やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか 作:星乃 望夢
モルゲンレーテ本社の地下最深部、限られた者しか立ち入ることを許されないそこには、一人の少年が『虚憶』の底から引きずり出し、形を持たせた「オーブ絶対防衛の要」が静かに眠りについていた。
キラ・ヤマトがまだオーブ軍三尉という若き階級にあった頃、極秘裏に軍上層部へと提唱した国防計画──『イージス計画』。
その本質は、他国を侵略するための外征兵器ではなく、いかなる狂気の炎からもオーブという国、ひいては人々の日常を守り抜くための「本土国防装備の積極的な拡充」に他ならなかった。
計画の第一段階として構築されたのが、軌道上のアメノミハシラ、そして資源衛星ヘリオポリスといった重要拠点を丸ごと覆い尽くす広大なエネルギーフィールド『イージスの盾』である。
そして本土防衛の要を担うべく開発されたのが、二機の砲戦型人型機動兵器──『ランドグリーズ』と『ラーズアングリフ』であった。
かつてキラの虚憶に刻まれていた別次元の兵器群であるこれら「ヴァルキュリアシリーズ」がオーブの主力量産機として採用された理由は、極めて合理的だった。
この2機は、現在オーブで復興作業から防衛まで幅広く運用されている作業・戦闘用MS『ティエレン』と同じくモジュールブロック構造を採用して設計されていたのだ。
これにより、ティエレンの生産ラインや整備ノウハウを流用しつつ、純粋な上位互換としての圧倒的な重装甲と重火力を実現。
オーブの海岸線に並び立つこれら機体の砲列は、海からのいかなる上陸部隊をも寄せ付けない鋼鉄の防波堤として機能する。
だが、キラの眼差しはさらに先の、途方もない絶望を見据えていた。
大西洋連邦が開発を進めているとされる、全高40m級の戦略拠点殲滅用巨大MS『デストロイ』。
陽電子リフレクターを張り巡らせ、都市を丸ごと更地にするあの怪物が投入されれば、いかにランドグリーズの砲火をもってしても本土への被害は免れない。
通常サイズのモビルスーツでは、質量と出力の壁を越えられない。
ならば、怪物を捻じ伏せるための、より巨大で圧倒的な**特殊人型機動兵器──『特機』が必要となる。
かくして、大型機動兵器『ジガンスパーダ』を試金石とする雛形を経て、オーブの地下格納庫に一つの「機械神」が産声を上げたのである。
「……デカい。いくらなんでも、デカすぎだろ、コイツ……」
薄暗い格納庫の中で、首が痛くなるほど見上げた先にある威容に、トール・ケーニヒは思わず息を呑んで呟いた。
全高──70m級。
背中の巨大な武装プラットフォームを含めても全高50m強のデストロイを、さらに一回り以上も見下ろす絶望的なまでの超巨体。
赤と白、そしてアクセントの黄色に彩られたその角張ったフォルムは、洗練されたモビルスーツというよりも、意思を持った移動要塞そのものであった。
これこそが、オーブが世界に誇る絶対防衛の切り札、特機『ジガンスクード』。
その最大の特徴は、両腕に装備された巨大な盾『シーズユニット』である。
このシールド単体の中に、大出力のエネルギーフィールド発生器とパワーエクステンダーが内蔵されており、ジガンスクード本体が展開するエネルギーフィールドと強固に同期・重縮合することで、物理・ビームを問わずあらゆる攻撃を無効化する。
この堅牢無比な多重バリアを正面からぶち抜ける機動兵器は、現在の地球圏には存在しない。
それこそ、プラントが有するガンマ線レーザー砲『ジェネシス』の直撃でも受けない限り装甲は破られず、仮に受けたとしても「中のパイロットが致死的なガンマ線で弾け飛ばない限り、機体自体は絶対無敵の機械神としてそこに立ち続ける」とさえ評されるほどの異常な防御力を誇っていた。
しかし、この世界に顕現したジガンスクードは、キラの虚憶にあるオリジナルの姿とは少々異なる進化を遂げていた。
本来のジガンスクードは、その巨体とシーズユニットを活かした近接格闘・突撃戦を主眼とする完全な人型機動兵器のはずだった。
だが、目の前に聳え立つこの機体は、ベースとなった『ジガンスパーダ』に屈強な手足を生やしたような無骨なシルエットをしている。
その最大の要因は、ジガンスパーダが背負っていた4門の大型ビーム砲『ギガンテ・カンノーネ』が、そのまま残されているためだ。
巨大な砲身を背負い込んでいる分、腕部の可動域は制限され、オリジナル機のように自由に腕を振り回して敵陣で大立ち回りを演じることは難しい。
だが、その代償として得たものは、デストロイすらアウトレンジから蒸発させる「異常なまでの砲撃戦能力の維持と向上」であった。
敵のあらゆる砲火を微動だにせず受け止め、圧倒的な重火力で敵艦隊や巨大MAを消し炭にする。
それこそが、この世界におけるジガンスクードに与えられた「防人」としての最適解だった。
「18mのティエレンから、いきなり70mのバケモノに乗り換えろって言われた時は、流石の俺もキラの正気を疑ったけどさ……」
トールは、鉄の匂いが漂う格納庫の空気を深く吸い込みながら、隣に立つ少女──ミリアリア・ハウへとにっと笑いかけた。
「いざ実物を見てみると……なんだか、すごく安心するよ。こいつなら、絶対に後ろの街を、みんなを……お前を、守り抜けるって思える」
「トール……」
オーブ軍のノーマルスーツへと着替えたミリアリアは、トールのその屈託のない、しかし覚悟の定まった横顔を見つめて小さく微笑んだ。
ジガンスクードの規格外のシステム──ジガンテ・カンノーネの複雑な射撃管制、多重エネルギーフィールドの出力調整、そして内蔵パワーエクステンダーの熱量管理──これらをパイロット一人で制御するのはかなりの負担が掛かる。
ゆえに、この機体は複座式となっており、優秀な情報処理能力を持つミリアリアが専属のオペレーターとして内定していた。
誰も殺したくない。誰も死なせたくない。
かつてヘリオポリスで平和な学生生活を送っていた彼らは、戦火の中で、多くの狂気と泥に塗れてきた。
しかし、だからこそ分かるのだ。
この分厚い装甲に込められた、友人キラ・ヤマトの「祈り」の重さが。
「……ずっしりしてて、頑丈そうで。自分が盾になって味方を守るための機体なんて、アンタにピッタリね、トール」
ミリアリアが少しだけからかうように言うと、トールは照れくさそうに頭を掻いた。
「ははっ、最高の褒め言葉として受け取っとくよ。……行くぞ、ミリィ。俺たちの新しい相棒に挨拶だ」
「ええ!」
70mの絶対無敵の機械神が見下ろす中、若き二人の防人は、固い絆と共に巨大なコックピットへと続くエレベーターに乗り込んだ。
