やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか   作:星乃 望夢

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PHASE-36 合流

 

 アークエンジェルのCICは、張り詰めた緊張感で満ちていた。

 

 メインモニターには、デブリベルトの外縁近くで発生した熱源の急激な増大。強襲によるガモフの被弾と、それに伴う混乱が色濃く映し出されていた。

 

「熱源反応、異常増大! ローラシア級、機関部より大規模な爆発を確認!」

 

 オペレーターのロメロ・パルの報告に、ナタル・バジルールが即座に反応した。

 

「好機です、艦長。ローラシア級の防御線は壊滅的。今がデブリベルトを離脱する、唯一にして最大の機会です!」

 

 マリュー・ラミアスの双眸には、迷いなどない。彼女は迷うことなく、前方を見据えて号令を下した。

 

「総員、第一戦闘配備! 機関始動、最大戦速!!」

 

「了解! 機関始動、最大戦速!」

 

 ブリッジに操舵手のアーノルド・ノイマンの復唱に続いて低い重低音が響き渡り、巨大な艦体が震えた。

 

 アークエンジェルは、今まで息を殺していたデブリ帯の深部から、まるで獲物を狙う猛獣のようにその巨体を躍らせる。

 

 無数の岩塊や残骸の隙間を、ギリギリの操艦で縫いながら、艦は一気に加速の頂点へと駆け上がっていった。

 

「デブリベルト離脱! 開放宙域へ!」

 

 視界が開け、漆黒の宇宙が広がった。

 

 だが、ブリッジのクルーたちの意識は、前方にある第8艦隊との合流地点と、そして──今も戦域に残り、戻るべき場所を探しているであろう二人のパイロットへと向けられていた。

 

「キラ君……フラガ大尉」

 

 マリューは、通信パネルに繋がる管制画面を食い入るように見つめた。

 

 彼らの乗るストライクとガンバレルストライカーのIFF信号は、まだ戦域のどこかで激しく明滅している。

 

 今のアークエンジェルは彼らが命を削って開いてくれた道を全速で突き進むしかない。

 

 もしここで足を止めれば、彼らの作戦を無駄にしてしまうからだ。

 

「第8艦隊合流予定ポイントまでの残り時間を計算して。それと、キラ君たちの信号を見失わないように……。彼らは必ず、戻ってきてくれるわ」

 

「はっ!」

 

 ナタルが力強く答える。

 

 アークエンジェルは、第8艦隊との合流という希望へ向けて、銀河の闇を切り裂くような速度で突き進んでいく。

 

 背後で爆炎を上げる敵艦を、振り返ることなく。

 

 ただ、必ず戻ると信じた二人の帰還を待つために。

 

 

◇◇◇

 

 

 漆黒の虚空を、一条の光の尾が真っ直ぐに伸びていく。

 

 巨大な岩塊や残骸がひしめき合っていたデブリ帯を完全に抜け出し、先行して第8艦隊との合流ポイントへ向かっているアークエンジェルの航跡。それをなぞるように、ストライクとガンバレルストライカーが合体したガンバレルストライクが、静かな巡航モードで宇宙を滑っていた。

 

 激しいドッグファイトと奇襲の熱狂から一転、コックピットを包むのは推進器の規則的な微振動と、作戦を完遂した直後の心地よい疲労感だけだった。

 

「いやはや。ああも完璧にハマっちまうと、笑いが込み上げてくるな」

 

 ストライクの背部に接続されたガンバレルストライカー。その独立したコックピットの中でヘルメットのバイザーを押し上げたムウは、張り詰めていた神経の糸を解き、通信機越しに心底可笑しそうに笑声を漏らした。

 

「ええ。ムウさんならやってくれると信じていました。流石は『不可能を可能にする男』ですね」

 

 ストライク側のコックピットでメイン操縦を担うキラも、コンソールに表示されるアークエンジェルとの相対距離を確かめながら、安堵の滲む声で応じる。

 

「よせやい。あんだけお膳立てされてトチったんじゃ、MA乗りの名が泣くってな。それにしても……」

 

 ムウはそこで一度言葉を切り、モニター越しに前方のストライクの背中──すなわちキラの居るコックピットブロックの方角へと視線を向けた。

 

「敵の視線を一点に集めて、対空砲火を削りつつ、さらにあのMS部隊まで艦から引き剥がす。……理屈じゃ分かってても、あんな神業みたいなドッグファイトを一人でやってのけるヤツがいるなんてな。お前さん、本当にただのカレッジの学生なのか?」

 

 半分は冗談めかした、しかし半分は純粋な畏怖を込めたムウの問いに、キラは苦笑するしかなかった。

 

「……必死だっただけですよ。それに、僕一人じゃ絶対に敵艦の足を止めることはできませんでした。ムウさんが最高のタイミングで、最高の場所に撃ち込んでくれたからです」

 

 それは紛れもない本心だった。

 

 キラがどれだけストライクの性能と自分の反射神経を限界まで引き出したところで、単機で敵艦とモビルスーツ三機を同時に沈黙させることは不可能だ。

 

 あの作戦は、キラという『目立つ囮』と、ムウという『見えない刃』が、互いの技量を完全に信頼し合っていなければ絶対に成立しなかった。

 

