戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
翌朝、ゲーム開発部の扉を開けた瞬間、私はまず床を見た。昨日より散らかっていない。ケーブルはまとめられている。飲みかけのボトルもない。机の上にはゲーム機と資料が積まれているけれど、通路は確保されている。よかった、と息をつきかけたところで、部室の中央から元気な声が飛んできた。
「パンパカパーン! おはようございます。アリスは夜通し経験値を獲得しました。レベルアップです」
私は、扉の前で止まった。
先生も隣で止まった。
モモイちゃんが、椅子の上で誇らしげに胸を張っている。その隣でミドリちゃんが、少しだけ寝不足そうな顔でこめかみを押さえていた。ユズちゃんはロッカーの扉を半分開けたまま、けれど昨日よりずっと近い場所で、アリスの方を見ている。
そしてアリスは、ゲーム機を抱えてこちらを振り向いていた。
昨日までのアリスは、言葉を一つずつ拾っていた。登録します、理解しました、実行します。まだ、世界を外側から確かめているみたいな声だった。
今のアリスは違う。
目の奥に、覚えた言葉がきらきら詰まっている。全部を理解しきっているわけではないのだと思う。それでも、覚えた言葉を使いたくてたまらない、という気持ちだけははっきり見えた。
「……アリスちゃん?」
「はい。アリスです」
アリスは真面目な顔で頷いた。
「昨日のアリスから、成長しました。現在のアリスは、レベルアップしたアリスです」
「キャラが完成してる!?」
モモイちゃんが叫んだ。
「いや、完成はしてないよ、お姉ちゃん。明らかにお姉ちゃんの影響を受けすぎてる」
「でもかわいいでしょ!?」
「それは……否定できないけど」
ミドリちゃんは視線を逸らした。
ユズちゃんが小さく言う。
「……アリス、すごいです」
「はい。アリスはすごいです」
アリスは素直に頷く。
「パーティーの皆さんに褒められると、追加経験値を獲得します」
「かわいい!」
モモイちゃんがまた叫ぶ。
「お姉ちゃん、朝から声が大きい」
「だってかわいいじゃん! アリスがパンパカパーンって言ったんだよ!?」
「言わせたの、お姉ちゃんでしょ」
「言わせたんじゃないよ! アリスが学んだんだよ!」
「その教材が偏ってるって言ってるの」
ミドリちゃんの声は呆れていたけれど、表情は少しだけ柔らかかった。たぶん、嬉しいのだ。昨日、言葉を一つずつ拾っていたアリスが、今は自分から言葉を組み合わせている。多少偏っていても、それは確かに成長だった。
私はアリスの前にしゃがんだ。
「アリスちゃん、眠った?」
「睡眠」
アリスは少し考えた。
「短時間、実行しました」
「短時間」
「はい。セーブポイントの概念を学習後、十分間の休止を実行しました」
「それは睡眠じゃなくて一時停止に近いかな……」
「一時停止」
アリスは頷く。
「アリスは、一時停止しました」
「うん。今日はもう少しちゃんと寝ようね」
「睡眠は、経験値獲得に必要ですか」
「必要。かなり必要」
「理解しました。睡眠はレベルアップ補助行動です」
「それなら合ってるかも」
モモイちゃんが横から親指を立てた。
「さすがレナお姉ちゃん! アリスに通じる説明!」
「モモイちゃんも寝た?」
「私は……」
「寝たよね?」
「二時間」
「お姉ちゃん」
ミドリちゃんの声が低くなる。
「私はちゃんと寝てって言ったよね」
「だってアリスの成長イベントが止まらなかったんだもん!」
「現実の人間はイベントを理由に徹夜しないの」
「ゲーマーはする!」
「胸を張らない」
私は少しだけ息を吐いた。
ここでまた長く体調管理の話をすると、前と同じになる。だから、今日は短く済ませることにした。
「じゃあ、今日は大事な作業は短め。モモイちゃんは途中で寝落ちしそうになったら、ちゃんと寝る。アリスちゃんも、夜通しゲームは今日で一回おしまい」
