戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
特異現象捜査部へ向かう途中、私は鞄の中の紙袋を一度だけ確認した。
焼き菓子。
紅茶に合いそうで、手で食べやすくて、端末の近くに置いても粉が散りにくそうで、甘すぎないもの。
店先で選んでいる時は、ただ「これならヒマリさんが食べやすそう」と思っただけだった。けれど、歩きながら改めて考えると、その「食べやすそう」の中に、ヒマリさんの部屋の暗さとか、机の上の紅茶とか、車椅子の膝に置かれた端末とか、少し芝居がかった笑い方とか、そういうものがいくつも混ざっている気がした。
私は足を止めないまま、紙袋の持ち手を指で押さえた。
ただのお菓子だ。
ただのお菓子なのに、少しだけ緊張する。
扉の前に着くと、中から低い端末音が聞こえた。警報でも、爆発音でも、雷ちゃんの駆動音でもない。静かで、均一で、何かがずっと働いている音。
「失礼します」
扉を開けると、部屋の中は少し暖かかった。
いつもの薄暗い照明。壁際の機材。整っているのに、どこか生活感の少ない部屋。中央の机には、すでに紅茶が二人分置かれている。さらに、その横には空のお皿が一枚。
ヒマリさんは車椅子に座り、いつものように優雅な顔でこちらを見た。
「来ましたね、レナさん。入室時刻、持ち物、歩幅、表情、いずれも観測価値があります。とくに本日は、あなたが右手に持つ紙袋に極めて高い注目が集まっています」
「注目してるの、ほぼヒマリさんだけですよね」
「全知の注目は重みが違います」
「その言い方だと、紙袋が責任感じそうです」
「では、紙袋の名誉のためにも中身を確認しましょう」
ヒマリさんはそう言って、机の空皿を指先で示した。
最初から置いてあった皿。
やっぱり待っていたのだ。
そう思ったけれど、言うとまた「待っていたのではなく準備です」と返ってきそうだったので、私は紙袋を机の上に置くことにした。
壁際では、エイミさんが空調のリモコンを持っていた。
いつも通り淡々としているけれど、少しだけ暑そうに見える。
「こんにちは、エイミさん」
「こんにちは、レナ。ヒマリ、朝から室温を上げてた」
「エイミ」
ヒマリさんがすぐに反応した。
「それは来客への配慮です。病弱な美少女たる私の部屋において、寒さ対策は常に優先事項ですが、本日はレナさんが長く滞在しても不快にならないよう、温度を調整しただけです」
「私は暑い」
「あなたは常に暑がりすぎるのです」
「ヒマリは常に寒がりすぎる。今日は紅茶も二つ。皿もある。レナが来る前から、部屋がレナ用になってた」
エイミさんは淡々と言った。
からかう調子ではない。ただ、見たまま、感じたままを言っている。
だから余計に、ヒマリさんが小さく咳払いする。
「エイミ。事実を並べればよいというものではありません」
「並べた方が分かりやすい」
「分かりやすさと優雅さは時に対立します」
「今日は分かりやすい方がいいと思う。レナ、お菓子持ってきたから」
「エイミ」
「ヒマリ、楽しみにしてた」
ヒマリさんが黙った。
私は紙袋を持ったまま、少しだけ笑ってしまった。
「……じゃあ、楽しみにしてもらえてたなら、よかったです」
「レナさん。今の発言は、少々こちらの逃げ道を塞ぐ形になっていますね」
「私のせいですか?」
「いいえ。主にエイミのせいです」
「ヒマリ、私は暑いから早く食べたい」
「暑さと糖分摂取の因果関係が毎回不明瞭です」
「でも食べたい」
「……分かりました。では、全知たる私が選定内容を確認しましょう」
私は紙袋を開けて、焼き菓子の箱を取り出した。
薄く焼かれたバター菓子。小さく、崩れにくく、紅茶に合いそうなもの。
ヒマリさんは箱を受け取ると、すぐには食べなかった。
包装を眺め、形を見て、香りを確かめる。端末の解析結果を見る時と同じくらい真剣な顔だった。
