戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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3話 砂に引いた救護線

 

 銃声は、乾いた砂に吸われるように響いた。

 

 トリニティで聞く銃声とは、少し違う気がした。校舎の壁に反射して跳ね返る音ではなく、広すぎる空と乾いた地面の間へ散っていく音。遠いのに近い。近いのに、どこから来ているのか一瞬分からない。レナは椅子から立ち上がりかけた姿勢のまま、救護バッグの肩紐を握り直した。

 

 怖い。

 

 そう思った。

 

 けれど、足は止まらなかった。前に飛び出すでも、机の陰に隠れるでもなく、まず部屋の中を見た。先生。アヤネ。ノノミ。セリカ。ホシノ。シロコ。出口。窓。廊下の幅。校舎外へ出るなら、負傷者を戻す場所はどこがいいか。救護バッグの中身。水。包帯。消毒液。手袋。

 

 敵を見るのではなく、道を見る。

 

 ミネの声が、胸の奥で静かに残っていた。

 

「カタカタヘルメット団ですね」

 

 アヤネが端末を確認しながら言った。声は硬い。けれど、慌ててはいない。慣れているのだ。慣れてしまっているのだと分かった瞬間、レナの胸が少し痛んだ。

 

「ほんっと、しつこいわね!」

 

 セリカが舌打ちし、銃を取る。怒り方が鋭い。でも、その動きは迷いがない。さっきまでレナに向けられていた棘が、今は外から来た敵へ向いている。

 

「シロコちゃん、正面から来ています。人数は……少なくとも六、いえ八。校門側です!」

 

「ん。行く」

 

 シロコは短く返して、もう動き出していた。走るというより、砂の上を滑るような速さだった。さっき水を渡してくれた時と同じ無駄のなさで、必要なものだけを選んでいく。

 

「ノノミ、校舎側から回り込んで。セリカちゃんは右、アヤネちゃんは後方で情報お願いねぇ」

 

 ホシノがゆるい声で言う。だらけた調子は変わらない。それなのに、全員の動きが自然に整った。眠そうな先輩の声ひとつで、散らばりかけた役割が形になる。

 

 この人が、委員長。

 

 レナは改めてそう思った。

 

「先生、指揮をお願いできますか」

 

 アヤネが先生を見る。

 

「ええ。状況を見ながら指示するわ。レナは……」

 

 先生の視線がレナへ向く。

 

 大人の目だった。行けとも、下がれとも、すぐには言わない。レナが自分で申告するのを待っている。

 

 レナは一度、胸元のリボンに触れた。

 

「私は負傷者対応と避難導線を見ます。前に出すぎないようにします。もし私が状況を見失ったら、止めてください」

 

「分かったわ。自分も救護対象に含めること」

 

「はい」

 

 その返事に、セリカが一瞬こちらを見た。

 

「……何それ。戦う前から弱気なの?」

 

 刺すような言い方だった。

 

 けれど、レナは首を横に振った。

 

「弱気でも逃げるわけでもじゃありません。止めてもらえる状態にしておくためです。私が倒れたら、救護対象が増えますから」

 

 セリカは言い返しかけて、黙った。

 

 ほんの一拍。

 

 その横顔に、苛立ちとは違うものが浮かんだ気がした。驚き。あるいは、何かを認めたくない時の、ほんの小さな詰まり。

 

「……勝手にすれば」

 

 セリカはそう言って、部屋を飛び出した。

 

 アビドスの外は、室内よりさらに熱かった。

 

 校門の方から、カタカタと妙に軽い金属音が聞こえてくる。名前の通り、ヘルメットを被った武装集団が、砂を蹴りながら近づいていた。声は大きい。動きも荒い。けれど、数がある。勢いがある。疲れた学校をさらに削るには、それだけで十分なのだとレナは思った。

 

「また来たわけ? 暇なの、あんたたち!」

 

 セリカが右手側へ走りながら撃つ。怒鳴り声は勢いがあるのに、射線は雑ではなかった。敵を止める場所をちゃんと選んでいる。

 

「ノノミ、そっちお願い!」

 

「はいは〜い。あまり校舎に近づかないでくださいね〜」

 

 ノノミの声は柔らかい。けれど、構えた武器の存在感は柔らかさとは別物だった。砂埃の向こう、敵の足が止まる。正面から来ようとした数人が、思わず横へ散った。

 

「ん。そっちは通さない」

 

 シロコが低く入る。

 

