やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか   作:星乃 望夢

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PHASE-97 キラ・ヤマトの輪郭

 

 ユーラシア大陸の中央部、AEUの構成国の一つ、北・東・南を人革連という巨大な軍事大国に三方から包囲された陸の孤島、カザフスタン領。

 

 その荒涼たる大地で、突如として歴史の潮流を物理的にねじ曲げるような世界的放送が行われた。

 

「我々は本日、この地において古き腐敗した鎖を断ち切り、真なる平和と叡智による統治を掲げる新国家『ファウンデーション王国』の建国をここに宣言する」

 

 豪奢な玉座から全世界へ向けて威風堂々と建国を宣言したのは、女王アウラ・マハ・ハイバル。

 

 コーディネイターをも凌駕する人類の新たなる先導者『アコード』を自称する彼らは、その優位性と野望を隠すことなく、極めて綿密に計算されたタイミングで独立という名の狼煙を上げたのだ。

 

 建国宣言の放送終了とほぼ同時刻、地球圏の全主要国家(大西洋連邦、人革連、AEU、プラント、そしてオーブ連合首長国)の政府首脳宛てに、ファウンデーション王室からの公式な書簡が一斉に送信された。

 

 そこに記されていたのは、単なる独立の報告ではなく、周到に用意された極めて痛烈な「建国の正当性」と「旧宗主国への決別」であった。 

 

 書面に綴られた建国理由の要約は、以下の通りである。

 

 

 一、旧体制との決別と理念の浄化

 現在のユーラシアは、長きにわたり『ブルーコスモス』という狂信的テロリスト集団の巣窟と化しており、その思想的腐敗は国家の根幹を蝕んでいる。これ以上の隷属は、我がファウンデーションの国益を著しく損ない、国際社会における信用と尊厳の完全なる失墜を意味する。

 

 二、国民の総意に基づく独立

 我々は、血塗られた妄執を排し、理性的かつ平和的な社会の構築を渇望するカザフスタン領民の絶対的な支持と総意を受け、正当なる権利として独立を決意した。

 

 

 表向きは、狂気に満ちた大西洋連邦やユーラシア連邦のブルーコスモス派閥を見限り、「清廉潔白な平和国家」として立ち上がるという美しい大義名分である。

 

 だが、その裏に隠された真の意図は、大国同士が牽制し合い、軍事バランスが極度に不安定化している現在のゼロサムゲームの隙を突き、大国が手出しできない「聖域」をユーラシアの中央に強引に作り出すという、極めて傲慢かつ冷徹な生存戦略であった。

 

しかし、各国の首脳陣を最も驚愕させ、同時に背筋を凍らせたのは、その美辞麗句の羅列の末尾に、まるで当然の権利であるかのように記されていた「最後の一文」であった。

 

 

 三、オーブ連合首長国との不可侵にして絶対なる連帯

 我がファウンデーション王国王室王女イングリット・トラドールは、オーブ連合首長国国防軍最高軍事顧問、キラ・ヤマト准将への婚姻をここに正式に申し込むものとする。

 

 

それは、外交の常識を根底から覆す、前代未聞の一方的な「政略宣言」であった。

 

 まだ水面下の交渉段階であるべき王族の婚姻を、あろうことか建国の公式文書に盛り込み、全世界の監視下に晒すという暴挙。

 

 その意味するところは、あまりにも巨大で悪辣な「盾」の構築である。

 

 現在、世界中が最も恐れ、同時に最も手出しをしてはならない存在──大西洋連邦の大艦隊を文字通り壊滅させ、世界最強の武力と知の頂点に君臨する『白銀の英雄』キラ・ヤマト。

 

 ファウンデーションは、自国の王女をその英雄の「婚約者」として世界中に既成事実化することで、「我々に牙を剥くことは、オーブ連合首長国およびキラ・ヤマトを完全に敵に回すことと同義である」と、全方位に対して最強の恫喝を行ったのだ。

 

 上も横も下も人革連に囲まれた、軍事的には極めて脆弱な陸の孤島。

 

 そこへ大国が侵攻を踏みとどまるには、「オーブの英雄が後ろ盾にいる」という圧倒的なブラフが絶対に必要だった。アウラやオルフェらアコードたちは、自分たちの「失敗作」と見下していたキラ・ヤマトの威光を、己の建国と安全保障のための最高級の「生贄の羊」として利用する道を選んだのである。

 

 だが、この傲慢な計算式には、彼ら自身が気づいていない決定的な致命傷が潜んでいた。

 

 彼らが「都合の良い駒」としてオーブに送り込んだはずのイングリット・トラドールは、すでにアコードの呪縛を捨て去り、心身ともにキラ・ヤマトの完全な庇護下──彼を愛する「女」としてその腕の中に囲われているという事実。

 

 大国を欺き、世界を操っていると盲信する新興国家ファウンデーションの建国劇。

 

 それは皮肉にも、南太平洋の島国で冷徹に盤面を見下ろす若き将軍にとって、彼らの命運をいついかなる時でも握り潰せるという「勝利条件」を自ら差し出してきたに等しい出来事であった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ファウンデーション王国が放った「王女イングリットとオーブ最高軍事顧問キラ・ヤマトの婚姻」という特大の政治的爆弾。 

 

 これを受けた他国の首脳陣が真っ先に抱いた感情は、驚愕と、そして「ならば我が国も同じ手法を取れば良いのではないか」という極めて単純な対抗策であった。 

 

 世界最強の英雄を自陣営に引き込むためなら、見目麗しい王女や令嬢を送り込むことなど、国家戦略としては最も安上がりで古典的な手だ。

 

 だが、彼らがそのカードを切ろうとした瞬間、いくつもの『越えられない壁』が存在することに気づかされることとなる。

 

 まず、ファウンデーション王国の王室たる「ハイバル家」が持つ血筋の重さである。

 

 彼らの血脈は、はるか歴史の彼方、ユーラシア大陸を席巻した『キプチャク・ハン国』の時代にまで遡るとされる、極めて由緒正しき名門の家系なのだ。

 

 対して、現在の超大国である大西洋連邦は、強大な経済力と軍事力こそ持てど、歴史の浅い国家群であり、そのような「世界を納得させるだけの古い血筋」を持ち合わせていない。

