戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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24話 あれより多くの笑ってる記憶を

 

 

 アヤネさんに呼ばれた時、私は少しだけ身構えた。

 

 対策委員会室の机の上には、端末が一台と、まだ何も貼られていない白いアルバムが置かれていた。窓の外では砂が薄く流れている。午後の日差しは強すぎず、部屋の中には紙と機械の熱、それから少し冷めたお茶の匂いがあった。

 

 シロコさんは見回りに出ている。セリカさんは柴関ラーメンへ行っていて、ノノミさんは物資置き場の整理、ホシノ先輩はどこかで「見回りという名の休憩」をしているらしい。

 

 つまり、部屋にいるのは私とアヤネさんだけだった。

 

「レナさん、お時間よろしいでしょうか」

 

「はい。大丈夫です。何か確認ですか?」

 

「はい。確認です」

 

 アヤネさんは、いつも通り真面目な顔で頷いた。

 

 その言い方に、私は少し安心した。アヤネさんの確認は、だいたい必要なことだ。救護用品の数、校舎内の危険箇所、帰還予定、備品の保管場所。細かくて、少し難しいけれど、きちんと意味がある。

 

 だから、端末の画面を向けられた時も、私は資料か表だと思っていた。

 

 映っていたのは、私だった。

 

 柴関ラーメンのカウンター前で、水の入ったピッチャーを両手で抱えている私。目を丸くして、今にも「あっ」と言いそうな顔をしている。横からセリカさんの手が伸びていて、たぶんこぼしかけた瞬間だ。

 

 私はしばらく画面を見つめた。

 

「……アヤネさん」

 

「はい」

 

「これ、何ですか」

 

「写真です」

 

「それは分かります」

 

「柴関ラーメンでのレナさんの労働記録です」

 

「労働記録って言うとすごく真面目そうですけど、これ完全に水をこぼしかけた瞬間ですよね?」

 

「こぼしてはいません」

 

「そこを正確に言われると反論しづらいです」

 

 アヤネさんは真面目に頷いた。

 

「事実は大切です」

 

「大切ですけど、なぜこれを私に見せたんですか」

 

「アルバムに入れる候補だからです」

 

「入れるんですか!?」

 

 声が少し大きくなってしまった。

 

 アヤネさんは、驚いた様子もなく端末を操作する。次の写真が出る。

 

 今度は、私がシロコさんに髪留めをつけてもらっているところだった。私は完全に照れている。自分で思っていたより顔が赤い。シロコさんの表情は真剣そのもので、まるで重要な任務中みたいだった。

 

「こちらは買い物時の記録です」

 

「これ、誰から……」

 

「シロコ先輩から共有されました。撮影者は店員さんだそうです」

 

「シロコさん、いつの間にそんなことを……」

 

「よく撮れています」

 

「よく撮れているから困ってるんです」

 

 次の写真。

 

 ノノミさんのお茶菓子の量を前に、目を丸くしている私。

 

 その次は、セリカさんにエプロンの紐を結び直されて、なぜか背筋を伸ばして直立している私。

 

 さらに、ホシノ先輩の近くで眠気と戦っている私。

 

 そして、校庭でスカーフを風に揺らしながら、少しだけ笑っている私。

 

 私は画面から顔を上げた。

 

「アヤネさん、私の変な顔、多くないですか?」

 

「自然体です」

 

「自然体への信頼が揺らぎます」

 

「作った表情より、ずっと良いと思います」

 

「褒められているのか、変な顔を肯定されているのか、判断に迷います」

 

「褒めています」

 

「もう少し褒め方を柔らかくしてほしいです」

 

 アヤネさんは少し考えた。

 

「レナさんは、困っている時の表情がとても分かりやすく、記録として価値があります」

 

「柔らかくなってないです!」

 

 思わずそう言うと、アヤネさんはほんの少しだけ目を瞬かせた。

 

 それから、口元が小さく緩む。

 

 笑った、と思った。

 

 ほんの少しだけ。

 

