戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
アヤネさんに呼ばれた時、私は少しだけ身構えた。
対策委員会室の机の上には、端末が一台と、まだ何も貼られていない白いアルバムが置かれていた。窓の外では砂が薄く流れている。午後の日差しは強すぎず、部屋の中には紙と機械の熱、それから少し冷めたお茶の匂いがあった。
シロコさんは見回りに出ている。セリカさんは柴関ラーメンへ行っていて、ノノミさんは物資置き場の整理、ホシノ先輩はどこかで「見回りという名の休憩」をしているらしい。
つまり、部屋にいるのは私とアヤネさんだけだった。
「レナさん、お時間よろしいでしょうか」
「はい。大丈夫です。何か確認ですか?」
「はい。確認です」
アヤネさんは、いつも通り真面目な顔で頷いた。
その言い方に、私は少し安心した。アヤネさんの確認は、だいたい必要なことだ。救護用品の数、校舎内の危険箇所、帰還予定、備品の保管場所。細かくて、少し難しいけれど、きちんと意味がある。
だから、端末の画面を向けられた時も、私は資料か表だと思っていた。
映っていたのは、私だった。
柴関ラーメンのカウンター前で、水の入ったピッチャーを両手で抱えている私。目を丸くして、今にも「あっ」と言いそうな顔をしている。横からセリカさんの手が伸びていて、たぶんこぼしかけた瞬間だ。
私はしばらく画面を見つめた。
「……アヤネさん」
「はい」
「これ、何ですか」
「写真です」
「それは分かります」
「柴関ラーメンでのレナさんの労働記録です」
「労働記録って言うとすごく真面目そうですけど、これ完全に水をこぼしかけた瞬間ですよね?」
「こぼしてはいません」
「そこを正確に言われると反論しづらいです」
アヤネさんは真面目に頷いた。
「事実は大切です」
「大切ですけど、なぜこれを私に見せたんですか」
「アルバムに入れる候補だからです」
「入れるんですか!?」
声が少し大きくなってしまった。
アヤネさんは、驚いた様子もなく端末を操作する。次の写真が出る。
今度は、私がシロコさんに髪留めをつけてもらっているところだった。私は完全に照れている。自分で思っていたより顔が赤い。シロコさんの表情は真剣そのもので、まるで重要な任務中みたいだった。
「こちらは買い物時の記録です」
「これ、誰から……」
「シロコ先輩から共有されました。撮影者は店員さんだそうです」
「シロコさん、いつの間にそんなことを……」
「よく撮れています」
「よく撮れているから困ってるんです」
次の写真。
ノノミさんのお茶菓子の量を前に、目を丸くしている私。
その次は、セリカさんにエプロンの紐を結び直されて、なぜか背筋を伸ばして直立している私。
さらに、ホシノ先輩の近くで眠気と戦っている私。
そして、校庭でスカーフを風に揺らしながら、少しだけ笑っている私。
私は画面から顔を上げた。
「アヤネさん、私の変な顔、多くないですか?」
「自然体です」
「自然体への信頼が揺らぎます」
「作った表情より、ずっと良いと思います」
「褒められているのか、変な顔を肯定されているのか、判断に迷います」
「褒めています」
「もう少し褒め方を柔らかくしてほしいです」
アヤネさんは少し考えた。
「レナさんは、困っている時の表情がとても分かりやすく、記録として価値があります」
「柔らかくなってないです!」
思わずそう言うと、アヤネさんはほんの少しだけ目を瞬かせた。
それから、口元が小さく緩む。
笑った、と思った。
ほんの少しだけ。
でも、アヤネさんの笑顔を見ると、私の抗議の勢いは少し弱くなる。
「それで……このアルバムは?」
私は机の上の白いアルバムを見る。
表紙には、まだタイトルがない。けれど角には、小さなアビドスの印のようなシールが貼られていた。派手ではない。丁寧に、まっすぐ貼られている。
「レナさんのアビドス滞在記録を、本人確認の上で整理したいと思っています」
「言い方がもう業務なんですよ」
「本人確認は重要です。勝手に残すのは、よくありませんから」
