やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか 作:星乃 望夢
月面都市コペルニクスの、精巧に管理された人工の空。その下で舞い散る、完璧なまでに計算された桜吹雪の中で、俺は──僕は、一人の幼い少年と相対していた。
家が隣同士で、通う学校も同じで、クラスまで同じ。そんな偶然と必然が重なれば自然と仲良くなるのが子供というものだが、僕たちの場合は少しばかり事情が違った。将来的な敵対フラグだとか、ここで恩を売っておくべきだという打算だとか、そういった前世からの知識に基づく薄汚い建前は、出会ってすぐに全部横へぶん投げた。
何故なら彼は、何をさせても規格外になんでも出来てしまうスーパー幼馴染みだったからだ。勉強も、運動も、機械工学の知識も、大人顔負けの才覚を示す彼に対して、僕は色んな事をおんぶに抱っこで頼りきっていた。そりゃあ原作の『彼』でも、最初は甘ったれで、泣き虫で、面倒くさがりだったのだ。ならば中身が凡人の俺ならなおさら、この神童に頼りに頼りまくっても仕方がないだろう、と妙に納得してしまっていた。
だって、そうでもしていなければ、正気を保てなかった。
僕の置かれた立場は、控えめに言っても最悪だ。ひっそりと一般人に擬態して過ごしていなければ、「青き清浄なる世界のために」という狂信的なスローガンを掲げ、元々は環境保護団体だったはずの『ブルーコスモス』に命を狙われてしまう。
かといって、これから引っ越す予定の資源衛星ヘリオポリスで、のんべんだらりと平和を貪っていられるわけでもない。そこでは中立国オーブのサハク家が大西洋連邦と結託して極秘裏にモビルスーツ──G兵器を開発し、それをザフトが奪いに来るという最悪のイベントが確定しているのだ。
そうして多分、なんやかんやで巻き込まれる……いや、僕が自ら巻き込まれに行かないと、この世界は完全に詰む。地球はジェネシスのガンマ線レーザーによって大地ごと焼かれ、プラントは無数の核ミサイルの雨によって宇宙の塵と化す。ナチュラルもコーディネイターも、互いの存在を絶対に許容できず、憎悪の連鎖の果てに最後の1人まで滅ぼし合うしかなくなってしまうだろう。
宇宙世紀の泥沼よりもさらにタチが悪い、第三者が横から全力でぶん殴ってでも軌道修正しないと問答無用で人類滅亡へ向かうオワコン化確定のクソみたいな世界。それが、このコズミック・イラ──通称C.E.の世界なのだ。
「キラ……」
春風に揺れる桜の木の下で、なんでも出来るスーパー幼馴染みは、絞り出すように僕の名を呟いた。しかし、その後に続くはずの言葉が、どうしても喉の奥に引っかかっているらしい。
なんでも出来るけれども、生きる事に関してはどこまでも不器用なこの幼馴染みは、ともすると幼年学校の同級生たちとは分厚い壁を作りがちだった。優秀すぎるが故の孤立。少し近寄りがたい険のある表情というか、生真面目すぎる仏頂面というか。だから、同年代で対等に接する友人は、本当に僕くらいしか居なかったのだ。
一見すると気難しくて怖そうだけれども、一度懐に入れてしまえば、とことん相手に甘いというか、面倒見が良いというか。僕が怠けて無茶を言っても、なんだかんだと文句を言いながら、最後には完璧な形で助けてくれる。なんもかんもおんぶに抱っこな付き合いにも、呆れながら付き合ってくれた良き友人。僕にとっては、かけがえのない『親友』と呼びたい相手だった。
多分、僕がそう口にすると、彼は照れ隠しで少し嫌そうな顔をするだろうけれども。
だって、仕方ないじゃないか。近い将来、いやでも戦争のド真ん中に放り込まれ、最前線で血と泥に塗れて戦い続けないと世界が滅んでしまうような、そんな呪われた立場に生まれ変わってしまったのだ。せめて、その絶望の日が訪れるその時までは、全力で怠けて、だらけて、彼に甘ったれて過ごしたってバチは当たらないと、僕は心底思っているんだよ。
そう、俺は──僕は、何の因果か、気づいたら『キラ・ヤマト』という名の少年に生まれ変わっていた。
本当に、やめてよね、と言いたい。いくら前世がSEED世代直撃のガノタだったからと言って、平和ボケした普通の人間が、ある日突然『最強のスーパーコーディネイター』にして未来の准将様に転生したからといって、「それでも守りたい世界があるんだ!」なんてヒロイックに叫びながら、人殺しの道具に乗って戦えるわけがないじゃないか。
