戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
リオという名前が出たあと、空気は少し冷たくなった。
明星ヒマリさんの部室を出たあとも、モモイちゃんはいつもより口数が少なかった。完全に黙っているわけではない。黙っているわけではないけれど、「セミナー会長ってさ、名前だけでBGM変わるタイプじゃない?」とか、「これ絶対、扉の向こうに本人いないのに圧だけあるやつだよ」とか、いつもの勢いより半歩引いた声で言う。
ミドリちゃんは端末を確認している。ユズちゃんはアリスちゃんの少し後ろを歩いていた。アリスちゃんは、試作観測機のケースを両手で抱えたまま、まっすぐ前を見ている。
「目的地、セミナー。対象、リオ」
アリスちゃんが言った。
「アリス、それ二回目から怖さが増すタイプの呪文だから、ちょっと封印しよ」
モモイちゃんがすぐに言う。
「封印」
「うん。ボス戦まで温存」
「了解しました。リオの名前は、ボス戦前演出として温存します」
「誰が教えたの、それ」
「モモイです」
「私かぁ!」
モモイちゃんが頭を抱えた。ミドリちゃんが、小さくため息をつく。
「お姉ちゃんの言葉、アリスが全部吸収していくんだから、もう少し責任持って」
「持ってるよ! たぶん!」
「たぶんを外して」
そのやり取りで、少しだけ空気が緩んだ。
でも、緩んだのはほんの少しだった。
セミナーへ向かう廊下は、他の部室へ向かう道とは違う気がした。ゲーム開発部の部室へ行く時は、扉の向こうに散らかった机と、ゲーム機と、モモイちゃんの声があると思える。エンジニア部へ行く時は、金属音と工具と、よく分からないけれど楽しそうな爆発未遂が待っている気がする。
セミナーは違った。
整っている。
整理されている。
何かを決めるための場所。
だから、少し息が詰まる。
「レナお姉ちゃん、大丈夫?」
モモイちゃんが振り返った。
「大丈夫。……うん、大丈夫なんだけど、胃が先にセーブポイントを探してる」
「胃が!?」
「たぶん、ミレニアムに来てから一番成長したの胃だと思う」
「そこ成長して嬉しいやつじゃないよ!」
「モモイちゃんの寄与率高めだからね」
「私!? 私そんなにレナお姉ちゃんの胃にダメージ入れてた!?」
アリスちゃんが真面目に頷く。
「モモイの寄与率、高。レナの胃、経験値を獲得しました」
「アリスまで!?」
ユズちゃんが、ほんの少し笑った。
それだけで、胸の奥が少し軽くなる。ユズちゃんが笑うと、私はどうしても安心してしまう。あの子が少しでも息を抜けているなら、まだ大丈夫だと思える。
セミナーの扉の前には、ユウカさんとノアさんがいた。
ユウカさんは腕を組んでいる。顔にはすでに疲労がある。ノアさんはいつも通り穏やかに微笑んでいるけれど、その目は柔らかいだけではなかった。
「来たわね」
ユウカさんが言った。
「来ました!」
モモイちゃんが返事をする。
「元気なのはいいけど、今日はほんとにふざけすぎないでね。リオ先輩絡みだから」
「はい……」
モモイちゃんが素直に小さくなった。
ユウカさんが少し目を細める。
「素直すぎると逆に怖いんだけど」
「じゃあちょっと反抗した方がいい?」
「しなくていい」
返しが速かった。
ノアさんが横でくすりと笑う。
「ユウカちゃん、今日も良い切れ味ですね」
「切れ味って言わないで。鍛えられてるだけだから」
「主にゲーム開発部に?」
「主にゲーム開発部に」
「セミナーって、ツッコミも管理業務に入るんだ……」
モモイちゃんが小声で言った。
「入らないわよ」
ユウカさんに聞こえていた。
「入らないのにこんなに上手いの、才能じゃん」
「モモイ、褒めても会議は短くならないから」
「バレた!」
少しだけ笑いが起きた。
でも、ノアさんはその笑いの後で、私に視線を向けた。
「レナさん、先ほどより少し顔色が戻りましたね」
「笑うとちょっと戻ります。便利です」
「ふふ。では、適度に笑っておきましょう。これから少し、笑いにくい話になりますから」