「ま、そういうことにしておくさ。結果オーライ、これ以上ない大戦果だ。ザフトの連中、今頃は火消しとエンジン修理で泣きを見てるだろうぜ」

 

 ムウの軽口に、キラは小さく息を吐き出してシートの背もたれに体重を預けた。

 

「……ありがとうございます、ムウさん」

 

「ん? なにがだ?」

 

「僕の推測に付き合ってくれて」

 

「馬鹿野郎、水臭いこと言ってんじゃねぇよ。お前が俺たちを生き延びさせてくれたんだろうが」

 

 照れ隠しのように鼻で笑うムウの声が、どこか温かく響いた。

 

 メインモニターの奥、星々の瞬きに混じって、アークエンジェルの放つ微かな熱源反応がはっきりと捉えられた。

 

 後方からの追撃の影はない。クルーゼ隊の包囲網は完全に破綻したのだ。

 

「さあ、帰ろうぜ、キラ。お出迎えの第8艦隊が待ってる。ひん曲がった背中のジョイント、マードック曹長にどやされる言い訳でも考えながらな」

 

「あ……やっぱり、少し歪んでますか?」

 

「少しどころじゃねぇよ。ドッキングの時、俺の首の骨が折れるかと思ったぜ」

 

 軽口を叩き合い、作戦成功の余韻を合流までの肴としながら、キラとムウたちは帰るべき母艦へと一直線に帰還の途を急いだ。

 

 この先に、まだどれほどの苛烈な運命が待ち受けているかは分からない。だが、少なくとも今この瞬間だけは、勝利の美酒に酔うことくらい許されてもいいはずだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 漆黒の宇宙空間に、無数の威容が艦隊陣形を組んで浮かんでいた。月面プトレマイオス基地から発進した、デュエイン・ハルバートン提督が指揮する地球連合宇宙軍第8機動艦隊。アガメムノン級、ネルソン級、ドレイク級といった無骨な連合の宇宙艦艇が整然と並ぶその巨大な防衛陣形の中心へ、ヘリオポリスで秘密裏に建造されていた強襲機動特装艦アークエンジェルは、まるで傷付いた白鳥が群れへと帰るように静かに滑り込んでいった。

 

「良いんですかねぇ。メネラオスの横っ腹に、こんなベタ付けしちゃって」

 

 操舵席からメインモニターを見上げ、アーノルド・ノイマンが苦笑交じりに呟いた。彼の言葉通り、アークエンジェルは第8艦隊の旗艦であるアガメムノン級『メネラオス』の左舷に対し、接舷ブリッジを直接渡せるほどの至近距離で停泊しようとしていた。

 

 新造艦とはいえ、正規の軍事プロトコルからすれば、一介の特務艦が艦隊司令の乗る旗艦へこれほど肉薄するのは異例中の異例である。

 

「閣下が、この艦を直に見たいと仰られたのよ」

 

 ノイマンの卓越した操艦技術によって寸分の狂いもなく相対座標が固定されていくのを見届けながら、マリュー・ラミアスはどこか誇らしげに、そして深く安堵した声で答えた。

 

 G計画の最大の推進者であるハルバートン提督。彼にとって、ザフトによるヘリオポリス襲撃という最悪の絶望の中から、ザフトの苛烈な追撃を幾度も退けてここまで辿り着いたこの白い艦は、連合の未来を託した希望そのものだったのだ。

 

「……バジルール少尉、ストライクとの合流まで、あとどのくらい?」

 

 旗艦との接舷作業が最終段階に入る中、マリューは視線をCICへ向け、副長であるナタル・バジルールへと確認を取った。ザフトの包囲網を破るための血路を切り開き、今もその後方で戦域を離脱中であるはずの、二人の「最大の功労者」の帰還状況である。

 

「両機の識別信号、現在も安定して本艦の航跡をトレース中です。現在の相対速度とスラスターの推進剤残量からして……このまま行けば、あと40分程度で本艦の着艦誘導エリアに到達するかと」

 

 ナタルはモニターに流れる膨大なテレメトリーデータを素早く読み解き、淀みない正確さで報告を上げた。その硬質な声の奥にも、奇襲作戦を完遂した二人への確かな安堵が滲んでいる。

 

「わかったわ。メネラオスにストライクとガンバレルストライカーのIFFと帰還予定座標を直ちに送信して頂戴。……間違っても、敵と誤認されて味方の対空砲火で撃たれるような真似だけはさせるわけにはいかないもの」

 

「了解です、艦長。直ちに第8艦隊とのデータリンクを構築し、艦隊管制へデータを転送します」

 

 ストライクとガンバレルストライカーが合体したあの異形のシルエットは、連合軍のデータベースにも存在しない規格外の代物だ。

 

 神経を尖らせている友軍機に撃墜されるという、笑えない悲劇を未然に防ぐためのマリューの指示に、ナタルは即座に指を走らせた。

 

「ふぅ…………」

 

 CICからの転送完了報告を聞き届けた瞬間、マリューは肺の底に溜まっていた重たい空気を、細く長い溜息として吐き出した。

 

