戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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4話 逃走経路に心配を置いて

 

 

 セミナーの廊下で、紙袋が走っていた。

 

 正確に言うと、紙袋を抱えたコユキちゃんが走っていた。

 

 もっと正確に言うと、紙袋から書類の端と謎の備品らしき箱をはみ出させながら、コユキちゃんがものすごく怪しい笑顔で走っていた。

 

「にゃははっ! これは逃走ではありません! 必要な物資の緊急移送です!」

 

「コユキちゃん!」

 

 私が呼ぶと、コユキちゃんは振り返った。

 

 目が合った。

 

 一瞬、止まる。

 

 止まったように見えた。

 

「レナさん! 奇遇ですね!」

 

「うん、奇遇だね。その紙袋、どうしたの?」

 

「拾いました!」

 

「セミナーの資料室から?」

 

「詳しい場所の特定は個人情報です!」

 

「物の場所に個人情報はないよ!」

 

 コユキちゃんは走りながら笑った。

 

 私は反射的に追いかける。

 

 別に、追いかけるつもりでセミナーに来たわけじゃなかった。

 

 今日はユウカさんに頼まれた簡単な確認書類を届けるだけだった。ゲーム開発部の特別賞関連の追加資料。先生が「セミナーへ行くならついでに」と渡してくれたもので、私はそれを持って、普通に受付へ向かうはずだった。

 

 なのに。

 

 曲がり角の向こうから、紙袋が走ってきた。

 

 しかも紙袋の後ろから、セミナーの生徒らしき子が「待ってください! それ、持ち出し許可が!」と叫んでいた。

 

 それで全部分かった。

 

 たぶん、よくないことが起きている。

 

「コユキちゃん、止まって!」

 

「止まったら捕まります!」

 

「捕まるようなことしてる自覚はあるんだ!?」

 

「あります!」

 

「あるんだ!?」

 

 返事が元気すぎる。

 

 廊下の角を曲がる。コユキちゃんは足が速い。紙袋を抱えているのに、妙に身軽だった。小柄な体が、棚と人の間をするすると抜けていく。

 

 私は、走りながら肩にかけていた救護バッグを押さえた。

 

「待って、コユキちゃん! そのまま走ったら転ぶ!」

 

「大丈夫です! コユキ、運だけはいいので!」

 

「それ、今使う運じゃない!」

 

「運に使用期限はありません!」

 

「たぶんあるよ! こういう時に使うとユウカさんに怒られる時の運が残らないよ!」

 

 その言葉に、コユキちゃんの足がほんの少し鈍った。

 

 効いた。

 

 と思った瞬間、コユキちゃんはまた加速した。

 

「ユウカ先輩に怒られるのは、もう日課みたいなものなので!」

 

「日課にしちゃだめ!」

 

 私は息を切らしながら追いかけた。

 

 セミナーの廊下は綺麗に整っている。曲がり角には表示板。壁際には整理された棚。床には滑り止め。普通に歩く分には安全な場所だ。

 

 ただ、紙袋を抱えて逃げる場所ではない。

 

 特に、コユキちゃんが今曲がろうとしている先は、倉庫へ続く狭い通路だった。

 

「そっちは狭いって!」

 

「狭い方が追っ手を撒けます!」

 

「私、追っ手じゃなくて心配してる人!」

 

「追っ手はみんなそう言います!」

 

「言わないよ!」

 

 コユキちゃんが通路へ飛び込む。

 

 私も続いた。

 

 狭い。

 

 棚と棚の間。両側には備品の箱やファイルが積まれている。コユキちゃんが抱えた紙袋の端が、棚に引っかかりそうになる。

 

「コユキちゃん、右!」

 

「右ですか!?」

 

「袋! 引っかかる!」

 

「にゃっ!?」

 

 コユキちゃんが慌てて体をひねる。

 

 紙袋は棚を避けた。

 

 でも、足元が遅れた。

 

「あ」

 

 コユキちゃんの体が前に傾く。

 

 考えるより先に、私は手を伸ばした。

 

「危ない!」

 

 紙袋ごと、コユキちゃんの袖を掴む。

 

 軽い。

 

 思ったよりずっと軽い。

 

 そのままぐいっと引き戻すと、コユキちゃんは私の方へよろけた。紙袋の中身がばさばさと音を立てる。備品の箱が一つ落ちかけて、私は反対の手でなんとか押さえた。

 

 コユキちゃんは私の腕の中で、目をぱちぱちさせていた。

 

