戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
作りたいゲームの話を聞かせて、と先生が言った瞬間、モモイちゃんの目が光った。
それは本当に、光ったとしか言いようのない変化だった。さっきまで廃部だとか、人数不足だとか、実績不足だとか、そういう言葉に少しだけ押し潰されかけていた顔が、ぱっと上を向く。大きな瞳に、部屋の照明が丸く映り込んで、そこへさらに内側から火が灯ったみたいに明るくなる。感情が顔の表面へ一気に駆け上がってくる子だと思った。嬉しい、悔しい、楽しい、焦っている。全部が隠れない。隠れないまま、猫耳まで言葉より先に動いてしまう。
可愛いな、と思った。
ただ、整っているとか、幼く見えるとか、そういう可愛さではなかった。机の上に散らばった資料も、転がっている部品も、まだ完全には片づいていない床も、全部を一瞬で舞台装置に変えてしまうような、勢いそのものの可愛さだった。
「じゃあ聞いて先生! 私たちが作るのは、最高に面白くて、最高に熱くて、最後には泣ける超大作!」
「お姉ちゃん、最初から規模を広げすぎ。今必要なのは、完成できる企画を説明することだよ」
「でも、志は高く持たないと!」
「志と実装工数は別」
「ミドリが現実で殴ってくる!」
モモイちゃんが両手で胸を押さえる。ミドリちゃんはその横で、慣れた手つきで資料を整えていた。顔立ちはモモイちゃんと似ているのに、受ける印象はずいぶん違う。ミドリちゃんの目は、ぱっと燃え上がるというより、紙の上に落ちた小さな灯りみたいに静かだった。まつ毛の影が少しだけ落ちる横顔はきれいで、けれど冷たいわけではない。冷静でいようとしているぶん、褒められたり不意を突かれたりした時に、視線の揺れや耳元の赤さがかえって目立つ。
二人並ぶと、同じ形の花が別々の光を浴びているみたいだった。
モモイちゃんが走り出し、ミドリちゃんが道を整える。そういう形で、きっとこの部は何度も話し合ってきたのだと思う。
私は机の端に水を並べながら、二人の声を聞いていた。
先生は椅子に座ったまま、まっすぐ二人を見ている。頭を打ったあとだから、できれば背もたれに寄りかかってほしいけれど、話を聞く姿勢は真剣だった。ユウカさんは端末を構え、必要な情報を整理している。背筋が伸びていて、表情もきっちりしている。整った顔立ちなのに、眉の動きだけで今どれくらい呆れているのか分かってしまうところが、少しだけ可愛い。本人に言ったら、きっと「可愛いではなく合理的です」と返されそうだけれど。
その隣にいるノアさんは、また別の意味で目を引いた。
白い髪は柔らかく光を受けて、笑みは水面みたいに静かだった。可愛いと言ってしまえば可愛い。美しいと言えば、たぶんその方が近い。けれど、それだけでは足りない。ノアさんの顔には、相手を急かさない穏やかさがあるのに、目だけが少し違う。こちらが言葉を選ぶ前から、その言葉が置かれる場所を先に整えているような目。視線が優しいからこそ、どこまで見られているのか分からなくなる。
ノアさんは音もなく記録を取っていた。書いている量は多いはずなのに、動きが静かすぎて、気づくともう残されている。
「まずはジャンルから確認しましょう」
ユウカさんが言った。
「ミレニアムプライズに提出するなら、企画の独自性と完成度が重要になるわね。思いつきだけで進めるのではなく、必要な要素、制作期間、担当範囲、評価ポイントを整理するべきね」
「ユウカ、いきなり審査員みたい!」
「審査を受けるつもりなら、審査員の視点を想定するのは当然でしょ」
「正論!」
「正論で倒れないで、お姉ちゃん」
モモイちゃんが机に突っ伏しかけたので、私はそっと手を伸ばして、机の端にあった部品を先にどかした。案の定、モモイちゃんの額がその場所へ落ちる。部品は当たらなかった。
モモイちゃんが顔だけこちらへ向ける。
「レナお姉ちゃん、今の予測した?」
「うん。モモイちゃんは勢いよく机に倒れそうだったから」
