やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか 作:星乃 望夢
バリー・ホー。
彼は長らく、特定の国家や組織に属することなく、己の肉体と精神の極致を追い求める孤独な求道者であった。
ある時は重力が狂った廃棄された無人コロニーの廃墟で無重力空間の特異な体術を練り、ある時は地球の辺境に位置する灼熱の砂漠や極寒の雪山で、過酷な自然環境に身を置きながらひたすらに武術の修行を積んで世界各地を転々とする、真の武道家だった。
そんな彼が、オーブ連合首長国という一国家の正規軍、ひいては超国家的な世界平和維持組織である『ソレスタルビーイング』に身を寄せることになったのには、ある決定的な出来事があった。
ブルーコスモス主導による大西洋連邦のオーブ侵攻作戦──。
当時、偶然オーブ本島に滞在していたバリーは、一介の避難民として地下の巨大シェルターへと身を隠していた。
暗く息詰まるシェルターの中で、彼は地上から響いてくる絶え間ない爆音と振動を全身で感じていた。
そして、モニター越しに映し出された5日間にも及ぶ絶望的な防衛戦の光景。
圧倒的な物量で押し寄せる連合の軍勢に対し、オーブ軍の将兵たちは決して逃げることなく、己の命を盾として国と民を守り抜こうと抗っていた。
その姿に、バリーは真の『武威』を見た。
さらに、絶望の空から舞い降り、神がかった機動で次々と敵を薙ぎ払っていく白銀の英雄、キラ・ヤマト。
その姿は、武の極致たる『武神』そのものとしてバリーの目に焼き付いた。
自らの力だけを求めて生きてきた自分が何をなすべきか。その答えを見出したバリーは、戦後すぐにオーブ軍への入隊を志願したのである。
その卓越した身体能力と気功の技術は軍内でも即座に注目を集め、彼は最高軍事顧問キラ・ヤマト准将直々に声を掛けられることとなる。
「あなたのその『武』を、僕に……そして、オーブの兵士たちに教えてほしい」
キラはバリーに白兵戦の師としての役目を依頼すると同時に、開発を進めていた『ダイレクトモーションリンクシステム』の専属テスターという大任を彼に託したのだった。
操縦桿やペダルといった従来の煩雑なインターフェースを介さず、パイロット自身の肉体の動き、筋肉の連動、果ては呼吸や『気』の流れに至るまでをセンサーが完全にトレースし、機体の挙動へとダイレクトに反映させるこのシステムは、バリーにとってまさに天啓であった。
武道家である彼からすれば、狭いコックピットでレバーを握るよりも、自身の身体を思うままに躍動させる方が、遥かに精密かつ暴力的に、思い描く通りの挙動を機体に取らせることができたのだ。
そして今。
バリーは、量産型のM1アストレイ改を使用してのダイレクトモーションリンクシステムの限界負荷テストを無事に終え、キラから直々に新たな愛機として託された真白き機体――『ガンダムアストレイ ホワイトフレーム』のコックピットで汗を拭っていた。
このホワイトフレームは、元々はキラ・ヤマト自身が私有する試作モビルスーツの1機であり、過去にはアサギ・コードウェルにも貸し出された経緯を持つ機体である。
オーブの軍事規格において「アストレイ」という名称は、M1のような量産型機体群を指す区分として広く認知されている。
しかし、このホワイトフレームを含むプロトタイプである『P0シリーズ』は、その基礎フレームの特殊性と、採用されている技術の違いから、正式には『ガンダムタイプ』に分類されることになったという、少々特殊で複雑な系譜を持つ機体群であった。
バリーのホワイトフレームには、彼の拳法家としての規格外のポテンシャルを機体で完全に再現し切るために、徹底的なチューンナップが施されている。
ジャン・キャリーの全面的な協力により、ロウのレッドフレームと同様に、腕部のフレーム内部に高出力の『パワーシリンダー』が組み込まれ、戦艦の装甲すら素手で粉砕する絶大な格闘パワーを獲得。
さらに、プロトアストレイシリーズ特有の人間そのものに近い極めて高い駆動系の自由度を活かしつつ、バリーのダイレクトモーションリンクシステムによる急激な挙動変化がもたらす激烈な稼働負荷に耐えうるよう、全身の関節部を構成するサーボモーターや駆動用アクチュエーターも、強化型へと換装されている。
この機体を得たことで、バリーは巨大な鋼の肉体を通して、自らの練り上げた武術のすべてをコズミック・イラの世界へと叩きつけることが可能となったのだ。
