キラ・ヤマトになってしまった…   作:星乃 望夢

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PHASE-106 蝋翼の騎士

 

 オノゴロ島の乾いた風が、荒涼とした野営演習場の土埃を巻き上げている。

 

 標的が配置された射撃エリアの先には、紺碧の海が広がっていた。

 

 キラ・ヤマトがその場に姿を現すと、鋭い眼光を湛えた試験責任者のシホ・ハーネンフースが、背筋を伸ばして歩み寄ってきた。

 

「ご足労いただきありがとうございます、准将閣下!」

 

 シホの声は明瞭で、兵士としての規律が染みついている。

 

 キラは軽く手を挙げて彼女の緊張を解くと、試験場の中心へと視線を移すよう促した。

 

「ううん。こっちこそ、シホを待たせちゃってごめん。早速始めようか」

 

「はっ!」

 

 短い応答と共にシホはフリーダムのコクピットへと駆け上がり、滑らかな動作で起動シークエンスを完了させた。

 

 巨大な翼を広げ、大地を蹴って宙へと舞い上がるフリーダム。

 

 そのシルエットを眩しげに見上げながら、キラは手元の観測端末の感触を確かめた。

 

 シホのフリーダムが手にしているライフルは、一見すれば従来の兵装と大差ないように見える。

 

 しかし、その銃口の構造は特殊だった。

 

 本来、エネルギー収束率を高めるために細く絞られる銃口が、今回のモデルは明らかに広く設計されている。

 

 これは、単なる「威力重視」の太いビームを放つためではない。

 

 より高度な、エネルギーの性質そのものを操作するための構造だ。

 

 フリーダムの前方に設置された標的は、防御装甲を試験するために用意されたフレック・グレイズの『ナノラミネート装甲』を着せた、いわば鉄骨案山子である。

 

 ナノ単位で耐ビームコーティングを積層されたこの装甲は、戦艦クラスのビーム砲すらも最低一発は確実に無力化し、耐え抜く堅牢さを誇る。

 

 フリーダムが静止し、ライフルが標的を捕捉した。

 

 放たれた一撃は、眩い閃光となって虚空を切り裂いた。

 

 着弾の瞬間、ナノラミネート装甲の表面に青白い火花が散り、装甲そのものが高熱で溶融し始めた。

 

 本来ならビームを無力化するはずのナノラミネート装甲が、まるでバターを切るホットナイフのように、物理的な切断面を伴って焼き切られていく。

 

 ビームは標的の装甲を完全に穿ち、背後の土壁まで貫通した。

 

「…ドッズライフル……、ウソでしょ……」

 

 キラの呟きは、感嘆と微かな震えを孕んでいた。

 

『如何でしょうか、准将! これならば、たとえティエレンの耐ビームコーティング装甲であっても、一撃で貫通可能です!』

 

 フリーダムのスピーカーから、シホの弾んだ声が響く。

 

 自信に満ちたその口調からは、技術者としての誇りが伝わってくる。

 

 驚くべきことに、そのビームは直進するだけの単調な光の筋ではなかった。

 

 弾道が螺旋を描き、まるで実弾兵器が銃身のライフリングによって回転を加えるかのように、熱エネルギーが回転しながら標的を穿っている。

 

 この回転力が、ビームの貫通力を劇的に高め、ナノラミネート装甲の積層構造を物理的に「抉り取る」ような動きを見せているのだ。

 

(まさか……エネルギー偏光工学を専門としているシホが、独自にこの境地にまで達するとは)

 

 キラは戦慄に近い感動を覚えていた。

 

 彼は『虚憶』という名の別次元の知識を頼りに、兵器開発における最適解をカンニングし続けてきた。

 

 しかしシホは、自分自身で壁にぶつかり、その壁を突き破るためにゼロから思考を重ね、対抗策を生み出したのだ。

 

 これは紛れもなく、この世界の技術者たちが自らの力で歴史を切り拓こうとする、逞しい「進化」の証であった。

 

 もし、シホがイザーク・ジュールという強固な楔を心に留めていなければ、キラは感動のあまり彼女を抱き締めていたかもしれない。

 

 そんな衝動を抑え込み、キラは自身の情けなさと、彼女たちの力強さを噛み締めた。

 

「完璧だよ、シホ。……君たちは、僕が教える必要なんてないくらい、自らの力で未来を創り出しているんだね」

 

 キラは端末を操作し、データを保存しながら、シホの創り出した「壁を越える矛」を改めて凝視した。

 

 カンニングペーパーに頼り切った英雄の歩みとは異なる、泥臭くも輝かしい彼女たちの研鑽。

 

 その姿は、キラにとって、自身が守るべき未来がいかに尊いものであるかを再確認させる、何よりも心強い光景だった。

 

「とはいえ、現状では核動力機が誇る圧倒的なエネルギー供給量でなければ運用するのは困難です。連射性も、ビームを極限まで収束・圧縮するためのプロセスが必要になる関係上、決して良好とは言えず……あくまで試作段階の域を出ない兵装、というのが正直な評価です」

 

 シホはフリーダムのコクピットから降り立ち、技術者としての厳格な自己分析を口にした。

 

 その瞳には、自身の発明に対する期待と、同時に付きまとう技術的課題への冷静な視点が同居している。

 

「いや、違うんだ。シホ、自信を持っていい。凄いよ、これは」

 

 キラはシホの肩を叩くようにして、その表情を覗き込んだ。

 

 彼の言葉には、単なる上官としての労いではなく、一人の技術者として彼女の才能を心から称賛する熱がこもっていた。

 

「ティエレンのコーティング装甲ならともかく、あのナノラミネート装甲を正面から抉り貫けるビームライフルの開発は、戦場のパワーバランスを根本から変える発明だ。大げさじゃない、歴史が変わるよ。シホにはこのまま、フリーダムの専任パイロットとしてその機体を任せる。君こそが、この矛を最も輝かせられる使い手だ」

 

 キラの太鼓判に、シホは驚きに目を見開いた。

 

「……准将、本当に私が任されてもよろしいのですか? このフリーダムは本国から貴方へと預けられた、いわばプラントが誇る最高の国宝とも呼ぶべき機体です。パトリック・ザラ議長が直々に、貴方の卓越した指揮官としての手腕を評価して託したものなのに……」

 

 シホは振り返り、神々しく佇むフリーダムを見上げた。

 

 その背中には、空を征くための巨大な翼が折りたたまれている。

 

「うん。フリーダムも素晴らしい機体だよ。でも、僕の戦闘スタイルとはどうしても肌が合わなかったんだ」

 

 キラは自身の両手を見つめた。

 

