やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか   作:星乃 望夢

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PHASE-03 生命の対話

 

 会いたい。今直ぐにでも、どうしようもなくアスランに会いたい。

 

 理屈では分かっている。彼もまた、最愛の母であるレノアさんをあの無慈悲な核の炎で失った直後なのだ。その悲しみと喪失感、そして地球軍への凄まじい憎悪で、彼自身の心はもう限界までひび割れ、いっぱいいっぱいになっているはずだ。たとえ今、僕が無理やりプラントへ飛んで彼の前に姿を現したところで、かけてあげられる言葉なんて何一つない。

 

 このスーパーコーディネイターの頭脳をどれだけフル回転させても、親友の涙を止めるための正解など導き出せはしないのだ。

 

 僕に何かが出来るわけじゃない。彼を救う力なんて、今の僕にはない。

 

 それでも、とにかく今、アスランに会いたかった。その冷たくなった手を握り、隣でただ黙って、彼が背負い込んだ絶望の重さを少しでも一緒に背負いたかった。

 

 やっぱり、僕にはアスランが居ないとダメなんだ。

 

 今回、僕が独りでオーブのネットワークを潜り抜け、大西洋連邦の軍事サーバーから核ミサイル搭載の情報を盗み出したこと。あの命懸けのハッキングだって、もし隣にアスランが居てくれたら、より完璧で、より確実にザフトの上層部を動かせるような形で情報を送りつけることが出来たんじゃないか。

 

 彼の持つ論理的な思考、そして何より、僕の足りない部分を完璧に補い、迷いを断ち切ってくれるあの存在があれば。

それこそ、ユニウスセブンへの核攻撃という最悪の悲劇だって、二人なら未然に防ぐことが出来たかもしれないのだ。

 

「やっぱり……僕だけじゃ、ダメなんだ……」

 

 自嘲気味な呟きと共に大きく息を吐き出し、僕はヘリオポリスの自室にあるデスクチェアに深く腰を沈めた。

 

 モニターの光だけが照らす薄暗い部屋で、何の模様もない天井をただ虚ろに見上げる。

 

 遠い遠いプラント。広大な宇宙空間と、果てしない憎悪の連鎖によって隔てられたあの場所まで、僕のこの痛切な心が届くわけがないと、現実の理は冷酷に告げている。

 

 それでも、一人残された親友の慟哭を想わずには居られなかった。

 

 前世の記憶に焼き付いている、あの映画のクライマックスの光景。

 

 ストライクフリーダム弐式のコクピットで、ラクス・クラインと意識を深くリンクさせ、超常的な力で戦場を支配したキラ・ヤマトの姿。

 

 この、彼と同じように作られたスーパーコーディネイターの肉体の奥底にも、あの『アコード』と呼ばれる、人を超越した感応能力の因子が必ず宿っているはずだ。さらに言えば、僕はドラグーンシステムを完璧に制御するための、特異な空間認識能力すらも備えている。

 

 それだけの異常な才能を詰め込まれた『最強の器』なのだ。

 

 だったら、物理的な距離なんて関係なく、遠く遠く離れたアスランの心と、意識のクロッシングが出来たって良いじゃないか。

 

 あの『蒼穹のファフナー』で、存在という境界を超えてフェストゥムの側に居た皆城総士が、遠く離れた竜宮島に居る親友・真壁一騎と、まるで隣にいるかのように日常的にクロッシングして心を通わせていたように。

 

 あの奇跡が、僕たちに起きたっていいじゃないか。

 

 世界がどれほど残酷でも、運命がどれほど僕たちを引き裂こうとも、僕にだって、たった一人の大切な親友の心と直接繋がり、その痛みに寄り添うための力が備わっていても良いじゃないか。

 

 天井の染みを見つめたまま、僕は届かないと知っている祈りを、必死に、ただ必死に虚空へ向けて叫び続けていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 キラの悲痛なまでの祈りは、本来届くべき相手であるアスランの心には、無情にも届くことはなかった。

 

 物理的な距離の壁か、あるいはアスラン自身が母を失った絶望によって心を固く閉ざしてしまっていたからか。その理由は定かではない。

 

