戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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10話 メイドさんは敵ですか?味方ですか?

 

 

 ユウカさんは、ヴェリタスから送られてきた解析結果を見て、しばらく黙っていた。

 

 黙っている時間が長い。

 

 怒っているというより、頭の中で何かを何度も計算し直している顔だった。画面に表示されているのは、昨日ヴェリタスが復元したログの断片。G.BIBLE、Mirror、Divi:Sion。それから、ミレニアム内部の特殊管理区画へ繋がる古いアクセス経路。

 

 ゲーム開発部の部室には、いつもより少し硬い空気が流れていた。

 

 モモイちゃんも、今日はさすがに黙っている。

 ……と思ったら、三秒だけだった。

 

「ユウカ、どう? これ、いけそう?」

 

「いけそう、じゃないの」

 

 ユウカさんは端末から顔を上げた。

 

「ゲーム開発部の廃部回避の話から、どうして特殊管理区画の旧システムに繋がるの? ねえ、どうして?」

 

「クエストが更新されたから!」

 

「モモイに聞いた私が悪かった」

 

「ひどい!」

 

 アリスが両手でゲーム機を抱えたまま、まっすぐ頷いた。

 

「クエスト更新は正しいです。現在の目的は、G.BIBLE関連ログ、およびMirrorの手がかりを追跡することです。次の目的地、特殊管理区画」

 

「アリスまでそっち側に行っちゃった……」

 

 ユウカさんが額に手を当てる。

 

 ミドリちゃんは資料をそっと差し出した。

 

「ヴェリタスの解析では、廃墟で見つけたログの一部が、今は閉鎖されている旧システムに接続されていた可能性が高いそうです。警備も残っているかもしれません。私たちだけで行くのは危険です」

 

「だからC&Cってわけね」

 

 ユウカさんは深く息を吐いた。

 

「分かる。理屈は分かる。でも、この流れを普通だと思わないでね。ゲーム開発部、ほんとに毎回おかしい方向へ話が飛ぶんだから」

 

「でも、今回は私たちが飛ばしたわけじゃないよ?」

 

 モモイちゃんが珍しく少しだけ真面目な顔をした。

 

「G.BIBLEを探してたら、勝手に変なログが出てきたんだもん」

 

「……それは、そうね」

 

 ユウカさんは否定しなかった。

 

 モモイちゃんは一瞬だけ勝ち誇りそうな顔をしたけれど、ミドリちゃんが視線だけで止めた。モモイちゃんは口を閉じた。偉い。かなり偉い。

 

 私は部室の端で、救護バッグの紐を指でなぞっていた。

 

 C&C。

 

 ミレニアムの特殊部隊。メイド姿の精鋭。護衛、制圧、潜入、障害排除。聞けば聞くほど、救護騎士団とは違う種類の力を持つ人たちだと思った。

 

 守る。

 

 同じ言葉でも、やり方が違う。

 

 私たちは怪我を減らすために動く。C&Cは危険そのものを排除するために動く。どちらが正しいという話ではない。ただ、見ている場所が違うのだと思う。

 

「レナさん」

 

 ノアさんの声がした。

 

 顔を上げると、いつもの柔らかな目がこちらを見ていた。

 

「少し緊張していますね」

 

「……はい。少しだけ」

 

「C&Cの皆さんは、かなり個性的ですから」

 

「個性的、ですか」

 

「ええ。ユウカちゃんの胃にあまり優しくない方々です」

 

「ノア、聞こえてるから」

 

「聞こえるように言いました」

 

「言わなくていいの!」

 

 ユウカさんはそう言いながらも、もう端末を操作していた。C&Cへの連絡、区画の権限確認、先生の同行記録、ゲーム開発部の安全管理。文句を言いながら、処理は速い。

 

 数分後、ユウカさんの端末が鳴った。

 

「……早」

 

「返事来た?」

 

 モモイちゃんが身を乗り出す。

 

「来た。今から来るって」

 

「今から!?」

 

「ここにですか?」

 

