戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
ゲーム開発部の夜は、想像していたより騒がしくて、想像していたより静かだった。
モモイちゃんは何度も立ち上がり、そのたびにミドリちゃんに座らされた。アリスちゃんはスーパーノヴァを部屋の隅に大事そうに置いてから、端末に向かってひたすら作業をしている。ユズちゃんはロッカーの近くで膝を抱えるように座りながらも、手元の端末から一度も目を離さなかった。先生は全体を見て、時々飲み物を配ったり、詰まっている場所にそっと声をかけたりしていた。
私は、部室の端で簡易的なチェック表を作っていた。
「誤字、脱字、音量、画面切り替え、操作説明、休憩、糖分、モモイちゃんの暴走」
「待って! 最後だけ項目おかしくない!?」
モモイちゃんが振り返った。
「でも必要だよね?」
「否定できないのが腹立つ!」
「お姉ちゃん、今は怒るより作業」
「ミドリが正しいことしか言わない!」
モモイちゃんは叫びながらも、ちゃんと席へ戻った。成長している。とても成長している。少なくとも、五分に一回だった立ち上がりが、今は十五分に一回くらいになっている。
アリスちゃんが真面目な顔で言う。
「モモイ、行動抑制スキルが上昇しています」
「アリスに褒められた!」
「褒めています。経験値を獲得しました」
「パンパカパーン?」
「今は保留です。完成後にまとめて鳴らします」
「アリスが進行管理まで覚えてる……!」
笑いが起きる。
でも、笑ったあと、みんなすぐ画面へ戻った。
締切は近い。
リオ先輩から返事はない。
C&Cへの命令は残っている。
それでも、今この部室にある一番大事なものは、未完成のゲームだった。
TSC2。
『テイルズ・サガ・クロニクル2』。
モモイちゃんたちが作りたいと願ったゲーム。アリスちゃんがゲーム開発部の一員として初めて関わるゲーム。ユズちゃんが怖がりながらも手放さなかったゲーム。ミドリちゃんが細部を整え、モモイちゃんが勢いを入れ、先生が見守ってきたゲーム。
その音が、部屋のあちこちで鳴っている。
「レナお姉ちゃん、そこ、どう?」
モモイちゃんが聞いてくる。
「ここのテキスト、ちょっと分かりにくいかも。『勇者はすべてを背負った』より、『勇者はまだ全部を知らなかった』の方が、アリスちゃんっぽい気がする」
「おお……!」
モモイちゃんが目を輝かせた。
「レナお姉ちゃん、今の良い! 主人公が全部分かってるんじゃなくて、これから知る感じ!」
「うん。アリスちゃんって、最初から完成してる勇者じゃなくて、覚えながら勇者になっていく感じがするから」
アリスちゃんがこちらを見る。
「アリスは、覚えながら勇者になります」
「そう。それがかっこいいんだと思う」
アリスちゃんは少しだけ胸を張った。
「パンパカパーン、したいです」
「まだ保留」
ミドリちゃんが即座に言う。
「はい。保留します」
モモイちゃんは笑って、それから真剣な顔でテキストを書き直した。
この部屋の空気が好きだと思った。
誰かが言った言葉が、別の誰かの手で少し変わって、ゲームの中に入っていく。エンジニア部で試作機を作った時と少し似ている。でも、ここにはもっと柔らかい熱があった。正確な設計図ではなく、好きだという気持ちをどう形にするかで全員が動いている。
その時だった。
部室の外で、足音が止まった。
それだけで、部屋の空気が変わった。
先生が顔を上げる。ミドリちゃんが端末から手を離す。ユズちゃんが息を止める。アリスちゃんはスーパーノヴァの方へ視線を向けた。
扉が開いた。
そこに立っていたのは、美甘ネルさんだった。
その後ろに、アスナさん、カリンさん、アカネさん。C&C。
ネルさんは部屋を見回して、舌打ちした。
「チッ。ほんとにまだ作ってやがる」
モモイちゃんが立ち上がる。
「ネル……」
「動くな。話をややこしくすんな」
短い声だった。
でも、前に会った時より冷たい。任務の声だと思った。C&Cがこちらを敵として見ているわけではない。でも、命令を受けて来ている。そういう硬さがある。
カリンさんが静かに言う。