 

 ならば、歴史と伝統を誇るAEUの王侯貴族ならどうか。

 

 事実、彼らはユーラシア連邦時代から血眼になって同年代の美しい少女、少し歳上の妖艶な女性、あるいは庇護欲をそそるような可憐な少女など、あらゆる年齢層・タイプの女たちをオーブへ差し向けようと試みていた。

 

 しかし、それらはすべて第二の壁によって無惨に弾き返されていた。

 

 オーブ連合首長国は、最高軍事顧問であるキラ・ヤマトに対する「一切の政治的面会」を原則として拒絶している。

 

 彼の時間が国家の最高機密に直結するという名目もあるが、何より「キラ・ヤマト本人の意志が働かない限り、どれほどの権力者や絶世の美女であろうと、面会すら叶わない」という絶対的な防護壁が敷かれているのだ。

 

 その分厚い壁の中で、唯一の『例外』となったのがイングリットだった。

 

 彼女は元々、ユーラシア側の財団特使という公的な立場でオーブに赴き、そこでキラ・ヤマト本人が「面会を了承した」ことで、彼のパーソナルスペースへと足を踏み入れることを許されたのである。

 

 そして何より、他国が政略結婚のカードを諦めざるを得なかった最大の決定打が、オーブで開かれた『准将就任披露パーティ』での光景だった。

 

 各国の要人やメディアのカメラが注視する中、キラ・ヤマトの傍らには、すでにイングリットの姿があった。

 

 彼女はきらびやかに着飾って英雄の隣で媚びを売るのではなく、まるで主君の背中を護る『忠誠を誓った騎士』のように、静かに、しかし凛とした佇まいで彼の傍に控えていたのだ。その気高く美しい姿は、瞬く間に全世界へと知れ渡っていた。

 

 世界中の大衆とメディアは、この事実を極めてロマンチックに解釈した。

 

「あの白銀の英雄は、決して顔の美しさや血筋の良さだけで伴侶を選んだのではない。自らに絶対の忠節と真心を見せたあの少女の『気高い魂』に惹かれたのだ」と。

 

 奇しくも、その少女が由緒正しき血脈を持つファウンデーション王国の王女であったという事実。

 

 それはもはや、生々しい政略結婚などではなく、まるでどこぞの恋愛ドラマか、あるいは神話に描かれる『英雄と忠実なる姫騎士のシンデレラストーリー』そのものとして、人々の目に熱狂的に映ったのである。

 

「──オーブの英雄は、ファウンデーションの王女と真実の愛で結ばれている」

 

 この強固な認識が世界中に広まってしまった以上、他国が今さら「もっと若くて可愛い令嬢を」などと割り込もうとすれば、英雄の純愛を引き裂こうとする三流の悪役として、国際的な非難と軽蔑を一身に浴びることになる。誰もそのリスクは冒せない。

 

 結果として、ファウンデーションの「英雄を盾にする」という目論見は、皮肉にも世界中の民衆が抱いたロマンチックな幻想によって、絶対に壊せない最強の防波堤として完成してしまった。

 

 アウラやオルフェたちアコードは、「我々の完璧なシナリオ通りだ。あの失敗作を上手く利用してやった」と、自らの知略に酔いしれていることだろう。

 

 だが、真実はまったく違う。

 

 イングリットが彼に付き従っていたのは、計算でも演技でもなく、己の心の底からキラ・ヤマトという少年に惹かれ、すべてを委ねた結果の『本物の忠誠と愛』なのだ。

 

 そしてキラもまた、ファウンデーションの目論見など最初からすべて見透かした上で、あえてこの「シンデレラストーリー」を世界に信じ込ませ、イングリットを己の手元に囲い込むための盤面を完璧に整えていたのである。

 

 世界も、そして自らを神と騙るアコードたちすらも気づいていない。

 

 この世界規模の壮大な恋愛劇の裏で、すべての糸を引いている絶対的な勝者が誰であるかということに。

 

 

◇◇◇

 

 

「まぁ、あんな周りが四面楚歌みたいな立地なのは同情するが……中々こっすい手を使うなぁ、あのファウンデーションとかいう新興国は。で? どーするんだ、キラ。この要求、受けるのか?」

 

 オーブ行政府の代表執務室。カガリ・ユラ・アスハは、ファウンデーションから届いた仰々しい紋章入りの公式書面をひらひらと摘み上げ、呆れたようにため息をついた。

 

 ユーラシアのど真ん中、周りを完全に人革連に囲まれた陸の孤島という絶望的な立地を思えば、藁にもすがる思いで「オーブの英雄の威光」を盾にしたくなる気持ちは為政者として理解できなくもない。

 

 だが、王女の婚姻という極めてデリケートな私事を、建国の公式宣言という最も目立つ舞台で、あまつさえ相手の承諾も得ずに既成事実化しようとするその手口は、政治的駆け引きとしてはあまりにも強引で、狡猾極まりないものだった。

 

 その言葉を聞いて、書類から顔を上げたキラは、困ったような、しかしどこか余裕を含んだ苦笑いを浮かべた。

 

「イングリットの身の安全と立場を完全に保証するには、むしろその方が都合が良いからね。……向こうから彼女を正式に差し出してくれるなら、僕は喜んで引き取るよ」

 

 キラのその言葉には、一切の迷いがなかった。

 

 ファウンデーションのアコードたちが、イングリットを己の安全保障のための「便利な盾」あるいは「捨て駒」としてしか見ていないことは明白だ。

 

 だからこそ、彼女を『オーブの最高軍事顧問の婚約者』として世界的に認知させてしまえば、もはやオルフェたちでさえ彼女に指一本触れることはできなくなる。

 

 これは、イングリットを彼らの軛から完全に解き放つための、最も確実で合法的な強奪でもあった。

 

「キラ……」

 

 その揺るぎない言葉に、傍らに控えていたイングリットは、感極まったように甘い吐息を漏らした。

 

 アコード特有の精神感応で心を読まずとも、彼の声の響き、瞳の温度、そして纏う空気のすべてから、自分がどれほど深く求められ、大切に想われているかが痛いほど伝わってくる。

 

