めるなら、敵じゃなくて、射線。
レナは救護バッグの横に差していた小型の発煙弾を引き抜いた。救護騎士団で支給された、負傷者搬送時に視界を切るためのもの。攻撃用ではない。敵を倒すものでもない。けれど、道を作るものだ。
「セリカさん、左へ!」
「はあ!?」
返事を待たず、レナは発煙弾を投げた。
セリカと敵の間ではない。敵の足元より少し手前、風が流れる方向を見て、煙が射線を切る位置へ。白い煙が砂の上で広がる。敵の銃口が一瞬迷った。セリカは舌打ちしながらも、レナの言った通り左へ転がるように逃げる。
シロコがその隙を逃さなかった。
短い銃声。
敵の武器が弾かれる。
セリカは膝をついたまま、すぐに体勢を立て直した。
「ちょっと! 急に何言ってるよ!」
「す、すみません!」
「謝ってる場合じゃないでしょ!」
怒鳴られた。
けれど、セリカの声はさっきと少し違った。怒っている。でも、命令を聞いたことへの苛立ちではない。驚きと、助かったことを認めたくない気持ちが混ざっている。
レナは胸の奥で息を吐く。
よかった。
届いた。
その一瞬の安心を、シロコの視線が拾った。
シロコは敵を見ていたはずなのに、レナの方を一度見た。ほんの短い視線。けれど、さっき水を渡された時と同じ、必要なものを見逃さない目だった。
「レナ」
「はい」
「今の、良かった」
短い言葉だった。それだけなのに、レナの胸が少し跳ねる。
「あ、ありがとうございます」
「でも、投げた後、足が止まってた。次は下がって」
「……はい」
褒められたと思ったら、すぐ修正された。
ミネ先輩みたいだ、と思ってしまって、こんな状況なのに少しだけ変な気持ちになる。レナはすぐに玄関横へ戻り、救護バッグを広げた。
戦闘は長くは続かなかった。
先生の指示、アビドスの五人の連携、シロコとホシノの判断、ノノミの火力、セリカの速さ、アヤネの情報支援。どれかひとつだけではなく、五人が五人の役割で学校を守っていた。人数は少ない。けれど、少ないからこそ、誰かの隙を誰かが埋める形ができている。
敵が撤退する頃には、校門前に砂埃だけが残っていた。
「ふん、逃げ足だけは早いんだから」
セリカが肩で息をしながら言った。
怪我はない。ないように見える。けれど、レナはすぐに立ち上がった。
「セリカさん、右足を少し見せてもらってもいいですか」
「は? 怪我なんかしてないわよ」
「さっき砂に足を取られた時、膝の向きが少し崩れていました。痛みがないなら確認だけで大丈夫です」
「だから大丈夫だって――」
「セリカちゃん」
アヤネが静かに呼ぶ。
セリカは面倒くさそうに顔を逸らした。
「……確認だけよ」
「はい。ありがとうございます」
レナは近づきすぎない位置で膝を見た。触れる必要があるか判断する。擦り傷はない。腫れもない。けれど、砂が靴の中に入り、足首の動きが少し硬い。
「靴の中の砂だけ出した方がいいと思います。足首を痛めるかもしれません」
「そんなことで?別にいいわよ気にしないで」
「そんなことで、後から走れなくなることがあります」
言ってから、レナは少しだけミネの口調が移った気がして、内心で小さく焦った。
セリカもそれを感じたのか、妙な顔をした。
「あんた、時々やけにきっぱり言うのね」
「師匠の影響です」
「師匠って何よ……」
セリカは文句を言いながらも、靴の砂を払った。
それを見ていたノノミが、にこりと微笑む。
「レナちゃん、しっかりしていますね〜。救護騎士団さんって感じです」
「い、いえ、私はまだ……」
レナは慌てて首を振る。
その時、ノノミがそっとタオルを差し出した。レナの手に触れるか触れないかの距離で止める。押しつけない。けれど、逃げ道を塞がない近さ。
「汗、拭いてください。さっきより顔色は戻りましたけど、まだ少し暑そうですから」
「ありがとうございます」
受け取る時、指先がほんの少しだけ触れた。
柔らかい手だった。
ミネの手とも、シロコの手とも違う。包み込むような、けれど今はまだそこまで踏み込まない手。レナは少しだけ戸惑った。ノノミの笑顔は優しい。でも、その奥に壁がある。外から来た子をいきなり歓迎するわけではないけど、倒れそうなら支える。そのくらいの距離。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして〜」
ノノミは笑った。
その笑顔が、本物なのか、少し頑張っているのか、レナにはまだ分からなかった。
「うへぇ、初日から働かせちゃったねぇ」
ホシノがのんびり近づいてくる。
戦闘中、ホシノが本気を出したようには見えなかった。けれど、敵が一番校舎へ近づけなかった場所には、いつもホシノがいた。何もしていないようで、一番危ないところを押さえている。そういう強さだった。