 彼の得意分野は、限界領域での高機動白兵戦だ。

 

 幾重もの敵影をすり抜け、標的の懐に飛び込んで刹那の決着をつける。

 

 それに対し、フリーダムが与えられたコンセプトは、マルチロックオンシステムを活かした全方位への高機動砲撃戦である。

 

 同じ「高機動」であることには変わりないが、機体の立ち位置と、キラの身体が求める戦闘スタイルとの間に、埋めがたい乖離が存在していたのだ。

 

「それにこう……なんて言えばいいかな。今のフリーダムの機動力だと、何か物足りなくて。もっと、こう……心臓が震えるほどグワーッとするような、今の倍の機動性がないと満足できないんだ」

 

「今のフリーダムの倍……ですか? 准将、それは物理法則を無視するにも程があります。いくら超常的な反射神経を持つコーディネイターとはいえ、常時かかり続けるGの重圧で、パイロットの身体が先に押しつぶされてしまいます」

 

 シホは、冗談を聞いたかのように呆れ返った。

 

 自分自身、フリーダムを限界まで全速駆動させるだけで、全身の骨が悲鳴を上げ、視界が歪むような感覚を味わっている。

 

 この同い年の少年准将は、一体どのような肉体をしているというのか。

 

「うん、そうだね。僕が求めているのは、一瞬にしてGを15Gの領域にまで引き上げ、そのまま維持できるような機動力。さらに言えば、補助スラスターを使わずとも単独で大気圏を離脱できる推力が必要なんだ」

 

「……准将。それは、本当に『モビルスーツ』というカテゴリーに収まるものなのですか?」

 

 そう問いかけるシホの声は、半分呆れと、残る半分は技術者としての恐怖に震えていた。

 

 そんな出力を受け止めるフレーム構造、それを制御するバーニア、そして何より、エネルギー源はいったいどのような規格外の代物なのか。

 

 しかし、キラはその質問に答える代わりに、小さく微笑んで後方を指さした。

 

「答えは、そこにあるよ」

 

 演習場の奥、重厚なトレーラーの影が動いた。

 

 ガシャリ、と鈍い金属音を響かせ、巨大な作業アームが解放される。

 

 デッキアップされたトレーラーの荷台の上で、寝そべっていた巨大な鋼鉄の巨人が、ゆっくりと、しかし優雅に直立した。

 

 まるで中世の騎士を彷彿とさせる、気高くも猛々しいシルエット。

 

 右肩には、重厚なマズルブレーキを備えた巨大な『ドーバーガン』が懸架され、左肩のアームには円形のシールドと、その裏側に隠された二本のビームサーベル、さらに威圧的な『ヒートランス』が備えられている。

 

 機体装甲の縁取りには高貴な金色が施され、純白の装甲に、鮮烈な赤の鶏冠が冠されている。

 

 背部に装着された巨大なスーパーバーニアは、本来ならば白く塗装されるべきところを、あえて対比の美しい漆黒で塗り上げられていた。

 

 それは、『敗者たちの栄光』に見られる洗練された騎士の意匠をベースにしつつ、TV版の荒々しい黒いスラスターを融合させた、世界に一機だけの機体。

 

「これが、トールギス……」

 

 シホは絶句した。

 

 その威圧感は、フリーダムのような万能兵器とは異なる、純粋な『気高さ』の結晶。

 

 エレガントでありながら、一度起動すればすべてを灰にするまで止まらない、狂おしいほどの速さ。

 

「これが、僕が選んだ『今の相棒』だよ。シホ、君にはフリーダムを預ける。僕はこの騎士と共に、世界を、そして未来を切り拓く」

 

 キラはそう言って、騎士の足元へと歩み出した。

 

 その背中は、もはや迷いなど微塵も感じさせない、突き抜けるほどに強固な決意に満ちていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 アフターコロニーの世界観に登場するモビルスーツは、現代の兵器工学の常識を根底から覆すような、質量に対する特異な軽量性を誇っている。

 

 ティエレンが100トン、ストライクガンダムが67トン、小型のフレック・グレイズですら25トンという重量級の兵器群が主戦力をなすコズミック・イラの基準からすれば、トールギスの8.8トンという数値は物理法則のバグとしか思えない。

 

 アフターコロニーで採用されている特殊金属の構造的優位性なのか、あるいは設計思想の根本的な乖離なのかは定かではないが、この「圧倒的な軽さ」こそが、あの荒唐無稽な高機動の源泉であることは疑いようがなかった。

 

 しかし、オーブのモルゲンレーテが総力を挙げて建造したこのC.E.版トールギスは、オリジナルとは異なる道を歩んだ。

 

 C.E.の標準的な金属加工技術──高硬度のチタニュウム合金装甲を基軸とし、ニュートロンジャマーキャンセラーを搭載した核動力炉と、それを保護するための堅牢なフレームを組み上げた結果、その重量は80トンという、極めて重厚なMSとして産声を上げたのだ。

 

 キラ・ヤマトにとって、機動兵器開発のプロセスは「解法のあるパズル」に等しい。

 

 彼には『虚憶』という名の、完成された設計図があるからだ。

 

 トールギスも、5機のガンダムも、あるいは禁忌のゼロシステムも、すべては到達すべき「正解」として彼の脳内に焼き付いている。

 

 C.E.が誇る超高度な工業技術でその「正解」を現実世界に具現化していく作業は、彼にとって既存の概念を更新する喜びであった。

 

 だが、80トンの質量を15Gという加速領域へ叩き込むスーパーバーニアの出力は、理屈を超えた物理的な暴力である。

 

 これは単なる試作機ではない。

 

 将来的にメガキャノンを振り回す過酷な「トールギスⅢ」へと進化するための、通過点に過ぎない。

 

 荒馬を乗りこなすための登竜門として、キラはこの怪物に身を投じた。

 

 コックピットに沈み込み、機体ステータスを確認する。

 

 モニター上に並ぶ数値はオールグリーン。機械の冷徹な精度と、核動力の深淵なる脈動が全身に伝わってくる。

 

『では准将、トールギスの処女飛行を開始します』

 

 管制席に座るシホの凛とした声に応え、キラは静かにスロットルを押し込んだ。その瞬間、世界が剥離した。

 

「──────ッ!?!?」

 

 視界が真っ白に塗り替えられ、遠方にあったはずのターゲットボードが、まるで空間を圧縮したかのように眼前へ飛び込んできた。

 

 思考の深淵で「構えろ」と命令を下すより早く、ヒートランスが空を切り裂く。

 

 しかし、スーパーコーディネイターの動体視力ですら追いつけない初速に、ランスの軌道は不格好に歪み、標的を破壊するというよりは、突き飛ばすような無様な結果に終わった。

 

(レバーを、引き損ねた……!?)

