戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
放課後の渡り廊下は妙に静かだった。ラウンジの方からは紅茶の匂いと笑い声が流れてくるのに、校舎裏へ続くこの辺りだけ、空気が薄い。私は特に理由もなく人の少ない道を選んで歩いていた。なんとなく。今日はちょっと、人の多い場所がしんどかった。
その時だった。
がしゃん、と何かが倒れる音。反射的に顔を上げる。
通路の奥。散らばった教材。蹴り飛ばされた箱。他校の制服を着崩した生徒たち。三人。……いや、奥にもう一人いる。
壁にもたれているだけ。なのに、一番嫌な感じがした。
「あの」
気づけば声をかけていた。
「それ、学内の備品だと思うので。壊すと後で面倒になると思います」
視線が集まる。数秒の沈黙。それから、一人が吹き出した。
「真面目ちゃんじゃん〜」
「委員会かなんか?」
「いや、違……」
最後まで言う前に、箱が飛んできた。反射で受け止める。重い。でも持てる。
その瞬間、もう一人が踏み込んできた。
速い。けど。見える。
私は半歩だけ下がりながら腕を払った。崩れた重心へ足を引っかける。倒れる。床へ肩がぶつかる音。
いける。
私は弱くない。ちゃんと訓練してきた。要領悪いから、人より時間はかかったけど、それでもちゃんとやってきた。
二人目が銃を抜く。私は柱の陰へ滑り込んだ。
発砲。壁が砕ける。撃ち返す。
相手の一発が私の肩に当たった。
「っづ!?」
崩れる。
呼吸を整える。
まだ行ける。ちゃんと見えてる。タイミングも、位置も、相手の癖も。
その時だった。奥の影が、壁から離れる。
ぞわり、と背中が粟立った。
音じゃない。殺気でもない。ただ、“空気”が変わった。
まずい。
本能みたいなもので理解する。
あれだ。
私は先に撃った。呼吸を合わせる。狙いも悪くない。ちゃんと当たる角度。
なのに。外れる。
いや、違う。外された。
「――え」
気づいた時には、もう視界の横にいた。
近い。反応するけど腕を掴まれる。
本気で振り払う。肩から、肘から、体ごと捻る勢いで。
なのに。
動かない。
「……は」
嘘。
本当に力を入れてる。
でも、相手の腕が、まるで壁みたいに動かない。
私は反射的に膝を入れた。避けられる。
というより。
読まれてる。タイミング、重心、全部。
壁へ押し込まれる。
強く叩きつけられたわけじゃない。ただ肩を押さえられただけ。それだけなのに、体が止まる。
逃げられない。
押し返したい。
でも。押し返せない。
距離が近い。
違う。
近いんじゃない。
“逃げられない距離”に置かれてる。
その感覚が、背筋を冷たく撫でた。私は銃を持ち直そうとする。でも、その前に手首を押さえられる。痛い。というより。力が入らない。
次の瞬間、もう片方の腕まで掴まれた。
ぐい、と頭上へ引き上げられる。
「っ、ぁ……!」
背中が壁へ押しつけられる。逃げようと足へ力を入れる。でも。体勢ごと固定される。
近い。
呼吸が近すぎる。押さえ込まれてる腕が熱い。
本気で暴れる。肩を捻る。脚を踏ん張る。それでも、びくりとも外れない。拘束されて逃げられない。嫌でも理解する。私の力じゃ、この人を動かせない。
「頑張るじゃん」
低い声。感情が薄い。怒ってもない。でも。少しだけ、楽しそうだった。
するとそいつは何故か拘束している両手を離した。舐めプでもしているつもりなのだろうか。
悔しい。私はまだ諦めてない。
右。遮蔽。三歩。撃たせてから走る。頭の中では、ちゃんと組み立てられてる。
なのに。
全部。一段上から潰される。走る前に止められる。撃つ前に逸らされる。逃げる前に、逃げ道へ足が置かれる。一回逃がされたと言うのに、私はまた押さえつけられた。
