戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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21話 ここにいていい

 

 音が消えても、耳の奥にはまだ残っていた。

 

 投影機の羽音。砂を揺らす低い振動。黒服の丁寧すぎる声。映像の中で誰かが笑う音。床に近い場所で、息を詰まらせている自分の声。今の私が叫んだ声と、映像の中の私が泣いた声が、どこかで混ざってしまって、どちらが今なのか分からなくなる。

 

 もう映っていない。

 

 分かっている。

 

 校庭の白い光は消えた。窓に貼り付いていた映像もない。壁にも、机にも、床にも、何も映っていない。対策委員会室には、見慣れた机と、椅子と、私用のカップと、救護バッグの置き場所がある。

 

 なのに、目を閉じると、まだ見える。

 

 床が近い。

 

 髪が広がる。

 

 羽根が震える。

 

 誰かの手。

 

 押さえられる肩。

 

 記録しておけ、という声。

 

 見られた。

 

 見られた。

 

 見られてしまった。

 

 私は、シロコさんの手に指先を預けたまま、動けずにいた。

 

 握っている、というほど力は入っていない。ただ、離したら床に沈んでしまいそうで、そこにある温度に縋っているだけだった。シロコさんは何も言わない。私の指先を強く握り返すこともない。ただ、そこにいてくれる。

 

 それがありがたかった。

 

 でも、見られているのが怖かった。

 

 さっきまで、アビドスのみんなに見てほしかった。帰ってきた私を、ただいまと言った私を、カップを受け取る私を、見てほしかった。ここにいることを分かってほしかった。

 

 なのに今は、視線が怖い。

 

 誰かの目が、あの映像を覚えている気がする。

 

 床で泣いていた私。力で負けた私。屈服して、身体を丸めて、泣きながら隠そうとしていた私。あれを見た目で、今の私を見られるのが怖い。

 

 喉が痛い。

 

 叫びすぎたせいで、息を吸うたびに奥がひりついた。声を出そうとすると、紙で擦ったみたいな痛みが走る。それでも、言わなければいけない気がした。言わなかったら、ずっと分からないままになる気がした。

 

「……あの」

 

 掠れた声が落ちた。

 

 自分でも驚くくらい小さかった。

 

 それでも、全員がこちらを向いたのが分かった。

 

 向かれると怖い。

 

 でも、聞いてほしい。

 

 矛盾している。

 

「気持ち、悪く……なかった、ですか」

 

 声にした瞬間、部屋が凍った。

 

 セリカさんが息を呑んだ。

 

 ノノミさんの手が、胸の前で止まる。

 

 アヤネさんが端末を持っていない方の手を強く握りしめる。

 

 ホシノ先輩の顔から、残っていた僅かな表情が消える。

 

 シロコさんの指先が、ほんの少しだけ震えた。

 

 私は、言ってしまったと思った。

 

 でも、止まらなかった。

 

「私のこと……嫌に、なりませんでしたか。あんな、あんなの……見たら、もう、同じように……見られないんじゃ……」

 

 言葉が途中で崩れた。

 

 喉が痛い。

 

 でも、痛みよりも怖さの方が強かった。

 

「ごめんなさい。変なこと聞いて……でも、怖くて……皆さんが、私を見る目が、変わったら……私、ここに、もう……」

 

「レナさん」

 

 アヤネさんの声がした。

 

 いつもより少し低くて、震えていた。

 

 私は顔を上げられなかった。

 

 アヤネさんの足音が近づく。

 

 途中で止まる。

 

 すぐそばではない。けれど、遠くもない。レナさん、ともう一度呼ばれる。

 

「手を、握ってもいいですか」

 

 私は、息を止めた。

 

 アヤネさんが、手を。

 

 いつも端末を持っているアヤネさんが。

 

 記録を取って、予定を整理して、冷静に言葉を選ぶアヤネさんが、今は端末を置いていた。床に置かれた端末の画面は暗い。アヤネさんの両手は空いている。その手が、私の少し前で止まっていた。

 

「今の私は、端末を持っているより、レナさんの手を握っていたいです。記録ではなく、ここにいるレナさんを確かめたいんです。でも、怖いなら触れません。断っても、私はここにいます」

 

 アヤネさんの声は、丁寧だった。

 

 でも、丁寧さの奥で何かが泣いていた。

 

 私はすぐには返事できなかった。

 

 触れられるのが怖い。

 

