戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで   作:Zuzuiikb

94 / 101
終わってなかった救護

 

 

 トリニティーの夜は、ミレニアムとは違う静けさを持っていた。

 

 白い壁。整えられた中庭。遠くに見える礼拝堂の影。夜風に揺れる木々の音まで、どこか祈りの形をしているように感じられる。

 

 けれど、その静けさの中で、救護騎士団の詰所だけは眠っていなかった。

 

 ミネは端末の前に立っていた。

 

 画面に映っているのは、先生から送られた情報だった。映像本体はない。レナの顔も、声も、あの悪意ある編集の中身もない。

 

 あるのは、時刻。推定地点。証言。装備断片。ミレニアム側の解析で拾われた背景情報。ゲヘナ側の簡易聴取で出た、トリニティー方面という言葉。

 

 ミネは、それを一つずつ見た。

 

 表情は崩れていない。

 

 だが、詰所にいた救護騎士団員たちは、誰も余計なことを言わなかった。

 

 団長が怒っている時の静けさを、彼女たちは知っている。

 

「当時の出動記録を」

 

 ミネが言った。

 

 声はいつも通りだった。

 

 いつも通りすぎて、かえって冷たく響いた。

 

「はい」

 

 団員がすぐに記録を呼び出す。

 

 レナが関わったあの日の記録。

 

 通報時刻。現場到着時刻。制圧記録。救護記録。搬送経路。現場に残っていた生徒の拘束記録。負傷者の処置記録。

 

 ミネは迷わず該当箇所を開いた。

 

 そこには、当時すでに制圧された生徒たちの名前が並んでいる。

 

 ミネが現場に到着した時、そこに残っていた者たちは逃げられなかった。逃げさせなかった。レナの救護を最優先しながらも、危険な相手を放置する選択はしなかった。

 

 それでも。

 

 今、映像が見つかった。

 

 撮られていた。

 

 持ち出されていた。

 

 売られていた。

 

 あの時、終わらせたと思った悪意が、別の形で生き延びていた。

 

「……あの場に残っていた者は、制圧しました」

 

 ミネは静かに言った。

 

 誰に向けた言葉でもなかった。

 

「ですが、現場の外にいた者までは、その時点で特定できていません。私は、レナの救護を最優先しました」

 

 団員の一人が、少しだけ顔を伏せる。

 

 ミネは振り返らない。

 

「その判断を後悔はしません」

 

 声は揺れない。

 

「ですが、救護は終わっていなかったということです」

 

 詰所の空気が固まった。

 

 救護は終わっていなかった。

 

 その言葉は、救護騎士団にとって重すぎた。

 

 傷は処置した。

 

 レナは搬送された。

 

 その場にいた者は押さえた。

 

 それでも、レナの苦しみは映像として持ち出され、切り貼りされ、売られた。

 

 救ったはずの傷が、誰かの手でまた開かれた。

 

「現場周辺の巡回記録を照合してください」

 

 ミネは続けた。

 

「当時、現場の外にいた可能性がある者。現場到着前に退避した者。救護騎士団の到着を確認してから姿を消した者。特に、端末機器を所持していた者を優先」

 

「はい」

 

「正義実現委員会の巡回記録も照会します。ですが、映像は共有しません」

 

 団員が一瞬だけ顔を上げた。

 

「映像は、ですか」

 

「はい」

 

 ミネは即答した。

 

「レナの許可がありません」

 

 それだけで十分だった。

 

 救護騎士団の誰も、それ以上は聞かなかった。

 

 ミネは先生から送られてきた推定地点を確認する。古い施設。現在はほとんど使われていない一角。救護騎士団の出動記録には、当時の現場周辺の簡易地図が残っている。

 

 ミネの指が、地図の一点で止まった。

 

「ここです」

 

 団員が息を呑む。

 

「旧西棟の補助倉庫……ですか」

 

「当時、私がレナを発見した位置から近い。ですが、直接の現場とはわずかにずれています」

 

「ずれている?」

 

「はい。レナが倒れていた場所と、今回の背景断片が示す場所が完全には一致しません」

 

 ミネは地図を拡大する。

 

