戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

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7話 全知は段差に弱い

 

 

 特異現象捜査部から届いたメッセージは、最初から少しだけ怪しかった。

 

『本日十五時二十分、ミレニアム中央棟西側通路にて、極めて重要な観測任務を実施します。つきましては、外部協力者レナさんに補助観測員としての同行を要請します』

 

 観測任務。

 

 補助観測員。

 

 極めて重要。

 

 言葉だけ見れば、すごく大事そうだった。

 大事そうだったのだけれど、差出人がヒマリさんだった時点で、レナは少しだけ疑っていた。

 

 いや、疑うというより、身構える。

 

 ヒマリさんの言う「極めて重要」は、本当に極めて重要なこともあるし、本人が楽しむために極めて重要になっていることもある。しかもヒマリさんは、その二つをかなり自然に混ぜてくる。

 

 ただ、無視する理由もなかった。

 

 ヒマリさんは変わった人だ。

 

 自分で全知と言うし、清楚系病弱美少女とも言うし、実際すごい人なのに、言動の癖が強い。けれど、話していて嫌な感じはしない。むしろ、妙に会話が続く。

 

 だからレナは時間通り、中央棟西側通路へ向かった。

 

 そして、待ち合わせ場所で車椅子に乗ったヒマリさんを見つけた瞬間、少しだけ目を細めた。

 

「……ヒマリさん」

 

「来ましたね、レナさん。時間厳守、素晴らしい姿勢です。全知たる私の補助観測員として、まずは及第点を差し上げましょう」

 

「ありがとうございます。それで、極めて重要な観測任務って何ですか?」

 

「説明しましょう」

 

 ヒマリさんは胸を張った。

 

 車椅子に座っているのに、なぜか妙に偉そうに見える。

 いや、実際偉そうなのだけれど、その偉そうさに嫌味がないのが少し不思議だった。

 

「本日の任務は、ミレニアム中央棟西側通路から資料棟二階閲覧スペースまでの移動経路における環境変化、段差、通行量、床材の摩擦係数、ならびに休憩地点の適性を調査することです」

 

「それ、普通に言うと散歩ですよね?」

 

「違います」

 

 即答だった。

 

「知的かつ計画的な外部環境観測です」

 

「散歩ですよね?」

 

「あなたは時々、全知の言葉をかなり乱暴に圧縮しますね」

 

「圧縮した結果、散歩になりました」

 

「では、散歩に偽装した観測任務ということで手を打ちましょう」

 

「だいぶ折れましたね」

 

 ヒマリさんはふふ、と笑った。

 

「柔軟性もまた知性の証明です」

 

「便利だなぁ、知性」

 

「もっと褒めていただいても構いませんよ」

 

「褒めたつもりはあんまりないです」

 

「では、今から褒めてください」

 

「要求がまっすぐすぎる」

 

 レナは小さく笑って、ヒマリさんの後ろに回った。

 

「押していいですか?」

 

「ええ。今日のあなたは補助観測員ですから」

 

「付き添いじゃなくて?」

 

「補助観測員です」

 

「はいはい、補助観測員」

 

「はいは一回で結構です」

 

「はーい」

 

「伸ばさない」

 

「細かい」

 

 車椅子のハンドルに手を添える。

 

 軽く押すと、思っていたより滑らかに進んだ。ヒマリさんの車椅子はよく整備されているらしく、軋む音もほとんどない。

 

 通路には午後の光が差していた。

 

 ミレニアムの校舎は、トリニティとは全然違う。白い石造りの荘厳さではなく、金属とガラスと直線の多い空間。遠くで端末の通知音がして、どこかの教室から電子音が漏れている。

 

 ヒマリさんは、その中を当然のように進んでいく。

 

「右です」

 

「右ですね」

 

「もう少し壁から離れてください。そちらは通行量が多いので」

 

「はい」

 

「速度はそのままで構いません。あなた、思ったより押し方が丁寧ですね」

 

「それ褒めてます?」

 

「ええ。褒めています。もっと喜んでもいいですよ」

 

「じゃあ、あとで喜びます」

 

「今喜んでください」

 

「注文多いなぁ……」

 

 ヒマリさんは振り返らないまま、少しだけ機嫌よさそうに声を弾ませた。

 

「私は病弱な美少女ですから、多少のわがままは許されます」

 

「自分で言うと強いですね」

 

「事実ですので」

 

「そこは否定しませんけど」

 

「否定しないのですね」

 

 ヒマリさんが少しだけ振り返った。

 

 白い髪が肩のあたりで揺れる。いつもの、自信満々で、少し芝居がかった表情。

 

