戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
C&Cの訓練場は、思っていたより静かだった。
もっと騒がしい場所を想像していた。銃声が絶えず響いていて、誰かが走っていて、メイド服の人たちが信じられない速度で敵役を倒しているような場所。いや、それはそれで間違ってはいないのかもしれないけれど、少なくとも私が案内された時、訓練場の空気は落ち着いていた。
広い空間。
床に引かれた白線。
遮蔽物として置かれたパネル。
遠くに並んだ標的。
天井近くには、小型の訓練用ドローンがいくつか待機している。
そして、その中央にカリンさんが立っていた。
背筋がまっすぐで、視線が静かで、手にした銃の存在感だけが妙に鋭い。メイド服姿なのに、少しもふわふわしていない。綺麗に整っているのに、柔らかさより先に、射線という言葉が似合う人だった。
「お待ちしておりました、レナさん」
「すみません、遅くなりましたか?」
「いいえ。予定時刻の三分前です。むしろ理想的です」
「三分前まで見られてるんですね……」
「護衛対象の移動時刻は、確認しておくべき情報ですので」
カリンさんは淡々と言った。
私は少しだけ肩に力が入る。
護衛対象。
そう言われると、自分が急に任務の中心に置かれたような気がして、落ち着かない。
「今日は、その……何をするんですか?」
「簡単な立ち位置の確認です。レナさんがミレニアム内で移動する際、危険な位置に立たないよう、いくつか基本的な動きを覚えていただきます」
「危険な位置」
「はい。銃撃、飛来物、ドローン、遮蔽物、退避経路。すべてを把握する必要はありません。ですが、最低限、こちらの指示に従って移動できるようになれば、こちらも守りやすくなります」
「……守りやすくなる」
言葉が、思ったより具体的だった。
守る、ではなく、守りやすくなる。
優しい言い方なのに、そこには任務の現実がある。守られる側が何も知らなくても守れる、なんて簡単な話ではないのだろう。
カリンさんは床の白線を指した。
「まず、こちらへ」
「はい」
言われた位置に立つ。
「半歩、右へ」
「はい」
「もう少しです。……そこで止まってください」
「ここですか?」
「はい。その位置なら、正面からの射線は遮蔽物で切れます。背後は私が取れます。左側は開いていますが、退避経路として使えます」
私は自分の周囲を見た。
正直、言われても全部は分からない。
床とパネルと標的。そこに立っているだけの私。
でも、カリンさんには違う景色が見えているのだと思った。どこから何が来て、どこへ逃げられて、どの角度なら守れるのか。私がただの白線だと思っていたものが、カリンさんには生きた線に見えている。
「次に、こちらへ移動します」
「はい」
「走らなくて構いません。急ぎすぎると、かえって動線が読みにくくなります。私の声を聞いてから、一呼吸置いて動いてください」
「一呼吸置いたら遅れませんか?」
「レナさんが焦って違う方向へ動く方が危険です」
「……なるほど」
たしかに、私は焦ると変な動きをする自信がある。
変な自信だけれど。
カリンさんは私の少し後ろに立つ。
近い。
でも、近さの種類が違う。ノアさんやヒマリさんのように言葉で逃げ道を狭める近さではなく、どこかから何かが来た時に、すぐ動ける距離。
「では、合図を出します。左へ」
「はい」
私は一呼吸置いて、左へ動く。
「止まってください」
止まる。
「少し前に出すぎです。今の位置だと、右斜め前からの射線に入ります」
「右斜め前……?」
私はそちらを見る。
何もない。
けれどカリンさんは静かに首を振る。
「見えてから避けるのでは遅い場合があります。危険は、見える前に線として考えてください」
「線として……」
「難しければ、今は私の声だけで構いません」
カリンさんは責めない。
でも、甘くもしない。
できないことをできると言わない。分からないなら、分かる範囲まで落としてくれる。そういう丁寧さがあった。
何度か移動を繰り返すうちに、少しだけ分かってきた。
どこに立つとカリンさんが見やすいのか。
どこに行くと遮蔽物が邪魔になるのか。
どう動くと、私の背中が開いてしまうのか。
それでも、私はまだ遅い。
カリンさんが「止まってください」と言う時には、もう危険な位置に入っている。
「すみません、なかなか……」
「謝る必要はありません。初回で完璧に動ける方が不自然です」
「カリンさんは最初からできそうです」
「私も訓練しました」
「そうなんですか?」
「当然です。任務で必要な技術は、身につけなければ使えません」
カリンさんは、当たり前のように言った。
その当たり前が、少し格好よかった。
「では、最後にドローンを使います」
「ドローン」
「訓練用です。危険はありません」
「その言い方、ミレニアムで何回か聞いて、毎回少し危険だったんですけど」
「C&Cの管理下です」
「あ、少し安心しました」
カリンさんはほんの少しだけ目を細めた。
「信頼していただけるのは光栄です」
「いえ、だってカリンさん、危ないって言う時はちゃんと危ないって言ってくれそうなので」
「それは言います」
「ですよね」
天井近くのドローンが動き出した。
低い駆動音。
訓練用の光弾が標的へ向けて発射される。速度はそこまで速くない。少なくとも、見えないほどではない。