「クエスト制限ですか」
「そう。睡眠クエストが追加されました」
アリスの目が少し輝いた。
「睡眠クエスト。報酬は何ですか」
「明日も元気にゲームができること」
「高報酬です」
「でしょ」
アリスは真剣に頷いた。
「アリス、睡眠クエストを受注します」
先生が隣で小さく笑った。
モモイちゃんも、なぜか感動した顔をしている。
「レナお姉ちゃん、アリスとの会話うまいね」
「ゲーム開発部にいると、少しずつ覚えるね」
「レナお姉ちゃんもレベルアップ!」
「それは嬉しいかな」
アリスがすぐに反応した。
「レナも、レベルアップしました」
「ありがとう」
「パンパカパーン」
「そこ、たまに使うんだね」
「はい。パンパカパーンは、重要な演出です」
大真面目に言うので、笑ってしまった。
アリスの言葉は、まだ少しずれている。でも、そのずれがもう冷たくない。モモイちゃんたちと一晩過ごしたことで、言葉の端に部室の温度がついている。昨日まで空白だった場所に、ゲーム開発部の声が書き込まれていく。
けれど、遊んでばかりはいられなかった。
先生が机の上の資料を見た。
「それで、G.BIBLEの手がかりはどうなったの?」
その言葉で、部室の空気が少しだけ切り替わった。
モモイちゃんが胸を張る。
「調べました!」
ミドリちゃんが訂正する。
「調べようとしました」
「そこ細かい!」
「大事だよ。調べようとしたけど、普通の検索では全然出てこない。G.BIBLEという名前だけは噂として残っているけど、場所も中身も不明。廃墟のログも、私たちだけでは読めない部分が多いです」
ユズちゃんが机の端に小さな端末を置いた。
「……昨日の廃墟で拾ったログです。壊れている部分が多くて、復元が必要です」
アリスが画面を覗き込む。
「G.BIBLE。伝説の書。未入手アイテム」
「そう!」
モモイちゃんが指を鳴らす。
「伝説の書がないと、最高のゲーム制作が進まない!」
「なくても進める部分はあります」
ミドリちゃんが言った。
「でも、現状だと企画の核になる情報が足りません。過去の開発資料や、ミレニアム内の古いデータベースにアクセスできれば、何か分かるかもしれないです」
「つまり?」
モモイちゃんが聞く。
ミドリちゃんは少しだけ言いにくそうにした。
「私たちだけでは無理です」
その言葉に、部室が静かになった。
モモイちゃんは一瞬だけ口を閉じた。昨日までなら「そんなことない!」と勢いで返していたかもしれない。でも、今は返さなかった。アリスが加わった。四人になった。だけど、四人になったから全部できるわけではない。それを、モモイちゃんも分かっているのだと思う。
アリスが首を傾げる。
「無理」
「今のままだと難しい、ってこと」
私はそっと言った。
「でも、誰かに手伝ってもらえば進めるかもしれない」
「協力要請」
「うん。そういうこと」
アリスは頷いた。
「パーティー外メンバーに、協力要請します」
「パーティー外メンバーって言い方、なんか強いね」
モモイちゃんが笑う。
先生は少し考えてから、ミドリちゃんを見た。
「ミレニアムで、こういう古いログやシステム解析に強い人たちは?」
ミドリちゃんがすぐに答えた。
「ヴェリタス、だと思います」
その名前を聞いた瞬間、モモイちゃんが「あー」と声を出した。
「ヴェリタスかぁ」
「知ってるの?」
私が聞くと、モモイちゃんは少しだけ顔をしかめた。
「知ってる! すごいハッカー集団! でもなんか、いろいろ読まれそう!」
「説明が雑だよ、お姉ちゃん」
ミドリちゃんが補足する。
「ヴェリタスは、ミレニアムでも特に情報解析やハッキングに強い部活です。チヒロ先輩たちなら、ログの復元や古いシステムの解析もできるかもしれません」
ユズちゃんが小さく続ける。
「……でも、少し怖いです」