 

 加速のあまりの速さに、身体が追いつかない。

 

 遅れて襲いかかるのは、細胞一つひとつをギシギシと軋ませるような激しいGの圧迫感だった。

 

 標的の破片が空中に舞い上がるなか、キラは歯を食い縛り、吐き気と闘う。

 

「くぅぅぅぅッッッ……!」

 

 内臓が口腔へとせり上がるような強烈な圧迫。加速の余波だけで、大気が衝撃波となって轟く。

 

「ぐぅ、……重い。機体の機動性を、バーニアの出力だけで強引に補うなんて……パイロットの身体のことなんて、微塵も考慮していない……わかってたけど……なんて無茶苦茶な設計だ……ッ!」

 

 苦笑を漏らす余裕すらない。

 

 キラはさらにスロットルを押し込んだ。

 

 加速を極限まで引き上げるため、ショックコーンが形成されるほどの勢いでトールギスが空を割る。

 

「グハッ」

 

 限界を超えた血圧に耐えかね、口内から鮮血が噴き出す。

 

 極限のG負荷に合わせ、かすかに震える腕でレバーを引き絞る。

 

 だが、過剰な負荷と判断力の低下が、仇となった。

 

 加速から急停止へと転じるための逆Gを計算し損ね、機体は姿勢制御の限界を超えて錐揉み状態に陥った。

 

 撹拌された三半規管は即座にシャットダウンを命じ、キラの意識は急速に暗転する。

 

 巨体は大地へと吸い寄せられるように、無慈悲に墜落した。

 

「准将閣下!!」

 

 シホの悲鳴のような指示が無線を飛び交う。

 

「急げ! 機体回収、救護班直ちに現場へ出動!! 私もフリーダムで出るっ!!」

 

 モニター越しに墜落する白い機体を見たシホの顔からは、血の気が完全に失われていた。

 

 愛機フリーダムのバーニアを最大出力で点火し、彼女は砕け散る可能性のある「英雄の揺り籠」へと、一刻も早く駆けつけるために翼を翻した。

 

 シホが操るフリーダムのメインカメラが、墜落現場の惨状をクローズアップした。

 

 先ほどまで音速を超えて空を舞っていた白い巨人は、今や凄まじい土煙の渦の中に沈んでいる。

 

 機体が激突した際の大地は、まるで爆弾でも落とされたかのようにクレーター状に抉れ、その中心でトールギスは無残な姿勢で横たわっていた。

 

 シホは息を呑んだ。

 

 通常のモビルスーツであれば、あれほどの重量の機体が、加速の勢いを殺せぬまま大地へ叩きつけられれば、フレームは粉砕され、メインカメラは明滅を繰り返し、装甲には無数の亀裂が走るはずだ。

 

 しかし、そこに鎮座していたトールギスは、異様なほどの「無傷」を保っていた。

 

 チタニウムという、現代の兵器体系においては決して特殊とは言えない標準的な装甲材質。

 

 フェイズシフト装甲のようにエネルギー変換で物理的衝撃を無効化するような魔法も積んでいない。

 

 それにもかかわらず、高高度からの墜落と、機体自体の80トンもの質量がもたらす運動エネルギーをまともに受け止めながら、その表面には歪み一つなく、凹みさえも存在しなかった。

 

 まるで、この機体そのものが、周囲の物理法則を拒絶しているかのような不可解と感じる程の堅牢さを誇っていた。

 

「救護班、まだか! 急げ!!」

 

 シホは怒号に近い声で指示を飛ばしながら、自身の機体から降り立つと、震える足でトールギスの足元へと走った。

 

 医療班が駆けつけ、慣れた手つきで重厚なコクピットハッチが開放される。

 

 そこから引き出されたキラ・ヤマトの姿は、あまりにも痛々しかった。

 

 ヘルメットのバイザー内側は、彼の鼻腔と口から溢れ出した鮮血で赤く染め上げられ、青白い顔はまるで人形のように生気を失っている。

 

 Gによる内圧で眼球の毛細血管が充血し、息も絶え絶えに掠れた呼吸を繰り返していた。

 

 医療班がストレッチャーを準備し、彼を慎重に運び出す。

 

「准将……。貴方は、人間として一体どこまで自分を壊せば気が済むのですか」

 

 呟きは風にかき消された。搬送されるキラの意識は朦朧とし、その身体はGによる強烈な負荷で深刻な損傷を負っているはずだ。

 

 しかし、彼の指先は、今もなお操縦桿を握っていたかのように、かすかに引き攣り、無意識のうちにトールギスの機動を再現しようと空を切っていた。

 

 医務室へ向かうストレッチャーの車輪が、演習場の荒れた路面を激しく叩く。

 

 シホはフリーダムに戻ることも忘れ、搬送の様子をただ見守ることしかできなかった。

 

 彼女の脳裏には、トールギスが墜落する直前、15Gという致死的な加速の中でさえ、なおも機体を美しく制御し続けようとしたキラの、鬼気迫る執念が焼き付いていた。

 

 それは彼が自分を救うための飛行などではなく、トールギスという荒馬を己の意志という鎖で、何としても服従させようとする、英雄の狂気そのものだったのだ。

 

 

◇◇◇

 

 

「……こ、こは……」

 

 漂白されたような視界の中、覚醒を始めたキラ・ヤマトの脳髄に、最後の記憶の断片がフラッシュバックする。

 

 ──トールギスのスロットルレバーを引き絞った瞬間。

 

 機体を急減速させようとしたはずが、限界を超えたGが自らの肉体を圧殺し、意識を刈り取っていった、あの絶望的な重圧感。

 

「ぐっ……ぁ……」

 

 状況を確認しようと僅かに身体を起こそうとしただけで、全身の神経を直接ガラス片で撫で斬りにされたかのような、あるいは骨という骨すべてにヒビが入っているのではないかと錯覚するほどの激痛が走った。

 

「目が覚めたか。……動かん方が良い」

 

 不意に、病室の冷たい空気をさらに凍らせるような、無機質で冷淡な声が響いた。

 

「骨も筋肉も、致命的な損傷には至っていなかったがね。Gによる内臓への極限負荷と、心臓に掛かった異常な重圧で一時心停止した程だったからな。よく戻ってきたものだ」

 

「…貴方は……」

 

 痛みに歪む視線を向けると、そこには白衣を纏い、カルテボードに冷たい視線を落とす一人の男が立っていた。

 

「私はミハイル・コースト。……アーカディアンプロジェクトに参加する、医師の一人だ」

 