 でも、アヤネさんの笑顔を見ると、私の抗議の勢いは少し弱くなる。

 

「それで……このアルバムは?」

 

 私は机の上の白いアルバムを見る。

 

 表紙には、まだタイトルがない。けれど角には、小さなアビドスの印のようなシールが貼られていた。派手ではない。丁寧に、まっすぐ貼られている。

 

「レナさんのアビドス滞在記録を、本人確認の上で整理したいと思っています」

 

「言い方がもう業務なんですよ」

 

「本人確認は重要です。勝手に残すのは、よくありませんから」

 

 その言葉に、胸の奥が少しだけ止まった。

 

 勝手に残す。

 

 勝手に切り取る。

 

 勝手に見せる。

 

 そこまで考えて、私は息を吸う。

 

 ここは対策委員会室だ。机の上にあるのは、アヤネさんの端末と、白いアルバム。画面に映っているのは、私が水をこぼしかけたり、お菓子に困ったり、少し笑ったりしている写真。

 

 あの白い光ではない。

 

 あの粗い映像ではない。

 

 分かっている。

 

 でも、その言葉だけで少しだけ身体が強張ったのを、アヤネさんは見逃さなかった。

 

「すみません」

 

「いえ……大丈夫です」

 

「無理に進める必要はありません。見たくない写真、残したくない写真は、すべて除外します。これは、レナさんに確認していただくための時間です」

 

 アヤネさんの声は丁寧だった。

 

 でも、いつもの事務的な丁寧さだけではなかった。私が逃げられるように、扉を少し開けてくれているような声だった。

 

 端末の画面が暗くなる。

 

 アヤネさんは、私の返事を待っている。

 

 急かさない。

 

 押しつけない。

 

 勝手に決めない。

 

 私は、白いアルバムに視線を落とした。

 

「……見ます」

 

 ゆっくり言った。

 

「嫌なものは、嫌って言います。でも、見たいです。アヤネさんが何を残そうとしてくれているのか、ちゃんと」

 

 アヤネさんの目が、少しだけ揺れた。

 

「ありがとうございます」

 

 それから、写真の確認が始まった。

 

 アヤネさんは、一枚ずつ表示してくれた。採用、不採用、保留。その三つに分けるらしい。机の端には、小さな付箋まで用意されている。

 

 最初の写真は、やっぱり水をこぼしかけた私だった。

 

「これは……」

 

「はい」

 

「恥ずかしいです」

 

「では不採用にしますか」

 

「いえ……保留で」

 

「保留ですね」

 

「アヤネさん、今ちょっと嬉しそうじゃないですか」

 

「気のせいです」

 

「本当に?」

 

「……少しだけ」

 

 素直に認められて、私は笑ってしまった。

 

 次の写真は、お茶菓子を前にした私。

 

「これは入れてもいいです」

 

「よろしいのですか?」

 

「ノノミさんのお菓子の量に負けてる感じがすごいですけど……でも、嫌ではないです。ちゃんと楽しかったので」

 

「分かりました。採用にします」

 

 アヤネさんは丁寧にメモを取る。

 

 その手つきが、いつもの書類作業と同じようで、でも少し違った。

 

 大切なものを扱っている手だった。

 

 次は、セリカさんにエプロンの紐を結び直されている写真。

 

 私は写真を見て、少しだけ背中がむずむずした。

 

「この時、すごく厳しく結び直されたんです」

 

「そう見えます」

 

「でも、この写真は入れたいです」

 

「理由をお聞きしても?」

 

「エプロンの名前が、ちゃんと写っているので」

 

 写真の中で、胸元に小さく刺繍された名前が見える。

 

 レナ。

 

 セリカさんが用意してくれた、私用のエプロン。

 

「……分かりました」

 

 アヤネさんは、その写真を採用に入れた。

 

 次は、買い物中の写真。

 

 髪留めをつけられている私は、やっぱり顔が赤い。

 

「これは……」

 

「はい」

 

「かなり恥ずかしいです」

 