「なんでっ」
ちゃんと考えてる。ちゃんと戦ってる。ちゃんと努力してる。私は私ができることは全力で頑張ってる。
なのに。届かない。圧倒的に。その時だった。
「おい、マジで結構強ぇじゃんこいつ」
後ろで、倒れていたはずの不良一人が笑った。近づいてくる気配。
私は反射的に身を捩る。
でも、押さえつけられて動けない。
「ちょ、やめ――」
肩。髪。制服の襟。
面白がるみたいに指先が触れる。
「うわ、細」
「でもちゃんと鍛えてはいるんだな」
ぞわ、と背中が粟立つ。
嫌だ。それなのに。
押さえつけられてるせいで、感覚だけ妙に鮮明だった。
逃げたい。
でも動けない。
呼吸が浅くなる。押さえられてる手首が熱い。
近い。
近すぎる。
その状態のまま、顎を持ち上げられた。
「……っ」
喉がひくりと震える。
まずい。この感じ。力が入らない。
違う。
入れてる。
入れてるのに。全部止められる。押さえつけられたまま、私は歯を食いしばった。
悔しい。
怖い。
でも、それ以上に。分からされる。勝てない。
これは、頑張れば届く差じゃない。
その時だった。通路の奥から、足音が聞こえた。
軽い。速い。複数。私は反射的に顔を上げる。
助かった。
一瞬、本気でそう思った。誰か来た。この空気を止めてくれる誰かが。
でも。
「うわ、マジで捕まえてんじゃん」
聞こえてきた声で、背筋が冷えた。
増援。しかも敵側。なんでトリニティにそんな他校の生徒がいるんだよ。ふざけるな。
絶望が私を支配する。
制服の違う生徒が二人、笑いながらこちらへ近づいてくる。押さえ込んでいる相手は、その間も私を離さない。両腕を頭上で固定されたまま、背中を押さえ込まれているせいで、体勢が全然作れなかった。
「結構暴れた?」
「うん、でもまだ元気」
「へぇ」
値踏みみたいな視線が向けられる。
嫌だった。
私はもう一度体を捻った。
「っ……、離して……!」
本気で力を入れる。肩。背中。脚。全部。それでも拘束している腕は揺れない。さっきから何度暴れてもそうだった。抵抗してる感覚はあるのに、相手にはほとんど伝わってない。
その事実が、一番苦しかった。
「おー暴れるね。ま。意味ないけど」
一人が笑いながら近づいてくる。
逃げたい。
でも、体勢が作れない。
押さえ込まれた腕が熱い。呼吸が近い。壁の冷たさが制服越しにじわじわ背中へ伝わってくる。
耳の横へ手が伸びた。
反射的に肩が跳ねる。
「わ、羽根近くめっちゃ反応する」
「やめ……っ」
避けようとする。でも、その動きごと止められる。羽根の付け根を軽く撫でられた瞬間、ぞわ、と背中を震えが走った。
嫌だ。
気持ち悪い。
なのに、押さえ込まれているせいで、その感覚だけが妙に鮮明だった。
「すげ、今震えた」
「っ、ぅ……」
私は歯を食いしばる。
睨む。
でも、相手は楽しそうに笑うだけだった。
「ちゃんと抵抗するの可愛いな」
その言葉に、胃の奥が縮む。私は逃げようとしてる。
本気で。
なのに。
逃げられない。
腰へ手が触れた。
「――っ!」
反射的に体を引く。
でも無理だった。
拘束している腕が、その動きを上から押し潰す。押さえ込まれたまま体勢を崩されて、呼吸が浅くなる。
「細。ちゃんと食ってんの?」
「ぁ、……やめ」
声が掠れる。悔しかった。まだ抵抗したい。
まだ動きたい。
でも。
さっきみたいに力が入らない。
呼吸が乱れてる。
腕が痺れてる。
何度暴れても止められるせいで、自分の動きが少しずつ鈍くなっていくのが分かった。
押さえつけられたまま、羽の付け根へ指が流れる。
ひく、と肩が震えた。