 ミドリちゃんが少し驚いた顔をする。

 

 アリスの目が輝いた。

 

「イベント発生です。C&C、パーティーに合流します」

 

「合流っていうか、たぶん私たちが怒られる側だよ」

 

 ユズちゃんが、小さくロッカーの陰からこちらを見た。

 

「……怖い人たち、ですか?」

 

「怖いというか……」

 

 ミドリちゃんが言葉を探す。

 

 その時、廊下の向こうから足音が聞こえた。

 

 迷いのない足音だった。

 

 ゲーム開発部の足音は、いつもばらばらだ。モモイちゃんは跳ねる。ミドリちゃんはそれを追いかける。ユズちゃんは静かで、アリスは最近少しだけリズムがついた。けれど、廊下から近づいてくる足音は違った。ばらばらに聞こえるのに、向かう先が同じだと分かる。誰かが先導し、誰かが周囲を見て、誰かが後ろを拾っている。

 

 扉が開いた。

 

 最初に入ってきたのは、小柄な生徒だった。

 

 小柄なのに、部屋の空気が変わった。赤みのある鋭い目、荒っぽい立ち方、メイド服の形をしているのに、可愛らしさより先に圧が来る。口元が不機嫌そうに歪んでいて、こちらを見るなり舌打ちした。

 

「チッ。ほんとにゲーム開発部絡みかよ」

 

 それが、美甘ネルさんだった。

 

 ユウカさんが眉を寄せる。

 

「ネル、第一声」

 

「あ? 事実だろ。面倒な案件にだいたいこいつらの名前がある」

 

「聞こえてるよ!?」

 

 モモイちゃんが叫ぶ。

 

 ネルさんは視線だけ向けた。

 

「聞こえるように言ったんだよ」

 

「この人、強い!」

 

 モモイちゃんが謎の感想を漏らした。

 

 ネルさんの後ろから、ぱっと明るい声が入ってくる。

 

「ご主人様、こんにちはー! あ、ゲーム開発部のみんなもいる!」

 

 アスナさんだった。

 

 笑顔が近い。まだ部屋に入ったばかりなのに、もうこちらとの距離を詰めているような声。先生に向かって手を振って、それからモモイちゃんたちを見てにこにこしている。

 

 続いて、背筋の伸びたカリンさんが入ってきた。

 

「失礼します。C&C、角楯カリンです」

 

 丁寧な声。落ち着いた表情。けれど、部屋に入った瞬間、出入口、窓、机の位置、全員の立ち位置を見ていた。挨拶しながら、もう仕事をしている。

 

 最後に、アカネさんが柔らかく微笑みながら入ってきた。

 

「皆さま、こんにちは。室笠アカネと申します。本日は、少し大きなお掃除のお手伝いと伺っております」

 

「お掃除って、特殊管理区画に行く話ですよね?」

 

 ミドリちゃんが慎重に聞く。

 

「はい。邪魔なものがございましたら、綺麗にいたします」

 

 アカネさんはにこりとした。

 

 モモイちゃんがミドリちゃんの袖を引く。

 

「ミドリ、今の“綺麗にする”って、普通の意味じゃない気がする」

 

「お姉ちゃん、たぶん正解」

 

 アリスが真剣な顔でC&Cの四人を見上げた。

 

「メイドさんです」

 

 カリンさんが少しだけ困ったように頷く。

 

「はい。一応、メイドです」

 

「一応」

 

「業務内容が一般的なメイドとは異なりますので」

 

「特殊メイドさん」

 

「……否定はしません」

 

 アリスは満足そうに頷いた。

 

「特殊メイドさん。登録します」

 

「するな」

 

 ネルさんが即座に言った。

 

「登録しちゃだめですか」

 

「だめに決まってんだろ」

 

「ネル、アリスにちょっと当たり強くない?」

 

 アスナさんが笑う。

 

 ネルさんはまた舌打ちした。

 

「チッ。調子狂うんだよ、こういうタイプ」

 