 けれど、その目は少しだけ楽しそうだった。

 

「では、改めて言いましょう。私は超天才清楚系病弱美少女です」

 

「清楚系はちょっと審議入るかも」

 

「そこですか?」

 

「そこです」

 

「あなた、私への敬意が少々足りないのでは?」

 

「ありますよ、敬意。たぶん」

 

「たぶん?」

 

「ヒマリさん相手だと、敬意だけで話してると疲れるので」

 

 言ってから、少し失礼だったかなと思った。

 

 けれどヒマリさんは怒らなかった。

 

 むしろ、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「……なるほど」

 

「え、今の何か分析しました?」

 

「いいえ。ただ、なかなか面白い発言だと思っただけです」

 

「面白がられた」

 

「ええ。非常に」

 

 ヒマリさんは前を向き直った。

 

 レナは車椅子を押しながら、少しだけ首を傾げる。

 

 ヒマリさんは、変に気を遣われることに慣れているのかもしれない。

 天才として扱われることにも、病弱として扱われることにも。

 

 だからこそ、少し雑に返されると、逆に面白いのだろうか。

 

 いや、分からない。

 

 ヒマリさんは分からない。

 

 分からないのに、話していて退屈しない。

 

「次の角を左です」

 

「はい」

 

「その先に段差があります」

 

「段差?」

 

「ええ。私ほどの全知であれば、校内の段差位置も概ね把握しています」

 

「全知って段差にも対応してるんですね」

 

「当然です。全知ですから」

 

「でも、今からその段差を越えるために私を呼んだんですよね?」

 

「…………」

 

 少し沈黙があった。

 

 レナは思わず笑いそうになったけれど、なんとか堪えた。

 

「ヒマリさん?」

 

「全知にも、物理的制約というものは存在します」

 

「言い方で押し切ろうとしてる」

 

「物理法則は手強いのです」

 

「段差ですよね?」

 

「段差です」

 

 曲がり角を越えると、確かに小さな段差があった。

 

 大した高さではない。歩く人なら気にしない程度。けれど車椅子だと、少しだけ引っかかるかもしれない。

 

 レナは一度止まった。

 

「えっと、これ、そのまま押して大丈夫ですか?」

 

「角度を少しつけてください。勢いをつけすぎると優雅さを損ないます」

 

「優雅さも必要なんですか」

 

「必要です」

 

「安全より?」

 

「安全と優雅さは両立できます」

 

「エンジニア部のロマンと安全みたいなこと言い始めた」

 

「一緒にしないでください。私はもっと優雅です」

 

「そこなんだ」

 

 レナは少しだけ車椅子の向きを調整して、ゆっくり押した。

 

 前輪が段差に当たり、少しだけ止まる。力を入れようとした瞬間、ヒマリさんが指示を出した。

 

「もう少しだけ右です。そうです。そこで軽く」

 

「はい」

 

 ことん、と小さな音を立てて、前輪が段差を越える。

 

 後輪も続く。

 

「おお」

 

「見事です。補助観測員としての評価を上方修正しましょう」

 

「ありがとうございます。段差一個で評価上がるんですね」

 

「段差を侮ってはいけません。段差は移動する者にとって、しばしば世界の分断線となります」

 

「急に名言っぽくなった」

 

「実際、なかなか良い表現では?」

 

「ちょっと悔しいけど、良い表現だと思います」

 

「では記録しておきましょう」

 

「自分で?」

 

「当然です。全知の名言ですから」

 

 ヒマリさんが澄ました顔で言う。

 

 レナはまた笑いそうになった。

 

 この人は、本当にずっとこの調子なのだろうか。

 

 でも、こういう会話は嫌いではない。

 

 気を抜くと振り回されるけれど、振り回される方向が少し楽しい。

 ミカ先輩とは違う。

 ノアさんとも違う。

 ユウカさんとも違う。

 

 ヒマリさんの場合、会話そのものが小さなゲームみたいだった。

 

 言葉を出す。

 返される。

 少し捻られる。

 また返す。

 

 その繰り返しが、妙に心地いい。

 

「次は渡り廊下です」

 

「了解です」

 

「少し風が強いかもしれません」

 

「寒かったら言ってくださいね」

 

「私はか弱い美少女ですので、寒さには敏感です」

 

「じゃあ、先に言ってください」

 

「今のは、あなたが上着を差し出す流れでは?」

 

「え、そうだったんですか?」

 

「そうです。情緒を読み取ってください」

 

「難しいなぁ、全知の情緒」

 

