やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか 作:星乃 望夢
オノゴロ島の地下深く、モルゲンレーテの最深部に設けられた極秘の特別ハンガー。
無機質なLEDの作業灯に照らし出され、周囲の空気を圧するかのような圧倒的な存在感を放ちながら、その機体は静かに屹立していた。
黄金に輝くオーブの守護神、モビルスーツ『アカツキ』。
僕の、文字通り血と汗と削り取られた寿命の結晶。そして、何かに取り憑かれたような執念という名のギリギリの頑張りによって、機体制御のOSからエネルギー管理プロトコル、ヤタノカガミの熱量変換アルゴリズムに至るまで、すべてのシステムは実戦投入が可能な完全な『カタチ』として仕上がった。
見上げれば、まるで神話の彫像のような神々しさすら漂うその機体だが、その実態は狂気じみたコストとオーバーテクノロジーの塊である。
この機体の最大の特徴である、ビームを反射する黄金の装甲『ヤタノカガミ』。
着弾したビームのエネルギーを瞬時に相転移させて跳ね返すという、物理法則を嘲笑うかのようなこのデタラメな超常技術をたった1機に施すだけで、オーブの主力歩兵となるはずのM1アストレイが20機は軽く製造できてしまうという、為政者からすれば頭を抱えたくなるような最悪のコストパフォーマンスを誇っている。
後年の歴史を知る僕からすれば、戦艦の主砲はおろか、やがて来る『FREEDOM』の時代において戦略級破壊兵器であるレクイエムの極太の凶弾すらも真正面から跳ね返してのけるほどの絶対的な防御力を持っているのだから、国を挙げて予算を注ぎ込み、これを量産して黄金の部隊を作った方が国家防衛としては遥かに有益なのではないか、と一瞬思わなくもない。
だが、オーブという国の置かれた立場と、この世界の軍事的なメタ構造を考慮すれば、この機体が『ワンオフ(一品物)の専用機』として留まっていることには、実は極めて大きな、そして決定的な利点が存在する。
それは、「奪取される心配が極めて低い」ということだ。
数を作り、配備箇所を増やし、汎用的な運用を前提とすれば、必ずセキュリティの穴が生まれる。
それは他でもない、僕自身が巻き込まれることになるヘリオポリスでのG兵器強奪事件やあるいはやがて来るアーモリーワンでのセカンドステージ強奪事件が証明している、いわば「ガンダムのお家芸」にして歴史の必然だ。
もし連合の特殊部隊『ファントムペイン』や、ザフトの特殊部隊にこのアカツキが量産されていて奪われたとしたら、どうなるか。ビームが一切通用せず、実弾すらも強固なフレームで弾き返す黄金の部隊が、逆にオーブの国土を蹂躙するために攻めてくる。そんな悪夢の連鎖を引き起こせば、それこそオーブは自らの手で生み出した刃によって完全に滅亡してしまう。
だからこそ、このアカツキは量産などしてはいけないのだ。
莫大なコストをかけてたった1機だけを造り上げ、最高レベルのプロテクトを施したアカツキ島の地下最深部に封印し、オーブの理念を真に理解し、命を懸けて国を守り抜く覚悟を持つ『ただ一人の正当な継承者』──いずれ代表となるカガリか、あるいは不可能を可能にするあの男──のためだけに存在し続ける。
兵器という枠組みを超えた、文字通りの『象徴』であり『守護神』だからこそ、その価値は国家予算の枠組みでは計れない。
「……終わった。全部、終わらせたぞ……」
テスト用のサブコンソールから最後の暗号化ロックを掛け終えた瞬間、僕の指先から、プツンと何かが途切れるような感覚が走った。
それと同時に、今までアドレナリンとスーパーコーディネイター特有の異常な集中力で無理やり抑え込んでいた、蓄積された疲労と重圧、そして極度の睡眠不足が、決壊したダムのように全身の細胞へと一気に雪崩れ込んできた。
僕はキーボードから手を離し、キャスター付きのワーキングチェアにずるりと深く背中を預けた。
モニターの青白い光が消え、静寂を取り戻した地下ハンガーの中で、ただアカツキの黄金の装甲だけが、非常灯の僅かな光を拾って鈍く、美しく輝いている。
視界がぐらぐらと揺れ、頭の奥でガンガンと耳鳴りがする。
もう、コードの1行はおろか、指先1ミリすら動かす気力も湧いてこない。
昭和のボクシング漫画の金字塔のラストシーンのように、僕は両腕をだらりと下げ、天井の無機質なパイプを見上げたまま、ただ浅く静かな呼吸だけを繰り返していた。
