戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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5話 チュートリアルにしては固すぎる

赤い光が、暗がりの中で揺れていた。

 

 最初は、壊れかけの警告灯かと思った。古い工場の奥、埃をかぶった端末の向こう側。天井から垂れたケーブルの影に隠れるようにして、二つの小さな赤が、こちらを見ていた。けれど、それはすぐに間違いだと分かった。光が左右にずれる。金属が軋む。何かが床を踏む音がする。

 

 動いている。

 

「……イベント、始まった?」

 

 モモイちゃんが小さく呟いた。

 

「現実だよ、モモイ」

 

 ユズちゃんの声が、私の少し後ろから聞こえた。

 

 小さいけれど、ちゃんと届いた。そのことに、モモイちゃんが一瞬だけ目を丸くする。けれど、すぐに口元を引き締めた。今は驚いている場合ではないと分かっている顔だった。

 

 ミドリちゃんが端末を握り直す。

 

「接近してきます。先生、戦闘許可は?」

 

「必要なら迎撃。ただし、まずは安全確保と退路の確認。無理に前へ出ないで」

 

「了解!」

 

「分かりました」

 

 モモイちゃんとミドリちゃんの返事が重なった。

 

 暗がりから出てきたのは、古い警備ロボットだった。装甲の一部は錆び、片側の腕は少し歪んでいる。もう長い間、誰にも整備されていないはずなのに、動きは鈍くなかった。剥がれかけた識別表示、赤いセンサー、床を踏む重い音。昔の命令だけを、今でも律儀に守っているみたいだった。

 

 機械の目は、迷わない。

 

 それが少し怖かった。

 

 私はすぐに周囲を見た。右側の床は浮いている。下がるなら左。入口までの道はまだ見えている。天井のパネルが外れかけている場所には立たない。先生、モモイちゃん、ミドリちゃん、ユズちゃん。全員の位置を頭に置く。

 

「ユズちゃん、半歩だけ左。そこ、床の割れ目がある」

 

「……はい」

 

 足音が小さく動いた。

 

 ちゃんと動けている。

 

 それだけ確認して、私は救護バッグを体の前に回した。戦うための鞄ではない。でも、怪我をした時に手が届く場所にいることはできる。

 

 警備ロボットの腕が上がった。

 

「来る!」

 

 モモイちゃんの声と同時に、射撃音が響いた。

 

 廃墟の空気が震える。モモイちゃんとミドリちゃんの弾が、警備ロボットの肩と脚部に当たった。装甲の欠片が散り、赤い光が一瞬ぶれる。けれど、止まらない。古いのに硬い。動きは少し乱れただけで、またこちらへ踏み込んでくる。

 

「ちょっと待って! 最初の敵にしては硬くない!?」

 

「だから最初の敵じゃないってば!」

 

 ミドリちゃんが撃ちながら返す。

 

「でも廃墟探索の初戦闘だよ!? 普通はもう少し優しくするところでしょ!」

 

「現実に難易度調整を求めないで!」

 

 弾がもう一度当たる。

 

 警備ロボットの腕が逸れた。古い警棒のようなものが床を叩き、埃が舞い上がる。モモイちゃんはぎりぎりで避けたけれど、勢い余って足元の小さな部品を踏みかけた。

 

「モモイちゃん、足!」

 

「わっ!」

 

 モモイちゃんが片足で跳ねる。

 

 ミドリちゃんが即座に支援射撃を入れた。先生が短く指示を出す。

 

「モモイ、右へ。ミドリ、膝関節を狙って」

 

「了解!」

 

「はい!」

 

 二人の動きが変わった。

 

 モモイちゃんは勢いをそのままに、でも前へ出すぎない。ミドリちゃんはロボットの脚部へ狙いを絞る。赤い光が揺れ、金属の膝が火花を散らした。機械の体が片側へ傾く。それでも腕はまだ動いている。

 