 ヘリオポリスでの突然の襲撃。正規クルーの大半を喪失するという絶望的な状況下で、艦長という重責を背負わされたあの日。民間人の少年少女たちを乗せ、常にザフトの精鋭部隊の影に怯えながらの航海を続けてきた。アルテミスの傘からの脱出、デブリベルトでの息詰まる潜伏。

 

 思い返せば、気の休まる暇など殆どなかった。

 

 しかし今、彼女の周囲には圧倒的な火力と質量を誇る味方の艦隊が展開し、通信回線の向こうには、誰よりも信頼し、尊敬するハルバートン提督が待っている。

 

 すべての責任と重圧を一人で背負い込む孤独な戦いは、ここでようやく一つの区切りを迎えたのだ。

 

 漸く、肩の力を抜いて全幅の信頼を預けられる『上官』の元へと帰り着いた。その事実がもたらす途方もない安心感に包まれながら、マリューは緊張の糸を解き、艦長席のシートへとその身を深く預けたのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「──先行して陽動作戦を敢行した友軍二機、本艦隊の哨戒エリアに到達。識別信号、間違いありません。帰還します」

 

 旗艦メネラオスのブリッジにて、通信士からの報告を受けた地球連合宇宙軍第8機動艦隊司令、デュエイン・ハルバートンは、厳格な面差しを僅かに緩めて深く頷いた。

 

「よくぞ生きて戻った。直ちに哨戒中のメビウスを向かわせ、両機を丁重に出迎えろ。着艦はアークエンジェルへ誘導するのだ。……私も、あの艦へ向かう。シャトルの手配を」

 

 部下たちに矢継ぎ早に指示を出しながら、ハルバートンは己の悲願の結晶である『強襲機動特装艦アークエンジェル』へと乗り込むべく、静かに歩みを進めた。

 

 連絡用シャトルに揺られながら、彼の脳裏には、先ほどまで目を通していたアークエンジェルからの詳細な作戦報告書の内容が渦巻いていた。

 

 オーブの技術士官の少年が駆る、残された最後のG兵器『ストライク』。

 

 そして、『エンデュミオンの鷹』ことムウ・ラ・フラガが、メビウス・ゼロのパーツを流用して急造したストライカーパック兼用MA『ガンバレルストライカー』。

 

 報告書に並ぶ字面だけでも、彼らがどれほどの死線を、どれほどの機転と無謀さで潜り抜けてきたかが痛いほどに伝わってくる。

 

 同時に、その艦長という重責を不運にも背負わされることになったマリュー・ラミアス大尉の決断についても、ハルバートンは深く思考を巡らせた。

 

 地球連合の最高機密であるG兵器を、正規の軍人ではない、他国の学生上がりの技術士官に預ける。

 

 平時であれば、軍法会議にかけられ即座に厳罰に処されるであろう重罪だ。だが、中立国オーブのコロニー・ヘリオポリスという複雑な立地でザフトの奇襲に巻き込まれ、正規クルーのほとんどを失うという絶望的な緊急事態である。生き延びる術を模索し、結果としてこの艦隊へと辿り着いた彼女の判断を、一体誰が責められようか。

 

 そもそも、オーブとは秘密裏に技術提携を結び、アークエンジェルとG計画の開発・建造場所を提供してもらったという裏の経緯がある。現場にオーブの優秀な技術士官が居合わせ、艦に乗り込んでいたとしても状況としては無理からぬ話だ。

 

 それに、モビルスーツという未知の兵器を実戦レベルで動かせる貴重なパイロットを、軍規という杓子定規な理由だけで遊ばせておく余裕など、極限状態の戦場にあるはずもなかっただろう。

 

「成し遂げたな……マリュー・ラミアス」

 

 ハルバートンは誰に聞かせるでもなく、静かに呟いた。彼女を罰するつもりなど毛頭ない。むしろ、最大の賞賛と労いをもって迎えるべきだ。

 

 彼が彼女の越権行為を不問に付す最大の理由は、アークエンジェルがもたらした『途方もない手土産』の存在があった。

 

 報告によれば、アークエンジェルの格納庫には、実戦を経験したストライクの他に、もう一機の極秘機体が積まれているという。

 

 ──大西洋連邦製OSの開発過程において、テスト環境を構築する『アグレッサー』として、G計画の予備パーツから組み上げられた『デュエル』である。

 

 そして、そのデュエルには、連合軍の正規OSではなく、現在ユーラシア連邦がジャンク屋組合とのライセンス契約を結び、彼らの主力機『ティエレン』に搭載されているナチュラル用OS、通称『TC-OS』がインストールされている。

 

「アラスカのモグラ共の頭の硬さには、本当に辟易する……」

 

 ハルバートンの胸の内に、上層部への尽きせぬ苛立ちが湧き上がった。

 

 宇宙での戦闘においてモビルスーツが戦場の主役になると早期に見抜き、G計画を進言したハルバートンの意見を、アラスカの軍上層部は長らく黙殺し続けてきた。ザフトがNジャマーを地球に投下し、重力戦線で次々と破竹の勢いで勝利を収めるようになって、ようやく彼らは焦ってMS開発計画を正式に認可したのだ。

 

 しかし、いざ機体を造ろうという段になっても、連中のくだらないプライドは健在だった。

 

 ジャンク屋組合が開発したという出所が不透明なTC-OS。

 

