戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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9話 ヴェリタスはノックしない

 

 

 午後のミレニアムは、朝より少しだけ音が硬かった。

 

 校舎の壁を走る光の線、通路の案内音、遠くで動く機械の駆動音。どれも同じはずなのに、向かう場所が変わるだけで、聞こえ方まで変わる。ゲーム開発部へ向かう時は、あの部室の騒がしさを思い出して、廊下の音まで少し柔らかく感じた。けれど、ヴェリタスへ向かう今は違う。

 

 見えないところで、何かがこちらを見ている。

 

 そんな気がした。

 

「レナお姉ちゃん、緊張してる?」

 

 モモイちゃんが、こちらを覗き込んだ。

 

「少しだけ」

 

「大丈夫! ヴェリタスは変な人たちだけど、悪い人たちじゃないから!」

 

「お姉ちゃん、その紹介はどうなの」

 

 ミドリちゃんがすぐに言う。

 

「でも間違ってないでしょ?」

 

「間違ってはいないけど、初対面前に言うことじゃないよ」

 

 アリスが真剣な顔で頷いた。

 

「ヴェリタス。変な人たち。悪い人たちではない。登録済み」

 

「アリス、今の登録しなくていいから!」

 

「パンパカパーン。不要登録を削除します」

 

「削除できるんだ……」

 

 ユズちゃんが小さく呟いた。

 

 アリスは朝からずっと元気だった。元気、というより、覚えた言葉を使いたくてたまらないのだと思う。ゲーム開発部の部室で一晩中ゲームをした結果、昨日までの無機質な言葉はかなり薄れていた。まだ少しずれているけれど、そのずれ方まで含めてアリスらしくなりつつある。

 

「目的地、ヴェリタス。クエスト内容、G.BIBLE関連ログの解析依頼」

 

「そう!」

 

 モモイちゃんが胸を張る。

 

「伝説の書を探すためには、情報系ダンジョンを攻略しないと!」

 

「だからダンジョンじゃないってば」

 

 ミドリちゃんが呆れたように返す。

 

 先生は少し後ろで、みんなのやり取りを見守っていた。私はその隣を歩きながら、鞄の紐を握り直した。救護バッグは今日も持っている。でも、今日必要になるのは包帯や冷却材ではない気がしていた。

 

 もっと別のところに触れられる。

 

 そんな予感があった。

 

 ヴェリタスの部室前に着くと、モモイちゃんが勢いよく扉を叩こうとした。

 

 その直前、扉が開いた。

 

「うわっ!?」

 

 モモイちゃんが手を上げたまま固まる。

 

 扉の向こうには、眼鏡をかけた生徒が立っていた。各務チヒロさん。先生から名前は聞いていた。ヴェリタスの部長で、情報解析に強い人だと。

 

「ノックする前に開けた……」

 

 モモイちゃんが呟く。

 

 チヒロさんは、少しだけ肩をすくめた。

 

「廊下の足音と声で分かったから。先生とゲーム開発部、それから外部協力者が一人。あと、アリス」

 

「もうバレてる!」

 

「声が大きいんだよ、モモイは」

 

 チヒロさんの声は落ち着いていた。低すぎず、高すぎず、無駄が少ない。責める感じではないのに、言われたことを否定する隙があまりない。

 

 モモイちゃんがこちらを見る。

 

「レナお姉ちゃん、やっぱりヴェリタス怖くない?」

 

「少しだけ」

 

「そこは否定してほしかった!」

 

 チヒロさんの視線が私に向いた。

 

「あなたがレナさん?」

 

「はい。トリニティ総合学園、救護騎士団のレナです。今日は先生の同行で来ました」

 

「救護騎士団」

 

 チヒロさんは一度だけ頷いた。

 

「なるほど。廃墟探索に救護担当を連れていく判断は悪くないね」

 

「ありがとうございます」

 

「でも、あなたは解析対象じゃないから安心していいよ。今日はログを見るだけ」

 