 彼女は、まるで主君にすがるような、あるいは愛しい伴侶に甘えるような仕草で、キラの広い肩にそっと身を預けた。

 

 キラもまた、その細い肩を優しく抱き寄せると、彼女の流れるような美しい青髪を、愛おしげに、そして独占欲を示すようにゆっくりと手で梳いていく。

 

「あー……もう。お前たち、私の執務室で堂々とイチャつくな」

 

 その光景を目の前で見せつけられたカガリは、わざとらしく不満げな声を上げると、執務机を回り込み、ズンズンと二人の元へ歩み寄った。

 

 そして次の瞬間、彼女はオーブの国家元首という立場も忘れたかのように、キラの空いている方の膝の上に、ドカッと豪快に寝転がったのだ。

 

「カ、カガリ……っ!?」

 

 突然の乱入者にイングリットが目を丸くする中、カガリはキラの膝枕を存分に堪能するような体勢で、下から恨めしそうに双子の弟を見上げた。

 

「私も撫でろ。お前、最近イングリットばかり甘やかしていて、不公平だぞ」

 

 その口調は、まるで拗ねた子供のようでありながら、同時に彼のすべてを自分も共有しているのだという、絶対的な正妻としての揺るぎない自信に満ち溢れていた。

 

 一国の代表の顔から、ただの「愛されたい一人の少女」へと戻ったその無防備な姿に、キラは思わず吹き出しそうになるのを堪えた。

 

「はいはい。代表サマは本当に甘えん坊だなぁ」

 

 キラはクスリと笑うと、イングリットを抱き寄せていたのとは逆の手を伸ばし、カガリの燃えるような金髪にも優しく指を這わせた。

 

 サワサワと手櫛を通しながら、その柔らかな頭を丁寧に撫でてやる。

 

「……ん。悪くない」

 

 カガリは気持ちよさそうに目を細め、喉を鳴らす猫のようにキラの手にすり寄った。

 

 右の肩には、彼に絶対の忠誠と純愛を誓う美しき青髪の騎士。

 

 そして左の膝には、彼と共に国を背負い、誰よりも深い絆で結ばれた金髪の若き獅子。

 

「フフッ……カガリ様は、本当にキラのことがお好きなんですね」

 

 イングリットが、その微笑ましい光景に毒気を抜かれたようにクスクスと笑うと、カガリは少しだけ頬を朱に染めながら「当然だ! こいつは私の半身だからな!」と強がってみせた。

 

 窓の外には、傷跡を癒やし、新たな希望に向かって力強く復興を進めるオーブの青い空と海が広がっている。

 

 世界がどれほど策謀と狂気に塗れようとも、この小さな執務室の中だけは、誰も侵すことのできない絶対的な安息と、温かな愛の熱に満ちていた。

 

「……ふふっ」

 

 イングリットの口から、自然と小さな笑い声がこぼれた。

 

 アコードとして育てられ、感情を殺して役割を演じることだけを強いられてきた彼女にとって、このオーブの中枢にある「優しさと温もり」は、あまりにも眩しく、そして心地の良いものだった。

 

 ファウンデーションのオルフェやアウラは、今頃「してやったり」とほくそ笑んでいることだろう。自分たちの送り込んだ駒が、オーブの英雄を上手く監視し、操っているのだと。

 

 だが、現実はこれだ。

 

 彼女は今、世界の運命を握る双子の姉弟と共に、ただの等身大の少女として、何より温かな陽着だまりの中で穏やかな時間を共有しているのである。

 

「もう。カガリったら、一国の代表首長がそんなところで無防備に寝転がってていいの?」

 

 キラは苦笑しながらも、膝の上のカガリの黄金色の髪に優しく指を這わせ、丁寧に手櫛で梳いていく。

 

 その心地よい感触に、カガリは目を細め、えへへとだらしなく笑った。

 

「いいんだよ。今は執務の合間の休憩時間だし、何よりここは、私の世界で一番安全な特等席だからな。……それに、イングリットばかりズルい。私だって、キラに甘えたい時はあるんだぞ」

 

「はいはい、わかってますよ」

 

 キラは、右腕で自身の肩に寄り添うイングリットの柔らかな青髪を撫で、左手で膝の上のカガリの金髪を撫でる。

 

 まったく違う立場で、まったく違う運命を背負ってきた二人の少女。

 

 しかし、キラにとってはどちらも絶対に手放せない、己の魂を預け合う大切な半身たちだ。

 

「それにしても、ファウンデーションの奴らも間抜けだな。こんなに良い子を、わざわざ自分たちから私たちの手元に送ってくれるなんて。……なぁ、イングリット。あんな国より、ずっとオーブに居ればいい。私が代表として、お前の居場所は絶対に保証してやる」

 

 下からキラを見上げたまま、カガリはイングリットに向けてウインクをして見せた。

 

 その頼もしくも温かい言葉に、イングリットは目頭が熱くなるのを感じた。

 

「カガリ様……」

 

 遺伝子で作られた絆などではない。互いの心と心が惹き合い、結びついた本物の絆が、ここには確かに存在していた。

 

「さて……」

 

 カガリとイングリットを優しく撫でながら、キラはデスクの上の「ファウンデーション建国宣言」の書面に、静かに冷徹な視線を落とした。

 

「向こうが『婚約』を大々的に発表してくれた以上、これを利用しない手はない。カガリ、行政府としての公式な『受諾声明』と同時に、オーブからファウンデーションへの『過剰なまでの友好的な外交アピール』を準備してほしい」

 

「過剰なまでの? どういうことだ?」

 

 カガリが不思議そうに首を傾げると、キラは為政者としての氷のような、しかしひどく美しい笑みを浮かべた。

 

「世界中に向けて、『オーブはファウンデーションと運命を共にする』と錯覚させるんだ。……そうすれば、人革連や大西洋連邦は、ファウンデーションに迂闊に手出しできなくなる。オルフェたちの思惑通りにね」

 

「だが、それではあいつらの良いように使われるだけじゃないか?」

 

「違うよ、カガリ。……『生殺与奪の権』を僕たちが握るってことさ」

 

 キラの指先が、カガリの頬をツンと突く。

 