 でも、アヤネさんの手は怖くないと、どこかで分かっていた。アヤネさんは、私が頷くまで待ってくれる。急かさない。勝手に掴まない。端末ではなく、自分の手で、今の私を確かめようとしてくれている。

 

 私はシロコさんの手を離さないまま、もう片方の指を少しだけ動かした。

 

 それが返事になったのか、自分では分からない。

 

 でも、アヤネさんは分かってくれた。

 

「ありがとうございます」

 

 そう言って、アヤネさんの手が私の手に触れた。

 

 冷たかった。

 

 アヤネさんの手も、震えていた。

 

 安心させるための手なのに、その手自身も傷ついている。怖くて、怒っていて、泣きそうで、それでも私に触れる前に聞いてくれた手。

 

 その震えに触れた瞬間、胸の奥が痛くなった。

 

「アヤネさん……」

 

「嫌になんて、なりません」

 

 アヤネさんは、私の手を両手で包んだ。

 

 強くはない。

 

 逃げられるように。

 

 でも、離れないように。

 

「あれは、レナさんの全部ではありません。いえ、レナさんを説明するものですらありません。あれは、レナさんを傷つけるために切り取られて、加工されて、見せられた暴力です。私は記録を扱います。だから分かります。あれは、レナさんを知るための記録ではありません」

 

 アヤネさんの声が震える。

 

「レナさんを壊すための道具です。そんなものを見せられたからといって、レナさんの価値が変わることはありません。私がレナさんを見る目も、変わりません。……変わるとしたら、もっと、守らなければと思う方向です」

 

 守る。

 

 その言葉に、私はまた泣きそうになった。

 

 アヤネさんの手が、ほんの少しだけ私の指を包み直す。

 

「気持ち悪いのは、あの映像を作って、保存して、流した相手です。レナさんではありません。絶対に、違います」

 

 セリカさんが、乱暴に目元を拭った。

 

 水の入ったコップを持って、近づいてくる。

 

 けれど、私の近くまでは来ない。

 

 机の端にそっと置いた。

 

 いつものセリカさんなら、飲みなさい、と言っていたと思う。無理やりではなくても、強く、はっきり。けれど今は、コップを置いたあと、少しだけ手を引っ込めるのが遅かった。

 

「飲める時でいいから」

 

 声が、掠れていた。

 

「今すぐじゃなくていい。喉、痛いでしょ。あんな声出したら、痛いに決まってる。だから、飲めそうになったら飲みなさい。無理なら、置いておくだけでいい」

 

 セリカさんの言葉は、いつもよりずっと静かだった。

 

 怒っていないわけではない。

 

 むしろ、怒りすぎているのだと思う。

 

 でも、その怒りを私に向けないように、必死に日常の形に押し込めている。水。喉。飲める時。そういう小さな言葉で、私が今いる場所を、対策委員会室へ戻そうとしてくれている。

 

「……ありがとう、ございます」

 

「お礼言わなくていい」

 

 いつもの言葉。

 

 でも、声が震えていた。

 

「あと、さっきの質問。気持ち悪いわけないでしょ。そんなふうに思うわけない。気持ち悪いのは、あれを撮ったやつで、あれを流したやつで、あれを見せて何か分かった気になってるやつよ。あんたじゃない。絶対に、あんたじゃない」

 

 セリカさんは、唇を噛んだ。

 

「だから、そういうこと言わないで……って言いたいけど、怖かったなら言っていい。でも、言ったら何度でも否定する。何度でも怒る。あんたが自分のせいみたいに言うたびに、私はそれ違うって言うから」

 

 胸の中が、じわっと熱くなる。

 

 ノノミさんは、少し離れた場所にいた。

 

 毛布を持っている。

 

 いつもなら、すぐにかけてくれたかもしれない。抱きしめてくれたかもしれない。温かいものを、たくさん渡してくれたかもしれない。

 

 でも今は、距離を保っていた。

 

 その距離が、優しかった。

 

「レナちゃん」

 

 ノノミさんが、ゆっくり言った。

 

「気持ち悪いなんて、思うわけがありません。私が見てしまったのは、レナちゃんが傷つけられた場面です。レナちゃんが悪い場面ではありません」

 

 分かりやすい言葉だった。

 

 柔らかくて、でも真っ直ぐだった。

 

