戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
エンジニア部の作業場に入る前に、レナは一度だけ扉の前で立ち止まった。
中から聞こえる音が、まず普通ではなかった。
金属が擦れる音。工具が転がる音。誰かが慌てて走る音。何かが低く唸る音。それから、ばちっ、と電気が弾けるような音。
……帰ろうかな。
いや、よくない。今日はちゃんと手伝いに来たのだ。ゲーム開発部の件で関わったエンジニア部に、資料と部品リストを届けるついでに、簡単な作業を手伝う。それだけのはずだった。
それだけのはずなのに、扉一枚向こうからすでに命の気配が薄い。
「失礼しまーす……」
控えめに扉を開けると、作業場の中はいつも通り、いや、たぶんいつも通りなのだと思う。レナにとっては毎回初見の事故現場みたいに見えるけれど、エンジニア部の三人が慌てていないなら、おそらく平常運転なのだろう。
中央には雷ちゃん。
半分ほど外装を外され、内部配線を見せた状態で、作業台に固定されている。その周囲には工具、ケーブル、端末、よく分からない測定器、そして「触るな危険」と書かれた札が二枚。
二枚もある。
「……あの、ウタハさん」
「来たか、レナ。ちょうどいいところだ」
「私の知ってる“ちょうどいいところ”って、もう少し安全そうな場面なんですけど」
「今日は安全側の作業だ。安心していい」
ウタハはゴーグルを額に上げ、平然とそう言った。
その隣で、ヒビキが小型端末を操作しながらちらりとこちらを見る。
「レナさん、そこに立ってるとケーブル踏みます。あと、たぶんその赤い線は踏まない方がいいです」
「たぶん?」
「踏んだことがないので、結果が分からなくて」
「結果が分からないものを床に置かないでほしいなぁ……」
「分からないから検証価値があるんです」
「エンジニア部ってそういうところあるよね」
思わずそう返すと、奥の方でコトリが顔を上げた。手には分厚い説明書。さらにその上に、自分で書き足したらしい付箋が大量についている。
「はい! エンジニア部とはすなわち未知への挑戦、未確認現象への好奇心、そして失敗から得られる改善点を明日のロマンへ変換するための実践的研究集団です! つまり多少の不確定要素は、むしろ次の発見に繋がる大切な材料でして――」
「コトリちゃん、長い。今のは“危ないけど楽しい部活です”でいいと思う」
「すごく雑にまとめられました!?」
「でも大体合っている」
ウタハが頷いた。
「合ってるんだ……」
レナは小さく息を吐いて、抱えていた書類を近くの机に置いた。
怖い。けれど、嫌な怖さではない。
この部屋にあるものは、どれも少し危なっかしくて、少しうるさくて、少し常識から外れている。でも、そこにいる三人は本気だった。ふざけているようで、目はちゃんと部品を見ている。失敗を笑っているようで、誰かが怪我しない位置を自然に空けている。
そういうところが、たぶん少しだけ好きだった。
「それで、私は何をすればいいんですか?」
「まずはこのケーブルを番号順に分けてほしい。赤が駆動系、青が制御系、黄色が予備、黒は……」
「黒は?」
「触らない方がいい」
「なんで混ぜたんですか」
「混ざったからだ」
「理由が最悪」
ヒビキが小さく笑いながら、レナの前にラベルを置いた。
「大丈夫です。黒だけ避ければ、あとはたぶん平気です」
「ヒビキちゃん、さっきから“たぶん”への信頼が厚すぎるよ」
「エンジニア部では確定していないことを断言しない誠実さが大事なので」
「その誠実さ、別のところに使ってほしい」
言いながら、レナはしゃがんでケーブルを拾い始めた。
色を見て、番号を見て、ラベルを貼る。思っていたより単純な作業だった。雷ちゃんの巨大な腕がすぐ横にあることを除けば、普通に手伝いらしい手伝いだ。
少しだけ安心した、その時だった。
ぴこん。