「すごい! 私の行動パターン読まれてる!」
「読まれないように落ち着こうね」
「それは難しい!」
「難しくないよ」
ミドリちゃんが即答した。
ロッカーの中から、ほんの小さく息が漏れる音がした。笑ったのかもしれない。ユズちゃんはまだ外には出ていない。でも、水はちゃんと減っている。机の下に置いた小さな空き箱へ、飲み終わったボトルがそっと出されていた時、私は少しだけ嬉しくなった。
ユズちゃんの姿は、まだほとんど見えていない。けれど、扉の隙間から覗く目だけは何度か見えた。暗いところに慣れた小さな動物みたいに、光を怖がりながらも、完全には閉じようとしない目。可愛い、と言うにはあまりに慎重で、けれどその慎重さごと抱きしめたくなるような、細い勇気があった。
「レナさん」
ノアさんの声がした。
振り向くと、ノアさんはいつもの柔らかい笑顔でこちらを見ている。
「今、嬉しそうでしたね」
「え」
「ユズさんが水を飲めたことに気づいて、目元が少し緩みました。声には出さず、相手に直接向けず、でもちゃんと喜んでいる。そういう喜び方をするんですね」
「ノアさん、そういうのは……」
「言わない方がよかったですか?」
先に逃げ道を塞がれた。
私は口を閉じる。
ノアさんは楽しそうに目を細めた。
「すみません。けれど、今の表情はとても素直でしたから、黙って通り過ぎるのが少し惜しくなってしまいました」
「ノア」
ユウカさんが横から言った。
「レナさんで遊ばないの」
「遊んでいませんよ。大切に眺めていただけです」
「言い方を変えればいいってものじゃないでしょ」
「では、観察です」
「もっと悪くなったわよ」
ユウカさんは呆れているのに、ノアさんは少しも乱れない。穏やかな笑顔のまま、こちらの反応を受け止めている。その姿は、柔らかい布で包むようでいて、いつの間にか結び目まで作ってしまう人みたいだった。
私はゲームのことは分からない。企画の良し悪しも、プログラムも、審査の基準も知らない。でも、モモイちゃんが無理をして明るくなっている瞬間や、ミドリちゃんが言葉を選びすぎる瞬間や、ユズちゃんがほんの少しだけ扉を開ける瞬間は見える。
それを、ノアさんは私より先に見ている。
そして、そっと言葉にしてしまう。
だから少し、落ち着かない。
「ノアさんは、何でもそんなふうに分かるんですか」
「何でもではありません。ただ、人が何かを隠そうとする時ほど、表情は丁寧になりますから」
「丁寧?」
「はい。雑に笑う時より、隠そうとする笑顔の方が、ずっと情報が多いんです」
ノアさんは私を見つめたまま、柔らかく続けた。
「レナさんは、今少し困っています。でも、嫌ではない。だから怒る言葉を選べず、代わりに水の位置を直そうとしている。……違いますか?」
手元を見た。
私は本当に、水のボトルの向きを揃えていた。
「……違わないです」
「ふふ。素直ですね」
「ノアさん、ずるいです」
「はい。よく言われます」
認めるのが早い。
そのあまりの自然さに、私は思わず瞬きをした。ノアさんは、相手に勝とうとしているのではない。けれど、気づけばこちらは勝ち負けの土俵にすら立てていない。軽やかに手を取られて、こちらが身構える前に、もう一段高いところへ案内されているような感覚がある。
「話を戻します」
ユウカさんが少し強めに言った。
「モモイ、ミドリ企画の概要をお願い」
「はい!」
モモイちゃんは勢いよく立ち上がろうとして、私とユウカさんに同時に見られ、そっと座り直した。
「座って説明します!」
「よろしい」
ユウカさんが頷く。
モモイちゃんはホワイトボードの前に行きたそうにうずうずしていたけれど、ミドリちゃんが先に資料を広げた。
「私たちが考えているのは、横スクロールのアクションゲームです。探索要素と成長要素を入れて、プレイヤーが少しずつできることを増やしていく形にしたいと思っています」
「主人公は勇者! 最初は弱いけど、仲間と出会って、武器を手に入れて、強くなって、最後は世界を救う!」
「お姉ちゃん、その説明だとかなり普通だよ」