 それを採用すれば即座に実戦投入可能なモビルスーツが完成するというのに、アラスカのモグラ共は「連合軍の純血主義」というバカバカしい理由でそれを一蹴したのだ。

 

 結果として大西洋連邦の独自OS開発は大幅に遅れ、現場には地獄のような皺寄せが来た。OSのテスト環境を無理やり構築するため、現場の裁量と軍規ギリギリのラインを攻め、予備パーツで組み上げたデュエルに、非公式にTC-OSを搭載するという荒業に出ざるを得なかったのだ。

 

 そして今、ユーラシア連邦はそのジャンク屋謹製のOSを載せたティエレンでザフト軍の侵攻を食い止め、確かな戦果を挙げている。その事実を前にしてもなお、独自OSに血眼になって固執するアラスカの無能どもには、怒りを通り越して憐れみすら覚える。

 

(だが、風向きは変わるぞ)

 

 ハルバートンの瞳に、鋭い光が宿る。

 

 幾多の実戦を潜り抜け、完成の域に達しつつある『ストライク』。

 

 そして、機構がシンプルであるがゆえに量産化への移行が容易であり、なおかつ実戦証明済みのTC-OSを搭載した『アグレッサー仕様のデュエル』。

 

 この二つの事実を突きつけてアラスカへと降ろせば、明日の戦況は劇的に変わる。いや、変えさせなければならないのだ。

 

 この二機は、上層部の政治的な無能と偏見を打ち砕き、目を覚まさせるためのこれ以上ない『劇薬』となる確信が、ハルバートンにはあった。

 

「待っていろ、若者たちよ。君たちが血を吐く思いで繋いだこの希望、私が必ず……地球の明日へと変えてみせる」

 

 連絡シャトルが軽い衝撃と共にアークエンジェルの右舷ポートへと接舷する。

 

 ハルバートンは深く息を吸い込み、威厳に満ちた足取りで、新たな時代の幕開けとなる白い艦のハッチへと向かった。

 

 

◇◇◇

 

 

 マリュー・ラミアス以下、度重なる激戦を潜り抜け生き残った数少ない正規クルーたちの敬礼と、その固い表情の奥に隠しきれない深い安堵の色を受け止めたハルバートンは、労いの言葉もそこそこに、直ちにアークエンジェルの最深部である格納庫への案内を求めた。

 

 目当ては当然、死地を切り裂いて帰還したばかりの『ストライク』と、報告書に記載のあった急造兵装『ガンバレルストライカー』、そしてユーラシア連邦の命運すら握りかねないTC-OSを宿した『デュエル』の視察である。

 

「……その、少々格納庫が散らかっておりますが、どうかご容赦ください」

 

 先導するマリューが、歩きながらふと足を緩め、振り返ってバツの悪そうな顔をした。それは艦長としての報告というよりは、急な来客に散らかった自室を見られることを恥じ入るような気恥ずかしさに似た声音だった。

 

「はははっ! 何を言うかと思えば。実戦を終えたばかりの軍艦の腹の中が、舞踏会の会場のように片付いているわけがなかろう。散らかっているのは、君たちが必死に生き抜いて戦った何よりの証拠だ。気にするな」

 

 ハルバートンはマリューの懸念を朗らかに笑い飛ばした。彼自身、数え切れないほどの戦場を渡り歩いてきた歴戦の将である。硝煙とオイルの匂いに満ち、整備兵たちが怒号を交わしながら駆け回る野戦病院のような格納庫の空気など、とうの昔に慣れ親しんだものだった。

 

 ──少なくとも、この艦の分厚い防爆扉の向こう側を見るまでは、そう思っていたのだ。

 

「……なんだ、これは」

 

 重々しい駆動音と共にハッチが開き、広大な格納庫内へと足を踏み入れた瞬間。

 

 連合艦隊を指揮する提督という頂にまで上り詰めたハルバートンでさえ、目の前に広がるあまりにも常軌を逸した光景に、思わず足を止め、呆然と呟かずにはいられなかった。

 

 鼻腔を突くオゾンと焼けた金属の匂い、整備班の喧騒。それ自体は通常の空母と変わらない。だが、そこに鎮座している『鉄の巨兵』たちのラインナップが、およそ一隻の強襲揚陸艦の搭載規格を根本から逸脱していたのだ。

 

 手前のハンガーには、先ほどの陽動作戦から帰還したばかりのX-105ストライクが、四方から無数のケーブルを繋がれて冷却処理を受けていた。その隣では、メビウス・ゼロを流用し組み上げられたガンバレルストライカーが、整備班長のマードックの怒号とともに急ピッチで補給と整備がされている。

 

 だが、ハルバートンの視線を釘付けにしたのはそれだけではない。

 

 ストライクとガンバレルストライカーの隣にはオーブ連合首長国の次期主力機であるM1アストレイの系譜を思わせる、流麗な白いフレームの機体が静かに佇んでいた。

 

 さらにその奥のデッキを占拠しているのは、地球連合のG兵器とは全く設計思想の異なる、分厚い重装甲と実戦的なフォルムを持った紺色の機体群──ユーラシア連邦で猛威を振るっているという『ティエレン』が数機、まるで鉄の壁のように並んでいる。