 狙いは、ミドリちゃんだった。

 

「ミドリちゃん!」

 

 呼ぶと同時に、ミドリちゃんが気づいた。けれど、足元のケーブルに靴が引っかかる。体勢が崩れる。ほんの少しだけ、避けるのが遅れる。

 

 私は考えるより先に動いていた。

 

 強く引くと転ぶ。だから腕ではなく、肩の後ろに手を添えて、体の向きだけを変えた。ミネ先輩ほど正確ではない。でも、ぶつかる場所を変えるくらいならできる。

 

 警備ロボットの腕が、ミドリちゃんのいた場所を掠めた。

 

 古い金属が壁に当たり、鈍い音がした。

 

「っ……ありがとうございます」

 

 ミドリちゃんの声が、少し遅れて震えた。

 

「怪我は?」

 

「大丈夫です。少し驚いただけで」

 

「ならよかった。次は左に逃げて。右はケーブルが多い」

 

「はい」

 

 ミドリちゃんはすぐに体勢を立て直した。顔色は少し悪い。でも目は逸れていない。怖かったはずなのに、その怖さを短く息で押し込めて、次の射線を探している。

 

「モモイ、今!」

 

「任せて!」

 

 モモイちゃんが撃つ。

 

 ミドリちゃんが脚を止める。

 

 先生の指示が入り、二人の弾が警備ロボットの脚部に集中した。今度こそ、機械の体が大きく傾く。赤い光がぶれて、床に膝をついた。

 

「そこまで。これ以上近づかないで」

 

 先生が言う。

 

 モモイちゃんは、ぴたりと止まった。

 

「今、私すごくなかった!?」

 

「すごかった。でも近づかない」

 

「はい!」

 

 モモイちゃんは両手を上げて、その場で止まった。

 

 警備ロボットは数秒ほど腕を動かそうとして、やがて力尽きたように沈黙した。赤い光が一度だけ瞬き、消える。廃墟に、さっきまでより重い静けさが戻ってきた。

 

 誰も、すぐには動かなかった。

 

 先生が周囲を確認する。

 

「みんな、怪我は?」

 

「私は平気!」

 

「私も大丈夫です」

 

 ミドリちゃんが答える。

 

 少し後ろから、ユズちゃんの声がした。

 

「……私も、大丈夫です」

 

 私は振り返った。

 

 ユズちゃんは壁際に立っていた。鞄の紐を強く握っている。顔色は白い。けれど、足はちゃんと床についている。逃げ出してはいない。目も閉じていない。怖くて、震えて、それでも今ここにいる。

 

「ユズちゃん、今の怖さは?」

 

「……八、です」

 

「上がったね」

 

「はい」

 

「でも、言えた」

 

 ユズちゃんが、少しだけ目を上げた。

 

「八って言えたから、今は大丈夫。九になったら止まろう。十になる前に戻る。それでいい?」

 

 ユズちゃんは、ゆっくり頷いた。

 

「……はい」

 

 モモイちゃんが何か言いたそうにしていた。

 

 たぶん、「大丈夫だよ」とか「怖くないよ」とか、元気づける言葉を探していたのだと思う。でも、モモイちゃんは飲み込んだ。代わりに、少しだけ不器用に親指を立てる。

 

「ユズ、八でも立ってるの、すごいと思う」

 

 ユズちゃんが目を瞬かせる。

 

 ミドリちゃんも頷いた。

 

「うん。無理してないのも、ちゃんと言えたのも、すごい」

 

 ユズちゃんは何も言わなかった。

 

 けれど、鞄の紐を握る手が、ほんの少しだけ緩んだ。

 

 私はそれを見て、胸の奥が温かくなる。

 

 この子たちは、ちゃんと見ている。

 

 モモイちゃんは勢いで進むけれど、ちゃんと立ち止まれる。ミドリちゃんは現実を見すぎるけれど、相手の小さな頑張りを見落とさない。ユズちゃんは隠れるけれど、自分の怖さを言葉にできる。