 そう言われたのに、安心はできなかった。

 

 解析対象ではない。

 

 その言い方が、もう少し怖い。

 

 対象にしようと思えばできる、という意味が、言葉の裏側に薄く残っているように聞こえた。

 

「入って。ハレたちもいる」

 

 チヒロさんに促されて、私たちは部室に入った。

 

 ヴェリタスの部室は、ゲーム開発部とはまるで違っていた。

 

 散らかっていないわけではない。むしろ、ケーブルや端末や部品はたくさんある。けれど、散らかり方が違う。ゲーム開発部の部室は、熱と勢いが積もっている場所だった。こちらは、情報が重なっている場所だ。机の上の端末、壁に並んだモニター、暗い画面に流れる文字列。どこに何があるのか、私には分からない。でも、ここにいる人たちにはきっと分かっている。

 

 部屋の奥で、気だるそうな生徒が椅子に沈んでいた。

 

「来たんだ」

 

 ハレさんだと思う。声は眠そうなのに、こちらを見る目は思ったよりはっきりしていた。画面の光を受けて、表情が少し青白く見える。

 

 その近くで、明るい色の髪の生徒が手を振る。

 

「おー、ゲーム開発部じゃん。で、そっちが噂のレナっち?」

 

「レナっち」

 

 思わず繰り返してしまった。

 

「うん、レナっち。呼びやすいし」

 

 マキさんは笑っていた。軽い。けれど、その軽さが逆に読みにくい。壁に絵を描く前に、どこへ線を置けば一番目立つか見ているような目だった。

 

 そして、もう一人。

 

「……こんにちは」

 

 声は、すぐ近くでした。

 

 耳の横ではない。けれど、思ったより近い。振り向くと、コタマさんが端末を持って立っていた。いつの間にそこに来たのか、全然分からなかった。

 

「ひゃっ……」

 

 変な声が出た。

 

 モモイちゃんがすぐに反応する。

 

「レナお姉ちゃんが変な声出した!」

 

「モモイちゃん、言わなくていいよ」

 

「すみません」

 

 コタマさんは淡々と言った。

 

「驚かせるつもりは、少しだけありました」

 

「少しだけ?」

 

「はい。反応を確認したかったので」

 

 謝罪の形をしているのに、内容はまったく謝っていない。

 

 私は返事に困った。

 

 コタマさんは私の顔ではなく、喉元のあたりを見ているように感じた。声を聞く人の視線だと思った。目を見るのではなく、音が生まれる場所を見ている。

 

「レナさんの声は、驚くと少し上に跳ねるんですね」

 

「……そういうの、分かるんですか」

 

「分かります」

 

 即答だった。

 

「救護指示の時は、もっと低くなると聞いています」

 

「誰から……」

 

 言いかけて、チヒロさんの方を見る。

 

 チヒロさんは画面を起動しながら言った。

 

「廃墟の帰還ログに、少し音声が残ってた。あなたがユズに歩数を数えていたところ」

 

「それ、聞いたんですか」

 

「解析に必要な部分だけね」

 

 チヒロさんは何でもないように言う。

 

 けれど、その一言で、胸の奥が少しだけ縮んだ。

 

 私が誰かにかけた声。

 

 私がその時、どういう声で、どういう速さで、どういう言葉を選んだのか。

 

 自分ではもう忘れかけていたものが、この人たちの前ではデータとして残っている。

 

「レナさん」

 

 コタマさんが、少しだけ近づいた。

 

 近い、と感じるより先に、声が耳に入る。

 

「救護指示の声は、聞いていて迷いにくいです。言葉の端が固くなって、音が前へ出ます」

 

「それは……たぶん、聞いている人が迷わないように」

 

「はい。だから面白いです」

 

 面白い。

 

 その言葉に、少しだけ指先が止まった。

 

「面白い、ですか」

 

「はい」

 

 コタマさんは表情を変えない。

 