世界を焼き尽くす悪意の炎がオーブに迫る時、この分厚い鋼鉄の盾が、すべての絶望を弾き返すだろう。
格納庫のエレベーターが唸りを上げ、トールとミリアリアを全高70mの巨人の胸部──コクピットブロックへと運んでいく。
その上昇の最中、ミリアリアの手元にある情報端末には、このジガンスクードを単なる「鈍重な巨大砲台」から「絶対無敵の機動要塞」たらしめている、最大の秘密兵器のデータが表示されていた。
「ねえトール、この機体……ただデカくて硬いだけじゃないわ。推進システムが、ティエレンやアストレイなんかとは根本的に違うみたい」
端末のスクリーンをスワイプしながら、ミリアリアが驚きの声を上げる。
「推進システム? なに? 普通のロケットエンジンとかと違うワケ?」
トールの問いに、ミリアリアは首を横に振った。
「ええ。ロケットエンジンだけじゃなくて、『テスラ・ドライブ』っていう、新型の重力・慣性制御機関よ」
テスラ・ドライブ。
それは、キラの『虚憶』に存在する別次元の技術体系の産物であり、オーブのモルゲンレーテが総力を挙げて実用化に漕ぎ着けた、次世代の飛行・機動推進システムであった。
機体周辺の重力場を力場として歪め、推進力と揚力、さらには慣性制御までを単一のシステムで同時に行うこの機関は、空気力学を完全に無視した機動を可能にする。
だが、その出力の要件は極めて高く、現行のオーブの技術力では、通常サイズの18m級モビルスーツへの搭載は不可能。
宇宙戦艦クラスの機関部でなければ稼働させられない、巨大な設備を必要とする代物だった。
「……なるほどな。だから、あえてこのサイズのままなんだ」
トールはジガンスクードの巨大な背部──ジガンテ・カンノーネの基部と一体化した、異様に分厚いリアアーマーを見つめて納得の声を漏らした。
本来であれば、宇宙戦艦『ヒリュウ』クラスの艦艇でしかテスト運用できない巨大なテスラ・ドライブ。
しかし、大本が「大型砲艦」としての設計思想を持つジガンスパーダの巨体であればこそ、艦載機クラスのモジュールを小型・最適化し、どうにかジガンスクードのフレーム内に押し込むことが可能となったのだ。
「すごいわ、トール。このテスラ・ドライブなら……この70mの巨体でも、重力を無視して大気圏内を自由に飛行できる。しかも、慣性制御がかかってるから、見た目からは想像もつかないくらい、機動兵器として最低限の機動性まで確保されてるのよ」
ミリアリアの弾んだ声に、トールの胸の奥が熱く高鳴った。
装甲とエネルギーフィールドで敵の攻撃をすべて受け止め、ギガンテ・カンノーネの圧倒的な火力で敵を薙ぎ払う。それだけでも十分に恐ろしいが、このジガンスクードは「空を飛び、陣地を変えながら前線へと降下してくる巨大な盾」なのだ。
「そいつは最高だぜ……!」
トールはエレベーターの扉が開き、目の前に現れた複座式の広大なコクピットへと足を踏み入れながら、悪戯っぽく笑った。
「ブルーコスモスの連中が、攻めてきた時……そいつの頭上から、この70mの要塞が空を飛んで急降下して目の前に立ち塞がったら、連中、どんな顔するだろうな?」
「……間違いなく、絶望して泣き叫ぶわね。想像しただけでゾッとするわ」
ミリアリアも苦笑しながら、後部のオペレーターシートへと腰を下ろした。
「よし、行こうぜミリィ。俺たちの仕事は、キラやシンたちが安心して戦えるように、この空飛ぶ城で一番前に立って、敵の攻撃を全部弾き返すことだ」
トールがメインパイロットシートに座り、システムの起動スイッチを力強く押し込む。
重厚な起動音と共に、テスラ・ドライブが低く、しかし力強い共鳴音を立て始めた。
70mの絶対無敵の機械神は、新たな主たちの意志に応え、オーブの空を護るために静かにその巨大な瞳に火を灯した。
◇◇◇
キラ・ヤマトがその天才的な頭脳と、別次元から引き出された『虚憶』を元にオーブにもたらした最大の技術的恩恵。それは、単一の圧倒的なワンオフ機体の設計図ではなく、兵器開発の概念そのものを根本から覆す「モジュールブロック構造」という思想体系そのものであった。
その真骨頂は、規格化されたパーツとジョイントを組み合わせることで、いかなる運用目的・サイズの機体であっても、単一の生産ラインと整備ノウハウで対応可能にするという、狂気的なまでの汎用性と生産性の高さにある。
その最初の産物であり、現在の復興と防衛の要である18m級の作業・戦闘用MS『ティエレン』に始まり、重装砲戦用の『ランドグリーズ』や『ラーズアングリフ』。
さらには機動戦を目的とした最小単位13.8mの『フレック・グレイズ』から、本土防衛の絶対的要塞たる70m級の特機『ジガンスクード』、そして最長100mを超える巨大砲艦兵器『ジガンスパーダ』に至るまで。
これらサイズも運用思想もまったく異なる機動兵器群が、すべて「同じ規格のブロックの組み合わせと拡張」によって構築されているという事実は、他国の技術者たちを絶望と感嘆の淵へと叩き落とした。
装甲の一部が破損しても、同じ規格のブロックをカチリとはめ替えるだけで即座に戦線復帰できる。
この狂ったような整備性と生産性こそが、泥に塗れることを選んだ『死の商人』の真の恐ろしさであった。
そして現在。
世界中の巨額の資金と人員を結集し、各国の法や国境に縛られず、独自の指揮系統と武力介入権限を持つ超法規的独立平和治安維持組織──『ソレスタルビーイング』。
発足初期段階である現在は、オーブやプラント、大西洋連邦の派閥など、各国から提供された試作機やエース用のワンオフ機の寄せ集めで部隊が構成されている。
しかし、組織が今後、世界規模での治安維持活動を恒久的に行っていくためには、いずれ組織独自の「標準量産機」と「指揮官機」を配備しなければならない。
既存の地球連合軍のダガー系や、ザフトのザク系、あるいはオーブのムラサメやティエレンを採用してしまえば、いずれかの国家の軍産複合体の意向を色濃く受けているという政治的偏向を疑われ、組織の『中立性』と『絶対的抑止力』のブランドが根底から崩れてしまうからだ。
そのため、ソレスタルビーイング独自の制式採用機としてキラが白羽の矢を立て、選定した機体。
それは、本来であればオーブの『イージス計画』の次期主力コンペに出すつもりで極秘裏に設計を進めていた、ある特殊なカテゴリーの機体群であった。
アサルトドラグーン──強襲用人型機動兵器)。
その代表格となるのが、ヒロイックな角とスマートなフォルムを持つ機動兵器、『アシュセイヴァー』である。
このアシュセイヴァー最大の特徴にして、ソレスタルビーイングという「少数精鋭の独立部隊」に採用された最大の理由は、その根幹に組み込まれた極めて特殊なマン・マシン・インターフェイス、『