その言葉で、空気がまた整った。
会議室へ入る。
長い机。整えられた椅子。大きな画面。余計なものがほとんどない。ゲーム開発部の部室のような雑多な温度も、エンジニア部の油と金属の匂いもない。
ここには、判断するための静けさがあった。
「まず、状況を整理するわ」
ユウカさんが画面を起動する。
「ヒマリさんの解析では、Mirrorはただの鏡じゃない。対象の情報を照合する端末の可能性が高い。そして、その深層にはセミナー上位管理権限が必要。ここまでは合ってる?」
ミドリちゃんが頷く。
「はい。試作観測機で拾ったデータとも一致しています」
ノアさんが資料を補足する。
「Mirror関連の旧管理システムは、現在の通常管理系統とは独立した部分があります。ユウカちゃんの権限では一部までしか触れません。私も閲覧補助はできますが、深層への接続は難しいです」
「つまり、リオに会うしかないってこと?」
モモイちゃんが聞いた。
ユウカさんは少しだけ黙った。
「会えるならね」
「会えないの?」
「リオ先輩は、今はこちらが会いたいから会える人じゃないの。必要だと判断すれば向こうから来るでしょうけど。」
「会長なのに?」
アリスちゃんが首を傾げる。
ユウカさんは苦い顔をした。
「会長だから、かもしれない」
ノアさんが静かに続ける。
「リオさんは、合理性を重視する方です。今ここで直接話すより、情報を確認し、必要な指示だけを出す方が効率的だと判断すれば、そうするでしょう」
「効率的……」
私はその言葉を繰り返した。
効率。
合理。
被害の最小化。
救護でも使う言葉だ。
だからこそ、少し怖い。
ユウカさんが私を見る。
「レナさん?」
「いえ……救護でも、似たことを考えるので」
言葉にすると、部屋の視線が少し集まった。
「誰を先に見るか。何を優先すれば傷が少なく済むか。全部を同時に救えない時、順番を決めなきゃいけない時があります」
私は少し息を吸った。
「でも、それは怖い考え方でもあります。使い方を間違えると、人が数字になってしまうので」
部屋が静かになった。
モモイちゃんが、少し困ったように眉を寄せる。ミドリちゃんは端末を握り、ユズちゃんは俯きかけて、でもアリスちゃんの方を見た。
アリスちゃんは、まっすぐ私を見ていた。
「レナは、被害を最小化しますか」
無垢な声だった。
だからこそ、胸に刺さった。
「……したいよ。傷つく人は、少ない方がいいから」
「では、一人を切り捨てますか」
誰もすぐに喋らなかった。
モモイちゃんが何か言いかけて、言えなかった。ミドリちゃんも、ユズちゃんも、先生も、ユウカさんも、ノアさんも。
アリスちゃんは責めていない。
知らないから聞いているだけ。
だから、嘘はつけない。
「切り捨てたくない」
私は言った。
「でも、“絶対にしません”って簡単に言えるほど、私は強くない。そう言える人でいたいけど、現場に立った時、本当に全部を救えるかは分からないから」
アリスちゃんは瞬きもせずに聞いていた。
「だから、私は最後まで考えたい。切り捨てる理由を探すんじゃなくて、切り捨てない方法を探したい。それでも間に合わなかったら……その時に、ちゃんと泣くんだと思う」
声が少しだけ震えた。
軽くしたくなかった。
「だから、アリスちゃんが誰かに“危険だから切り捨てるべき”って言われたら、私はたぶん怒る。でも、その人が何を怖がっているのかも聞く。怒るだけで終わったら、たぶん何も救えないから」
アリスちゃんは、少し考えた。
「レナは、怒ります。でも聞きます」
「うん。たぶん、そう」
「登録します」
「登録されちゃった」
モモイちゃんが、泣きそうな顔で笑った。
「レナお姉ちゃん、今の、めちゃくちゃ重いけど……よかった」
「褒め方が新ジャンルだね」
「褒めてる!」
ミドリちゃんが静かに頷く。
「でも、分かります。軽く言えることじゃないから」
ユズちゃんも、小さく言った。
「……私も、聞けてよかったです」
胸が温かくなった。
でも同時に、少し苦しかった。
私はリオさんに会おうとしている。
合理の人。