 

 反対側の区画には、あろうことかザフト軍の汎用量産機である『ジン』が二機、ごく自然に連合の整備用ハンガーに収まっていた。一機はメビウスを背負った異形のカスタム機だ。

 

 そして何より、この混沌とした格納庫の中心でひと際異彩を放っていたのは、周囲の機体を圧するほどに巨大なシルエットを持つ、全身を重装甲で覆われた怪物のような機体だった。

 

 その隙間から鈍く光る緑色のフレームは、それがオーブ製の『アストレイ』をベースにしながらも、何者かの手によって重装甲を施された産物であることを物語っている。

 

「提督……こちらが、現在本艦で運用中の全戦力となります」

 

 言葉を失うハルバートンの横で、マリューが静かに告げた。

 

 その視線の先、一番奥の薄暗いハンガーの中で、また別のティエレンとG計画の本来の姿を留める『デュエル』が、まるでこの異形の群れの中では却って異端児のようにひっそりと佇んでいた。

 

 ハルバートンは、自分が目を通した報告書の内容を頭の中で反芻した。

 

 『5機開発されたG兵器のうち、4機がザフトのクルーゼ隊によって奪取された』

 

 その事実だけを見れば、アークエンジェルは手足を毟り取られ、ただ一機残されたストライクだけを抱えて命からがら逃げ延びてきた傷だらけの敗残艦である。

 

 しかし、現実はどうだ。奪われた4機という数を遥かに上回る、戦力としてはあまりにも過分で、あまりにも規格外のモビルスーツの群れが、この限られた空間にひしめき合って次の出撃を待っている。

 

 機体の所属を示すマーキングやフレームの構造を見る限り、その半数以上はオーブ軍の極秘機体であり、残りはジャンク屋由来のパーツや鹵獲機体が入り乱れている。

 

 これは単なる物資の回収などではない。ヘリオポリスというコロニーが戦火に焼かれていく地獄の坩堝の中で、迫り来るザフトの刃から生き延びるため、目に付く戦力を、掻き集められるだけの牙を、文字通りなりふり構わず艦の腹に飲み込んできたのだ。

 

「……マリュー・ラミアス大尉」

 

「は、はいッ!」

 

 ハルバートンの低く震える声に、マリューが緊張で肩をビクンと跳ねさせる。軍規違反の数々を咎められると覚悟したのだろう。

 

 しかし、振り返ったハルバートンの顔に浮かんでいたのは、怒りではなく、深い感嘆と、現場の兵士たちの凄絶なまでの生存本能に対する底知れぬ敬意であった。

 

「報告書の文字をいくら睨んだところで、現場の真実は分からんものだな……。よくぞこれだけの『生き残るための力』を掻き集め、このアークエンジェルをここまで連れ帰ってくれた。君と、君の艦のクルーたち、そして機体を操るすべての者たちの執念に、私は地球連合軍の将として最大限の敬意を表する」

 

 ハルバートンは再び前を向き、壮観な、そしてあまりにも頼もしい異形のモビルスーツ群を満足げに見渡した。

 

 

◇◇◇

 

 

 第8艦隊との合流を果たし、アークエンジェル艦内に束の間の安堵と休息の空気が広がる中、キラ・ヤマトは自室の端末の前に陣取り、一人黙々と電子書類の作成──いや、正確に言えば『書類のでっち上げ』に追われていた。

 

 トールがティエレンに乗って戦うと決めたのは承知していた。だが、サイやカズイ、そしてミリアリアまでが、アークエンジェルの運用を手伝うため、戦場の心臓部であるブリッジに入り込んでいるとは予想外だった。

 

 彼らの友人としての献身には、胸が熱くなる思いだった。

 

 しかし、現実問題として、軍籍を持たない民間人が戦闘艦の運用や戦闘行為に関与することは、明確な国際法違反である。もしこのままなし崩し的に戦闘に参加し続ければ、彼らは連合軍の正規クルーとして扱われないばかりか、最悪の場合『不法戦闘員』として国際法上の保護を受けられなくなる危険性があった。

 

 だからこそ、キラはオーブ・モルゲンレーテ社の技術士官という自身の特殊な立場と、現場士官に与えられた裁量権をフルに悪用し、友人たちを守るための法的な『盾』を作り上げていたのだ。

 

「ええと、部隊名は……『オーブ・モルゲンレーテ所属・特務MSテスト小隊』、と」

 

 キラはキーボードを叩き、もっともらしい架空の部隊を連合のシステム上に登録していく。

 

 トール・ケーニヒは、同社に雇い上げられた『テストパイロット』。

サイ・アーガイル、カズイ・バスカーク、ミリアリア・ハウの三人は、部隊専属の『テストオペレーター』。

 

 そして彼らは全員、ヘリオポリス襲撃という非常事態に際し、人手不足に陥った大西洋連邦所属艦アークエンジェルへ『技術的見地からの出向・協力』をしている、という筋書きだ。

 

 これで少なくとも、書類上において彼らはただの巻き込まれた民間人ではなく、れっきとした中立国オーブの企業所属要員として扱われる。万が一ザフトに拿捕されたとしても、捕虜としての最低限の権利は守られるはずだ。

 