 

 ゲーム開発部は、片づいていない部室みたいだと思った。

 

 散らかっている。

 

 危なっかしい。

 

 時々、何かが落ちてくる。

 

 でも、その中に大事なものがちゃんと置いてある。

 

「レナ」

 

 先生に呼ばれて、私は顔を上げた。

 

「警備ロボット、近づいて確認できそう?」

 

「動かないか確認してからなら。モモイちゃんは触らないでね」

 

「なぜ名指し!?」

 

「触りそうだから」

 

「否定できない!」

 

 モモイちゃんが悔しそうに言う。

 

 私は先生と一緒に少し近づいた。警備ロボットは完全に停止しているように見える。けれど、念のため距離を保ったままライトを当てた。胸部の装甲に、古い識別番号が残っている。ところどころ擦り切れて読みにくいが、ミレニアムの一般的な警備機材とは少し違う気がした。

 

 ミドリちゃんも近づきすぎない位置から端末を向ける。

 

「この型番、かなり古いです。現行の警備ロボットとは規格が違います。施設側の自律警備システムに接続されていたものかもしれません」

 

「つまり?」

 

 モモイちゃんが聞く。

 

「奥にもいる可能性があるってこと」

 

「ええ……」

 

 モモイちゃんが少し嫌そうな声を出した。

 

「チュートリアルにしては硬すぎるのが複数いるの?」

 

「だからチュートリアルじゃないよ」

 

「でも一体倒したから、経験値は入ったはず!」

 

「現実では入らない」

 

「入ってほしい!」

 

 先生が少し笑った。

 

 その笑いで、緊張がほんの少しほどける。

 

 けれど、完全には消えない。

 

 廃墟の奥には、まだ何かがある。G.BIBLEの手がかりかもしれない。もっと古い機械かもしれない。あるいは、何もないかもしれない。それでも、今の警備ロボットがただの偶然ではないことは分かった。ここは本当に、手付かずで残された場所なのだ。

 

「先生」

 

 ミドリちゃんが端末を見ながら言う。

 

「奥の通路に、まだ微弱な電源反応があります。警備ロボットがそこから来たなら、施設の中枢に近い設備が残っている可能性があります」

 

「G.BIBLEもそこにあるかも!」

 

 モモイちゃんの目がまた輝く。

 

「行こう先生! 今の戦闘で分かったけど、ちゃんと注意すれば進める!」

 

「その“ちゃんと注意”が大事ね」

 

 先生はモモイちゃんを見て言った。

 

「進む前に、一度確認しましょう。みんな、続けられる?」

 

「私はいける!」

 

 モモイちゃんが即答する。

 

「私も大丈夫です。ただ、同じ型が複数出るなら、通路の狭い場所は避けたいです」

 

 ミドリちゃんが答える。

 

 ユズちゃんは少しだけ沈黙した。

 

 私は何も言わずに待った。

 

「……行けます」

 

 やがて、ユズちゃんが言った。

 

「怖いです。でも、さっきみたいに、先に止まれるなら……行けます」

 

 先生が頷く。

 

「分かった。じゃあ、無理をしない範囲で進みましょう」

 

 私は確認表に小さく印をつけた。

 

 警備ロボット一体。停止。怪我なし。怖さ、ユズちゃん八。継続可。

 

 書きながら、少しだけ変な気分になった。ゲーム開発部の探索なのに、まるで救護記録みたいになっている。でも、今の私にはこれが必要だった。記録するためではなく、戻る判断を見失わないために。

 

 奥へ進む通路は、思ったより狭かった。

 

 壁のパネルはところどころ剥がれ、古い配線がむき出しになっている。足元には小さな部品が散らばっていて、踏むと乾いた音がした。遠くから、まだ微かな機械音が聞こえる。さっきの警備ロボットのものとは違う。もっと低く、もっと奥から響く音。