「不採用にしますか」

 

「……いえ、入れます」

 

 自分で言って、少し照れた。

 

「シロコさんが選んでくれたものなので。あと、私、恥ずかしそうですけど、嫌そうじゃないので」

 

「はい。私もそう思います」

 

 アヤネさんの声が少し柔らかい。

 

 次は、校庭の写真だった。

 

 私はそこで、言葉を止めた。

 

 画面の中の私は、少し笑っている。

 

 ノノミさんが隣にいて、私は誰かの袖を掴んでいる。少し前にはセリカさん、遠くにはシロコさんの姿。ホシノ先輩は後ろで立っている。先生が撮ってくれた写真らしい。

 

 校庭。

 

 あの場所。

 

 でも、この写真には、白い光はない。

 

 粗い映像も、音も、黒服の声もない。

 

 あるのは砂と、校舎と、朝の光と、私たちだけ。

 

「これは……」

 

 声が小さくなる。

 

 アヤネさんは、すぐには言わなかった。

 

 待ってくれている。

 

 私は、画面を見つめる。

 

 怖い。

 

 少しだけ。

 

 でも、それ以上に、残したいと思った。

 

「入れてください」

 

「……はい」

 

「ここが、あの時だけの場所じゃないって、私も覚えていたいので」

 

 アヤネさんの手が、端末の上で少し止まった。

 

 それから、丁寧に採用の印をつける。

 

「必ず、入れます」

 

 その声が、少しだけ掠れていた。

 

 何枚か確認したあと、私はふと気づいた。

 

 写真の選び方が、妙に丁寧すぎる。

 

 いや、アヤネさんはいつも丁寧だ。でも今回は、ただ整理しているというより、何かを一枚ずつ積み上げているみたいだった。写真を見て、私を見る。私が頷くと、少しだけ安心する。私が迷うと、何も言わずに待つ。

 

 このアルバムは、思い出帳というより、もっと切実なものに見えた。

 

「アヤネさん」

 

「はい」

 

「このアルバム、そんなに大事ですか?」

 

 アヤネさんの手が止まった。

 

 端末の画面には、私がカップを持って笑っている写真が映っている。

 

 沈黙が、少しだけ長くなる。

 

 アヤネさんは目を伏せなかった。

 

「大事です」

 

 静かに答えた。

 

「とても。……増やさないと、足りません」

 

「足りない?」

 

「はい」

 

 アヤネさんは画面を見つめたまま、言葉を続けた。

 

「あの映像が、レナさんの記録としてどこかに残っていたことが、今でも許せません。ですから、私の手元には、それより多く残したいんです。レナさんが笑っている記録を。困っている記録を。怒られている記録を。お茶を飲んでいる記録を」

 

 胸の奥が、静かに重くなった。

 

 アヤネさんの声は、大きくない。

 

 怒鳴っていない。

 

 でも、その静けさが怖いくらい深かった。

 

「あれ一つで、レナさんを語らせたくありません。もし誰かがレナさんのことを記録で判断しようとするなら、私はその人の前に、レナさんがここで生きていた記録を山ほど積み上げたい」

 

 ここで生きていた記録。

 

 ただ笑っていたとか、遊んでいたとか、そういう軽い言い方ではなかった。

 

 生きていた。

 

 その言葉が、重くて、でも温かかった。

 

「楽しい記録で上書きしたい、という言い方は少し違うと思います。なかったことにはできませんし、するべきでもありません。でも、あれだけが残るのは嫌なんです。私の手元には、レナさんがここで過ごして、笑って、困って、ちゃんと日常の中にいた記録の方を多く残したい」

 

 アヤネさんは、少しだけ息を吸った。

 

「正直に言うと、増やさないと不安になります。写真が一枚増えるたびに、レナさんがここにいたことを、あれとは違う形で確かめられる気がするんです」

 

 私は、すぐに返事できなかった。

 

 重い。

 

 とても重い。

 

 でも、それは私を閉じ込める重さではなかった。

 