「どうしたシン。これくらいでへこたれていては、民の笑顔を守る『盾』になるには程遠いぞ! 立て、構えろ!」
オノゴロ島の演習場に併設された道場で、バリーは胴着姿のまま、目の前で膝をついて肩で息をする少年――シン・アスカに向けて容赦のない檄を飛ばした。
「ッ、はい! もう1本、お願いします!!」
シンは汗だくになりながらも、決して折れない強い光を瞳に宿し、必死に立ち上がって再び構えをとる。
文学少年であった彼は、色白で、同年代の男子や軍人候補生たちと比べても明らかに細身で華奢な身体つきをしている。
シンの持つ天性の空間認識能力とモビルスーツの操縦技術は、既に師であるバリーすらも凌駕するほどの圧倒的なものであり、将来的にはオーブ、いや世界でもトップクラスのエースパイロットになることが約束された天才的な才能を秘めていた。
だが、如何せん「生身の白兵戦能力」という面においては、その読書を愛した過去の経歴からも分かる通り、基礎体力の不足は否めなかった。
パイロットにとって、高Gに耐える肉体と、不測の事態──撃墜されてのサバイバルや、敵兵との直接遭遇を生き抜くための白兵戦能力は必須である。
だからこそ、キラからの強い要望もあり、バリーはシンに手加減抜きの厳しい肉体改造と格闘術の指導を行っていた。
「やってますね。お二人とも」
「キラ准将!」
道場の入り口からかけられた穏やかな声に、シンは疲労も忘れてパッと顔を上げ、まるで憧れのヒーローが目の前に現れた子供のように目をキラキラと輝かせた。
「ご苦労さまです、准将」
バリーも姿勢を正し、深く一礼する。
「師匠、次は僕の相手をお願いします。シンは少し水分を摂って休んでいて」
「あ、はい! ありがとうございます!」
トレーニング用の黒いタンクトップ姿で現れたキラは、羽織っていた軍の支給品の上着を脱いで丁寧に畳むと、それをシンへと手渡し、ゆっくりとバリーの正面に立って半身に構えた。
武術の達人であるバリーの目から見て、キラの構えと戦い方は、一言で言えば「全く型というものが存在しない、喧嘩殺法じみた異端の即興スタイル」であった。
基本姿勢こそ、相手の力を利用して制する合気道のような円の動きを意識したカウンタースタイルを取っているように見える。
しかし、防戦に徹するのかと思えば、ふとした瞬間に、ボクシングのような鋭く重いストレートや、予測不能の軌道から放たれる打ち下ろし、アッパーカット、さらには強烈なフロントキックやミドルキックが、何の前触れもなく容赦なく飛んでくる。
かと思えば、次の瞬間には中国武術の太極拳を思わせる流麗な受け流しから、突如として八極拳の破壊的な正拳突きや、肩から全身の体重をぶつける鉄山靠などが入り乱れる。
まるで、古今東西のあらゆる武術や格闘技の「型」を、彼自身の天才的な頭脳でごちゃ混ぜに解体し、その場の直感だけで最適解としてつなぎ合わせ、無作為に放つという即興連武。
普通であれば、このように異なる武術の思想や身体の使い方をミックスさせれば、必ず身体の体幹がブレて隙だらけになり、自重を支えきれずに自滅するはずなのだ。
事実、バリーとの組手を始めた最初の頃のキラは、その動きの速さや発想は常軌を逸していたものの、やはり技のつなぎ目で体幹がブレてしまい、その隙をバリーに突かれて何度も床に転がされていた。
しかし、持ち前の狂気的なまでの学習能力に加え、日々バリーの厳しい指導を受け入れ、自ら血を吐くような自己鍛錬を積み重ねた結果。
日に日にその体幹のブレは減少し、今ではどんな無茶な体勢から技を放とうとも、強靭な足腰がその反動を完全に殺し、次の動作へと流れるように繋げられる次元にまで到達していた。
特に、あの「荒馬」トールギスのテスト飛行で、自らの肉体を顧みない無茶な急加速を行って墜落事故を起こして以来、キラの様子は明らかに常軌を逸していた。
ただでさえ強靭なコーディネイターの肉体を、トールギスがもたらす15Gという非人間的な殺人級の負荷に耐えさせるため、彼は肉体強化のトレーニングに異常なまでの執念を燃やしていた。
自らの筋肉と骨格を限界まで酷使し、休むことなく鍛え上げようとするその狂気的なまでのストイックさ。
相手がオーブの最高軍事顧問であり、雲の上の存在である准将という階級であろうとも、バリーは彼のその並々ならぬ覚悟と執念に応えるため、一切の妥協を排し、一人の真摯な弟子を鍛え上げる厳格な「師匠」として、全力で彼とぶつかり合っていた。
「行きますよ、師匠……!」
キラの目が、温厚な少年のものから、戦場を支配する白銀の英雄のそれへと切り替わる。
