戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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2話 ゲーム開発部は片付かない

 

 ゲーム開発部の扉は、思っていたより普通だった。

 

 もっと光っていたり、自動で開いたり、近づいた瞬間に謎の電子音が鳴ったりするのかと思っていた。ミレニアムの校舎はどこも未来みたいで、廊下の案内板ひとつにも私の知らない仕組みが入っているように見えたから、ゲームを作る部活の部室なら、きっと扉からして特別なのだろうと少しだけ身構えていた。

 

 けれど、目の前にあるのは普通の扉だった。少しだけ古くて、何度も開け閉めされた跡があって、横に貼られた「ゲーム開発部」という札が、何度か剥がれかけて貼り直されたように角を浮かせている。

 

 ただ、扉の前に立った瞬間、中から聞こえてくる音は普通ではなかった。

 

 何かが倒れる音。

 

 小さな電子音。

 

 誰かが慌てて何かを押さえる音。

 

 そして、部屋の奥から聞こえる、たぶんモモイさんの声。

 

「待って、ミドリ! そこはまだ片づけちゃだめ! その山にはちゃんと意味があるから!」

 

「意味のある山は、普通、通路を塞がないよ」

 

「でも、ここに置いてあるとすぐ取れるし!」

 

「取る前に転ぶでしょ」

 

 私は扉の前で、思わず先生を見た。先生はまだ少し頭を気にしながらも、どこか慣れたような顔で苦笑している。さっきゲーム機が落ちてきたばかりなのに、この落ち着き方はすごいと思う。いや、慣れてはいけないことに慣れているのかもしれない。

 

「……先生、本当に頭、大丈夫ですか」

 

「大丈夫よ。少し痛いけれど、会話もできているし、吐き気もないわ」

 

「あとで痛みが強くなったらすぐ言ってください。今日は無理しないで」

 

「はい」

 

「はいは一回でいいです」

 

「それ、さっきも言われたわ」

 

「何回でも言います」

 

 先生が少し笑った。

 

 その横で、ミドリさんが扉に手をかける前に一度だけこちらを振り返った。

 

「すみません。部室、少し散らかっているかもしれません」

 

「少し?」

 

 モモイさんが口を尖らせる。

 

「少しじゃない?」

 

「お姉ちゃん、自信ありげに言わないで」

 

 ミドリさんはそう言ってから、諦めたように扉を開けた。

 

 中を見た瞬間、私は一度、静かに息を吸った。

 

 部屋は、想像していたよりずっと生きていた。

 

 机の上には端末とゲーム機と紙の資料が積まれている。床にはケーブルが伸びていて、壁際には空き箱や古いソフトのケースが並んでいた。ホワイトボードには、私には意味が分からない単語や矢印がたくさん書かれている。キャラクターらしき絵、ステージ案、締切らしき日付、誰かの落書き。飲みかけのペットボトル、空になったお菓子の袋、クッション、毛布、なぜか片方だけのスリッパ。

 

 汚い、という言葉だけでは少し足りなかった。

 

 乱れている。

 

 でも、放置されているわけではない。

 

 使われている。考えられている。悩まれている。何かを作ろうとして、途中で失敗して、別の案を出して、また積まれていったものが、この部屋のあちこちに残っている。片づいてはいないけれど、ここには三人分の時間があった。

 

 その分、危ないところも多かった。

 

「……まず、入口から机までの通路を作ろうか」

 

 私が言うと、モモイさんがぱっと振り返った。

 

「やっぱりそこから!?」

 

「そこからです。今のままだと、先生がもう一回転びます」

 

「先生限定なんだ」

 

「先生はさっき頭を打ったので、今日は転倒注意の最重要人物です」

 

「私は?」

 

「モモイさんは、走り出す可能性が高いので別枠で注意です」

 

「別枠!」

 

 モモイさんはなぜか少し嬉しそうだった。

 

 ミドリさんがすぐに頷く。

 

「入口から机までの動線確保ですね。お姉ちゃん、床の箱を右に寄せて」

 

「はーい」

 

「モモイちゃん、持ち上げる時は足元見てね。勢いで持つと、たぶん後ろのケーブルに引っかかる」

 

「モモイちゃん!?」

 

 モモイさんが箱を持ち上げかけた姿勢のまま固まった。

 

 私も少し固まった。

 