ATEOSは、搭乗したパイロットの脳波パターンを瞬時に解析・記録し、機体側から逆にパイロットの神経系へと最適な操縦補助データをフィードバックすることで、機体とパイロットを半強制的に『同調』させるシステムである。
さらに、ソレスタルビーイングに配備される『量産型アシュセイヴァー』には、戦況のリアルタイム分析や戦闘パターンを搭乗者の思考に直接フィードバックする「ダイレクト・フィードバック・システム」も標準装備されている。
このATEOSとDFSを複合使用することでもたらされる効果は、軍事的な常識を覆すほど劇的なものだった。
たとえ実戦経験の浅い練度の低いパイロットや、新兵器への機体慣熟時間が極端に短い者であっても、コックピットに座りシステムと同調するだけで、熟練のエースパイロットに匹敵する、あるいはそれ以上の高度な戦闘能力を即座に発揮することができるのだ。
世界中から様々な出自のパイロットをかき集め、常に数的不利な状況で少数での制圧任務を強いられるソレスタルビーイングにおいて、この「搭乗者のスキルを機体側から強制的に底上げする」システムは、喉から手が出るほど必要な絶対条件であった。
ただし、このシステムは完璧ではない。ATEOSとDFSの強制的な同調と膨大な情報の逆流は、パイロットの脳と神経に多大な過負荷を掛ける。
長時間使用すれば深刻な神経障害を引き起こす危険性があるため、通常稼働時は厳重なリミッターが掛けられており、パイロットのバイタルが危険域に達すると自動的にシステムがシャットダウンする安全装置が組み込まれている。
また、当然ながらこのアシュセイヴァーも、キラが培ってきた「モジュールブロック構造」の恩恵を最大限に受けている。
地球全土、あるいは宇宙空間まで、補給線が限られた遠征や長期の単独作戦を遂行するソレスタルビーイングの部隊において、高度な整備設備がなくても破損箇所をブロックごと容易に交換できる整備性の高さは、組織の生存能力に直結する。
設計段階から究極の拡張性を重視して構築されたこの機体には、任務に応じた多彩なバリエーションが存在する。
両肩に空間認識能力を必要としない自律機動型の移動砲台ソードブレイカーを装備し、単機で一個中隊を殲滅する火力を誇る指揮官仕様の『アシュセイヴァー』。
そして、その高コストな自律兵装をオミットし、代わりに両肩部へ追加のスラスターを装備することで、より取り回しと汎用性を高めた『量産型アシュセイヴァー』。
その他にも、重装甲仕様や電子戦特化型など、ブロックの組み替えによってあらゆる戦局に対応できる。
さらに決定打となったのは、その「外見」である。
ブルーとホワイトを基調とし、鋭角的でありながらも洗練されたヒロイックな造形は、恐怖で民衆を支配する兵器ではなく、「紛争を根絶し、弱者を守る正義の味方」という、ソレスタルビーイングが世界にアピールすべき偶像としての役割を完璧に果たすものであった。
かくして、モジュールブロック構造の生産性と、ATEOSによるパイロットの強制進化、そして正義を体現するヒロイックな外観を備えたアシュセイヴァーは、ソレスタルビーイングの象徴たる量産型機動兵器として、歴史の表舞台へとその姿を現すことになったのである。
◇◇◇
ソレスタルビーイングの象徴たるアシュセイヴァー、および量産型アシュセイヴァーに搭載された「ATEOS」や「ダイレクト・フィードバック・システム」。
搭乗者を半強制的に熟練のエースパイロットへと昇華させるこれらの画期的なマン・マシン・インターフェイスには、実は極めて危険で忌まわしい、とある『禁断のシステム』の概念とその基礎データが礎として深く組み込まれている。
それが、「Z.E.R.O.SYSTEM」である。
かつてキラ・ヤマトが『虚憶』の深淵から引きずり出した、別次元の歴史に存在したとされるこのシステムの正式名称は、「Zoning and Emotional Range Omit」──領域化及び情動域欠落化装置と呼称される。
極めて簡潔にこのシステムの本質を表現するならば、「パイロットの脳髄に強制的に未来予測を行わせ、無数の選択肢の中から絶対的な勝利への道筋を直接提示するインターフェース」である。
システム内部に搭載された超高度な演算装置が、戦場における敵機の挙動、地形、武装の残弾、気象条件、果てはパイロットのバイタルに至るまでの膨大な情報を瞬時に分析し、それらから予測されうる幾万もの戦局のシミュレーションを、視覚や聴覚といった従来の伝達器官をすっ飛ばして、直接パイロットの脳神経へとフィードバックする。
これにより、パイロットは擬似的に「数秒先、あるいは数分先の未来」を完全に垣間見ることができるのだ。
さらに恐ろしいのは、もしその予測された「未来」が自機の撃墜や敗北など、自身に不利益をもたらすものであった場合、システムは即座にその死の状況を打開し、「勝利した未来」へと至るための最短かつ最適な行動プロセスを算出して提示してくる点にある。
この悪魔的な情報伝達を可能にするため、ハードウェアであるコックピット内には極めて特殊なフィードバック機器が張り巡らされている。
パイロットの網膜、心拍、脳波といったあらゆる生体情報を常時スキャンし、電気的な信号としてパイロットの中枢神経に直接介入する。
その結果、体内のアドレナリンやエンドルフィンといった神経伝達物質までもがシステム側に掌握・制御され、反応速度の爆発的な増大や、通常の人体では到底耐えることのできない殺人Gなどの肉体的刺激を脳内で緩和・欺瞞することすら可能となる。
総合的に見れば、「パイロットの能力を人間の限界を遥かに超えた次元へと強制的に引き上げる」、まさに究極のマン・マシン・インターフェイスと呼ぶにふさわしい代物である。
このシステムは、ハードウェアとソフトウェアの両面が完全に噛み合うことで初めて真価を発揮するよう設計されている。
そのため、ゼロシステムを搭載することを前提として設計された機体のコックピットブロックは、通常の機動兵器のそれとは構造からして全く異なっている。
まず、機体を操縦する上で必須となるはずの「メインモニター」が存在しない。
さらに、通常のモビルスーツにあるような複雑な操縦桿すら存在せず、機体の動作制御はスロットルレバーを兼任するグリップに備え付けられた、ごく少数のスイッチのみで行われる。
なぜなら、ゼロシステムが完全起動した状態下においては、機体のメインカメラや各種センサーが捉えた戦場のあらゆる情報が、電気信号として直接パイロットの脳内視覚野へと流し込まれるためだ。