「普通を最高に面白くするのがゲーム開発部でしょ!」
「それはそう」
ミドリちゃんは少しだけ笑った。
その笑みは、モモイちゃんのようにぱっと弾けるものではない。唇の端がほんの少し緩んで、目尻に小さな光が残るだけ。けれど、その控えめな変化がとても綺麗だった。丁寧に畳まれた紙の間から、色のついた栞が少しだけ見えたみたいに、普段隠しているものがちらりと覗く。
先生が頷く。
「なるほど。最初は弱い主人公が、探索しながら成長していくのね。どういうところを一番遊んでほしいと思っているの?」
「えっと……」
モモイちゃんが少し考える。
いつもの勢いならすぐに答えそうなのに、今度は言葉を探していた。
「強くなるところ、かな。最初はできないことがいっぱいあるけど、少しずつできることが増えていくのって、楽しいじゃん。高いところに登れるようになるとか、倒せなかった敵を倒せるようになるとか、前は怖かった場所にもう一回行けるようになるとか」
その声は、思っていたより真面目だった。
ミドリちゃんが続ける。
「でも、ただ強くなるだけではなくて、プレイヤーがちゃんと覚えたことを使って進めるようにしたいんです。キャラクターが成長するのと、遊んでいる人自身が少し上手くなるのが重なるように」
「なるほど」
先生は嬉しそうに頷いた。
「それは面白そうね」
私は二人の話を聞きながら、少しだけその画面を想像してみた。
横に進む小さな主人公。
最初は跳べない段差。
届かない場所。
開かない扉。
でも、何かを手に入れて、できなかったことができるようになる。
ゲームの中では、そういうことが分かりやすく形になるのだろう。現実では、できるようになったことはもっと曖昧だ。今日は平気でも、明日は少し迷うかもしれない。強くなったと思っても、すぐに転ぶこともある。でも、だからこそ、ゲームの中で少しずつ進めることに救われる人もいるのかもしれない。
「レナさんは、どう思いますか?」
ミドリちゃんに聞かれて、私は少し驚いた。
「私?」
「はい。ゲーム初心者として、今の説明で遊んでみたいと思いましたか?」
急に大事なことを任された気がして、少しだけ背筋が伸びた。
私はゲームの専門家ではない。だから、難しいことは言えない。でも、初心者としての感想なら言ってもいいのかもしれない。
「私は……少し、遊んでみたいと思ったよ」
モモイちゃんの耳がぴんと立った。
「ほんと!?」
「うん。最初は弱くても、できることが増えていくっていうのが、少し楽しそう。あと、前は怖かった場所にもう一回行けるようになる、っていうのは……なんだか、いいなって思った」
ミドリちゃんの指が、資料の端で止まった。
モモイちゃんは、ぱっと顔を明るくした。
「よし! 初心者一名、獲得!」
「まだ獲得されてないよ」
「でも遊びたいって言った!」
「言ったけど、まだタイトルも知らないよ」
「タイトル!」
モモイちゃんが固まった。
ミドリちゃんも少しだけ目を逸らした。
先生が小さく笑う。
「タイトルはまだなのね」
「タイトルは……大事だから最後に決めようかなって!」
「つまり決まってないんだね、お姉ちゃん」
「そうとも言う!」
ユウカさんが端末に何かを入力する。
「タイトル未定、と」
「うわ、事務的に書かれるとすごい未完成感!」
「事実として未完成でしょ」
「ユウカが厳しい!」
「厳しいのではなく、現状を整理しているだけ」
「整理って言葉に逃げた!」
ユウカさんの返しに、モモイちゃんが机の上で大げさにうなだれる。ユウカさんは冷静な顔をしているけれど、ほんの少しだけ口元が動いた気がした。真面目な表情の隙間から、面倒見の良さが顔を出す。可愛い人だな、と少し思う。可愛いという言葉を本人に向けたら全力で否定されそうなところまで含めて。
「ユウカちゃん、少し楽しそうですね」
ノアさんが静かに言った。
「楽しんでない」
「そうですか? モモイさんに反論する時、声の角が少し丸くなっていましたよ」
「角って何?」
「ユウカちゃんの声には、時々角があります」