「彼らの国家の安全保障は、今や『僕たちのご機嫌次第』に依存する形になった。もし彼らがオーブの意に反する真似をしたり、イングリットを少しでも傷つけるような素振りを見せれば……僕たちが『婚約破棄』を突きつけるだけで、彼らの国は一瞬にして周辺大国の餌食になる」

 

 つまり、ファウンデーションは「キラ・ヤマトを盾にした」つもりが、完全に「キラ・ヤマトに首輪を繋がれた」のである。

 

「なるほどな……。あいつら、自分から最高の自爆スイッチを私たちに預けてきたってわけか。ほんと、お前は怒らせると一番怖い男だよ」

 

 カガリは呆れたように笑い、イングリットもまた、自分を縛っていた傲慢な創造主たちが、愛する少年の手のひらの上で完全に踊らされている事実に、胸のすくような痛快さを覚えていた。

 

「僕の大切な人たちを利用しようとするなら、それなりの代償は払ってもらわないとね」

 

 キラは優しく二人の髪を撫で続ける。

 

 世界がどれほど策謀と野望に塗れようとも、この執務室の温かな平穏だけは、彼がその身と知略のすべてを懸けて、絶対に守り抜いてみせる。

 

 若き英雄の静かで強固な決意が、二人の少女を温かく包み込んでいた。

 

 カガリが少しばかり唇を尖らせて拗ねてみせるのも、無理からぬことであった。

 

 なんというか、キラ・ヤマトとイングリット・トラドールという二人は、根本的な性格の相性が良すぎるのだ。

 

 普段のキラは、カガリやラクスの前ではどこか少年らしさを残し、彼女たちの母性や包容力に「甘える」ことが多い。

 

 重責を背負いながらも、ふとした瞬間に寄りかかってくるその不器用な姿に、カガリたちは絆と愛おしさを感じている。

 

 だが、ことイングリットに対してだけは、キラの態度は完全に逆転する。

 

 彼女が抱える自己犠牲の精神や、道具として扱われてきた過去の傷跡を誰よりも理解しているキラは、彼女に対してはどこまでも甘く、徹底的に甘えさせる態度を取るのだ。

 

 そして、生まれてから一度も無条件の愛情を受けたことのなかったイングリットは、そのキラの底なしの甘やかしと熱に、文字通り骨抜きにされていた。

 

 実際、ここ最近の夜の営み事情において、キラと最も多く肌を重ね、その熱い情熱を注ぎ込まれているのは、ラクスでも、カガリでも、ミナでも、マユラでもなく、間違いなくこのイングリットであった。 

 

 アコードとしての役割から解放された夜、彼女はただひたすらにキラの愛を求め、キラもまた、彼女のすべてを溶かして己のものに塗り替えるように、幾度となく深く愛し合っている。

 

 普通の女たちの集まりであれば、ここで当然「嫉妬」や「正妻戦争」というドロドロした愛憎劇が勃発してもおかしくない。

 

 一番寵愛を受けているイングリットが、その事実を盾にして他の女たちにマウントを取ろうものなら、瞬く間に修羅場と化すだろう。

 

 しかし、イングリットはそんな真似を微塵も考えない、あまりにも健気で「良い子」すぎた。

 

『私のような者が、キラの側にいられるだけで……皆様の末席に加えていただけるだけで、身に余る幸せなのです』

 

 彼女はいつもそう言って、ただキラからの愛情の余韻に頬を染め、控えめに、しかし心底幸せそうに微笑むだけなのだ。

 

 自分は元々、ファウンデーションから『道具』として、ハニートラップのために遣わされた身。

 

 そんな自分を、彼らは咎めるどころか、温かく迎え入れてくれた。

 

 その恩義と自身の出自への引け目が、彼女を徹底して謙虚にさせている。

 

 そんな彼女の姿を見て、カガリの中に湧き上がるのは、嫉妬などというちっぽけな感情ではなかった。

 

(……ほんと、不憫で可愛い奴なんだから、こいつは)

 

 カガリはキラの膝枕の上でゴロゴロと体勢を変えながら、自分の顔を覗き込んでいるイングリットの頬を、ツンと指先で突いた。

 

「あっ……カガリ様?」

 

 不思議そうに目をパチクリとさせるイングリットの反応がいちいち初々しくて、カガリは思わずクスリと笑みをこぼす。

 

 親に愛されず、国から道具として扱われ、敵国の将軍を誘惑するための捨て駒にされた少女。

 

 そんなお労しい生い立ちを持つ妹分が、今ようやく自分の本当の居場所と愛を見つけて、幸せに打ち震えているのだ。

 

 オーブの獅子であり、本来ひどく面倒見の良い姉御肌であるカガリからすれば、嫉妬よりも「この健気な子を、もっと幸せにしてやらなきゃな」という強烈な『庇護欲』の方が勝ってしまうのは、もはや必然であった。

 

 それはラクスやミナたち他の女性陣とて同じことだ。「愛する男を共有する」という特殊な関係性の中にあって、イングリットのその純粋さと健気さは、奇跡的なまでにこのいびつな円卓に調和と平穏をもたらしていた。

 

「……なぁ、イングリット」

 

「はい、なんでしょうか」

 

「キラにばっか甘えてないで、たまには私にも甘えていいんだぞ。お前はもう、ただのファウンデーションの王女じゃない。オーブの大切な家族なんだからな」

 

 カガリが男前な笑顔でそう告げると、イングリットはパッと顔を輝かせ、大きな瞳に涙を浮かべた。

 

「カガリ様……っ! はい、ありがとうございます……!」

 

 心から嬉しそうに頷くイングリットの頭をカガリが撫で、その二人をキラが愛おしそうに見つめながら両手で抱きしめる。

 

 為政者としての重圧も、世界を取り巻く狂気も、この甘く温かい絆の前では無力だ。

 

 キラ・ヤマトを中心に結ばれたこの奇妙で優しい家族の形は、世界中のどんな謀略よりも強固に、そして絶対的な愛の引力で結びついていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 ワシントンD.C.、大西洋連邦政府のホワイトハウス。

 

 大統領執務室に集められた政府高官や軍の上層部たちは、つい数日前まで、南太平洋の小国オーブに毟り取られた天文学的な「ゴミ掃除の請求書」の話題で持ちきりであり、オーブに対する怨嗟と憎悪の声を腹の底から吐き出していた。 