 アリスは目を輝かせた。

 

「アリスは、ネルの調子を乱しました。状態異常ですか?」

 

「違ぇよ」

 

 モモイちゃんが耐えきれずに吹き出した。

 

「アリス、ネルに強い!」

 

「強くねぇ!」

 

 ネルさんの声に、部屋の空気が少しだけ緩む。

 

 でも、完全に緩んだわけではなかった。

 

 カリンさんが私に視線を向ける。

 

「あなたがレナさんですね」

 

「はい。トリニティ総合学園、救護騎士団のレナです。先生に同行しています」

 

「救護騎士団。承知しました」

 

 カリンさんは短く頷く。

 

「任務中、負傷者対応が必要になった場合はあなたに繋ぎます。ただし、こちらの指示なく前へ出るのは控えてください」

 

「分かりました」

 

 そのやり取りを聞いて、ネルさんがこちらを見た。

 

「返事はいいな」

 

「……そうでしょうか」

 

「返事だけで終わんなよ」

 

 短い。

 

 荒い。

 

 でも、無駄がない。

 

 私は少しだけ背筋を伸ばした。

 

「気をつけます」

 

「気をつける、で済む場所ならC&Cは呼ばれねぇよ」

 

 ネルさんはそう言って、端末の解析結果へ目を向けた。

 

 アスナさんがいつの間にか私の近くに来ていた。

 

「レナちゃんって呼んでいい?」

 

「え、はい」

 

「じゃあレナちゃん。羽、綺麗だね」

 

 あまりにも自然に言われて、返事が一拍遅れた。

 

「……ありがとうございます」

 

「ふわってしてる。触らないけど、見てるとちょっと気になる」

 

「アスナ先輩」

 

 カリンさんの声が少しだけ低くなる。

 

「初対面で距離を詰めすぎです」

 

「そう?」

 

「そうです」

 

 アスナさんは首を傾けて、私を見る。

 

「レナちゃん、困った?」

 

「少しだけ」

 

「正直だ」

 

 アスナさんは楽しそうに笑った。

 

 その笑顔は明るい。怖いわけではない。けれど、明るすぎて、こちらが距離を測る前に入ってくる。ゲーム開発部の子たちに囲まれる時とは違う。私は今、お姉ちゃんではなく、相手に見られている側だった。

 

 アカネさんが私の救護バッグを見る。

 

「救護騎士団の方が同行されるなら安心ですね。ですが、今回は可能な限りレナさんのお仕事を増やさない方針で参りましょう」

 

「そうしていただけると助かります」

 

「はい。怪我人を出さずに済むなら、それが一番ですから」

 

 柔らかい声。

 

 それなのに、言葉の奥にあるのは制圧の考え方だった。怪我人を手当てするのではなく、怪我が出る前に障害物を排除する。アカネさんの「お掃除」は、たぶんそういう意味なのだ。

 

 ユウカさんが手を叩いた。

 

「はい、顔合わせはここまで。C&Cには特殊管理区画への同行と安全確保をお願いしたいの。ヴェリタスの解析結果はこれ。先生、ゲーム開発部、レナさんが同行。私は後方で権限補助。ノアは私の補佐」

 

「はい。私はユウカちゃんの隣で、皆さんが何を壊さずに帰ってくるかを祈っています」

 

「壊す前提で言わないで」

 

「壊さない前提だと、少し不安ですから」

 

「ノア」

 

 ノアさんは楽しそうに微笑むだけだった。

 

 ネルさんは資料をざっと見て、鼻を鳴らした。

 

「警備残ってんだろ、これ」

 

「可能性は高いです」

 

 ミドリちゃんが答える。

 

「廃墟で旧型の警備ロボットも確認しています」

 

「じゃあ、こいつらだけじゃ無理だな」

 

 ネルさんは即断した。

 

 モモイちゃんが何か言い返しそうになったけれど、口を閉じた。今の言い方はきつい。でも、たぶん正しい。ミドリちゃんも反論しなかった。

 

 アリスが手を上げる。

 