被害を最小化する人。
その人の言葉を、全部否定できるだろうか。
ノアさんが私を見ていた。
「レナさん」
「……はい」
「今、リオ先輩の言葉を想像しましたね」
「ノアさん、心を会議資料にしないでください」
「資料にはしていません。まだ」
「まだって言いました?」
「ふふ」
ノアさんは否定しない。
相変わらず逃げ場がない。
でも、今日のノアさんは深く踏み込みすぎなかった。大勢がいる場所で、私だけを追い詰めるようなことはしない。ただ、必要なところにだけ指先を置くみたいに言う。
「リオ先輩は、答えを急がせる方です。ですが、レナさんまで急ぐ必要はありません」
「……覚えておきます」
「ええ。覚えていてください」
ユウカさんが端末を操作した。
「リオ先輩へ連絡を送るわ。先生からの照会、Mirror関連データ、観測機のログ、ゲーム開発部の関与。全部まとめて」
送信音。
しばらく、誰も喋らなかった。
十秒。
二十秒。
三十秒。
返事は来ない。
モモイちゃんが小声で言う。
「……無視?」
「お姉ちゃん、セミナー会長相手にその表現はやめて」
「いやでも、返事ないし」
「既読かどうかも分からないよ」
ユウカさんは端末を見たまま、表情を硬くした。
「受信はされてる」
「じゃあ既読無視じゃん!」
「モモイ」
「はい黙ります」
ユウカさんは画面を操作し続ける。ノアさんも別端末で何かを確認していた。二人の表情が、少しずつ険しくなる。
「ユウカちゃん」
「分かってる」
ノアさんが何かを言う前に、ユウカさんが答えた。
画面が切り替わる。
リオからの返信ではなかった。
セミナー上位権限によるアクセス拒否。
さらに、別のログ。
C&Cへの任務命令。
部屋の空気が、一段冷えた。
「……C&C?」
モモイちゃんが呟く。
画面には、簡潔な指示だけが表示されていた。
対象:ゲーム開発部および関連データ
対象物:G.BIBLE関連資料、Mirror観測ログ
必要に応じて回収
抵抗がある場合、C&Cによる対応を許可
私は息を止めた。
返信ではない。
説明でもない。
ただ、命令だけがある。
「リオ先輩は……」
ユウカさんが小さく言った。
怒っているようにも、呆れているようにも聞こえた。
「会う気がないのね」
ノアさんは静かに画面を見ていた。
「少なくとも、今は」
「何それ」
モモイちゃんの声が少し大きくなる。
「会って話せばいいじゃん! こっちは聞きたいことあるのに、なんで命令だけ先に来るの!?」
ミドリちゃんがモモイちゃんの袖を掴む。止めるためではなく、落ち着かせるためだった。
「お姉ちゃん」
「分かってる、分かってるけど……でもさ」
モモイちゃんはアリスちゃんを見た。
「アリスのことも、ゲームのことも、何も見ないで決められるの、嫌じゃん」
アリスちゃんは画面を見ていた。
「アリスは、回収対象ですか」
その声は平坦だった。
でも、私はすぐに言葉を返した。
「違うよ」
少し強かったかもしれない。
アリスちゃんが私を見る。
「違いますか」
「少なくとも、私たちの中では違う。アリスちゃんは、回収対象じゃない。ゲーム開発部のアリスちゃん」
モモイちゃんが大きく頷いた。
「そう! うちのアリス!」
ミドリちゃんも、静かに続ける。
「物みたいに扱われる理由はありません」
ユズちゃんは少しだけ震えていたけれど、それでも言った。
「……アリスは、部員です」
アリスちゃんは、三人を見て、それからケースを抱え直した。
「アリスは、ゲーム開発部のアリスです」
ユウカさんは画面を閉じた。
「C&Cがすぐ動くとは限らない。でも、命令は出ている。こちらも備える必要があるわ」
「C&Cの皆さんとは、話せますか」
私が聞くと、ユウカさんは少し考えた。
「ネルなら、現場で判断する余地はあると思う。でも、命令がリオ先輩から出ている以上、最初からこちら側だとは考えない方がいい」
ネルさんの顔が浮かぶ。
舌打ち。短い言葉。荒いけれど、ちゃんと見ている目。
あの人が、命令で私たちの前に立つ。
それは、少し苦しかった。