 アヤネさん自身が、あの映像と戦うために抱えている重さだった。記録で傷つけられたから、記録で守りたい。勝手に残されたものに対して、今度は私の許可を取りながら、私が嫌じゃない形で残したい。

 

 その気持ちが、怖いくらい真っ直ぐだった。

 

「……アヤネさん」

 

「はい」

 

「それ、かなり重いです」

 

「そう、でしょうか」

 

「かなり」

 

「すみません」

 

「でも、嫌じゃないです」

 

 アヤネさんが、わずかに目を見開いた。

 

 私は、画面の中の自分を見た。

 

 カップを持って笑っている私。

 

 少し照れて、少し困って、でもちゃんとそこにいる私。

 

「私も、あれだけじゃないって思いたいです。だから……アヤネさんが残してくれるなら、少し安心します」

 

 アヤネさんの表情が、ほんの少し崩れた。

 

 泣きそう、というほどではない。

 

 でも、いつもの冷静な線が、少しだけ柔らかくなる。

 

「はい」

 

 小さな返事だった。

 

「残します。必ず」

 

 それから、アヤネさんはアルバムを開いた。

 

 白いページが並んでいる。

 

 思ったより、かなり多い。

 

 私はページを見て、思わず言った。

 

「アヤネさん」

 

「はい」

 

「空きページ、多くないですか?」

 

「はい」

 

「何年分ですか?」

 

「足りなくなったら増やします」

 

「当然みたいに言いますね」

 

「これで終わりにするつもりはありませんから」

 

 アヤネさんは、まっすぐ私を見た。

 

 言葉は穏やかなのに、その目だけが強かった。

 

「レナさんがアビドスに来るたびに、増えます。写真でなくても構いません。レシートでも、メモでも、柴関ラーメンのエプロンの替え紐でも、買い物のタグでも、お茶会のカードでも。レナさんがここにいたものなら、残せます」

 

「それ、私がずっと来る前提ですよね」

 

「違います」

 

 即答だった。

 

 少しだけ胸がきゅっとした。

 

 けれど、アヤネさんはすぐに続ける。

 

「ずっと来てほしいという希望です。予定ではありません。予定にすると、レナさんを縛ってしまうので」

 

 アヤネさんは、白いページをそっと撫でた。

 

「だから、空けています。ここに入る日が来てもいいように」

 

 その言葉に、息が詰まった。

 

 空白のページ。

 

 何もない場所。

 

 でもそれは、空っぽではなかった。

 

 待っている場所だった。

 

 私がまたここへ来て、何かをして、失敗して、怒られて、笑って、困って、少しずつ増えていくための場所。

 

 その白さが、少しだけ怖い。

 

 でも、嬉しい。

 

「アヤネさん」

 

「はい」

 

「私、たぶんまた変な顔しますよ」

 

「構いません」

 

「水もこぼしかけるかもしれません」

 

「こぼしたら、セリカちゃんに怒られる記録になります」

 

「それも残すんですか」

 

「レナさんが許可すれば」

 

「許可しない可能性はあります」

 

「その場合は、私の記憶にだけ残します」

 

「それはそれで恥ずかしいです」

 

 アヤネさんは少しだけ微笑んだ。

 

 さっきより、ちゃんと笑っていた。

 

 その笑顔を見て、私はふと思った。

 

「そういえば」

 

「はい」

 

「アヤネさんの写真はないんですか?」

 

 アヤネさんが固まった。

 

 分かりやすく、完全に固まった。

 

「私、ですか」

 

「はい。アヤネさん、撮る側ばっかりですよね」

 

「私は記録を整理する側ですので」

 

「でも、アヤネさんもここにいますよね」

 

 そう言うと、アヤネさんは返事に詰まった。

 

 私はアルバムの白いページを見る。

 

「私がここにいた記録なら、アヤネさんが一緒にいた記録も欲しいです。アヤネさんが端末を置いて手を握ってくれたこととか、こうして写真を選んでくれてることとか。そういうのも、私にとっては残したいものなので」