 

「忌々しいアスハめ! 我々の顔に泥を塗った上に、国家予算を削り取るとは!」

 

「二度とあの国とは関わらん! 経済制裁で干上がらせてやる!」

 

 そんな負け犬の遠吠えにも似た怒号が飛び交っていた、まさにその矢先のことである。

 

 オーブ連合首長国代表、カガリ・ユラ・アスハの名で、一通の極秘の外交親書が大西洋連邦政府へと届けられたのだ。

 

 そこに記されていた内容に、先ほどまで怒りで顔を真っ赤にしていた大統領と高官たちは、文字通り目を剥いて言葉を失った。

 

『ニュートロンジャマーキャンセラーの生産に必要なベースマテリアルを大西洋連邦から提供することを条件に、オーブは貴国に対して優先的にNJCの完成品を供給・ライセンス供与する用意がある』

 

 ──Nジャマーによって地球上の核分裂エネルギーが完全に封じられ、深刻なエネルギー危機と大規模なブラックアウトに苦しみ続けてきた大西洋連邦。

 

 彼らがブルーコスモスの暴走を黙認し、オーブ侵攻を容認した最大の理由こそが、この「NJCデータ」の奪取であった。

 

 それが今、向こうから「優先的にくれてやる」と持ちかけてきたのだ。

 

 ただし、そこには極めて合理的でしたたかな理由が存在した。

 

 オーブはNJCの製造技術(ソフトウェアと設計)こそ独占しているが、いかんせん国土の狭い南太平洋の小さな火山島である。NJCの量産に不可欠なベースマテリアルの国内埋蔵量などたかが知れており、オーブが掲げる「世界中にNJCを配り、エネルギー危機を終わらせる」という壮大な計画を実現するには、物理的な資源量が圧倒的に足りていなかったのだ。

 

 そして皮肉なことに、そのベースマテリアルが地球上で最も豊富に埋蔵されている地域こそが、広大な北米大陸を領土とする大西洋連邦なのである。

 

「……た、直ちにオーブへ返書を送れ!!」

 

 沈黙を破った大統領の絶叫が、執務室に響き渡った。

 

「ベースマテリアルの採掘権でも輸送ルートでも、何でもくれてやれ! オーブの要求には全面協力だ! 何としてもNJCの優先供給枠を勝ち取れェ!!」

 

「は、はいっ! 直ちに特別外交使節団を編成いたします!」

 

 数分前まで「オーブを干上がらせる」などと息巻いていた高官たちは、見事なまでの『手の平コークスクリュー』を決め、満面の作り笑いを浮かべながらオーブへの擦り寄りを開始した。

 

 莫大な賠償金による心象の悪化など、国家の命運を左右する無尽蔵のエネルギー源の前では、チリ紙ほどの価値もなかったのだ。プライドをドブに捨ててでも、その手を取る以外の選択肢は存在しなかった。

 

「……ふん。見ろ、ホムラ叔父上。言った通りだろう。連中、尻尾を千切れるほど振ってすり寄ってきたぞ」

 

 一方、オーブ行政府の代表執務室。

 

 カガリは大西洋連邦から即座に送られてきた『全面協力と永遠の友好を誓う』という、あまりにも露骨でご丁寧な返書をデスクに放り投げ、悪戯っぽく鼻で笑った。

 

「見事なものですね、代表。大国のプライドをへし折り、賠償金を毟り取った直後に、今度は向こうの資源を使ってこちらの製品を作らせる。しかも、連中はそれに感謝すらしている」

 

 執務机の脇に立つホムラが、感心したように眼鏡の位置を直す。

 

 その後方では、前代表であるウズミが、娘の想像を絶する強欲かつ豪快な外交手腕に、腕を組みながら呆れたような、しかし誇らしげな笑みを浮かべていた。

 

「材料は相手に掘らせて、うちの工場で加工し、それを『世界を救うエネルギー』として相手に売りつける。……これで、大西洋連邦の首根っこは我々オーブが握ったも同然だな」

 

 カガリの隣でタブレットを操作していたキラが、NJCの供給ネットワークの構築図を確認しながら静かに言った。

 

「大西洋連邦がベースマテリアルの供給源としてオーブに依存する関係になれば、ブルーコスモスの残党が再び暴走しようとしても、連邦政府自身がそれを全力で弾圧するようになります。オーブを怒らせて供給を絶たれれば、彼らの国は完全に機能停止するんですから」

 

「ああ。戦争の根本的な原因を取り除きつつ、相手の牙を抜く。……最高に平和的で、最高にあくどい商売だろう?」

 

 カガリは自信に満ちた笑みを浮かべ、キラとハイタッチを交わした。

 

 かつて、理念のために自国を燃やすしかなかった小さな島国は今、圧倒的な「力」と「知恵」、そして泥を被ることを恐れない「強欲なまでの平和への意志」によって、世界最強の連邦国家すらも己の掌の上で踊らせていた。

 

 戦火の時代を終わらせるための、オーブという新しき覇権国家による容赦のない「経済とエネルギーの支配」が、ここに確立されたのである。

 

 

◇◇◇

 

 

 『ニュートロンジャマーキャンセラーの優先的供給』──。

 

 それは確かに、カガリ・ユラ・アスハ率いるオーブ新政権が大西洋連邦政府に対して約束した条項である。

 

 ベースマテリアルの採掘権と供給ルートの提供に対する正当な対価であり、大西洋連邦の首脳陣はこれでようやく自国が深刻なエネルギー危機から脱却できると歓喜の涙を流し、大いに溜飲を下げていた。

 

 しかし、オーブが提示した外交文書には、いかにも狡猾で抜け目ない為政者らしい、巧妙な言葉の罠が仕掛けられていた。

 

 約束したのはあくまで「優先的」な供給であり、「絶対的」でも「最優先」でもない、ということだ。

 

 オーブ国内──すなわち、南太平洋の火山島であるオノゴロ島地下に細々と埋蔵されていた僅かなベースマテリアル。そのすべてを掻き集め、モルゲンレーテの極秘ラインで昼夜を問わず生産された記念すべき「NJC第一号」。