その言葉に、胸の奥が少しだけ止まった。
勝手に残す。
勝手に切り取る。
勝手に見せる。
そこまで考えて、私は息を吸う。
ここは対策委員会室だ。机の上にあるのは、アヤネさんの端末と、白いアルバム。画面に映っているのは、私が水をこぼしかけたり、お菓子に困ったり、少し笑ったりしている写真。
あの白い光ではない。
あの粗い映像ではない。
分かっている。
でも、その言葉だけで少しだけ身体が強張ったのを、アヤネさんは見逃さなかった。
「すみません」
「いえ……大丈夫です」
「無理に進める必要はありません。見たくない写真、残したくない写真は、すべて除外します。これは、レナさんに確認していただくための時間です」
アヤネさんの声は丁寧だった。
でも、いつもの事務的な丁寧さだけではなかった。私が逃げられるように、扉を少し開けてくれているような声だった。
端末の画面が暗くなる。
アヤネさんは、私の返事を待っている。
急かさない。
押しつけない。
勝手に決めない。
私は、白いアルバムに視線を落とした。
「……見ます」
ゆっくり言った。
「嫌なものは、嫌って言います。でも、見たいです。アヤネさんが何を残そうとしてくれているのか、ちゃんと」
アヤネさんの目が、少しだけ揺れた。
「ありがとうございます」
それから、写真の確認が始まった。
アヤネさんは、一枚ずつ表示してくれた。採用、不採用、保留。その三つに分けるらしい。机の端には、小さな付箋まで用意されている。
最初の写真は、やっぱり水をこぼしかけた私だった。
「これは……」
「はい」
「恥ずかしいです」
「では不採用にしますか」
「いえ……保留で」
「保留ですね」
「アヤネさん、今ちょっと嬉しそうじゃないですか」
「気のせいです」
「本当に?」
「……少しだけ」
素直に認められて、私は笑ってしまった。
次の写真は、お茶菓子を前にした私。
「これは入れてもいいです」
「よろしいのですか?」
「ノノミさんのお菓子の量に負けてる感じがすごいですけど……でも、嫌ではないです。ちゃんと楽しかったので」
「分かりました。採用にします」
アヤネさんは丁寧にメモを取る。
その手つきが、いつもの書類作業と同じようで、でも少し違った。
大切なものを扱っている手だった。
次は、セリカさんにエプロンの紐を結び直されている写真。
私は写真を見て、少しだけ背中がむずむずした。
「この時、すごく厳しく結び直されたんです」
「そう見えます」
「でも、この写真は入れたいです」
「理由をお聞きしても?」
「エプロンの名前が、ちゃんと写っているので」
写真の中で、胸元に小さく刺繍された名前が見える。
レナ。
セリカさんが用意してくれた、私用のエプロン。
「……分かりました」
アヤネさんは、その写真を採用に入れた。
次は、買い物中の写真。
髪留めをつけられている私は、やっぱり顔が赤い。
「これは……」
「はい」
「かなり恥ずかしいです」
「不採用にしますか」
「……いえ、入れます」
自分で言って、少し照れた。
「シロコさんが選んでくれたものなので。あと、私、恥ずかしそうですけど、嫌そうじゃないので」
「はい。私もそう思います」
アヤネさんの声が少し柔らかい。
次は、校庭の写真だった。
私はそこで、言葉を止めた。
画面の中の私は、少し笑っている。
ノノミさんが隣にいて、私は誰かの袖を掴んでいる。少し前にはセリカさん、遠くにはシロコさんの姿。ホシノ先輩は後ろで立っている。先生が撮ってくれた写真らしい。
校庭。
あの場所。
でも、この写真には、白い光はない。
粗い映像も、音も、黒服の声もない。
あるのは砂と、校舎と、朝の光と、私たちだけ。
「これは……」
声が小さくなる。
アヤネさんは、すぐには言わなかった。
待ってくれている。
私は、画面を見つめる。
怖い。
少しだけ。
でも、それ以上に、残したいと思った。
「入れてください」
「……はい」
「ここが、あの時だけの場所じゃないって、私も覚えていたいので」
アヤネさんの手が、端末の上で少し止まった。
それから、丁寧に採用の印をつける。
「必ず、入れます」