「怖い?」
「はい。何をどこまで見られるか、分からないので」
その言葉に、私は少しだけ背筋を伸ばした。
アビドスの重さとは違う。
ミレニアムの怖さは、たぶん触れ方が違う。力で押さえつけるのではなく、情報として開かれる。声、ログ、視線、行動、癖。自分が気づかないものまで、いつの間にか読み取られる。
ノアさんもそうだった。
穏やかに見て、言葉にしてしまう。
ヴェリタスは、きっと別の形でそれをする。
「ヴェリタス」
アリスが繰り返した。
「新規エリアですか」
「たぶん、新規エリア」
モモイちゃんが頷く。
「しかも解析系ダンジョン!」
「勝手にダンジョンにしないで」
ミドリちゃんが言う。
「でも、行く必要はあると思います。G.BIBLEの手がかりを探すなら、私たちだけで悩むより、専門家に見てもらった方が早いです」
先生も頷いた。
「それなら、ヴェリタスに相談してみましょう」
話は決まった。
決まった瞬間、モモイちゃんが立ち上がった。
「よし! じゃあ行こう!」
「今すぐ?」
ミドリちゃんが止める。
「今すぐ!」
「お姉ちゃん、アポ」
「アポ?」
「連絡してから行くの」
「でもゲームだと、新しい町には直接行くじゃん!」
「現実の部活訪問は町じゃないよ」
アリスが真面目に頷いた。
「アポ。事前連絡。重要語」
「アリスがまた賢くなってる!」
「お姉ちゃんより現実に適応してるかもしれない」
「ミドリ!?」
先生が笑いながら、端末を取り出した。
「連絡は私からしてみるわ。急に押しかけるより、その方がいいでしょう」
「先生が連絡すると、だいたい何とかなる気がする!」
「先生を万能アイテム扱いしないで、お姉ちゃん」
ミドリちゃんのツッコミに、私は思わず笑ってしまった。
その時、部室の扉が軽くノックされた。
「入るわよ」
ユウカさんだった。
後ろにはノアさんもいる。ユウカさんは部屋に入ってすぐ、机の上のゲーム機、アリスの表情、モモイちゃんの明らかな寝不足、床の資料、そして先生の端末を順番に見た。
「……何か、また話が進んでる顔してるんだけど」
「ユウカ!」
モモイちゃんが振り向く。
「アリスがレベルアップした!」
「まずそこから説明するのやめてくれる?」
ユウカさんは額を押さえた。
「どう見てもモモイは寝不足だし、先生はどこかに連絡しようとしてるし。ねえ、今度は何?」
「ヴェリタスに行きます」
アリスが堂々と言った。
ユウカさんが止まった。
「……アリス、今すごく自然に言ったわね」
「はい。アリスはレベルアップしました」
「そう……そこは分かった。たぶん」
ユウカさんは深く息を吐いた。
「で、なんでヴェリタス?」
ミドリちゃんがログを見せながら説明する。G.BIBLEが通常検索では出てこないこと。廃墟のログが壊れていること。古いシステムにDivi:Sionのような文字列があったこと。自分たちだけでは復元が難しいこと。
ユウカさんは黙って聞いていた。
砕けた口調でも、聞く時はちゃんと鋭い。途中で茶化さない。必要なところだけ確認する。昨日まで少し事務的に見えた人が、今日はずっと近く感じる。それでも、判断の速さは変わらなかった。
「……まあ、ヴェリタス案件ね」
「でしょ!」
モモイちゃんが嬉しそうに言う。
「でも、勝手に変なファイル開いたり、怪しいリンク踏んだりしないこと。特にモモイ」
「私だけ!?」
「あなたが一番踏みそうだから」
「踏まないよ!」
「昨日なら踏んでたでしょ」
「……今日は踏まない」
「よろしい」
ノアさんが横で微笑んだ。
「ユウカちゃん、今日のモモイさんへの評価は少し上がりましたね」
「ノア、そういうの本人の前で言わないの」
「でも、事実でしょう?」
「事実でも言わない方がいい時があるの」
「では、胸の内にしまっておきます」
「その言い方もやめて」
ノアさんは楽しそうだった。
