戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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5話 ここ、静かでしょ?

資料室に行くはずだった。いやほんとに。私はただ資料届けて、返却用の書類受け取って、それで教室戻るだけだったのに。

 なのに今。なんで私はティーパーティー側のラウンジで、ミカ先輩と二人きりで紅茶飲んでるんだろう。

 しかも静かすぎる。人の気配が全然しない。

 

 大きな窓から夕方の光が入って、白いソファと机を長く照らしている。綺麗。いやほんと綺麗なんだけど、その綺麗さが逆に現実感薄くて落ち着かない。なんかもう、“ここだけ別の場所”みたいだった。

 

「レナちゃん?」

 

「っ、は、はい」

 

「ふふっ。また考え込んでる」

 

 ミカ先輩が笑う。

 優しい声。柔らかい笑い方。

なのに、なんでだろう。さっきからずっと、胸の奥が落ち着かなかった。

 

「資料室のこと気にしてる?」

 

「あ……ちょっとだけ……」

 

「大丈夫だよ〜。さっき近く通った子に頼んでおいたから。返却書類も一緒に持ってきてもらえるようにしてるし、担当の子にも“少し遅れます”って伝えてあるから」

 

 さらっと言う。

 

 あまりにも自然に。

 

「……え?」

 

「ふふっ。だってレナちゃん、困ってたでしょ?」

 

 ミカ先輩が紅茶を混ぜながら笑う。かちゃり、と小さく音が鳴る。

その瞬間。なんか変な感じがした。

 

 助かった。

 助かった、はずなのに。

気づけば、”帰る理由“が全部なくなっていた。

 

 資料室。

 係の人。

 提出。

 

 さっきまで、

”行かなきゃ“って思ってたものが、いつの間にか全部片付けられてる。しかも私が何か言う前に。

 

「どうしたの?」

 

「い、いえ……その、ありがとうございます」

 

「ふふっ。いいの。レナちゃん、そういうの全部一人でやろうとするから」

 

 ミカ先輩は笑う。そのまま、私の前にティーカップを置いた。

 

「はい、どうぞ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 受け取る。あったかい。良い匂い。落ち着く。

……落ち着く、はずなのに。なんでだろう。

逃げ道がなくなっていくみたいな感覚だけ、ずっと消えない。

 

「レナちゃんってさ」

 

「はい?」

 

「結構、“断る”の苦手だよね」

 

 どき、とした。ミカ先輩は紅茶を飲みながら、静かにこっちを見ている。

 笑ってる。いつも通り柔らかく。

でも。なんでそんなこと聞くんだろう。

 

「えっと……まあ、その」

 

「ふふっ。図星?」

 

「……否定はできないです」

 

「だよねぇ」

 

 ミカ先輩が楽しそうに笑う。

 

「でも危ないよ? レナちゃんみたいな子って、自分では普通のつもりなんだろうけど、“嫌です”って言うより“自分が我慢した方が早い”って考えちゃうでしょ。そういう子ってね、優しいんじゃなくて、“捕まりやすい”の。悪い人って、そういうのすぐ見抜くから」

 

 その言葉と一緒に。

ミカ先輩の指が、私の手へそっと触れた。

びく、と肩が揺れる。

 

「っ」

 

「そんなに驚く?」

 

「い、いや……急だったので……」

 

「ふふっ」

 

 長い指。綺麗な爪。その指先が、私の手を遊ぶみたいになぞる。

軽い。本当に軽く触れてるだけ。

 なのに。そこだけ妙に感覚が浮く。

なんか、変だった。

 

「レナちゃん、手綺麗だね」

 

「へ……」

 

「細いし、柔らかい」

 

 指先が絡む。ゆっくり、確かめるみたいに。

 

「ミ、ミカ先輩……」

 

「ん?」

 

「く、くすぐったいです……」

 

「そう?」

 

 分かってる。絶対。

でもミカ先輩は笑うだけだった。

 

 そのまま。

今度は私の手首へ指を滑らせる。

 

 ぞわ、と背筋が震えた。

 

「レナちゃんって、本当に無防備」

 

「……ぇ」

 

「だって、こんなに隙だらけなのに、自分では全然気づいてなさそう」

 

 柔らかい声。なのに。

その言葉だけ、妙に冷たく感じた。

 