 ミハイル・コースト。

 

 その名前を聞いて、キラの朦朧とした頭の片隅で知識のピースが符合する。

 

 ザフトのエースパイロットとして戦場を駆け、軍に入隊する前は医師としてメスを握っていた異端の男。

 

 基本的に他者を信じない冷淡な厭世家であり、社会の動向や政治的事情には一切の興味を持たず、常に自身の知的好奇心を満たすことだけを最優先に行動する人物だ。

 

 医学の道を志したのも、決して高尚な人道的見地からではない。

 

 ただ純粋に「人体という精緻なシステム」への好奇心からである。

 

 戦場にあっても、彼は作戦を「オペ」と称し、戦局の流れを病の進行に見立てながら、的確かつ迅速に患部(敵の中枢)を見つけ出しては処理していく。

 

 その冷徹な戦いぶりと医師という経歴から、敵軍のみならず味方からも畏怖を込めて『ドクター』の異名で呼ばれる男。

 

 彼の搭乗機には、手術用の手袋を模した不気味な「ゴッドハンド」のパーソナルマークが刻まれている。

 

 己の腕に見合う強敵との「オペ」にしか興味を示さず、傭兵部隊サーペントテールの叢雲劾など、本場のエースパイロットたち相手に幾度となく戦場で相まみえてきた狂気の求道者。

 

 そんな彼が、まさか極秘裏に進められているアーカディアンプロジェクトに医師として参加していたとは。

 

 オーブとヤマト財団のネットワークを国際規模で手広く広げすぎていたため、キラ自身もこの有名人の存在を見落としていた。

 

「まるで、イカロスだな」

 

 ミハイルはカルテから目を離し、ベッドに横たわるキラを冷ややかに見下ろした。

 

「え……?」

 

「あの様な、自身の身の丈に合わない蝋の翼で天を飛ぶなど、とても正気とは思えん。太陽に近付きすぎた英雄は、己の熱で翼を溶かし、血の海へと落ちた。……あの狂ったMSの唯一にして最大の弱点は、『パイロットが生身の脆弱な人間であること』くらいだな」

 

「……でも、必要な力なんです。アレに乗れるようにならないと、僕は世界を守れない」

 

 痛みを堪えながら、しかし真っ直ぐにミハイルを見返して答えるキラ。その瞳に宿る熱を見て、ミハイルは微かに鼻を鳴らした。

 

「キミのその強迫観念は、もはや精神病を越えた重篤な精神疾患だな。バカは死なねば治らんと言うが……キミは、死ぬまで自分がバカだと気付かんタイプに見える」

 

「バカでなかったら……最初から、あんな無茶苦茶なMSなんて造りませんよ……」

 

 キラが自嘲気味に笑うと、ミハイルは呆れたように短く息を吐いた。

 

「フン。……バカの自覚があるのなら、まだ救いようはあるのだろう。せっかく私が執刀した『オペ』だ。その命、無駄に散らして私の時間を無意味にさせるなよ?」

 

「はい。……ありがとうございます、ミハイルさん」

 

 冷たい言葉の裏にある、医師としての確かな矜持と不器用な気遣い。

 

 キラが礼を言うと、ミハイルは背を向けて病室を退出していった。

 

 そして、彼と入れ替わるようにして、血相を変えた人物が病室へと転がり込んできた。

 

「キラッ!! 身体は大丈夫か!? 何処が痛む? 痛み止めは飲んだのか!?」

 

「あ……アスラン」

 

「何故あの様な正気を疑うMSを作ったっ! いや、そもそもアレほど危険な機体のテスト飛行なら、俺が代わって……!」

 

「はいはい、落ち着け。大声出したらキラの傷に障るだろうが」

 

 アスランの悲痛な叫びを遮るように、後ろからついてきたムウ・ラ・フラガが彼の肩を掴んでなだめた。

 

「っ……申し訳ありません、フラガ三佐」

 

 ハッと我に返ったアスランが引き下がると、ムウはパイプ椅子を引っ張ってきて、キラのベッドの傍らにどっかりと腰を下ろした。

 

「しっかしまぁ、お前さん……『白銀の英雄』の輝かしい被撃墜記録の栄えある第一号が、まさかの自損事故なんてな。多分一生イジられるから、覚悟しとけよ?」

 

「勘弁してくださいよ……。そんなカッコ悪い理由でイジられたくありません」

 

 キラが顔をしかめると、ムウはやれやれと肩をすくめた。

 

「ま、有名税ってヤツさ。16歳で武装中立国家をまとめ上げ、その軍の最高軍事顧問に就任。技術者としてもパイロットとしても超一流で、政治もこなし、大西洋連邦の国防産業連合理事ともタイマンで裏取引をする。……そんなデタラメなバケモノが、実は1年半くらい前までは『ただの大人しいコーディネイターの学生』だった。血のバレンタインを切っ掛けに動き出した、美しき白銀の英雄ヒストリー」

 

 ムウはそこで言葉を区切り、少しだけ真面目な顔つきになった。

 

「いっくら才能があるコーディネイターだからって、そんな異常すぎる足跡に泥を塗りたがる奴はごまんと居るのさ。特に、男だから手っ取り早く分かりやすい『女関係のスキャンダル』に関してなら、尚更な」

 

「僕は別に、そういう風に立ち回ってるわけじゃ……」

 

「わかってるさ。ま、あとでイングリットの嬢ちゃんには、しっかり心配掛けた事を謝っとけよ? なんせキラが落ちたって聞いて、今にも自分も首を吊りそうなくらい、顔面蒼白で震えてたからな」

 

「……はい。そうします」

 

「素直でよろしい。どうだ? リンゴでも食うか?」

 

「ええ。はい、お願いします」

 

「んじゃ、ちょっくら売店行ってくるわ。あんまり無理すんなよ」

 

 そう言って、ムウはアスランの肩をポンと叩き、気を利かせるように病室を出ていった。

 

 静寂が降りた病室で、アスランはベッドの傍らに立ち尽くし、親友の痛々しい姿をきつく睨みつけた。

 

「……本当に、お前は……自分の身体と命が、もはや自分だけのものではないという事を自覚してくれ」

 

「うん。それは自覚してるつもりだよ」

 

「なら尚更タチが悪い! なんなんだ、あのMSは。カタログスペックのデータを見せてもらったが……あんな過剰なまでの推進器を積む必要が、今のこの世界の何処にあるんだ!?」

 

 アスランの怒りは、親友を失うかもしれないという強烈な恐怖からくるものだった。

 

 しかし、キラの瞳に揺らぎはない。

 