「……本来なら、ここで降ろしてあげるべきなんだよね」

 

 端末の光に照らされたキラの瞳に、ふと暗い影が落ちる。

 

 第8艦隊と合流したことで、間もなくアークエンジェルにも正規の補充要員が送られてくるだろう。人手不足は解消され、民間人である彼らはこの艦を降り、第8艦隊が用意する退避シャトルで安全な後方へと下がる権利を与えられるはずだ。

 

 だが、キラは彼らを艦から降ろすつもりはなかった。

 

(おそらく、クルーゼ隊はこの期に及んでも……いや、第8艦隊が合流したこのタイミングだからこそ、仕掛けてくる)

 

 『原作』の知識が、キラの脳裏に最悪の惨劇のビジョンを突きつけていた。

 

 地球降下軌道上での、第8艦隊とクルーゼ隊との死闘。

 

 その最中、戦場から逃れようとする無防備な退避シャトルが、艦隊の防空網をすり抜けてきたデュエルによって、無惨にも撃ち抜かれる光景。

 

 今回の時間軸でも、イザーク・ジュールは健在であり、デュエルに乗っている。先ほどの戦いで煮え湯を飲まされ、激昂している彼が降下作戦中にどのような行動に出るか。もし彼らが乗った退避シャトルが、その怒りの矛先として狙われたら。

 

 アークエンジェルから遠く離れた、護衛もない脆弱なシャトルの中では、キラがいかにスーパーコーディネイターの力を持っていようとも、彼らを守り切れる保証は何処にもない。

 

(間違っても……あんな悲劇だけは、起こさせない)

 

 ならば、安全なはずの退避シャトルに乗せるよりも、このままアークエンジェルに乗せ続けた方が生存確率は遥かに高い。

 

 この艦には、マリューやナタルといった優秀な指揮官がいる。ムウの駆るガンバレルストライク、何より僕のティエレンやアサギさん達も居る。

 

 このままアークエンジェルごと地球へ降下し、地上ルートで彼らの母国であるオーブへと送り届ける。

 

 それが、友人たちの命を確実に守り抜くための、キラなりの冷徹な最適解だった。

 

「みんな、ごめん……。僕の勝手で、もう少しだけ怖い思いをさせることになる」

 

 真実を隠し、安全な道を奪ってでも、血なまぐさい戦艦の腹の中に友人たちを縛り付ける。その自身の傲慢さと身勝手さに、キラは内心で深く、深く謝罪した。

 

 しかし、罪悪感に苛まれながらも、友人たちが法律上でも生命の危機においても不利益を被らないようにと、キラの端末を叩く手は決して休まることはなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 嘘の書類をシステムの深部へと登録し終え、小さく息を吐いた直後。キラは艦内通信による呼び出しを受け、アークエンジェルの艦長室へと赴いていた。

 

 重厚な扉の奥。そこには、艦長であるマリュー・ラミアスと共に、この地球連合軍第8機動艦隊を束ねる司令官、デュエイン・ハルバートン提督が待ち構えていた。

 

「君が、この艦を守り抜いてくれたという少年か」

 

 鋭く、しかしどこか温かみを帯びた眼光がキラを射抜く。

その圧倒的な将としての威圧感に気圧されそうになりながらも、キラは背筋を伸ばし、淀みなく口を開いた。

 

「は、はい! オーブ連合首長国軍、並びにモルゲンレーテ社所属、キラ・ヤマト技術三尉です」

 

「ヘリオポリスでは災難だったな。……と言うには、君と君の友人らの苦労は察して余りある。地球連合軍を代表して、君に感謝を述べさせてくれ」

 

 ハルバートンは深く頷き、言葉に確かな敬意を込めた。

 

「いえ。こちらとしても自衛のためでしたし、なにより……僕には、大切な友人が乗るこの艦を守る義務がありましたから」

 

「うむ。正規の軍事訓練を受けているようには見えぬが、こうして軍の理に通じる、確固たる意志を持った若者でこちらとしても大いに助かった。改めて礼を言わせてもらうよ、キラ・ヤマト三尉」

 

「は、はっ!」

 

 キラは見様見真似で、ぎこちない敬礼を返した。

 

 そのいかにも「軍人らしくない」初々しい仕草に、張り詰めていたハルバートンの顔に朗らかな笑みが広がる。

 

 しかし、提督の内心には驚嘆の念が渦巻いていた。

 

 この、どこにでもいそうな線の細い少年が、あのストライクを操縦したばかりか、普段は専用にチューンされたティエレンを駆り、幾度もザフトの精鋭部隊の追撃を退けたというのだ。

 

 のみならず、先ほどローラシア級を退けた鮮やかな陽動奇襲作戦の立案者でもあり、切り札であるガンバレルストライカーとの連携を完璧に計算した上で、あえてストライクで出撃するという選択肢を取った。

 

(一介の技術士官とは思えぬほどの思考の柔軟性と、異常なまでの作戦立案能力……。オーブは、とんでもない若者を掴まえたものだ)

 

 羨望にも似た感心を覚えつつも、ハルバートンは艦隊司令としての務めを果たさねばならなかった。

 