「……捕まりました?」

 

「助けたの」

 

「なるほど。救助による拘束ですね」

 

「言い方」

 

「でも、レナさん、今ちょっとかっこよかったです」

 

「褒めても逃がさないよ」

 

「にゃはは……ですよねー」

 

 コユキちゃんが笑った。

 

 いつもの調子の良い笑い。

 

 でも、袖を掴んだままの私の手に、ほんの少しだけ力が入る。

 

 コユキちゃんは、それに気づいたらしい。

 

「レナさん?」

 

「怪我してない?」

 

「え?」

 

「足、ひねってない? 腕ぶつけてない? 紙袋でお腹押してない?」

 

「あ、えっと……たぶん、大丈夫です」

 

「たぶんじゃなくて」

 

 私は少し膝を折って、コユキちゃんの足元を見る。

 

 靴はちゃんと履けている。足首に変な角度はない。膝も擦っていない。とりあえず、大きな怪我はなさそうだった。

 

 ほっとして、息を吐く。

 

「よかった」

 

 そう言うと、コユキちゃんは少し変な顔をした。

 

「……よかった、ですか?」

 

「うん。転んでたら痛いでしょ」

 

「それは、まあ……痛いですね」

 

「紙袋持って走る時点でだいぶ危ないし、倉庫の棚の間なんてもっと危ないよ。箱の角って普通に痛いからね」

 

「レナさん、箱の角に詳しいんですか?」

 

「救護騎士団は、地味な怪我にも詳しいんです」

 

「おお……説得力が違います」

 

「感心してないで、まず紙袋下ろして」

 

「これは、その、まだ少し移送途中でして」

 

「移送じゃなくて持ち出し」

 

「一時的な借用です!」

 

「許可は?」

 

「心の中に!」

 

「それは許可じゃないよ!」

 

 コユキちゃんは紙袋を抱え直した。

 

 逃げる気だ。

 

 そう思った瞬間、私は袖を離さなかった。

 

 コユキちゃんが、ぎくりとした。

 

「レナさん?」

 

「逃げる?」

 

「逃げませんよ?」

 

「今、逃げる顔した」

 

「顔だけです!」

 

「顔だけならセーフじゃないよ」

 

「厳しい!」

 

 コユキちゃんは少しだけ身を引こうとした。

 

 でも、棚の間で距離がない。私が袖を掴んでいる。コユキちゃんが一歩下がると、背中が棚に当たる。

 

 近い。

 

 別に迫ったつもりはない。

 

 でも、結果として、私はコユキちゃんの前に立つ形になっていた。棚と棚の間。紙袋を抱えたコユキちゃん。袖を掴む私。

 

 コユキちゃんの顔が、少し赤くなる。

 

「……レナさん、近くないですか?」

 

「逃げるからでしょ」

 

「近いと、コユキの逃走成功率が下がります」

 

「下がっていいよ」

 

「そんなぁ」

 

 コユキちゃんは困ったように笑った。

 

 でも、いつもの勢いが少しだけ弱い。

 

 私は紙袋を見た。

 

「中身、見てもいい?」

 

「だめです」

 

「だめなんだ」

 

「レナさんに見られたら、たぶん止められます」

 

「止められるものなんだ」

 

「はい」

 

「じゃあ見るね」

 

「にゃっ!?」

 

 私は紙袋の口を軽く覗いた。

 

 書類。備品の小箱。ケーブル。未使用の端末用ラベル。あと、お菓子。

 

「お菓子ある」

 

「非常食です!」

 

「逃走用?」

 

「戦略的撤退用です!」

 

「同じだよ」

 

 書類の束の表紙には、セミナー倉庫備品使用申請書、と書かれている。

 

 申請書。

 

 未記入。

 

 つまり、申請する前に持ち出そうとしている。

 

「コユキちゃん」

 

「はい」

 

「申請書って、書いてから出すものだよね」

 

「先に物を動かしてから、書類が後追いするという可能性も」

 

「ないよ」

 

「あります!」

 

「ユウカさんに言える?」

 

「……ありません」

 

 素直だった。

 

 私は思わず笑いそうになったけれど、なんとか抑えた。

 

「何に使うつもりだったの?」

 

「それは……」

 

 コユキちゃんの目が泳ぐ。

 

 嘘を考えている顔だ。

 

「カジノ的な何か?」

 

「違います!」

 

「じゃあ賭け事っぽい何か?」

 