「あ……ごめんなさい。つい」

 

「いや、いい! 全然いい! むしろ今のもう一回言って!」

 

「言いません」

 

「なんで!?」

 

「今は片づけ中だから」

 

「片づけ終わったら?」

 

「考えます」

 

「やった!」

 

「お姉ちゃん、そこで勝利判定しないで。あとレナさん、甘やかすと調子に乗ります」

 

「うん、分かった。ミドリちゃんも、その資料の山を一気に持たないでね。下の紙が滑ると思う」

 

 今度はミドリさんが止まった。

 

「……私も、ちゃん?」

 

「あ」

 

 私はまた言ってしまった。

 

 けれど、ミドリさんは嫌そうではなかった。むしろ少しだけ視線を逸らして、耳の辺りがほんのり赤くなっているように見える。モモイさんがそれを見逃すはずもなく、にやっと笑った。

 

「あれー? ミドリ、照れてる?」

 

「照れてない。お姉ちゃんは早くその箱を置いて」

 

「照れてるじゃん!」

 

「照れてない」

 

「じゃあレナ、もう一回ミドリちゃんって呼んで!」

 

「モモイちゃん、片づけ」

 

「はい」

 

 モモイさんは素直に箱を運び始めた。

 

 少し面白い。

 

 怒鳴らなくても止まる。ちゃんと聞いてくれる。勢いはすごいけれど、こちらの言葉が届かないわけではない。むしろ、届くと分かると、もっと話したくなる。

 

 私は床のケーブルを指でたどりながら、どこをまとめれば足を取られにくいか確認した。救護騎士団では、負傷者の搬送経路を確保する時に、床の障害物や滑りやすい場所を確認する。ゲーム開発部の部室で同じことをするとは思わなかったけれど、必要な視点はあまり変わらなかった。

 

 先生は椅子に座って、三人の様子を見ながら話を聞いていた。私が強めに座らせたので、ちゃんと座っている。よかった。

 

 ロッカーの前には、まだユズさんがいた。

 

 扉は少しだけ開いている。中からこちらを見ているのか、それとも聞いているだけなのかは分からない。無理に声をかけると閉じてしまいそうで、私はしばらく何も言わなかった。

 

 代わりに、机の上にあった未開封の水を一本取り、ロッカーの近くに置いた。

 

「ユズちゃん、ここにお水置くね。飲めたらでいいよ。返事はしなくても大丈夫」

 

 ロッカーの中で、何かがほんの少し動いた。

 

 返事はなかった。

 

 でも、扉の隙間から小さな手が出てきて、水のボトルをゆっくり中へ引き込んだ。

 

 私はそれを見て、少しだけ笑った。

 

「ありがとう。ちゃんと受け取れたね」

 

 ロッカーの扉が、少しだけ閉まった。

 

 けれど、完全には閉まらなかった。

 

 モモイさんが箱を置きながら、その様子をじっと見ていた。

 

「レナって、ユズの扱い上手いね」

 

「扱いって言うと、少し違う気がする」

 

「じゃあ、何?」

 

「うーん……待つ、かな」

 

「待つ?」

 

「出てきてほしいからって、引っ張ったら怖いと思う。出たい時に出られるように、入口だけ開けておく感じ」

 

 言ってから、自分でも少し恥ずかしくなった。

 

 偉そうだったかもしれない。

 

 でもモモイさんは笑わなかった。ミドリさんも、資料を整える手を少しだけ止めた。

 

「……レナさんは、そういうの自然に言うんですね」

 

 ミドリさんが静かに言った。

 

「自然、かな」

 

「たぶん。少なくとも、私たちはあまり上手じゃないです。お姉ちゃんは勢いで開けようとするし、私はどう声をかければいいか考えすぎて、結局何も言えなくなるので」

 

「ミドリ、そこまで言わなくても!」

 

「事実でしょ」

 

「まあ事実だけど!」

 

 二人のやり取りに、ロッカーの中から小さな音がした。

 

 笑ったのかもしれない。

 

 気のせいかもしれない。

 

 でも、モモイさんとミドリさんもそれに気づいたようで、二人は一瞬だけ顔を見合わせた。

 

 その後の片づけは、思ったより進んだ。

 