「さて、ヤマト三尉。こうしてアークエンジェルが無事に我が艦隊と合流を果たしたわけだが……オーブ軍籍である貴君らは、ここから本隊への復帰、或いは本国への帰還をするべきであると考えるが。どうかね?」

 

 提督の問いかけは、至極当然のものだった。

 

「はい。確かにこの宙域からなら、オーブの軌道ステーションである『アメノミハシラ』に向かう事も可能です。ですが……」

 

 キラはそこで言葉を区切り、真剣な眼差しをハルバートンへと向けた。

 

「僕の懸念としては、クルーゼ隊の今後の動きです」

 

「ほう」

 

 ハルバートンは興味深げに身を乗り出した。

 

「先の見事な作戦を立案した君の意見だ。聞かせてもらおう」

 

「はい。アークエンジェルを執拗に追尾していたローラシア級は、先ほどの作戦でエンジンを損傷させ、一時的な足止めには成功しました。しかし、戦域を離れていた旗艦のナスカ級が、プラント本国からの増援を伴ってすでに合流している可能性が極めて高いと考えます。そして……」

 

 一度言葉を切ったキラは、反芻する様に続きを紡いだ。

 

「部隊長であるラウ・ル・クルーゼという指揮官は、非常に執念深い男だとフラガ大尉から聞き及んでいます。であれば、ザフトからすれば『制宙権が優勢である宇宙に居る間』に、何としてもこのアークエンジェルを沈めようと、再び仕掛けてくる可能性は否めません」

 

 ハルバートンは鋭い視線でキラを見据えた。

 

「我が第8機動艦隊の眼前に、たった数隻の艦とモビルスーツ部隊で正面から仕掛けてくると言うのかね?」

 

「普通なら、この圧倒的な戦力差を前にして仕掛けてはこないと考えます」

 

 キラは提督の威圧に怯むことなく、冷徹な分析を続けた。

 

「ですが、第8艦隊の機動部隊は、先ほど外から拝見した限り『メビウス』ばかりでした。となれば……メビウスの実体弾が通用しない『フェイズシフト装甲』を持つ、奪われたXナンバーの存在が致命的になります」

 

 マリューがハッと息を呑む音が、静かな室内に響いた。

 

「ブリッツはアルテミス要塞での戦闘で中破させましたが、まだ強力な対艦兵装を持つバスターとイージスは健在です。デュエルも加えたそれらを惜しみなく投入し、先鋒として展開させる。フェイズシフト装甲を盾にしてメビウスの防衛線を強行突破し、艦隊陣形を内側から食い破って乱す。そしてその綻びに、後続のジン部隊を雪崩れ込ませて対艦戦闘を行えば……ザフト側にも、充分に勝機はあります」

 

 キラは真っ直ぐにハルバートンを見つめ返した。

 

「僭越ながら、僕が敵の指揮官の立場に立ち、手駒を計算した上での見解です」

 

 ──静寂。

 

 一介の、しかも他国の下士官が、大艦隊の司令官に向かって直接、「あなたの艦隊は数隻の敵に蹂躙されかねない」と戦力分析と戦術予測を叩きつけたのだ。軍の常識からすれば、あまりにも畏れ多く、不遜極まりない発言である。

 

 隣に立つマリューは、キラのあまりの直言に内心で冷や汗を滝のように掻いていた。提督の逆鱗に触れるのではないかと、気が気ではない。

 

 しかし。

 

「……ふっ、はははははっ!」

 

 沈黙を破ったのは、ハルバートンの腹の底から湧き上がるような、豪快な笑い声だった。

 

 彼はキラの言葉を「素人の妄言」として一蹴するどころか、不快感を露わにすることすらなかった。むしろ、連合艦隊の致命的なアキレス腱を瞬時に見抜き、盤面を俯瞰して最悪のシチュエーションを構築してみせたその見事な見識に、深く感じ入っていたのだ。

 

 ハルバートンは深く頷き、軍人としての最大級の評価を、目の前の少年に送った。

 

「……確かに、今の連合軍の主力艦隊といえど、MSの機動力とPS装甲の耐弾性に対する備えは皆無に等しい。君の言う通りだ、キラ・ヤマト三尉。敵が合理的かつ狡猾な男であれば、この艦隊の『薄さ』を突いてくる」

 

 彼はゆっくりと顔を上げ、力強く頷いた。

 

「君の見立て、非常に興味深い。……オーブは良い若者を掴まえたものだ。軍を率いる身として、これほど頼もしい助言は久しく聞いていなかったよ」

 

 その言葉には、ただの技術士官を扱う態度ではなく、一人の指揮官として、キラを対等の戦術家として認める響きがあった。

 

「そこまで読んでいる君のことだ。クルーゼが仕掛けてくるまで、アークエンジェルと行動を共にすると言うのだな?」

 

 ハルバートンの低く重い声が、探るようにキラへと向けられる。その眼差しは、無謀な若者をたしなめるものではなく、対等な知力を持つ将棋の対局者を射抜くような鋭さを帯びていた。

 