 

 モモイちゃんは、今度はちゃんと速度を落としていた。

 

 ただ、目はずっと輝いている。

 

「こういうの、ゲームだったら絶対隠し部屋あるよね」

 

「現実で隠し部屋を見つけても、勝手に入ったら危ないよ」

 

 ミドリちゃんが返す。

 

「でもG.BIBLEは隠し部屋にありそうじゃない?」

 

「それは……少し分かる」

 

「分かるんだ!」

 

「分かるけど、だからって壁を叩いて回らないで」

 

「まだ叩いてない!」

 

「叩きそうだったから」

 

「みんな私の未来行動を予測しすぎじゃない!?」

 

 モモイちゃんの抗議に、先生が笑う。

 

「それだけ分かりやすいということね」

 

「先生まで!」

 

 そのやり取りを聞いていたユズちゃんが、小さく言った。

 

「……でも、モモイは、分かりやすい方がいいです」

 

 モモイちゃんが振り返る。

 

「え、そう?」

 

「……はい。怖い場所だと、何を考えてるか分からない人より、何をしたいか分かる人の方が、少し安心します」

 

 モモイちゃんが固まった。

 

 ミドリちゃんも少し驚いたようにユズちゃんを見る。

 

 ユズちゃんはすぐに視線を下げた。

 

「……すみません」

 

「なんで謝るの!?」

 

 モモイちゃんが慌てる。

 

「今の、めちゃくちゃ良いこと言ってたよ! ユズ、もっと言って!」

 

「それは、無理です……」

 

「そっか! じゃあ今の一回で大事にする!」

 

 モモイちゃんは本気で嬉しそうだった。

 

 ユズちゃんの耳元が、少しだけ赤くなる。

 

 私はその光景を見て、余計なことを言わないようにした。ここは私が褒めるより、モモイちゃんが受け取ったことの方が大事だと思ったから。

 

 通路の先で、また赤い光が点いた。

 

 今度は二つではなく、四つ。

 

「……追加エネミー」

 

 モモイちゃんが小声で言った。

 

「だから現実です」

 

 ミドリちゃんが返す。

 

 けれど、声はさっきより落ち着いていた。

 

 警備ロボットが二体、通路の奥にいた。こちらに気づいたらしく、ゆっくり動き出す。狭い通路では、二体同時に相手をするのは危ない。下がる場所も限られている。

 

 私はすぐに周囲を確認した。

 

「この通路は狭いです。後ろの部屋まで戻れば、左右に避けられる場所があります」

 

 先生が頷く。

 

「一度戻りましょう。モモイ、ミドリ、牽制しながら後退」

 

「了解!」

 

「はい!」

 

 二人は今度、迷わず動いた。

 

 前へ出すぎない。撃ちながら下がる。モモイちゃんは勢いを抑え、ミドリちゃんは射線をずらす。先生の指示が短く入るたび、二人の位置が少しずつ整っていく。さっきより動きがいい。最初の戦闘が、本当に経験値みたいになっているのかもしれない。

 

 ユズちゃんは私の後ろをついてくる。

 

 少し足音が速い。

 

「ユズちゃん、急がなくていい。こっち見なくても、私の声がする方に来て」

 

「……はい」

 

「段差。右足から」

 

「はい」

 

「今は六歩。あと六歩で広い部屋」

 

「……はい」

 

 数えると、ユズちゃんの足音が少し整った。

 

 恐怖でいっぱいになると、先が見えなくなる。一歩先も、三歩先も、全部が同じくらい遠く感じる。だから、数える。あと何歩。どこで止まる。どこまで行けば少し広い。私はそういうことを、たぶん救護騎士団で覚えた。

 

 後ろの部屋へ戻った瞬間、先生が指示を出す。

 

「ここで迎撃。左右に散って」

 

 モモイちゃんとミドリちゃんが動く。

 