喧嘩殺法というか、あらゆる武術の概念を喰らい尽くし、ただ勝利と破壊のみを目的として再構築された、独特すぎるその即興の拳舞。
キラ自身は最近になって、自らが編み出したこの異端の格闘スタイルを、密かに『機神拳』と名付け、自らの肉体だけでなく、将来的にモビルスーツでの白兵戦にも応用できるよう、その膨大な戦闘データを理論的に体系化し始めているのだった。
「来い、准将! その機神拳の極意、我が肉体で存分に味わってくれよう!」
バリーの雄叫びとともに、静寂に包まれていた道場に、二人の超人的な拳が空気を切り裂く凄まじい衝撃音が轟き始めた。
◇◇◇
「……えらい機体だなぁ、コイツは」
オノゴロ島の地下演習場、その広大なテスト空間の中央にそびえ立つ機体のコックピット内で、ムウ・ラ・フラガは感嘆の息を漏らした。
数多の戦場を潜り抜け、メビウス・ゼロから始まり、ストライクを乗り継いできた『エンデュミオンの鷹』の目から見ても、今自分が握っている操縦桿の先にある機体のポテンシャルは、少々常軌を逸していた。
彼が試乗しているのは、全く新しいカテゴリーの強襲用人型機動兵器。通称『アサルトドラグーン』と呼ばれるシリーズの指揮官用ハイエンドモデル『アシュセイヴァー』である。
メインモニターに映し出される自機のシルエットは、極めて独特な機能美を持っていた。
機体の胴体や腕部といったメインフレームは流線形ではなく、装甲の傾斜角を計算し尽くしたような、無骨で角張った直線的なデザインで構成されている。
脚部にも、ストライクなどのガンダムタイプが持つ流線形を感じさせる名残はあるものの、やはり全体的に装甲の面構成を強調した武骨な造りとなっている。
しかし、その装甲の武骨さを中和するように、機体のカラーリングは純白をベースに、空を思わせる鮮やかなスカイブルーが配され、頭部アンテナモジュールの中央に1本だけ引かれた赤が、見る者に強烈なヒロイックさと指揮官機としての威厳を抱かせていた。
そして何より、その頭部は、角張ったボディラインとは対照的に、ガンダムタイプを彷彿とさせる洗練された流線形のフォルムと、鋭く輝くデュアルアイを備えていた。
ムウが「えらい機体」と呟いた真の理由は、その外見ではなく、コックピットのコンソールに表示されている重武装のリストと、その機能群であった。
強襲用人型機動兵器という名に恥じぬ、まさに単機で戦局を塗り替えるための殺意の塊である。
【ファイア・ダガー】
機体の胸部装甲内部に密かに仕込まれた、無数の超小型誘導ミサイル群。ただの牽制用と侮るなかれ、脇の下のデッドスペースには膨大な予備弾倉が格納されており、内部機構が上方へと高速ローディングを繰り返すことで、弾幕のような連続発射を可能としている。ビームコーティングを施された敵機に対して、物理的な面制圧で確実に装甲を削り取る実弾兵器の極致。
【ハルバート・ランチャー】
主兵装として携行する、長槍を思わせる異形の大型銃。だが、これはただのビームライフルではない。銃身を二股に展開させると、開放されたバレル内部から極めて特殊な『レーザー』が一斉に発射される。これは従来のビーム兵器ではなく、レーザー光によって生成された超高温のプラズマそのものを標的に叩きつけるという特殊な攻撃装置である。対ビームコーティング装甲を持つティエレンなどに対しても、異なる減衰率で焼き切ることを想定した悪魔的な発想の産物であった。
【ソードブレイカー】
両肩にそれぞれ3基ずつ、計6基マウントされた、このアシュセイヴァー最大の特徴とも言える自律機動型誘導兵装。その名の通り、実体を持つ鋭利な刃を備えた特異なビット兵器である。稼働すると、この6基のビットは全方位へと散開し、標的を包み込むように『中性粒子ビーム』によるレーザー射撃の嵐を浴びせる。そして、敵が回避行動で体勢を崩したその瞬間、ビット本体が弾丸のように突撃し、実体刃で装甲を直接斬り刻むという二段構えの凄惨な攻撃を行う。さらに、展開した砲身そのものからビーム刃を形成する『ビームスパイク機能』も有しており、射撃と斬撃の境界線を完全に消し去っている。この複雑怪奇な端末群は、AETOSとDPSの複合使用によって、パイロットが選定した目標を自動で完璧に追尾・包囲する。
「……フッ。ガンバレルを扱ってきた俺に、こういうオモチャを寄越すとはな。キラの奴も、わかってるじゃないか」
ムウは口角を上げ、操縦桿のトリガーに指を添えた。