 床の箱を壁際に寄せる。ケーブルを踏まない位置へまとめる。飲みかけのものと空の容器を分ける。機材の近くに置かれた食べ物を移動する。先生の座っている周囲だけは、特に広く空ける。モモイさんは何かを見つけるたびに「これ懐かしい!」と手を止めるので、そのたびにミドリさんが「あとで」と言った。私はその横で、「あとで見る箱」を一つ作った。

 

「レナ、天才!」

 

「天才ではないよ」

 

「いや、これは発明だよ! あとで見る箱! 片づけと発掘を両立できる!」

 

「でも、あとで見る箱が五個になったら片づいてないからね」

 

「厳しい!」

 

「一個まで」

 

「二個!」

 

「一個」

 

「一・五個!」

 

「箱を半分に切らないで」

 

 モモイさんは本気で少し考え込んだ。

 

 ミドリさんが慌てて止める。

 

「お姉ちゃん、切らないでね。本当に切りそうな顔しないで」

 

「しないしない。たぶん」

 

「たぶん禁止」

 

 この部室は、にぎやかだった。

 

 けれど、片づけが進むにつれて、そのにぎやかさの下にある焦りも少しずつ見えてきた。机の端に置かれた書類。締切らしき日付。ゲーム制作の進捗表。赤い丸で囲まれた「ミレニアムプライズ」の文字。モモイさんが大声で笑っている間にも、ミドリさんは何度もその紙を見ていた。

 

 先生も気づいているのだろう。

 

 片づけが一段落したところで、先生は改めて三人に向き直った。

 

「それで、ゲーム開発部が廃部になりそうという話だけれど、詳しく聞かせてもらえる?」

 

 モモイさんは、さっきまで持っていた箱を下ろした。

 

 ミドリさんは先生の向かいに座る。

 

 ユズさんは、ロッカーから出てこなかったけれど、扉は開いたままだった。

 

「簡単に言うと、ゲーム開発部はこのままだと成果なしって判断されるんだ」

 

 モモイさんの声は、いつもより少し低かった。

 

「ゲーム開発部なのに、ちゃんと完成して外に出せたゲームがない。作りかけはある。アイデアもある。やりたいことも、いっぱいある。でも、完成したって言えるものがない」

 

 ミドリさんが続ける。

 

「部活動改革の対象になっていて、このままだと活動の継続が難しくなります。そこで、私たちはミレニアムプライズに出せるゲームを作ろうとしています。大きな成果として認められれば、廃部を避けられる可能性があります」

 

「でも、時間がない!」

 

 モモイさんが両手を広げた。

 

「アイデアはあるのに! 最高のゲームを作りたいのに! 人手も足りないし、資料も足りないし、ユズは隠れるし!」

 

 ロッカーの中から、小さな声がした。

 

「……ごめんなさい」

 

「あ、違う違う! 責めてない! 責めてないから!」

 

 モモイさんが慌てる。

 

 私はロッカーの方を見すぎないようにして、少しだけ声を落とした。

 

「ユズちゃん、謝らなくていいよ。怖い時に隠れるのは悪いことじゃないから」

 

「……でも、部長なのに」

 

「部長でも怖い時は怖いよ。部長だから怖がっちゃだめ、ってことはないと思う」

 

 ロッカーの中が静かになった。

 

 モモイさんが口を閉じる。

 

 ミドリさんも、少しだけ目を伏せた。

 

 私は自分の言葉が重くなりすぎていないか、少し不安になった。でも、ユズさんの扉は閉まらなかった。だから、たぶん大丈夫。

 

 先生が静かに頷いた。

 

「ミレニアムプライズに出すゲームを作る。それが、ゲーム開発部を残すための一番現実的な方法なのね」

 

「うん!」

 

 モモイさんは、すぐに顔を上げた。

 

「だから先生、手伝って! 先生がいれば、きっと何とかなる!」

 

「先生に何をしてほしいの?」

 

「うっ」

 

 モモイさんが固まった。

 

 ミドリさんが横からため息をつく。

 

「そこがまだ曖昧なんです。お姉ちゃんは勢いで先生を呼べば何とかなると思っていて」

 

「だって先生だよ!? 何とかしてくれそうじゃん!」

 

「先生を万能アイテムみたいに扱わないで」

 

 先生は苦笑した。

 

「何でもできるわけではないけれど、話は聞くわ。ゲームの中身については、みんなが作りたいものが大事だと思う。私はその整理を手伝えるかもしれない」

 