雷ちゃんのセンサーが光った。
レナの手が止まる。
「……今、光りました?」
「光ったな」
ウタハが工具を持ったまま言う。
「それは光っていいやつですか?」
「本来はまだ光らない」
「じゃあ駄目なやつですよね?」
「そうとも言う」
「言い方!」
ヒビキが端末を確認する。
「待機モードが解除されてます。えっと……探索補助機能が起動してるみたいです」
「探索補助機能?」
レナが聞き返すと、コトリが急いで説明書をめくり始めた。
「探索補助機能というのは、特定対象の移動経路や周辺障害物を認識して、保護・誘導・追跡を行うための補助機能です! 元々は瓦礫内探索や危険区域での搬送補助に応用する予定だった機能で、今回の調整ではまだ起動しない予定だったんですが、何らかの条件を満たしてしまったようでして――」
「つまり?」
「追ってきます!」
「一番嫌なまとめ方!」
ぎゅいん、と雷ちゃんの駆動音が鳴った。
固定アームが外れる。
ゆっくりと雷ちゃんが起き上がり、センサーがまっすぐレナを捉えた。
「……え、私?」
「レナだな」
「なんで私なんですか」
「分からん」
「ウタハさんが分からないなら誰が分かるんですか!」
「これから分かる」
「今分かってほしい!」
次の瞬間、雷ちゃんが動いた。
「っ、わ!」
レナはケーブルを掴んだまま横へ跳んだ。さっきまでしゃがんでいた場所に、雷ちゃんのアームが伸びる。掴もうとしたのか、支えようとしたのか、判断はつかない。ただ一つ分かるのは、あの腕にまともに捕まったら絶対に面倒なことになるということだった。
「レナさん、廊下へ!」
「はい!」
ヒビキの声に従って、レナは作業場を飛び出した。
背後でコトリが何かを叫んでいる。
「雷ちゃんの移動経路を制御できればいいんですが、今の状態だと対象追跡の優先度が高くて、外部入力への反応が遅れています! つまりレナさんが止まると雷ちゃんも止まる可能性があるんですけど、距離が近い状態で止まると捕獲判定になるかもしれないので、止まるなら十分な距離を取ってからでお願いします!」
「説明長いけど要するに走れってことだよね!?」
「はい!」
夜の校舎に、レナの足音と雷ちゃんの駆動音が響いた。
深夜のミレニアムは静かだと思っていた。少なくとも、トリニティの夜よりは機械音が多いけれど、人通りは少ないし、廊下も広い。なのに今は、その広さが逃走経路として妙にありがたい。
ありがたいと思っている時点で、だいぶ感覚がおかしい。
「レナ、右だ!」
「右ですね!」
「いや、そっちは工具棚がある!」
「どっちですか!」
「右に行ってから左だ!」
「最初からそう言ってください!」
ウタハの指示に従って曲がると、廊下の端に積まれた資材箱が見えた。レナはその横をすり抜けようとして、足元のネジに気づく。
踏む。
そう思った瞬間、腕を引かれた。
「こっちだ」
「っ、ありがとうございます」
ウタハが追いついていた。
手首を掴まれたまま、レナは半歩遅れて走る。ウタハは息を切らしているのに、目だけは妙に楽しそうだった。
「……ウタハさん」
「なんだ」
「今ちょっと楽しんでません?」
「少しな」
「少し」
「自分の作ったものが想定外の挙動を見せた時、技術者としては原因を突き止めたい。もちろん危険は止めるべきだが、それとは別に、なぜそう動いたのかを見たい気持ちもある」
「その長めの本音、今聞くとだいぶ怖いです」
「だが君も、さっき少し笑っていただろう」
レナは返事に詰まった。
見られていた。
確かに、少しだけ笑っていた。怖いのに、走りながら、作業場の三人が慌てている声を聞いて、なんだか文化祭前みたいだと思った。徹夜で準備して、変なものが壊れて、誰かが叫んで、それでも全員で走っているような。
「……笑ってないです」
「今の間は嘘だな」
「ミレニアムの人、観察力が高い人多すぎません?」
「機械を見るには、人も見えた方がいい」