 しかし、キラの放った途方もなく巨大で、ひどく純粋な感情の奔流は、真空の宇宙を越え、ある一人の少女の精神の深淵へと、知る由もなく直撃していた。

 

 プラントの最高評議会議長シーゲル・クラインの娘であり、後にプラントの歌姫として世界を導くことになる少女、ラクス・クライン。

 

 ユニウスセブン崩壊という凄惨な悲劇に心を痛め、自室の温室で散っていった命へ向けて静かに祈りの歌を口ずさんでいた彼女は、突如として脳髄を直接鷲掴みにされるような「声なき声」の衝撃に打たれ、その場に力なく崩れ落ちた。

 

「……ぁ……っ、う……!?」

 

 喉から微かな悲鳴が漏れる。胸を強く押さえ、ピンク色の髪を揺らして荒い息を吐くラクスの瞳孔が、驚愕に見開かれていた。

 

 それは音ではなかった。言葉ですらなかった。

 

 あまりにも濃密で、圧倒的なまでの悲壮と、己の無力さに対する絶望。そして何より──『アスラン』という一人の人間へ向けられた、常軌を逸した依存、執着、そして底なしの親愛が入り混じった、文字通りの『クソデカ感情』の直撃だった。

 

『会いたい』

『アスランがいないとダメなんだ』

『僕だけじゃダメだ』

 

 ラクス・クラインという少女は、自身が『アコード』という特殊な存在であることなど、この時点では欠片も知らされていない。

 

 デスティニープランの要として生み出された、他者の精神とリンクし、思考を読み取る力を持つ新人類。彼女の深層に眠っていたその因子が、ヘリオポリスから放たれたスーパーコーディネイターの規格外の想念を、完璧なアンテナとして受信してしまったのだ。

 

 自らの器が持つアコードの因子に無自覚なキラが、極限の精神状態で行った魂の叫びは、同じく自身の力に無自覚であったラクスの心と、運命という名の引力によって強制的にリンクを繋いでしまった。

 

「誰……? あなたは、どなたですの……?」

 

 ラクスは震える声で虚空に問いかけた。

 

 もちろん、返事はない。ただ、見知らぬ少年の、ひどく傷つき、一人ぼっちで丸まっている魂の形だけが、彼女の精神の内に生々しく流れ込んでくる。

 

 不思議な感覚だった。

 

 本来なら、他者のこれほどまでに重く暗い負の感情を直接流し込まれれば、精神が崩壊してもおかしくはない。しかし、彼女の内に眠っていたアコードの能力は、その絶望の波を正確に処理し、共鳴していく。

 

 そしてラクスは、自らの婚約者であるアスラン・ザラに対し、これほどまでに痛切に心を寄せ、彼を救いたいと願いながらも何もできない自分を呪い、泣き咽んでいる少年が宇宙のどこかにいるという事実を、理屈ではなく「感覚」として理解してしまった。

 

「……泣かないで……くださいな……」

 

 無意識のうちに、ラクスは自らの胸の前で両手を組み、その見知らぬ魂を抱きしめるように祈っていた。

 

 キラの放った途方もない思惟の波。

 

 それは、ラクス・クラインという少女の内に眠っていたアコードの因子と能力を、物理的な痛みすら伴う強烈な共鳴によって、無理やり叩き起こす決定的な『鍵』となってしまったのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「ラクス……?」

 

 鼓膜が震えたわけではない。もっと深い場所、脳髄の奥底、あるいは魂と呼ばれるような領域に直接、凛とした、けれどひどく悲しげな銀の鈴のような声が響いた気がした。

 

「……泣かないで……くださいな……」と。

 

 そんなはずはない。頭ではそう理解しているのに、僕はデスクチェアに深く沈めていた身体を弾かれたように飛び起きさせていた。キャスターが乱暴に床を滑る音だけが、無機質な部屋に響く。

 

 僕は血走った目で、声の主を探すように首を左右に激しく振った。薄暗い自室。モニターの冷たい青い光。どこを見渡しても、散らかった僕の私物と見慣れた壁があるだけだ。

 

 当然だ。僕の部屋に、遠く離れたプラントの最高評議会議長の愛娘であるラクス・クラインが居るはずがない。

 

 なのに、僕は確かにラクスの声を聞いた。

 