「違います!」

 

「一攫千金?」

 

「惜しいです!」

 

「惜しいんだ」

 

 コユキちゃんは、しまった、という顔をした。

 

 私は袖を掴んだまま、少しだけ首を傾げる。

 

「ちゃんと聞くから。何に使うつもりだったの?」

 

「怒ります?」

 

「内容による」

 

「正直!」

 

「でも、怒る前に聞く」

 

 コユキちゃんは、紙袋を抱えたまま、少しだけ視線を落とした。

 

 珍しく、すぐに笑わなかった。

 

「……ゲーム開発部って、特別賞取ったじゃないですか」

 

「うん」

 

「すごいですよね」

 

「すごいね」

 

「みんな、ちゃんと何か作って、認められて、残ったんですよね」

 

「うん」

 

「ユウカ先輩もノア先輩も忙しくて、でもなんか嬉しそうで。セミナーもばたばたしてて、ゲーム開発部の書類がいっぱいあって」

 

 コユキちゃんは、紙袋の端をぎゅっと掴んだ。

 

「コユキも、何かできないかなって思ったんです」

 

 声が少し小さかった。

 

「何か?」

 

「はい。こう、セミナーをびっくりさせるような。コユキもすごいですよってなるような。だから、ちょっと備品を借りて、すごい企画をですね」

 

「申請書を書く前に?」

 

「……はい」

 

「ユウカさんに怒られる未来しか見えないね」

 

「ですよねぇ」

 

 コユキちゃんは力なく笑った。

 

 でも、その笑い方が、さっきまでと違った。

 

 私は袖を掴む手を少し緩めた。

 

「コユキちゃん」

 

「はい」

 

「怒ってるんじゃないよ。いや、ちょっとは怒ってるけど」

 

「怒ってるんじゃないですか」

 

「それはそう」

 

「即答……」

 

「でも、それより心配した」

 

 コユキちゃんが顔を上げた。

 

「心配?」

 

「うん。コユキちゃんがまた一人で変なことして、あとでユウカさんに怒られて、でも本当はちょっと寂しかっただけでした、みたいな顔するのは見たくないなって」

 

 言ったあとで、少しだけ不安になった。

 

 決めつけすぎたかもしれない。

 

 でも、コユキちゃんは笑わなかった。

 

 紙袋を抱えたまま、目を丸くしていた。

 

「……レナさん」

 

「違ったらごめん」

 

「いえ」

 

 コユキちゃんは、少しだけ下を向いた。

 

「違わない、かもしれません」

 

 その声は、いつものコユキちゃんよりずっと静かだった。

 

 倉庫の棚の間に、少しだけ沈黙が落ちる。

 

 遠くで、誰かが廊下を歩く音がした。セミナーの建物はまだ起きている。でも、この狭い通路だけ、少し時間が止まったみたいだった。

 

 私は、コユキちゃんの袖から手を離した。

 

「逃げてもいいよ」

 

「え?」

 

「もう捕まえたし。転ばないのも確認したし。話も聞けたから」

 

「逃げていいんですか?」

 

「本当に逃げたら、もう一回追うけど」

 

「どっちですか!?」

 

「選択肢をあげただけ」

 

「怖い選択肢です!」

 

 コユキちゃんは少しだけ笑った。

 

 でも、逃げなかった。

 

 紙袋を床へ下ろす。

 

 中の書類が、くしゃっと音を立てた。

 

「……レナさんって、変ですね」

 

「急に?」

 

「普通、コユキがこういうことしたら、もっと怒るか、呆れるか、ユウカ先輩に突き出すかです」

 

「ユウカさんには報告するよ」

 

「します!?」

 

「するよ。そこはする」

 

「やっぱり優しくない!」

 

「でも、一緒に行く。私も説明する」

 

「え」

 

 コユキちゃんが固まった。

 

「なんでですか?」

 

「コユキちゃん一人で行ったら、たぶん最初の三秒で言い訳して怒られるでしょ」

 

「否定できません」

 

「だから、私も行く。何をしたかったのか、ちゃんと話せるように横にいる」

 

「……怒られますよ」

 

「一緒に?」

 

「レナさんは怒られないと思いますけど」

 

「じゃあ、隣で見てる」

 

「それはそれで恥ずかしいです!」

 

 コユキちゃんは慌てた。

 

 その反応が少しだけいつも通りで、安心する。

 