「レナさんは、相手のために声を変える。でも、自分が見られている時の声は、まだ作れていません」

 

 部屋の音が、一瞬遠くなった。

 

 モモイちゃんたちはログの準備で騒いでいる。アリスが「新規NPC、個性豊富です」と言って、ミドリちゃんに「NPCじゃないよ」と訂正されている。先生がチヒロさんと話している。

 

 でも、私の耳にはコタマさんの声だけが残った。

 

「……意地悪ですね」

 

「はい」

 

 コタマさんは淡々と頷いた。

 

「少しだけ」

 

 その「少しだけ」が、全然少しだけに聞こえなかった。

 

「コタマ、レナさんで遊ばない」

 

 チヒロさんが画面の前から言った。

 

「遊んでいません。聴いています」

 

「もっと悪い言い方になってるよ」

 

 ハレさんが椅子に沈んだまま呟いた。

 

 マキさんが笑う。

 

「レナっち、もう捕まってるじゃん」

 

「捕まって……?」

 

「ヴェリタスってそういうとこあるんだよね。見つけたら、つい解析したくなる」

 

「私はログじゃないです」

 

「うん。ログじゃない」

 

 マキさんは軽く言った。

 

「でも、跡は残るよ。歩いたあととか、言った言葉とか、困った顔とか」

 

 困った顔。

 

 また言われた。

 

 私は思わず頬に触れそうになって、やめた。触れたら、それも見られそうだった。

 

「ほら、今」

 

 ハレさんが言った。

 

「顔を隠そうとして、途中でやめた」

 

「……見てたんですか」

 

「見えた」

 

 ハレさんは悪びれない。

 

「画面より分かりやすいよ、レナ」

 

 呼び捨てだった。

 

 その距離の詰め方に、一瞬だけ呼吸が遅れる。ゲーム開発部の子たちが私を「お姉ちゃん」と呼ぶ時とは違う。守られる側でも、世話を焼く側でもない。ただ、私という一人の人間を、近い距離で覗き込まれている感じがした。

 

 私は、救護バッグの紐を握った。

 

 チヒロさんが、その動きだけを見て言う。

 

「そこ。迷った時にバッグの紐を探すんだね」

 

 今度こそ、返事ができなかった。

 

 チヒロさんは責めていない。

 

 でも、並べられる。

 

 声。

 

 間。

 

 視線。

 

 手の動き。

 

 救護バッグ。

 

 私が自分のものだと思っていた反応が、ひとつずつ机の上に置かれていく。

 

「やめた方がいい?」

 

 チヒロさんが聞いた。

 

 優しい確認のようで、そうではなかった。

 

 やめてほしい、と言えば止めるのかもしれない。けれど、止めてほしいと思ったことまで、もう知られている。そういう聞き方だった。

 

「……今日は、ログの解析をしに来ました」

 

 私は少しだけ声を整えた。

 

「私の解析ではなく」

 

 チヒロさんの口元が、ほんの少しだけ動いた。

 

「うん。いい切り返し」

 

「褒められてますか」

 

「半分くらい」

 

「半分」

 

「もう半分は、今の声も少し低くなったなって思ってる」

 

「やっぱり解析してるじゃないですか」

 

「癖だから」

 

 さらりと言われて、怒るタイミングを失った。

 

 ヴェリタスは、ゲーム開発部とは全然違う。

 

 モモイちゃんたちは、私を頼ってくれる。お姉ちゃんみたいに呼んで、褒めると笑って、困るとこちらを見る。

 

 でも、ヴェリタスは違う。

 

 こちらを見る。

 

 頼る前に、読む。

 

 守られる前に、剥がされる。

 

 それが嫌かと聞かれると、すぐに嫌とは言えなかった。

 

 少し怖い。

 

 でも、その怖さの中に、知らない熱がある。

 

「さて」

 

 チヒロさんが端末を操作した。

 

「本題に入ろうか。廃墟で拾ったログ、見せて」

 

