戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
任務後の待機室、と聞いて、私はもっと殺風景な場所を想像していた。
予備の椅子が置いてあって、机があって、最低限の照明があるだけの部屋。C&Cの任務中に一時的に使う場所なら、それくらいで十分なのだろうと思っていた。
けれど、アカネさんに案内された部屋は違った。
小さな部屋だった。
でも、狭くは感じない。
窓には薄いカーテンが引かれていて、外から中は見えにくい。椅子は出入口と窓の両方が見える位置に置かれている。机の上には温かい飲み物と、甘すぎなさそうな軽食。隅にはタオルと上着、簡易救急箱。壁際には通信端末が一つ。
整いすぎている。
でも、冷たくはない。
「こちらで少しお休みください」
アカネさんは穏やかに言った。
「外の確認が終わるまで、少し時間がありますので」
「ありがとうございます。……すごく、準備されてますね」
「任務後に必要になるものは、だいたい決まっていますから」
「だいたい、でここまで用意できるんですか?」
「慣れです」
アカネさんは微笑んだ。
その笑顔は柔らかい。けれど、柔らかいだけではない。部屋全体がこの人の手で整えられているのだと思うと、笑顔まで含めて配置されているような気がした。
隙がない。
「まずは座ってください。話すのは、それからで大丈夫です」
「はい」
私は椅子に座った。
座ってすぐ、背中の力が少し抜けた。
椅子の位置が良いのだと気づく。出入口が見える。窓も見える。背後に余計な空間がない。さっきまで廊下で感じていた落ち着かなさが、少し薄くなる。
アカネさんは机の上のカップを私の方へ寄せた。
「温かいものを用意しました。甘すぎるものより、今はこの方が落ち着くと思いまして」
「私、そんなに疲れて見えましたか?」
「少しだけ」
アカネさんは、嘘をつかなかった。
「ですが、少しの疲れを放っておくと、あとで大きくなります。今のうちに休んでおいた方がいいでしょう」
私はカップを両手で持った。
温かい。
指先が少しだけ冷えていたことに、その時気づいた。
「アカネさんって、怒らないんですね」
ふと、そんなことを言ってしまった。
アカネさんは少しだけ首を傾げる。
「怒った方がよかったですか?」
「いえ、そういうわけじゃなくて。C&Cの任務に巻き込まれて、私もちょっと変な動きしたかもしれないし、もっと注意されるかなって思ってました」
「必要なら叱ります」
アカネさんは静かに言った。
「ですが、今は叱る場面ではありません。まず休ませる場面です」
その言い方が、やけに自然だった。
私はカップの中を見た。
湯気が小さく揺れている。
「……保健室みたいですね」
「救護騎士団の方にそう言われると、少し恐縮しますね」
「そういう意味じゃなくて。なんというか、座っていいんだって分かる部屋です」
アカネさんは少しだけ目を細めた。
「それなら、準備した甲斐がありました」
準備した甲斐。
やっぱり、私のために整えられた部屋なのだ。
そう思うと、少しだけ胸の奥が温かくなる。
「出口はあちらです」
アカネさんが扉の方を示した。
「少し一人になりたければ、廊下へ出ても大丈夫です。通信端末はそこにあります。外のC&Cにすぐ繋がります」
「あ、はい」
「閉じ込めるつもりはありません。休める場所にしたかっただけですので」
私は少しだけ驚いて、アカネさんを見た。
言われる前に、気づかれていたのかもしれない。
あまりにも整っている部屋は、安心できるけれど、同時に逃げ場がないようにも見える。その小さな引っかかりを、アカネさんは先にほどいてくれた。
「……ありがとうございます」
「いいえ」
アカネさんは自然に、机の端に置かれた布を手に取った。
その動きがあまりにも自然だったので、私は最初、それが何か分からなかった。