 速い。

 

 レナは思わず目で追いかけた。シロコは言葉が少ない分、動きがそのまま意思になっている。敵の前に立つのではなく、敵が行きたい場所へ先にいる。レナがミネから教わった「道を見る」に近い。でも、シロコのそれはもっと鋭く、もっと戦闘に寄っていた。

 

 強い。

 

 そして、少し怖い。

 

 レナは救護バッグを開けながら、校舎の壁際へ視線を走らせる。最初の銃撃で割れた窓はない。廊下側へ避難する必要はまだない。対策委員会の五人は動けている。先生は少し後方でシッテムの箱を確認しながら、落ち着いた声で指示を出している。

 

「シロコ、左の二人が校舎側へ抜けようとしているわ。セリカ、右を抑えたら一歩下がって。ノノミ、正面を広く止めて」

 

「了解」

 

「分かってるわよ!」

 

「は〜い」

 

 先生の指示に、動きが整っていく。

 

 レナはその中で、自分にできることを探した。

 

 前に出たいわけではない。けれど、後ろで立っているだけでも違う。救護は、怪我人が出てから始まるものだけではない。怪我人を増やさない配置、逃げ道、戻る場所、消耗した人を下げる判断。それも救護だと、ミネは教えてくれた。

 

 砂に半分埋もれた看板が倒れかけている。撃たれれば崩れる。そこに味方が下がると足を取られる。校舎の壁際には日陰があるが、割れたガラスの破片が残っている。処置場所にするなら、もう少し内側。玄関の階段横がいい。

 

「先生」

 

 レナは声を上げた。

 

「負傷者が出た場合、玄関横の影へ下げます。砂が少なくて、バッグを広げられます。校舎の壁際はガラス片があります」

 

「分かったわ。アヤネ、玄関横を一時救護位置に」

 

「はい、共有します!」

 

 アヤネが端末へ入力する。

 

 レナの言葉が、作戦の中に入った。

 

 それだけなのに、胸が少しだけ熱くなる。役に立てた、と思うにはまだ早い。でも、ここに立っているだけではない。救護騎士団のリボンをつけているだけではない。自分の見たものが、ほんの少しだけ誰かの動きを変えた。

 

 その瞬間。

 

「セリカ、右からもう一人!」

 

 先生の声。

 

「分かって――っ!」

 

 セリカが振り向く。反応は早かった。けれど、砂に足を取られた。ほんの少しだけ体勢が崩れる。敵の銃口が、セリカの横を狙う。

 

 レナは走り出しかけた。

 

 でも、すぐ止まった。

 

 私が前に出ても間に合わない。

 

 撃つ?

 

 違う。止めるなら、敵じゃなくて、射線。

 

 レナは救護バッグの横に差していた小型の発煙弾を引き抜いた。救護騎士団で支給された、負傷者搬送時に視界を切るためのもの。攻撃用ではない。敵を倒すものでもない。けれど、道を作るものだ。

 

「セリカさん、左へ!」

 

「はあ!?」

 

 返事を待たず、レナは発煙弾を投げた。

 

 セリカと敵の間ではない。敵の足元より少し手前、風が流れる方向を見て、煙が射線を切る位置へ。白い煙が砂の上で広がる。敵の銃口が一瞬迷った。セリカは舌打ちしながらも、レナの言った通り左へ転がるように逃げる。

 

 シロコがその隙を逃さなかった。

 

 短い銃声。

 

 敵の武器が弾かれる。

 

 セリカは膝をついたまま、すぐに体勢を立て直した。

 

「ちょっと! 急に何言ってるよ!」

 

「す、すみません!」

 

「謝ってる場合じゃないでしょ!」

 

 怒鳴られた。

 

 けれど、セリカの声はさっきと少し違った。怒っている。でも、命令を聞いたことへの苛立ちではない。驚きと、助かったことを認めたくない気持ちが混ざっている。

 

 レナは胸の奥で息を吐く。

 

 よかった。

 

 届いた。

 

 その一瞬の安心を、シロコの視線が拾った。

 

 シロコは敵を見ていたはずなのに、レナの方を一度見た。ほんの短い視線。けれど、さっき水を渡された時と同じ、必要なものを見逃さない目だった。

 

「レナ」

 

「はい」

 

「今の、良かった」

 

 短い言葉だった。それだけなのに、レナの胸が少し跳ねる。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「でも、投げた後、足が止まってた。次は下がって」

