戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
明星ヒマリという名前を聞いた時、モモイちゃんは最初、何かのボスキャラ名だと思ったらしい。
「いや、だってさ。超天才清楚系病弱美少女ハッカーって、もう肩書きが長すぎるじゃん。ラスボスじゃないなら隠しキャラでしょ」
「お姉ちゃん、本人の前で絶対言わないでね」
「言わないよ。たぶん」
「たぶんを外して」
ミドリちゃんが即座に言う。
アリスは、エンジニア部で預かった試作観測機のケースを両手で抱えながら、真剣な顔をしていた。
「新規重要人物、明星ヒマリ。肩書き、超天才清楚系病弱美少女ハッカー。情報量が多いです」
私たちは、先生に案内されて特異現象捜査部の部室へ向かっていた。ゲーム開発部のみんなに加えて、試作機の調整役としてウタハさん、ヒビキさん、コトリさんも同行している。C&Cは今回はいない。特殊管理区画の護衛任務は一旦終わっていて、ネルさんは「また必要なら呼べ」とだけ言って帰ったらしい。
短い。
でも、あの人らしい。
ウタハさんは試作機のケースを見ながら、少しだけ名残惜しそうに言った。
「ヒマリに見せるなら、外装をもう少し整えたかったな。せめて雷ちゃんとの統一感くらいは出したかった」
「先輩、今から外装を足すのはやめてください」
ヒビキさんがすぐに止める。
「なぜだい?」
「今の状態でも動きます。ここで新機能とか装飾を足すと、たぶん別のところが壊れます」
「壊れたら直せばいい」
「ヒマリさんに見せる前に壊すのは、さすがにちょっと……」
「ふむ。それもそうだな」
ウタハさんはわりと素直に頷いた。
コトリさんは腕いっぱいの資料を抱えながら、やや早口で説明する。
「今回ヒマリさんに確認していただきたいのは、Mirror反応のうち、機械的な観測では説明しづらいノイズの部分です。具体的には、反射データの遅延、映像内の座標ズレ、そして観測側の認識に干渉している可能性がある微細な――」
「コトリさん、三行」
私が言うと、コトリさんははっとした顔になった。
「はい! Mirrorは機械だけでは説明できません。データの奥に別の反応があります。ヒマリさん案件です!」
「分かりやすい」
「ありがとうございます!」
モモイちゃんが感心したように頷いた。
「コトリ、すごい。説明が短くなってる」
「成長しました!」
「私はまだ長くてもいいと思うけどね。長い説明って、ゲームの設定資料集みたいでちょっと楽しいし」
モモイちゃんが資料の束を見ながら言った。
ミドリちゃんが少し意外そうに顔を上げる。
「お姉ちゃん、今日は資料に優しいね」
「だって、分厚い資料ってロマンあるじゃん。読めるかは別だけど」
「そこは読もうよ」
「読めるところから読む!」
モモイちゃんはそう言って、ケースを持つアリスの横を歩いた。以前ならすぐにツッコミだけで終わっていたかもしれない。でも今は、ちゃんと見ている。試作機も、資料も、アリスの様子も。勢いはあるけれど、ただ騒いでいるだけではなかった。
目的の部室前へ着いた。
扉には、特異現象捜査部の表示がある。ゲーム開発部ともエンジニア部とも違って、妙に静かだった。音がしない。端末の駆動音も、部品の転がる音も、誰かの騒がしい声もない。
静かすぎて、逆に落ち着かない。
先生が扉をノックしようとした瞬間、中から声がした。
「どうぞ。ちょうど、お待ちしていました」
モモイちゃんが小声で言う。
「え、まだノックしてないよね?」
「たぶん、分かってたんだと思う」
ミドリちゃんが答える。
「何を?」
「私たちが来ること」
「こわ……」
先生が扉を開ける。
中は、思っていたより落ち着いた部屋だった。中央に机。周囲に端末。奥には大きな画面。照明は柔らかいのに、画面の文字だけがくっきり浮かんでいる。
その中央に、車椅子の少女がいた。
白く長い髪。儚げに見える体つき。けれど、目はまったく弱くない。こちらが部屋に入る前から、もう全員の位置を把握していたような目だった。
彼女は、ゆっくりと片手を胸に当てた。
「お待ちしておりました。ミレニアムが誇る超天才清楚系病弱美少女ハッカー、明星ヒマリです」
モモイちゃんが、必死に口を押さえた。
ミドリちゃんがその袖を掴む。
「お姉ちゃん、耐えて」
「耐えてる……!」
ヒマリさんは、もちろんそれを見逃さなかった。
「そちらの元気な方は、何か言いたそうですね」
「い、言ってないです!」
「ええ。口には出していませんね」