その声が、少しだけ掠れていた。
何枚か確認したあと、私はふと気づいた。
写真の選び方が、妙に丁寧すぎる。
いや、アヤネさんはいつも丁寧だ。でも今回は、ただ整理しているというより、何かを一枚ずつ積み上げているみたいだった。写真を見て、私を見る。私が頷くと、少しだけ安心する。私が迷うと、何も言わずに待つ。
このアルバムは、思い出帳というより、もっと切実なものに見えた。
「アヤネさん」
「はい」
「このアルバム、そんなに大事ですか?」
アヤネさんの手が止まった。
端末の画面には、私がカップを持って笑っている写真が映っている。
沈黙が、少しだけ長くなる。
アヤネさんは目を伏せなかった。
「大事です」
静かに答えた。
「とても。……増やさないと、足りません」
「足りない?」
「はい」
アヤネさんは画面を見つめたまま、言葉を続けた。
「あの映像が、レナさんの記録としてどこかに残っていたことが、今でも許せません。ですから、私の手元には、それより多く残したいんです。レナさんが笑っている記録を。困っている記録を。怒られている記録を。お茶を飲んでいる記録を」
胸の奥が、静かに重くなった。
アヤネさんの声は、大きくない。
怒鳴っていない。
でも、その静けさが怖いくらい深かった。
「あれ一つで、レナさんを語らせたくありません。もし誰かがレナさんのことを記録で判断しようとするなら、私はその人の前に、レナさんがここで生きていた記録を山ほど積み上げたい」
ここで生きていた記録。
ただ笑っていたとか、遊んでいたとか、そういう軽い言い方ではなかった。
生きていた。
その言葉が、重くて、でも温かかった。
「楽しい記録で上書きしたい、という言い方は少し違うと思います。なかったことにはできませんし、するべきでもありません。でも、あれだけが残るのは嫌なんです。私の手元には、レナさんがここで過ごして、笑って、困って、ちゃんと日常の中にいた記録の方を多く残したい」
アヤネさんは、少しだけ息を吸った。
「正直に言うと、増やさないと不安になります。写真が一枚増えるたびに、レナさんがここにいたことを、あれとは違う形で確かめられる気がするんです」
私は、すぐに返事できなかった。
重い。
とても重い。
でも、それは私を閉じ込める重さではなかった。
アヤネさん自身が、あの映像と戦うために抱えている重さだった。記録で傷つけられたから、記録で守りたい。勝手に残されたものに対して、今度は私の許可を取りながら、私が嫌じゃない形で残したい。
その気持ちが、怖いくらい真っ直ぐだった。
「……アヤネさん」
「はい」
「それ、かなり重いです」
「そう、でしょうか」
「かなり」
「すみません」
「でも、嫌じゃないです」
アヤネさんが、わずかに目を見開いた。
私は、画面の中の自分を見た。
カップを持って笑っている私。
少し照れて、少し困って、でもちゃんとそこにいる私。
「私も、あれだけじゃないって思いたいです。だから……アヤネさんが残してくれるなら、少し安心します」
アヤネさんの表情が、ほんの少し崩れた。
泣きそう、というほどではない。
でも、いつもの冷静な線が、少しだけ柔らかくなる。
「はい」
小さな返事だった。
「残します。必ず」
それから、アヤネさんはアルバムを開いた。
白いページが並んでいる。
思ったより、かなり多い。
私はページを見て、思わず言った。
「アヤネさん」
「はい」
「空きページ、多くないですか?」
「はい」
「何年分ですか?」
「足りなくなったら増やします」
「当然みたいに言いますね」
「これで終わりにするつもりはありませんから」
アヤネさんは、まっすぐ私を見た。
言葉は穏やかなのに、その目だけが強かった。
「レナさんがアビドスに来るたびに、増えます。写真でなくても構いません。レシートでも、メモでも、柴関ラーメンのエプロンの替え紐でも、買い物のタグでも、お茶会のカードでも。レナさんがここにいたものなら、残せます」
「それ、私がずっと来る前提ですよね」
「違います」
即答だった。
少しだけ胸がきゅっとした。