「全知の情緒は高難度です」

 

「でしょうね」

 

 渡り廊下に出ると、確かに少し風があった。

 

 ヒマリさんの髪がふわりと揺れる。レナは歩く速度を少しだけ落とした。

 

「寒いですか?」

 

「多少は」

 

「じゃあ、少し急ぎます?」

 

「いいえ。この速度で構いません」

 

「そうですか?」

 

「ええ」

 

 ヒマリさんは外を見ていた。

 

 ミレニアムの校舎の向こうに、別棟の屋上やアンテナが見える。空は薄く晴れていて、光が硝子に反射していた。

 

 ヒマリさんはしばらく黙っていた。

 

 さっきまであれだけ喋っていたのに、急に静かになる。

 

 レナは、どう声をかけるか少し迷った。

 

 迷ってから、普通に聞いた。

 

「ヒマリさん、外出るの好きなんですか?」

 

「質問が素朴ですね」

 

「だめですか?」

 

「いいえ。むしろ、悪くありません」

 

 ヒマリさんは少しだけ顎に手を添えた。

 

「好きか嫌いかで言えば、嫌いではありません。ただ、私の場合、移動には計画と補助が必要です。つまり、思いつきでふらりと歩く、ということにはあまり向いていません」

 

「……そうなんですね」

 

「ええ。ですから、外に出る理由は必要です。観測、調査、検証、確認。理由があれば出られます」

 

 ヒマリさんの声はいつも通りだった。

 

 けれど、レナは少しだけ、その言い方が気になった。

 

 理由があれば出られる。

 

 それはつまり、理由がなければ出にくい、ということでもある。

 

「じゃあ今日は、観測任務でよかったですね」

 

 レナが言うと、ヒマリさんは小さく振り返った。

 

「散歩ではなく?」

 

「散歩に偽装した観測任務、でしたっけ」

 

「ええ。その通りです」

 

「じゃあ、それで」

 

 レナは車椅子を押し直した。

 

「でも、次は普通に散歩でもいいですよ」

 

 言ってから、少しだけ自分でも驚いた。

 

 さらっと出た。

 

 ヒマリさんも、すぐには返さなかった。

 

 渡り廊下の風が一度だけ強く吹く。

 

「……あなたは」

 

「はい」

 

「私を誘うのが、なかなか自然ですね」

 

「え、今の誘ったことになるんですか?」

 

「なります」

 

「じゃあ、誘いました」

 

「認めるのも早い」

 

「否定する理由ないので」

 

 ヒマリさんは黙った。

 

 レナは前を向いたまま、少しだけ手に力を入れる。

 

 変なことを言ったつもりはなかった。

 でも、ヒマリさんが黙ると、少しだけ気になる。

 

「……嫌でした?」

 

「いいえ」

 

 答えは早かった。

 

 ただ、声は少しだけ柔らかかった。

 

「嫌ではありません」

 

「なら、よかったです」

 

「ですが、普通の散歩となると、全知の私にふさわしい目的設定が必要になりますね」

 

「今もう普通じゃなくなりましたけど」

 

「たとえば、ミレニアム内における糖分摂取地点の調査など」

 

「カフェに行きたいんですね」

 

「あなたは本当に圧縮が早いですね」

 

「慣れてきました」

 

「それは困りました。私の神秘性が薄れてしまいます」

 

「ヒマリさん、自分でだいぶ喋るから神秘性は最初から薄めですよ」

 

「失礼な」

 

「でも、そっちの方が話しやすいです」

 

 ヒマリさんはまた少し黙った。

 

 今度の沈黙は短かった。

 

「……なるほど。あなたは私を、かなり気軽に扱いますね」

 

「嫌ですか?」

 

「いいえ」

 

 ヒマリさんは前を向く。

 

「むしろ、興味深いです」

 

「また観測対象になった」

 

「観測対象であり、補助観測員であり、時折かなり遠慮のない会話相手です」

 

「最後だけ雑じゃないですか?」

 

「重要な分類です」

 

 渡り廊下を抜けると、資料棟の入口が見えた。

 

 自動ドアの前で、ヒマリさんが少しだけ手を上げる。

 

「止まってください」

 

「はい」

 

「この自動ドア、開閉速度がやや遅いのです。タイミングを誤ると、非常に優雅ではない状態になります」

 

「挟まれかけたことあるんですか?」

 

「ありません」

 

「本当に?」

 

「……観測経験はあります」

 

「自分で?」

 

「詳細は伏せます」

 

「あるんだ」

 

 レナは笑いを堪えながら、自動ドアのセンサーが反応するのを待った。

 