パイロットは目を閉じているにもかかわらず、死角のない360度すべての角度を完全な視覚情報として「認識」できるのである。結果として、コックピットの正面に表示されるのは最低限のレーダー情報のみという、極めて特異で異質な構造となっている。
内壁自体は360度全天周囲モニターとなっているが、システム最大稼働時にはすべてのモニターが消灯し、完全な闇の中でパイロットの脳内にのみ戦場が投影される。
ソフトウェア自体はデータのコピーや他機体への移植が可能ではあるものの、この特殊なフィードバックを行うためのハードウェアありきのシステムであるため、ソフト単体を既存の機体に組み込んだだけでは、システムの本領は到底発揮されない。
逆に言えば、予めシステムの搭載を前提としたハードウェア環境さえ整っていれば、パイロットは物理的なスイッチの操作すらパスして、思考するだけで機体を己の手足のように動かすことすら可能となるのだ。
上記の通り、このシステムは味方につければこれ以上ないほど強力で魅力的なインターフェースである。
ぶっちゃけた話、相応の出力と機動力を持つ機体にこのゼロシステムが搭載されていれば、昨日まで銃を握ったこともないその辺の素人であっても、長年戦場を生き抜いてきた超一流のエースパイロットと互角か、それ以上の動きで戦えてしまう。
だが、「パイロットを超人化する」という究極の目的で作られたこのシステムは、致命的な欠陥を抱えていた。
実は、常人には「絶対に使いこなすことができない」、乗る者を破滅へと導く呪われたシステムであったのだ。
第一の理由は、システムが戦場における「あらゆる可能性」を無慈悲に演算し、絶え間なくパイロットの脳に書き込み続けるという点にある。
演算の過程で現れる無数の「可能性」の中には、当然ながら「自分が敵の刃で惨殺される可能性」や「味方が爆散する可能性」、「誤射によって罪のない民間人を巻き込んでしまう二次被害」など、パイロットが決して見たくない、望まない残酷な未来が多数含まれている。
しかも、脳に直接流し込まれるその「未来の死」は、現実と区別することが不可能なレベルの圧倒的なリアリティと幻覚痛を伴うため、パイロットには常時、発狂寸前の凄まじい精神的負荷がかかり続けることになる。
少しでも自らが不利な状況に陥れば、敵の攻撃で自機がバラバラになり自分が焼け焦げるリアルな感覚を「何度も死ぬ疑似体験」として味わわされるのだ。
第二にして最大の欠陥は、システムが目指し、提示してくる「勝利した未来」が、あくまで「単機での戦術的な勝利」のみを極限まで追求した結果に過ぎないという点である。
システムは冷徹な機械であり、人間の倫理観や戦略的な大局観を一切持ち合わせていない。
そのため、システムが「これが勝利への最適解である」と認識して提示してくる答えは、時として人間の常識を根底から覆すほど狂気じみたものとなる。
例えば、敵が民間人を人質に取って立てこもっている状況の解決策をシステムに求めた際、システムは平然と『障害物(人質)ごと敵を撃ち殺せ』という指示を最適解として提示してくる。
また、「まだこの後にも遂行すべき重要な任務があるのに『敵の強力な機体と共に自爆して目標を排除しろ』と命令してくる」、「絶対に守らなければならないコロニーが敵の真後ろにある状況で、『最大出力のビーム兵器でコロニーごと敵を吹き飛ばせ』と最適解を出す」など、戦術的に見れば確かに「敵を排除する」という目的は達成されていても、戦略的・倫理的には完全に大失敗となる無意味な案を、ゼロシステムは最優先のプロセスとしてパイロットの脳内に強要してくるのだ。
当然、人間であるパイロットはその非人道的な案を拒否しようとする。
だが、拒否してシステムに別の打開案を再演算させると、必然的に演算回数が幾乗にも膨れ上がり、その過程でパイロットは「望まない残酷な未来(自分が死ぬ、あるいは仲間が死ぬ光景)」をさらに多く見せつけられることになる。
再演算を繰り返せば繰り返すほど、脳に流れ込む情報量は致死量に達し、多大な精神負荷がパイロットの自我を苛み、削り取っていく。
結果的に、多くの場合でパイロットは激痛と恐怖、そして精神的負荷に耐えきれず、自らの思考を放棄し、システムの提示する「戦術的勝利の最適解(それがどんなに残酷な手段であっても)」に従うだけの、ただの生きた部品へと成り下がり、周囲が見えなくなって大暴走を引き起こす。
最悪の場合、脳神経を焼き切られて精神を完全に破壊された廃人となるか、あるいは疑似的な死の体感によるショック死を引き起こしてしまう。
ゆえに、この悪魔のシステムを完璧に手懐け、使いこなすための条件はただ一つ。
システムが脳裏に送り込んでくる狂気に満ちたあらゆる可能性の中から、決してブレることなく「自らの望む未来」だけを確固たる意志で選び取り、それ以外の非人道的な指示や死の恐怖をすべて跳ね除け、システムそのものを己の意志の下に服従させるだけの、強靭で「人間離れした精神力」を必要とするのである。
それさえできる超越者であれば、ゼロシステムは「自分が望む結果になる未来」を達成するためのプロセスを、最速かつ最短効率で提示してくれる無敵の翼となる。
また、システムは起動時のパイロットの精神状態や感情の起伏にも大きく左右される特性を持つ。
そのため、過去にこのシステムを搭載した機体に乗り込んだある心優しい少年は、「失った肉親への復讐」という目的をシステムによって極限まで肥大化させられ、負の感情に完全に囚われた結果、味方すらも敵と見なして無差別に破壊活動を行うという最悪の暴走事故を引き起こしている。
基本的に戦場という極限状態では、パイロットは「敵を倒す、生き残る」という闘争本能に意識を傾けがちなため、システムはその感情を増幅させて暴走行為を招きやすい。
だが、稀にパイロットの精神が完全に凪いでおり、正しい思考を保てる場合においては、失われた記憶を脳髄の奥底から引きずり出して取り戻させたり、迷いを断ち切って真に進むべき道を示す羅針盤となる場合もある。
このゼロシステムという狂気の代物を前にしても、システムに吞まれず、むしろ逆にシステムを圧倒した極めて稀な例外たちが存在した。
一人は、秘密結社OZの総帥であったトレーズ・クシュリナーダ。
彼はシステムを起動させた際、既に自身の死を含む「自らが為すべき未来」を確固たる意志と揺るぎない美学で完全に見据えていたため、ゼロシステムは彼に対して何ら具体的な未来や最適解を提示することすらできなかった。機械の演算が、人間の絶対的な覚悟に敗北したのである。