「あしたのジョー」よろしく、文字通り『真っ白に燃え尽きた』状態だ。
連合への対応、TC-OSの開発、ジャンク屋での暗躍、アストレイ三人娘のレクチャー、そしてこのアカツキの完成。
僕がこのヘリオポリスの外へ出て、オーブ本国で為すべきだった最大の仕込みは、これで全て完了した。運命がどれほど残酷なシナリオを用意していようとも、あの『血のバレンタイン』から今日まで僕が積み上げてきたこの防衛線が、必ず僕たちの居場所を、そして彼女たちの未来を繋ぐ強靭な鎖となるはずだ。
遠くプラントにいる彼女に、今夜のクロッシングで「僕の役目は終わったよ」と報告する体力をどうにか残しながら、僕は黄金の守護神の足元で、泥のような、けれどこの世界に生まれ変わってから最も深く、最も安らかな眠りの底へとゆっくりと沈んでいった。
◇◇◇
モルゲンレーテの地下深くに設置されたシミュレーター・ルームには、連日、焦燥と歓喜、そして絶望の入り交じった嬌声が響き渡っていた。
アサギ、マユラ、ジュリ。オーブが誇るテストパイロットである彼女たちは、自分たちがかつてない次元の強さを手に入れているという明確な自覚があった。少し前までの彼女たちは、M1アストレイという最新鋭機を与えられながらも、まるで錆び付いて油の切れたブリキ人形でも操るかのように、のろくさと歩行させるのが精一杯だったのだ。しかし、キラ・ヤマトの手によって組み上げられた『TC-OS』という魔法の翼を得た今、彼女たちの機体は思考とリンクしたかのように滑らかに躍動し、ザフトのジン部隊とも渡り合えるほどの連携と機動力を手に入れていた。
しかし──そんな彼女たちのささやかな自信とプライドは、同じM1アストレイに乗り、同じTC-OSを使用する「開発者本人」であるキラ・ヤマトの前では、あまりにも無惨に粉砕され続けていた。
「マユラ、右から来る! ジュリ、援護!」
「わかってる! 落とすよ、キラ君」
3対1。モビルスーツ戦闘において、同型機での数的有利は絶対的な戦力差を意味する。ましてや彼女たちは独自のフォーメーションを構築し、死角を補い合う完璧な十字砲火を敷いていた。それにも関わらず、シミュレーションが開始されるや否や、彼女たちは毎回のように文字通りの「ボロ負け」を喫し、泥水を啜らされていた。
撃墜判定は、常に同じ。コックピットへの直撃による「即死」ではなく、ビームライフルやビームサーベルによる四肢の正確な切断、あるいはメインカメラの的確な破壊である。戦闘能力を完全に削がれ、身動き一つ取れないダルマ状態にされ、アラートが鳴り響く真っ暗なモニターの中で敗北を告げられる。それは戦死するよりも遥かに屈辱的であり、実力差を骨の髄まで分からせられる生殺しの体験だった。
しかも、彼女たちを絶望の淵に叩き落とすキラの戦い方は、オーブ軍の教範にもザフト軍の戦術データにも存在しない、常軌を逸した「奇抜な戦法」の連続だった。
暗礁宙域での戦闘訓練中、キラのM1はスラスターの推進力だけに頼らない。浮遊するデブリや破壊されたコロニーの残骸を「足場」として蹴り飛ばし、アンバック(AMBAC)作動と物理的な反発力を利用して一瞬で殺人的な加速を生み出すのは朝飯前。さらに恐ろしいのは、デブリを蹴ったその瞬間に、機体の運動ベクトルを完全に殺し、物理法則を無視したかのように「直角に曲がる」という変態的なマニューバだった。
背後を取り、ロックオンしたと思った次の瞬間、キラの機体は残像だけを残して直角にスライドし、視界から完全に消え失せる。手品のようにレーダーからロストした直後、死角から放たれたビームが自機の右腕を正確に吹き飛ばすのだ。
3機がかりで弾幕を張り、逃げ場のない十字砲火を浴びせた時の対応も常軌を逸していた。シールドで防御しながら後退するのなら、まだ常識の範疇だ。しかしキラは、ビームと実弾の雨が降り注ぐ中を「正面から突っ切ってくる」という正気の沙汰とは思えない行動に出る。
しかも、自機に向かって飛来するビームライフルの閃光を、抜刀したビームサーベルの刀身で「叩き斬る」という、システム上可能なのかすら疑わしい神業を平然とやってのけるのだ。
さらには、高出力で形成されたビームサーベルをブーメランのように投擲し、回転して飛来するそのサーベルに自らビームライフルを撃ち込む。ビーム同士が衝突して生じたプラズマの爆発が強烈なエネルギーの乱気流と閃光(フレア)を生み出し、彼女たちのM1のメインカメラとセンサーを瞬時に焼き切って視界を奪う。