「だから、レナちゃんを嫌になる理由なんて、どこにもありません。怖かったですね。見られたくなかったですよね。見られてしまったことが、今とても苦しいんですよね。でも、それはレナちゃんが悪いからではありません」

 

 ノノミさんの声は震えていた。

 

「本当は、今すぐ抱きしめたいです。隠したいです。もう誰にも見られないように、私の腕の中に入れてしまいたいと思ってしまいます。でも、それは今のレナちゃんを怖がらせるかもしれません。だから、我慢します。私は、レナちゃんが怖くない距離にいます。必要になったら、呼んでください」

 

 毛布を、床に置く。

 

 私の近くではなく、手を伸ばせば届くかもしれない場所に。

 

「この毛布も、必要なら使ってください。いらなければ、そのままで大丈夫です。レナちゃんが選んでください」

 

 選んでいい。

 

 その言葉が、ゆっくり入ってきた。

 

 選べなかったことを思い出すと苦しい。

 

 だからこそ、今、選んでいいと言われるのが痛いくらいありがたかった。

 

 シロコさんは、私の手をアヤネさんに預けるようにして、ゆっくり立ち上がった。

 

 一瞬、不安になった。

 

 行かないで、と思った。

 

 でも、シロコさんは離れなかった。

 

 扉の方へ歩いていく。

 

 そこで、こちらに背を向けた。

 

 私は驚いて、涙でぼやけた目を上げる。

 

「シロコさん……?」

 

「見ない」

 

 シロコさんは、背を向けたまま言った。

 

「レナが見られるのが怖いなら、私は見ない。でも、いる。ここにいる。誰も入れない。誰にも見せない」

 

 短い言葉だった。

 

 でも、その背中は大きかった。

 

 いつも見ている人が、あえて見ない。

 

 私の顔も、涙も、震えも、今は見ない。

 

 けれど、離れない。

 

 扉の前に立って、外からの視線を遮る。誰かが入ってくるなら、最初にシロコさんが止める。私を見ないことで、私を守ろうとしてくれている。

 

 そのことに気づいた瞬間、涙がまたこぼれた。

 

 ホシノ先輩が、私の前にしゃがんだ。

 

 距離を空けて。

 

 顔を覗き込まずに。

 

 ただ、私の視界の端に入る位置に。

 

「レナちゃん」

 

 声は穏やかだった。

 

 でも、いつもの軽さはなかった。

 

「床、怖いよね」

 

 私は小さく頷いた。

 

 頷いた瞬間、床の冷たさをまた思い出して、指が震えた。

 

「ここから動きたい?」

 

 問いかけは、急かすものではなかった。

 

 私は、答えられない。

 

 動きたい。

 

 床から離れたい。

 

 でも、動くのも怖い。

 

 立ち上がったら、また足が折れるかもしれない。誰かに支えられる手が怖くなるかもしれない。動けなかったら、また映像の中の自分と重なるかもしれない。

 

 ホシノ先輩は、私が答えないことを責めなかった。

 

「触れていい?」

 

 その言葉で、胸の奥が震えた。

 

 ミネ先輩の声を思い出す。

 

 触れても?

 

 怖くない手。

 

 確認してくれる手。

 

「抱き上げたりはしない。勝手に動かしたりもしない。レナちゃんが選んでいい。ただ、床が怖いなら、おじさんの袖でも、肩でも、使っていいよ。ここから離れる時の支えにしていい」

 

 ホシノ先輩は、自分の袖を少しだけ差し出した。

 

「使わなくてもいい。選んで」

 

 選んで。

 

 また、その言葉。

 

 私は震える手で、アヤネさんの手を握ったまま、もう片方の手をゆっくり伸ばした。

 

 ホシノ先輩の袖を掴む。

 

 ほんの少し。

 

 布の感触が指に触れる。

 

 誰かの手ではなく、袖。

 

 それがちょうどよかった。

 

「ん。上手」

 

 ホシノ先輩は小さく言った。

 

「じゃあ、少しだけ。立たなくていい。まず床から離れようか」

 

 セリカさんが息を止める気配がした。

 

 ノノミさんが毛布を持ち上げる。

 

 アヤネさんが、私の手を握ったまま、もう片方の手で私の動きを支えられる位置へ移る。

 

 ホシノ先輩は、引っ張らなかった。

 

 ただ、私が袖を掴む力に合わせて、そこにいた。

 

 私は、少しずつ体を起こした。

 

 床が離れる。

 

 怖い。

 

 手が震える。

 