 

 大西洋連邦の連中が「当然、我々の元に一番乗りで届くはずだ」とふんぞり返って待っていたその第一号機は、太平洋を渡ってワシントンへと向かうことはなかった。

 

 その代わりに、厳重な装甲コンテナに収められた第一号機は、ジャンク屋組合の輸送ルートを通り、ソロモン諸島から東アジアを横断して、人類革新連盟の心臓部、モスクワへと届けられていたのである。

 

 この鮮やかな「順番飛ばし」は、単なる大西洋連邦への意地悪や政治的ブラフではない。

 

 そこには、オーブという国が、そしてキラ・ヤマトという若き将軍が、最も重んじる「義」と「恩義」に対する最大級の返礼の意味が込められていた。

 

 時計の針を、あの地獄の『オーブ攻防戦』の数日前に戻す。

 

 大西洋連邦の巨大艦隊が南太平洋へ向けて侵攻を開始したのと同時期、ユーラシア連邦の西側──ブルーコスモスの狂信的な思想に染まり切った部隊が、オーブを背後から叩くため、大規模な軍事行動を起こしていた。

 

 その際、彼らの行く手を文字通り「鋼鉄の壁」となって阻んだ者たちがいた。

 

 当時、ユーラシア連邦の東側に駐留し、ティエレンに乗りながら不屈の闘志で国境線を守り抜いていた「雪熊の戦士」たち──現人革連の歴戦の部隊である。

 

 彼らは、オーブを背後から強襲しようとしたブルーコスモスシンパの大部隊を、ウラル山脈平原で真っ向から迎え撃ち、一歩たりとも敵を東へ通さなかったのだ。

 

 もし彼らがウラル山脈で敵を食い止めていなければ、ブルーコスモスの別働隊がオーブに直接的な圧力をかけ、あの絶望的な防衛戦の様相はさらに凄惨なものになっていた可能性が高い。

 

 彼らはオーブから援軍を要請されたわけではない。ただ、己の誇りと、ティエレンという偉大な鉄人を与えてくれた「恩人」の背中を守るために、自発的に血を流して戦い抜いたのだ。

 

 キラ・ヤマトが、この恩義に報いないはずがなかった。

 

 モスクワの軍事総司令部。

 

 人革連の最高幹部たちと、ウラル山脈の激戦を生き抜いた雪熊の戦士たちが見守る中、オーブから極秘裏に届けられた装甲コンテナが静かに開かれた。

 

 その中には、プラントや大西洋連邦が血眼になって求めている究極のエネルギー機関、NJCの完全な実働ユニットが、仄かな光を放ちながら鎮座していた。

 

 そして、そのユニットの傍らには、一通の封書が添えられていた。

 

 オーブの国章である黄金の獅子が刻印されたその手紙には、キラ・ヤマト准将直々の、彼らしい詩的で、しかし万感の思いが込められたメッセージが記されていた。

 

『親愛なる北の雪熊同志諸君。

先の戦において、我が国の背水を護るため、己の命と鋼鉄の盾を懸けてくれた貴官らの勇姿と義挙に対し、オーブ連合首長国を代表し、最大の感謝と敬意を表する。

危機を乗り越え、新たな明日へ向かって歩み寄る我が国は、その掛け替えのない恩義への礼品として、この地で産声を上げたNJCの「第一号」を、最も信頼する貴官らへと贈る。

このささやかな光が、長きにわたり闇に沈んでいたモスクワの街に、再び暖かな灯火と人々の笑顔を輝かせん事を、心より祈る。

オーブ連合首長国国防軍最高軍事顧問 准将キラ・ヤマト

──南太平洋の常夏の島より、大いなる敬意と愛を込めて』

 

 手紙が読み上げられた瞬間、モスクワの司令部には重く、そして熱い沈黙が降りた。

 

 あの、空飛ぶティエレンを造り上げ、大西洋連邦を完膚なきまでに叩き潰した世界最強の英雄。

 

 その彼が、自分たちのような前線の泥臭い兵士たちの働きを決して忘れず、世界中が渇望する宝の「第一号」を、大西洋連邦を差し置いて自分たちに届けてくれたのだ。

 

「……准将閣下……っ!!」

 

 モスクワの将兵たちの分厚い胸板が激しく波打ち、その厳つい顔から熱い涙がボロボロと溢れ落ちた。

 

 他の雪熊の戦士たちも、ある者は天を仰ぎ、ある者はティエレンのように無骨な拳を強く握りしめ、言葉にならない嗚咽と歓喜の声を上げていた。

 

 彼らにとって、このNJCは単なるエネルギー機関ではない。

 

 それは、遠く離れた南太平洋の島国で共に戦う「白銀の英雄」からの、絶対に揺るがない信頼と絆の証そのものであった。

 

「ウラー!! キラ・ヤマト准将に敬礼!! 我らが友なるオーブに、永遠の栄光あれ!!」

 

 司令部内に響き渡る万雷の歓声と、大地を揺るがすような一斉の敬礼。 

 

 その熱狂は、大西洋連邦が「優先的」という言葉に踊らされ、遅れて届くであろう第二号機以降のNJCに浅ましくすがりつく滑稽な姿とは、あまりにも対照的であった。

 

 オーブの若き為政者たちは、ただ強欲に賠償金を毟り取るだけではない。

 

 流した血と恩義には、世界が驚愕するほどの誠意と最高級の対価をもって必ず報いる。

 

 この鮮やかな外交手腕によって、人革連という巨大な大国は、もはや政治的な打算を超え、魂の底からオーブという国に絶対の忠誠と連帯を誓う「最強の雪熊」となったのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 欧州の地、AEUの議事堂は、静寂と死臭に近い閉塞感に包まれていた。

 

「我々は、世界という盤上の『観客』にすらなれていないのかもしれん」

 

 議長の一人が吐き捨てた言葉は、過半数の閣僚が抱く、そして隠し通せなくなった絶望であった。

 

 人革連は「救国の英雄」の恩義によってNJCを手に入れた。

 

 大西洋連邦は、賠償金を毟り取られようとも、NJCの供給網に組み込まれることで国家の存続を確保した。

 

 ファウンデーションは、英雄との婚姻という絶対的な「盾」を得た。

 

 では、AEUは?