「質問です」

 

「あ?」

 

「C&Cは、味方ですか、敵ですか」

 

 部屋が一瞬止まった。

 

 アスナさんが笑い出す。

 

「あはは! アリスちゃん、それ聞いちゃうんだ」

 

 カリンさんは少しだけ考えた。

 

「少なくとも、今回の任務では味方です」

 

「今回の任務では」

 

 アリスが繰り返す。

 

「重要な言い方です」

 

「アリス、そこ拾わなくていいよ!」

 

 モモイちゃんが慌てる。

 

 ネルさんは舌打ちした。

 

「敵ならもう撃ってる」

 

「分かりやすい回答です。ネルは味方です」

 

「だから調子狂うっつってんだよ」

 

 アカネさんはにこにこしている。

 

「味方か敵かは、状況により変わることもございます。ですが、本日は皆さまを安全にお連れするのが私たちの役目です」

 

「役目」

 

 アリスは頷いた。

 

「理解しました。C&Cは、本日の味方です」

 

「すごく微妙な登録になったね」

 

 ミドリちゃんが呟いた。

 

 先生が少し笑ってから、C&Cへ向き直る。

 

「みんな、よろしくお願いします」

 

 アスナさんは明るく答えた。

 

「はい、ご主人様!」

 

 カリンさんは丁寧に頭を下げる。

 

「承知しました」

 

 アカネさんも微笑む。

 

「お任せくださいませ」

 

 ネルさんだけが、少し横を向いて言った。

 

「……仕事ならやる」

 

 それだけ言って、すぐ入口側へ歩いた。

 

 早い。

 

 誰より先に動き出す。けれど、勝手に行っているわけではない。廊下の様子、曲がり角、センサーの位置を確認している。

 

 C&Cが前に立つと、隊列は自然に変わった。

 

 ネルさんが先頭。少し横にアスナさん。カリンさんは後方寄りに立ち、射線を確保する。アカネさんは柔らかい歩き方で、でも退路を見ている。

 

 私はいつものようにゲーム開発部の近くへ行こうとして、足を止めた。

 

「レナさん」

 

 カリンさんが言った。

 

「あなたは中央へ」

 

「中央、ですか」

 

「はい。救護対応が必要な場合、前後どちらにも動ける位置です。ただし、直接危険に触れにくい場所でもあります」

 

「……分かりました」

 

 ネルさんが前を向いたまま言う。

 

「勝手に下がんな。勝手に出んな。面倒だから」

 

 言い方はひどい。

 

 でも、位置としては正しい。

 

 私は指定された場所へ移動した。前にはC&C。後ろには先生とゲーム開発部。横にカリンさんの視線が届く。

 

 守られている。

 

 その実感が、少しだけ居心地悪い。

 

 ゲーム開発部では、私はお姉ちゃんだった。危ないものを避けて、荷物を確認して、アリスに言葉を渡して、ユズちゃんの歩幅を見る側だった。でも今は違う。私の歩幅を見られている。私がどちらへ動きそうかを読まれている。

 

 アスナさんが振り返る。

 

「レナちゃん、護衛され慣れてない顔してる」

 

「そんなに分かりますか」

 

「うん。すぐ誰かの方に戻ろうとする」

 

「救護係なので」

 

「今日は護衛対象だよ」

 

 軽い声だった。

 

 でも、その言葉は少しだけ重かった。

 

 私は返事を探して、結局小さく頷いた。

 

「……分かりました」

 

「素直だね」

 

「素直じゃないと、ネルさんに怒られそうなので」

 

「それは怒るね」

 

 アスナさんが笑った。

 

 ネルさんが前で舌打ちする。

 

「聞こえてんぞ」

 

「聞こえるように言ったんだよ、ネル」

 

「真似すんな」

 

 アスナさんは楽しそうに笑っていた。

 

 特殊管理区画へ向かう通路は、人が少なかった。

 