「ここ弱い?」
「っ……、ぁ……」
違う。
弱いとかじゃない。
ただ、逃げられない。
その状態で触れられるから、感覚だけが変に鋭くなる。
私はもう一度腕を振り払おうとした。
でも。
さっきより弱い。
自分でも分かる。
ちゃんと力を入れてるつもりなのに、うまく入らない。
「……あ」
笑われた。
「さっきより大人しくなった」
違う。違うのに。否定したかった。
でも。
息が上手く入らない。押さえ込まれてる腕が熱い。近くで笑い声がする。耳の奥がじわじわする。
悔しい、怖い。
なのに。
その全部を押し潰すみたいに、“どうしても振りほどけない”って感覚だけが、少しずつ体へ染み込んでくる。
「……あ」
一人が、ふと私の制服へ視線を落とした。
「これ、トリニティの正規制服か」
「っ……」
嫌な予感がした。私を仰向けにしたと思ったら、次の瞬間、制服のリボンへ指がかかる。
私は反射的に身を捩った。
「やめろっ……!」
今までで一番強く抵抗した。
肩をぶつけるみたいに体を動かす。拘束している腕を振りほどこうとする。脚を踏ん張る。けれど、押さえ込んでいる相手は少し揺れただけだった。
「うお、まだ暴れる」
「っ、はな、せ……!」
呼吸が乱れる。
悔しい。力を入れてるのに。本気で。
なのに止まらない。
指先が制服の襟を引く。
布が擦れる音。
私は思わず肩を縮めた。
「暴れるなよ」
「もう、、やめて、ください……っ、ほんとに……」
声が震える。情けない。そんなつもりじゃないのに、息が乱れるせいで言葉まで弱くなる。私はもう一度腕を振り払おうとした。
でも。駄目だった。掴まれている手首が熱い。押さえ込まれたまま力を入れ続けたせいで、腕の感覚が鈍い。頑張ってる。まだ抵抗してる。
なのに。
その“頑張り”自体が、少しずつ削られていく。
制服の上着が乱暴に引かれる。
肩口がずれる。
冷たい空気が肌へ触れた瞬間、ぞくりと背筋が震えた。
「っ……ぁ」
「うわ、すげ。ほんと反応する」
「返して……っ、やめて、ください……!」
悔しかった。
なんで震えるんだ。
なんで体が勝手に反応するんだ。
嫌なのに。
怖いのに。
拘束されたまま感覚だけが逃げ場を失って、触れられた場所ばかり妙に鮮明になる。
耳の近くへ息がかかる。
肩を掴まれる。羽根の付け根へ指先が触れる。そのたびに体がびくりと揺れる。それがまた面白がられる。
「ほらまた震えた」
「やめ……っ」
睨む。
本当はもっと抵抗したい。
噛みつくくらいしたい。
でも。
うまく力が入らない。
呼吸が浅い。
頭も少しぼやける。
押さえ込まれている感覚がずっと消えなくて、自分の体なのに自由にならない。
悔しい。
悔しくてたまらない。
その時、不意に視界が滲んだ。
「……っ」
熱い。頬を、何かが伝う。
これは...私の涙、、?。
泣きたいわけじゃない。こんなので。こんなことで。私は歯を食いしばった。でも涙は止まらなかった。
悔しい。勝てない。
抵抗してるのに、押さえ込まれる。逃げようとしてるのに、止められる。その現実を、体が勝手に理解してしまう。
「……泣いてる」
「結構ギリギリだったんだな」
違う。
そんなふうに見られたくない。
私はもう一度だけ腕へ力を込めた。
でも。
さっきみたいな勢いは出ない。
押さえ込んでいる相手の腕が、ゆっくり私の動きを潰していく。
暴れる。
止められる。
力を入れる。
押さえ込まれる。
それを繰り返すうちに、少しずつ、自分の抵抗が小さくなっていくのが分かった。
嫌だった。
そのことが、一番嫌だった。
なのに。
体のどこかで、“もう振りほどけない”って理解し始めている自分がいた。