そう言って、ウタハはレナの手を離した。
その直後、後ろからヒビキの声が飛ぶ。
「部長、レナさん、止まってください! 今なら補助ブレーキ入れられます!」
「本当に止まっていいやつ!?」
「たぶん!」
「だからその“たぶん”ほんとに嫌!」
とはいえ、走り続けるわけにもいかない。
レナは廊下の少し広い場所で足を止め、振り返った。雷ちゃんがこちらへ迫ってくる。センサーが赤く光る。思っていたより速い。
「ヒビキちゃん!?」
「三、二、一……今!」
雷ちゃんの脚部が、ぎぎ、と音を立てて止まった。
止まった。
止まったけれど、勢いのまま少し滑る。
「わっ」
レナは反射で後ろへ下がろうとして、背中が何かにぶつかった。
ウタハだった。
「大丈夫か」
「はい。……たぶん」
「君まで“たぶん”を使い始めたな」
「感染しました」
少しだけ息を整えながら答えると、ウタハが小さく笑った。
すぐ近くで雷ちゃんが停止している。作業場から走ってきたヒビキとコトリも、少し遅れて廊下に到着した。
「止まりました……よね?」
ヒビキが端末を覗き込む。
「一応、動力は落ちています。ただ、認識だけは継続中です」
「認識って、私のこと?」
「はい。ログを見る限り、レナさんが優先対象になってます」
「なんで」
コトリが画面を覗き込み、眼鏡を直すような仕草をしてから、妙に真剣な顔になった。
「ええと、雷ちゃんの学習ログによると、“エンジニア部構成員が高頻度で会話・視線・作業補助を行う対象を、活動区域内における重要人物として設定”……となっています」
しばらく、誰も喋らなかった。
レナはゆっくりウタハを見る。
ウタハは端末の方を見ていた。
「……ウタハさん」
「学習機能が想定より柔軟だったようだ」
「そういう話ですか?」
「そういう話でもある」
ヒビキが小さく肩を震わせた。
「部長、レナさんが来ると作業効率上がりますもんね」
「えっ、そうなの?」
「上がりますよ。コトリ先輩の説明を途中で止めてくれるので、会話の総量は減ります」
「それ効率って言っていいのかな」
「いいです! 私の説明は必要な説明ですから、本来は全部聞いていただくのが一番なんですけど、レナさんが途中で“つまりこういうこと?”ってまとめてくれると、ヒビキちゃんも部長もすぐ作業に戻れるので、結果的には非常に合理的な会話圧縮が行われているんです!」
「ほら、長い」
「短くします! レナさんがいると助かります!」
コトリが言い切った。
その言い方があまりにもまっすぐで、レナは少しだけ返事に困った。
「……それなら、よかった」
小さくそう言うと、ヒビキが端末を閉じる。
「それに、レナさんがいると部長が楽しそうです」
「ヒビキ」
「事実です」
ウタハの声に、ヒビキは淡々と返した。
レナは思わず視線を泳がせる。
「……そこは、本人の前で言うところじゃないと思う」
「でも、レナさんも楽しそうでしたよ」
「それも本人の前で言うところじゃないかな……」
「じゃあ、後で言えばよかったですか?」
「後で言われてもたぶん変わらない」
今度はウタハが笑った。
レナは軽く咳払いして、止まったままの雷ちゃんへ視線を向ける。さっきまで追いかけられていた相手なのに、こうして見ると、少しだけ可愛く見えなくもない。いや、巨大で、硬くて、普通に怖いけれど。
「雷ちゃんは、私を追いかけてたんじゃなくて、守ろうとしてたってこと?」
「ログを見る限りはそうだな。ただ、保護行動と捕獲行動の境界が曖昧すぎる」
「一番大事なところが曖昧ですね」
「改善する」
ウタハはそう言って、停止した雷ちゃんの装甲を軽く叩いた。
「だが、方向性は悪くない。エンジニア部にとって大事なものを、雷ちゃんが自分で判断したということだからな」
「……大事なもの」
レナが小さく繰り返すと、コトリが大きく頷いた。