「ノア」
「今は少し丸いです」
「そういうことを本人の前で言わないの」
ノアさんは微笑むだけだった。
その微笑みは、柔らかいのに強い。美しい形に整えられた刃物、というほど冷たくはない。むしろ温かい。温かいのに、触れるとこちらの形を正確に測られてしまう。ノアさんの前では、私は少し姿勢を直したくなる。直したところで、直す前の姿勢まで覚えられていそうだけれど。
「ノアさんって、すごいですね」
思わず言うと、ノアさんは少しだけ目を丸くした。
「そうですか?」
「はい。見ているだけじゃなくて、見たものをちゃんと形にできるの、すごいと思います」
ノアさんが、ほんの少しだけ黙った。
初めて、こちらの言葉がノアさんの予定より少しだけ外れたように見えた。けれど、それも一瞬だった。すぐにいつもの微笑みに戻る。
「ありがとうございます。今の言葉は、しばらく忘れずに持っていたいです」
「……それは、はい。今のは覚えていてもいいです」
「ふふ。許可をいただけると、嬉しいものですね」
ユウカさんが横で少し呆れたように言う。
「ノア、嬉しそうね」
「はい。嬉しいですよ」
「隠さないのね」
「隠す理由がありませんから」
ノアさんの答えは、あまりにも自然だった。
私は少しだけ視線を落とした。
そういうところが、強いのだと思う。自分の感情を認めることに迷いがない。柔らかくて、穏やかで、丁寧なのに、芯のところがこちらよりずっと太い。勝つとか負けるとかの話ではないはずなのに、ノアさんの前では、言葉の置き場所を一つずつ先に整えられているような気分になる。
「それで」
ユウカさんが少し声を強めた。
「ゲームの企画について、現時点では完成に必要な要素が多すぎ。探索、成長、アクション、ストーリー、演出。全部を高水準で作るには、今の人数と期間では厳しいと思うわ」
「うっ」
モモイちゃんが胸を押さえる。
「ユウカさんの言う通りです」
ミドリちゃんが静かに言った。
「だから、どこを削るか、どこを絶対に残すかを決める必要があります」
「削るの嫌だなぁ……」
「全部作りたい気持ちは分かるけど、完成しなかったら意味がないよ」
ミドリちゃんの声は冷静だった。
でも、その冷静さの奥に、悔しさがある。
私はそれを見て、机の端に置いた紙へ目を落とした。休憩時間も、作業時間も、先生の確認時間も、私が救護バッグを確認する時間も、最初から全部入れてある。自分を外すと、あとで結局誰かに心配をかける。それはもう、何度も学んだことだった。
その紙の空いたところに、ふと思いついて小さく線を引く。
「削るって言うと、少し悲しいけど」
私が言うと、みんなの視線がこちらへ向いた。
「残すものを決める、って言うと少し違うかも。絶対に見てほしいところとか、遊んだ人に最後まで持って帰ってほしい気持ちとか。そこを先に決めたら、他を少し軽くしても、そのゲームらしさは残るんじゃないかな」
言い終わってから、少し不安になった。
専門家でもないのに、知ったようなことを言ってしまったかもしれない。けれど、モモイちゃんは黙っていた。ミドリちゃんも、先生も、ユウカさんも、少しだけ考えるような顔をしていた。
ロッカーの中から、ユズちゃんの声がした。
「……コア、です」
「コア?」
私が聞き返す。
「ゲームの、中心になるもの。そこが決まっていれば、他を小さくしても、何を作るか分からなくなったりはしません」
ユズちゃんの声は、さっきより少しだけはっきりしていた。
モモイちゃんがぱっと顔を上げる。
「それだ! コア! 私たちのゲームのコア!」
「お姉ちゃん、急にそれっぽい言葉を気に入ったね」
「だって大事そう!」
「大事だよ」
ミドリちゃんが笑った。
先生が頷く。
「じゃあ、まずはそのコアを決めましょう。ゲーム開発部が、このゲームで一番届けたいものは何?」
部室が少し静かになった。
さっきまでの騒がしさではなく、考えるための静けさだった。モモイちゃんは腕を組み、ミドリちゃんは資料を見つめ、ユズちゃんはロッカーの中でたぶん息を潜めている。ユウカさんは端末に指を置いたまま待ち、ノアさんはペンを止めない。でも、誰も急かさなかった。