「リオさんは、返事をしないんですね」
私は言った。
ノアさんが静かに頷く。
「返事をしないことも、ひとつの返事です」
「便利すぎません? そのやり方」
思わず言ってしまった。
ノアさんは少しだけ笑う。
「そうですね。便利で、冷たい」
ユウカさんは立ち上がった。
「とにかく、今はゲーム制作を進めるべきよ。ミレニアムプライスの締切は待ってくれない。C&Cが動く可能性があるなら、なおさら時間がない」
「そうだった!」
モモイちゃんがはっとする。
「ゲーム! TSC2! え、リオとかC&CとかMirrorとかで完全に頭から飛んでた!」
「飛ばさないで、お姉ちゃん。そこが本題だよ」
「本題がいっぱいありすぎる!」
アリスちゃんが真剣に言う。
「メインクエストが複数存在しています」
「やめて、アリス。その言い方、現実がゲームより過酷に聞こえる」
私は少し笑ってしまった。
でも、その笑いはすぐに消える。
ユウカさんの言う通りだ。
ゲーム開発部は、ゲームを作らなければならない。
ミレニアムプライスへ出す作品。
廃部を避けるためだけではなく、モモイちゃんたちが作りたいと願ったゲーム。
リオさんが返事をしなくても。
C&Cへの命令が出ていても。
Mirrorの奥が見えなくても。
ゲーム開発部は、ゲームを作る。
それがたぶん、この子たちの戦い方だ。
先生が穏やかに言った。
「まずは戻りましょう。ゲーム開発部の部室へ」
モモイちゃんが頷いた。
「うん。作る。めちゃくちゃ作る。C&Cが来る前に、リオが返事しないならしないで、こっちは完成品で殴る」
「お姉ちゃん、表現」
「ゲームで殴るって意味!」
「それもだいぶ強いよ」
ミドリちゃんが苦笑した。
アリスちゃんは、ケースを大事そうに抱えた。
「TSC2を完成させます」
ユズちゃんが小さく言う。
「……急がないと」
「うん」
私は頷いた。
「戻ろう。まだ終わってない」
ノアさんが会議室の扉を開ける。
その時、私の横で少しだけ声を落とした。
「レナさん」
「はい」
「怖かったですか?」
今ここで聞くのか、と思った。
でも、責める声ではなかった。
私は少しだけ考えてから答えた。
「……はい。返事がないのに、命令だけ来るの、怖かったです」
「そうですね」
ノアさんは静かに頷いた。
「なら、その怖さは覚えておいてください。後で、誰かが同じものを感じた時に分かるかもしれません」
「ノアさんは、怖くないんですか?」
「怖いですよ」
意外な答えだった。
ノアさんは微笑んだまま続ける。
「ただ、怖がっている顔をあまり見せないだけです」
「それ、ずるいです」
「ふふ。よく言われます」
少しだけ、私も笑った。
その笑いは、さっきより自然だった。
会議室を出る。
リオさんには会えなかった。
返事もなかった。
けれど、命令だけが残った。
C&Cが動くかもしれない。
Mirrorの奥はまだ見えない。
アリスちゃんが何と照合されたのかも分からない。
それでも、ゲーム開発部は部室へ戻る。
作るために。
完成させるために。
モモイちゃんが廊下の先で振り返った。
「レナお姉ちゃん!」
「何?」
「戻ったら、まず何すると思う?」
「えっと……作業分担?」
「違う!」
モモイちゃんは拳を握った。
「気合い入れる!」
「それ、作業分担の前に必要?」
「必要! ゲーム制作は魂だから!」
ミドリちゃんが呆れたように言う。
「でも、気合いだけで完成はしないからね」
「分かってる! だから気合い入れてから作業分担!」
「順番が雑だけど、まあいいか」
アリスちゃんが胸を張る。
「パンパカパーン。ゲーム開発部、制作フェーズへ移行します」
ユズちゃんが、小さく頷いた。
「……頑張ります」
私はその四人を見て、胸の奥に残っていた冷たさが少しだけ薄れるのを感じた。
リオさんは返事をしない。
でも、この子たちは声を出す。
怖くても、不安でも、時間がなくても。
作る、と言う。
なら、私はそれを支えたい。
救護バッグの紐を握り直して、私はゲーム開発部の後を追った。
シナリオは、まだ続いている。