そんな僕の鬱屈とした内心など知る由もなく、僕の心の友である彼──アスラン・ザラは、このコペルニクスからプラントへ引っ越してしまうという。
その別れの記念にと、幼年学校の卒業課題を利用して、僕が「鳥型のペットロボットを作ろう」と無茶振りをした。プログラムなどのソフト面は僕が担当し、骨格や駆動系などの一番面倒で高度な技術を要するハード面は、案の定彼が文句を言いながらも完璧に仕上げてくれた。
カシャ、カシャ、と微かな駆動音を立てて、緑色の小鳥のロボット──『トリィ』が、アスランの掌の上から、僕の掌の上へと羽ばたいて移る。金属の冷たさの中に、彼が込めてくれた温もりが宿っているような気がした。
「キラ、お前も僕とプラントに来ないか? プラントなら……僕たちの事を秘密にすることだってないんだ」
すがるような、ひどく切実な響きを帯びて、アスランが僕を誘って来る。
この月面都市コペルニクスにおいても、自分たちが遺伝子操作を受けた『コーディネイター』であるという事実は、忌避されるべき秘密のような扱いだった。反コーディネイター感情の波は月にも届いており、僕とアスランは幼年学校の誰にも、互いにしかその事実を明かしていない。共有した秘密は、僕たちの絆をより一層強いものにしていた。
アスランの言う通りだ。プラントに行けば、もう自分を偽る必要はない。
本当は、アスランと一緒にプラントへ行きたい。行けるものなら、僕だってこの先ずっと、アスランと離れたくない。ヘリオポリスで待ち受ける地獄を知っているからこそ、今すぐ彼の手を取って、安全なゆりかごへ逃げ込んでしまいたいという強烈な誘惑に駆られる。
でも、ここで僕がプラントに渡ってしまったら、歴史はどうなってしまう?
アークエンジェルは誰が守るのか? ストライクは誰が動かすのか? もし僕が居なければ、世界の均衡は一瞬にして崩れ去る。その未来への不透明さと、僕が背負ってしまった『原作知識』という重すぎる十字架が、僕の足に重い鎖を巻き付け、二の足を踏ませる。
未来なんてわからないのが、普通の人間にとっての当たり前なのに。
僕はこの世界の、狂気に満ちた血塗られた未来を知っている。あんなに辛く苦しい思いをして、終わらない明日に向かって血反吐を吐きながら、藻掻いて、足掻いて、泣き叫んで……そうして漸く、ギリギリのところでなんとか「平和」と呼べるかもしれない脆い状態に持ち込める。それでもなお、少しずつ世界から争いの火種を摘み取り、戦い続けなければ、世界が滅んでしまう限界のラインで踏みとどまっている結末を知ってしまっているのだ。
僕がここでアスランの手を取れば、その細い希望の糸すら断ち切ってしまうかもしれない。
無知は罪だと、人はよく言う。しかし、人は無知であり、先の見えない未来を生きているからこそ、「可能性」という名の翼を広げ、真の自由を掴み取れるのかもしれない。
ならば、残酷な未来の脚本をすべて知ってしまっており、それに縛られながら歴史の修復力に身を委ねるしかない僕はどうだ。
いずれ『フリーダム』という名の機体に乗る運命にある僕は、そうした意味では、この世界の誰よりも不自由で、最もその名に相応しくない存在なのかもしれない。
舞い散る花びらが、僕の掌の上のトリィに一枚、音もなく降り立った。僕は胸の奥に渦巻く途方もない絶望と、ただ一つの小さな決意を隠し込み、なんでも出来る、けれどあまりにも不器用で優しい僕の親友に向けて、精一杯の、いつも通りの困ったような笑顔を浮かべた。
◇◇◇
キラ・ヤマトという人間を端的に言い表すなら、「筋金入りの怠け者」であり、「とびきりの甘ったれ」であり、そして「どうしようもなく放っておけない奴」だった。
「ねえ、アスラン。これ、アスランなら出来るでしょ?」
それが、彼の口癖だった。幼年学校の課題にせよ、日常のちょっとした厄介事にせよ、キラはすぐに僕の名前を呼ぶ。自分でもやろうと思えば難なくこなせるだけのずば抜けた頭脳とセンスを持っているくせに、彼はとにかく面倒くさがり屋で、息を吐くようにその作業を僕へと丸投げしてくるのだ。
今回の卒業課題である鳥型のペットロボットにしてもそうだった。
「僕、プログラム組むから、あとはアスランお願いね。アスランの手先が器用なところ、僕すっごく頼りにしてるんだから」