「つまり、撮影者か見張り役は、現場外から移動していた可能性があります。あるいは、複数箇所で撮影していた」

 

 団員の表情が強張る。

 

 ミネの声は低くなる。

 

「当時の制圧者リストにはない人物がいるはずです」

 

 その時、別の端末に通知が入った。

 

 正義実現委員会からの簡易照会結果だった。

 

 ミネはすぐに開く。

 

 当時、旧西棟周辺で巡回を外れていた生徒。記録上、別任務にいたはずなのに、一時的に通信が途絶えていた生徒。さらに、後日軽微な違反として処理されていた、端末破損の報告。

 

 それらが、一つの名前の周囲に集まり始める。

 

 ミネは目を細めた。

 

「この生徒を確認します」

 

「すぐに向かいますか」

 

「はい」

 

 ミネは端末を閉じる。

 

「ただし、制圧ではなく確認です。逃走の可能性があれば拘束。怪我があれば処置。その後、話を聞きます」

 

 団員は一瞬だけ迷った。

 

 そして頷く。

 

「了解しました」

 

 ミネは詰所の出口へ向かう。

 

 足取りは速い。

 

 しかし乱れていない。

 

 怒りで走るのではない。

 

 救護のために向かう。

 

 その背中が、かえって怖かった。

 

 旧西棟は、夜になるとほとんど人がいなかった。

 

 古い石造りの通路。使われなくなった掲示板。閉鎖された倉庫。窓から差し込む月明かりが床の傷を薄く照らしている。

 

 ミネは足を止めた。

 

 そこは、よく覚えている場所だった。

 

 正確には、その近くを。

 

 あの日、ミネはここを通った。

 

 レナを見つけた。

 

 レナの状態を確認した。

 

 呼吸を見た。意識を確認した。出血と損傷を確かめ、まず救護した。怒りはあった。だが、怒りより前に手が動いた。救護騎士団長として当然のことだった。

 

 その時、ミネは思っていた。

 

 間に合った。

 

 少なくとも、これ以上は傷つけさせない。

 

 だが今、その判断の外側に、まだ別の悪意があったことを知らされた。

 

 足音。

 

 倉庫の奥から、わずかに何かが動く音がした。

 

 団員たちが身構える。

 

 ミネは手で制した。

 

「出てきてください」

 

 声は穏やかだった。

 

 返事はない。

 

「あなたが怪我をしているなら、処置します。逃げるなら、止めます。話すなら、聞きます」

 

 沈黙。

 

 次の瞬間、倉庫の裏口が開く音がした。

 

 逃げた。

 

 団員が動こうとするより早く、ミネが進んでいた。

 

 走るというほど乱暴ではない。

 

 だが、速い。

 

 旧西棟の裏手へ出た生徒は、数歩走ったところで足を止めた。

 

 前に、ミネがいた。

 

「な……っ」

 

 逃げようとした生徒の顔から血の気が引く。

 

 ミネは正面から向き合う。

 

「確認したいことがあります」

 

「私は、何も」

 

「まだ何も聞いていません」

 

 どこかで聞いたようなやり取りだった。

 

 けれど、ミネの声にはネルのような荒さはない。

 

 だからこそ、逃げ道がなかった。

 

「端末を床に置いてください」

 

「これは」

 

「置いてください」

 

 声は変わらない。

 

 生徒の手が震える。

 

 端末を抱えたまま、数秒固まる。

 

 ミネは一歩も詰めない。

 

 ただ待つ。

 

 その待ち方が、逆に耐え難かった。

 

 やがて、端末が床に置かれた。

 

 救護騎士団員が証拠保全用のケースへ入れる。

 

 ミネは対象生徒を見る。

 

「当時、あなたは現場にいましたか」

 

「いません」

 

 早すぎる否定。

 

 ミネの目がわずかに細くなる。

 

「では、なぜ旧西棟周辺で通信記録が途切れているのですか」

 

「それは、端末の調子が」

 

「なぜ、事件後に端末破損を報告したのですか」

 

「落としただけで」

 

「なぜ、今逃げましたか」

 

 対象生徒の唇が震えた。

 

 ミネは責め立てない。

 