「必要だよ、アスラン。……まだこの世界は、完全に怨恨を取り除き切れてなんかいないんだ。いつ、どこで狂気が爆発するかも分からない」

 

 キラは痛む身体を少しだけ起こし、窓の外──遠い宇宙を見つめるように目を細めた。

 

「それこそ、地球を宇宙から撃ち抜けるような大量破壊兵器が作られるかもしれない。核ミサイルを無数に積んだ大部隊が動き出すかもしれない。あるいは……宇宙からコロニーや巨大な隕石を、地球へ落とそうとする者が現れるかもしれない。……もしそうなった時に、誰よりも迅速に現場に急行して、単機で戦局をひっくり返して目標を破壊する。そのための絶対的な機動力と装甲、そして大火力が、どうしても必要なんだ」

 

 それは、『起こり得る最悪の未来』──レクイエム、ジェネシス、そしてユニウスセブン落下に対する、キラなりの強迫観念とも呼べる備えだった。

 

「あのトールギスだって、まだ過渡期にすぎない。あれの完成形は……もっと手綱の利かない、恐ろしい暴れ馬なんだから」

 

「そこまでして……。そんな暴力的な力で、お前はこの世界を導こうというのか」

 

 アスランは絶望的な声で問うた。

 

「今はまだ、停戦協定で平和になったばかりだから良い。だが、いずれ世界が落ち着きを取り戻せば、お前のその『圧倒的な武力を背景にした支配と抑止』は、必ず反感を育てる土壌となるぞ! いつか世界中が、お前を敵に回すかもしれないんだ!」

 

「わかってる。……わかってるよ」

 

 キラの返答は、あまりにも静かで、穏やかだった。

 

「けど、今やれるだけのことは、すべてやっておきたいんだ。もしもの時に、『あの時備えておけば』なんて後悔しない様に。もし、世界が僕を敵に回す日が来たとしても……僕は戦うよ。僕が愛し、守りたいと願うこの世界の為に。戦ってでも守り抜きたいと願うからこそ、僕は精一杯、やれることをやるんだ」

 

「キラ……っ」

 

 アスランはギリッと奥歯を噛み締め、俯いた。

 

 自らの母親、レノア・ザラを救おうと、一介の学生でありながら地球軍のネットワークにハッキングを仕掛け、核ミサイル攻撃の証拠をザフトの統合参謀本部へと送りつけたキラ。

 

 けれども、その願いも空しく血のバレンタインの悲劇は引き起こされ、アスランの父パトリックは一度は復讐の狂気に呑まれた。

 

 そして、優しかった親友は、血濡れた『死の商人』としての修羅道を自ら歩みだした。

 

 世界が平和になり、父パトリックは表舞台から手を引くことができた。

 

 けれども、この『白銀の英雄』だけは、決して休むことを許されないかの様に、たった一人で世界を相手に睨みを利かせ、このオーブと平和を守り続けているのだ。

 

 自分には到底やり切れない、泥にまみれた政治の駆け引き。死の商人としての冷徹な為政者の顔。

 

 そして、いざ戦場に立てば、自ら死地に飛び込み、味方を鼓舞する無敵の将軍としての顔。

 

(代わってやりたい。……こいつの背負っているものを、少しでも俺が背負ってやりたい……!)

 

 けれども、アスランには痛いほど分かっていた。そのどれもが、今の自分には手に余るほどに大き過ぎる役目であるということを。

 

 本来のキラ・ヤマトは、決して英雄などではない。

 

 面倒くさがり屋で、怠け者で、甘ちゃんで。そして誰よりも傷つきやすい、泣き虫の親友なのだ。

 

 そんな彼が、自らの命を削り、心を殺してまで背負わなければならない「この世界の在り方」が、そしてそれに手を貸すことしかできない自分自身の無力さが──アスラン・ザラには、途方もなく歯痒く、ただただ悔しかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 その日、世界の情報ネットワークの深淵で、音もなく巨大な地殻変動が起きた。

 

 大西洋連邦の統合参謀本部、AEU、さらには大洋州連合、汎ムスリム会議──地球圏の主要な権力ブロックの、本来ならば絶対の防壁に守られているはずの最高機密サーバーに、突如として出所不明の膨大なデータ群が「埋め込まれた」のである。

 

 それは、偽装も暗号化も施されていない、剥き出しの最高国家機密。

 

 『ニュートロンジャマーキャンセラー』の完全なる構造図。

 

 そして、プラントが次世代の絶対的覇権を握るために極秘裏に開発されていた核動力搭載型モビルスーツ、『ZGMF-X10A フリーダム』および『ZGMF-X09A ジャスティス』の製造ライン用マスターデータ。

 

 世界中の軍事技術者たちがその画面の前で文字通り凍りつき、次の瞬間には狂乱の渦へと叩き落とされた。

 

 これまでオーブ連合首長国、とりわけキラ・ヤマトが率いるアナハイム・エレクトロニクスが特許と技術的独占によって世界のエネルギー均衡をコントロールし、実質的な「神の火」の封印者として君臨していた。

 

 各国家はその超然たる武力と経済力に臣従するか、あるいは辛うじて追随するしかなかったのである。

 

 だが、今回流出した設計図がもたらした最大の衝撃は、そのデータが「オーブ製」ではなく、「プラントのザフト統合設計局製」の純粋なオリジナルコードであったという点だ。

 

 構造や理論がどれほど似通っていようとも、刻まれている開発フォーマットはまぎれもなくプラントの技術体系のもの。

 

 それは地球軍の指導者たちにとって、悪魔の誘惑であり、同時に天からの免罪符であった。

 

 なぜなら、オーブの顔色を伺い、アナハイムの特許侵害という国際法上のアキレス腱を握られることもなく、各国家が「独自の国防主権」として、自国製のNJCを、自国の工場で、好きなだけ量産・配備できる大義名分を得たことを意味するからだ。

 

 しかし、この電脳空間のテロリズムとも言える情報流出には、あまりにも不気味な偏りがあった。

 

 オーブの同盟国である人類革新連盟、新興国家ファウンデーション、そして大西洋連邦の内部でありながらキラ・ヤマトと強固なビジネスラインを結んでいるムルタ・アズラエルのパナマ派の手元には、ただの一ビットのデータも送られてこなかったのだ。

 

「……意図的、ですね。それも、極めて冷酷な計算に基づいた」

 

 ファウンデーションの王宮の一室。ホログラムで投影されたオルフェ・ラム・タオの端正な顔は、かつてないほどの不快感と警戒心に満ちていた。

 

 その視線の先には、同じく通信回線越しに苦渋の表情を浮かべる大西洋連邦国防産業連合理事、ムルタ・アズラエル。

 