 私はしゃがんで、紙袋の中身を整えた。申請書は一番上。備品の箱は底。ケーブルは絡まないように巻き直す。お菓子は……迷ったけど、そのまま横に入れた。

 

「お菓子、返す?」

 

「非常食です」

 

「じゃあ持ってていいけど、ユウカさんに見つかったら自分で説明してね」

 

「やっぱり抜いてください」

 

「はいはい」

 

 お菓子を取り出して、コユキちゃんに渡す。

 

 コユキちゃんはそれを両手で受け取った。

 

 しばらく眺めて、それからぽつりと言った。

 

「……レナさん」

 

「うん?」

 

「怒られる前に捕まえに来る人、レナさんでもいいんですか?」

 

 私は一瞬、言葉に詰まった。

 

 さっき私が言ったような言葉だった。

 

 でも、コユキちゃんの口から出ると、少し違って聞こえた。

 

 怒られる前に捕まえに来る人。

 

 それは、ただの追っ手じゃない。

 

 逃げた先で、転ぶ前に袖を掴む人。

 

 言い訳の前に、本当は何がしたかったのか聞く人。

 

 コユキちゃんは、そういう人がいてもいいのかと聞いている。

 

「いいよ」

 

 私は答えた。

 

「私でよければ、捕まえに来る」

 

 コユキちゃんの目が、少しだけ揺れた。

 

「……本当に?」

 

「うん。でも、走る前に言ってくれたらもっと助かる」

 

「それは、えっと、努力します」

 

「今の返事、だいぶ怪しい」

 

「努力はします!」

 

「じゃあ、私も努力する。コユキちゃんが走り出す前に、変な顔してるの気づけるように」

 

「変な顔……」

 

「するでしょ。企んでる時」

 

「しますけど!」

 

「自覚あるんだ」

 

「あります!」

 

「あるなら直そうね」

 

「それは難しいです!」

 

 コユキちゃんがやっといつもの調子で笑った。

 

 けれど、その笑いの奥に、さっきまでなかったものが少しだけ混じっていた。

 

 ほっとしたような。

 照れているような。

 逃げたいのに、少しだけここにいたいような。

 

 私は紙袋を持ち上げた。

 

「じゃあ、行こっか」

 

「どこへ?」

 

「ユウカさんのところ」

 

「えっ、今ですか!?」

 

「今じゃないと、また逃げるでしょ」

 

「逃げません!」

 

「ほんとに?」

 

「……少ししか」

 

「少し逃げるんだ」

 

 私は紙袋を片手に持ち、もう片方の手でコユキちゃんの袖を軽く掴んだ。

 

 さっきみたいに強くはない。

 

 ただ、隣にいるために。

 

「レナさん」

 

「何?」

 

「袖、掴んでます」

 

「逃げるからね」

 

「逃げませんって」

 

「少し逃げるって言った」

 

「揚げ足取りです!」

 

「捕まえる側だからね」

 

 コユキちゃんは頬を膨らませた。

 

 でも、振りほどかなかった。

 

 棚の間を抜けて、廊下へ戻る。

 

 セミナーの廊下は相変わらず静かだった。遠くの方で端末の通知音が鳴る。どこかの部屋ではまだ明かりがついている。

 

 コユキちゃんは隣を歩きながら、お菓子の包装を指先でいじっていた。

 

「レナさん」

 

「うん?」

 

「ユウカ先輩、怒りますよね」

 

「怒ると思う」

 

「ですよね」

 

「でも、ちゃんと話せば、最後まで聞いてくれると思うよ」

 

「聞いたあとで怒りますよね」

 

「うん」

 

「にゃあ……」

 

 コユキちゃんが小さく鳴いた。

 

 私は笑ってしまった。

 

「怖い?」

 

「怖いです」

 

「じゃあ、怖いって言えばいいよ」

 

「ユウカ先輩に?」

 

「うん」

 

「そんなこと言ったら、余計に怒られませんか?」

 

「たぶん、ちょっとだけ怒り方が変わる」

 

「どう変わるんですか」

 

「分かんない。でも、ユウカさんならちゃんと見てくれるよ」

 

 コユキちゃんは少し黙った。

 

 それから、私の袖を見た。

 

「レナさんも、見てくれますか」

 

「見るよ」

 

「コユキが、また変なことしそうな顔してたら?」

 

「見る」

 

「逃げようとしてたら?」

 

「追う」

 

「転びそうだったら?」

 

「袖掴む」

 