 二体の警備ロボットが部屋へ入ってくる。一体目の脚部にミドリちゃんの弾が当たり、動きが鈍る。二体目が腕を上げる前に、モモイちゃんが肩を撃った。火花が散る。部屋の壁に赤い光が乱反射した。

 

「今度はちょっと分かってきた!」

 

 モモイちゃんが言う。

 

「調子に乗らない!」

 

「乗らない! でもちょっと分かった!」

 

「そのくらいならいい!」

 

 二人の声が重なる。

 

 先生が小さく笑った。

 

「いい連携ね」

 

 その言葉に、二人の動きがさらに少し良くなる。

 

 戦闘は長くは続かなかった。最初よりもずっと落ち着いていた。ミドリちゃんが脚を止め、モモイちゃんが腕を逸らし、先生がタイミングを見て指示を出す。私はユズちゃんの近くで、戻る道を確保しながら、落ちた金属片を足元からどかした。

 

 最後の一体が沈黙した時、モモイちゃんは大きく息を吐いた。

 

「勝った!」

 

「声大きい」

 

 ミドリちゃんが言う。

 

「でも勝った!」

 

「うん。勝った」

 

 ミドリちゃんの声にも、少しだけ嬉しさがあった。

 

 ユズちゃんが、小さく呟く。

 

「……すごい」

 

 モモイちゃんがすぐに振り返った。

 

「すごかった!? ユズ、今すごかった!?」

 

「……はい。二人とも」

 

 その言葉で、モモイちゃんは一瞬、本当に嬉しそうな顔をした。さっきまでの戦闘の高揚とは違う。仲間に褒められた時の、少し照れた、でも隠しきれない顔。

 

 ミドリちゃんも、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

 私は、その表情を見て思った。

 

 この三人が作るゲームは、きっとこの三人の形になる。

 

 勢いよく進みたいモモイちゃん。

 

 形を整えたいミドリちゃん。

 

 怖くても少しずつ進みたいユズちゃん。

 

 できなかったことが、できるようになるゲーム。

 

 失敗しても、もう一度やってみたくなるゲーム。

 

 怖い場所でも、少しずつ進めるゲーム。

 

 今、廃墟の中で三人がしていることが、そのままゲームの中心になっている気がした。

 

「先生」

 

 ミドリちゃんが、停止した警備ロボットの近くで端末を見た。

 

「このロボット、同じ場所から出てきています。奥に制御端末があるかもしれません」

 

「そこにG.BIBLEの手がかりがあるかも!」

 

 モモイちゃんの目がまた輝く。

 

「行こう!」

 

「その前に」

 

 私は言った。

 

 モモイちゃんがぴたりと止まる。

 

「怖さ確認と、怪我確認」

 

「はい!」

 

 今度は素直だった。

 

 モモイちゃんは両手を上げて見せる。ミドリちゃんも頷く。ユズちゃんは少し考えてから言った。

 

「……七、です」

 

「さっきより下がったね」

 

「はい。まだ怖いです。でも、二人がどう動くか、少し分かったので」

 

 モモイちゃんとミドリちゃんが同時にユズちゃんを見た。

 

 ユズちゃんはすぐに視線を落とす。

 

 でも、言葉は消えなかった。

 

「……だから、少しだけ、大丈夫です」

 

 その声は小さかった。

 

 けれど、廃墟の中ではっきり聞こえた。

 

 先生が微笑む。

 

「じゃあ、もう少し進みましょう」

 

 奥の通路へ向かう前に、私は一度だけ後ろを振り返った。入口の方向はまだ分かる。戻る道も見えている。けれど、ここから先は少し深くなる。空気が変わる。機械音が近い。壁の奥で、何かがまだ動いている。

 

 モモイちゃんは期待で前を見ている。

 

 ミドリちゃんは端末と通路を見比べている。

 

