戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
資料室に行くはずだった。いやほんとに。私はただ資料届けて、返却用の書類受け取って、それで教室戻るだけだったのに。
なのに今。なんで私はティーパーティー側のラウンジで、ミカ先輩と二人きりで紅茶飲んでるんだろう。
しかも静かすぎる。人の気配が全然しない。
大きな窓から夕方の光が入って、白いソファと机を長く照らしている。綺麗。いやほんと綺麗なんだけど、その綺麗さが逆に現実感薄くて落ち着かない。なんかもう、“ここだけ別の場所”みたいだった。
「レナちゃん?」
「っ、は、はい」
「ふふっ。また考え込んでる」
ミカ先輩が笑う。
優しい声。柔らかい笑い方。
なのに、なんでだろう。さっきからずっと、胸の奥が落ち着かなかった。
「資料室のこと気にしてる?」
「あ……ちょっとだけ……」
「大丈夫だよ〜。さっき近く通った子に頼んでおいたから。返却書類も一緒に持ってきてもらえるようにしてるし、担当の子にも“少し遅れます”って伝えてあるから」
さらっと言う。
あまりにも自然に。
「……え?」
「ふふっ。だってレナちゃん、困ってたでしょ?」
ミカ先輩が紅茶を混ぜながら笑う。かちゃり、と小さく音が鳴る。
その瞬間。なんか変な感じがした。
助かった。
助かった、はずなのに。
気づけば、”帰る理由“が全部なくなっていた。
資料室。
係の人。
提出。
さっきまで、
”行かなきゃ“って思ってたものが、いつの間にか全部片付けられてる。しかも私が何か言う前に。
「どうしたの?」
「い、いえ……その、ありがとうございます」
「ふふっ。いいの。レナちゃん、そういうの全部一人でやろうとするから」
ミカ先輩は笑う。そのまま、私の前にティーカップを置いた。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
受け取る。あったかい。良い匂い。落ち着く。
……落ち着く、はずなのに。なんでだろう。
逃げ道がなくなっていくみたいな感覚だけ、ずっと消えない。
「レナちゃんってさ」
「はい?」
「結構、“断る”の苦手だよね」
どき、とした。ミカ先輩は紅茶を飲みながら、静かにこっちを見ている。
笑ってる。いつも通り柔らかく。
でも。なんでそんなこと聞くんだろう。
「えっと……まあ、その」
「ふふっ。図星?」
「……否定はできないです」
「だよねぇ」
ミカ先輩が楽しそうに笑う。
「でも危ないよ? レナちゃんみたいな子って、自分では普通のつもりなんだろうけど、“嫌です”って言うより“自分が我慢した方が早い”って考えちゃうでしょ。そういう子ってね、優しいんじゃなくて、“捕まりやすい”の。悪い人って、そういうのすぐ見抜くから」
その言葉と一緒に。
ミカ先輩の指が、私の手へそっと触れた。
びく、と肩が揺れる。
「っ」
「そんなに驚く?」
「い、いや……急だったので……」
「ふふっ」
長い指。綺麗な爪。その指先が、私の手を遊ぶみたいになぞる。
軽い。本当に軽く触れてるだけ。
なのに。そこだけ妙に感覚が浮く。
なんか、変だった。
「レナちゃん、手綺麗だね」
「へ……」
「細いし、柔らかい」
指先が絡む。ゆっくり、確かめるみたいに。
「ミ、ミカ先輩……」
「ん?」
「く、くすぐったいです……」
「そう?」
分かってる。絶対。
でもミカ先輩は笑うだけだった。
そのまま。
今度は私の手首へ指を滑らせる。
ぞわ、と背筋が震えた。
「レナちゃんって、本当に無防備」
「……ぇ」
「だって、こんなに隙だらけなのに、自分では全然気づいてなさそう」
柔らかい声。なのに。
その言葉だけ、妙に冷たく感じた。
「誰か悪い人に捕まったら、どうするの?」
「そ、そんなこと……」
「あるよ」
ミカ先輩が笑う。
「例えば、“優しいから大丈夫”って顔しながら近づいてきて、ちゃんと逃げられないように先回りして、断れない理由全部潰して、気づいたらその子の居場所みたいな顔して隣に座ってる人とか」
ゾクっ、とした。
冗談みたいな声。なのに私は笑えなかった。
「……ミカ、先輩?」
「んー?」
ミカ先輩は楽しそうに笑う。
そのまま、私の喉元へ指を伸ばした。
「っ……!」
息が止まる。本当に軽く撫でるだけ。
なのに。
そこだけ妙に熱を持ったみたいに感覚が浮く。
「ここ」
ミカ先輩が小さく笑う。
「すごく無防備」
指先がゆっくり首筋をなぞる。
ぞわ、と背筋が震えた。
怖い。
はずなのに。逃げなきゃって思うより先に、“見つけられた”みたいな感覚が来る。
まるで弱い場所を知られたみたいに。
「レナちゃん」
声が近い。耳元。
逃げ場がないくらい近い。
「今、ちょっと怖い?」
「……っ」
答えられない。怖い。
でも、嫌じゃないって思ってしまった自分もいて。それが一番怖かった。
「ふふっ」
ミカ先輩が嬉しそうに笑う。
その目が、妙に綺麗だった。
綺麗なのに。その目は笑ってなかった。
「レナちゃんって、多分“押されたら逃げられない”タイプだよね。ちゃんと嫌って言えないし、相手が笑ってると空気壊せないし、自分が困ってても“このくらいなら”って我慢しちゃうし。……そういう子って、気づいたら相手のペースに飲まれてるんだよ」
ミカ先輩の指が、今度は耳へ触れる。
「っ、ぁ……」
これはまずい。なんだろうこれ。
恥ずかしいんじゃない。むしろ。捕まってるみたいで。逃げ道がなくなっていくみたいで。その感覚が、妙に背筋を震わせる。
「また反応した」
ミカ先輩が笑う。楽しそうに、観察するみたいに。
「レナちゃん、ここ弱い?」
「……わ、かんないです」
「ふふっ。かわいい」
その言い方が。まるでもう逃がさないって言ってるみたいだった。
「ねぇレナちゃん。私、別に優しい人になりたいわけじゃないんだよ? ただ、レナちゃん見てると放っておけなくなるの。ちゃんとご飯食べてるのかなとか、また無理してないかなとか、誰かに変なこと頼まれてないかなとか、そういうのばっかり気になる。……だからかな。レナちゃん見てると、“ちゃんと見てないと駄目だな”って思っちゃうの」
ミカ先輩が笑う。そのまま。その綺麗な羽で私を囲んだ。
「ここ、静かでしょ?」
「……っはい」
「好きなんだよね。この部屋。誰も来ないし、邪魔も入らないから」
その言葉に、少しだけ背筋が冷える。
誰も来ない。
邪魔も入らない。
「レナちゃん、今帰っても、多分また色んな人に頼られるよ? でもここなら、そういうの全部忘れられる。ちゃんと休めるし、無理しなくていいし、誰かの顔色見なくて済む。……だから、そんなに怯えた顔しなくても大丈夫なのに」
優しい声。
少しずつ、自分の居場所はここだけなんだと思えてくる。もう...このままずっと。
ミカ先輩と目を合わせようとしたその瞬間
コンコン
「ミカさん」
不意に、扉の向こうから声がした。
静かな声。
でも、その瞬間。
空気が止まる。
「次の会議、もう始まっていますよ」
桐藤ナギサの声だった。
その瞬間。
ミカ先輩の指が、一瞬だけ止まる。
本当に一瞬。でも。
その顔が、少しだけ残念そうに見えた。
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