「怒られそうだったら?」

 

「隣にいる」

 

 コユキちゃんは、そこで黙った。

 

 足が止まりそうになったけれど、止まらなかった。

 

 代わりに、小さく笑う。

 

「……それ、結構ずるいです」

 

「そう?」

 

「はい。そんなの、逃げにくくなるじゃないですか」

 

「いいことだね」

 

「レナさん、意外と容赦ないです」

 

「救護騎士団だからね」

 

「救護騎士団って、逃走経路まで塞ぐんですか?」

 

「怪我しそうなら塞ぐよ」

 

「強い……」

 

 廊下の角を曲がる。

 

 ユウカさんのいるであろう部屋までは、もう少し。

 

 コユキちゃんは、紙袋ではなくお菓子を抱えている。私は紙袋を持っている。袖はまだ、軽く掴んだまま。

 

「レナさん」

 

「うん?」

 

「怒られたあと、慰めてくれます?」

 

「内容による」

 

「そこは無条件じゃないんですか!?」

 

「無条件で慰めたら、またやるでしょ」

 

「やります!」

 

「言い切らないで」

 

「にゃははっ」

 

 いつもの笑い声が戻る。

 

 でも、今度は少しだけ違う。

 

 逃げるための笑いじゃない。

 ごまかすためだけの笑いでもない。

 

 誰かが隣にいることを、ちょっとだけ信じた笑い。

 

 そう見えた。

 

 私は、紙袋を持ち直した。

 

「じゃあ、行こ。ちゃんと怒られに」

 

「その言い方、嫌です!」

 

「じゃあ、ちゃんと説明しに」

 

「それなら、少しだけマシです」

 

「よし」

 

 私はユウカさんの部屋の前で立ち止まった。

 

 コユキちゃんも止まる。

 

 扉の向こうからは、書類を動かす音がした。

 

 コユキちゃんが、小さく息を吸う。

 

「レナさん」

 

「いるよ」

 

「まだ何も言ってません」

 

「言いそうな顔してた」

 

「……本当に見てますね」

 

「見るって言ったでしょ」

 

 コユキちゃんは、少しだけ口を尖らせた。

 

 でも、目元は緩んでいた。

 

「じゃあ……隣、お願いします」

 

「うん」

 

 私は頷いた。

 

「任せて」

 

 コユキちゃんが扉を叩く。

 

 中から、ユウカさんの声。

 

「どうぞ」

 

 コユキちゃんは、ほんの一瞬だけ私を見た。

 

 逃げたい顔。

 

 でも、逃げなかった。

 

 私が袖を掴んでいたからかもしれない。

 

 それとも、もう逃げる気が少しだけなくなっていたのかもしれない。

 

 扉が開く。

 

 ユウカさんが顔を上げた。

 

 私を見る。

 

 コユキちゃんを見る。

 

 私の持っている紙袋を見る。

 

 そして、ゆっくり眉を寄せた。

 

「……コユキ?」

 

「にゃ、にゃはは……」

 

 コユキちゃんは笑った。

 

 でも、すぐに笑いを小さくした。

 

「ユウカ先輩。えっと……説明があります」

 

 その言葉に、ユウカさんは少しだけ目を細めた。

 

 怒る前の顔。

 

 でも、ちゃんと聞く顔。

 

 私はコユキちゃんの隣に立ったまま、紙袋を机の上に置いた。

 

 袖から手を離す。

 

 コユキちゃんは逃げなかった。

 

 そのことが、少し嬉しかった。

 

「レナさん」

 

 小さな声で呼ばれる。

 

「うん?」

 

「あとで、非常食返してくださいね」

 

「それ、今言うこと?」

 

「大事なので」

 

 私は小さく笑った。

 

「怒られ終わったらね」

 

「はい」

 

 コユキちゃんは、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。

 

 これから怒られる。

 

 たぶん、しっかり怒られる。

 

 でもその前に、ちゃんと話そうとしている。

 

 なら、大丈夫。

 

 逃げたくなったら、また袖を掴めばいい。

 

 転びそうなら、支えればいい。

 

 怒られた後でしょんぼりしていたら、非常食を半分だけ分けてもらおう。

 

 そんなことを考えながら、私はコユキちゃんの横に立った。

 

 逃走経路の先ではなく。

 

 逃げ出す前の、すぐ隣に。




23:00にr18公開予定です

追記ー
すいませんん。間に合いそうになくて、明日中には絶対投稿します。
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