「怪我はありませんか、ホシノ先輩」
「おじさんは大丈夫だよ〜。若い子に心配されるほど、まだ枯れてないからねぇ」
「でも、自分で大丈夫と言う人ほど、救護対象から自分を外しがちだと教わりました」
言ってしまってから、レナは少し固まった。
初対面に近い相手へ言うには、踏み込みすぎたかもしれない。
ホシノは目を細める。
ほんの一瞬だけ、眠そうな顔の奥から別のものが覗いた気がした。深い井戸の底を見たような、冷たいというより、遠すぎる何か。
けれど次の瞬間には、いつものゆるい笑みに戻っていた。
「うへぇ、レナちゃんの師匠って、なかなか厳しいこと教えるんだねぇ」
「はい。すごく厳しいです。でも、必要なことだと思います」
「そっかぁ」
ホシノはそれ以上言わなかった。
ただ、レナのリボンを一度だけ見た。
「真面目な子だねぇ」
また、その言葉。
けれど今度は、さっきより少しだけ違って聞こえた。距離を置くための言葉なのか、危ういものを見る言葉なのか、レナにはまだ分からない。
「レナさん」
アヤネが資料を抱えたまま近づいてきた。
「先ほどの救護位置の指定、助かりました。玄関横なら、確かに砂も少なく、校舎内への搬送も早いです。次回から、非常時の一時救護地点として記録しておきます」
「次回……」
レナは言葉を繰り返してしまった。
次回があることが、当たり前みたいに言われる。
この学校では、襲撃が一度きりの事件ではない。今日追い払った敵は、また来るかもしれない。物資は減り、弾薬も減り、疲労だけが積もる。
アヤネは、レナの表情に気づいたように少しだけ目を伏せた。
「すみません。驚かせるつもりでは……」
「いえ。記録、必要だと思います。もしよければ、救護導線の整理なら手伝えます」
アヤネのペン先が止まった。
「……いいんですか?」
「はい。私にできる範囲でよければ」
アヤネは少しだけ迷った。
外から来た子に頼っていいのか。まだ信用していいのか。そんな迷いが、眼鏡の奥で揺れた気がした。
それでも、アヤネは頷いた。
「お願いします。……ありがとうございます、レナさん」
初めて、少しだけ名前が柔らかく聞こえた。
レナは小さく頷く。
「こちらこそ」
その返事をした時、セリカが横からぼそっと言った。
「別に、認めたわけじゃないから」
「はい」
「返事早いわね!」
「す、すみません」
「謝るところでもない!」
セリカの声に、ノノミが小さく笑う。アヤネも少しだけ肩の力を抜いた。シロコは表情を変えないまま、水のボトルをもう一度レナの方へ押しやる。
「飲んで」
「さっき飲みました」
「戦闘後。もう一回」
「……はい」
レナは素直に飲んだ。
シロコはそれを確認してから、ようやく視線を外す。
やっぱり、見られている。
けれど、さっきより少しだけ、その視線の意味が変わった気がした。
必要だから見る。
倒れられると困るから見る。
それはまだ、優しさとは呼べないのかもしれない。
でも、少なくとも雑ではない。
先生が、戦闘の跡を見渡してから静かに言った。
「まずは全員、無事でよかったわ。状況説明の続きは、少し落ち着いてからにしましょう。アヤネ、物資と損害の確認をお願い。レナは無理のない範囲で、救護導線の確認を手伝って」
「はい」
「はい」
アヤネとレナの返事が重なった。
セリカが「なんかもう馴染みかけてない?」と不満そうに言い、ノノミが「いいことですよ〜」と返す。ホシノは眠そうに笑っていたが、その目はやはり眠っていなかった。シロコは校門の方を見ている。次を警戒しているのか、それとも何か別のことを考えているのか、レナには分からない。
歓迎ではない。
信頼でもない。
けれど、少しだけ役割ができた。
レナは救護バッグの中身を確認し、玄関横の砂を払う。そこに一時救護地点として使えるだけの空間を作る。たったそれだけの作業なのに、アビドスの砂はすぐ指先に入り込み、袖口を汚していく。
綺麗なリボンをつけたままでは、この学校には立てないのかもしれない。
そう思った。
でも、それでいい。
砂で汚れたら、後で払えばいい。曲がったら、直せばいい。帰る場所があるからといって、汚れない場所にだけ立っていていい理由にはならない。
レナは胸元のリボンに一度触れ、それから手を離した。
アビドスの砂は、まだ熱い。
その熱の中で、レナはようやく、外から来た救護騎士としての最初の仕事を始めた。
アビドス編の最終的な展開について迷っています。ぜひ見たい方を投票してください。
-
百合って綺麗だから綺麗に終わって
-
曇らせドロドロ依存エンド希望