 ミレニアムの校舎はいつもどこかで機械の音がしている。けれど、ここへ近づくにつれて、その音は低くなる。照明の白さも、壁の滑らかさも、どこか人を遠ざけるようだった。

 

 アリスが小さく言う。

 

「新規エリア。警戒レベル、上昇」

 

「そうだね」

 

 ミドリちゃんが答える。

 

「アリス、周りをよく見て。何か変だと思ったら言って」

 

「了解しました。アリスは索敵します」

 

「索敵って言葉、いつ覚えたの?」

 

「夜通しゲームで獲得しました」

 

「お姉ちゃん」

 

 ミドリちゃんの声が低くなる。

 

「私じゃない! たぶんゲームが悪い!」

 

「ゲームのせいにしない」

 

 モモイちゃんが肩を縮める。

 

 でも、前ほど同じ騒がしさではなかった。特殊管理区画へ近づくにつれて、モモイちゃんも声の大きさを自然に抑えている。ゲームの中のダンジョンではないと、ちゃんと分かっているのだと思う。

 

 通路の奥で、認証端末が赤く点滅した。

 

 カリンさんが短く言う。

 

「停止」

 

 全員が止まった。

 

 次の瞬間、天井のパネルが開いた。

 

 小型の警備ドローンが二機、赤い光を点けて現れる。廃墟のロボットよりずっと小さい。けれど、動きは速い。

 

「チッ」

 

 ネルさんが舌打ちした。

 

「やっぱ残ってんじゃねぇか」

 

 言い終わるより先に、ネルさんは前へ出ていた。

 

 速い。

 

 小柄な体が、通路の中央を一直線に走る。ドローンの照準が合うより早く、一機目が床へ叩き落とされた。アスナさんはその反対側へすべるように動く。

 

「こっちこっち」

 

 明るい声に誘われるみたいに、二機目の照準がずれる。

 

 その瞬間、カリンさんの銃声が一発。

 

 赤いセンサーだけが正確に潰れ、ドローンが沈黙した。

 

 アカネさんは、戦闘の間に落ちてきた金属片をそっと足で止め、通路端へ寄せていた。

 

「通路、確保しました」

 

「早っ……」

 

 モモイちゃんが呟く。

 

 アリスの目が輝く。

 

「C&C、戦闘力が高いです。経験値を多く所持している可能性があります」

 

「経験値は持ってねぇよ」

 

 ネルさんが戻りながら言う。

 

「でも強いです」

 

「あっそ」

 

 素っ気ない。

 

 でも、ネルさんの口元がほんの少しだけ緩んだように見えた。気のせいかもしれない。たぶん、気のせいにしておいた方がいい。

 

 私は落ちたドローンへ視線を向けた。

 

 怪我人はいない。けれど、破片が熱を持っていないか、床に危険物がないか、反射的に確認したくなる。足が半歩だけ動きかけた。

 

「レナさん」

 

 カリンさんの声。

 

 それだけで止まった。

 

「破片はまだ熱を持っている可能性があります。確認はこちらで」

 

「……はい」

 

 今度は動かなかった。

 

 カリンさんは短く頷き、破片の状態を確認する。

 

「熱あり。接触不可」

 

「危ないところでした」

 

「危ないと分かって止まれたなら、十分です」

 

 言い方は淡々としていた。

 

 でも、その一言で少しだけ息が楽になる。

 

 ネルさんがこちらを見た。

 

「さっきよりマシだな」

 

「褒めてますか」

 

「事実だ」

 

「褒めてはいないんですね」

 

「褒められたいのか?」

 

「……いえ」

 

「なら聞くな」

 

 短い会話。

 

 荒いのに、妙に真っ直ぐだった。

 

 通路のさらに奥へ進むと、扉が見えてきた。

 

 厚い金属扉。古い認証端末。ヴェリタスが復元した文字列と同じものが、端末の隅に薄く浮かんでいる。

 

 Mirror。

 

 G.BIBLE。

 

 Divi:Sion。

 

 アリスが端末を見上げる。

 

「重要語、確認しました」

 