 いや、声だけじゃない。声よりも先に、ひどく鮮烈な『気配』があった。

 

 彼女の存在を、まるで直ぐ隣に立って、震える僕の背中をその華奢な腕で抱きしめてくれているかのように、生々しく、そして確かな温もりとして感じたのだ。だからこそ、僕は錯乱したように部屋の中に彼女の物理的な姿を探してしまった。

 

 幻聴だろうか。ついに孤独と絶望で、僕の精神は完全にイカれてしまったのだろうか。

 

 だが、その温もりはあまりにも優しく、今の僕が何よりも渇望していた他者の体温そのものだった。

 

「違う……気のせいなんかじゃない……!」

 

 僕は祈るように、或いは蜘蛛の糸に縋りつく亡者のように、両手を胸の前で強く組み合わせた。

 

 もう一度、今の奇跡が起きて欲しい。

 

 暗闇に沈みかけていた僕の心に、一筋の光を投げかけてくれたあの温もりを手繰り寄せるように。僕は目を固く閉じ、自らの意識の奥底へと深く深く潜り込んでいく。

 

 思い出すんだ。前世の知識を。あのスクリーンの向こう側の出来事を。

 

 宇宙世紀におけるニュータイプたちが見せた、言葉を介さずに共鳴する絶対的な空間認識能力。

 

 そして、このコズミック・イラの未来で明かされる、他者の心を読み、同じアコード同士で精神の深層をリンクさせる新人類の因子。

 

『ファフナー』の世界で、一騎と総士がクロッシングによって互いの痛みも温もりも全てを共有していたように。

 

 僕の魂から放たれた悲鳴が、あのアスランの婚約者である彼女の心に届いたのだとしたら。彼女の内に眠るアコードの因子が、僕のクソデカ感情に共鳴してくれたのだとしたら。

回線は、既に繋がっているはずだ。

 

「頼む……繋がれ。繋がってくれ……っ!」

 

 僕は歯を食いしばり、自らの肉体を構成する見えない遺伝子情報に向けて、半ば脅迫に近い苛烈な念を叩きつけた。

 

 ヒビキ博士によって造られた、最高の頭脳と肉体を持つスーパーコーディネイター。何でも出来る才能の極致。その器の奥底に眠っているはずの未知の領域へ。

 

 今ここで、この絶望の淵で奇跡を起こさなかったら、何のための最強の器か。何のためのチート能力か。

 

 もしこのまま僕を見捨てるようなら、こんな身体、絶対に承知しないぞ。細胞の一つ一つを呪い殺してやる。

 

 狂気に近い執念で自らのシステムを強制起動させるように、僕は意識のチャンネルを、先ほど触れたばかりの『あの温もり』の周波数へと無理やりにチューニングしていく。

暗闇の中に、一点の光を探すように。

 

 真空の宇宙を越えて、遠いプラントにいる一人の少女の精神の扉を、内側から激しく叩くように。

 

 言葉ではない。声帯の振動ではない。

 

 純粋な思念の塊として、僕は彼女を呼んだ。

 

『──ラクス!!』

 

 その瞬間。

 

 僕の閉じた視界の裏側が、眩いほどの白い光に包まれた。

 

 ヘリオポリスの自室の空気とは違う、むせ返るような花の香り。そして、戸惑いと、慈愛と、微かな恐怖の入り混じった、柔らかくも力強い精神の波動が、再び僕の魂を真っ直ぐに貫いた。

 

 

◇◇◇

 

 

 アスランへと向けられていた、宛先のない悲鳴のようなキラの思惟。それは偶然にもラクス・クラインという稀代の『器』の奥底を叩き、彼女の中に眠っていたアコードとしての因子を強制的に覚醒させた。

 

 しかし、先程の無自覚な放射とは違う。今度は明確に、暗闇の中で差し伸べられた一筋の光にすがるように、キラの強烈な意志が『ラクス』という個を標的にして一直線に放たれたのだ。

 

 一方で、プラントの温室に崩れ落ちていたラクスもまた、自らの精神をノックするその痛切な響きから逃げようとはしなかった。突然の未知の感覚に戸惑い、恐怖を抱いてもおかしくないはずなのに、彼女の根底にあるのは底知れぬ慈愛だった。

 