 ユズちゃんは怖がりながら、それでも足を出そうとしている。

 

 先生は、その全部を見ている。

 

 私は救護バッグの紐を握り直した。

 

 回復役は、前衛に出る必要はない。

 

 でも、パーティーが進む道を、少しだけ安全にすることはできる。

 

「行こう」

 

 先生の声で、私たちは奥へ進んだ。

 

 通路の先には、重い扉があった。

 

 錆びた金属の扉。中央には古い認証装置。画面は暗い。けれど、近づくと、微かに光が走った。まだ生きている。

 

 ミドリちゃんが息を飲む。

 

「電源が残ってる……」

 

 モモイちゃんが、今度は触る前にちゃんと手を止めた。

 

「先生、これ、調べてもいい?」

 

「ミドリ、確認できる?」

 

「やってみます」

 

 ミドリちゃんが端末を接続する。数秒、静かな時間が流れた。廃墟の奥の機械音だけが聞こえる。

 

 そして、暗かった画面に文字が浮かんだ。

 

 古い文字列。

 

 読めない記号。

 

 その中に、ひとつだけ、はっきりとした単語が混じっていた。

 

 Divi:Sion。

 

「……何、これ」

 

 モモイちゃんの声が低くなる。

 

 ミドリちゃんの指が止まった。

 

「分かりません。でも、ただの倉庫ではなさそうです」

 

 その時、認証装置の奥で、低い音が鳴った。

 

 画面の文字が乱れる。

 

 読めない記号が流れ、次の瞬間、部屋全体に合成音声のような声が響いた。

 

『未登録対象、確認』

 

 ユズちゃんが小さく息を飲む。

 

 モモイちゃんが一歩下がる。

 

 先生が静かに前へ出た。

 

『アクセス権限照合中』

 

「先生、これ……」

 

 ミドリちゃんの声が緊張していた。

 

 先生は認証装置を見つめたまま、落ち着いた声で言った。

 

「みんな、少し下がって」

 

 私はユズちゃんの位置を確認しながら、半歩だけ後ろへ誘導した。けれど、先生から目を離せなかった。認証装置の光が、先生の手元をなぞるように走る。画面に、見たことのない文字列が浮かんでは消えた。

 

『照合完了』

 

 音声が言った。

 

『連邦生徒会長権限、確認』

 

 空気が止まった。

 

「……連邦生徒会長?」

 

 モモイちゃんが呟く。

 

 ミドリちゃんは何も言わなかった。先生も、一瞬だけ表情を変えた気がした。けれど、それはすぐに消えた。

 

 重い扉の奥で、錆びた機構が動き出す。

 

 金属が擦れる音。

 

 埃が落ちる音。

 

 長い間閉じていたものが、無理やり目を覚ますような音。

 

 扉が、ゆっくりと開いた。

 

 奥は暗かった。

 

 けれど、完全な闇ではない。床に沿って、細い光が走っている。壁の中で、まだ生きている機械が小さく脈打っていた。廃墟というより、眠っていた施設の腹の中に入っていくようだった。

 

「……進む?」

 

 モモイちゃんが、小さく聞いた。

 

 さっきまでの勢いは少し引いている。

 

 先生は扉の奥を見てから、私たちを振り返った。

 

「無理はしない。でも、ここまで開いたなら、確認しましょう。全員、離れすぎないで」

 

「はい」

 

 私は頷いた。

 

 ユズちゃんを見る。

 

「ユズちゃん、今は?」

 

「……八、です。でも、行けます」

 

「分かった。九になったら教えて」

 

「はい」

 

 私たちは奥へ入った。

 

 通路は思ったより長かった。左右には古いカプセルのような設備が並び、どれも停止している。中身は空だったり、割れていたり、曇って見えなかったりした。モモイちゃんは何度も声を出しかけて、そのたびに自分で飲み込んでいた。ミドリちゃんは端末でログを拾おうとしている。先生は前を歩き、私はユズちゃんの少し斜め前にいた。