「顔には出てるってこと!?」
「とても」
モモイちゃんは一歩引いた。
「レナお姉ちゃん、ここも強い」
「うん。ミレニアムの人、初手が強いね」
ヒマリさんの視線が、そこで私へ向いた。
「あなたがレナさんですね。トリニティ総合学園、救護騎士団。Mirrorを見て、祈りやステンドグラスの話をした方」
「そこまで聞いてるんですね」
「必要な情報ですので」
「必要でした?」
「ええ。今回、かなり」
ヒマリさんは、軽く微笑んだ。
その微笑みは、少しだけ読みにくい。からかっているようにも見えるし、純粋に面白がっているようにも見える。けれど今は、私個人に踏み込んでくる感じではなかった。視線はすぐに、アリスが抱える試作観測機へ向かった。
それで、少し息が楽になる。
今日の主役は、私ではない。
Mirrorだ。
先生が試作機のケースを机に置いた。
「ヒマリ、今日はこれを見てもらいたいの。エンジニア部がMirrorを安全に観測するために作った試作機よ」
「概要は把握しています」
ヒマリさんが端末を操作すると、画面にはすでにヴェリタスからの共有ログと、エンジニア部の試作メモが表示されていた。
ウタハさんが眉を上げる。
「相変わらず手が早いな、ヒマリ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「褒めているとも。少し腹立たしいが」
「ふふっ。天才とは、時に人の心を乱してしまうものです」
「その言い方、変わらないな」
「変える必要がありませんから」
二人の会話には、互いをよく知っている感じがあった。仲がいい、というより、相手の面倒なところを分かった上で話している。ウタハさんもヒマリさんも、違う方向に自信が強い。
ヒビキさんは少し後ろに立ち、コトリさんは画面に興味津々だった。
「ヒマリさん、このノイズ部分が特に問題でして――」
「コトリさん」
「はい!」
「まずは三行でお願いします」
「ヒマリさんまで!?」
コトリさんが衝撃を受けた顔をする。
ヒマリさんは楽しそうに笑った。
「長い説明が悪いとは言いません。けれど今日は、状況の整理が先です。全知にも順番は必要ですので」
「はい! Mirrorは反射装置ではない可能性があります。観測データに遅延とズレがあります。外部システムとの接続が疑われます!」
「よくできました」
「ありがとうございます!」
コトリさんが嬉しそうにする。
モモイちゃんが小声で言った。
「ヒマリ、先生みたいなことするね」
「お姉ちゃん、聞こえるよ」
「聞こえてもいい声量で言った」
「それはもう小声じゃないよ」
ヒマリさんは軽く笑っただけで、本題に入った。
試作機が起動する。
黒いMirror反応が画面に浮かんだ。
以前より見やすい。エンジニア部で調整した警告音は刺さらず、光も強すぎない。けれど、画面の奥に走る細いノイズだけは、やはり落ち着かなかった。黒い反射の奥で、何かがこちらを見返してくるような感じがする。
ヒマリさんは、しばらく黙っていた。
さっきまでの茶目っ気が、少しずつ消えていく。
「……なるほど」
短い声。
ウタハさんが聞く。
「どう見る?」
「まず、この試作機は良い出来です。Mirrorに直接触れず、反応だけを人間が確認できる形へ変換している。警告音と画面設計にも配慮がありますね」
「レナ君やゲーム開発部の意見も入っている」
「でしょうね」
ヒマリさんは画面から目を離さずに言った。
「ウタハさんだけなら、もう少しロマンに寄っていたはずです」
「失礼だな。否定はしないが」
「否定しないのですね」
「良いロマンは大切だ」
ヒビキさんが小さく言う。
「先輩、そこは譲らないんですね」
「当然だ」
少しだけ空気が緩む。
けれど、ヒマリさんの目は画面から離れなかった。
「結論から言うと、これは鏡ではありません。少なくとも、ただ映すための装置ではない」
アリスが反応する。
「Mirrorは、鏡ではありませんか」
「名前としてはMirrorです。ですが、機能としては“反射”より“照合”に近い」
「照合」
ミドリちゃんが呟いた。
ヒマリさんは画面に指を向ける。
「対象を映すのではなく、対象から得た情報をどこかにある別のデータと比較している。だから遅れる。だから影がずれる。見えているものをそのまま返しているのではなく、見たものに似た何かを探し、それを重ねようとしている」
「似た何か……」
ユズちゃんの声が小さくなる。
モモイちゃんは画面を見つめたまま、珍しくすぐに茶化さなかった。