 そして、オーブの地下研究室でトールギスのデータを前に硬直しているキラ・ヤマトの姿があった。

 

「僕たちが緻密に法網を敷き、技術的独占と経済的依存によってコントロールしようとしていた世界の天秤に、上から直接、冷水をぶっかけられたようなものですよ!」

 

 アズラエルはデスクを激しく叩き、忌々しげに吐き捨てた。

 

 彼にしてみれば、大西洋連邦の内部でジブリール派を抑え込み、自らが軍事ビジネスの頂点に立つためのシナリオを、根底からひっくり返されたに等しい。

 

 今回のリーク先は、彼と対立する地球軍の強硬派の拠点ばかりなのだ。

 

「何者かが裏で、僕たちの持つ『圧倒的な優位』を相殺し、世界の軍事バランスを強制的に五分に戻そうとしている……」

 

 キラは自身の指先を見つめながら、背筋を伝う冷気を感じていた。

 

 この世界の人間には不可能なはずのハッキング技術。

 

 ザフトの最高機密を完璧に盗み出し、なおかつオーブの監視網を潜り抜けて標的の国家だけに送り届ける電脳の手腕。

 

 それはまるで、世界の動向を俯瞰する『神』のような、あるいは別の『意志』の存在を予感させた。

 

「利害の対立を超えて、連携を強化すべきです。オルフェ、アズラエル理事。この情報テロの出所を突き止め、奴らの目論見を破砕しなければ……世界は再び、制御不能な核の業火に包まれる」

 

 キラの重々しい言葉に、オルフェとアズラエルは無言で、しかし深く頷いた。

 

 かつてない「未知の敵」の影を前に、世界を裏から操る三つの巨頭は、より強固な、そして冷徹な絶対同盟の締結へと舵を切らざるを得なかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 だが、この未曾有の事態において、最も激しく、そして無様に大慌てしたのは、当のプラント本国であった。

 

「スパイはどこだ! 統合設計局か!? それとも参謀本部の内部か!?」

 

「保安局は何をやっていた! 国家の最高機密、それも核動力モビルスーツの全データを地球の全主要国家に明け渡すなど、国家反逆罪どころの騒ぎではないぞ!!」

 

 アプリリウス市の中央政府ビルは、文字通り蜂の巣をつついたような大騒ぎへと発展していた。

 

 現在、プラントはパトリック・ザラが休戦協定を結んで退いた後の、次期最高評議会議長を決める国政選挙の真っ只中。

 

 各派閥が権力闘争に明け暮れ、互いの足の引っ張り合いを演じていたその最中に、国家の心臓部とも言える技術遺産が世界中にばら撒かれたのだ。

 

 右派のザラ派は「クライン派の非戦論者が、地球との手打ちのために手土産として渡したのではないか」と疑い、左派のクライン派は「軍の強硬派が、再び開戦の火種を作るために仕組んだ自作自演だ」と激しく糾弾し合う。

 

 だが、調査が進むにつれ、そのどちらでもないことが判明していく。

 

 ザフトの電脳防壁は、外部からの『不可視の侵入』によって、何ら痕跡を残さずに中身を総浚いされていたのだ。

 

 事態はもはや、党派の争いなどで収まるレベルを遥かに超えていた。地球軍がNJCを量産し、核動力を手に入れれば、プラントが誇る技術的優位性は一瞬にして瓦解する。

 

「……全派閥の連名で、即座に声明を出す。これ以上の猶予はない」

 

 静かに、しかし絶対的な重みを持って告げたのは、戦後もなおプラントの精神的支柱として残るシーゲル・クラインであった。

 

 急遽、最高評議会の緊急議場に集まったのは、新旧の指導者たち。

 

 次期議長候補の筆頭であるアイリーン・カナーバ。

 

 無所属でありながら不気味なまでの冷静さで事態を見つめるギルバート・デュランダル。

 

 そして、未だ軍部に絶大な影響力を持つ前議長パトリック・ザラ。

 

 彼らは互いへの不信感を完全に押し殺し、プラントという国家の存亡をかけて、歴史上あり得ない『四巨頭連名』の緊急国際声明を全世界に向けて発布した。

 

『今回の機密データ流出は、プラント政府およびザフト軍の意志とは一切無関係であり、悪質な第三者によるテロ行為である。プラントは世界平和への貢献を歪めるいかなる意図も持たない。我が国はここに、今回流出したNジャマーキャンセラー技術の「あらゆる軍事転用、および核兵器・核動力MSの建造禁止」を国際社会に強く要求する──』

 

 その声明は、形式上は極めて厳格であり、非戦の意志を示すものであった。

 

 カナーバやシーゲルの政治的配慮が随所に滲む、苦肉の平和アピール。

 

 だが、その言葉がいかに虚しいものであるかは、発信した彼ら自身が最もよく理解していた。

 

 一度解き放たれた国家の欲望という名の怪物を、たかが一枚の電子文書で縛り付けることなど、できるはずがないのだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 プラントの発した「軍事転用禁止」の警告声明が世界中のモニターに流れるその瞬間、地球軍の最高機密軍事基地『ヘブンズベース』の最深部では、一人の男の下品な笑い声が響き渡っていた。

 

「ハハハハハ! 国際法? 軍事転用禁止だと? 泥棒猫のプラント風情が、一体どの口でそんな寝言をのたまうのか!」

 

 ロード・ジブリールは、ホログラム・モニターに映し出された、狂おしいほどに美しい『NJC』と『フリーダム』、『ジャスティス』の設計図を狂喜の瞳で見つめていた。

 

 これまでの彼は、大西洋連邦の内部において、パナマのアズラエルがキラ・ヤマトを通じて手に入れた最先端技術によって主流派の座を追われ、辛酸を舐めさせられ続けてきた。

 

 だが、今、神は自分を見捨てなかった。

 

 手元にあるのは、オーブのブラックボックスなど一切噛んでいない、プラントの純粋な核技術の結晶。

 

 アズラエルやオーブの干渉を一切受けない、自分たちだけの「絶対の力」の拠り所。

 

「直ちにヘブンズベースの全地下生産ラインの稼働を切り替えろ! 予算のすべてをこのNJCの量産と、核動力の建造に注ぎ込むのだ! アズラエル、そしてオーブの生意気な小僧どもめ……我らの真の力、青き清浄なる世界のための『神の火』の威光を、今度こそその骨の髄まで教えてやる!」

 

 ジブリールの狂気的な命令の下、ヘブンズベースの巨大な自動造兵プラントが、重々しい地鳴りを立てて駆動を開始した。

 