 

 アヤネさんの頬が、少しだけ赤くなった。

 

「それは……」

 

「だめですか?」

 

「だめでは、ありません」

 

「じゃあ、一緒に撮りましょう」

 

「今ですか?」

 

「今です」

 

「しかし、撮影環境が……」

 

「机の上に端末を置いて、タイマーで撮れませんか?」

 

「可能ですが、角度と光量の調整が必要です」

 

「お願いします」

 

 アヤネさんは少しだけ迷った。

 

 でも、結局端末を手に取る。

 

 そこからが長かった。

 

 端末の角度。

 

 光の入り方。

 

 机の上のアルバムの位置。

 

 私の座る場所。

 

 アヤネさん自身の姿勢。

 

 背景に余計な物が映り込まないか。

 

 全部を確認し始めた。

 

「アヤネさん、証明写真撮るわけじゃないですよ?」

 

「後で見返す可能性がある写真ですので、整えておくに越したことはありません」

 

「やっぱり真面目だ……」

 

「レナさん、もう少し右へ」

 

「はい」

 

「いえ、少し行きすぎです。半歩戻ってください」

 

「半歩」

 

「そこで大丈夫です」

 

 私は椅子に座り直す。

 

 アヤネさんは隣に座った。

 

 いつも机の向こうにいることが多いから、こうして隣に並ぶと少し不思議だった。距離が近い。けれど、落ち着く近さだ。

 

「アヤネさん、緊張してます?」

 

「……少し」

 

「写真、苦手ですか?」

 

「苦手というより、慣れていません。自分が写る側になることが少ないので」

 

「じゃあ今日は、記録される側ですね」

 

「そうですね」

 

 アヤネさんは小さく息を吸った。

 

 私は端末の画面を見る。

 

 そこには、私とアヤネさんが並んで映っていた。

 

 私は少し笑っている。

 

 アヤネさんは、まだ表情が硬い。

 

「アヤネさん」

 

「はい」

 

「そんなに固い顔だと、私が怒られてるみたいに見えます」

 

「す、すみません」

 

「謝らなくていいです。ほら、少しだけ笑ってください」

 

「笑顔を作ろうとすると、余計に不自然になる気がします」

 

「じゃあ、無理に作らなくてもいいです。さっきみたいに」

 

「さっき?」

 

「写真を選んでる時、少し笑ってました」

 

 アヤネさんが私を見る。

 

 私は、画面ではなくアヤネさんを見る。

 

「私、あの顔好きです」

 

 アヤネさんの目が揺れた。

 

 そして、ほんの少しだけ口元が緩む。

 

 その瞬間に、タイマーの音がした。

 

 三。

 

 二。

 

 一。

 

 小さな電子音。

 

 写真が撮れた。

 

 画面に映った二人は、少しぎこちなかった。

 

 でも、アヤネさんはちゃんと笑っていた。

 

 控えめで、少し照れていて、でも確かに笑っていた。

 

「……撮れましたね」

 

「はい」

 

「アヤネさん、笑ってます」

 

「レナさんも笑っています」

 

「それは、アヤネさんが笑ったからです」

 

 アヤネさんがまた少し赤くなった。

 

「この写真も、入れていいですか?」

 

 私は聞いた。

 

 今度は、私が許可を取る番だった。

 

 アヤネさんは、画面の写真を見つめた。

 

 長い沈黙ではなかった。

 

 でも、とても丁寧に考えているのが分かった。

 

「はい」

 

 アヤネさんは答えた。

 

「入れたいです」

 

 その声が、すごく大事そうだった。

 

 アヤネさんは写真を保存して、アルバムの最初のページを開いた。印刷は後になるらしいけれど、どこに入れるかを決めたいのだという。

 

 最初のページ。

 

 そこに、私とアヤネさんの写真を入れる予定の印をつける。

 

「最初でいいんですか?」

 

「はい」

 

「私一人の写真じゃなくて?」

 