最初に口を開いたのは、モモイちゃんだった。
「できなかったことが、できるようになること」
ミドリちゃんが続ける。
「そのために、何度も失敗しても、もう一度やってみたくなること」
ロッカーの中から、ユズちゃんの声がした。
「……怖い場所でも、少しずつ進めること」
三人の言葉が、机の上に並んだ。
私はその三つを聞いて、胸の奥が少し温かくなった。
「それ、いいね」
思わず言った。
モモイちゃんがすぐにこちらを見る。
「ほんと?」
「うん。私はゲームのこと詳しくないけど、それなら遊んでみたい。失敗しても、少しずつ進めるなら……私でもできるかもしれないって思えるから」
モモイちゃんの顔が本当に嬉しそうに明るくなった。目元が一気にほどけて、さっきまでの焦りまで光に変えてしまったみたいだった。
「聞いた!? ミドリ、ユズ! レナが遊びたいって!」
「二回目だよ、お姉ちゃん」
「二回目でも嬉しいものは嬉しい!」
モモイちゃんは立ち上がりかけて、私の視線に気づき、座り直した。
「座って喜びます!」
「えらい」
「褒められた!」
モモイちゃんが机の下で足をぱたぱたさせる。
ミドリちゃんが小さく笑う。
「レナさんに褒められると、お姉ちゃん本当に単純ですね」
「ミドリちゃんも、ちゃんと整理して話してくれたのすごく分かりやすかったよ。ありがとう」
「えっ」
ミドリちゃんの顔が止まった。
すぐに視線を資料へ落とす。睫毛の影が頬に落ちて、隠したい感情だけがそこから少しはみ出していた。
「……いえ、私は別に、普通に説明しただけで」
「普通に説明するのって、けっこう難しいよ。私にも分かるように話してくれたんだなって思った」
「……そう、ですか」
ミドリちゃんの声が少し小さくなる。
モモイちゃんがにやにやし始めたので、私は先に言った。
「モモイちゃん、からかわない」
「まだ何も言ってない!」
「言いそうだったから」
「レナお姉ちゃん、未来予知持ってる?」
「モモイちゃんの顔が分かりやすいだけだよ」
「そんな!」
その時、ロッカーの扉が、ほんの少しだけ開いた。
中から、ユズちゃんの目が少しだけ見えた。暗がりにいるせいか、瞳の光は控えめだったけれど、こちらの言葉を待っているのが分かった。その小さな勇気が、胸にそっと触れる。
私はそちらへ顔を向けすぎないようにして、ゆっくり声をかける。
「ユズちゃんの言葉も、私、好きだったよ」
扉の隙間で、目が揺れる。
「怖い場所でも、少しずつ進めること。ゲームでそれができたら、たぶん、遊んだ人は嬉しいと思う」
「……本当に?」
「うん。少なくとも私は、嬉しい」
ユズちゃんは何も言わなかった。
でも、扉は閉まらなかった。
それだけで、今日の会議は少し進んだ気がした。
「では」
ユウカさんが端末を見ながら言う。
「ゲームのコアは一旦整理できました。次は具体的な制作計画です。現実的なスケジュールに落とし込む必要があります」
「来た、現実!」
モモイちゃんがまた胸を押さえる。
「現実から逃げない」
ユウカさんが即答した。
「逃げてないもん!」
「昨日の睡眠時間三時間の時点で、現実からかなり目を逸らしています」
「うぐっ」
モモイちゃんが机に沈む。
私はそこで紙を差し出した。
「それなら、制作計画と一緒に休憩計画も入れよう。いつ作るかだけじゃなくて、いつ寝るか、いつ食べるか、いつ目を休めるか。先生は今日は移動少なめ。モモイちゃんとミドリちゃんは短い休憩を多めに。ユズちゃんはロッカーの中でもいいから水分補給。私は救護バッグの確認と、途中で一回座る時間。全部一緒に入れておくね」
ユウカさんの指が、端末の上で止まった。
「……自分の休憩まで、最初から入っているんですね」
「はい」
「意外です」
「入れないと怒られるので」
「誰にですか?」
「師匠と、先生と、たぶん今のユウカさんに」
ユウカさんは一瞬だけ言葉を止めた。