 

「……はい」

 

 褒められたと思ったら、すぐ修正された。

 

 ミネ先輩みたいだ、と思ってしまって、こんな状況なのに少しだけ変な気持ちになる。レナはすぐに玄関横へ戻り、救護バッグを広げた。

 

 戦闘は長くは続かなかった。

 

 先生の指示、アビドスの五人の連携、シロコとホシノの判断、ノノミの火力、セリカの速さ、アヤネの情報支援。どれかひとつだけではなく、五人が五人の役割で学校を守っていた。人数は少ない。けれど、少ないからこそ、誰かの隙を誰かが埋める形ができている。

 

 敵が撤退する頃には、校門前に砂埃だけが残っていた。

 

「ふん、逃げ足だけは早いんだから」

 

 セリカが肩で息をしながら言った。

 

 怪我はない。ないように見える。けれど、レナはすぐに立ち上がった。

 

「セリカさん、右足を少し見せてもらってもいいですか」

 

「は? 怪我なんかしてないわよ」

 

「さっき砂に足を取られた時、膝の向きが少し崩れていました。痛みがないなら確認だけで大丈夫です」

 

「だから大丈夫だって――」

 

「セリカちゃん」

 

 アヤネが静かに呼ぶ。

 

 セリカは面倒くさそうに顔を逸らした。

 

「……確認だけよ」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 レナは近づきすぎない位置で膝を見た。触れる必要があるか判断する。擦り傷はない。腫れもない。けれど、砂が靴の中に入り、足首の動きが少し硬い。

 

「靴の中の砂だけ出した方がいいと思います。足首を痛めるかもしれません」

 

「そんなことで?別にいいわよ気にしないで」

 

「そんなことで、後から走れなくなることがあります」

 

 言ってから、レナは少しだけミネの口調が移った気がして、内心で小さく焦った。

 

 セリカもそれを感じたのか、妙な顔をした。

 

「あんた、時々やけにきっぱり言うのね」

 

「師匠の影響です」

 

「師匠って何よ……」

 

 セリカは文句を言いながらも、靴の砂を払った。

 

 それを見ていたノノミが、にこりと微笑む。

 

「レナちゃん、しっかりしていますね〜。救護騎士団さんって感じです」

 

「い、いえ、私はまだ……」

 

 レナは慌てて首を振る。

 

 その時、ノノミがそっとタオルを差し出した。レナの手に触れるか触れないかの距離で止める。押しつけない。けれど、逃げ道を塞がない近さ。

 

「汗、拭いてください。さっきより顔色は戻りましたけど、まだ少し暑そうですから」

 

「ありがとうございます」

 

 受け取る時、指先がほんの少しだけ触れた。

 

 柔らかい手だった。

 

 ミネの手とも、シロコの手とも違う。包み込むような、けれど今はまだそこまで踏み込まない手。レナは少しだけ戸惑った。ノノミの笑顔は優しい。でも、その奥に壁がある。外から来た子をいきなり歓迎するわけではないけど、倒れそうなら支える。そのくらいの距離。

 

「……ありがとうございます」

 

「どういたしまして〜」

 

 ノノミは笑った。

 

 その笑顔が、本物なのか、少し頑張っているのか、レナにはまだ分からなかった。

 

「うへぇ、初日から働かせちゃったねぇ」

 

 ホシノがのんびり近づいてくる。

 

 戦闘中、ホシノが本気を出したようには見えなかった。けれど、敵が一番校舎へ近づけなかった場所には、いつもホシノがいた。何もしていないようで、一番危ないところを押さえている。そういう強さだった。

 

「怪我はありませんか、ホシノ先輩」

 

「おじさんは大丈夫だよ〜。若い子に心配されるほど、まだ枯れてないからねぇ」

 

「でも、自分で大丈夫と言う人ほど、救護対象から自分を外しがちだと教わりました」

 

 言ってしまってから、レナは少し固まった。

 

 初対面に近い相手へ言うには、踏み込みすぎたかもしれない。

 

 ホシノは目を細める。

 

 ほんの一瞬だけ、眠そうな顔の奥から別のものが覗いた気がした。深い井戸の底を見たような、冷たいというより、遠すぎる何か。

 

 けれど次の瞬間には、いつものゆるい笑みに戻っていた。

 

「うへぇ、レナちゃんの師匠って、なかなか厳しいこと教えるんだねぇ」

 