 喉が鳴る。

 

 でも、ホシノ先輩の袖があった。アヤネさんの手があった。セリカさんの水が机にあった。ノノミさんの毛布が近くにあった。シロコさんの背中が扉を塞いでいた。

 

 床じゃない。

 

 床から、離れている。

 

「……床じゃ、ない」

 

 掠れた声が出た。

 

 ホシノ先輩が頷いた。

 

「うん。床じゃない」

 

「ここ……」

 

「うん。ここは対策委員会室」

 

 セリカさんが、そこで言った。

 

「レナのカップがある場所」

 

 ノノミさんが続ける。

 

「毛布もあります」

 

 アヤネさんが、涙を堪えながら言う。

 

「予定表にも、レナさんの名前があります」

 

 シロコさんが背を向けたまま、短く言った。

 

「帰ってきた場所」

 

 私は泣いた。

 

 今度の涙は、さっきとは違った。

 

 苦しくないわけではない。痛くないわけでもない。まだ喉は焼けているし、映像は頭の中から消えていない。怖い。恥ずかしい。見られたことが、まだ胸の中で暴れている。

 

 でも、拒絶されていない。

 

 ここにいていいと言われている。

 

 私は、ホシノ先輩の袖を掴んだまま、長椅子へ移動した。ほとんど歩けていなかったと思う。けれど、誰も急かさなかった。誰も勝手に運ばなかった。私が一歩動くまで、待ってくれた。

 

 長椅子に座る。

 

 柔らかい感触。

 

 床ではない。

 

 そのことだけで、少しだけ呼吸が入る。

 

 ノノミさんが、毛布を持って近づいた。

 

 でも、すぐにはかけない。

 

「毛布、かけてもいいですか」

 

 私は、少し迷ってから頷いた。

 

 毛布が肩にかかる。

 

 温かい。

 

 でも、重すぎない。

 

 ノノミさんの手はすぐに離れた。

 

 離れた後も、そばにいてくれた。

 

 セリカさんが水を少し近づける。

 

「飲めそう?」

 

 私はコップを見た。

 

 手が震えている。

 

 今持ったらこぼすかもしれない。

 

 そう思ったら、アヤネさんが言った。

 

「私が持っていてもいいですか。レナさんが飲みたい時に、角度を合わせます」

 

 私は頷いた。

 

 アヤネさんがコップを持つ。

 

 少しだけ口をつける。

 

 水が喉に触れた瞬間、痛みで顔が歪んだ。

 

「痛い?」

 

 セリカさんが聞く。

 

「……少し」

 

「そりゃそうよ。あんな声出したんだから」

 

 声が震えていた。

 

 でも、少しだけいつものセリカさんだった。

 

「少しずつでいいから。飲めたら、あとで喉にいいもの探す。なかったら作る」

 

「作るんですか」

 

「作るわよ。文句ある?」

 

 私は小さく首を振った。

 

 少しだけ、口元が動いた気がした。

 

 その小さな変化に、セリカさんが息を止めたのが分かった。

 

 その時、先生の端末が鳴った。

 

 先生が画面を確認する。

 

 少しだけ表情が変わった。

 

「ミネさんから」

 

 その名前を聞いた瞬間、胸がぎゅっとなった。

 

 ミネ先輩。

 

 帰る場所。

 

 師匠。

 

 救護騎士団。

 

 画面に映ったミネ先輩の顔は、いつも通り厳しかった。

 

 でも、目が違った。

 

 怒っている。

 

 とても。

 

 けれど、その怒りを私に向けないように、きっちりと抑えている顔だった。

 

『レナ。聞こえますか』

 

 私は声を出そうとして、喉が痛んだ。

 

 先生が言う。

 

「無理に話さなくていいわ。頷けたら、それで」

 

 私は小さく頷いた。

 

 ミネ先輩の目が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

 

『よろしい。まず、呼吸を続けなさい。大きく吸う必要はありません。今できる分だけで構いません。あなたは今、救護対象です。自分を責める時間ではありません』

 

 救護対象。

 

 その言葉で、涙がまた出た。

 

 ミネ先輩は続ける。

 

『あなたは何も失っていません。あなたの尊厳は、あの映像の中に置いてきたものではありません。今、あなたが息をしている場所にあります。あなたが震えていても、泣いていても、声が出なくても、それは変わりません』

 

 私は毛布を握った。

 