メビウス・ゼロやガンバレルストライカーで、空間認識能力という特異な才能を駆使し、有線式ガンバレルを自らの手足のように操り、絶望的な戦場を生き抜いてきた彼にとって、AETOSという高度な支援OSが組み込まれ、なおかつ完全な無線で機動するこのソードブレイカーの操作など、それこそ朝飯前、いや、欠伸が出るほどに容易い作業であった。
そして、近接戦闘や防御面においても抜かりはない。
【レーザー・ブレード】
両腕部の袖口にコンパクトにマウントされている非実体の光剣。通常のビームサーベルとは構造が異なり、レーザー発振器によって形成されるその刀身は、対象物の『切断速度』において群を抜いている。
【ガンレイピア】
ハルバート・ランチャーとは別に携行する、中性粒子ビームを高速で連射する大型のマシンガン。一撃の威力よりも「生産性」と「整備性」を徹底的に重視して設計されており、連続射撃によって加熱したり金属疲労を起こしたバレルを、戦闘中でも一瞬でパージして取り替えることが可能。弾幕を張り続ける前衛機にとって、これほど評価が高く信頼できる火器はない。
さらに、機体そのものの生存性を高めるための特殊機能として、周囲に展開して敵のミサイル誘導を完全に無効化する『ミサイルジャマー』と、装甲表面に対ビーム防御エネルギーフィールドを展開し、シャットダウンする『ビームコート』までが標準搭載されている。
「おまけに、こいつ……ストライカーパックみたいなゴテゴテした背負い物なしで、このまま空まで飛べるって言うんだから、反則にも程があるぜ」
ムウがペダルを踏み込むと、アシュセイヴァーの各部からスラスターが火を噴いた。
量産型とは一線を画すこの指揮官機は、大推力のメインブースター、そして各部に内蔵された推力偏向ノズルによって、素体のまま単独で完全な大気圏内飛行能力を有していた。
さらには、その有り余る推力を地面に向けて噴射することで、地上や水面を滑るように高速移動する『ホバー機動』までもが備わっている。
パッと見の外見だけならば、両肩のソードブレイカーを除けば、ストライカーパックを何も装着していない、素体状態のストライクとさして変わらない、シンプルでスッキリとしたシルエットをしている。
しかし、その機体には、ミサイルと、特殊なレーザー発振器、高速連射ビームマシンガン、そして鉄壁の対ミサイル・対ビーム防御システムが隙間なく詰め込まれており、地上をホバーで駆け抜け、そのまま大空へと舞い上がる圧倒的な空戦能力までもが同居している。
「至れり尽くせりすぎて、逆に気味が悪いぜ。……だが、俺の性に合ってるのは確かだ」
不可能を可能にしてきた男、ムウ・ラ・フラガ。
彼に与えられた『アシュセイヴァー』という名の新たな翼は、単なる兵器の枠を超えた、戦場を支配するための絶大な力であった。
ムウは心地よいGを背中に感じながら、オノゴロ島の地下演習場の宙域へと、白と青の機体を滑空させていった。
ソレスタルビーイングが世界の混沌を断ち切るために放つ、新たな閃光の誕生であった。
◇◇◇
「そう言えば、准将。どうして構える時、いつも合気道か太極拳みたいな、ゆったりしたフォームなんですか?」
その日の、骨が軋むような激烈な鍛錬がようやく終わり、クールダウンの時間に突入していた。
壁際に座り込み、息を整えながらボトルからスポーツドリンクを流し込んでいたキラへ、同じく汗まみれになったシンが、以前から抱いていた素朴な疑問を投げかけた。
キラはゴクリと喉を鳴らしてドリンクを飲み干すと、ふっと柔らかい笑みを浮かべてシンへと向き直った。
「ん? じゃあさ、シン。ちょっと想像してみてよ。相手が最初から、ボクサーみたいに両拳を固く握って、顎を引いて君と真っ直ぐ向き合ってたら……君はどうする?」
「え? ……それは、相手はストレートで殴ってくるか、あるいはステップを踏んで蹴ってくるかもって、攻撃の軌道を警戒しますし、自分もガードを固めるか……あ、ああ。そういうことですか」
キラのシンプルな例えに、シンは自身の脳内で仮想の敵をイメージし、すぐにある結論へと辿り着いた。
両拳を固く握るという行為は、明確な「攻撃意思の表示」である。
同時に、それは打撃の軌道や筋肉の緊張を相手に悟らせ、防御や回避の準備をさせてしまうということだ。
「うん、その通りだよ。最初から拳を握り込んでしまうと、相手に過剰な警戒を与えてしまうし、何より、こっち側も『殴る』か『蹴る』かという攻撃の選択肢が、その構えの形によって無意識のうちに制限されて狭まってしまうんだ。だから僕は、最初は絶対に拳を握らない」