 流出した禁忌のデータは、各国家の防衛本能という名の油を注がれ、地球圏全土を巻き込む、制御不能な次世代核軍拡競争という名の巨大な業火へと変貌しつつあった。

 

 世界を平穏に導こうとしていたキラ・ヤマトの盤面は、名もなき第三者の手によって、再び混沌の暗雲へと覆い尽くされようとしていたのである。

 

 

◇◇◇

 

 

 ニュートロンジャマーキャンセラーを搭載した核ミサイルを無数に放ち、プラントへと撃ち込めば、あの憎悪すべき宇宙の砂時計など、ガラス細工のように容易く宇宙の塵と化すだろう。

 

 ロード・ジブリールは、コーディネイターの巣窟をいつでも消し去れる絶対的な手段をようやくその手中に収めたはずだった。

 

 しかし、彼にとってプラント以上に目障りな裏切り者の国──地球にありながらコーディネイターを匿う不浄の地「オーブ連合首長国」へ向けて、核ミサイルを撃ち込むことだけは、彼の選択肢には断じて存在しなかった。

 

 それは、彼が単なる破壊狂などではなく、「青き清浄なる世界」の実現に全霊を捧げるブルーコスモスの正統なる盟主であったからに他ならない。

 

 神が与えたもうた聖なる母なる大地を、自らの手で放射能の炎と死の灰によって永遠に汚染するなど、教義に対する絶対的な自己否定であり言語道断である。

 

 狂気に等しい排他主義を掲げる彼であっても、地球環境の保全という一点においてのみは、極めて真っ当で強固な感性と倫理観を保持していたのだ。

 

 だが、ジブリールにとってそれは些細な問題でしかなかった。

 

 核を撃ち込めないというのならば、大地を汚染することなく、そこに棲みつくダニどもだけを塵一つ残さず焼き尽くす、別の手段を取れば良いだけの事である。

 

 気化爆弾Fuel-Air Explosive Bomb──。

 

 それは、NJCが手に入らず業を煮やしていた時期に、ジブリールがロゴスの莫大な資金と地球軍の頭脳を注ぎ込んで開発させた、核の炎に匹敵する『非核通常兵器』である。

 

 燃焼性の高い専用の液化酸化エチレンや酸化プロピレンなどの特殊爆薬を用いた、無誘導の広域投下型爆弾。

 

 そのメカニズムは極めて悪魔的だ。

 

 第一の起爆で可燃性の高密度ガスを広範囲の大気中に一瞬にして散布・充満させ、絶妙な遅延の後に第二の起爆を行う。

 

 着弾地点を中心とする直径数キロの空間は、一瞬にして数千度の火の海と化し、超広範囲の目標を文字通り焼き尽くす。それだけではない。

 

 爆発が周囲の酸素を急激に消費することで、爆心地に極めて強力な負圧──真空状態を引き起こすのだ。

 

 強固な防空壕や地下施設に逃げ込んだ者であっても、爆風から逃れた直後に凄まじい気圧差によって内臓を破裂させられ、あるいは酸欠によって絶命する。

 

 放射能による後遺症を残さず、ただ標的を物理的・生物的に完全に「浄化」する。まさに青き清浄なる世界を体現する、歪んだ聖なる炎であった。

 

 このギガバイトの開発に成功したジブリールは貴重なNJCと核物質を、使い捨てのミサイルとして消費するつもりはなかった。

 

 NJCは次世代モビルスーツの『無限の心臓』として機体に搭載し、戦場を完全に支配する。

 

 そして、このFAEBを巨大なミサイルの弾頭にぎっしりと詰め込み、オーブのみならず、宇宙のプラントへ向けても撃ち込むという冷酷な戦略爆撃計画を立案していたのだ。

 

 その神罰を執行するため、ジブリールはアイスランドの白銀の地に座す最高機密軍事基地『ヘブンズベース』を中心とし、採算を度外視した大規模な基地拡張を急ピッチで進めていた。

 

 極寒の地表の下では、地熱エネルギーをフル稼働させた巨大な地下生産ラインが24時間体制で唸りを上げている。

 

 そして、氷の山脈を切り裂くようにして、宇宙のプラントへFAEBミサイルを直接打ち上げるための、超巨大なマスドライバーのレールが天へと延伸されていた。 

 

 その巨大要塞の格納庫には、彼が研ぎ澄ませた新たな『剣』が立ち並んでいる。

 

 その一つが、次世代主力量産機『アヘッド』である。

 

 ティエレンの堅牢なフレームをベースにしながら、強引に装甲を変更したことで、この機体は深刻なバランス崩壊を起こしていた。

 

 高機動化の代償として、股関節や足回りに想定外の過負荷が掛かり、激しい機動のたびに脚部フレームが破断するという致命的な構造欠陥を抱えていたのだ。

 

 しかし、その物理的な弱点は、OSのアップグレードにて解決した。

 

 パイロットの操作に対してOSが機体の重心移動をナノ秒単位で計算し、各関節のモーターへかかる応力を完璧に分散させる。

 

 さらに背部バーニアの大幅な出力強化と推力偏向ノズルの最適化が施された結果、アヘッドは鈍重な陸戦兵器という殻を破り、重装甲のまま大気圏内を自在に舞い踊る「空飛ぶ重歩兵」へと恐るべき進化を遂げたのである。

 

 そして、ジブリールはアヘッドの軍勢を率いる、もう一つの強大な切り札──「神の魔獣」を手に入れていた。

 

 アドゥカーフ・メカノインダストリー社が開発した、試作大型モビルアーマー『ゼーイーゲル』。

 

 甲虫や深海の甲殻類を思わせる、禍々しくも威圧的な巨大な外観。従来のMAに求められていた「単騎で任務を完了できる絶大な火力」「戦闘機を凌駕する高機動」「あらゆる艦隊射撃に耐える重装甲」という、相反する要素をすべて一つの機体に詰め込もうとした、貪欲な設計思想の産物である。

 

 胸部にはイージスに搭載された「スキュラ」の出力を凌駕する改良型複列位相エネルギー砲を内蔵し、大出力のホバースラスターによってその巨体に似合わぬ単騎での大気圏内飛行能力を備え、さらにはあらゆるビーム射撃を反射・無効化する『陽電子リフレクタービームシールド』まで搭載されている。

 

 ストライクの前腕部をそのまま巨大化させたような四本の強靭な脚部は、それ自体が敵陣を踏み荒らす巨大な質量兵器であった。

 

 だが、この機体はロールアウト当初、実戦投入不可能な致命的欠陥を抱えた「失敗作」の烙印を押されていた。

 