そう言って、悪びれる様子もなくへにゃりと笑う。キラが担当したソフトウェアは、信じられないほどの処理速度と完璧な挙動を示す芸術的なコードで瞬く間に完成していたというのに、一番手間と時間のかかるハードウェアの構築──微細なモーターの組み込みや、鳥らしい滑らかな関節の設計──は、すべて僕の机の上に積み上げられた。
「お前なぁ……少しは自分でやろうという気はないのか」
「だって、アスランの方が上手だもん。僕がやるより、アスランが作った方が絶対に可愛い鳥さんになるよ。ね、アスラン?」
「……お前って奴は」
口では呆れたようにため息をつきながらも、僕は結局、キラの頼みを断り切れない。
同年代の子供たちの中で、僕はどうにも上手く立ち回れない不器用な性質だった。周囲の嫉妬や畏怖の視線に壁を作り、誰とも深く関わろうとしなかった僕のパーソナルスペースに、土足で、しかも無防備な笑顔のままズカズカと踏み込んできたのはキラだけだったのだ。
なにかあると「アスラン、アスラン」と僕を頼ってくる。その全幅の信頼と、一切の裏表がない甘えっぷりは、僕の心にあった硬い殻をいとも容易く溶かしていった。どうしようもない怠け者で、放っておけばどこで何をしているか危なっかしいこの親友の面倒を見ることは、僕にとって密かな誇りであり、心地よい日常の一部になっていた。
だが……。
そんな陽だまりのような、どこまでも気の抜けたキラの横顔の裏側で、時折、彼がひどく奇妙な、そして酷く痛ましい表情を浮かべることがあった。
それは決まって、街頭モニターやニュース端末から、遠く離れた地球やプラントの話題が流れてきた時だった。
『──プラント理事国とプラント間の緊張は依然として続いており、反コーディネイターを掲げるブルーコスモス系の政治団体が、プラントへの経済制裁をさらに強めるよう各国へ要求を……』
無機質なニュースキャスターの声が街角に響く時、隣を歩いていたはずのキラの足取りが、ふと止まる。
振り返ると、そこにはいつもの甘ったれで呑気なキラはいなかった。
モニターを見上げるその大きな瞳は、子供が抱く漠然とした不安や恐怖などという生易しいものではなかった。まるで、これから起こる凄惨な地獄をすべて見てきたかのような、あるいは、すでに終わってしまった世界を一人で弔っているかのような、底知れない絶望と諦観が入り混じった色。
そんなキラの顔を、僕はどう表現すればいいのだろう。
血の気が引き、泣き出すことすら忘れてしまった迷子のように、ただただモニターの光に顔を照らされながら、唇を微かに震わせているのだ。その瞳の奥には、彼一人だけが抱え込んでいる重く冷たい「何か」が渦巻いていて、僕の声すら届かない遠い場所へ行ってしまったのではないかと、強烈な焦燥感に駆られる。
「キラ?」
僕が慌てて名前を呼んで肩を揺さぶると、彼はビクッと肩を跳ねさせ、数秒の空白のあと、いつものへにゃりとした笑顔を貼り付ける。
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた。……帰ろっか、アスラン。僕、お腹すいちゃったな」
そうやって彼は、すぐにおどけて見せる。だが、僕の目には、その笑顔がひどく無理をして作られた、薄氷のように危ういものにしか見えなかった。
なぜ、平和な月面都市コペルニクスで、僕と一緒に穏やかな毎日を過ごしているはずのあいつが、あんなにも傷つき、世界そのものに絶望したような顔をするのか。僕にはそれが分からなかったし、分からない自分がひどくもどかしかった。
だからこそ、父の意向で僕がプラントへ引っ越すことが決まった時、僕の胸を占めたのは、キラをこの街に置いていくことへの強烈な不安だった。
あの、ふとした瞬間に彼を飲み込もうとする暗い絶望の淵から、キラを引き離さなければならない。
なんでも僕に押し付けて、怠けて、甘ったれていていい。僕が全部やってやるから。だから、あんな泣きそうな顔で世界を見つめる必要なんてないんだと、僕が傍にいて証明し続けなければならないと思ったのだ。
人工の風が桜の花びらを散らす中、僕は完成したばかりの緑色の鳥型ロボット──トリィを、キラの掌へと移した。
金属の羽ばたきに目を細めるキラの横顔は、今日もやはり、どこか泣きそうに笑っている。
「キラ、お前も僕とプラントに来ないか? プラントなら……僕たちの事を秘密にすることだってないんだ」
頼む、頷いてくれ。
僕と来てくれ、キラ。