キラは立ち上がり、ゆっくりとその場で実践するように、合気道のような円を帯びた、それでいて脱力した自然体のフォーム――無為の構えを取ってみせた。
「指を開いて、半身になる。相手には、僕が次に何を仕掛けてくるのか、その出方を探らせない。一種の『虚』の構えだね。でも、ただ棒立ちで突っ立っているだけじゃ、いざという時の初動が遅れて即座に反応出来ないから、足幅を開いて重心を落とし、いつでも全方位へ踏み込めるように半身で構えるんだ」
キラの手のひらが、ゆったりとした空気のうねりを描く。
しかし、その足元は大地をしっかりと掴み、いつでも爆発的な推進力を生み出せるようにバネが圧縮されている。
「ここから先は、相手と状況次第だ。相手が焦って仕掛けてくれば、その力を受け流してカウンターを選べるし。もし相手が警戒して様子見で対峙するなら、こっちから一気に脚を踏み出して、縮地で相手の絶対的な死角、つまり懐へと潜り込む」
キラの言葉に合わせて、彼の身体が幻のようにブレたかと思うと、シンの目の前へと一瞬で肉薄していた。
「……ッ!」
「そして、その懐に潜り込んだ瞬間の『間合いの距離』と『相手の重心の傾き』に応じて、最適解をパズルのように当てはめるんだ。ゼロ距離ならそのまま強烈なアッパーカットで顎をカチ上げるか、あるいは相手の体勢が崩れていれば、そのまま膝蹴りをボディに叩き込むか。あるいは、投げ飛ばすか。……受け身になった時も全く同じだよ。自分と相手のスペース、その瞬間に構成された空間の中で実行できる『最善手』で瞬時に対応してるんだ」
キラはピタリと動きを止め、元の脱力した構えへと戻った。
「武術において『後の先』を見据えるなら、ことさら最初から拳を握って筋肉を硬直させるべきじゃない。どんな不測の状況、どんな変則的な軌道にも対応出来る『水のような構え』をしておく方が、次の対処のカードを幅広く、かつ柔軟に選べるからね」
その理路整然とした、それでいて極めてシステム的な思想を聞き、シンはふと、自分たちが普段操っているモビルスーツのOSを思い浮かべた。
「……なんだか、まるで『TC-OS』の処理プロセスみたいですね」
TC-OS。
それは、相手と自分の機体の距離、周囲の地形環境、さらには自機の状況を瞬時に演算し、パイロットの「攻撃したい」「避けたい」という操作に対して、システム内に蓄積された膨大なモーションサンプリングデータから『最適な挙動』を自動で選択し、機体に反映させるという、地球圏のほんのごく一部を除いた全MSの挙動を支える根幹システムである。
「あはは、まあね。僕が根幹のアルゴリズムを作ったOSだから。思考回路や戦術の組み立て方が似てしまうのも、その所為かもしれないな」
「なるほど……言われてみれば、確かにそうでしたよね。准将が開発したんでした」
シンは深く納得し、傍らで腕を組んで聞いていたバリーもまた、感銘を受けていた。
キラが見せる、あの無秩序な喧嘩殺法。
古今東西のあらゆる武術が脈絡なく入り乱れるその即興連武は、決して出鱈目な暴れ方ではなかったのだ。
キラの超人的な頭脳の中に、合気道、ボクシング、太極拳、八極拳、ムエタイ、空手、柔道といったあらゆる格闘技の技がパーツとして蓄積されており、彼は自分の身体の位置、敵との間合い、そして周囲の状況という変数を瞬時に演算し、その状況における「絶対的な最適解」となる技を、まるでOSがコマンドを引き出すように使い分けていたのである。
自らの肉体をハードウェアとし、頭脳を演算処理装置として稼働させる、究極の兵器化。
『機神拳』とは、単なる中二病的なネーミングなどではない。
キラ自身が、人間としての感情や型に縛られた武術を振るうのではなく、あらかじめ「人型機動兵器での格闘戦におけるモーションパターン」を想定し、それを生身の身体でシミュレートし、繋ぎ合わせるようにして動くという、その特異なシステム的構造を正確に表した、極めて論理的で恐ろしい名であったのだ。
だからこそ、彼はあらゆる武術の「形」を模倣しながらも、その「精神」には一切縛られず、ただ冷徹に、最適に、敵を制圧することのみを実行できる。
「なるほど……。ただの武術の天才という枠には到底収まらんわけだ。准将は、自分自身の肉体すらも、一つの『システム』として完全にプログラミングし直しているのだな」
バリーは低く唸るように呟き、自らの師匠としての役目が、単なる格闘術の指導ではなく、「キラ・ヤマトという規格外のOSを、物理的な肉体というハードウェアに完全に適応させるためのデバッグ作業」であったことを、この時ようやく完全に理解したのであった。