けれど、アヤネさんはすぐに続ける。
「ずっと来てほしいという希望です。予定ではありません。予定にすると、レナさんを縛ってしまうので」
アヤネさんは、白いページをそっと撫でた。
「だから、空けています。ここに入る日が来てもいいように」
その言葉に、息が詰まった。
空白のページ。
何もない場所。
でもそれは、空っぽではなかった。
待っている場所だった。
私がまたここへ来て、何かをして、失敗して、怒られて、笑って、困って、少しずつ増えていくための場所。
その白さが、少しだけ怖い。
でも、嬉しい。
「アヤネさん」
「はい」
「私、たぶんまた変な顔しますよ」
「構いません」
「水もこぼしかけるかもしれません」
「こぼしたら、セリカちゃんに怒られる記録になります」
「それも残すんですか」
「レナさんが許可すれば」
「許可しない可能性はあります」
「その場合は、私の記憶にだけ残します」
「それはそれで恥ずかしいです」
アヤネさんは少しだけ微笑んだ。
さっきより、ちゃんと笑っていた。
その笑顔を見て、私はふと思った。
「そういえば」
「はい」
「アヤネさんの写真はないんですか?」
アヤネさんが固まった。
分かりやすく、完全に固まった。
「私、ですか」
「はい。アヤネさん、撮る側ばっかりですよね」
「私は記録を整理する側ですので」
「でも、アヤネさんもここにいますよね」
そう言うと、アヤネさんは返事に詰まった。
私はアルバムの白いページを見る。
「私がここにいた記録なら、アヤネさんが一緒にいた記録も欲しいです。アヤネさんが端末を置いて手を握ってくれたこととか、こうして写真を選んでくれてることとか。そういうのも、私にとっては残したいものなので」
アヤネさんの頬が、少しだけ赤くなった。
「それは……」
「だめですか?」
「だめでは、ありません」
「じゃあ、一緒に撮りましょう」
「今ですか?」
「今です」
「しかし、撮影環境が……」
「机の上に端末を置いて、タイマーで撮れませんか?」
「可能ですが、角度と光量の調整が必要です」
「お願いします」
アヤネさんは少しだけ迷った。
でも、結局端末を手に取る。
そこからが長かった。
端末の角度。
光の入り方。
机の上のアルバムの位置。
私の座る場所。
アヤネさん自身の姿勢。
背景に余計な物が映り込まないか。
全部を確認し始めた。
「アヤネさん、証明写真撮るわけじゃないですよ?」
「後で見返す可能性がある写真ですので、整えておくに越したことはありません」
「やっぱり真面目だ……」
「レナさん、もう少し右へ」
「はい」
「いえ、少し行きすぎです。半歩戻ってください」
「半歩」
「そこで大丈夫です」
私は椅子に座り直す。
アヤネさんは隣に座った。
いつも机の向こうにいることが多いから、こうして隣に並ぶと少し不思議だった。距離が近い。けれど、落ち着く近さだ。
「アヤネさん、緊張してます?」
「……少し」
「写真、苦手ですか?」
「苦手というより、慣れていません。自分が写る側になることが少ないので」
「じゃあ今日は、記録される側ですね」
「そうですね」
アヤネさんは小さく息を吸った。
私は端末の画面を見る。
そこには、私とアヤネさんが並んで映っていた。
私は少し笑っている。
アヤネさんは、まだ表情が硬い。
「アヤネさん」
「はい」
「そんなに固い顔だと、私が怒られてるみたいに見えます」
「す、すみません」
「謝らなくていいです。ほら、少しだけ笑ってください」
「笑顔を作ろうとすると、余計に不自然になる気がします」
「じゃあ、無理に作らなくてもいいです。さっきみたいに」
「さっき?」
「写真を選んでる時、少し笑ってました」
アヤネさんが私を見る。
私は、画面ではなくアヤネさんを見る。
「私、あの顔好きです」
アヤネさんの目が揺れた。
そして、ほんの少しだけ口元が緩む。
その瞬間に、タイマーの音がした。
三。
二。
一。
小さな電子音。
写真が撮れた。
画面に映った二人は、少しぎこちなかった。
でも、アヤネさんはちゃんと笑っていた。
控えめで、少し照れていて、でも確かに笑っていた。