 ミドリちゃんが端末を開く。

 

「ここで間違いなさそうです」

 

 先生が通信を入れる。

 

「ユウカさん、認証補助をお願いできる?」

 

『今やってます。内部の状態は不明です。C&Cの判断を優先してください。あと、モモイ』

 

「はい!」

 

『何もしてないのに元気よく返事しないで。……全員、気をつけて』

 

「うん。ありがとう、ユウカ」

 

 モモイちゃんの返事は、いつもより少しだけ落ち着いていた。

 

 ノアさんの声も入る。

 

『レナさん』

 

「はい」

 

『守られる側の景色はどうですか?』

 

「……難しいです」

 

『ふふ。正直ですね』

 

「ノアさん」

 

『では、そのまま正直でいてください。C&Cの皆さんは、嘘より動きを見ますから』

 

 通信が切れる。

 

 ネルさんが鼻を鳴らした。

 

「あいつ、相変わらず変なとこ突くな」

 

「ノアさんを知ってるんですか?」

 

「セミナーの書記だろ。知らねぇ方が難しい」

 

「そうですね」

 

 私は小さく頷いた。

 

 認証端末に光が走る。

 

 ロックが外れる音がした。

 

 扉が開く。

 

 中は暗い。

 

 廃墟のような荒れ方ではない。けれど、長い間人が入っていなかった場所の冷たさがある。床には薄い光の線が走り、壁には古い装置が並んでいた。

 

 ネルさんが一歩前に出る。

 

「C&Cが先に入る。先生と救護係は中央。ゲーム開発部は固まってろ。後ろはアカネが見る」

 

「承知しました」

 

 アカネさんが微笑む。

 

「何かございましたら、すぐにお掃除いたします」

 

「お掃除の意味がだんだん怖くなってきた……」

 

 モモイちゃんが小声で言う。

 

「アリス、特殊メイドさんの言語を理解しつつあります」

 

「アリスは吸収が早いね」

 

 アスナさんが笑った。

 

 部屋へ入る直前、私はゲーム開発部の方を振り返った。

 

 モモイちゃんは緊張した顔で前を見ている。ミドリちゃんは端末を握りしめ、ユズちゃんは少しだけ肩を縮めている。アリスは真剣に「新規エリア」と呟いている。

 

 私が戻りたくなる場所。

 

 でも、今は戻らない。

 

 今はC&Cの隊列の中にいる。

 

 守られる位置にいる。

 

 それを受け入れるのは、思ったより難しい。

 

「レナちゃん」

 

 アスナさんが横で笑った。

 

「大丈夫。変な感じするだけでしょ?」

 

「……分かるんですか」

 

「なんとなく。レナちゃん、後ろ気にしすぎ」

 

「ゲーム開発部の子たちがいますから」

 

「うん。でも、前は私たちが見るよ」

 

 軽く言われた。

 

 それだけの言葉なのに、少しだけ胸に残った。

 

 ネルさんが扉の向こうから声を飛ばす。

 

「おい、ぼさっとすんな。入るぞ」

 

「はい」

 

 私は一歩踏み出した。

 

 特殊管理区画の中は、想像していたより広かった。

 

 天井が高く、照明は半分だけ点いている。黒いガラスのような壁面に、私たちの姿がぼんやり映る。けれど、その影は少しだけ遅れて動いているように見えた。

 

「……鏡?」

 

 ユズちゃんが小さく言った。

 

 アリスがすぐに反応する。

 

「Mirror。鏡。反射。複製。重要語です」

 

「複製……」

 

 ミドリちゃんの声が少し硬くなる。

 

 モモイちゃんは笑おうとして、失敗したような顔になった。

 

「なんか、思ってたより不気味」

 

「ゲームならここでボス前演出だね」

 

「ミドリ、怖いこと言わないで」

 

「お姉ちゃんがいつも言うやつだよ」

 

「自分で言うのとミドリに言われるのは違う!」

 

 そのやり取りに少しだけ安心しかけた時、壁の奥で機械音がした。

 