 ミドリちゃんが端末を差し出す。

 

「これです。破損している部分が多くて、通常の復元では読めませんでした」

 

「ふーん」

 

 チヒロさんは画面を見た。

 

 ハレさんが椅子ごと少し寄ってくる。マキさんは机の反対側から覗き込み、コタマさんは音声ファイルの部分だけ別に開いた。

 

 数秒。

 

 部屋の空気が変わった。

 

 さっきまで私をからかっていた雰囲気が、すっと引く。ヴェリタスの四人の目が、画面へ沈んだ。冗談でも、遊びでもない。情報を読む人たちの顔だった。

 

 チヒロさんが短く言う。

 

「これ、ただの廃墟ログじゃないね」

 

 モモイちゃんが身を乗り出す。

 

「えっ、じゃあG.BIBLE!?」

 

「まだ分からない」

 

 ハレさんが答える。

 

「でも、古いシステムログの中に、外部から差し込まれた形跡がある。自然に壊れたんじゃなくて、壊したあとに何かを残してる」

 

「壊したあとに残す?」

 

 ユズちゃんが小さく聞いた。

 

「見つけさせたいものがある時に、そういう壊し方をする人もいる」

 

 チヒロさんの声は淡々としていた。

 

 けれど、私はその言葉にひっかかった。

 

 見つけさせたいもの。

 

 壊したあとに残す。

 

 それは、少し嫌な言葉だった。

 

「Divi:Sion」

 

 アリスが呟いた。

 

 画面の端に、その文字が浮かんでいた。昨日、廃墟の扉で見たものと同じだ。

 

「アリス、覚えてるの?」

 

 モモイちゃんが聞く。

 

「はい。廃墟の扉に表示されていました。重要語の可能性があります」

 

「重要語かぁ……」

 

 マキさんが画面を見ながら言った。

 

「これ、見た目は古いけど、奥に隠れてる圧縮形式はちょっと変だね。誰かが上から塗ってる」

 

「塗ってる?」

 

 私が聞くと、マキさんが楽しそうにこちらを見る。

 

「壁に古い落書きがあるとしてさ、その上から別の色で薄く描いてある感じ。遠くから見ると古い汚れに見えるけど、近くで見ると意図がある」

 

「マキの説明、分かりやすいね」

 

 ハレさんが眠そうに言った。

 

「でしょ?」

 

 マキさんは少し得意そうだった。

 

「つまり、これ描いた人、性格悪い」

 

「そこまで分かるんですか」

 

「分かるよ」

 

 マキさんは笑う。

 

「見つけた人に“見つけた”って思わせたい描き方してるもん」

 

 背中に、薄い冷たさが走った。

 

 先生も少しだけ表情を硬くしている。

 

「復元できる?」

 

 先生が聞いた。

 

 チヒロさんは迷わず答えた。

 

「できる。全部は無理でも、方向は見える」

 

「方向?」

 

「G.BIBLEそのものじゃないかもしれない。でも、G.BIBLEに繋がる何か。あるいは、それを探していた別の誰かの痕跡」

 

 ミドリちゃんが息を飲む。

 

「別の誰か……」

 

「そう」

 

 チヒロさんは端末を操作しながら続けた。

 

「それと、Mirrorという単語が断片的に出てる」

 

「Mirror?」

 

 モモイちゃんが首を傾げた。

 

「鏡?」

 

「名前だけならね」

 

 ハレさんが画面を覗き込みながら言う。

 

「でも、このログの中だと、ただの単語じゃない。システム名か、プロジェクト名か、認証キーかも」

 

「新規クエストです」

 

 アリスが真面目に言った。

 

「目的、Mirrorの正体確認」

 

「アリス、すっかりクエストで整理するようになったね」

 

 ミドリちゃんが少し笑う。

 

「はい。アリスはクエスト管理能力を獲得しました」

 

「パンパカパーン?」

 

 モモイちゃんが期待する。

 

「パンパカパーン」

 