「……撮れましたね」
「はい」
「アヤネさん、笑ってます」
「レナさんも笑っています」
「それは、アヤネさんが笑ったからです」
アヤネさんがまた少し赤くなった。
「この写真も、入れていいですか?」
私は聞いた。
今度は、私が許可を取る番だった。
アヤネさんは、画面の写真を見つめた。
長い沈黙ではなかった。
でも、とても丁寧に考えているのが分かった。
「はい」
アヤネさんは答えた。
「入れたいです」
その声が、すごく大事そうだった。
アヤネさんは写真を保存して、アルバムの最初のページを開いた。印刷は後になるらしいけれど、どこに入れるかを決めたいのだという。
最初のページ。
そこに、私とアヤネさんの写真を入れる予定の印をつける。
「最初でいいんですか?」
「はい」
「私一人の写真じゃなくて?」
「はい。レナさんがここで笑っている記録であり、私がそれを一緒に残した記録でもありますから」
アヤネさんは、付箋に小さな文字を書いた。
字は相変わらず綺麗だった。
レナさんが、ここで笑っていた日。
私はそれを見て、少しだけ照れた。
「アヤネさん、直球ですね」
「分かりやすさは重要です」
「そうですけど」
「嫌ですか?」
私は首を振った。
「嫌じゃないです。でも、少しだけ足してもいいですか」
「どうぞ」
私はペンを受け取った。
アヤネさんの字の下に、小さく書き足す。
アヤネさんも、笑っていた日。
書いた瞬間、アヤネさんが固まった。
「レナさん」
「はい」
「これは……」
「事実です」
「事実ではありますが」
「事実は大切なんですよね?」
さっきアヤネさんが言った言葉を返すと、アヤネさんは何も言えなくなった。
少しだけ困った顔。
でも、嫌そうではない。
私は笑った。
「この写真も、あれとは違う記録です」
アヤネさんの目が、少しだけ柔らかくなる。
「はい」
「私だけじゃなくて、アヤネさんがここにいた記録でもあります」
「……はい」
「だから、残しましょう」
アヤネさんは、付箋を見つめた。
レナさんが、ここで笑っていた日。
アヤネさんも、笑っていた日。
その二行を、指でそっと押さえる。
「分かりました」
声が小さかった。
「残します」
その後も、写真確認は続いた。
水をこぼしかけた写真は、結局保留になった。
お菓子に困っている写真は採用。
エプロンの写真も採用。
買い物の写真は少し悩んで採用。
麺をすすろうとして失敗している写真は、私の強い希望で不採用になった。アヤネさんは最後まで少し未練がありそうだった。
「アヤネさん、本当に入れたそうですね」
「貴重な食事記録なので」
「食事記録にしては顔が必死すぎるんです」
「そこが自然体で良いと思ったのですが」
「自然体を盾にしないでください」
そんなやり取りをしながら、アルバムの最初の構成が決まっていく。
写真はまだ印刷されていない。
でも、ページの順番と、付箋の言葉だけで、少しずつ形になっていく気がした。
怖い記録とは違う。
誰かに見せつけるためではない。
私が許可して、アヤネさんが選んで、二人で残していくもの。
その違いが、こんなにも大きいのだと、私は初めて実感した。
夕方になって、窓の外の砂が少し濃くなった。
部屋の中には、まだ私とアヤネさんだけがいた。机の上には端末、白いアルバム、付箋、採用写真のリスト。お茶は少し冷めている。
アヤネさんが端末を閉じた。
「今日はここまでにしましょうか。長く確認してしまいましたし、疲れていませんか?」
「少し。でも、大丈夫です」
「無理はしないでくださいね」
「はい。アヤネさんも」
「私ですか?」
「はい。ずっと集中してましたし」
アヤネさんは少し驚いたように瞬きをした。
それから、自分の肩に軽く手を置く。
「そうですね。少し、力が入っていたかもしれません」
「写真、重かったですか?」
そう聞くと、アヤネさんは少しだけ困った顔をした。
「重かったです。でも、嫌な重さではありませんでした」
「分かります」
私もアルバムを見る。
「私も、重かったです。でも、嫌じゃなかった」
アヤネさんの目がこちらを向く。