私はカリンさんの合図に従って動く。
「右へ」
「はい」
「止まって」
「はい」
「そのまま、少し屈んでください」
「はい」
最初はうまくいった。
けれど、三機目のドローンが動いた瞬間、音が少し変わった。
ぎ、と軌道が揺れる。
カリンさんの目が鋭くなる。
「レナさん、動かないで」
「え?」
その声に従った。
次の瞬間、肩を押さえられる。
強くではない。けれど、逆らう余地がないくらい正確に。
カリンさんの手が私の肩を引き、身体の向きを半歩ずらす。私の目の前を、光弾が斜めに通った。
遅れて、標的ではないパネルに当たる。
軽い音。
でも、その音が妙に大きく聞こえた。
「……っ」
息が遅れて出た。
今のは、当たる距離だった。
訓練用だから怪我はしないのかもしれない。けれど、当たっていたかもしれない。
そう思った瞬間、膝に少し力が入りにくくなる。
「失礼しました」
カリンさんの声は落ち着いていた。
「ドローンの軌道制御に乱れが出ました。すぐに停止させます」
彼女は片手で私の肩を支えたまま、もう片方の手で通信を入れる。短く、必要なことだけを伝える声。
ドローンが停止する。
訓練場が静かになった。
「レナさん、怪我はありませんか」
「はい。大丈夫です」
「痛むところは」
「ないです。……少し、びっくりしただけで」
「無理に平気な顔をする必要はありません」
その言葉に、私は少しだけ黙った。
カリンさんの手はまだ肩にある。
支えるための手。
でも、私が立てると分かると、すぐに離れた。
「すみません。触れていました」
「いえ、助かりました。たぶん、私だけだったら動いてました」
「動かない方が安全でしたので」
「……カリンさんには、あれが見えてたんですか?」
「はい」
カリンさんは停止したドローンを見る。
「光弾の軌道が標的から外れた時点で、レナさんが下がると逆に射線へ入ると判断しました。前へ出ても遮蔽物がありません。横へずらすのが最短でした」
説明は淡々としている。
でも、その中に迷いはなかった。
あの一瞬で、そこまで見ていた。
私は、私のすぐ横を通った光弾を思い出す。
怖かった。
でも、カリンさんの手が肩に来た瞬間、身体は止まった。声に従うより早く、カリンさんの判断に預けていた。
「……カリンさんって、本当に全部見てるんですね」
「全部ではありません」
「でも、私には全然見えませんでした」
「レナさんが見る必要はありません。必要な時に、こちらが伝えます」
「それって、すごく大変じゃないですか」
「護衛とはそういうものです」
カリンさんはそう言って、こちらへ向き直った。
「ただ、今日の訓練で分かったこともあります。レナさんは、声に反応してから動くまでが早すぎる時があります。救護の場では良い判断になることもあるでしょうが、護衛下では、待つことも必要です」
「待つこと」
「はい。こちらが射線を見ている時は、動かないことが最善になる場合があります」
それは、少し難しかった。
ミネさんからは、自分も救護対象に含めろと教わった。必要なら止めろ、動け、救えと。
でもC&Cのやり方は少し違う。
守られる時には、動かないことも必要になる。
誰かの判断を信じて、身体を止めること。
「……覚えます」
私が言うと、カリンさんは静かに頷いた。
「お願いします。レナさんがこちらの指示を信じてくだされば、守れる範囲が広がります」
「はい」
「それと」
カリンさんが少しだけ近づく。
「襟元が乱れています。先ほど引いた時に」
「え」
自分の制服を見る。
たしかに少しだけ襟がずれていた。
「失礼しても?」
「あ、はい」
カリンさんの指が襟元に触れる。
手つきは丁寧だった。
先ほど肩を引いた時とは違う。力はなく、必要なところだけを整える。あまりにも迷いがなくて、逆に私の方が少し動けなくなる。
「……カリンさん、手つきが丁寧すぎて、逆に緊張します」
「申し訳ありません」
「謝るところではないです。ただ、C&Cの人って、距離の詰め方が急に正確ですね」
「距離は重要ですから」
「そういう意味だけじゃないんですけど……」
小さく言うと、カリンさんは少しだけ目を伏せた。
「護衛対象を不安にさせないことも、任務の一部です」
「はい」
「ですが」
襟を整え終えて、カリンさんは手を離した。
「レナさんが怪我をしなかったことには、任務以上に安堵しています」
言葉が静かだった。
私はすぐに返せなかった。
カリンさんはいつもの落ち着いた顔をしている。けれど、今の言葉だけは、任務報告ではなかった。
「……ありがとうございます」
私は少しだけ頭を下げた。
「カリンさんが見ててくれて、助かりました」
「それが私の役目です」
「はい。でも、役目だけじゃなくて」
言いかけて、少し迷う。
カリンさんは待ってくれた。
「……安心しました」
それだけ言うと、カリンさんはほんの少しだけ表情を和らげた。
「そう言っていただけるなら、訓練の意味がありました」
停止したドローンの向こうで、訓練場の照明が静かに光っている。
私は改めて、床の白線を見た。
さっきまでただの線だったもの。
今は少しだけ、違って見える。
誰かが見ている線。
誰かが守るために覚えている線。
その先に立たせないための、見えない境界。
カリンさんはその境界の少し前に立っていた。