「それ、ゲームで言うと、キャラのデータを読み込んで、別のセーブデータと比べてるみたいな感じ?」
「乱暴ですが、かなり近いです」
ヒマリさんは頷いた。
モモイちゃんは少しだけ嬉しそうにしたけれど、すぐ真面目な顔に戻った。
「じゃあ、アリスも比べられたかもしれないってこと?」
部屋が静かになる。
アリスは画面を見ていた。
「アリスは、何と照合されましたか」
誰もすぐには答えられなかった。
ヒマリさんは、アリスを見た。さっきまでの軽い笑みはもうない。けれど、怖がらせるような言い方もしなかった。
「それを調べるために、私が呼ばれたのでしょう?」
声は落ち着いていた。
「安心してください。全知たる私が、解けるところまで解きます」
アリスは真剣に頷いた。
「全知は、頼れますか」
「ええ。かなり」
ヒマリさんは当然のように答えた。
モモイちゃんが小声で言う。
「自信がすごい」
「でも、頼もしいかも」
ミドリちゃんが返す。
ヒマリさんは端末を操作し、データの深層へ潜っていった。文字列が流れる。ノイズがほどける。黒い反射の奥に、ほんの一瞬だけ別の識別コードが浮かんだ。
その瞬間、ヒマリさんの表情が変わった。
本当に少しだけ。
でも、確かに。
笑みが消えた。
「……これは、少し厄介ですね」
先生が身を乗り出す。
「危険なの?」
「危険かどうかはまだ断定しません。ですが、Mirrorは単独の装置ではなく、もっと大きなシステムの末端である可能性が高いです」
「末端?」
ウタハさんが目を細める。
「つまり、あれ自体が本体ではないと?」
「はい。Mirrorは入口、あるいは窓のようなものです。問題は、その向こう側に何があるか」
ヒマリさんは画面を拡大した。
「しかも、照合先は特殊管理区画内ではありません。外部、もしくは旧管理システムのさらに奥。閉じられているはずの場所から、外へ繋がっている」
コトリさんが資料を抱え直す。
「つまり、Mirrorは認証端末、もしくは対象検索システムの一部であり、外部データベースと接続している可能性がある、ということですね?」
「良いまとめです。三行にしなくても今のは必要な説明でした」
「ありがとうございます!」
コトリさんはまた嬉しそうにした。
けれど、部屋の空気はもう軽くならなかった。
アリスが試作機のケースを抱え直す。
「アリスは、検索対象ですか」
先生が、少しだけ眉を寄せた。
モモイちゃんがすぐに言う。
「まだ分かんないよ、アリス」
「はい。未確定です」
「そう。未確定。だから調べる」
モモイちゃんの声は、いつもより少し低かった。
ミドリちゃんも端末を握りしめている。
ユズちゃんは、アリスの近くへ少しだけ寄った。
ヒマリさんはその様子を見ていた。けれど、余計なことは言わなかった。今ここでレナや誰かをからかうのは違うと判断したのだと思う。
その判断の早さに、少しだけ印象が変わった。
この人は、面倒で自信家で、たぶんかなり人をからかう。
でも、線を見ている。
少なくとも今は、本題を優先している。
「ヒマリさん」
私は画面を見ながら聞いた。
「この装置が“照合”しているとして、照合された側に影響はありますか?」
「良い質問です」
ヒマリさんはすぐに答えた。
「現状の観測範囲では、直接的な干渉は確認できません。ただし、Mirror本体に近づいた場合、対象の認識に影響を与える可能性はあります。レナさんが以前言ったように、“見せられるもの”が人を止めることはあり得る」
「じゃあ、アリスちゃんをむやみに近づけない方がいいですね」
「ええ。少なくとも、次の解析が終わるまでは」
「分かりました」
私が頷くと、ヒマリさんは少しだけこちらを見た。
「今の判断は早いですね」
「救護の話なので」
「なるほど。救護の時は迷わない」
「迷う時もありますよ」
「ですが、迷いながらでも動ける」
ヒマリさんは、そこで微笑んだ。
「面白い方ですね」
「それ、褒めてます?」
「今は褒めています」
「今は」
「ええ。時と場合によりますので」
「怖い言い方ですね」
「ふふっ。覚えておいてください」
会話はそこで切れた。
これくらいでいい。
踏み込みすぎない。
けれど、ヒマリさんが私を少し面白がったことは分かる。私も、ヒマリさんがただ肩書きの濃い人ではないことを少し知った。
ヒマリさんは端末へ向き直る。
「問題は、ここからです」
画面に、さらに深い層の識別コードが表示された。
その直後、警告表示が出る。
アクセス権限不足。