私は続けた。
「あの映像のことを思い出さないわけじゃないです。でも、今日写真を見ていたら、それだけじゃないって思えました。私、水こぼしかけてるし、変な顔してるし、照れてるし、眠そうだし……でも、ちゃんとここにいる」
アヤネさんは何も言わなかった。
ただ聞いてくれていた。
「アヤネさんが残そうとしてくれているものは、私を閉じ込めるものじゃなくて、私がここにいていいって分かるものだと思いました」
「……そう思っていただけたなら、よかったです」
アヤネさんの声は、少しだけ震えていた。
「私は、少し怖かったんです。レナさんに、また記録という形で負担をかけてしまうのではないかと」
「怖かったです」
正直に言った。
アヤネさんの肩が小さく揺れる。
でも、私はすぐに続けた。
「でも、それより嬉しかったです。アヤネさんが、ちゃんと聞いてくれたので。残していいか、見ていいか、嫌じゃないかって」
それは、すごく大きかった。
勝手ではない。
私が選べる。
それだけで、同じ写真でもまったく違うものになる。
「だから、また撮りましょう」
「はい」
「でも、変な写真は少なめで」
「善処します」
「アヤネさんの善処、少し信用できないです」
「努力します」
「言い換えた」
アヤネさんが、少しだけ笑った。
私はそれを見て、さっきの写真を思い出す。
アヤネさんも、笑っていた日。
あの付箋は、最初のページに残る。
そのことが、少し嬉しかった。
机の上のアルバムは、まだ空白が多い。
でも、その空白はもう怖いだけではなかった。
待っている場所。
これから増えていく場所。
私がまたここに来て、アヤネさんが端末を構えて、私が「変な顔はやめてください」と抗議して、アヤネさんが「自然体です」と真面目に返す。そんな日が、きっとまた来る。
そう思えた。
「レナさん」
「はい」
「次に写真を撮る時は、事前に確認します」
「はい」
「ですが、自然体の写真も少しは残したいです」
「やっぱり」
「だめでしょうか」
アヤネさんが、珍しく少しだけ伺うように聞いた。
私は考える。
「じゃあ、条件があります」
「何でしょうか」
「自然体を撮るなら、アヤネさんも一緒に自然体で写ってください」
「私も、ですか」
「はい。撮る側だけ禁止です」
アヤネさんは困ったように目を伏せた。
けれど、しばらくして小さく頷く。
「分かりました。努力します」
「善処じゃないんですね」
「今回は、努力します」
「じゃあ信じます」
アヤネさんは、白いアルバムをそっと閉じた。
表紙には、まだ正式なタイトルはない。
けれど、最初のページに入る写真と、その下に貼る付箋はもう決まっている。
レナさんが、ここで笑っていた日。
アヤネさんも、笑っていた日。
それは、あれより多く残していく記録の、最初の一枚になる。
私はアルバムの表紙にそっと触れた。
「アヤネさん」
「はい」
「これ、大事にします」
「はい」
アヤネさんは、少しだけ間を置いてから言った。
「私も、大事にします。レナさんが嫌にならない形で。レナさんが、残っていていいと思える形で」
その言葉が、静かに胸に落ちた。
怖い記録は、まだ消えない。
でも、今日一つ増えた。
私が笑っていて、アヤネさんも笑っていて、二人でそれを残すと決めた記録が。
それは、白いページの上で、まだ小さな約束みたいに待っていた。
ifストーリーを投稿しようと思っています。ある程度全部投稿する予定ですが、真っ先にどれが見たいですか?
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レナが最強格の世界線
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甘え上手で小悪魔な世界線
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物理的に食べられる世界線
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好かれすぎて殺されそうになる世界線