◇◇◇
キラ・ヤマトを取り巻く少女たち。
彼女たちは、それぞれが全く異なる立場と想いを抱えながらも、複雑に絡み合う運命の糸によって、この白銀の英雄という一つの巨大な引力圏に引き寄せられ、決して離れようとはしない。
全ての始まりであり、キラとクロッシングを果たし、この世界で最初に『虚憶』という重すぎる未来の幻視を受け取ったプラントの歌姫、ラクス・クライン。
彼女はキラにとって単なる恋人や戦友という枠組みを遥かに超えた、精神の根幹を共有する「絶対的な半身」である。
世界を平和へと導くという過酷な道を歩む上で、互いの弱さを補い合い、決して揺らぐことのない絶対的な信頼と愛で結ばれている。
オーブの若獅子、カガリ・ユラ・アスハ。
彼女は血を分けた双子の姉として、誰よりも近くでキラの苦悩を見つめてきた。
泣き虫で、本当は戦いたくもない、誰も殺したくもない。
誰かにこの重責を代わって欲しいと願いながらも「自分しか出来ないからやるしかない」と唇を噛み締め、一人で戦場へ向かおうとする弟の孤独な背中。
その背中を少しでも守ってあげたくて、オーブ攻防戦の最中に彼とのクロッシングから虚憶を受け取り、一国の代表としての重圧を背負いながらも奮起し続ける彼女の愛情は、深く、そして不器用なほどに強い。
そして、「三人娘」と呼ばれたアサギ・コードウェル、マユラ・ラバッツ、ジュリ・ウー・ニェンの三人。
彼女たちは、キラが彼女たちを死なせないために、寝る間を惜しんでアストレイという「剣と鎧」を用意し、自らが鬼となって手厚い指導を施したことから、彼に深く心を惹かれている。
それでいて、彼女たちは今の「達観し、覚悟を決めた准将」ではなく、かつてのモルゲンレーテでOSの書き換えに四苦八苦していた「普通の優しい少年・キラ」を知る、数少ない存在である。
そのある種の特別感が、彼女たちに焦燥感を与えず、彼の背中を最前線で守り抜くという強烈な誇りを与えている。
新興国家ファウンデーションからアコードの刺客として送り込まれながらも、心を殺そうとしていた惨めな自分を「心が綺麗だ」と抱きしめ、アコードではなく一人の少女『イングリット』として愛してくれた婚約者、イングリット・トラドール。
彼女は、キラから向けられる確かな愛情を実感しており、何より肉体的な夜の営みが周囲のどの女性よりも多いという絶対的な事実が、彼女の心に余裕を持たせている。
キラを侮辱する者がいれば、即座に狂い咲く戦乙女となって戦場で暴れ回る、苛烈な愛の体現者である。
さらに、オーブを世界の覇者として君臨させるため、どうしようもない選択をしてしまった瞬間の世界を「横っ面から殴り飛ばす」という、途方もない野望を共有したオーブの影の軍神、ロンド・ミナ・サハク。
彼女のキラに対する感情は、愛欲を超越した「共犯者」としての絶対的な結びつきであり、彼の存在を自らの野望を達成するための最高の舞台装置として、そして何よりも愛すべき唯一の男として見定めている。
最初の絶対的な半身のラクス、双子の姉のカガリ、彼の原点を知るオーブの三人娘、愛に飢えた婚約者イングリット、そして野望を共有する影の軍神ミナ。
これほどまでに強固で、極端で、一切の隙がない「最強の布陣」とも言える女性陣の輪の中へ。
明らかに「極上の玉の輿」を狙う、計算高く打算的なミーハー少女――ルナマリア・ホークという新しい異分子が加わったにも関わらず、ドロドロとした血みどろの女の争いが一切発生しないのには、明確な理由が存在した。
第一に、彼女自身のあからさまな打算の裏に、妹の不祥事によって全てを失い、祖国に帰ることもできず、遠い異国の孤立無援の地でなんとか生き残ろうとする「泥臭いまでの必死さ」が、周囲の女性たちには痛いほどに透けて見えていたからだ。
そして何より、ラクスとミナという精神的にも権力的にも絶対的な頂点に君臨する二人は、並大抵の事では動じない。
彼女たちにとって、ルナマリアの分かりやすいハニートラップなど、いちいち目くじらを立てて排除しようとするような、器の狭い狭量な女ではなかったのだ。
それは、オーブの若獅子として軍と国を束ねるカガリも同様であり、むしろ彼女のバイタリティを「図太くて見所がある」とさえ面白がっていた。
婚約者である姫騎士イングリットも前述の通り、自らの寵愛の深さに絶対の自信を持っているため不安はない。