 

 皮肉にも、オーブが掲げた「理性ある議会へのNJC供給」という免罪符だけが、この国の命綱となっていた。 

 

「ブルーコスモスを全排除すれば、NJCの供給は継続される。だが、ヘブンズベースのジブリールを排除すれば、国内の軍需工場はすべて爆破される。……詰みだ」

 

 彼らは、まさに窒息寸前の状態で、オーブと他大国の蜜月を遠くから眺めるしかなかった。

 

 何より深刻なのは、軍の「魂」の欠落である。

 

 かつて、欧州の空を守っていたベテランパイロットたちは、あの「ティエレンへの信仰」と「キラ・ヤマトという英雄への思慕」を、家族を連れて人革連へ持ち逃げした。残されたのは、無機質で冷たい鉄塊たる『フレック・グレイズ』と、まだ銃の握り方もおぼつかない士官学校の生徒たちだけだ。

 

「実戦経験のある傭兵やPMCも、ジブラルタルの防衛線に回している。だが全軍の絶対数がまるで足りん」

 

 士官が絞り出すような報告に、議会はただ重苦しく沈黙した。

 

 彼らが選んだ道は、「見て見ぬふり」という最も卑屈で、かつ生き残るための唯一の策だった。

 

 ジブリールが何を企もうが、ヘブンズベースで何を製造しようが、それについては「オーブや他国の介入を待つ」という他力本願の姿勢を貫く。

 

 万が一、ジブリールがオーブの逆鱗に触れれば、その時はオーブが「処分」してくれる。

 

 自分たちは、その「処刑」の現場で、ただ粛々と軍を再編し、学徒動員で揃えた頭数で、何とか平和の体裁だけを保つ。

 

 そうしてNJCの供給が止まらないよう、ひたすらオーブの顔色を伺い続ける。

 

「我々は、キラ・ヤマトに跪くのではない。……ただ、彼らが創る『新しい世界』の片隅で、静かに呼吸を許されることを望むしかないのか」

 

 それが、かつて欧州を支配していた誇り高き大国AEUが辿り着いた、あまりにも無惨な末路であった。

 

 彼らは知っている。もしここでジブリールに逆らって破滅するより、オーブの慈悲にすがり、世界から忘れ去られた存在として生き延びる方が、国家としては「マシ」なのだということを。

 

 だが、彼らが一つだけ計算を間違えていたことがある。

オーブは、そしてキラ・ヤマトは、AEUを「無視」しているわけではなかった。

 

「議長、オーブより、次期NJC運用のための『技術講習会』への招待状が届いております」

 

 秘書の言葉に、議場の空気がわずかに震えた。

 

 それは、オーブからAEUへの「直接の干渉」の始まりを意味していた。

 

 招待状の差出人は、例の「キラ・ヤマト准将直々」である。

 

「……拒絶の選択肢はあるのか?」

 

 議長の問いかけに、秘書は無言で首を横に振った。

 

 行けば軍事機密の一部を握られ、オーブの管理下に完全に組み込まれる。行かねばNJCの供給が「滞る」という暗黙の脅迫。

 

 AEUの「理性的議会」は、その招待状を前に、青ざめた顔で頷くしかなかった。

 

 続けて行われたのは現実的な物だった。

 

 巨大なホログラム・モニターに映し出されているのは、現在AEU軍の主力を辛うじて担っている量産機──『フレック・グレイズ』の稼働データである。

 

「機体の組み立て工程は従来のMSの半分以下。脚回りのレスポンスも極めて良好で、何よりあの特殊なナノラミネート系装甲の恩恵で、ビーム兵器に対しても『撃たれ強い』という破格の生存性を持っています。……防衛戦力としては、文句のつけようがない傑作機です」

 

 技術将校の報告は、極めて現実的で正しい評価だった。

 

 度重なる部隊の離反と熟練兵の流出によって、文字通り「丸裸」にされたAEUの国防。それを急場凌ぎとはいえ繋ぎ止めているのは、間違いなくこの安価で素早いフレック・グレイズの存在である。

 

 だが、議会や軍上層部の顔色は決して明るくない。

 

 フレック・グレイズは確かに「優秀な道具」ではあるが、致命的なまでに「華」が欠けていたのだ。

 

「……だが、これでは兵は集まらんのだよ」

 

 国防長官が、重々しい苦悩を吐き出した。

 

 無骨で、どこか作業用重機のようなシルエット。徹底的にコストダウンと機能性を追求したその姿は、生き残るためのゲリラ戦や拠点防衛には最適だが、国家の威信を背負う「シンボル」にはなり得ない。

 

 脱走兵が相次ぎ、士官学校の生徒まで前線に駆り出さざるを得ないほど落ち込んだ軍の士気。

 

 一度完全に軍部から関心が離れてしまった若者たちを再び惹きつけ、誇りを取り戻させるためには、見栄えが良く、誰もが憧れるような「AEU独自のシンボル的MS」の開発が絶対の急務であった。

 

「そして、これを見たまえ。先日のオーブ攻防戦のデータだ」

 

 長官がモニターを切り替えると、そこに映し出されたのは、両肩のスラスターを轟かせ、大気圏内を縦横無尽に飛び回る『空飛ぶティエレン』の姿だった。

 

「あの分厚い装甲の塊が、重力下で空を飛んでいる。……のみならず、ザフト軍もすでに空戦特化型の『ディン』や、SFSの『グゥル』を実戦投入し、MSの空中運用を標準化させている」

 

 議場に重い沈黙が降りた。

 

 それは、MS開発における明確なパラダイムシフトの瞬間だった。

 

 これからの時代のモビルスーツは、『単独で空を飛べること』が絶対の必須条件となる。

 

 地べたを這い回るだけの機体は、どれほど装甲が硬くとも、どれほど安価であろうとも、空からの立体的な飽和攻撃の前にはただの的でしかないのだ。

 

「欧州の誇る航空力学のすべてを注ぎ込め。ティエレンのような無骨な鉄塊ではなく、我々には『美しく、そして鋭い翼』が必要だ」

 

 AEUの上層部は、この日、国家の威信と残された莫大な軍事予算のすべてを懸け、極秘の次世代型モビルスーツ開発プロジェクトを立ち上げた。

 