 ネルさんが即座に舌打ちする。

 

「チッ、来るぞ」

 

 黒い壁の一部が開き、警備機体が二体、ゆっくりと出てきた。廃墟の古いロボットより滑らかで、前に見たドローンより重い。腕部の装置が光り、床に赤い線が走る。

 

 C&Cが散った。

 

 ネルさんが正面。

 

 アスナさんが右。

 

 カリンさんが後方から狙いをつける。

 

 アカネさんは、私たちの立ち位置を見ながらそっと手を上げた。

 

「皆さま、こちらへ三歩。はい、そこで結構です」

 

 柔らかい声なのに、逆らう理由がない。私たちは言われた通りに動く。

 

 戦闘が始まる。

 

 ネルさんの動きは荒い。けれど、雑ではない。舌打ちしながら真正面から突っ込み、敵の腕を弾き、床を蹴る。アスナさんは笑顔のまま、信じられない角度へ滑り込む。カリンさんの銃声は少ない。少ないのに、必ず必要な場所に当たる。アカネさんは、私たちの周りに落ちてきそうな破片や装置の軌道を先に潰していた。

 

 見ているだけで、分かった。

 

 これは、ゲーム開発部の戦い方ではない。

 

 敵を倒すだけではなく、味方をそこに立たせ続ける戦い方だ。

 

「レナさん」

 

 カリンさんの声がした。

 

「声を出すなら、短く」

 

「え?」

 

「救護指示です。あなたの声は届きます。ただし、長いと戦闘音に埋もれます」

 

 戦闘中なのに、こちらを見ずに言う。

 

 私は息を吸った。

 

 ちょうどアスナさんの足元で床のパネルが跳ねる。

 

「アスナさん、足元!」

 

「はーい!」

 

 アスナさんが軽く避ける。

 

 ネルさんの背後で、もう一体が腕を上げる。

 

「ネルさん、後ろ!」

 

「見えてる!」

 

 ネルさんは舌打ちしながら反転し、敵の腕を叩き落とした。

 

 届いた。

 

 身体を動かさなくても。

 

 前に出なくても。

 

 声だけで、届いた。

 

 胸の奥で、何かが少しほどける。

 

 カリンさんが、ほんの少しだけ頷いた。

 

 それが褒め言葉の代わりだったのだと思う。

 

 戦闘は長く続かなかった。

 

 最後の警備機体が倒れ、部屋に静けさが戻る。

 

 モモイちゃんが息を吐いた。

 

「C&C、強すぎ……」

 

 アリスが胸を張る。

 

「メイドさんは強いです。アリス、理解しました」

 

「その理解でいいのかな」

 

 ミドリちゃんが苦笑する。

 

 ネルさんは肩を鳴らしながら、倒れた機体を見下ろした。

 

「弱ぇな」

 

「ネル、基準がおかしい」

 

 アスナさんが笑う。

 

「そうか?」

 

「そうだよー」

 

 アカネさんが微笑んだまま、床の破片を端へ寄せる。

 

「皆さま、お怪我はありませんか?」

 

「大丈夫!」

 

「はい」

 

「……大丈夫です」

 

「アリス、ノーダメージです」

 

 私は全員を見渡した。

 

「怪我人なし、ですね」

 

「そうだな」

 

 ネルさんが言う。

 

 それから、私を見る。

 

「今、出なかったな」

 

「……はい」

 

「ならいい」

 

 それだけ。

 

 本当にそれだけだった。

 

 でも、さっきより少しだけ、私はその短さを受け取れた気がした。

 

 アスナさんがにこにこしながら近づいてくる。

 

「レナちゃん、守られる練習、ちょっと進んだ?」

 

「練習って言われると変な感じです」

 

「でも練習っぽかったよ。最初より足、動かなかったし」

 

「見てたんですか」

 

「見てたよ。護衛だもん」

 

 当たり前みたいに言われる。

 

 私は返事に困った。

 

 カリンさんが中央の装置を見た。

 