三人娘にしても、すでにマユラはキラと夜を共にする関係を築いているため、「一歩先んじている」という揺るぎない余裕がある。
アサギとジュリも、決して自分たちを蔑ろにしないキラの誠実な態度と、昔から変わらない彼の人となりを熟知しているため、焦燥感はない。それどころか、「機会を見てキラの寝首に迫り、マユラに並んでやる」と、水面下で静かに、しかし熱い情熱の炎を燃やしている状態であった。
最初はアウラの命令による純粋なハニートラップとして送り込まれてきたイングリットでさえ、「打算」というよりは「やりたくないことを命令だからやらなければならない」という悲痛な思いを抱えていた。そんな彼女の心の叫びすらも優しく受け入れ、真実の愛へと変えてみせたキラである。
故に、ルナマリアのように「純粋に自分の生存戦略と欲望のために、打算的に極上の玉の輿を狙う女」が、ここまで堂々とキラのパーソナルスペースに踏み込んできたのは初めてのケースであり、周囲の女性たち、特にラクスやミナからすれば、「こういうあけすけなパターンの場合、あのキラはどう対処するのか」という純粋な観察対象としての興味が勝り、積極的にルナマリアを排除しようとする理由が見当たらなかったのである。
さらに言えば、キラのような立場になれば、国内外の要人や貴族、あるいは巨大財閥から、ルナマリアよりも遥かに美人で、可憐で、愛らしく、グラマラスな、打算とハニートラップ要員の女性など、それこそ掃いて捨てるほど無数に寄ってくる。
それなのになぜ、キラはそれらの極上の誘惑を全て無視し、あえて「プラントのアカデミーで成績優秀だっただけの一般家庭の少女」を自らの懐へ引き入れたのか。
その妹がどれほど天才的なハッカーであったとしても、なぜ姉であるルナマリアにまで手を差し伸べたのか。
その真意に対する興味の方が、排除の感情よりも遥かに尽きないのだ。
それでいて、キラはルナマリアに対して、出会った当初からある種の気安さを見せていたかと思えば、突如としてオーブの最先端技術の結晶であるガンダムを一機丸ごと専属パイロットとして授けるという、常軌を逸した破格の待遇までやってのけた。
しかも、そんなルナマリアは、ピーキー極まりないそのデスサイズを、テスト段階からまるで自分の手足のように見事に操ってみせたのだ。
彼女の打算的な生存戦略を、モビルスーツ、それも「ガンダムを与える」という最高峰の力で満たし、あとはルナマリア本人の覚悟次第という盤面まで、一切の波風を立てずに持って行ったキラの恐るべき手腕に、周囲の女性たちは内心で舌を巻いていた。
考えてみれば当然のことである。
まだ15歳の、軍事アカデミーの毛が生えた程度の少女の打算や色仕掛けなど、今のキラ・ヤマトが呑み込まれるはずがないのだ。
世界を股にかけ、大西洋連邦の暗部を支配する国防産業連合理事のムルタ・アズラエルや、オーブの影の軍神であるロンド・ミナ・サハクといった、一歩間違えれば命すら奪われるような百戦錬磨の怪物たちと対等に渡り合う。
武装中立国家オーブの最高軍事顧問として、双子の若獅子たるカガリを補佐し、その軍隊を束ね上げる事実上の将軍として前線に立ち、姉と共に国を切り盛りする。
世界中の首脳と強力な横の繋がりを築き上げ、プラントのパトリック・ザラ議長の呼び掛けに応じる形で、本来なら絶対に交わらないはずの地球連合とザフトの首脳陣をテーブルにつかせ、和平交渉の場を強引に設けるという、国連事務総長すら成し得ない歴史的偉業を果たす。
それでいて、世界復興の礎となる『アーカディアンプロジェクト』という国際的な巨大計画を発起人として推し進め、水面下では世界の紛争と経済をコントロールする「大いなるゼロサムゲーム」のキングメーカーとして君臨し、さらにその裏側で、万が一の破滅に備えた世界平和維持組織『ソレスタルビーイング』を設立し、統括する。
控えめに言っても、今のコズミック・イラの歪な世界構造を己の知略と武力で形作った、正真正銘の「傑物」。
それが、キラ・ヤマトという少年の現在の姿なのだ。
そんな底知れぬ深淵を抱えた男の相手に、ただ玉の輿を夢見る15歳の少女が浅はかな計算で近づいたところで、全ては見透かされ、完全に掌握され、彼の手のひらの上で見事に転がされるだけである。
ルナマリア・ホークがデスサイズのコックピットで得た「居場所」は、彼女の打算が実を結んだ結果ではなく、キラ・ヤマトという規格外の存在が、彼女の持つ潜在的な刃の鋭さを買い、その打算すらも丸ごと受け入れた上で、自らの盤面における「守るべき身内」として適切に配置したという、ただそれだけの圧倒的な結果論に過ぎなかったのであった。