「この悲しい声の主は、どなたなのか」「これほどまでに彼を想い、これほどまでに深く傷ついている魂に触れたい」。

 

 その純粋な意思が、防壁を解き放ち、自ら精神の扉を大きく開け放った。キラの伸ばした必死の祈りを、ラクスが見えない空間でしっかりと握り返したのだ。

 

 その瞬間、両者のチャンネルは完璧に同調し、二人の心は『クロッシング』によって完全に直結した。

 

 それは、言葉を脳内に直接響かせ合うような単純なテレパシーや、表面的な思考の共有などという浅いレベルのものではなかった。自我の境界線が蕩け、互いの魂の形そのものが、激流のように内側へ流れ込んでくる。

 

 キラの視界には、ヘリオポリスの無機質な自室の壁と重なるように、咲き乱れるプラントの温室の薔薇の色彩が鮮やかにフラッシュバックしていた。

 

 ラクスの鼻腔には、甘い花の香りとともに、キラが流した涙のしょっぱい匂いと、冷たいモニターの排熱の匂いが混ざり合って届いていた。

 

 互いの心臓の鼓動が、一つの胸の中で重なって打ち鳴らされる。キラの肺が吸い込んだ冷たい空気を、ラクスが吐き出す。ラクスの指先が触れている柔らかな土と花びらの感触を、キラが自らの掌に生々しく感じ取っている。

 

「……あ……ぁ……」

 

 キラの口から漏れた吐息は、同時にラクスの唇からも紡がれた。

 

 物理的な距離にして、本来ならば絶対に交わるはずのない真空の虚無を飛び越え、二つの精神は一つの空間に同居していた。

 

『あなたは……』

 

ラクスの意識が、キラの精神の最も深い海へと優しく浸透していく。

 

 アスランという存在に依存しきっていた脆さ。ユニウスセブンを救えなかったという後悔と凄まじい絶望。そして、この狂った世界の『歴史』を知っているがゆえの、誰にも理解されない底知れぬ孤独と恐怖。ラクスは、そのヘドロのように重く暗い感情の渦に触れても決して顔を背けず、むしろその痛みを共有するように、温かく包み込んだ。

 

 思考を読むのではない。

 

 互いの存在を、自らの命のすぐ隣に、自らの魂の最も柔らかい部分に直接感じている。

 

 自分が自分でなくなるような恐怖はなかった。圧倒的な安心感と、絶対的な理解。己と他者が完全に融け合いながらも『個』を保ち続ける奇跡の領域。

 

「ラクス……」

 

「……はい。わたくしは、ここにいますわ」

 

 涙に濡れたキラの呟きに、ラクスは自らの内に存在する『彼』へと微笑みかけるように応えた。

 

 未だ顔も知らず、名前すら交わしていない二人の少年と少女は、世界が破滅へと転げ落ちていくその日の裏側で、誰にも知られることなく、互いの存在を互いの中に証明し合うほどの深淵なるクロッシングを果たしていたのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 太陽の光を緻密に模した人工の照明が、静寂に包まれたプラント、クライン邸の広大な温室を柔らかく照らし出している。

 

 しかし今のラクス・クラインは、周囲で咲き誇る見事な薔薇の美しさに目を向ける余裕など一切持ち合わせてはいなかった。彼女は手入れの行き届いたふかふかの腐葉土の上に、豪奢なドレスの裾が泥に汚れるのも構わず、力なくへたり込んでいた。

 

「はぁ……っ、ぁ……」

 

 形の良い唇から、熱を帯びた荒い吐息が零れ落ちる。

 

 彼女のサファイアのような青い瞳は虚空を彷徨い、焦点が定まっていない。それもそのはずだ。今のラクスの視界には、目の前で揺れる薄紅色の花弁と同時に、見知らぬ無機質で薄暗い部屋の天井が二重写しになって強烈にフラッシュバックし続けているのだから。

 

 五感が、そして自我の境界線が、かつて経験したことのない次元で融解していく。

 

 自分の足元から立ち上る湿った土と花の甘い香りに混じって、冷たい機械の排熱の匂いと、誰かが流したしょっぱい涙の匂いが鼻腔を突く。自分の胸に手を当てれば、トクトクという自身の穏やかな心音のすぐ裏側で、パニックを起こしたように早鐘を打つ、もう一つのひどく怯えた心臓の鼓動がダイレクトに響いてくる。