「誰か悪い人に捕まったら、どうするの?」

 

「そ、そんなこと……」

 

「あるよ」

 

 ミカ先輩が笑う。

 

「例えば、“優しいから大丈夫”って顔しながら近づいてきて、ちゃんと逃げられないように先回りして、断れない理由全部潰して、気づいたらその子の居場所みたいな顔して隣に座ってる人とか」

 

 ゾクっ、とした。

 

 冗談みたいな声。なのに私は笑えなかった。

 

「……ミカ、先輩?」

 

「んー?」

 

 ミカ先輩は楽しそうに笑う。

 

 そのまま、私の喉元へ指を伸ばした。

 

「っ……!」

 

 息が止まる。本当に軽く撫でるだけ。

なのに。

そこだけ妙に熱を持ったみたいに感覚が浮く。

 

「ここ」

 

 ミカ先輩が小さく笑う。

 

「すごく無防備」

 

 指先がゆっくり首筋をなぞる。

 

 ぞわ、と背筋が震えた。

 

 怖い。

 

 はずなのに。逃げなきゃって思うより先に、“見つけられた”みたいな感覚が来る。

 

 まるで弱い場所を知られたみたいに。

 

「レナちゃん」

 

 声が近い。耳元。

逃げ場がないくらい近い。

 

「今、ちょっと怖い?」

 

「……っ」

 

 答えられない。怖い。

 でも、嫌じゃないって思ってしまった自分もいて。それが一番怖かった。

 

「ふふっ」

 

 ミカ先輩が嬉しそうに笑う。

 

 その目が、妙に綺麗だった。

 

 綺麗なのに。その目は笑ってなかった。

 

「レナちゃんって、多分“押されたら逃げられない”タイプだよね。ちゃんと嫌って言えないし、相手が笑ってると空気壊せないし、自分が困ってても“このくらいなら”って我慢しちゃうし。……そういう子って、気づいたら相手のペースに飲まれてるんだよ」

 

 ミカ先輩の指が、今度は耳へ触れる。

 

「っ、ぁ……」

 

これはまずい。なんだろうこれ。

 恥ずかしいんじゃない。むしろ。捕まってるみたいで。逃げ道がなくなっていくみたいで。その感覚が、妙に背筋を震わせる。

 

「また反応した」

 

 ミカ先輩が笑う。楽しそうに、観察するみたいに。

 

「レナちゃん、ここ弱い?」

 

「……わ、かんないです」

 

「ふふっ。かわいい」

 

 その言い方が。まるでもう逃がさないって言ってるみたいだった。

 

「ねぇレナちゃん。私、別に優しい人になりたいわけじゃないんだよ? ただ、レナちゃん見てると放っておけなくなるの。ちゃんとご飯食べてるのかなとか、また無理してないかなとか、誰かに変なこと頼まれてないかなとか、そういうのばっかり気になる。……だからかな。レナちゃん見てると、“ちゃんと見てないと駄目だな”って思っちゃうの」

 

 ミカ先輩が笑う。そのまま。その綺麗な羽で私を囲んだ。

 

「ここ、静かでしょ?」

 

「……っはい」

 

「好きなんだよね。この部屋。誰も来ないし、邪魔も入らないから」

 

 その言葉に、少しだけ背筋が冷える。

 

 誰も来ない。

 邪魔も入らない。

 

「レナちゃん、今帰っても、多分また色んな人に頼られるよ? でもここなら、そういうの全部忘れられる。ちゃんと休めるし、無理しなくていいし、誰かの顔色見なくて済む。……だから、そんなに怯えた顔しなくても大丈夫なのに」

 

 優しい声。

 

 少しずつ、自分の居場所はここだけなんだと思えてくる。もう...このままずっと。

 

ミカ先輩と目を合わせようとしたその瞬間

 

コンコン

 

「ミカさん」

 

不意に、扉の向こうから声がした。

 

 静かな声。

 

 でも、その瞬間。

 

 空気が止まる。

 

「次の会議、もう始まっていますよ」

 

 桐藤ナギサの声だった。

 

 その瞬間。

ミカ先輩の指が、一瞬だけ止まる。

 

 本当に一瞬。でも。

その顔が、少しだけ残念そうに見えた。

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