「なるほど。甘さは控えめ、香りは軽い。手指に油分が残りにくい個包装で、端末作業の合間にも扱いやすい。砕けにくい形状で、かつ紅茶との相性を損なわない。保存性も悪くありません」
「お菓子ひとつでそこまで見ます?」
「当然です。これは、あなたが私のために選んだものですから」
その言い方が、少しだけ静かだった。
私は返事の代わりに、エイミさんにも一つ渡す。
「エイミさんもどうぞ」
「ありがとう。ヒマリ、私の分もある」
「見れば分かります」
「レナは私も考えてくれた」
「エイミ。その言い方だと、私が独占しようとしていたように聞こえます」
「違うの?」
「違います」
エイミさんは包装を開けながら、少しだけ首を傾げた。
「ヒマリ、紙袋が来た時、先に皿を近づけた」
「合理的な配置です」
「私の方には近づけなかった」
「……エイミ」
「でも、今もらったから大丈夫」
エイミさんは一口食べて、少しだけ目を伏せた。
「おいしい」
短いけれど、ちゃんと感想だった。
ヒマリさんはまだ食べていなかった。手元の焼き菓子を見ている。
「ヒマリさん?」
「……レナさん」
「はい」
「あなたは、これを選ぶ時、どの程度私を思い出しましたか?」
質問がまっすぐで、少し返事に迷った。
ヒマリさんは冗談の顔をしていない。端末も見ていない。ただ、焼き菓子を手に、私の答えを待っている。
「どの程度って言われると、難しいですけど……紅茶に合いそうとか、手で食べやすそうとか、ヒマリさんならこういうの好きかなとか、それくらいです」
「それくらい」
「はい。深い分析とかじゃないです。ただ、ヒマリさんが食べるところを少し想像して、これならいいかなって」
ヒマリさんの指が止まった。
ほんの少しだけ、包装の端に力が入る。
エイミさんがそれを見て、静かに言った。
「ヒマリ、割れる」
「……分かっています」
ヒマリさんはゆっくり焼き菓子を皿に置いた。
割れてはいなかった。
けれど、ヒマリさんの表情は少し変わっていた。
「それは、困りますね」
「困るんですか?」
「ええ。非常に」
ヒマリさんは目を伏せる。
「合理的な選択理由なら、私は容易に分類できます。味、保存性、紅茶との相性、摂取効率。そういった項目で整理し、あなたの判断基準を推測できます。しかし、“私が好きそうだから”という理由は、解析するほどに私情が混ざる」
私情。
ヒマリさんがその言葉を使うと、不思議な響きになる。
いつものような仰々しい言い方ではない。すごく静かで、少しだけ慎重な声だった。
「あなたが店先で私を思い出した。私がこれを食べるところを想像した。私がどう感じるかを、あなたの時間の中に置いた。……それは、観測対象として扱うには、少々私に都合がよすぎます」
私はすぐには返せなかった。
空調の音が少しだけ聞こえる。
エイミさんがリモコンを見た。
「ヒマリ、室温下げていい?」
「今ですか?」
「暑い。あと、ヒマリも体温が上がってる」
「エイミ」
「紅茶が冷める前に下げた方がいい」
「室温と紅茶を同時に扱わないでください」
「でも、どっちも温度」
ヒマリさんは一度だけ目を閉じた。
「……一度だけ下げて構いません」
「分かった」
エイミさんが空調を操作する。
少しだけ風が変わった。
甘くなりすぎた空気が、ほんの少し現実に戻る。エイミさんはたぶん、本当に暑かっただけだ。でも、その体感の正直さが、今は少しありがたかった。
ヒマリさんは焼き菓子を手に取り、一口食べた。
ゆっくり噛んで、紅茶を飲む。
「……おいしいです」
短かった。
でも、ちゃんと聞こえた。
私は思わず顔を上げる。
「今、普通に言いましたね」
「あなたが、その方が嬉しいと言う前に言っておくべきだと判断しました」
「先回りされた」
「全知ですので」
「でも、ありがとうございます」
「いいえ。こちらこそ」
ヒマリさんは皿の上の焼き菓子を見た。
「あなたが私のために選んだものは、私にとって非常に価値があります」