もう一人は、神聖ブリタニア帝国の元皇子にして世界を壊し世界を創った男、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
彼はゼロシステムが見せる限定的な戦術的未来の予測よりも、さらに遥か先を見通す戦略的勝利のヴィジョンと、常軌を逸した高度な演算能力を自身の頭脳のみで持ち合わせていた。
そのため、彼はシステムが提示する未来に一切惑わされることなく、システムが過負荷で悲鳴を上げるほどの処理を強要し、ゼロシステムを「単なる便利な戦況予測・情報処理の外部装置」程度にまで完全に貶めて使いこなしてみせた。
そして、彼らと同じく、オーブの『白銀の英雄』キラ・ヤマトもまた、その例外に連なる超越者であった。
『虚憶』を通じてゼロシステムの恐ろしさと構造を理解していたキラは、その圧倒的な空間認識能力と、スーパーコーディネイターとしての極限の処理能力、そして泥を被ってでも世界を導くという強烈なエゴをもって、ゼロシステムの演算に一切吞まれることなく、ルルーシュと同様に「ただの高度な戦況予測装置」として己の支配下に置くことが可能であった。
キラは、この禁断のゼロシステムの構造を徹底的に解析し、危険な「情動への介入」や「未来の強制的な流し込み」という牙を完全にへし折り、徹底的なリミッターと安全装置(バイタルモニターによる強制シャットダウン機能)を幾重にも組み込んだ。
そうして抽出された「純粋な戦闘技術のフィードバック」と「最適化された操縦補助」の部分のみを安全に昇華させた結果生まれたのが、ソレスタルビーイングのアシュセイヴァーに搭載されている「ATEOS」と「DFS」なのである。
狂気のシステムから毒を抜き、凡人を英雄へと引き上げる力を生み出したその手腕こそが、白銀の英雄の真の恐ろしさの証明であった。
◇◇◇
「ガンダムタイプ」──。
かつて、この世界においてその名が何を意味するのか、明確な定義は存在しなかった。
地球連合軍が極秘裏に開発を進めていたG兵器(ストライク、イージス、デュエル、バスター、ブリッツ)がロールアウトするよりも早く、そして遥かに大々的に、オーブ連合首長国は世界に向けて一つの鮮烈なプレゼンテーションを行っていた。
それは、前代表首長であったウズミ・ナラ・アスハがクリスマスイブという世界が平和を祈るその夜に、オーブ国防軍は新型の量産配備機体である『M1アストレイ』の完成と一斉配備を、国民への「クリスマスプレゼンツ」として大々的に発表したのだ。
赤と白の洗練された装甲、そして何より特徴的だったのは、その頭部に輝く『ツインアイ』と『V字アンテナ』──後に世界で「ガンダムフェイス」と恐れられ、あるいは称賛されることになるその意匠であった。
この劇的なお披露目により、この世界においてあの特徴的な顔を持つモビルスーツは、長らく「アストレイタイプ」として広く一般に認識され、定着するに至っていたのである。
しかし、戦局が激化し、オーブ攻防戦を経て、国家の最高軍事顧問となったキラ・ヤマトは、軍の運用思想と戦術体系を整理するにあたり、この認識に一つの明確な線引き──カテゴリーの再定義を設けた。
M1アストレイや、それを発展させたムラサメなどは、あくまで「兵器としての運用を前提とした量産型MS」である。
それらとは明確に一線を画す、戦局を単機で覆すほどの極端なコンセプトを詰め込んで製造された「ワンオフのガンダムフェイスを持つMS」。
それらこそを、キラは改めて『ガンダムタイプ』という特別カテゴリーとして制定したのである。
この再定義により、地球連合軍が開発した初期G兵器群やその後継機、さらにはプラントが国家の威信を懸けて開発した核動力搭載のファーストステージシリーズも、すべてこの「ガンダムタイプ」という規格外兵器のカテゴリーへと正式に分類されることとなった。
そして、このオーブ軍における記念すべき『ガンダムタイプ制定第一号機』として、キラの『虚憶』から引きずり出された悪魔の翼──『ウイングガンダムプロトゼロ』であった。
このプロトゼロは、完全な状態の『Z.E.R.O.SYSTEM』を中枢に搭載し、最大出力で放てば単機でスペースコロニーをも跡形もなく消し飛ばすという、戦略兵器すら凌駕する規格外の破壊力を持つ「ツインバスターライフル」を主兵装とする。
それは、プラントの『ジェネシス』や地球連合の『レクイエム』といった大量破壊兵器に対し、オーブが極秘裏に開発した『メガキャノン』とは全く別のアプローチで生み出された、「拠点完全破砕」を目的とした超弩級の抑止力であった。
だが、プロトゼロのあまりにも強大すぎる破壊力と、システムがパイロットに強いる致死レベルの精神的負荷は、世界各地で武力介入を行う『ソレスタルビーイング』の日常的な任務においては、文字通り「過ぎたる力」であり、使い勝手が悪すぎた。
そこでキラは、プロトゼロの基本設計思想を受け継ぎつつ、狂気のゼロシステムを安全な『ATEOS』へとダウングレードし、運用目的を特定の局地戦や戦術に絞り込んでマイルド化させた、5機の新たなガンダムタイプをロールアウトさせたのである。
それの内3機が『ウイングガンダム』、『ガンダムサンドロック』、そして『ガンダムヘビーアームズ』の三機であった。
これらソレスタルビーイングを象徴する新たな三機のガンダムは、オーブ国防軍のエースパイロットであり、キラが最も信頼を寄せる三人の少女──アサギ・コードウェル、マユラ・ラバッツ、ジュリ・ウー・ニェンへとそれぞれ与えられた。
機体の選定は、彼女たち個々の圧倒的な適性と戦闘スタイルを、キラが極限まで見極めた結果であった。
アリュゼウス・ユニットのテストパイロットを長らく務め、常軌を逸したGに耐えうる強靭な肉体と、類まれなる反射神経を誇るオールラウンダーのマユラ・ラバッツ。
彼女には、バード形態への可変機構を持ち、一撃離脱と超高機動戦闘を得意とする『ウイングガンダム』が託された。
彼女の反射神経ならば、ウイングガンダムのピーキーな機動性すらも手足のように制御し、空を支配する青き翼となる。
三人娘リーダー格であり、空間把握能力と射撃の精度において三人の中で群を抜く腕前を持つアサギ・コードウェル。
彼女には、全身に無数のミサイルポッドとガトリングガンを内蔵し、弾幕という名の暴力で敵陣を面制圧する歩く火薬庫、『ガンダムヘビーアームズ』が与えられた。
彼女の的確な状況判断とトリガーコントロールがあれば、ヘビーアームズの弾幕は決して味方を巻き込むことなく、敵だけを確実に蜂の巣へと変える。
そして、三人の中で最も高い集中力を持ち、近接戦闘に長けたジュリ・ウー・ニェン。