 アリスが小さく言った。

 

 緊張していた部屋に、少しだけ笑いが戻る。

 

 けれど、ヴェリタスの四人は完全には緩まなかった。

 

 チヒロさんが、画面の一部を拡大する。

 

「ここ。壊れているけど、復元すれば座標かアクセス経路が出ると思う」

 

「どれくらいかかりますか?」

 

 ミドリちゃんが聞く。

 

「急げば今日中に断片は出せる。ただ、深く掘るなら時間がいる」

 

 ハレさんが椅子に沈む。

 

「あと、触ると向こうに気づかれる可能性もある」

 

「向こう?」

 

 先生が聞いた。

 

「このログを残した誰か」

 

 チヒロさんが答える。

 

「今も見てるとは限らない。でも、こういうのは不用意に掘ると、掘った側の情報も返すことがある」

 

 返す。

 

 情報が返る。

 

 こちらが見ているつもりで、こちらも見られる。

 

 私は無意識に息を止めていた。

 

「レナさん」

 

 コタマさんが言った。

 

 声は近くなかった。けれど、まっすぐ耳に届いた。

 

「今、息を止めました」

 

「……言わなくていいです」

 

「はい。でも、分かりました」

 

 少しだけ、意地悪な沈黙があった。

 

「レナさんは、“見られる”という言葉に反応します」

 

 部屋の温度が、私だけ少し変わった。

 

 ゲーム開発部の方へ視線を向ける。モモイちゃんは心配そうに私を見ていた。ミドリちゃんも、ユズちゃんも。アリスだけは、意味を整理しようとしている顔だった。

 

 私は笑おうとした。

 

 でも、その前にチヒロさんが言った。

 

「コタマ」

 

「はい」

 

「そこまで」

 

「了解しました」

 

 コタマさんは素直に引いた。

 

 けれど、引かれた後も、言葉は残る。

 

 見られる、という言葉に反応する。

 

 そうなのかもしれない。

 

 ノアさんにも、ヴェリタスにも、見られる。

 自分が見せたいと思っていない場所まで。

 

 でも今日は、その怖さから逃げる日ではない。

 

「……すみません。続けてください」

 

 私が言うと、チヒロさんが少しだけ私を見た。

 

「無理してる?」

 

「少しだけ」

 

「正直だね」

 

「さっきから、嘘をついても分かりそうなので」

 

「うん。たぶん分かる」

 

 否定してくれない。

 

 でも、その方がかえって少し楽だった。

 

 チヒロさんは画面へ戻った。

 

「復元する。ハレ、圧縮形式の推定。マキ、視覚データのノイズ除去。コタマ、音声断片の分離。ただし、開く前に先生へ確認」

 

「了解」

 

「はーい」

 

「了解しました」

 

 三人の返事が重なる。

 

 ヴェリタスの空気が一気に動いた。ハレさんは気だるげなまま指だけ速い。マキさんは鼻歌でも歌いそうな顔でノイズの層を剥がしていく。コタマさんは音声波形をじっと見ている。チヒロさんは全体を見ながら、必要なところだけ短く指示を出す。

 

 格好いい、と思った。

 

 ゲーム開発部の熱とは違う。こちらは、静かな集中だ。誰かが大声を出すわけでもないのに、部屋全体が一つの機械みたいに動いている。

 

 モモイちゃんも、ぽかんと見ていた。

 

「すご……」

 

「お姉ちゃん、邪魔しないでね」

 

「分かってる。今は静かにする」

 

 モモイちゃんが本当に静かになった。

 

 ミドリちゃんが少し驚いた顔をする。

 

 アリスが小さく言った。

 

「ヴェリタス、解析パーティー」

 

「いい表現だね」

 

 ハレさんが画面を見たまま言う。

 

「アリス、センスある」

 

「センス」

 

「褒め言葉」

 

「理解しました。アリスはセンスを獲得しました」

 

「獲得が早いね」

 