 

『クロッシング』。

 

 深層精神の完全同期。ラクスは今、自らの内に眠っていたアコードとしての因子が完全にこじ開けられ、遠く離れたヘリオポリスにいる一人の少年と、文字通り魂の根底で直結していた。

 

 怒涛のように流れ込んでくる、情報の奔流。

 

 それは言葉を持たない、純粋にして苛烈な感情と感覚の嵐だった。

 

 息をするのも忘れるほどの、底なしの絶望。己の無力さに対する、内臓を掻き毟るような激しい自己嫌悪と後悔。そして、ひび割れ、今にも粉々に砕け散ってしまいそうな精神を必死に繋ぎ止めようと、『アスラン』というたった一つの名前に縋り付く、ひどく幼く、けれど常軌を逸するほどに純粋で巨大な思慕。

 

「あぁ……なんて……なんて悲しい……」

 

 ラクスは胸の前で両手を強く握り合わせ、ボロボロと大粒の涙を零した。

 

 他者の負の感情の濁流に直接呑み込まれれば、普通の人間ならば自我を保てず発狂してしまうだろう。しかし、アコードとしての並外れた処理能力と、彼女自身の持つ底知れぬ慈愛の器は、その絶望の波を決して拒絶しなかった。

 

 彼女自身も、農業用プラント『ユニウスセブン』に落とされた核の悲劇に、心を酷く痛めていた。

 

 だが今、自分と繋がっているこの見知らぬ少年は、あまりにも理不尽で重すぎる十字架を、その細い背中にたった一人で背負い込もうとしている。

 

(どうして、あなたがそこまで……)

 

 思考がリンクし、少年の心の深淵に触れるにつれ、ラクスはさらなる驚愕に息を呑んだ。

 

 彼の中には、奇妙な『知識』の断片が渦巻いていた。誰が誰と戦い、誰が命を散らし、世界がどうやって血の海に沈んでいくのかという、まるで未来の光景を全て見てきたかのような、呪いにも似た凄惨な記憶の群れ。彼がこれほどまでに怯え、我が身を呪っているのは、ただの感傷ではない。これから訪れる絶望の全てを『知ってしまっている』からなのだ。

 

 そんな恐ろしい重圧に押し潰されそうになりながらも、彼はたった一つ、プラントで泣いているであろう親友の心を案じて、遠い宇宙の果てから必死に手を伸ばしてきた。

 

 己の婚約者に向けて放たれた、その狂気的なまでの親愛の情。

 

 ラクスの中に、困惑といった感情は微塵も湧き上がらなかった。ただただ、この少年が愛おしく、そして痛ましかった。彼がどれほどアスランを大切に想い、アスランという存在に生かされているのかが、皮膚感覚で理解できてしまったから。

 

「一人で……ずっと一人で、この恐ろしい未来を見つめて、震えていらしたのですね」

 

 自室の冷たい椅子に丸まり、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら祈る少年の姿が、ラクスの心の中に鮮明に浮かび上がる。

 

 精神の深淵という、光も音もない絶対的な静寂の世界。

 

 そこでラクス・クラインは、自らの魂の形を、両手を広げた母のような姿へと変え、震える少年の魂を正面からしっかりと、力の限り抱きしめた。

 

『大丈夫ですわ……。わたくしは、ここにいます』

 

 思念の波が、光の粒子となって二人の間を循環していく。

少年の心が発する氷のような冷たさを、ラクスの心が放つ陽だまりのような温もりがゆっくりと溶かし、中和していく。彼女は少年の心の傷口にそっと唇を寄せるように、慈しみの波動を送り続けた。

 

『あなたは、もう一人ではありません。……あなたの悲しみも、痛みも、アスランを想うその優しさも。全て、わたくしがここで受け止めますから』

 

 現実の温室で、ラクスは自らの身体を抱きしめるように腕を回し、目を閉じて微笑んだ。

 

 アコードという呪われた力は、今この瞬間、たった一人の少年を絶望の底から救い上げるための、最も尊い祈りの翼として羽ばたいていた。

 

 

 

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