「先生、ゲーム開発部の皆さん。上位命令により、G.BIBLE関連資料、Mirror観測ログ、および関連データの回収を行います」
アカネさんは柔らかい表情のまま、けれど出入口を塞ぐように立った。
「抵抗されない場合、手荒なことはいたしません」
アスナさんだけが、少し困ったように笑っていた。
「ごめんね。今日は、ちょっと遊びに来た感じじゃないんだ」
モモイちゃんが端末を抱え込む。
「やだ」
短い声だった。
いつもの叫ぶような反応ではない。もっと芯のある声。
「これ、私たちのゲームだよ。まだ完成してない。持っていかれたら困る」
ミドリちゃんも立ち上がった。
「観測ログなら共有できます。でも、TSC2のデータまで回収される理由はありません」
ユズちゃんは震えていた。けれど、端末を閉じなかった。
「……持っていかないでください」
アリスちゃんは、スーパーノヴァの前に立った。
「アリスは、ゲーム開発部です。TSC2を完成させます」
ネルさんの目が、少しだけ細くなる。
「命令は命令だ」
「じゃあ、ネルは命令だったら何でもするの?」
モモイちゃんの声が震えた。
ネルさんが舌打ちする。
「安い挑発すんな」
「挑発じゃないよ!」
モモイちゃんが叫んだ。
「本当に聞いてるの! ネルは、私たちのゲーム、見た? アリスがどれだけ楽しそうに作ってるか見た? ユズがどれだけ頑張ってるか見た? ミドリが細かいところ直しすぎて目しょぼしょぼになってるの見た!?」
「最後いらないよ、お姉ちゃん」
「いる! ミドリのしょぼしょぼも努力!」
「そこ強調しないで!」
こんな場面なのに、少し笑いそうになってしまった。
でも、ネルさんは笑わなかった。
ただ、部屋の中を見ていた。
机の上の散らかった資料。飲みかけのカップ。端末に開かれた未完成の画面。スーパーノヴァの横に置かれたアリスちゃんのメモ。ユズちゃんが作ったらしいチェックリスト。ミドリちゃんの修正履歴。モモイちゃんの荒いけど熱のあるシナリオ案。
それら全部を、ネルさんは見た。
そして言った。
「カリン」
「はい」
「最小限で行く」
「承知しました」
カリンさんの銃が構えられる。
先生が前に出ようとする。私は反射的にその横へ動いた。
「レナさん」
カリンさんの声が飛ぶ。
「前に出ないでください」
「……怪我人を出したくないんです」
「こちらもです」
その言葉が返ってきた瞬間、戦闘が始まった。
長い戦いではなかった。
C&Cは強い。正面からぶつかれば、ゲーム開発部が勝てる相手ではない。ネルさんは一瞬で距離を詰め、アスナさんは笑顔のまま動線を崩し、カリンさんは撃つべき場所だけを撃つ。アカネさんは穏やかな顔で退路と障害物を管理していた。
でも、ゲーム開発部も逃げなかった。
モモイちゃんは叫びながら指示を出した。
「アリス、右! ミドリ、カバー! ユズ、ログ守って!」
「了解しました」
「分かってる!」
「……はい!」
アリスちゃんがスーパーノヴァを構える。
光の剣。
その名前の通り、巨大な武器が光を帯びる。けれど、アリスちゃんは敵を壊すためだけに構えているわけではなかった。部室を守るため。ゲームを守るため。自分がここにいる理由を守るため。
私は、倒れた机を避けながら声を張った。
「ユズちゃん、後ろのケーブル気をつけて! モモイちゃん、そこ足元滑る!」
「レナお姉ちゃん、戦闘中に生活指導みたいなこと言ってる!」
「転んで怪我したら困るでしょ!」
「確かに!」
アスナさんがくすっと笑った。
「レナちゃん、やっぱり面白いね」
「今それ言う場面ですか!?」
「今だから?」
カリンさんがすぐに言う。
「アスナ先輩、集中してください」
「してるよー」
ネルさんは、アリスちゃんの前に立った。
アリスちゃんはスーパーノヴァを握り直す。
「アリスは、ゲーム開発部です」
「ああ」
ネルさんの声は低い。
「見りゃ分かる」
「では、なぜ止めますか」
「命令だからだ」
「命令は、アリスのゲームより強いですか」
ネルさんが舌打ちした。
「……チッ。そういう聞き方すんじゃねぇよ」
「アリスは、分かりません」
アリスちゃんはまっすぐネルさんを見た。
「アリスは、ゲームを作りたいです。モモイと、ミドリと、ユズと、先生と、レナと。TSC2を完成させたいです」