 ドアが開く。

 

 ゆっくり。

 

 たしかに遅い。

 

「今です」

 

「はい」

 

 レナは車椅子を押した。

 

 しかし、ちょうど通り抜ける瞬間、ドアが一度だけ閉まりかけた。

 

「わっ」

 

「速度が遅いくせに諦めは早いですね、この扉」

 

「扉にまで文句言うんですか」

 

「全知の進路を妨げるものには、相応の評価を下します」

 

「自動ドアも大変だなぁ」

 

 なんとか抜ける。

 

 ヒマリさんは少しだけ咳払いした。

 

「今のは扉側の問題です」

 

「そうですね」

 

「あなた、笑っていませんか?」

 

「笑ってないです」

 

「声が笑っています」

 

「声は正直ですね」

 

「認めましたね」

 

 資料棟の中は、中央棟より静かだった。

 

 閲覧スペースには人が少なく、窓際の席に午後の光が落ちている。ヒマリさんが指定した席は、一番奥の静かな場所だった。

 

「ここです」

 

「到着ですね」

 

「ええ。観測任務、第一段階完了です」

 

「散歩、お疲れさまでした」

 

「観測任務です」

 

「はいはい」

 

「はいは一回」

 

「はい」

 

 レナは車椅子を窓際に止めた。

 

 ヒマリさんは満足そうに周囲を見渡す。静かな場所が好きなのだろうか。あるいは、人が少ない場所が落ち着くのかもしれない。

 

「レナさん」

 

「はい」

 

「飲み物を買ってきていただけますか?」

 

「急にお世話係になった」

 

「補助観測員には多様な業務が求められます」

 

「便利な役職ですね」

 

「私は紅茶で」

 

「砂糖は?」

 

「控えめに。私は清楚ですから」

 

「その理屈はちょっと分からないです」

 

「では、知的に控えめで」

 

「もっと分からなくなった」

 

 レナは近くの自販機で紅茶と、自分用の飲み物を買って戻った。

 

 ヒマリさんに紅茶を渡すと、ヒマリさんは一口飲んで、満足そうに目を細める。

 

「悪くありません」

 

「それ、褒めてます?」

 

「ええ。私は本当に駄目な時は、もっと詩的に批評します」

 

「詩的に駄目出しされるの嫌だなぁ」

 

「たとえば、知性のない水分、など」

 

「紅茶に言う言葉じゃない」

 

 レナは向かいの椅子に座った。

 

 しばらく、二人で窓の外を見る。

 

 さっきまであれだけ喋っていたのに、静かになっても気まずくはなかった。

 

 それが少し不思議だった。

 

「……ヒマリさん」

 

「なんでしょう」

 

「今日は、本当に観測任務だったんですか?」

 

 ヒマリさんは紅茶の缶を持ったまま、少しだけ黙った。

 

 それから、いつもの調子で微笑む。

 

「もちろんです。移動経路、段差、自動ドア、休憩地点、補助者の適性。いずれも有益な観測対象でした」

 

「じゃあ、私を呼んだのは?」

 

「補助者が必要でしたので」

 

「エイミさんじゃなくて?」

 

「エイミは別件です」

 

「本当に?」

 

「あなたは今日、ずいぶん確認しますね」

 

「ヒマリさんが回りくどいから」

 

 ヒマリさんは少しだけ目を伏せた。

 

 怒ったわけではなさそうだった。

 

「……あなたと話していると、少し予定外の方向へ進みます」

 

「それはすみません」

 

「謝るところではありません」

 

 ヒマリさんは紅茶を机に置いた。

 

「私にとって、予定外というのは基本的に処理すべきものです。原因を探り、分類し、再現性を確認し、必要であれば対策する。そういうものです」

 

「はい」

 

「ですが、あなたとの会話に関しては、予定外のままでも不快ではありません」

 

 レナは少しだけ瞬きをした。

 

 ヒマリさんは窓の外を見ている。

 

「……それ、褒めてます?」

 

「ええ。かなり」

 

「分かりにくい褒め方ですね」

 

「全知の言葉ですから」

 

「じゃあ頑張って受け取ります」

 

 レナがそう言うと、ヒマリさんは小さく笑った。

 

 その笑い方は、さっきまでの芝居がかったものより少しだけ静かだった。

 

「あなたは、私を特別扱いしすぎませんね」

 

「してますよ。ヒマリさん、普通にすごい人だと思ってますし」

 

「それは当然です」

 

「そこは当然なんだ」

 

「当然です」

 

 ヒマリさんは自信満々に頷いた。

 