「はい。オーブ軍として『他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない』というウズミ様の理念に反する行為であることは承知しています。ですが、クルーゼ隊がこの艦隊へ明確な殺意を持って仕掛けて来るのならば、それは目前の危機に対する『専守防衛』という交戦規定の適応範囲内であり、僕らもオーブの自衛権の行使として出撃が可能だと解釈します。アークエンジェルのMSの戦力を投じて敵のMS部隊との戦力差を五分に持っていければ、艦の防衛はもちろん、第8艦隊への被害を最小限に抑えられると愚考します」

 

 しんと静まり返った艦長室に、キラの淀みない言葉だけが、ひんやりとした冷気のように響き渡った。

 

 艦の微細な環境音すら遠ざかるような沈黙。

 

 マリューが、ごくりと喉を鳴らし、息を呑む気配が痛いほどに伝わってくる。無理もない。言葉を一つでも間違えれば、あるいは聞き手の取り様によっては、中立国オーブと大西洋連邦の間に取り返しのつかない外交問題を引き起こしかねない、極めて危うい綱渡りなのだ。

 

 一介の、それも学生上がりのオーブの技術士官が、地球連合軍という巨大組織の提督に対し、自国の絶対不可侵の国家理念の「拡大解釈」と「法の抜け道」を堂々と宣言し、あろうことか『連合軍の盾になる』と自ら申し出たのである。

 

 その異常すぎる盤面構築能力と度胸は、およそ正常な軍隊のヒエラルキーの中では到底考えられないものだった。

 

 だが、キラは視線を逸らさない。

 

 これは屁理屈でも傲慢でもない。友人たちを乗せたこの艦を、そして恩義あるこの艦隊を、ただ黙って見殺しにしないために彼自身が捻り出した、最も冷徹で論理的な「言い訳」だった。

 

「それに……」

 

 キラはさらに一歩踏み込み、提督の眼前に決定的な「政治的カード」を切った。

 

「もし仮に、僕たちがここで艦を降り、オーブの軌道ステーションである『アメノミハシラ』へと向かえばどうなるか。それはプラント側──つまりザフトの諜報網に対し、『オーブは連合の艦隊と宇宙空間で接触し、MSを中立国の軌道ステーションへ運び込んだ』という、明確に地球軍と手を組んでいる証拠を自ら進んであちらへと渡してしまう絶好の瞬間となります。中立の皮を被った裏切り者として、オーブ本国がザフトの標的にされる口実を与えかねません」

 

 ハルバートンの眉が、ピクリと動いた。

 

 少年の見据えている視座が、局地的な戦術論から、国家間の地政学的な戦略論へと完全に切り替わったことを悟ったのだ。

 

「なので、強情ながらこのまま僕達もアークエンジェルと共に行動し、月のプトレマイオス基地、或いは地上のアラスカ本部へ降りた先で、正規の外交ルートを通じてオーブ本国への帰還を目指す方が合理的です。今は『連合の艦に保護され、なし崩し的に協力を強いられている被災者』という名目を保ったままの方が、オーブと大西洋連邦、互いにこれ以上の不都合を表立って作らない最善の策でもあると、提案させて頂きます」

 

 言い切ったキラの瞳には、一切の揺らぎがなかった。

 

 連合軍としては、喉から手が出るほど欲しい『ストライク』と『TC-OS搭載のデュエル』、そしてそれらを完璧に運用できる戦力を、政治的摩擦を回避したまま手元に置き続けることができる。

 

 オーブ側としては、自国の技術者が「連合に保護されている」という体裁をとることで、ザフトからの政治的非難をかわすことができる。

 

 すべての陣営の思惑とリスクを天秤にかけ、誰もが表立って反対できない『正解』を提示してみせたのだ。

 

 しかもそれを、先ほどの奇襲作戦の死線から生還したばかりの、まだあどけなさの残る少年がやってのけたという事実に、ハルバートンの胸中には感嘆を通り越した底知れぬ戦慄が走っていた。

 

「……見事だ」

 

 ハルバートンは、深く、長く息を吐き出しながら、腹の底から湧き上がるような唸り声を上げた。

 

「まさか私が、他国の若者に政治と外交の綱渡りを教えられる日が来るとはな。……君の言う通りだ、ヤマト三尉。君たちが今ここでアメノミハシラへ向かうことは、我が軍にとってもオーブにとっても、無用な火種をばら撒く結果にしかならん」

 

 ハルバートンはゆっくりとキラを見下ろした。その厳格な顔に、軍人としての分厚い仮面を脱ぎ捨てた、一人の大人としての深く温かな笑みが浮かぶ。

 

「君の提案、そしてその『強情』を、第8機動艦隊司令として全面的に受け入れよう。君たちオーブの技術士官は、本艦隊の厳重な保護の下、アークエンジェルと共に行動することを許可する。……貴君らが我々と共に戦ってくれる、これほど心強いことはないからな」

 

「ありがとうございます、閣下」

 

 キラは深く、今度は淀みのない完璧な敬礼を返した。

 

 マリューが、ようやく安堵の吐息を漏らす音が聞こえる。

 

 これから訪れるであろう、ラウ・ル・クルーゼという執念深い男が率いる軍勢との熾烈な艦隊戦。

 

 その嵐を乗り越えるための最初の、そして最大の布石が、今この密室で確かに打たれたのだった。

 

 

 

 




サブタイトルはシンプルながらも、切りどころがなく過去一長い本文に付き合って頂きありがとうございます。
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