 

 奥へ進むほど、機械音がはっきりしてきた。

 

 低く、一定で、眠っている誰かの呼吸みたいな音。

 

 そして、最後の部屋に着いた。

 

 そこだけは、他の場所と違っていた。

 

 埃が少ない。

 

 床の光がまだ生きている。

 

 中央に、大きな装置がある。卵のような、棺のような、でもどちらとも言い切れない白いカプセル。表面には細い線が走り、淡い光が内側から漏れている。

 

 モモイちゃんが、息を止めた。

 

「……何、これ」

 

 ミドリちゃんが端末を向ける。

 

「反応があります。内部に……何か、います」

 

「何かって」

 

 先生がカプセルへ近づく。

 

 私は反射的に言った。

 

「先生、近づきすぎないでください」

 

「分かってるわ」

 

 先生は慎重に、カプセルの表示を確認した。

 

 画面に、文字が浮かんでいた。

 

 AL-1S。

 

 その下に、読み取れないデータが流れている。

 

「えーえる……わん、えす?」

 

 モモイちゃんが首を傾げる。

 

「アリス……?」

 

 ミドリちゃんが小さく読んだ。

 

 その瞬間、カプセルの光が強くなった。

 

 ユズちゃんが私の袖をつかんだ。

 

 私はその手を見て、振り払わなかった。大丈夫、と言う代わりに、少しだけ袖の位置をそのままにする。

 

 カプセルから、空気の抜ける音がした。

 

 蓋がゆっくり開く。

 

 白い蒸気のようなものが床へ流れ、淡い光が部屋に広がった。

 

 中にいたのは、女の子だった。

 

 長い髪。

 

 閉じられた目。

 

 眠っているような顔。

 

 機械の中にいたのに、機械には見えなかった。人形のように整いすぎている、という言い方も違う。冷たい装置の中で、ひとりだけ温度を持っているように見えた。私は息をするのを忘れかけて、慌てて吸った。

 

 この子は、生きている。

 

 そう思った。

 

 根拠は分からない。救護騎士団として見た呼吸の気配かもしれない。肌の色かもしれない。閉じた瞼のかすかな動きかもしれない。でも、私はその子を、ただの発見物とは思えなかった。

 

 モモイちゃんが、小さく呟く。

 

「女の子……?」

 

 ミドリちゃんの声も震えていた。

 

「どうして、こんなところに……」

 

 先生が静かに近づいた。

 

 女の子の瞼が、わずかに動く。

 

 次の瞬間、目が開いた。

 

 淡い光を受けて、何も知らない目がこちらを見た。

 

 長い沈黙。

 

 それから、その子はゆっくり口を開いた。

 

「……起動、確認」

 

 声は澄んでいた。

 

 けれど、感情の形はまだ薄かった。

 

「周辺環境、不明。対象、複数。敵性反応……確認不可」

 

 モモイちゃんが、目を見開いた。

 

「しゃ、喋った……!」

 

 女の子の視線が、ゆっくり先生へ向く。

 

「質問」

 

 短い間。

 

「ここは、どこですか」

 

 誰もすぐには答えられなかった。

 

 私も、声が出なかった。

 

 廃墟の奥で、G.BIBLEを探していたはずだった。

 

 警備ロボットを避けて、暗い通路を進んで、古い扉を開けて。

 

 その先にいたのは、本でも資料でもなく、目を覚ましたばかりの女の子だった。

 

 その子はもう一度、私たちを見た。

 

 何も知らない目で。

 

「識別要求」

 

 静かな声。

 

「あなたたちは、誰ですか」

 

 モモイちゃんが息を吸った。

 

 ミドリちゃんが端末を下ろした。

 

 ユズちゃんが、私の袖を握る手に少しだけ力を込めた。

 

 先生は、その子の前で膝を折るようにして目線を合わせた。

 