それから、少し満足そうに頷く。
「よく分かっています。では、その計画を基に調整しましょう」
「ユウカ、なんか嬉しそう!」
「嬉しそうじゃない。合理的な計画が出てきたから評価してるだけ」
「それを嬉しそうって言うんじゃない?」
「言わないわよ」
ユウカさんは否定したけれど、声の端が少しだけ柔らかかった。ノアさんがそれを見逃すはずもなく、穏やかに目を細める。
「ユウカちゃん、今の顔、少し取っておきたいですね」
「取っておかないで」
「では、心の引き出しにしまっておきます」
「もっと困る言い方になったわよ」
「ふふ」
ノアさんはそう言って、私を見る。
「レナさん、ちゃんと学んでいるんですね。誰かを休ませる表の中に、自分の名前も入れられるようになった。そういう変化は、とても大切だと思います」
「……ありがとうございます」
「お礼を言う時、少し照れましたね」
「ノアさん」
「はい。これは黙っておきます」
「本当ですか」
「今は」
「今は……」
どう返せばいいのか分からなくなる。
ノアさんは、やっぱり強い。
声を荒げない。押してこない。けれど、気づけば私はノアさんの言葉の中で自分の形を確認させられている。たぶんこの人は、相手を否定しないまま、相手が逃げ込もうとした曖昧さをすっと消してしまうのだ。
モモイちゃんがその様子を見て、楽しそうに言った。
「レナお姉ちゃん、ノアに勝ててない!」
「勝負してないよ」
「でも負けてる!」
「モモイさん」
ノアさんがにこりと笑った。
「人の勝敗を見る余裕があるなら、次はモモイさんの作業時間と睡眠時間の話をしましょうか」
「ひえっ、こっちにも来た!」
モモイちゃんが椅子の上で小さくなる。
ミドリちゃんがため息をつきながら、でも笑っていた。
会議は、そのあと少しずつ形になっていった。
ゲームのコア。
最低限必要な要素。
削ってもいい要素。
制作担当。
休憩時間。
先生が聞き、ユウカさんが現実的な線を引き、ノアさんが言葉を整え、モモイちゃんが夢を広げ、ミドリちゃんがそれを形にし、ユズちゃんが時々ロッカーの中から小さな声で核心を突く。私はその間に、水を足し、転がりそうな部品をどかし、モモイちゃんが立ち上がりかけるたびに視線で止め、ミドリちゃんが目を擦ったら紙に休憩印をつけた。
ゲームのことは、まだ分からない。
けれど、この部屋の温度は少し分かってきた。
ここには、作りたいものがある。
できていないものがある。
間に合わないかもしれない怖さがある。
それでも、話し始めると目が輝く子たちがいる。
会議が一段落した頃、先生が言った。
「足りない資料や、参考になりそうなものはある?」
モモイちゃんとミドリちゃんが顔を見合わせる。
「あるにはあるんだけど……」
「ずっと探しているものがあります」
ミドリちゃんが言った。
「古いゲーム開発資料のようなものです。先輩たちの間では、G.BIBLEと呼ばれていて……」
「じー、ばいぶる?」
私は首を傾げた。
モモイちゃんが胸を張る。
「ゲーム開発者に伝わる伝説の書! そこには最高のゲームを作るための知識が詰まっていると言われている!」
「お姉ちゃん、伝説っぽく言ってるけど、実物は見つかってないよ」
「だから探すんだよ!」
先生が興味深そうに頷く。
「それを見つけられれば、制作の助けになるかもしれないのね」
「うん! で、手がかりがある場所が……」
モモイちゃんはそこで、少しだけ声を落とした。
「廃墟」
部屋の空気が変わった。
ミドリちゃんが資料を差し出す。
「ミレニアムの近くに、今は使われていない区画があります。そこに古い資料や機材が残っている可能性があるんです。危険なので、私たちだけで行くのは避けていましたが……」
「でも、行かないと何も始まらない!」
モモイちゃんが言う。
「G.BIBLEがあれば、きっとすごいゲームが作れる! 部も残せる! だから先生、お願い!」
先生は資料を受け取った。
私も横から覗き込む。
廃墟。
使われていない区画。
危険。