 ただ、一つずつ逃げ道を塞ぐ。

 

「あなたが直接レナに何をしたのかは、まだ確認していません」

 

 レナの名前が出た瞬間、対象生徒の肩が跳ねた。

 

 ミネはそれを見逃さなかった。

 

「ですが、あなたは知っているようですね」

 

「違う、私は、ただ見張りを」

 

 言ってから、対象生徒は自分の口を押さえた。

 

 ミネの周囲にいた団員たちの表情が変わる。

 

 見張り。

 

 現場の外にいた者。

 

 ミネが当時、制圧できなかった者。

 

「続けてください」

 

 ミネは言った。

 

「私は、全部は知らない。撮影とか、売るとか、後から聞いただけで」

 

「後から?」

 

「ミレニアムの子が、加工できるって言ってて。ゲヘナの子が、売れる場所を知ってるって。私は、ただ場所を知ってただけで」

 

「場所を」

 

 ミネの声が、ほんの少しだけ低くなる。

 

「あなたが、この場所を使えると教えたのですか」

 

 対象生徒は答えなかった。

 

 答えなかったことが、答えだった。

 

 ミネは目を閉じる。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 それから、静かに開いた。

 

「拘束してください」

 

「はい」

 

 団員たちが動く。

 

 対象生徒は抵抗しかけたが、ミネが視線を向けただけで止まった。

 

「怪我はありませんか」

 

 ミネが聞く。

 

 対象生徒は唇を震わせながら首を振る。

 

「では、移動します。救護騎士団詰所で話を聞きます」

 

「私は、暴力は」

 

「その話も聞きます」

 

 ミネは遮らなかった。

 

 許したわけでもない。

 

「直接手を出していないとしても、あなたが開けた場所で、誰かが傷つきました。あなたが見張った先で、誰かが逃げられなくなりました。その事実について、話してもらいます」

 

 対象生徒は俯いた。

 

 その時、ミネの端末に通信が入る。

 

 先生からだった。

 

『ミネ。状況は?』

 

「トリニティー側の関与者を一名確保しました」

 

 ミネは淡々と答える。

 

「当時、現場外で見張り役をしていた可能性があります。旧西棟の場所提供にも関与しているようです」

 

 ミネは続ける。

 

「先生。やはり、当時現場に残っていた者だけではありませんでした」

 

『うん』

 

「あの時、私はレナの救護を優先しました。そのため、逃げた者、外にいた者、撮影や持ち出しに関わった者までは押さえられていません」

 

『それは、ミネの判断が間違っていたわけじゃない』

 

「分かっています」

 

 ミネの返事は早かった。

 

「私は、あの時の判断を後悔していません」

 

 少しだけ間が空く。

 

「ですが、終わっていなかったことを、今確認しました」

 

 先生は黙っていた。

 

 ミネの声は揺れていない。

 

 けれど、その静けさの下にあるものを、先生は分かっていた。

 

『ミネ』

 

「はい」

 

『今は、見つけたものから一つずつ押さえよう』

 

「はい」

 

『映像はまだ見なくていい』

 

「承知しています」

 

 ミネは短く答えた。

 

「レナの許可がない限り、私は見ません」

 

 その言葉に、先生は小さく息を吐いた。

 

『ありがとう』

 

「礼を言われることではありません」

 

 ミネは旧西棟の壁を見る。

 

 古い石材。

 

 冷たい床。

 

 あの日、レナがいた場所に近い通路。

 

 映像を見ていなくても、そこに悪意が残っているのが分かる気がした。

 

「ただ、必要になった時は、私は確認します」

 

『うん』

 

「レナが望み、必要であるなら」

 

 ミネの声が少し低くなる。

 

「その時は、逃げません」

 

 通信の向こうで、先生は短く答えた。

 

『分かった』

 

 通話が切れる。

 

 ミネは端末を下ろし、拘束された生徒へ視線を向けた。

 

 対象生徒は怯えている。

 

 ミネはその怯えを見た。

 

 そして、言った。

 

「まず、体調を確認します」

 

 対象生徒が顔を上げる。

 

 意味が分からないという顔だった。

 