 ミネ先輩の声は、厳しかった。

 

 甘くはない。

 

 でも、揺れなかった。

 

『帰還を急ぐ必要はありません。今あなたが安全だと思える場所で、安全を確保してください。そこがアビドスなら、アビドスで構いません』

 

 ミネ先輩の視線が、画面越しにアビドスのみんなへ向いた。

 

『アビドスの皆さん。レナをお願いします』

 

 部屋の空気が変わった。

 

 その言葉は、重かった。

 

 ミネ先輩が、レナをアビドスに預けた。

 

 救護騎士団の師匠が。

 

 私の帰る場所の一つが、もう一つの帰る場所へ、私を預けてくれた。

 

 セリカさんが背筋を伸ばす。

 

 ノノミさんが毛布の端を握る。

 

 アヤネさんが、私の手を包み直す。

 

 シロコさんが扉の前で頷く。

 

 ホシノ先輩が、静かに言った。

 

「任されました」

 

 いつもの軽さはなかった。

 

 ミネ先輩は短く頷いた。

 

『先生。後ほど詳細を共有してください。黒服に関しては、救護騎士団としても看過しません』

 

「ええ。必ず」

 

『レナ』

 

 また、名前を呼ばれる。

 

 私は画面を見る。

 

『今日は、戦わなくていい。耐えることも、強がることも、救うことも、今は不要です。息をして、眠れるなら眠りなさい。それが今のあなたの任務です』

 

 任務。

 

 その言い方がミネ先輩らしくて、少しだけ胸が緩んだ。

 

 声は出ない。

 

 でも、頷いた。

 

 通信が切れた後、部屋には静けさが戻った。

 

 さっきまでの白い光の残響は、まだ完全には消えていない。けれど、ミネ先輩の声が、その上に別の音を置いてくれた気がした。

 

 息をして。

 

 眠れるなら眠る。

 

 それが、今の任務。

 

「レナさん」

 

 アヤネさんが言った。

 

「手、もう少し握っていてもいいですか」

 

 私は頷いた。

 

 アヤネさんの手はまだ震えていた。

 

 でも、最初より少しだけ温かかった。

 

 ホシノ先輩は、少し離れた長椅子の端に座った。

 

「おじさん、ここにいるよ。触らない。引っ張らない。でも、床が怖くなったら袖を使っていいからね」

 

 セリカさんが水を置き直す。

 

「喉、痛くなったら言って。言えなかったら、コップ見て。分かるようにしておくから」

 

 ノノミさんが、少し距離を取って座る。

 

「私はここにいます。近づきすぎません。でも、呼ばれたら行きます。呼ばれなくても、いなくなりません」

 

 シロコさんは扉の前で、まだ背を向けている。

 

「見ない。でも、守る」

 

 その背中を見ているうちに、眠気ではない重さが身体に降りてきた。

 

 泣き疲れていた。

 

 叫び疲れていた。

 

 恐怖はまだ消えない。

 

 でも、身体が限界だった。

 

 目を閉じるのは怖かった。

 

 また映像が見える気がした。

 

 でも、目を開けていても、涙でほとんど見えない。

 

「……ここに」

 

 掠れた声が出た。

 

 全員が聞いた。

 

「ここに、いても……いいですか」

 

 誰より早く、アヤネさんの手に力が入った。

 

「もちろんです」

 

 セリカさんが言う。

 

「当たり前でしょ」

 

 ノノミさんが言う。

 

「いてください。ここに」

 

 シロコさんが背中越しに言う。

 

「いる場所」

 

 ホシノ先輩が、最後に静かに言う。

 

「いいよ。ここにいていい。帰ってきてもいい。行ってもいい。レナちゃんの場所は、あの映像なんかに決めさせない」

 

 その言葉を聞いて、私は目を閉じた。

 

 映像は、まだ消えない。

 

 見せられたものは、消えない。

 

 でも、それだけが私ではないと、誰かが言ってくれた。

 

 だから今は、まだ震えたままでも。

 

 ここにいていいと、少しだけ思えた。

 

 そして私は、アヤネさんの手を握ったまま、泣き疲れて眠った。

ifストーリーを投稿しようと思っています。ある程度全部投稿する予定ですが、真っ先にどれが見たいですか?

  • レナが最強格の世界線
  • 甘え上手で小悪魔な世界線
  • 物理的に食べられる世界線
  • 好かれすぎて殺されそうになる世界線
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