「はい。すごく厳しいです。でも、必要なことだと思います」

 

「そっかぁ」

 

 ホシノはそれ以上言わなかった。

 

 ただ、レナのリボンを一度だけ見た。

 

「真面目な子だねぇ」

 

 また、その言葉。

 

 けれど今度は、さっきより少しだけ違って聞こえた。距離を置くための言葉なのか、危ういものを見る言葉なのか、レナにはまだ分からない。

 

「レナさん」

 

 アヤネが資料を抱えたまま近づいてきた。

 

「先ほどの救護位置の指定、助かりました。玄関横なら、確かに砂も少なく、校舎内への搬送も早いです。次回から、非常時の一時救護地点として記録しておきます」

 

「次回……」

 

 レナは言葉を繰り返してしまった。

 

 次回があることが、当たり前みたいに言われる。

 

 この学校では、襲撃が一度きりの事件ではない。今日追い払った敵は、また来るかもしれない。物資は減り、弾薬も減り、疲労だけが積もる。

 

 アヤネは、レナの表情に気づいたように少しだけ目を伏せた。

 

「すみません。驚かせるつもりでは……」

 

「いえ。記録、必要だと思います。もしよければ、救護導線の整理なら手伝えます」

 

 アヤネのペン先が止まった。

 

「……いいんですか?」

 

「はい。私にできる範囲でよければ」

 

 アヤネは少しだけ迷った。

 

 外から来た子に頼っていいのか。まだ信用していいのか。そんな迷いが、眼鏡の奥で揺れた気がした。

 

 それでも、アヤネは頷いた。

 

「お願いします。……ありがとうございます、レナさん」

 

 初めて、少しだけ名前が柔らかく聞こえた。

 

 レナは小さく頷く。

 

「こちらこそ」

 

 その返事をした時、セリカが横からぼそっと言った。

 

「別に、認めたわけじゃないから」

 

「はい」

 

「返事早いわね!」

 

「す、すみません」

 

「謝るところでもない!」

 

 セリカの声に、ノノミが小さく笑う。アヤネも少しだけ肩の力を抜いた。シロコは表情を変えないまま、水のボトルをもう一度レナの方へ押しやる。

 

「飲んで」

 

「さっき飲みました」

 

「戦闘後。もう一回」

 

「……はい」

 

 レナは素直に飲んだ。

 

 シロコはそれを確認してから、ようやく視線を外す。

 

 やっぱり、見られている。

 

 けれど、さっきより少しだけ、その視線の意味が変わった気がした。

 

 必要だから見る。

 

 倒れられると困るから見る。

 

 それはまだ、優しさとは呼べないのかもしれない。

 

 でも、少なくとも雑ではない。

 

 先生が、戦闘の跡を見渡してから静かに言った。

 

「まずは全員、無事でよかったわ。状況説明の続きは、少し落ち着いてからにしましょう。アヤネ、物資と損害の確認をお願い。レナは無理のない範囲で、救護導線の確認を手伝って」

 

「はい」

 

「はい」

 

 アヤネとレナの返事が重なった。

 

 セリカが「なんかもう馴染みかけてない?」と不満そうに言い、ノノミが「いいことですよ〜」と返す。ホシノは眠そうに笑っていたが、その目はやはり眠っていなかった。シロコは校門の方を見ている。次を警戒しているのか、それとも何か別のことを考えているのか、レナには分からない。

 

 歓迎ではない。

 

 信頼でもない。

 

 けれど、少しだけ役割ができた。

 

 レナは救護バッグの中身を確認し、玄関横の砂を払う。そこに一時救護地点として使えるだけの空間を作る。たったそれだけの作業なのに、アビドスの砂はすぐ指先に入り込み、袖口を汚していく。

 

 綺麗なリボンをつけたままでは、この学校には立てないのかもしれない。

 

 そう思った。

 

 でも、それでいい。

 

 砂で汚れたら、後で払えばいい。曲がったら、直せばいい。帰る場所があるからといって、汚れない場所にだけ立っていていい理由にはならない。

 

 レナは胸元のリボンに一度触れ、それから手を離した。

 

 アビドスの砂は、まだ熱い。

 

 その熱の中で、レナはようやく、外から来た救護騎士としての最初の仕事を始めた。

アビドス編の最終的な展開について迷っています。ぜひ見たい方を投票してください。

  • 百合って綺麗だから綺麗に終わって
  • 曇らせドロドロ依存エンド希望
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