また、まっすぐだった。
私は少しだけ言葉を探す。
けれど、その前に、部屋の端末が短く鳴った。
音は小さかった。
でも、ヒマリさんの表情が一瞬で変わった。
柔らかかった目元が、すっと静かになる。車椅子の上で姿勢を直し、端末を引き寄せる動きに迷いがなかった。
「エイミ」
「確認する」
エイミさんもすぐに機材へ向かった。
さっきまでお菓子を食べていた空気が、一秒で切り替わる。
私は椅子に座ったまま、何が起きたのか分からなかった。
「何かありました?」
「ミレニアム校内の一部通信ログにループが発生しています。通常の遅延ではありません。意図的な反復か、異常な反射が起きていますね」
ヒマリさんの声が速い。
さっきまでの、私に分かるように言葉を選んでいた話し方ではない。説明というより、思考がそのまま音になっているみたいだった。
「エイミ、東棟三階から中央演算室へ流れる経路を遮断。遮断ではなく迂回で構いません。完全停止させると発生源が潜ります」
「分かった。遮断しない。迂回」
「ログの時刻差は二・七秒。繰り返し幅は固定ではなく、三回目以降に揺らぎがある。模倣ではありませんね。自己増殖でもない。誰かが作ったものというより、既存システムの反応を踏み台にした誤作動に近い」
ヒマリさんの指が端末の上を滑る。
速い。
目で追えない。
「レナさん、あなたの端末に通知が来ていませんか」
「え、私の?」
「確認を」
「はい」
慌てて端末を見る。
通知が一件。
差出人不明。
『存在しない部屋番号:E-404へ移動してください』
背筋が少し冷えた。
「……来てます。存在しない部屋番号、E-404って」
「開かないでください」
「はい」
「エイミ、E棟の欠番リストを確認。E-404は構造上存在しないはずです。該当番号へ誘導される生徒が他にいるかも見てください」
「今のところレナだけ」
「では誘導先は場所ではなく対象。レナさんに通知を送ったのではなく、レナさんの端末を出口に選んだ可能性があります」
何を言っているのか、半分も分からない。
ただ、私ではどうにもできないことだけは分かった。
通知の画面が、やけに白く見える。
ヒマリさんは一度だけ私を見た。
その目が、さっきとはまったく違う。
でも、怖いわけではなかった。
「レナさん、そのまま端末を机に置いてください。触れず、閉じず、電源も切らないで」
「分かりました」
「怖がる必要はありません。これはあなたを害するものではなく、あなたを経由点にしようとしているだけです」
「それ、安心していいのか少し迷います」
「迷う必要はありません。私がいます」
短い言葉だった。
私は端末を机に置いた。
ヒマリさんはすでに別の画面を開いている。
「三十二秒後に再送が来ます。エイミ、空調制御系のログを一時保存。室温変更をトリガーにして、部屋内端末の応答順を見ます」
「室温?」
「ええ。先ほどあなたが室温を下げたことで、この部屋の環境ログが更新されました。異常通信がそれを拾っているなら、発生源は校内設備系にも触れている」
「分かった。下げる」
「下げすぎないように」
「ヒマリが寒くなるから?」
「レナさんが寒くなります」
こんな時にまで、と思った。
けれどヒマリさんは本気だった。
エイミさんが空調を一段下げる。
ヒマリさんの端末に、文字列が流れた。
「捕捉しました」
声が、少しだけ低くなる。
「E-404は部屋ではなくエラー番号。誘導文に見せかけたログ折り返しです。発生源は東棟ではなく、この通知を受け取った端末群の同期機構。レナさんの端末が選ばれた理由は、直近で複数部署のネットワークに接続した履歴。ゲーム開発部、エンジニア部、セミナー、特異現象捜査部。なるほど、経路としては魅力的ですね」
「魅力的とか言わないでください……」
「安心してください。もう終わります」
ヒマリさんは、ひとつキーを押した。
画面の流れが止まった。