「はい! 雷ちゃんはまだ完全ではありませんが、学習結果としてレナさんを重要人物と認識したわけですから、これはある意味、エンジニア部全体の行動傾向が機械に反映された結果とも言えます! つまり、機械は嘘をつかないということです!」
「最後だけ急に逃げ場なくすのやめて」
「逃げ場?」
「いや、こっちの話」
レナは頬を掻いた。
何か言わないと変に沈黙しそうで、でも何を言っても余計なことになりそうで、少し迷う。
結局、出てきたのはあまり格好のつかない言葉だった。
「……じゃあ、次からはもう少し優しく守るように教えてあげてください。追いかけられるの、普通に疲れます」
ウタハは一瞬黙って、それから満足そうに頷いた。
「了解した。次の仕様に入れておく」
「仕様に入るんだ、それ」
「入る。レナが疲れない保護行動、という項目だな」
「なんかすごく限定的な機能が増えた……」
ヒビキがぽつりと言う。
「でも、それ必要そうです」
「必要です!」
コトリも続ける。
「レナさんは今後もエンジニア部に来る予定ですし、雷ちゃんが毎回全力で追跡していたら作業になりませんからね!」
「待って。今さらっと“今後も来る予定”って言った?」
「来ないのか?」
ウタハが聞いた。
その聞き方は、責めるようではなかった。ただ、当然の確認みたいだった。
だからレナは少しだけ考えて、雷ちゃんを見て、散らばった工具と、走ってきた廊下と、まだ息の整っていない三人を順番に見た。
「……来ますよ」
言うと、コトリの顔がぱっと明るくなった。
「では次回までにレナさん用の安全講習資料を作っておきます!」
「薄めでお願い」
「最低でも三十ページは必要です!」
「厚い」
「図解を入れると五十ページです!」
「増えた」
ヒビキが笑いを堪えながら端末をしまう。
「じゃあ私は、雷ちゃんがレナさんを追う時の速度制限を入れておきます」
「追う前提なんだ」
「守る前提です」
「言葉を変えても内容が怖いよ」
ウタハは工具を肩に担ぎ、停止した雷ちゃんを見上げた。
「私は保護行動の再設計をする。レナ、よければ次も検証に付き合ってくれ」
「検証って言われると急に行きたくなくなるんですけど」
「では、部活動への参加だ」
「言い方変えればいいと思ってません?」
「駄目か?」
ウタハは真面目な顔で聞いてくる。
真面目な顔なのに、少しだけ楽しそうだった。
レナは小さく息を吐いた。
「……逃げる準備だけしておきます」
「それでいい」
ウタハが頷く。
「逃げ道がある方が、機械も人もいい動きをする」
その言葉は、少しだけエンジニア部らしくて、少しだけウタハらしかった。
レナは雷ちゃんを見上げる。
さっきまで全力で追いかけてきた機械は、今は大人しく停止している。センサーの光も落ち着いていて、なんとなく、怒られてしょんぼりしているようにも見えた。
「……雷ちゃん」
呼んでみると、ぴこん、と小さく光る。
レナは少し笑った。
「次は、もうちょっとゆっくりでお願いします」
雷ちゃんは答えない。
けれど、センサーの光が一度だけ柔らかく瞬いた。
コトリが小さく感動したように両手を握る。
「通じました! これは通じましたよ!」
「今のは偶然だと思います」
「偶然も観測されればデータです!」
「エンジニア部、全部そうやって押し切る……」
廊下に笑い声が広がった。
深夜のミレニアム。
散らばった工具と、停止した雷ちゃんと、妙に満足そうなエンジニア部。
レナはその真ん中で、少しだけ肩の力を抜いた。
ここは危ない。
うるさいし、よく分からないし、たまに本当に走らされる。
でも。
次に来る時、たぶんまた扉の前で少し迷って、それでも結局開けるのだと思う。
その時、雷ちゃんがまた光ったら。
今度は、最初から少しだけ名前を呼んでみようと思った。
ヒロインレースの本命が雷だとは、、このリハクの目を持ってしても、、、、。なんで機会との方が甘酸っぱい空気に鳴るんですかね