彼女には、強固な装甲と、敵を一刀両断する二振りの巨大なヒートショーテルを装備し、最前線で味方の盾となりつつ敵陣を切り裂く『ガンダムサンドロック』が用意された。
ジュリの繊細かつ大胆な操縦技術は、この重装甲の機体をまるで踊るように戦場を駆けさせ、敵の防衛線を物理的に粉砕する。
オーブが業火に焼かれたあの絶望の攻防戦。
彼女たちは旧型のM1アストレイで死力を尽くして戦ったものの、大西洋連邦の圧倒的な物量の前に何度も死を覚悟した。
新型機のロールアウトは、あの防衛戦の最中には惜しくも間に合わなかった。
だが今、彼女たちの目の前には、自分たちのために新しい時代を創るための鋼鉄の巨人が用意されている。
超法規的組織『ソレスタルビーイング』という、世界から憎しみを向けられるかもしれない暗闘の最前線。しかし、彼女たちの心に迷いや恐怖は微塵もなかった。
なぜなら、これらの機体は他でもない、彼女たちが心から敬愛し、深い思慕を向けてやまない『白銀の英雄』──キラ・ヤマトから、直接その手で「君たちにしか頼めない」と託されたものなのだから。
「キラ君がくれた、私たちの新しい翼……!」
格納庫の照明に照らされ、美しく、そして猛々しく輝く三機のガンダムタイプを見上げながら、アサギ、マユラ、ジュリの三人は、新たな戦場へと身を投じる覚悟と、その瞳に熱い恋慕の炎を宿らせていた。
◇◇◇
モルゲンレーテ地下の最高機密執務室。
薄暗い室内に、オーブの影を統べるロンド・ミナ・サハクからの暗号通信が冷ややかな電子音と共に響き渡っていた。
『──網にかかったネズミの数は、工作員と後方支援要員を含めて計24名。周辺海域に潜伏していた大西洋連邦の偽装潜水艇、すでに我が方の海戦部隊が拿捕・制圧を完了した。だが、キラ。お前が警戒していた「ステラという少女と同等年齢の少年兵」の姿は、捕虜の中に存在しなかった』
「……そうですか。報告、ありがとうございます」
通信を切り、キラ・ヤマトは深い溜息と共に背もたれに身体を預けた。
ステラ・ルーシェがオノゴロ島で孤立していたということは、彼女と同じ『ファントムペイン』のチームメイトであるアウル・ニーダとスティング・オークレーも、間違いなくこのオーブに潜入していたはずだ。
猟犬たちの包囲網を間一髪で躱し、ステラという仲間を冷酷に切り捨ててでも逃亡を果たした彼らのプロフェッショナルとしての生存能力は、敵ながら見事としか言いようがない。
(取り逃がしたなら、それはそれで仕方ない。……問題は、彼らが『なぜ、このタイミングでオーブに現れたのか』だ)
キラの脳内で、『虚憶』と、現在進行形で書き換わっている現実との強烈な齟齬が警鐘を鳴らしていた。
本来の歴史において、スティング、アウル、ステラの三人が極秘裏に動くのは、ここから『2年後』のことだ。
プラントの工業コロニー『アーモリーワン』にてロールアウトしたザフトの次期主力機──カオス、アビス、ガイアという三機の新型ガンダムを強奪するため、彼らは戦火の火蓋を切って落とすはずだった。
だが、現実はどうだ。彼らは2年も前倒しで、しかもプラントではなくこの武装中立国オーブへと牙を剥いてきた。
その理由は火を見るより明らかであった。
(……僕が、急ぎすぎたんだ)
オーブでは現在、五機の新型ガンダムの開発とロールアウトが極秘裏に進められていた。
『ウイング』『デスサイズ』『ヘビーアームズ』『サンドロック』『シェンロン』。
ゼロシステムという禁忌の技術を礎とし、戦局を単機で覆すこれら五機のガンダムの胎動を、ロード・ジブリール率いるロゴスの情報網はどこからか嗅ぎつけていたのだろう。
プラントの新型機よりも遥かに危険で、自らの脅威となり得るこれら「オーブの五機のガンダム」を奪取、あるいは破壊するために、ジブリールはファントムペインを2年前倒しで投入したのだ。
キラは手元のモニターを切り替えた。
そこには、監視カメラが捉えたモルゲンレーテの居住区画の映像が映し出されている。
温かい飲み物を入れたマグカップを両手で持ち、不安げに周囲を見回すステラと、彼女を安心させるように懸命に話しかけ、その隣にピタリと寄り添うシン・アスカの姿があった。
その光景を見た瞬間、キラは思わず苦笑を漏らさずにはいられなかった。
(まさか……本来ならディオキアの海で起こるはずだった『崖から落ちたステラをシンが助け、二人が絆を育む』というあの悲劇のプレリュードまで、2年も前倒しで、しかもこのオーブの海で起こるなんて)
モニター越しの彼らの様子から、すでに二人の間に、理屈ではない強烈な引力が生じていることはキラの目にも明らかだった。
シンは、ステラという得体の知れない少女に対して、純粋な庇護欲を全開にして接している。
それは、シンが「守るべきもの」を、彼自身の魂の底から見つけ出した瞬間でもあった。
事態の推移は、キラの想定を遥かに超えて歪み始めている。
本来であれば血塗られた戦場で敵同士として殺し合うはずだった二人が、武装中立国の地下で、毛布に包まりながら身を寄せ合っている。
世界を破滅へと導くはずだった「因果律」が、キラ・ヤマトという特異点の存在によって、予測不能な形へとへし折られ、別の結末へと再構築されようとしているのだ。
「……ま、いいさ」
キラはモニターの電源を落とし、暗闇の中で静かに呟いた。
「ガンダムの強奪は未然に防げた。ステラの悲しい運命を、こちら側に引き剥がすこともできた。それに……シンが、自分の足で立ち上がり、守るべきものを見つけられたというのなら、これ以上のことはない」
しかし、それは同時に恐ろしい事実の証明でもあった。
自分が『虚憶』として持っていた「未来のシナリオ」は、何処でどう作用してくるのかわからなくなった。
すべてが本来の軌道から外れ、まったく新しい未知の盤面へと移行してしまった。
誰が敵に回り、誰が味方になるのか。
いつ、どこで、致命的な破滅の引き金が引かれるのか。
これから先は、過去の記憶など一切通用しない、文字通りの「大いなるゼロサムゲーム」の始まりであった。
勝者がすべてを得て、敗者がすべてを失う、世界の存亡を懸けた暗闘。
だが、キラの心に恐怖や迷いはなかった。
(歴史が変わろうと、因果が歪もうと……僕が成すべきことは、最初から一つしか決まっていない)
キラは立ち上がり、執務室の窓越しに、地下の大空間で静かに眠る巨大な特機『ジガンスクード』や、新たにロールアウトを待つガンダムたちの鋼鉄の威容を見下ろした。
この愛おしく、悲しみに満ちた世界で。
再び理不尽な炎が降り注ごうとも、二度とオーブの民草を焼かせはしない。
ステラのように、大人たちの身勝手な都合で使い捨てられる子供たちを、これ以上生み出させはしない。