 モモイさんの顔が少し明るくなる。

 

 ミドリさんも、少しだけ安心したように肩の力を抜いた。

 

 私はその様子を見ながら、机の上の進捗表へ視線を落とした。

 

 細かいことは分からない。

 

 でも、無理をしていることは分かる。

 

「モモイちゃん」

 

「ん?」

 

「昨日、何時間寝た?」

 

 モモイさんは目を逸らした。

 

「……たくさん?」

 

「たくさんって何時間?」

 

「いっぱい」

 

「モモイちゃん」

 

「三時間です」

 

 ミドリさんが横から言った。

 

「ミドリ!」

 

「事実でしょ」

 

「ミドリちゃんは?」

 

 私が聞くと、ミドリさんが少しだけ固まった。

 

「私は……四時間ほど」

 

「ユズちゃんは?」

 

 ロッカーの中から、ものすごく小さな声がした。

 

「……分かりません」

 

 私はゆっくり息を吐いた。

 

 怒るより先に、少しだけ頭が痛くなる。

 

「ゲームを作る前に、みんな寝ようか」

 

「ええっ!?」

 

 モモイさんが本気で驚いた。

 

「今!? 今寝るの!?」

 

「今すぐじゃなくてもいい。でも、睡眠時間を削って作ったものは、途中で体の方が止めに来るよ。目も痛くなるし、頭も回らなくなるし、ミスも増える。ゲームを完成させたいなら、まず作る人が壊れないようにしないと」

 

「でも時間がないんだよ!」

 

「うん。時間がないから、余計に倒れる時間を作ったらだめ」

 

 モモイさんが口を開けたまま止まった。

 

 ミドリさんが、少しだけ困ったように笑う。

 

「正論ですね」

 

「正論って強い……」

 

 モモイさんが机に突っ伏した。

 

 その勢いで机の端に置かれていた小さな部品が転がりかける。私は反射的に受け止めた。

 

「ほら、こういうミスが増える」

 

「今のは寝不足じゃなくてテンションの問題!」

 

「テンションも寝不足で制御しにくくなります」

 

「逃げ道がない!」

 

 モモイさんが叫ぶ。

 

 先生が少し笑って、けれどすぐに真面目な顔に戻った。

 

「レナの言う通り、体調管理は大事ね。締切があるなら、なおさら」

 

「先生まで!」

 

「先生はさっき頭を打ったから、今日は私の味方です」

 

「どういう理屈!?」

 

「救護対象の先生には、安静にしてもらう必要があります。だからゲーム開発部のみんなも、先生が無理をしないように協力してください」

 

 モモイさんが、はっとした顔をする。

 

「そっか。先生が無理できないなら、あたしたちがしっかりしないと……!」

 

「お姉ちゃん、今うまく乗せられてるよ」

 

「え、そうなの?」

 

「でも悪いことじゃないから乗っておいて」

 

 ミドリさんが冷静に言った。

 

 私は少しだけ笑った。

 

 ゲーム開発部の子たちは、素直だ。

 

 もちろん、困ったところもある。部屋は散らかっているし、先生にゲーム機を落とすし、徹夜しようとするし、話がすぐ脱線する。でも、言葉をかけるとちゃんと反応する。自分たちの部を残したい気持ちが、本当に強いからだと思う。

 

 その気持ちを折らずに、でも体を壊さないように支える。

 

 それが、私にできることかもしれない。

 

「じゃあ、今日の予定を決めよう」

 

 私は机の空いた場所に紙を置いた。

 

「先生は座って話を聞く。モモイちゃんとミドリちゃんは、作りたいゲームの内容を先生に説明する。ユズちゃんは、ロッカーの中でもいいから、必要なところだけ声で参加。私はその間に、部室の安全確認と、休憩時間の表を作る」

 

「休憩時間の表!?」

 

「作ります」

 

「ゲーム制作スケジュールより先に?」

 

「ゲーム制作スケジュールと一緒に」

 

 モモイさんが机に突っ伏したまま、顔だけこちらへ向ける。

 

「レナお姉ちゃん、意外と容赦ない」

 

「お姉ちゃんじゃないよ」

 

「じゃあ、容赦ないよレナ」

 

「それも嫌かな」

 

 ミドリさんが小さく笑った。

 