私の端末から通知が消える。
部屋の駆動音だけが残った。
「終わった……んですか?」
「ええ。誘導文を逆に利用し、発生源へ空の応答を返しました。相手が存在しない部屋番号を提示したので、こちらも存在しない経路を返しただけです。数秒後には自己矛盾で沈黙します」
数秒。
本当に数秒だった。
エイミさんが端末を見て言う。
「沈黙した」
「よろしい」
ヒマリさんは端末を閉じた。
さっきまでの緊張が、嘘みたいに消える。
私は机の上の端末を見て、それからヒマリさんを見た。
「……すごい」
それしか出なかった。
ヒマリさんはいつものように微笑もうとして、少しだけ目を細める。
「全知ですから」
その言葉は、いつも聞いていたはずだった。
でも、今だけ重さが違った。
ヒマリさんは本当に、見えているものが違う。
私が通知一つで固まっている間に、ヒマリさんは異常の経路を見て、原因を読んで、エイミさんに指示を出して、解決まで持っていった。
あまりに速くて、説明を聞いている余裕もなかった。
そこで、やっと気づいた。
ヒマリさんは、いつも私に合わせてくれていた。
段差を名言にしてくれた時も、封筒の暗号を分かりやすくしてくれた時も、お菓子をゆっくり分析してくれた時も。
ヒマリさんの頭は、たぶんずっと先まで行ける。
それなのに、私が言葉を返せる場所まで、歩幅を落としてくれていた。
車椅子を押していたのは私だったはずなのに。
会話の速度を押してくれていたのは、ヒマリさんの方だった。
「……ヒマリさん」
「はい」
「今まで、私に合わせて話してくれてたんですね」
ヒマリさんは、すぐには答えなかった。
エイミさんが空調を元の温度へ戻す。
部屋の空気が少しだけ暖かくなる。
「あなたと話したかったので」
ヒマリさんは静かに言った。
「私が本来の速度で話し続ければ、あなたはおそらく理解しようとしてくれるでしょう。ですが、それは会話ではなく、あなたが私を追いかける時間になります。私はそれを望みません」
私は何も言えなかった。
「あなたには、私の隣にいてほしい。私の言葉に置いていかれるのではなく、私の言葉へ返してほしい。時に圧縮し、時に失礼なくらい普通に返し、時に私の予測を乱してほしい」
ヒマリさんは机の上の焼き菓子を見る。
「あなたが私のために選んだお菓子も、あなたが店先で私を思い出す時間も、ここへ来るまでに少し迷うことも。私は、それを欲しいと思っています」
欲しい。
ヒマリさんがそう言った。
観測したいではなく。
検証したいではなく。
欲しい、と。
私は指先を軽く握った。
「……困ります」
やっと出た声は、小さかった。
ヒマリさんは私を見る。
「困りますか」
「はい。そんなふうに言われたら、次にお菓子を選ぶ時、絶対ヒマリさんのこと考えます」
「それが目的です」
「言い切るんですね」
「ええ」
ヒマリさんは微笑んだ。
優雅で、静かで、逃げ道を作っているようで、作っていない笑みだった。
「レナさん。私は、あなたの中に私のための時間が欲しいのです。長くなくても構いません。店先で迷う数分でも、紅茶を見て思い出す一瞬でも、帰り道に次は何がいいかと考えるだけでもいい」
ヒマリさんの声は穏やかだった。
「あなたが私を思い出して何かを選ぶ。その事実が、私はとても欲しい」
部屋が静かだった。
エイミさんも、何も言わなかった。
私はすぐには返せなかった。
紅茶の香りが少しだけ残っている。机の上には、欠けていない焼き菓子が一つ。空調は少し暖かい。私の端末は、もう何も通知していない。
さっきまでどうにもできなかったことを、ヒマリさんは一瞬で片づけた。
その人が今、私の返事を待っている。
速さを落として。
私が追いつける場所で。
「……次も、選んできます」
私は言った。
「ちゃんとヒマリさんのこと考えて、選んできます。だから、食べる前に全部分析しないで、まず一口食べてください」
ヒマリさんは少しだけ目を丸くした。