視界が回復した時には、キラはすでに別の奇策に打って出ている。必要とあれば左腕のシールドを迷いなくパージして宇宙空間に置き去りにし、それに彼女たちの注意が向いたほんのコンマ数秒の隙に、死角から正確な狙撃で足を撃ち抜いてくる。また、サーベルを斬撃兵器としてではなく、まるでダガーナイフか手裏剣のように一直線に投擲し、関節の駆動部を正確に貫くといった芸当まで見せた。
ならばと、射撃戦を諦めて乱戦に持ち込み、運良く懐へと飛び込めたとしても、そこにはさらなる地獄が待っている。
アサギが渾身の力でビームサーベルを振り下ろした瞬間、キラのM1は滑るように半歩だけ身を沈めてそれを躱す。前につんのめって体勢を崩したアサギ機の背部へ、流れるような動作でM1の硬質な金属の肘鉄を叩き込み、バランスを完全に狂わせる。そうしてアサギがもがいている僅かな時間に、キラは既に振り返ることもなく、後方でカバーに入ろうとしていたジュリの機体へとビームライフルを放ち、そのメインカメラを撃ち抜いているのだ。
完全に背後を取り、「貰った!」とトリガーを引こうとしたマユラも、機体の頭部を一切振り向かせることなく、モニターの背面センサーと空間認識能力だけを頼りに放たれたキラの「振り向き撃ち」によって、武器を持つ右腕とカメラを同時に破壊された。
3人娘からすれば、それはもはや訓練ではなく、得体の知れないバケモノに弄ばれるホラー映画のような体験であった。
しかし、シミュレーター・ポッドの中で汗を流すキラ・ヤマトの視点は、全く異なる悲壮な決意に満ちていた。
彼からすれば、この3機掛けの戦闘シミュレーションは、彼女たちの生存率を少しでも引き上げるための強引なパワーレベリングであると同時に、己自身の「コックピットを絶対に撃たずに相手を完全無力化する」という、途方もない縛りプレイの特訓でもあった。
実戦において、殺意を持って向かってくる複数の敵機を相手に、急所である胴体を避けて手足やカメラだけを的確に処理していくというのは、ただ敵を撃墜するのとは比較にならないほどの精神力と超絶的な精密射撃、そして予測演算能力を要求される。少しでも狙いがブレれば、相手を殺してしまうか、自分が殺される。
けれども、彼にはそうしなければならない理由があった。迫り来る運命の中で、G兵器『ストライク』のコクピットに座る日が来たとしても、キラは自身の手に直接的な「人殺し」の感触を残したくなかったのだ。
戦争だから。巻き込まれたから。仲間を守るためだから仕方ない。頭ではそう理解していても、十五歳の、そして前世では平和な日本で生きていた魂を持つ彼にとって、好き好んで人の命を奪うことなど絶対に許容できない一線だった。だからこそ、彼はこのシミュレーターの中で、何度でも血を吐くような思考を繰り返し、誰一人殺さずに盤面を制圧する「不殺の武力」を極めようと足掻いていた。
そして、その超絶的な戦技を支えている根幹──それは、キラ・ヤマトが持つ前世の「オタク知識」の集大成、すなわち様々なガンダム作品の主人公やエースパイロットたちの『ごちゃ混ぜごった煮戦法』であった。
コズミック・イラの世界において、誰も見たことも想定したこともない異次元の戦術。歴史も世界線も異なる歴代の「怪物」たちの戦いの記憶を、スーパーコーディネイターの頭脳と身体能力で完璧にトレースし、TC-OSという最強のツールを通じて出力する。
結果として、アサギ、マユラ、ジュリの3人は、自分たちが「一人の天才」を相手にしているつもりでいながら、その実、あらゆるガンダム世界の修羅場を潜り抜けてきた「歴代エースパイロットたちの亡霊」が束になって襲いかかってくるという、理不尽極まりない地獄の特訓を強制的に体験させられ続けていたのである。
◇◇◇
ヘリオポリスの港に降り立つと、環境システムによって管理された人工的な風の匂いが、ひどく懐かしく、そして少しだけ切なく感じられた。
当初はウズミ様との会談のため、ほんの1週間ほど本国に滞在するだけの予定だったのだ。
それが、M1アストレイ向けのTC-OSのアジャストに始まり、ジャンク屋組合向けの『ティエレン』の開発、そして極めつけはオーブの守護神『アカツキ』の完成……。
スーパーコーディネイターの無尽蔵の体力をフル稼働させて無理に無理を重ねても、予定は大幅に超過。
気が付けば、カレンダーはもう12月になろうとしていた。
年が明けて1月半ばになれば、いよいよ運命の歯車は決定的な音を立てて回り始める。あの『血のバレンタイン』から続く悲劇の連鎖が、この平和なコロニーを引き裂く日がやって来るのだ。