「こちらがMirror本体でしょうか」

 

 黒い鏡のような板が、部屋の中央に立っていた。何枚もの黒い板が重なり、ゆっくり光を反射している。そこに映る私たちの影は、少しだけ遅れて動いた。

 

 アリスが近づこうとして、ぴたりと止まる。

 

「接近前、確認」

 

 モモイちゃんが感動した顔をした。

 

「アリスがちゃんと確認してる……!」

 

「お姉ちゃんより落ち着いてるね」

 

「ミドリ!」

 

 でも、今度のモモイちゃんの声は少しだけ明るかった。いつもの軽いツッコミに戻りつつある。戦闘が終わったからだろう。

 

 ミドリちゃんが端末を向ける。

 

「データが読めません。ヴェリタスに送れば、もう少し分かるかもしれません」

 

 カリンさんが言う。

 

「構造が分からない以上、触れるのは避けるべきです」

 

 アカネさんが装置を見上げる。

 

「これは、エンジニア部にも見ていただいた方がよろしいかもしれませんね。通常の保管装置とは違うようです」

 

「エンジニア部」

 

 私は繰り返した。

 

 また、新しい名前。

 

 ヴェリタス、C&C、そしてエンジニア部。

 

 ミレニアムの奥へ進むたびに、知らない場所が増えていく。知らない人たちに出会う。知らない形で見られる。

 

 ゲーム開発部の前では、私はお姉ちゃんだった。

 

 でも、ここでは違う。

 

 護衛対象。

 

 救護係。

 

 声を出す人。

 

 動かない練習をする人。

 

 それも、私なのだと思う。

 

 先生が装置を見て言った。

 

「ここで得たデータはヴェリタスへ送る。それと、装置そのものはエンジニア部に相談しましょう」

 

「クエスト更新です」

 

 アリスが言った。

 

「次の目的地、エンジニア部」

 

 モモイちゃんが顔を上げる。

 

「エンジニア部かぁ。今度は何が出てくるんだろ」

 

「お姉ちゃん、変な期待しないで」

 

「だってミレニアムだよ? 絶対なんかすごいの出てくるって!」

 

 ネルさんが舌打ちする。

 

「チッ。こいつら、毎回こんな感じなのか」

 

「だいたい」

 

 ユウカさんの通信越しの声が聞こえた。

 

『だいたいそんな感じです』

 

「ユウカ、今の聞いてたの!?」

 

『聞こえてます。あと、装置に不用意に触れないで。これは全員に言っています』

 

「全員に言ってるのに私を見た!」

 

「見てないよ、お姉ちゃん。通信だから」

 

「でも見られた気がした!」

 

 部屋に少しだけ笑いが戻った。

 

 私は黒い鏡をもう一度見た。

 

 鏡の中の影は、ほんの少しだけ遅れてこちらを見る。

 

 守られる側の私。

 

 動かないことを覚えた私。

 

 声だけで届くことを知った私。

 

 その全部が、まだ少し落ち着かない。

 

 でも、今日残った感覚は、前に出ることを止められた窮屈さだけではなかった。

 

 ネルさんの短い制止。

 

 アスナさんの軽い手。

 

 カリンさんの正確な指示。

 

 アカネさんの柔らかく物騒な安全確保。

 

 それらはまだ、好意ではない。

 

 ただの任務。

 

 ただの護衛。

 

 それでいい。

 

 今は、それでいいのだと思う。

 

 ネルさんが前を向いた。

 

「帰るぞ。長居する場所じゃねぇ」

 

「了解しました。撤退クエストです」

 

 アリスが頷く。

 

「実況すんな」

 

「実況ではありません。クエスト管理です」

 

「同じだろ」

 

「違います」

 

「チッ……変なやつ」

 

 そう言いながらも、ネルさんの声にはさっきほどの棘がなかった。

 

 私たちは特殊管理区画を後にした。

 

 扉が閉まる直前、黒い鏡の中の影だけが、ほんの少し遅れてこちらを見送った。

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