 その笑い方は、少しだけ年相応に見えた。普段はきっと、モモイさんの勢いを抑えるために冷静でいようとしているのだと思う。けれど本当は、ミドリさんも不安なのだ。廃部が怖くて、締切が怖くて、でもお姉ちゃんが前を向くから、自分も支えようとしている。

 

「ミドリちゃん」

 

「はい?」

 

「目、少し赤い。あとで五分だけ休もうね」

 

「え、私は大丈夫です」

 

「その顔は大丈夫じゃない時の顔」

 

 ミドリさんが言葉に詰まった。

 

 モモイさんが勢いよく起き上がる。

 

「ミドリ、寝てないの!?」

 

「お姉ちゃんに言われたくない」

 

「それはそうだけど!」

 

 ミドリさんが少しだけむっとして、でもすぐに視線を落とした。

 

「……五分だけなら」

 

「うん。五分だけでいいよ。休んだら、また続き聞かせて」

 

 そう言うと、ミドリさんは小さく頷いた。

 

 ロッカーの中から、また小さな声がした。

 

「……私は、出なくてもいいですか」

 

「うん。出なくてもいいよ」

 

 私は即答した。

 

「でも、ユズちゃんにも休憩時間はあります」

 

「……ロッカーの中で?」

 

「ロッカーの中で。水飲んで、目を閉じるだけでもいいよ」

 

「……はい」

 

 ユズさんの声が、少しだけ柔らかくなった気がした。

 

 その時、部室の扉がノックされた。

 

 軽い音だった。

 

 けれど、モモイさんとミドリさんの背筋が同時に伸びた。ロッカーの扉も、すっと少しだけ閉まる。先生が顔を上げる。私は反射的に部屋の入口を見た。

 

「失礼します」

 

 扉が開いた。

 

 入ってきたのは、きっちりとした雰囲気の生徒だった。濃い髪を揺らし、端末を手に、部室の中を一目で見渡す。視線が床、机、先生、私、モモイさん、ミドリさん、ロッカーの順に流れていく。その速さと正確さに、私は少しだけ背筋を伸ばした。

 

 後ろには、柔らかく微笑む白髪の生徒がいた。

 

 こちらは、最初の生徒とは違う意味で目を引いた。穏やかで、静かで、急いでいない。けれど、部屋の中の何も見落としていないような目をしている。私と目が合うと、にこりと笑った。

 

 その瞬間、なぜか私は、少しだけ逃げ場を失った気がした。

 

「セミナーの早瀬ユウカです」

 

 先に入ってきた生徒が言った。

 

「ゲーム開発部の活動状況確認に来ました。先生がこちらにいらっしゃると聞きましたが……」

 

 ユウカさんの目が先生の頭へ向き、それから落ちているゲーム機へ向き、最後に私の救護バッグへ戻ってきた。

 

「……何があったんですか」

 

「事故です!」

 

 モモイさんが勢いよく言った。

 

 ミドリさんが即座に訂正する。

 

「お姉ちゃんが先生にゲーム機を落としました」

 

「ミドリ!?」

 

「事実でしょ」

 

 ユウカさんのこめかみが、ぴくりと動いた。

 

「才羽モモイさん」

 

「はい」

 

「後で詳しく聞くからね」

 

「はい……」

 

 モモイさんが小さくなった。

 

 ユウカさんは深く息を吐いたあと、先生へ向き直った。

 

「先生、体調は大丈夫ですか?」

 

「レナが見てくれたから大丈夫よ」

 

「レナさん?」

 

 ユウカさんの視線が私へ向く。

 

 私は軽く頭を下げた。

 

「トリニティ総合学園、救護騎士団のレナです。先生の同行で来ました。頭部への衝撃があったので、今日は経過を見た方がいいと思います」

 

「なるほど。適切な判断です」

 

 ユウカさんはすぐに頷いた。

 

 そのまま端末に何かを入力する。

 

「先生の行動予定を一部変更します。長時間の立位、移動、複雑な作業は避けるべきですね。ゲーム開発部との面談は座位で実施。時間は一時間以内。その後休憩を挟みます」

 

「えっ、先生の予定が一瞬で決まった」

 

 モモイさんが小声で言った。

 

 私も少しだけ驚いた。

 