「はい。レナさんがここで笑っている記録であり、私がそれを一緒に残した記録でもありますから」

 

 アヤネさんは、付箋に小さな文字を書いた。

 

 字は相変わらず綺麗だった。

 

 レナさんが、ここで笑っていた日。

 

 私はそれを見て、少しだけ照れた。

 

「アヤネさん、直球ですね」

 

「分かりやすさは重要です」

 

「そうですけど」

 

「嫌ですか?」

 

 私は首を振った。

 

「嫌じゃないです。でも、少しだけ足してもいいですか」

 

「どうぞ」

 

 私はペンを受け取った。

 

 アヤネさんの字の下に、小さく書き足す。

 

 アヤネさんも、笑っていた日。

 

 書いた瞬間、アヤネさんが固まった。

 

「レナさん」

 

「はい」

 

「これは……」

 

「事実です」

 

「事実ではありますが」

 

「事実は大切なんですよね?」

 

 さっきアヤネさんが言った言葉を返すと、アヤネさんは何も言えなくなった。

 

 少しだけ困った顔。

 

 でも、嫌そうではない。

 

 私は笑った。

 

「この写真も、あれとは違う記録です」

 

 アヤネさんの目が、少しだけ柔らかくなる。

 

「はい」

 

「私だけじゃなくて、アヤネさんがここにいた記録でもあります」

 

「……はい」

 

「だから、残しましょう」

 

 アヤネさんは、付箋を見つめた。

 

 レナさんが、ここで笑っていた日。

 

 アヤネさんも、笑っていた日。

 

 その二行を、指でそっと押さえる。

 

「分かりました」

 

 声が小さかった。

 

「残します」

 

 その後も、写真確認は続いた。

 

 水をこぼしかけた写真は、結局保留になった。

 

 お菓子に困っている写真は採用。

 

 エプロンの写真も採用。

 

 買い物の写真は少し悩んで採用。

 

 麺をすすろうとして失敗している写真は、私の強い希望で不採用になった。アヤネさんは最後まで少し未練がありそうだった。

 

「アヤネさん、本当に入れたそうですね」

 

「貴重な食事記録なので」

 

「食事記録にしては顔が必死すぎるんです」

 

「そこが自然体で良いと思ったのですが」

 

「自然体を盾にしないでください」

 

 そんなやり取りをしながら、アルバムの最初の構成が決まっていく。

 

 写真はまだ印刷されていない。

 

 でも、ページの順番と、付箋の言葉だけで、少しずつ形になっていく気がした。

 

 怖い記録とは違う。

 

 誰かに見せつけるためではない。

 

 私が許可して、アヤネさんが選んで、二人で残していくもの。

 

 その違いが、こんなにも大きいのだと、私は初めて実感した。

 

 夕方になって、窓の外の砂が少し濃くなった。

 

 部屋の中には、まだ私とアヤネさんだけがいた。机の上には端末、白いアルバム、付箋、採用写真のリスト。お茶は少し冷めている。

 

 アヤネさんが端末を閉じた。

 

「今日はここまでにしましょうか。長く確認してしまいましたし、疲れていませんか?」

 

「少し。でも、大丈夫です」

 

「無理はしないでくださいね」

 

「はい。アヤネさんも」

 

「私ですか?」

 

「はい。ずっと集中してましたし」

 

 アヤネさんは少し驚いたように瞬きをした。

 

 それから、自分の肩に軽く手を置く。

 

「そうですね。少し、力が入っていたかもしれません」

 

「写真、重かったですか?」

 

 そう聞くと、アヤネさんは少しだけ困った顔をした。

 

「重かったです。でも、嫌な重さではありませんでした」

 

「分かります」

 

 私もアルバムを見る。

 

「私も、重かったです。でも、嫌じゃなかった」

 

 アヤネさんの目がこちらを向く。

 

 私は続けた。

 

「あの映像のことを思い出さないわけじゃないです。でも、今日写真を見ていたら、それだけじゃないって思えました。私、水こぼしかけてるし、変な顔してるし、照れてるし、眠そうだし……でも、ちゃんとここにいる」