だが、今の僕は本来の歴史にいた「何も知らない平和ボケしたキラ・ヤマト」とは、色々な部分で大きく異なっている。
結局、モルゲンレーテの地下施設に文字通り缶詰め状態だったため、オーブ本国の美しい景色を楽しむような観光の余裕など1秒たりとも無かった。そして何より、ウズミ様の取り計らい(あるいは徹底した情報統制)のせいか、カガリと顔を合わせる機会は一度として無かった。
本来の歴史の彼女を知る僕からすれば、あの跳ねっ返りで行動力の塊みたいなカガリのことだ。「オーブが地球軍と結託してMSを作っている」というキナ臭い噂を耳にすれば、わざわざ宇宙のヘリオポリスまで乗り込んでくる前に、まずは一番疑わしいお膝元の本国モルゲンレーテに単身突撃してきてもおかしくないはずなのだ。
それを完全に防ぎ切ったのだとすれば、やはり「獅子」と呼ばれるウズミ様の親としての、そして為政者としての手腕は恐るべきものだったのだろう。
ともかく、僕は長く留守にしてしまった我が家へと帰り、玄関のドアを開けた。
「……ただいま、父さん、母さん。遅くなってごめんなさい」
リビングで待っていた父さんと母さんは、疲労の色が濃い僕の顔を見るなり、何も言わずに温かく迎え入れてくれた。
温かい食事を口にし、少しだけ人心地がついた後、僕は二人の前に座り直し、静かに口を開いた。
オーブ本国で、ウズミ・ナラ・アスハ代表と直接会談したこと。
僕がモルゲンレーテのシステム開発に深く関わり、すでにオーブの国防という巨大な渦の中に身を投じていること。
僕の口から語られる「普通の学生」の枠を完全に逸脱した真実に、二人はただ静かに、時折痛ましそうな表情を浮かべながら耳を傾けていた。
「ごめんなさい……」
僕は、膝の上でギュッと拳を握りしめた。
「父さんと母さんが、僕のことを『ただの子供』として……兵器や戦争なんて無縁の、普通の幸せな世界で育てたかったってこと、ちゃんと分かってたのに。……その願いに、背くような真似をしてしまって」
ユーレン・ヒビキという狂気の天才によって生み出された『最高の傑作』。
その呪われた出自を隠し、ただ一人の人間「キラ・ヤマト」として、陽の当たる場所で笑って生きていけるように。お腹を痛めて産んだわけでもない僕を引き取り、二人がどれほどの覚悟と愛情を持ってこの平和なヘリオポリスで育ててくれたか。前世の記憶を持つ僕には、その恩義と重みが痛いほどよく分かっていた。
だからこそ、自ら軍事技術の闇へと足を踏み入れたことは、二人の深い愛情への裏切りになるのではないかと、ずっと恐れていた。
「……何を謝ることがあるんだ、キラ」
重い沈黙を破ったのは、父さんの穏やかで、けれど芯のある声だった。
顔を上げると、父さんは優しく微笑み、母さんは目元に涙を浮かべながら僕の隣に座り、その温かい両手で僕の握りしめた拳をそっと包み込んでくれた。
「あなたがどれほど特別な力を持っていようと、どんな道を選ぼうと……あなたは、私たちの大切な息子よ。それは、あなたがこの家に来たあの日から、何一つ変わらないわ」
「……母さん」
「私たちはね、キラ。ただお前に『平和な世界』で生きてほしかっただけじゃない。お前が、お前自身の意志で『守りたいもの』を見つけてくれることを願っていたんだ。……ウズミ様に会って、自分の力を使う覚悟を決めたんだろう? なら、父さんたちがそれを止める権利なんてないさ」
その言葉に、僕の中で張り詰めていた見えない糸が、ふっと解けるような気がした。
スーパーコーディネイターという重すぎる宿命を背負った今生の肉体。それでもこの世界で「僕」という人間を形作ってくれているのは、間違いなくこの二人の無償の愛情だった。
「……ありがとう。父さん、母さん」
僕は、母さんの手を握り返し、まっすぐに二人を見た。
「こんな僕を……世界で一番の愛情で育ててくれて、本当にありがとう」
運命の日は、もうすぐそこまで迫っている。
地球軍のG兵器がこのコロニーで完成を迎え、ザフトのクルーゼ隊が襲撃してくるあの地獄の日は、確実にやってくるだろう。
けれども、僕には守るべき確かな『帰る場所』があった。
この温かい両親との時間を、そしてオーブで生きる人たちの未来を繋ぐためなら、僕は喜んで歴史の修羅場へと飛び込んでみせる。
ヘリオポリスの穏やかな夜。僕は久しぶりに、自分の部屋のベッドで、泥のように深く、温かい眠りについた。