 ハレさんの声が、少しだけ柔らかくなる。

 

 数分後、画面に断片的な文字列が浮かんだ。

 

 G.BIBLE。

 

 Mirror。

 

 そして、読み取れない座標の一部。

 

 モモイちゃんが小さく息を吸った。

 

「出た……!」

 

 ミドリちゃんも、端末を握る手に力を入れる。

 

「本当に、手がかりが……」

 

 チヒロさんは頷いた。

 

「まだ断片。でも、追える」

 

「どこに繋がるの?」

 

 先生が聞いた。

 

 ハレさんが画面を見ながら答える。

 

「ミレニアム内部の古い研究棟……かな。今は一般生徒は入れない区画。アクセス権限が必要」

 

「つまり?」

 

 モモイちゃんが聞く。

 

 マキさんがにっと笑う。

 

「つまり、普通に行くと怒られる」

 

「えー!」

 

「でも、手がかりはそこにある」

 

 チヒロさんが言った。

 

「先生、これはセミナーか、もしくはC&Cを通した方がいいかもしれない。区画の管理が特殊だし、警備系が絡むなら私たちだけで開けるのは面倒」

 

「C&C……」

 

 私は小さく繰り返した。

 

 また、知らない名前。

 

 けれど、先生はすぐに頷いた。

 

「分かった。ユウカさんにも確認して、必要ならC&Cにも協力をお願いしましょう」

 

「メイドさんのパーティー加入ですか?」

 

 アリスが目を輝かせた。

 

「C&Cはメイド部隊だから、まあ……そうかも?」

 

 モモイちゃんが答える。

 

「メイドさん! アリス、メイドさんを知っています。ゲームにも登場します」

 

「アリス、情報が偏ってる」

 

 ミドリちゃんが言う。

 

 部屋にまた少し笑いが戻った。

 

 けれど、私は画面の文字から目が離せなかった。

 

 G.BIBLE。

 

 Mirror。

 

 特殊管理区画。

 

 C&C。

 

 話は、確かに進んだ。

 

 進んでしまった。

 

「レナっち」

 

 マキさんの声がした。

 

 顔を上げると、彼女はいつの間にか私の横に立っていた。手には小さな付箋のようなものを持っている。

 

「これ、貼っていい?」

 

「何ですか」

 

「迷子防止」

 

「迷子にはなりません」

 

「でもレナっち、さっきから部屋の中で少しずつ後ろに下がってるよ」

 

 言われて、足元を見る。

 

 本当に、最初にいた場所より半歩ほど後ろだった。

 

 マキさんは笑っていた。

 

「だから、印」

 

「印……」

 

「冗談だよ。半分」

 

「半分が多いですね」

 

「うん。だってレナっち、誰かの場所になりやすそうだから」

 

 胸の奥が、また変なふうに揺れた。

 

「誰かの場所って、どういう意味ですか」

 

「言葉のまま」

 

 マキさんは、付箋を私ではなく、近くの机にぺたりと貼った。

 

 そこには、簡単な顔の落書きが描かれていた。

 

「ここ、レナっち避難ポイント」

 

「避難ポイント?」

 

「怖くなったらここ。ヴェリタスは怖いからね」

 

「自覚あるんですか」

 

「あるよ」

 

 マキさんは楽しそうに言った。

 

「でも、怖いって思われるのも嫌いじゃない」

 

 軽い声だった。

 

 でも、その言葉は軽くなかった。

 

 私は返事を探す。

 

 その前に、チヒロさんが立ち上がった。

 

「今日はここまで。これ以上掘るなら、こっちでも準備がいる。先生、復元した断片は送る」

 

「ありがとう、チヒロさん」

 

「それと」

 

 チヒロさんは私を見た。

 

「レナさん」

 

「はい」

 

「次に来る時、怖いなら怖いって言っていいよ」

 

「……はい」

 

「でも、言わなくてもたぶん分かる」

 

 優しくない。

 

 でも、突き放してもいない。

 