 

 アヤネさんは何も言わなかった。

 

 ただ聞いてくれていた。

 

「アヤネさんが残そうとしてくれているものは、私を閉じ込めるものじゃなくて、私がここにいていいって分かるものだと思いました」

 

「……そう思っていただけたなら、よかったです」

 

 アヤネさんの声は、少しだけ震えていた。

 

「私は、少し怖かったんです。レナさんに、また記録という形で負担をかけてしまうのではないかと」

 

「怖かったです」

 

 正直に言った。

 

 アヤネさんの肩が小さく揺れる。

 

 でも、私はすぐに続けた。

 

「でも、それより嬉しかったです。アヤネさんが、ちゃんと聞いてくれたので。残していいか、見ていいか、嫌じゃないかって」

 

 それは、すごく大きかった。

 

 勝手ではない。

 

 私が選べる。

 

 それだけで、同じ写真でもまったく違うものになる。

 

「だから、また撮りましょう」

 

「はい」

 

「でも、変な写真は少なめで」

 

「善処します」

 

「アヤネさんの善処、少し信用できないです」

 

「努力します」

 

「言い換えた」

 

 アヤネさんが、少しだけ笑った。

 

 私はそれを見て、さっきの写真を思い出す。

 

 アヤネさんも、笑っていた日。

 

 あの付箋は、最初のページに残る。

 

 そのことが、少し嬉しかった。

 

 机の上のアルバムは、まだ空白が多い。

 

 でも、その空白はもう怖いだけではなかった。

 

 待っている場所。

 

 これから増えていく場所。

 

 私がまたここに来て、アヤネさんが端末を構えて、私が「変な顔はやめてください」と抗議して、アヤネさんが「自然体です」と真面目に返す。そんな日が、きっとまた来る。

 

 そう思えた。

 

「レナさん」

 

「はい」

 

「次に写真を撮る時は、事前に確認します」

 

「はい」

 

「ですが、自然体の写真も少しは残したいです」

 

「やっぱり」

 

「だめでしょうか」

 

 アヤネさんが、珍しく少しだけ伺うように聞いた。

 

 私は考える。

 

「じゃあ、条件があります」

 

「何でしょうか」

 

「自然体を撮るなら、アヤネさんも一緒に自然体で写ってください」

 

「私も、ですか」

 

「はい。撮る側だけ禁止です」

 

 アヤネさんは困ったように目を伏せた。

 

 けれど、しばらくして小さく頷く。

 

「分かりました。努力します」

 

「善処じゃないんですね」

 

「今回は、努力します」

 

「じゃあ信じます」

 

 アヤネさんは、白いアルバムをそっと閉じた。

 

 表紙には、まだ正式なタイトルはない。

 

 けれど、最初のページに入る写真と、その下に貼る付箋はもう決まっている。

 

 レナさんが、ここで笑っていた日。

 

 アヤネさんも、笑っていた日。

 

 それは、あれより多く残していく記録の、最初の一枚になる。

 

 私はアルバムの表紙にそっと触れた。

 

「アヤネさん」

 

「はい」

 

「これ、大事にします」

 

「はい」

 

 アヤネさんは、少しだけ間を置いてから言った。

 

「私も、大事にします。レナさんが嫌にならない形で。レナさんが、残っていていいと思える形で」

 

 その言葉が、静かに胸に落ちた。

 

 怖い記録は、まだ消えない。

 

 でも、今日一つ増えた。

 

 私が笑っていて、アヤネさんも笑っていて、二人でそれを残すと決めた記録が。

 

 それは、白いページの上で、まだ小さな約束みたいに待っていた。

ifストーリーを投稿しようと思っています。ある程度全部投稿する予定ですが、真っ先にどれが見たいですか?

  • レナが最強格の世界線
  • 甘え上手で小悪魔な世界線
  • 物理的に食べられる世界線
  • 好かれすぎて殺されそうになる世界線
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