「私は、先生。あなたを傷つけるつもりはないわ」

 

 女の子は、先生の言葉を理解しようとするように、ほんの少しだけ首を傾げた。

 

「先生」

 

 初めて覚える言葉のように、その子は繰り返した。

 

「登録します」

 

 私は、その声を聞きながら、胸の奥が静かに締めつけられるのを感じた。

 

 この子は、まだ何も持っていない。

 

 名前も。

 

 怖さも。

 

 好きなものも。

 

 自分がどこへ行きたいのかも。

 

 たぶん、これから覚えていく。

 

 誰かの声で。

 

 誰かの手で。

 

 誰かが一緒に遊んで、一緒に歩いて、一緒に笑って。

 

 モモイちゃんが、震える声で言った。

 

「先生、この子……連れて帰ろう」

 

 ミドリちゃんが驚いたようにモモイちゃんを見る。

 

「お姉ちゃん」

 

「だって、ここに置いていけないよ」

 

 モモイちゃんの声は、いつもの勢いとは違った。

 

 もっとまっすぐで、もっと単純で、だからこそ強かった。

 

「G.BIBLEじゃないかもしれない。でも、この子、ここに一人でいたんだよ。起きたばっかりなんだよ。置いていけない」

 

 ユズちゃんが、小さく頷いた。

 

「……私も、そう思います」

 

 ミドリちゃんは少しだけ黙った。

 

 そして、先生を見た。

 

「先生」

 

 先生は静かに頷く。

 

「そうね。まずは安全な場所へ移しましょう。詳しいことは、その後に調べればいい」

 

 女の子は、私たちの言葉を聞いていた。

 

 理解しているのか、していないのかは分からない。ただ、目だけがゆっくり動いて、最後に私の方を見た。

 

「対象」

 

 私は少しだけ背筋を伸ばした。

 

「あなたは、修復担当ですか」

 

「修復……」

 

 私は少し迷ってから、ゆっくり答えた。

 

「私は、救護係だよ。怪我をした人を診たり、倒れないように手伝ったりするの」

 

「救護」

 

 女の子は、その言葉を繰り返した。

 

「登録します」

 

 その声には、まだ温度が少ない。

 

 でも、確かに私の言葉を受け取った。

 

 私は小さく頷いた。

 

「うん。よろしくね」

 

 モモイちゃんが、女の子の横に立って、カプセルの表示をもう一度見た。

 

「AL-1S……アリス、って読めるよね」

 

「お姉ちゃん、勝手に名前を決めるのは」

 

「でも、名前ないと呼べないよ」

 

 モモイちゃんは女の子を見た。

 

「ねえ、あなた、アリスって呼んでもいい?」

 

 女の子は、しばらく黙っていた。

 

「アリス」

 

 繰り返す。

 

「識別名、AL-1S。呼称、アリス」

 

 ほんの少しだけ、間が空いた。

 

「登録します」

 

 モモイちゃんの顔が明るくなった。

 

「よし! じゃあアリス!」

 

 女の子――アリスは、モモイちゃんを見た。

 

「アリス」

 

 もう一度、自分で確かめるように言った。

 

 その声を聞いた時、私は思った。

 

 G.BIBLEは、まだ見つかっていない。

 

 ゲーム開発部の廃部問題も、何も解決していない。

 

 でも、今日この場所で、何かが始まってしまった。

 

 作りかけのゲームよりずっと大きくて、伝説の資料よりずっと分からないもの。

 

 ひとりの女の子が、今、名前を持った。

 

 廃墟の奥で。

 

 光の中で。

 

 私たちは、アリスを見つけた。

まぁ、ミレニアム編も当たり前ですけど、レナの例の動画を見せようと思うんですけど、ゲーム開発部にだけ見せるかどうか迷ってます。さすがに人を選ぶ描写になると思うんで、自分が見たい方にアンケートしてください。

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