その単語だけで、救護バッグの重みを少し意識した。
「行くなら、準備が必要だね」
私が言うと、モモイちゃんがすぐにこちらを見た。
「レナお姉ちゃんも来る?」
「うん。怪我したら困るから」
「やった!」
「でも、行くならちゃんと寝てから」
「えっ」
「寝てから」
「……はい」
モモイちゃんがしゅんとする。
ミドリちゃんは少し安心したように息を吐いた。
ロッカーの中から、ユズちゃんの声がした。
「……廃墟、怖いです」
「うん」
私は頷いた。
「怖いなら、怖いって言っていいよ。行くかどうかも、ちゃんとみんなで決めよう。怖いまま無理に行くのと、怖いって分かった上で準備して行くのは、違うと思うから」
ユズちゃんは何も言わなかった。
でも、扉は閉まらなかった。
先生が資料を机に置く。
「じゃあ、今日はここまで。まずは制作方針を整理して、明日以降、廃墟探索について具体的に考えましょう」
「今日は行かないの!?」
モモイちゃんが驚く。
私とユウカさんの声が、また重なった。
「「行きません」」
今度は、モモイちゃんだけでなく、ミドリちゃんも少し笑った。
ノアさんがすぐにこちらを見る。
「今の重なり方、綺麗でしたね」
「ノア、数えなくていい」
「数えてはいませんよ。印象に残っただけです」
「それも似たようなものよ」
「ふふ。では、ユウカちゃんとレナさんは、判断の入口が少し似ている、ということで」
「もっと言わないで」
ユウカさんの耳が少し赤くなった気がした。
私はそれを見なかったことにした。
でも、ノアさんはたぶん見ている。
そして、たぶん忘れない。
そう思うと、少しだけ笑いそうになった。
その日の会議は、そこで終わった。
ゲーム開発部はまだ廃部危機のままだ。人数も足りない。完成したゲームもない。G.BIBLEというよく分からない伝説の資料も、廃墟探索も、何も解決していない。
それでも、部室は来た時より少しだけ歩きやすくなった。
水のボトルは空になった。
休憩時間は紙の上に書かれた。
モモイちゃんは、まだ元気に騒いでいる。
ミドリちゃんは、五分だけ目を閉じた。
ユズちゃんは、ロッカーの扉を閉めなかった。
それなら、今日は少し進んだのだと思う。
帰り際、モモイちゃんが部室の入口まで走りかけて、私の視線に気づいて歩いた。
「レナお姉ちゃん、明日も来る?」
「予定を確認してからだけど、来るつもりだよ」
「ほんと?」
「うん。まだ休憩表、完成してないし」
「理由が救護!」
「それだけじゃないよ」
そう言うと、モモイちゃんが少しだけ目を丸くした。
「みんなのゲームの話、続きが気になるから」
その瞬間、モモイちゃんの顔が本当に嬉しそうに明るくなった。可愛い、と思うより早く、こちらまで笑ってしまうような顔だった。
「ミドリ! 聞いた!? レナが続き気になるって!」
「聞こえてるよ、お姉ちゃん」
ミドリちゃんも、少しだけ笑っていた。
ロッカーの中から、小さな声がした。
「……また、来てください」
私は、そちらへ深く踏み込まないように、でもちゃんと届くように答えた。
「うん。また来るね、ユズちゃん」
扉の隙間が、ほんの少しだけ広がった。
ミレニアムの廊下に出ると、さっきより音が少しだけ近く感じた。電子音も、足音も、遠くの機械の駆動音も、まだ知らないものばかりだ。でも、ゲーム開発部の部室の中にあった声を一つずつ思い出すと、その知らない音の中に、少しだけ自分の歩幅を置ける気がした。
先生は隣で、穏やかに笑っている。
「楽しそうね、レナ」
「そう、見えますか?」
「ええ」
私は少し考えてから、頷いた。
「はい。少し、楽しいです」
ゲームのことは、まだ分からない。
でも、分からないものを一緒に見に行くのは、少し楽しい。
そう思えたことが、今日一番の発見だった。
まぁ、ミレニアム編も当たり前ですけど、レナの例の動画を見せようと思うんですけど、ゲーム開発部にだけ見せるかどうか迷ってます。さすがに人を選ぶ描写になると思うんで、自分が見たい方にアンケートしてください。
-
見せる
-
見せない