 でも、悪い判断ではない。むしろ、救護的には助かる。先生は自分から休もうとしないことがあるので、こうして外側から予定を制限してくれる人がいるのはありがたい。

 

「ありがとうございます、ユウカさん。先生は無理しがちなので、助かります」

 

 そう言った瞬間、ユウカさんの指が止まった。

 

「……助かります?」

 

「はい」

 

「あなたも、他人事のように言っていますが」

 

「え?」

 

「あなた自身の休憩予定は?」

 

 今度は私が止まった。

 

「救護担当が倒れた場合、現場全体の対応力が低下します。あなたも管理対象です」

 

「管理対象」

 

 思わず繰り返してしまった。

 

 ユウカさんは当然のように頷く。

 

「当然です。ゲーム開発部、先生、同行者。全員を計算に入れなければ、予定は破綻します。あなたも例外ではありません」

 

 めんどくさい。

 

 けれど、すごく正しい。

 

 それが顔に出たのか、後ろにいた白髪の生徒がくすりと笑った。

 

「ユウカちゃん、初対面から少し強めですよ」

 

「ノア、これは必要な確認でしょ」

 

ユウカさんは少しだけ眉を寄せた。

 

 けれど、ノアさんはまったく揺らがない。穏やかな笑顔のまま、端末に何かを記録している。その仕草があまりにも自然で、私は止めるタイミングを失った。

 

「生塩ノアです。セミナー所属、書記を務めています。レナさん、でよろしいですか?」

 

「はい。よろしくお願いします、ノアさん」

 

「こちらこそ。先ほどから拝見していましたが、ゲーム開発部の皆さんへの声のかけ方がとても丁寧ですね。モモイさんには明るく、ミドリさんには少し落ち着いて、ユズさんには視線を外して。相手ごとに安心しやすい形へ、自然に声を変えている」

 

 私は何も言えなかった。

 

 ノアさんは、にこにこと笑っている。

 

 責めているわけではない。褒めているのだと思う。たぶん。でも、初対面でそこまで見られていたことに、背中のあたりが少しだけ落ち着かなくなった。

 

「……そんなに見てましたか」

 

「はい」

 

 即答だった。

 

「記録係ですので」

 

「記録しなくてもいいこともあると思います……」

 

「そうですね。でも、忘れるのはもったいないこともあります」

 

 柔らかい声だった。

 

 でも、なぜか逆らえない。

 

 私は、ミレニアムは機械だけではなく人も少し怖い場所なのかもしれない、と思った。

 

 ユウカさんが端末を閉じる。

 

「では、改めて活動状況を確認します。ゲーム開発部は、ミレニアムプライズへ提出する作品の制作を進めている、ということで間違いありませんね」

 

「うん!」

 

 モモイさんが勢いよく頷いた。

 

「最高のゲームを作って、廃部なんて絶対回避する!」

 

「その意気込みは評価するけど、問題点が2つあるわ」

 

 ユウカさんの声が、少しだけ硬くなった。

 

「一つは、部の規定人数を満たしていないこと。もう一つは、活動実績として認められる成果物が不足していることね。つまり現在のゲーム開発部は、人数と実績の両方で、存続を認めるには非常に厳しい状態ってことね」

 

「言い方がきつい!」

 

 モモイさんが机を叩きかけて、私と目が合った瞬間、そっと手を下ろした。

 

「……机は叩かない」

 

「まだ叩いてない!」

 

「叩きそうだったから」

 

「また見抜かれた!」

 

「でも事実でしょ、お姉ちゃん」

 

 ミドリさんの声も、少しだけ苦かった。

 

「人数も足りないし、完成したゲームもない。だから、ミレニアムプライズでちゃんと成果を出さないと、部として残る理由がなくなる」

 

 モモイさんは悔しそうに唇を尖らせた。

 

 それから、急にこちらを見た。

 

「あ、じゃあさ!」

 

 嫌な予感がした。

 

「レナが入ればよくない!? 救護もできるし、ゲーム初心者としてテストプレイもできるし、お姉ちゃんだし!」

 

「「無理です」」

 

 私とユウカさんの声が重なった。

 

 モモイさんが目を丸くする。

 

ユウカさんは端末を片手に、きっぱりと言った。

 

「レナさんはトリニティの生徒でしょう。ミレニアムの部活に正式所属はできないわ」

 

「じゃあ転校!」

 