プラントなら、ブルーコスモスのテロに怯えることもない。お前が何に絶望しているのかは分からないけれど、僕が、お前をその見えない恐怖から守ってやるから。
そう祈るような思いを込めて、僕はどうしようもない僕の親友を見つめていた。
◇◇◇
アスランの言葉を、そして彼がその時に見せた、すがるような、ひどく切実な瞳の色を、僕は頭の中で何度も何度も反芻していた。
あんなにガッツリと「一緒にプラントに来ないか」なんて、まるでプロポーズかと思うような真剣なトーンで誘われたら、二つ返事でアスランに付いて行きたいに決まっている。いや、むしろこっちから「連れて行ってください」と縋り付きたいくらいだ。
前世の記憶にある原作アニメでの別れ際は、確かもっとフワッとしていたはずだ。「その内キラもプラントに来るんだろ? 待ってるからな」くらいの、いずれまた会えることを疑わない無邪気な少年の約束、といった雰囲気だったと記憶している。だけど、現実の彼からあんな風に、僕という存在を失うことを恐れるような声音で言われてしまうと、絶対に断れない。というか、僕自身の本音が「断りたくない」「離れたくない」と激しく主張しているのだ。
何をやらせても完璧で、それでいて僕にはとことん甘い。
そんなスパダリの権化みたいな幼馴染みと、ここで離れ離れになって、互いに血みどろの殺し合いをさせられる運命に向かうなんて、死んでもイヤだ。そう断言できる程度には、僕はどっぷりとアスラン・ザラという男の存在に甘え切り、依存し切っている自覚があった。
それこそアレだ。前世から大好きだったアニメ『蒼穹のファフナー』の一騎と総士みたいな関係性だ。決してBL的な意味合いじゃなくて、本人たちは至極真面目にピュアで、それでいて互いが互いの半身であり、絶対的な帰る場所であるかのような、そんな深く重い親友の絆。
思えば、キャラクターデザインを手掛けているのも同じ平井さんだし、この世界に生まれ変わった僕がアスランに対してそういう特大の感情を抱いてしまうのも、何か大いなるオタク的因果律が働いているからなのかもしれない。平井顔の親友同士は、重い感情をぶつけ合う運命にあるのだ、きっと。多分。メイビー。
いや、こんな妄想をアスラン本人に言ったところで「キラ? 熱でもあるのか?」と心底心配そうな、そして少し変なものを見るような目を向けられるだけだから、絶対に口には出さないけれども。
ともかく、僕は決意した。
このまま原作のレールに乗ってヘリオポリスに行けば、僕は否応なしにストライクに乗せられ、アスランと殺し合うことになる。それだけは絶対に避けたい。未来の地球やプラントがどうなるかよりも、今はただ、目の前の親友の手を離したくなかった。
だから僕は、この世界に『キラ・ヤマト』として生まれ落ちてから初めて、両親である父のハルマと母のカリダへ、とびきりのワガママを言うことにした。
ヤマト夫妻にとっての僕は、手のかからない、大人しくて賢い子供だったはずだ。泣き喚くことも、おもちゃをねだることもなく、ただニコニコと笑ってやり過ごす、都合の良い「いい子」。両親はそんな僕を深く愛してくれているし、僕も、本当の血の繋がりがないことを知っていながらも、惜しみない愛情を注いでくれる彼らを大切に思っている。
リビングのソファでくつろいでいた二人の前に立ち、僕は深く息を吸い込んだ。
前世を含めても、こんなに心臓がバクバクと音を立てたことはない。
「お父さん、お母さん」
僕の真剣な声色に、温和なハルマは新聞から顔を上げ、優しげなカリダは淹れていたお茶の手を止めて、不思議そうにこちらを見た。
「どうしたの、キラ。そんな怖い顔をして」
「……僕、お願いがあるんだ」
僕は両手で拳を強く握りしめ、二人の顔を真っ直ぐに見据えた。
この言葉を口にすれば、僕の運命も、この世界の歴史も、未知の領域へと完全に分岐する。その恐怖がないと言えば嘘になる。だけど、ここで諦めたら、僕は一生後悔する。
「アスランと一緒に、プラントに行きたい。……プラントの学校に行かせてほしいんだ」
静まり返ったリビングに、僕の搾り出すような声が響いた。
それは、今まで何一つ欲しがらず、運命の流れに身を任せて怠惰に生きてきた『甘ったれで面倒くさがりな一般人』が、初めて自分の意志で、この狂った世界のシナリオに抗おうと牙を剥いた瞬間だった。
暫く持病の鬱が下降気味だったのと文才が枯れ果ててましたが、ふと湧いた文章でリハビリしようかなと思いました。