すべてが未知の海域へと漕ぎ出した世界の中で、キラ・ヤマトは己の魂の根源に刻み込まれた「戦う理由」を改めて強く見つめ直し、『白銀の英雄』としての十字架を、より深くその背に背負い直すのだった。
◇◇◇
モルゲンレーテが誇る地下居住区画。仮設のプレハブ住宅では到底味わえない、外界から隔絶された包み込むような静寂と、真新しいシーツの清潔な香りに満ちたその一室は、シン・アスカにとって久方ぶりの安息の地となるはずだった。
だが現実には、彼に与えられた広々としたベッドは、己の理性を極限まで試される過酷な『戦場』と化していた。
出来ることなら、いっそこの抗いがたい本能と欲望の波に呑まれてしまいたかった。
暗闇の中、仰向けで硬直するシンの両腕には、逃げ場を完全に塞ぐかのように、二つの柔らかな熱がぴったりと絡みついている。
左には、ただ一人の肉親である妹のマユ。右には、今日その命を救い上げたばかりの異邦の少女、ステラ。
マユのことは、まだ自分自身への言い訳ができた。
「彼女は妹なのだ」という倫理の鎖が、かろうじて彼を繋ぎ止めている。
しかし、彼女は決して無自覚ではなかった。
規則正しい寝息を装いながらも、シンの腕の中で意図的に身を捩り、薄いシャツの襟元から覗く白く滑らかな素肌と、微かに膨らみを帯び始めた胸の曲線を、確かな熱量を持って密着させてくる。
シンが息を呑み、暗闇の中で激しく視線を泳がせる気配を肌で感じ取りながら、彼女は決して自分からは踏み込まない。
ただひたすらに、愛しい兄の理性が陥落し、その腕が自らを求めて力強く抱き締めてくれるのを待つという、あまりにも残酷で甘美な乙女の罠を張っていた。
だが、シンの精神を真に崩壊寸前まで追い詰めているのは、右腕にすがりつくステラの存在だった。
その情緒は幼子のように純真で、ただひたすらにシンの体温を求め、安心しきってすり寄ってくる。
しかし、彼女の身体は残酷なまでに、同年代の少女たちを凌駕する『女性』としての豊かな成熟を見せ始めていた。
シンの腕に押し当てられる、シャツ越しでもはっきりと伝わる圧倒的な胸の重みと弾力。
息をするたびに、柔らかな谷間の気配がすぐ傍で上下する。
何より、シンの脳裏には、昼間の海食洞で否応なく目撃してしまった、彼女の滴るような裸体の記憶が鮮烈な熱を帯びて焼き付いてしまっている。
あの絶体絶命の窮地においては、強烈な庇護欲がすべての邪念を塗り潰したが、平穏なベッドの上で密着している今は違う。
二人の少女から立ち昇る甘やかな石鹸の香りと、体温によって温められた特有の甘い匂いが混ざり合い、思春期絶頂期にある少年の理性を容赦なく侵食していく。
ふいに、シンの大腿部に、シーツの下で二つの素足が絡みついた。
マユが意図的に仕掛ける、絡め取るような艶めかしい脚の感触。
そして、ステラが無意識に温もりを求めてすり寄せる、ショートパンツ越しの吸い付くような柔らかな太腿の感触。
逃げ場のない、熱帯夜のような密室。左右から迫る、相反する二つの甘い毒。
(……いっそ、ひと思いに殺してくれ……!)
暗闇の天井を虚ろな目で見つめながら、シンは心の中で血の涙を流し、見えない誰かに向かって命乞いをするように、己の煩悩を退散させるための念仏を狂ったように唱え続けていた。
鋼の装甲板よりも分厚いはずのシンの理性の壁が、今まさに、ガリガリと音を立ててヤスリで削り落とされていく。
それでも、誰かを守る『盾』たらんとする若き少年は、自らの内に渦巻く暴力的で甘美な炎を必死に押さえ込み、夜が明けるその時まで、ただひたすらに己の限界と戦い、耐え抜くのであった。
──だが、シンの決死の忍耐が報われることはなかった。張り詰めていた理性の防波堤は、耳元で囁かれたあまりにも甘く、そして禁忌を孕んだマユの一言によって、脆くも、そして完全に決壊させられたのだ。
「良いんだよ? お兄ちゃん。……我慢しなくても」
暗闇に溶けるような、それでいてひどく熱を帯びた吐息。
何を言い出すのか、寝ていたのではなかったのか。
驚愕に目を見開くシンをよそに、マユはシーツの下でシンの大きな右手をそっと取り、自らの薄いシャツの中へと導いた。
シンの無骨な指先が、まだ未成熟でありながらも確かな柔らかさを持つ、膨らみかけの胸へとあてがわれる。
手のひら越しに伝わってくる、妹の恐ろしいほどに速い鼓動。
「お兄ちゃんに……初めてのエッチ、して欲しいの」
それは、思春期の少女が抱く危うい憧憬などという生易しいものではなかった。
世界の終わりを一度は見たからこそ、最も愛する、最も縋るべき唯一の肉親と、心だけでなく身体の底から繋がり、絶対的な確証を得たいという、切実で狂おしいほどの乙女の渇望だった。
しかし、シンにとってそれは越えてはならない最後の一線である。
頭に血が上り、「そんなこと、兄妹で出来るわけないだろ!」と、己の欲情をごまかすように強い口調でマユを叱りつけようと口を開きかけた、まさにその瞬間だった。
シンの左側で、もぞもぞと不穏な衣擦れの音が響いた。
何事かと慌てて視線を向けると、そこには、暗闇の中でもハッキリと分かるほど滑らかな白い肌を剥き出しにし、着せられたばかりのシャツを無造作に脱ぎ捨てようとしているステラの姿があった。
「なっ……! お前、何してんだよ、ステラ! 服着ろって!」
シンが狼狽えながら咎めると、ステラは不思議そうに、そして極めて無機質に小首を傾げた。
その瞳には、羞恥心はおろか、自分が今から何をしようとしているのかという感情の機微すら一切欠落していた。
「シン、えっち、する。……ラボでも、してた」
その言葉が鼓膜を震わせた瞬間、シンは重さ数トンの鋼鉄のハンマーで、脳髄を直接殴りつけられたかのような強烈な衝撃と目眩に襲われた。
『ラボでも、してた』
たったその一言が内包する、あまりにもおぞましく、吐き気を催すほどの残酷な事実。
大西洋連邦の非道な兵器開発。記憶を弄られ、薬物で肉体を強化され、恐怖で縛り付けられた『生体CPU』。
ただでさえ自我を破壊され、絶対の服従を強いられている純真無垢な少女が、これほどまでに目を引く美しい容姿を持ち、そして無抵抗であったとしたら。
力を持った醜悪な大人たちが、彼女をただの兵器としてだけでなく、どういう『玩具』として扱っていたか。
シンの心の中に渦巻いていた、思春期特有の甘い欲情や背徳感は、一瞬にして冷水でもぶっかけられたように完全に消え失せた。
代わりにシンの胸の奥底から噴き上がったのは、この世のすべての邪悪を焼き尽くさんばかりの、純粋で激しい義憤の炎であった。
(……ふざけんな。大の大人が寄ってたかって、こんなちっぽけな女の子を……食い物にしてたってのか……!)