 チヒロさんは少しだけ笑った。

 

「だから、隠すならもう少し上手く隠して」

 

 ずるい人だと思った。

 

 怖がっていいと言いながら、隠すことを許す。けれど、隠しても分かると言う。逃げ道を塞がれているのに、なぜか責められている気はしない。

 

 むしろ。

 

 もう少し見られてみたい、と思ってしまうのが怖かった。

 

「……努力します」

 

「うん。期待してる」

 

 ヴェリタスの部室を出る時、アリスは振り返って言った。

 

「ヴェリタス、解析パーティー。クエスト進行に貢献しました」

 

 チヒロさんが軽く手を上げる。

 

「またどうぞ」

 

 ハレさんは椅子に沈んだまま手を振った。

 

「次はもう少し眠い時以外に来て」

 

「ハレ、いつも眠いでしょ」

 

 マキさんが笑う。

 

 コタマさんは私の方を見て、静かに言った。

 

「レナさん」

 

「はい」

 

「次は、救護指示以外の声も聞かせてください」

 

 私は固まった。

 

 コタマさんは表情を変えない。

 

「今日の声は、少し抑え気味でした」

 

「……本当に意地悪ですね」

 

「はい」

 

 短い返事。

 

「少しだけ」

 

 扉が閉まる直前、マキさんの声が聞こえた。

 

「レナっち、避難ポイント忘れないでねー」

 

 廊下に出ると、空気が少し軽くなった。

 

 でも、胸の奥は落ち着かなかった。

 

 ゲーム開発部の部室へ向かう時とは違う疲れ方をしている。怖い。けれど、嫌ではない。知らない人たちに、自分の知らない自分を見つけられるのは、こんなにも落ち着かない。

 

「レナお姉ちゃん、大丈夫?」

 

 モモイちゃんが聞いてくる。

 

 その声に、少しだけ安心した。

 

 ここでは、私はお姉ちゃんに戻れる。

 

「うん。大丈夫」

 

「ヴェリタス、やっぱり怖かった?」

 

「少し」

 

「だよね!」

 

 モモイちゃんが力強く頷く。

 

 ミドリちゃんが静かに言う。

 

「でも、手がかりは見つかりました」

 

「うん!」

 

 アリスが両手でゲーム機を抱えたまま言った。

 

「クエスト更新。次の目的地、特殊管理区画。協力候補、C&C」

 

 ユズちゃんが少し不安そうに呟く。

 

「……C&C」

 

 先生が前を向く。

 

「まずはユウカさんに確認しましょう。それから、必要ならC&Cに協力をお願いする」

 

 物語が進んでいる。

 

 その実感があった。

 

 G.BIBLEを探すだけだったはずの道は、Mirrorへ繋がり、特殊管理区画へ繋がり、C&Cへ繋がろうとしている。

 

 そして私は、ヴェリタスの部室に、自分の知らない跡を少し置いてきてしまった気がした。

 

 声。

 

 間。

 

 困った顔。

 

 避難ポイント。

 

 それらを思い出すと、胸の奥がまた少しだけざわついた。

 

 アリスがこちらを見上げる。

 

「レナ」

 

「何?」

 

「レナは、ヴェリタスでレベルアップしましたか」

 

 私は少し考えた。

 

「……したかもしれない」

 

「パンパカパーン?」

 

「それは、もう少し後で」

 

「了解しました。パンパカパーン、保留します」

 

 モモイちゃんが笑い、ミドリちゃんがため息をつき、ユズちゃんが少しだけ口元を緩める。

 

 私はその中で、もう一度前を向いた。

 

 次は、C&C。

 

 メイドさんは敵ですか、味方ですか。

 

 アリスなら、きっとそう聞くだろう。

 

 でも私は、少し違うことを考えていた。

 

 守る人たちに見つめられた時、私はどこへ立てばいいのだろう。

 

 救護係として。

 

 外部協力者として。

 

 それとも、ただのレナとして。

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