それから、ふふ、と笑う。
「条件付きですか」
「はい。選ぶ側からの条件です」
「よろしい。では、私からも条件を」
「まだあるんですか」
「ええ。あなたは、選んだ理由を一つだけ教えてください。長くなくて構いません。“好きそうだったから”でも、“紅茶に合いそうだったから”でも、“見た瞬間に思い出したから”でも」
ヒマリさんは少しだけ声を落とす。
「私は、それを聞きたい」
私は頷いた。
「分かりました」
ヒマリさんは満足そうに目を伏せた。
その時、エイミさんが机の上の焼き菓子を見て言った。
「最後の一つ、誰が食べる?」
空気が、少しだけ戻った。
私は思わず笑いそうになる。
ヒマリさんは小さく息を吐いた。
「エイミ。今その議題を出しますか」
「湿気る前に決めた方がいい」
「現実的ですね」
「ヒマリが半分。レナが半分」
「私もですか?」
「レナが選んだ。最後も食べた方がいい」
エイミさんはそう言って、焼き菓子を綺麗に半分に割った。
片方をヒマリさんへ。
片方を私へ。
ヒマリさんは、それを受け取って少しだけ笑った。
「では、共同観測ということで」
「お茶会じゃないんですか?」
「……仮称としては、それでも構いません」
「まだ仮なんですね」
「正式名称は検討中です」
私は半分の焼き菓子を食べた。
さっきより少しだけ甘く感じた。
◇
帰る頃には、紙袋は空になっていた。
ヒマリさんは異常通信のログを保存し、エイミさんは空調を少し下げた。ヒマリさんは寒そうにしたけれど、エイミさんが「レナが帰るから戻していい?」と聞くと、少し考えてから頷いた。
扉の前で、私は鞄を肩にかけ直す。
「じゃあ、そろそろ戻ります」
「ええ。今日は有意義でした」
「事件まで起きましたけど」
「些細な異常です」
「私には全然些細じゃなかったです」
「だから、私がいます」
ヒマリさんは当然のように言った。
私は少しだけ黙って、それから頷く。
「……はい。助かりました」
「どういたしまして」
ヒマリさんは柔らかく微笑む。
「次は、普通に呼びます」
「本当ですか?」
「努力します」
「そこは言い切らないんですね」
「一枚だけ封筒を用意する可能性があります」
「一枚ならいいです」
「許可を得ました」
「今のは許可なんですね」
「ええ。重要な許可です」
いつもの調子だった。
けれど、さっきまでとは少し違う。
私はもう、ヒマリさんがどれだけ速く考えられるのかを少しだけ知っている。そのうえで、今このゆっくりした会話をしてくれているのだと分かっている。
そう思うと、同じ言葉が少し違って聞こえた。
「レナさん」
「はい」
「次に何かを選ぶ時、私を思い出してください」
「はい」
「そして、来てください」
短かった。
でも、十分だった。
「来ます」
私は答えた。
ヒマリさんは満足そうに目を細める。
エイミさんが横から言う。
「私の分も」
「持ってきます」
「ありがとう。室温は下げすぎないようにする」
「お願いします」
「ヒマリが上げすぎたら止める」
「エイミ。私はそこまで極端ではありません」
「今日は上げすぎてた」
「来客への配慮です」
「次はお菓子への配慮もいる」
「お菓子は寒暖差に弱いものもありますからね」
「じゃあ、部屋の温度はレナとお菓子とヒマリで決める」
「私の部室の主導権がどんどん分散していきますね」
ヒマリさんはそう言ったけれど、嫌そうではなかった。
私は笑って、一礼する。
「また来ますね、ヒマリさん。エイミさん」
「ええ。待っています」
「待ってる」
扉を閉める直前、ヒマリさんの声が聞こえた。
「エイミ」
「なに」
「次の紅茶を選びます」
「レナ用?」
「……ええ」
「分かった。お菓子に合う温度も考える」
「お願いします」
扉が閉まる。
私は廊下で少しだけ立ち止まった。
鞄の中には、空になった紙袋。
次は何を選ぼうか。
そう考えた瞬間、もうヒマリさんの顔が浮かんでいた。