部屋の中で、音が一瞬止まった気がした。
ネルさんは黙っていた。
そして、ゆっくり銃を下ろした。
「……やめだ」
カリンさんがわずかに目を開く。
「ネル先輩?」
「聞こえなかったか。やめだって言ったんだよ」
ネルさんは肩を鳴らした。
「命令は命令だ。けどな、目の前でゲーム作ってるやつら見て、それでも敵だって言い張るほど、あたしは腐ってねぇ」
アカネさんは少しだけ微笑んだ。
「命令違反になりますよ」
「知るか」
短い。
でも、迷いはなかった。
アスナさんが明るく笑う。
「じゃあ、今日は終わり?」
「終わりだ。これ以上やる理由がねぇ」
カリンさんは少しだけ沈黙してから、銃を下ろした。
「承知しました。現場指揮官の判断に従います」
アカネさんも柔らかく頭を下げる。
「では、お掃除はここまでということで」
モモイちゃんが、ぽかんとした顔でネルさんを見る。
「え、いいの?」
「いいって言ってんだろ」
「ほんとに?」
「しつけぇな」
「だってネル、怖いから!」
「チッ。褒めてんのかそれ」
ネルさんは乱暴に言ったけれど、目の奥の鋭さは少しだけ緩んでいた。
私は、息を吐いた。
怪我人はいない。
細かい擦り傷くらいはあるかもしれない。でも、誰も倒れていない。誰も大きく傷ついていない。
それだけで、膝から力が抜けそうになった。
「レナ」
ネルさんがこちらを見た。
「はい」
「怪我人は?」
「今のところ、大きな怪我はありません。……ネルさんたちが手加減してくれたからです」
「手加減じゃねぇ。壊す必要がなかっただけだ」
「それでも、ありがとうございます」
「礼言うな。むず痒い」
ネルさんは顔を逸らした。
その時、先生の端末が鳴った。
今度は短い通知ではなかった。
発信元はヒマリさん。
画面に表示された文字を、先生が読み上げる。
「G.BIBLEの解析が完了したそうです」
部屋の空気が、また変わった。
モモイちゃんが、勢いよく先生の方へ寄る。
「ほんと!? ついに!? 伝説のG.BIBLE!?」
「開きます」
先生が共有画面にデータを映す。
部室の壊れかけたモニターに、解析されたG.BIBLEの内容が表示された。
全員が息を止める。
そこに書かれていたのは。
ゲームを愛しなさい。
沈黙。
長い沈黙。
モモイちゃんが、ゆっくり口を開いた。
「……え」
ミドリちゃんも瞬きをする。
「これだけ……?」
ユズちゃんは画面を見つめたまま、何も言わない。
アリスちゃんは首を傾げた。
「ゲームを愛しなさい」
モモイちゃんが頭を抱えた。
「待って待って待って! 伝説のG.BIBLEだよ!? もっとこう、神ゲー制作理論とか! 究極のレベルデザインとか! 隠しパラメータの黄金比とか! そういうのは!?」
先生が苦笑する。
「これが、解析された内容みたい」
「うそぉ……」
モモイちゃんは机に突っ伏した。
「私たち、あんなに探して、廃墟行って、アリス見つけて、C&Cと戦って、出てきた答えが……ゲームを愛しなさい……」
ミドリちゃんも少しだけ肩を落とす。
「大事なことではあるけど……」
「大事だけど! 大事だけどさぁ!」
モモイちゃんが叫ぶ。
「教科書の一ページ目に書いてあるやつじゃん! いや、いい言葉だけど! いい言葉なんだけど、伝説感どこ!?」
ネルさんが腕を組んだまま鼻を鳴らす。
「いいじゃねぇか。分かりやすくて」
「ネルはゲーム作ってないから言えるんだよ!」
「作ってねぇけど、今のお前ら見てたら分かる」
モモイちゃんが顔を上げる。
ネルさんは、少し面倒くさそうに続けた。
「それが答えでいいんじゃねぇの。好きでもねぇもんに、そこまで必死になれるかよ」
部屋が少し静かになる。
モモイちゃんは何も言い返せなかった。
アリスちゃんが、画面を見た。
「ゲームを愛しなさい」
もう一度、読む。
「アリスは、ゲームを愛しています」
その声は、まっすぐだった。
「TSC2が好きです。モモイが作るお話が好きです。ミドリが直す画面が好きです。ユズが守っているデータが好きです。先生が見てくれることが好きです。レナが飲み物をくれることも、足元を注意することも、好きです」