「過呼吸、めまい、負傷の有無。必要であれば処置します」

 

「……なんで」

 

「救護騎士団ですから」

 

 ミネは当然のように答えた。

 

 そして、次の言葉だけ、少し低くなった。

 

「その後で、あなたが傷つけたものについて、話してもらいます」

 

 対象生徒は何も言えなかった。

 

 救護はする。

 

 だが、逃がさない。

 

 その二つが、ミネの中で矛盾せずに並んでいた。

 

 詰所へ戻る途中、さらに二つの報告が入った。

 

 旧西棟周辺で、当時の巡回記録に不自然な空白がある生徒がもう一名。

 

 事件後、ブラックマーケット方面の生徒と接触していたトリニティー生徒が一名。

 

 いずれも、直接暴行の現場には残っていなかった。

 

 だが、場所を知り、見張り、逃走を助け、映像の持ち出しに関わった可能性が高い。

 

 ミネはすぐに指示を出した。

 

「二名を確認。逃走の可能性があれば拘束。ただし怪我をさせないように」

 

「了解しました」

 

「正義実現委員会にも連絡を。必要なら合同で動きます。映像の共有は不要です」

 

 団員たちは頷く。

 

 映像は見ない。

 

 見ないまま、動く。

 

 それでも、網は狭まっていく。

 

 その夜、トリニティー側で三名の関与者が確保された。

 

 一人は見張り。

 

 一人は場所提供。

 

 一人は逃走補助とデータ持ち出しへの関与疑い。

 

 彼女たちは皆、同じようなことを言った。

 

 自分は直接手を出していない。

 

 撮影は別の誰かがした。

 

 売ると言ったのはゲヘナ側だった。

 

 加工できると言ったのはミレニアム側だった。

 

 黒い顔の大人のことは、後から聞いただけ。

 

 その言葉は、責任を薄めようとしているようにも聞こえた。

 

 けれど同時に、複数学園の不良集団が本当に存在したことを裏づけてもいた。

 

 ミネは聴取記録を見ながら、静かに手を組んだ。

 

 怒りは消えない。

 

 消えるはずがない。

 

 だが、今それを表に出しても、レナの救護にはならない。

 

 ミネは、先生へ報告を送る。

 

トリニティー側関与者三名を確保。

当時、現場外での見張り・場所提供・逃走補助・データ持ち出しへの関与疑い。

現場に残っていた直接実行犯は、当時すでに制圧済み。

今回の調査対象は、逃走者および映像流通関与者へ移行。

映像本体は未確認。レナ本人の許可なしには確認しません。

 

 送信。

 

 その後、ミネはしばらく端末の前に立っていた。

 

 詰所の窓の外では、トリニティーの夜が静かに続いている。

 

 あの日も、夜は静かだった。

 

 レナを救護した後、ミネは自分の手袋に残った汚れを見た。レナの呼吸を確認し、応急処置をし、搬送を指示した。捕まえた生徒たちを引き渡し、二度と同じことが起きないようにすると誓った。

 

 それでも、映像は持ち出されていた。

 

 救護は終わっていなかった。

 

 ミネは目を閉じる。

 

 短く、深く息を吸う。

 

 そして、静かに呟いた。

 

「レナ」

 

 その名前は、誰にも向けられていない。

 

 謝罪でもない。

 

 誓いだった。

 

「今度こそ、終わらせます」

 

 その声は小さかった。

 

 けれど、救護騎士団の詰所にいた誰もが、聞こえないふりをした。

 

 聞いてしまえば、自分たちも泣いてしまいそうだったから。

 

 ミネは端末を閉じる。

 

 次は、先生たちとの情報照合。

 

 その先に、黒い顔の大人。

 

 そして、まだ何も知らないレナがいる。

 

 レナに会う時、自分はどんな顔をするべきか。

 

 ミネはまだ答えを出さなかった。

 

 ただ一つだけ、決めている。

 

 レナが話すまで、こちらから傷をこじ開けない。

 

 レナが望むなら、見る。

 

 望まないなら、待つ。

 

 救護とは、傷を暴くことではない。

 

 傷ついた人が、自分で息をできる場所を守ることだから。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。