その視線が、ふと私の方へ向く。
「レナさんも、ヴェリタスへ?」
「はい。外部協力者として、先生と一緒に」
「そうですか」
ノアさんは、少しだけ目を細めた。
「ヴェリタスの皆さんは、少し独特ですよ」
「独特……」
「ええ。見えるものを見るのではなく、見えないものが残した跡を見る方たちです」
その言い方に、私は返事を忘れた。
ノアさんは穏やかに続ける。
「あなたは、自分の行動に残る跡をあまり気にしていませんね。声の調子、判断の順番、誰を先に見るか。そういうものは、思っているより多くを語ります」
「……それは、少し怖いですね」
「怖がってもいいと思います。でも、隠すことだけを考えると、かえって読まれやすくなりますよ」
柔らかい声だった。
からかっているようで、助言でもある。
逃げ道を塞ぐというより、こちらが壁だと思っていたものに、いつの間にか扉を描いてみせるような言い方だった。
「ノアさんは、そういうのも分かるんですか」
「少しだけ」
「少しだけ、ですか」
「はい。全部分かる、なんて言うと可愛げがないでしょう?」
にこりと笑う。
その顔は確かに可愛い。けれど、可愛いと言って油断できる種類の人ではない。私は小さく息を吐いた。
「気をつけます」
「ふふ。気をつけているレナさんも、きっと分かりやすいでしょうね」
「ノアさん」
「はい。今のは少し意地悪でした」
認めるのが早い。
ユウカさんが横から呆れたように言う。
「ノア、初対面に近い相手をそうやって追い込まないの」
「追い込んでいませんよ。少しだけ、反応を見たくなっただけです」
「それを追い込むって言うの」
ミレニアムは、本当にいろんな怖さがある。
でも、嫌な怖さばかりではない。
少しだけ、知りたくなる怖さでもあった。
先生が端末を下ろした。
「ヴェリタスのチヒロさんから返事が来たわ。午後なら話を聞いてくれるそうよ」
「早い!」
モモイちゃんが叫ぶ。
「クエスト更新です!」
アリスがゲーム機を抱えたまま立ち上がった。
「目的地、ヴェリタス。推奨準備、アポ取得済み。パーティー、出発可能です」
「アリス、完璧!」
「まだ午前中だからね」
ミドリちゃんが冷静に言う。
「お姉ちゃんは少し寝て。アリスも一回休憩。午後から行きます」
「えー!」
「睡眠クエストです」
アリスが言った。
モモイちゃんが衝撃を受けた顔をする。
「アリスに言われた……!」
「アリス、えらい」
私が言うと、アリスは少しだけ胸を張った。
「はい。アリスは睡眠クエストの重要性を理解しました」
「じゃあ、モモイちゃんを連れてクエスト達成してきて」
「了解しました」
「え、私、アリスに寝かしつけられるの!?」
「お姉ちゃん、諦めて」
ミドリちゃんが言う。
ユズちゃんも、小さく頷いた。
「……モモイ、寝た方がいいです」
「ユズまで!?」
部室に笑いが起きる。
笑いながら、話は進んでいく。
G.BIBLEはまだ見つからない。
検索結果は空白のまま。
でも、空白だったアリスは、もうたくさんの言葉を持ち始めている。
パンパカパーン。
レベルアップ。
睡眠クエスト。
パーティー。
そして次の目的地。
ヴェリタス。
私は机の上の壊れたログデータを見た。
ここから先は、ゲーム開発部だけでは届かない場所へ進むことになる。
誰かの残した跡を読む人たち。
見えないものを拾う人たち。
その人たちが、レナという外部協力者を見た時、何を見つけるのか。
少しだけ怖い。
けれど、アリスが覚えたばかりの言葉を思い出す。
クエスト、継続。
なら、進むしかない。
午後、私たちはヴェリタスへ向かうことになった。
まぁ、ミレニアム編も当たり前ですけど、レナの例の動画を見せようと思うんですけど、ゲーム開発部にだけ見せるかどうか迷ってます。さすがに人を選ぶ描写になると思うんで、自分が見たい方にアンケートしてください。
-
見せる
-
見せない