 彼らが目指したのは、地を這う重装甲ではなく、空気を切り裂く「音速の騎士」である。

 

 ティエレンの「鈍重だが絶対に壊れない」というコンセプトとは真逆の、「被弾する前に敵を堕とす、空の支配者」。

 

 それは、かつてユーラシア大陸の西側で航空機産業を牽引してきた、彼らAEUの歴史とプライドそのものでもあった。

 

「……コードネームは、『ヘリオン』とする」

 

 技術開発局長が宣言したその名前は、どん底にあったAEUの議会に、わずかな、しかし確かな熱を帯びさせた。

 

「見栄え重視のプロパガンダ機だと嗤いたければ嗤うがいい。だが、若者たちに必要なのは、泥臭い現実よりも、空を舞う輝かしい英雄の姿なのだ」

 

 オーブが強大な政治力と技術力で世界を動かし、人革連が巨大な武力で大地を揺るがし、大西洋連邦が怨念を煮えたぎらせる中。

 

 世界の盤上の片隅で息を潜めていたAEUは、自らの首の皮一枚を繋ぎ止めながら、国家の命運を乗せた「美しき新たな翼」を密かに、そして執念深く研ぎ澄ませ始めていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 オーブ連合首長国から、人類革新連盟の心臓部たるモスクワへと極秘裏に届けられた『ニュートロンジャマーキャンセラー第一号』。

 

 その情報は、瞬く間に各国の諜報網を駆け巡り、世界中に激震を走らせた。

 

 大西洋連邦の首脳陣にとって、それはまさに寝耳に水の大失態であった。

 

 彼らは、ベースマテリアルの採掘権と供給ルートをオーブへ明け渡したことで、「当然、第一号機は我々に優先的に提供されるもの」と信じて疑わなかった。オーブの提示した「優先的」という外交辞令を、自国の経済力と資源力に対する絶対的な優位性の証明だと曲解していたのだ。

 

 だが、オーブの若き為政者たち、そして何よりその決定を下した最高軍事顧問キラ・ヤマトは、大国の傲慢な算盤勘定など最初から歯牙にもかけていなかった。

 

 この「順番飛ばし」の事実は、単なる外交上の駆け引きや意地悪という枠を越え、世界中にある決定的な「気づき」をもたらした。

 

 それは、これまで各国の首脳陣が、恐れ、欲し、同時に見誤っていた『キラ・ヤマトという人物の真の輪郭』である。

 

 これまで、大国はキラ・ヤマトを「圧倒的な力を持つが故に、いかようにも籠絡できるはずの若き神童」として扱おうとしてきた。

 

 大西洋連邦は莫大な資金と軍需産業の闇のパイプを通じて彼をビジネスパートナーとして縛り付けようとした。

 

 AEUやその他の国家は、由緒正しき血統や見目麗しい王女・令嬢を差し出すことで、肉体的な色香や「英雄の伴侶」というロマンチックな称号を与え、彼を絡め捕ろうとした。

 

 ファウンデーションのイングリットの件が、その最たる例であると世間は解釈していた。

 

 つまり、彼らは「金」「権力」「女」という、為政者を縛るための古典的かつ絶対的な三種の神器を用いれば、オーブの至宝は容易にこちらへ傾くと盲信していたのだ。

 

 しかし、キラ・ヤマトが示した天秤の傾きは、そのどれでもなかった。

 

 彼が世界で最も渇望されている第一号機を贈った相手は、大金を積んだわけでも、美女を差し出したわけでもない。

 

 ただ、オーブが南太平洋で絶望的な防衛戦を強いられていたあの時、誰に命じられるでもなく、極寒のウラル山脈でブルーコスモスの別働隊を食い止め、自発的に血を流して「オーブの背中を守り抜いた」人革連の泥臭い前線兵士たち──『雪熊の戦士』であった。

 

 この事実は、世界のパワーバランスを根底から揺るがす強烈なメッセージとなった。

 

『あの少年は、大国の脅しにも、莫大な富にも、甘い誘惑にも決して屈しない。だが、友として血を流し、義によって立ち上がった者への「恩義」に対しては、世界を敵に回してでも、最高級の「誠実さ」をもって必ず報いる』

 

 為政者として見れば、これはある意味で最も厄介で、最も恐ろしい性質である。

 

 なぜなら、キラ・ヤマトを動かすのは「利益」ではなく「心義」であると世界に知らしめたからだ。損得勘定で動く相手なら交渉の余地がある。

 

 しかし、「義」という目に見えない価値観を最優先する相手には、小手先の謀略など一切通用しない。

 

「……恐ろしい男だ。たった一つのコンテナをモスクワに送っただけで、人革連という超大国を、政治的な同盟関係ではなく、魂レベルの『絶対的忠誠を誓う狂信的な友』へと変えてしまったのだからな」

 

 大西洋連邦のある高官は、唇を噛み締めながらそう呻いた。

 

 彼らは理解したのだ。

 

 キラ・ヤマトという16歳の少年は、ただの心優しい子供でも、力に溺れた破壊神でもない。

 

 流された血と恩義の重みを誰よりも深く理解し、それに報いるためには大国のプライドすら容赦なくへし折る。

 

 冷徹なまでの計算と、燃えるような情熱を併せ持つ、底知れぬ器の底力を持った「真の王」なのだと。

 

 

 

 




クロッシングで繋がった所為か。カガリが悪代官か越後屋みたいな悪の商売人に覚醒しそうなのなんで?

いや武装中立国家の国家元首だからそれくらい強かじゃないとやってらんないだろうし、請求書叩きつけられた大西洋連邦は残当である。

ホント、イングリットとキラは放っておくといつまでもフフ、セッ!してそうで危うい、でも周りからはしあわせになれと微笑ましく見守られるイングリットはマジ一人勝ち大勝利UCなのである。


しっかし長々として申し訳ないのであるが、やっぱり世界情勢が動くパートは筆が進む。

何がどう動いて連鎖反応起こして世界が変わるのかというのを無理のないレベルで想像するのは楽しい。

人革連爆誕とそれにつられてAEU誕生は想定してないよぉ!!


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