セミナー上位管理権限が必要。
部屋が静かになる。
ユウカさんの名前が誰かの口に出かけた。けれど、その前にヒマリさんが言った。
「ユウカさんの権限では届かないでしょう。ノアさんでも、閲覧はできても深層までは難しい」
ミドリちゃんが、小さく息を吸った。
「じゃあ……」
「ええ」
ヒマリさんは端末を閉じた。
「調月リオ。セミナー会長。彼女の領域です」
リオ。
まだ会っていない名前。
けれど、その名前が出た瞬間、空気の温度が少し下がったような気がした。
モモイちゃんが小さく聞く。
「リオって、そんなにすごいの?」
ウタハさんが答えた。
「すごい、という言葉では少し足りないな。合理的で、冷静で、目的のためならかなり大胆な判断をする」
ヒマリさんが続ける。
「合理を愛し、合理で人を刺す方です」
「刺すって、比喩だよね?」
モモイちゃんが顔をしかめる。
ヒマリさんは微笑んだ。
「合理とは時に、比喩より痛いものですから」
「怖いこと言う……」
アリスは試作機を抱えたまま、まっすぐ前を見る。
「新規クエスト。リオに会う」
「アリス、すごく簡単に言うね」
モモイちゃんが言う。
「難易度は高いですか」
「高いですね」
ヒマリさんはすぐに答えた。
「ですが、Mirrorの奥へ進むなら避けては通れません」
先生が頷く。
「分かった。ユウカさんとノアさんにも相談しましょう」
私は、消えた画面を見つめた。
Mirror。
照合。
外部に繋がる何か。
そして、リオ。
話はまた進んだ。
ヒマリさんは最後に、試作機のケースを見て言った。
「この観測機は、もう少し調整すれば使えます。エンジニア部、ヴェリタス、そして特異現象捜査部で分担しましょう」
「当然だ」
ウタハさんが頷く。
「雷ちゃんの補助ユニットも改良する。次はもっと安定するはずだ」
「……徹夜はなしでお願いします」
ヒビキさんが小さく言う。
「努力しよう」
「それ、する人の返事です」
コトリさんが資料を抱え直す。
「では、今回のまとめです! Mirrorは単なる鏡ではなく照合端末の可能性があります。深層解析にはセミナー上位権限が必要です。次の目的は、リオさんへの接触です!」
「完璧」
モモイちゃんが拍手した。
「コトリ、もう説明役として完成してるじゃん」
「完成ですか!? いえ、まだまだ説明すべきことはたくさん――」
「そこは完成してなかった」
ミドリちゃんが苦笑する。
ヒマリさんは楽しそうに見ていた。
部室を出る時、ヒマリさんが私たちを見送った。
「先生、皆さん。次の連絡をお待ちしています。全知はいつでも忙しいですが、面白い案件なら時間を作りましょう」
モモイちゃんが小声で言う。
「全知、便利だなぁ」
ヒマリさんはそれを聞いていた。
「便利ですよ。もっとも、使いこなすには少々癖がありますが」
「自分で言うんだ……」
私は軽く頭を下げた。
「ありがとうございました、ヒマリさん」
「こちらこそ。レナさんの救護的視点も、引き続き必要になるかもしれません」
「必要なら呼んでください。……ただ、超天才清楚系病弱美少女の情報量には、まだちょっと慣れませんけど」
ヒマリさんは一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑った。
「ふふっ。そのうち慣れますよ」
「慣れていいのか迷いますね」
「慣れた頃に、また別の肩書きを足しておきます」
「やっぱり慣れない方がよさそうです」
その程度の軽いやり取りで、今日は終わった。
今は、それでいい。
廊下に出ると、モモイちゃんが大きく息を吐いた。
「ヒマリ、濃かった……」
「うん」
ミドリちゃんも頷く。
「でも、すごかったね。Mirrorのこと、一気に進んだ」
「それはそう。濃いけどすごい。すごいけど濃い」
「お姉ちゃんの感想もだいぶ濃いよ」
アリスが試作機のケースを抱え直した。
「クエスト更新。次の目的地、セミナー。対象、リオ」
ユズちゃんは、少し不安そうに袖を握った。
「……リオさん」
私は救護バッグの紐に触れた。
次はリオ。
ヒマリさんとはまた違う、ミレニアムの奥にいる人。
合理の人。
管理の人。
まだ会っていないのに、その名前だけで、どこか空気が冷たくなる。
それでも、進むしかない。
Mirrorの奥へ。
アリスの謎へ。
ミレニアムのもっと深い場所へ。
クエストは、まだ続く。
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