次の瞬間、アカネさんの視線が扉の下へ落ちる。
私は遅れてそちらを見た。
扉の隙間の近く。
小さな黒い点があった。
埃かと思った。
けれど、アカネさんはその布を使って、黒い点をそっと包むように取った。指先の動きは静かで、紅茶を置くのとほとんど同じくらい穏やかだった。
「……今、何かありました?」
「少し、片づけものを」
「片づけものって、今の機械ですよね?」
「小型の監視端末ですね。作動前でしたので問題ありません」
「問題、ありますよね?」
「作動前でしたから」
「そういうことじゃなくて……」
アカネさんは小さなケースを取り出し、黒い点を中に入れた。
音もなく蓋を閉じる。
「任務後は、こういうものが紛れていることがあります。珍しいことではありません」
「珍しくないんですか」
「はい。ですが、レナさんが気にする必要はありません。不要なものは、早めに片づけた方が落ち着きますから」
その言い方は、本当に掃除の話みたいだった。
でも、今のは明らかに危険物だった。
アカネさんは、私が気づく前に見つけた。騒がず、怖がらせず、ただ片づけた。
部屋が整っている理由が、少し分かった。
この人は、危険が目に入る前に取り除く人なのだ。
見せない優しさ。
それも、C&Cの守り方なのかもしれない。
「アカネさん」
「はい」
「もしかしてこの部屋、最初から全部見えるように配置してありますか?」
「全部、ではありません」
「でも、扉の下も、窓も、机の位置も」
「気づかれましたか」
アカネさんは少しだけ嬉しそうに笑った。
「レナさんが落ち着いて座れることと、私が確認しやすいこと。両方が必要でしたので」
「すごいですね」
「準備しておけば、慌てずに済みますから」
「それ、簡単に言いますけど、かなり難しいですよね」
「そうでしょうか」
「難しいです。少なくとも、私にはまだ」
私はカップを置いた。
「救護でも、こういう準備ができたらいいんだと思います。怪我をしてから慌てるんじゃなくて、怪我をした後に座れる椅子とか、温かい飲み物とか、逃げたい時の出口とか……そういうのを、先に用意しておく」
アカネさんは静かに聞いていた。
私が話し終えるまで、途中で遮らない。
「レナさんは、もうそういうことを考えられていますよ」
「え?」
「今、そうおっしゃったでしょう。怪我だけではなく、その後に座れる椅子のことまで」
アカネさんは、机の上のタオルを軽く整える。
「十分だと思います。あとは、少しずつ準備の引き出しを増やせばいいだけです」
それが、変に沁みた。
すごく褒められたわけではない。大げさなことを言われたわけでもない。ただ、今の私にできているところを静かに見つけてもらった気がした。
「……アカネさんって、保護者みたいですね」
言ってから、少し失礼だったかもしれないと思った。
けれどアカネさんは、穏やかに笑うだけだった。
「そう見えますか?」
「はい。怒る前に座らせてくれる感じが」
「それは、なかなか良い評価ですね」
「良いんですか?」
「はい。誰かを落ち着かせられるなら、悪くありません」
アカネさんは、私の肩にかけられていた上着の位置を少しだけ直した。
「冷えていませんか?」
「大丈夫です」
「では、もう少しだけそのままで。外の確認が終わる頃には、戻れるようになります」
「はい」
私はもう一度、部屋を見る。
椅子。
カップ。
上着。
出口。
通信端末。
片づけられた危険。
この部屋は、私を閉じ込めるためではなく、私が落ち着いて戻れるように作られている。
そう分かると、胸の奥の力が少し抜けた。
「アカネさん」
「はい」
「休める場所って、ちゃんと用意されてると分かるだけで、少し安心するんですね」
「ええ」
アカネさんは柔らかく頷いた。
「帰れる場所は、目に見える形であった方がいいですから」
その言葉を聞きながら、私は温かい飲み物を口に運んだ。
甘すぎなくて、少しだけ落ち着く味がした。