 どれほど複数の大型高容量バッテリーを積載しようとも、これら規格外の兵装を同時に稼働させるための出力が絶対的に不足していたのだ。戦闘中に少しでも出力低下に陥れば、攻撃・防御・飛行のいずれかがたちまち機能不全を起こす。

 

 空を飛ぶためには陽電子リフレクターを切れ。

 

 スキュラを撃つならホバーを止めて地上に降りろ。

 

 防御を固めるなら一歩も動くな。

 

 その陽電子リフレクターでさえ、出力の限界から一度に展開可能なのは全方位のうち「1基のみ」という有様であった。

 

 しかし、そのすべての致命的な欠陥は、オーブを介さずに手に入れた『NJC搭載型核動力炉』へと換装された瞬間、嘘のように霧散した。

 

 核の尽きることのない無限のエネルギーを得たゼーイーゲルは、今ここに真の姿へと覚醒したのだ。

 

 出力不安定という枷を外された魔獣は、重力を嘲笑うかのように超高速でホバー巡航し、スキュラを息をするように連続掃射しながら、機体の全方位を隙間なく覆う複数の陽電子リフレクターを常時展開し続けることが可能となった。

 

 単騎で一国の防衛網を突破し、蹂躙し尽くす、真の戦略級機動兵器の誕生である。

 

 一切の妥協なく再構築された空戦重歩兵アヘッドの軍団。

 

 無限のエネルギーを手に入れ、神の盾と矛を振るう巨大魔獣ゼーイーゲル。

 

 そして、大地を汚さずにすべてを灰にする浄化の炎、FAEB。

 

 アズラエルやキラ・ヤマトが、世界の軍事バランスを水面下で綱引きしているその裏側で。

 

 凍てつくアイスランドの要塞の深部では、ジブリールが虎視眈々と磨き上げ続けた漆黒の剣たちが、今か今かとその血塗られた鞘から放たれる時を待ちわびながら、圧倒的な威容を鈍く光らせていた。

 

 青き清浄なる世界の夜明けは、すぐそこまで迫っていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「マティスの奴め。余計なことをして」

 

 宇宙の暗淵。

 

 いかなるレーダー波も熱源探知も届かない絶対の虚無。

 

 ミラージュコロイド・ステルスによって完全に外界から秘匿された宇宙ステーションの冷ややかな中枢管理室で、モニターの青白い光に照らされた少年は、忌々しげにそう呟いた。

 

 少年の肉体は、まだこの世界に「生まれたばかり」であった。

 

 『一族』という絶対的なヒエラルキーの中において、彼の現在の立場は、表立って現在の長であるマティスに命令を下せるような権限を持ち合わせていない。

 

 だからこそ、世界の停滞を嫌うマティスが、独断でプラントの最高機密であるニュートロンジャマーキャンセラーのデータを全世界にばら撒いたのは明白だった。

 

 だが、少年からすれば、それはあまりにも浅薄な盤面荒らしであった。

 

 少年の脳髄には、あの白銀の英雄──キラ・ヤマトと全く同じ記憶が、呪いのように焼き付けられている。

 

 血のバレンタインの悲劇。もう一人の母親と慕いながらも、自身の非力さゆえに救い出すことができなかったレノア・ザラ。

 

 その取り返しのつかない喪失と絶望を抱え、自ら『死の商人』という血塗られた修羅道を選択したという、重く暗い記憶。

 

 その地獄の底を這いずるような記憶を持つ彼から見れば、マティスの行った無作為な技術拡散は、世界の潮流を読み解き、完璧にコントロールしようとしていた大いなるゼロサムゲームの盤面を物理的に破壊する、最悪の『悪手』でしかなかった。

 

『世界が真の幸福に至るには、それ以上の絶対的な不幸と絶望に一度叩き落とされなければならない』

 

 それが、カビ臭い旧き時代より世界の裏側を支配してきた『一族』の、傲慢で歪みきった思想である。

 

 マティスという女は、地球連合秘密情報局という権力の椅子に座り、自分こそが世界の運命を操る唯一の黒幕であると思い上がっているのだろう。

 

 ロゴスの指導者であるロード・ジブリールの狂気を煽り、裏から操る手駒として扱う分には丁度良い女ではある。

 

 だが、彼女の器は所詮、その程度でしかない。

 

 少年の脳裏に、マティスの実兄である一人の男の顔がよぎる。

 

 母親の歪んだ権力欲の犠牲となり、一族を掌握するための駒として女装を強いられ、「女」として育てられた悲運の天才──マティアス。

 

 マティスは、その実の兄を裏切り、長という座を掠め取っただけの剽窃者に過ぎない。

 

 一族からすべてを奪われて追放されながらも、己の才覚と知略のみで莫大な富を築き上げ、再び世界の裏社会へと帰還した兄マティアスに比べれば、先人から受け継いだ『一族』の力を我が物顔で振るい、世界を操っている気になっているマティスなど、分不相応で矮小な存在と言わざるを得なかった。

 

「……愚かな女だ。今はまだ、盤面を動かす時ではないというのに」

 

 少年は冷たい声で吐き捨てた。

 

 今の時流は、人々が戦争という泥沼から這い上がり、停戦という束の間の平和の中で、懸命に『希望』という名の砂上の楼閣を築き上げるのをただ静かに待つべき時だった。

 

 その楼閣が最も高く、最も美しく完成したその瞬間に、彼らの頭上へと圧倒的な絶望の『鎮魂歌』を奏でてこそ、最大の不幸と最高の幸福のコントラストが生まれるというのに。

 

 マティスが余計な波紋を投げ入れたお陰で、最大のイレギュラーである『オリジナル』が次にどう動くのか、予測のノイズが極大化してしまった。

 

「完璧に組み上げていたはずの、調べの調律が狂った……」

 

 少年は憎々しげに舌打ちをし、ガラス越しの眼下に広がる青き地球へと、キラ・ヤマトと同じ色をした瞳を向けた。

 

 世界を救おうと足掻く光の英雄と、世界を絶望で満たそうとする影の少年。

 

 同じ記憶を共有する二つの魂の旋律は、一族の女の浅薄な謀略によって、狂おしく無軌道へその運命を導き出し始めた。

 

 

 




ドッズライフルを開発しちゃったシホ。

そんでもってスーパーコーディネイターの身体でも無理があったトールギス初飛行。

最初は完璧に操れる方向を考えてましたが、それだとシホがキラをヨイショする会話しか生まれなかったので、ゼクスと同じ様に血反を吐いたらその先にはドクターミハイル!

話を広げるには色んな便利な経歴のを持つMSVのパイロット達がホントにタスカルーサ。


前回のあとがきは頭が少し真っピンク過ぎて申し訳無かったです。
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