 そして、少しだけ声を落とす。

 

「ですが、あなたは私を“すごい人”としてだけ扱わない。病弱な美少女としても、全知の超人としても、持ち上げすぎない。時々、かなり失礼なくらい普通に返してきます」

 

「失礼でした?」

 

「ええ」

 

「ごめんなさい」

 

「ですが」

 

 ヒマリさんがレナを見る。

 

「嫌いではありません」

 

 レナは少しだけ口を閉じた。

 

 ヒマリさんのそういう言い方は、少しだけ分かりづらい。

 

 でも、今のは分かった。

 

 たぶん、かなり素直な言葉だった。

 

「……じゃあ、これからも普通に返します」

 

「ええ。許可しましょう」

 

「許可制なんだ」

 

「全知ですので」

 

「はいはい」

 

「はいは一回です」

 

「はい」

 

 二人で少し笑った。

 

 その後、ヒマリさんは端末を取り出し、今日の観測記録をつけ始めた。段差の角度、自動ドアの反応速度、通路の混雑具合、レナの補助適性。

 

 最後の項目が見えて、レナは眉を寄せる。

 

「私の補助適性って何ですか」

 

「重要項目です」

 

「点数つけられてる?」

 

「つけています」

 

「見せてください」

 

「機密です」

 

「なんで」

 

「本人に見せると行動が変化しますから」

 

「じゃあ高かったら教えてください」

 

「高いです」

 

「教えるんだ」

 

 ヒマリさんは端末を閉じた。

 

「ええ。これは伝えても行動に悪影響はないと判断しました」

 

「じゃあ、ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 少しだけ、静かな時間が流れた。

 

 レナは飲み物を手に取りながら、ふと思う。

 

 ヒマリさんといると、会話が多い。

 

 面倒くさい言い回しも多いし、言葉の裏を読まされることも多い。でも、嫌ではない。むしろ、言葉を返すたびに、少しずつヒマリさんの輪郭が見えてくる気がする。

 

 全知。

 

 清楚系病弱美少女。

 

 特異現象捜査部。

 

 そういう名前の奥にいる、少し外へ出るのに理由が必要な人。

 

「ヒマリさん」

 

「はい」

 

「次、糖分摂取地点の調査でしたっけ」

 

「ええ。極めて重要な任務です」

 

「じゃあ、次はカフェですね」

 

 ヒマリさんは一瞬だけ目を丸くした。

 

 それから、ゆっくり微笑む。

 

「……あなたは本当に、話が早い」

 

「圧縮に慣れてきたので」

 

「良い傾向です」

 

「でも、段差の少ないルートでお願いします」

 

「もちろんです。全知ですから、最適な経路を算出しておきましょう」

 

「じゃあ私は、押し方をもう少し練習しておきます」

 

 ヒマリさんは少しだけ黙った。

 

「……練習するのですか?」

 

「次も押すなら、下手より上手い方がいいかなって」

 

「ふふ」

 

 ヒマリさんは紅茶の缶を持ち上げた。

 

「では、期待しておきます」

 

「はい」

 

「次回のあなたの補助観測員としての成長を、全知の私が直々に確認して差し上げます」

 

「普通にまた呼んでくれれば来ますよ」

 

 ヒマリさんは、今度こそ黙った。

 

 ほんの少しだけ。

 

 それから、目を細めて笑った。

 

「では、普通に呼びます」

 

「はい」

 

「……普通に、というのは、なかなか難しいですね」

 

「ヒマリさんなら、たぶんできますよ」

 

「全知ですから?」

 

「それもありますけど」

 

 レナは少し考えて、笑った。

 

「私、わりとヒマリさんと話すの好きなので」

 

 ヒマリさんは紅茶を飲もうとして、手を止めた。

 

 レナもそこで、自分の言葉に少しだけ気づいた。

 

 何か言い足すのも変で、視線を窓の外へ逃がす。

 

「……なるほど」

 

 ヒマリさんが小さく言った。

 

「これは、次回の観測任務を早急に計画する必要がありますね」

 

「そんなに?」

 

「ええ。極めて重要です」

 

 いつもの調子だった。

 

 けれど、その声は少しだけ嬉しそうだった。

 

 レナはそれを聞いて、何も言わずに飲み物を口に運んだ。

 

 窓の外では、午後の光が少しずつ傾いている。

 

 散歩に偽装した観測任務は、たぶん成功だった。

 

 少なくとも、次の約束が自然にできたくらいには。




今更ですけど、r18更新しました。頑張ったのでぜひ見てください!
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