「そこ入るんだ」
私が思わず言うと、アリスちゃんは真剣に頷いた。
「入ります。ゲーム開発部の夜の一部です」
胸が少し熱くなる。
アリスちゃんは続けた。
「G.BIBLEは、攻略法ではありません。でも、アリスは分かりました。ゲームを愛することは、ゲームを作る理由です」
モモイちゃんの目が揺れた。
「……アリス」
「モモイ」
アリスちゃんは、スーパーノヴァを置いたまま、モモイちゃんの方へ一歩近づく。
「TSC2を完成させましょう」
モモイちゃんは、しばらく黙っていた。
そして、両手で自分の頬を叩いた。
「よし!」
大きな音がした。
ミドリちゃんが驚く。
「お姉ちゃん!?」
「決めた! 伝説のG.BIBLEがそう言うなら仕方ない!」
モモイちゃんは立ち上がった。
「私たち、ゲームを愛してる! じゃあ作る! 以上!」
「雑だけど、今はそれでいいと思う」
ミドリちゃんが少し笑った。
ユズちゃんも、小さく頷いた。
「……完成させましょう」
ネルさんが背を向ける。
「じゃあ、あたしらは帰る」
「え、帰るの?」
モモイちゃんが聞く。
「仕事終わったからな」
「命令は?」
「現場判断で対象回収の必要なし。そう報告する」
ネルさんはそれだけ言って、扉へ向かった。
アスナさんが手を振る。
「がんばってねー。完成したら見せて!」
カリンさんが軽く頭を下げる。
「データの破損には気をつけてください」
アカネさんが微笑む。
「テレビなどの備品も、できれば大切に」
「なんでテレビ?」
モモイちゃんが首を傾げる。
私はなぜか少し嫌な予感がした。
C&Cが去ると、部室にはまたゲーム開発部の音が戻ってきた。
端末の音。
モモイちゃんの声。
ミドリちゃんの指示。
ユズちゃんの返事。
アリスちゃんの「了解しました」。
時間はない。
けれど、もう迷う理由もなかった。
「ゲームを愛しなさい」
モモイちゃんが画面の端に、その言葉を仮のメモとして置いた。
「これ、どこかに入れる?」
ミドリちゃんが聞く。
「入れる。でも、説教っぽくならないように。プレイヤーが最後に、あ、そういうことかって思う感じ」
「難しい注文」
「できる?」
「やる」
ミドリちゃんはすぐに作業へ戻った。
ユズちゃんが細かいバグを拾い、アリスちゃんがテストプレイを繰り返す。モモイちゃんがシナリオを整え、先生が提出形式を確認する。私は差し入れを出しながら、疲れすぎている子の手を止めたり、画面酔いしそうなユズちゃんに水を渡したり、モモイちゃんが勢いで余計なイベントを足そうとするのを全力で止めたりした。
「レナお姉ちゃん! ここで隠しボスを!」
「締切まで何時間?」
「……なし!」
「正解」
「くぅっ、正論の剣が刺さる!」
「スーパーノヴァより扱いやすいでしょ」
「レナお姉ちゃんのツッコミが強くなってる!」
笑いながら、手は止めなかった。
そして。
空が白み始める頃。
ミドリちゃんが最後の確認を終えた。
「……いけます」
ユズちゃんが、震える手で頷く。
「……提出形式、大丈夫です」
モモイちゃんが先生を見る。
「先生」
先生が頷いた。
「提出しましょう」
アリスちゃんが、画面の前に立つ。
「TSC2、出撃します」
モモイちゃんがクリックする。
送信バーが進む。
一秒が長い。
二秒が長い。
全員が、息を止めていた。
そして、表示が変わる。
提出完了
その瞬間、部室中の力が抜けた。
「……」
モモイちゃんが、ゆっくり両手を上げる。
「完成……?」
ミドリちゃんが画面を何度も確認する。
「完成、だと思う」
ユズちゃんの目に涙が浮かんでいた。
「……出せました」
アリスちゃんが大きく息を吸う。
「パンパカパーン、ミッション完了です!」
今度は、誰も止めなかった。
モモイちゃんが叫んだ。
「やったぁぁぁぁぁぁ!」
ミドリちゃんが笑って、ユズちゃんが泣きそうになって、先生がほっと息を吐く。
私は、机に手をついて笑った。
眠い。
疲れた。
でも、胸の奥がすごく温かい。
ゲームを愛しなさい。
その言葉は、攻略法ではなかった。
でも、たぶん。
この夜を越えるためには、それで十分だった。
部室の窓の外で、朝の光がミレニアムの校舎を照らし始めていた。