それでいてキラ・ヤマトという特異点を取り巻く女性陣の相関図において、彼を「男」として、あるいは「伴侶」として見つめる少女たちの熱狂的な引力圏から一線を画し、全く異なるベクトルで彼の絶対的な基盤を支えている大人の女性たちがいる。
その一人が、不沈艦『アークエンジェル』の艦長にして、モルゲンレーテ社における装甲素材部門の主任という重責を担うマリュー・ラミアスである。
彼女もまた、キラと共に死線を潜り抜けてきた最古参の一人であり、彼との精神的な距離は極めて近い。
しかし、そこに男女の情愛や打算といった泥臭い感情は介在していなかった。
マリューがキラにとって占めているポジションは、血の繋がった親兄弟以外で唯一、一切の気兼ねも、政治的な武装もかなぐり捨てて「純粋に甘えることができる、年の離れた姉」のような絶対的な安らぎであった。
世界を相手に盤面を動かし、アズラエルや各国の国家元首たちと化かし合いの死闘を繰り広げる『白銀の英雄』としての顔。
あるいは、戦場において冷徹に敵を制圧する『阿修羅』としての顔。
キラ・ヤマトがそれらの重すぎる仮面を唯一外せる場所が、マリューの淹れる温かいコーヒーの置かれたデスクの前なのだ。
彼女は、キラがまだ16歳の、普通の優しい少年であった頃から、彼がどれほどの血の涙を流して今の「完成された特異点」へと至ったのかを、その席で見守り続けてきた。
だからこそマリューは、彼を神格化することも、過剰に依存することもない。
深夜のモルゲンレーテのラボで徹夜続きのキラの頭を優しく撫で、時には小言を言いながら毛布を掛ける彼女の存在は、修羅の道を歩むキラの「人間としての柔らかい部分」が完全に擦り切れてしまわないよう保護する、最大の精神的ストッパーとして機能していた。
周囲の血気盛んな少女たちも、この「母性溢れる絶対的な姉」の前では毒気を抜かれ、大人しく従わざるを得ないという絶妙なバランサーの役割も果たしている。
そしてもう一人、キラの軍事的な基盤を強固に支える大人の女性が、オーブおよびソレスタルビーイングの切り札とも言える万能戦闘母艦『ヒリュウ』の初代艦長に大抜擢されたナタル・バジルールである。
彼女のキラに対する感情は、マリューのそれとも、他の少女たちのそれとも全く次元が異なる。
それは純度100パーセントの「忠節」であり、絶対的な指揮官に対する「騎士道精神」にも似た畏敬の念であった。
代々続く厳格な地球連合の軍人家系に生まれ、生粋の職業軍人として育て上げられたナタルにとって、己の命を懸けるに値する「大義」と「上官」を見極めることは、軍人としてのアイデンティティそのものであった。
かつて、ブルーコスモスの狂気に染まり、民間人を躊躇なく焼き払わんとするような腐敗した大西洋連邦の軍上層部に絶望しかけていた彼女にとって、圧倒的な知略と武力をもって世界の構造そのものを理にかなった形へと再構築し、無駄な血が流れることを極限まで防ごうとするキラ・ヤマトの姿は、まさに理想を体現した『真の将』に他ならなかった。
彼女とキラの間に、恋愛感情という甘い男女のヒストリーが入り込む余地はない。
あるのは、最高司令官と、その意志を最前線で完璧に実行する現場指揮官という、極めてストイックで強固な信頼関係のみである。
巨大な万能戦闘母艦ヒリュウの艦長席に座るナタルの背筋には、常に張り詰めた軍人としての誇りが宿っている。
「キラ・ヤマト准将の描く壮大な戦略図において、ヒリュウとこのナタル・バジルールこそが最も鋭利で強固な剣と盾である」という自負。
それこそが彼女の行動原理の全てなのだ。
女としての魅力に欠けているから恋愛に発展しないのではない。
彼女自身が、キラに女として愛されることよりも、軍人として、一人の部下として彼の期待を、世界を背負う彼の重荷を軍事面から全力で引き受けることの方に、無上の喜びと己の存在価値を見出しているからである。
マリュー・ラミアスという「心を休める温かな帰る場所」と、ナタル・バジルールという「己の背中を完璧に預けられる鉄の忠誠」。
少女たちがキラの心を彩り、共に未来を創るための原動力であるならば、この二人の優秀な大人の女性たちは、キラ・ヤマトという特異点が決して崩れ落ちることのないよう足元を盤石に固める、オーブと世界平和維持組織を支える強靭な「二本の柱」として、静かに、しかし絶対的な存在感を放ちながら彼の隣に立ち続けていたのである。