「「しません」」

 

 今度も重なった。

 

 ノアさんが楽しそうに微笑む。

 

「息が合いましたね、ユウカちゃん」

 

「ノア、そういう記録はいらないから」

 

「必要ですよ。レナさんが初めてユウカちゃんと同時に否定した記念ですから」

 

「記念にしないで」

 

「ノアさん、それは本当に記録しなくていいです……」

 

「嫌です。とても良い記録なので」

 

 柔らかい声だった。

 

 でも、有無を言わさない圧力がある。

 

「私は、ゲーム開発部の部員にはなれないよ」

 

 そう言うと、モモイさんの耳が少し下がった。

 

 その顔を見ると、少し胸が痛む。

 

「でも、手伝うことはできる。部員にはなれなくても、みんなが倒れないように見ることはできるし、ゲームを知らない人として遊んでみることもできる。だから、私にできることでよければ、一緒にやらせて」

 

 モモイさんはしばらく黙っていた。

 

 それから、急に顔を上げる。

 

「じゃあ、レナは正式部員じゃないけど、ゲーム開発部のお姉ちゃん枠!」

 

「その枠は規定にありません」

 

 ユウカさんが言った。

 

「でも、記録には残せますね」

 

 ノアさんが微笑む。

 

「ゲーム開発部、外部協力者レナさん。役割、お姉ちゃん」

 

「ノア、それは正式な記録に残さないで」

 

「正式ではなく、私個人の記録です」

 

「余計にだめでしょ」

 

「どうしてですか? とても大事なことだと思いますよ」

 

 ノアさんは、穏やかなまま私を見る。

 

「レナさんが、部員にはなれないのに、それでもこの部屋に残る理由ですから」

 

 その言い方に、少しだけ言葉が詰まった。

 

 ノアさんは優しい。

 

 でも、ただ優しいだけではない。

 

 何気なく置いた言葉の奥に、こちらが逃げられないような細い糸を通してくる。怒っているわけでも、押しつけているわけでもないのに、気づけばこちらの気持ちを言葉にされている。

 

 私は小さく息を吸った。

 

「……じゃあ、外部協力者でお願いします。お姉ちゃん枠は、正式じゃない方で」

 

「うん! 非公式お姉ちゃん!」

 

「モモイちゃん、それも少し恥ずかしい」

 

「じゃあ、レナお姉ちゃん!」

 

「近くなっただけだよ」

 

 モモイさんが笑う。

 

 ミドリさんも、少しだけ肩の力を抜いた。

 

 ロッカーの中のユズさんは声を出さなかったけれど、扉の隙間がほんの少しだけ広がった。

 

 ユウカさんは端末を見ながら、少しだけため息をつく。

 

「外部協力者としての同行なら、認められます。ただし、ゲーム開発部の問題はそれだけで解決しません。人数不足については、正式な部員を増やす必要があります。実績不足については、ミレニアムプライズに提出できる成果物を作る必要があります」

 

「つまり、ゲームを作って、部員も増やす!」

 

 モモイさんが両手を握る。

 

「やることが多い!」

 

「最初から多いよ、お姉ちゃん」

 

 ミドリさんが冷静に返す。

 

 先生は椅子に座ったまま、静かに頷いた。

 

「それじゃあ、まずは作りたいゲームの話から聞かせて。何を作りたいのか、どんなゲームにしたいのか。そこが分からないと、手伝い方も決められないから」

 

 モモイさんの顔が、ぱっと明るくなる。

 

 ミドリさんが資料を整える。

 

 ユズさんのロッカーの扉が、ほんの少しだけ開く。

 

 ユウカさんは端末を構え、ノアさんは静かに記録を取る。

 

 私は机の端に、休憩時間を書き込むための紙を置いた。

 

 ゲームの話は、まだ分からない。

 

 でも、この部屋にいる子たちが本気なのは分かる。

 

 だから私は、まず水のボトルを全員の手が届くところへ並べた。

 

 作りたいものの話をするには、喉が渇いていない方がいい。

 

 それくらいなら、私にも分かるから。

まぁ、ミレニアム編も当たり前ですけど、レナの例の動画を見せようと思うんですけど、ゲーム開発部にだけ見せるかどうか迷ってます。さすがに人を選ぶ描写になると思うんで、自分が見たい方にアンケートしてください。

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