シンの脳裏に、数時間前の記憶が鮮明にフラッシュバックする。
海水を洗い流すためにシャワーを浴びた直後、シンはただ一人、憧れの『白銀の英雄』キラ・ヤマトの執務室へと密かに呼び出されていた。
そこでキラの口から静かに語られたのは、ステラ・ルーシェという少女が背負わされた、あまりにも凄惨な運命の全貌だった。
彼女がブルーコスモスの特殊部隊『ファントムペイン』に所属する強化人間であること。
幾重もの洗脳と薬物によって、自身の意志とは無関係に殺戮を強要される悲しき人形であること。
そして、『ゆりかご』と呼ばれる特殊な生命維持装置に定期的に入らなければ、細胞が崩壊し、やがて死に至るという呪い。
『彼女の命を繋ぐための機材は、すでに僕のほうで手配してある。オーブの力をもってすれば、彼女を生かすことはできる』
その時、キラは深い悲哀と、しかし射抜くような鋭さを秘めた瞳でシンを見据え、こう問いかけたのだ。
『けれど、君は本当に彼女の運命を背負い切れる? 君が彼女を守るということは、彼女を取り巻く悪意──”人類の業”そのものを真正面から受け止めるということだ。……君に、その覚悟はあるかい?』
あの時のシンは、憧れの英雄から直接「小さな命」を託されたことへの誇りと、彼女を救いたいという純粋な熱意だけで、力強く首を縦に振った。
自分ならできると、オーブの盾になると誓った己の魂にかけて約束した。
だが、甘かった。
己の想像力と覚悟の見通しが、あまりにも甘すぎたのだと、シンは今更ながらに痛感させられていた。
兵器として使い捨てられる命の重さだけではない。
彼女の肉体に刻み込まれた、大人たちの卑劣な欲望の痕跡。
愛を知らず、性的な搾取すらも「ラボでの日常」として受け入れてしまっている、この修復不能なまでに壊れた精神。
(……これが、准将の言っていた『人類の業を背負う』ってことなのか……)
その重圧は、15歳にも満たない少年の細い肩に伸し掛かるには、あまりにも巨大で、あまりにも真っ黒に濁りきっていた。
絶望して逃げ出したくなるほどの、吐き気を催す現実の泥濘。
けれども。
だからといって、「やっぱり自分には無理だ」と、ステラを守ると誓ったあの海での約束を反故にするなどという選択肢は、今のシン・アスカの魂の中には一ミリたりとも存在しなかった。
白銀の機体が空から舞い降りて、この国を、明日を守り抜いてくれたあの光景。
自分もあんな風に、誰かを守れる強い人間になりたいと焦がれた、あの熱。
血を分けた実の妹だから。
今日出逢ったばかりの、素性も知れない敵国の少女だから。
そんな世間の常識や、倫理という名の薄っぺらい言い訳は、シンの心に燃え盛る「守護への渇望」の前に、すべて等しく呑み込まれていった。
「……違うよ、ステラ」
シンは、血の滲むような声で低く呟くと、服を脱ごうとするステラの細い腕を優しく、だが決して逃がさない強さで掴み、その動きを止めた。
「ここでは、そんなことしなくていいんだ。……誰も、君にそんなことさせない」
「シン……? 怒ってる、の……? ステラ、いらない……?」
ステラが怯えたように身を竦める。
不用済みと見なされれば廃棄されるという恐怖が、彼女の紫の瞳に暗い影を落とす。
「怒ってない。いらなくなんかない。……俺はただ、君を守りたいだけだ」
そしてシンは、左腕で己を誘惑しようとしていたマユの小さな背中を引き寄せ、右腕で震えるステラの華奢な身体を抱き込み、左右から二人の少女を己の胸の中へと力強く、深く抱き締めた。
性的な欲情も、背徳的な甘さも、そこにはもう欠片も残っていなかった。
あるのはただ、理不尽に傷つけられ、運命に翻弄される二つの小さな命を、世界のあらゆる悪意と業火から何があっても守り抜くという、鋼鉄の盾のような悲壮なまでの決意だけだ。
「マユも、ステラも……俺が絶対に守る。誰にも傷つけさせないし、もう二度と泣かせない」
闇に沈むモルゲンレーテの地下室で、シン・アスカは己の胸にすがりつく二人の少女の体温と鼓動を感じながら、決して砕けることのない誓いを立てていた。
その瞳には、かつて空を見上げて焦がれた、あの白銀の英雄と同じ、深い悲しみと圧倒的な覚悟の光が確かな熱を持って宿り始めていたのである。
残念だったな妹よ。
シン・アスカは飛鳥先輩へとワープ進化してしまったのさ。
しかしゼロシステムの説明と、それっぽいシステムを積んでるアシュセイヴァーの説明に文章の過半数を使わされるとな。