やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか 作:星乃 望夢
アークエンジェルを包み込む大気圏突入の熱と振動は、原作で描かれた「死の逃避行」とは全く異なる質を帯びていた。
「……何一つ、奪わずに済んだ」
キラ・ヤマトは、格納庫で自身の愛機ティエレンに寄り添いながら、静かに目を閉じていた。
自分が振るった力は、誰かの命を奪うためのものではなく、誰かを、そして仲間を守るために使われたのだという確信。それはキラにとって、過酷な戦場を生き抜くための、何よりも重い精神的な支柱となっていた。
格納庫では、ムウ・ラ・フラガが肩の力を抜き、マードックら整備班と声を掛け合っている。アサギたちも無事に地球へ降りられる実感を噛みしめるように、互いの肩を叩き合っていた。
皆、疲れ果ててはいたが、その表情には、死を突きつけられた者特有の虚無感はない。
アークエンジェルが切り裂く大気の先には、アラスカの司令部が待っている。
第8艦隊を失わず、戦力を温存したまま降下する彼らの存在は、後の戦史において「アラスカの防衛」そのものを劇的に変える要因となるだろう。
燃え盛る機体外部の光を見つめながら、キラは確信していた。
自分たちの歩む道は、もはや絶望のどん底へ続く一本道ではないのだと。仲間を守り抜いたという想いが、これからの戦いにおける自分たちの「力」を、より強固なものにしているのだと。
キラは深く息を吐き、静かに降下の衝撃に備えた。
そこには、かつてのような「戦わなければならない」という悲壮感はなく、仲間と共に生き残るという意志の光が宿っていた。
◇◇◇
地球連合軍地上本部ジョシュア。その広大な地下ドックに、強襲機動特装艦アークエンジェルが厳かに入港した。
アークエンジェル無事入港──その報がジョシュア内の軍令部に届くとほぼ同時に、基地の一等区画に用意された執務室で待機していたムルタ・アズラエルは、手元にある端末を操作し、一通の電文をアークエンジェルへと直接送信させた。
それは軍令部を介さない、国防産業連合理事としての権限を用いた『最高優先要請』であった。
中身は至ってシンプル。アークエンジェルに乗艦同行している、オーブ連合首長国国防軍所属の技術士官──キラ・ヤマト三尉との、私的な会談の場を設けたい、というものだ。
「さあて、転がり込んできた幸運の女神は、前髪を毟り取ってでも掴まないとね」
アズラエルは高価な仕立てのスーツの袖口を軽く整えながら、薄く笑みを浮かべた。
第8艦隊から事前に送られていた詳細な報告書。そこには、大西洋連邦が総力を挙げて開発しながらも、ソフトウェアの致命的な欠陥によってただの『動く鉄屑』と化していたG兵器を、現場の判断でユーラシア連邦が採用している民間OS──『TC-OS』へと書き換え、ザフトの精鋭を悉く退けたという驚愕の事実が記されていた。
これだけでも大西洋連邦の軍部にとっては顔を真っ赤にするほどの醜態であり、アズラエルにとっては軍の無能さを叩く絶好の材料だったが、彼の意識を真に釘付けにしたのは別の事実だった。
報告書に記載されていた、ストライクのOSを僅かな時間で書き換えたというオーブの少年、キラ・ヤマト。
アズラエルがユーラシア連邦で主力量産MSとして爆発的なシェアを誇る『ティエレン』および『TC-OS』のジャンク屋組合側の開発者名簿の中に同じ名前がある事を思い出し、照合させたところ、アークエンジェルにいる少年と完全に一致したのだ。
「まさか、ユーラシアの戦線を支えている奇跡の生みの親が、こんな風に向こうから僕の陣営へと飛び込んできてくれるなんて、投資家冥利に尽きるというものだよ」
世間、あるいは軍部におけるアズラエルの最大の肩書は、反コーディネイター団体『ブルーコスモス』の盟主である。
そんな男が、ザフトと同じコーディネイターの、それもまだ十代の少年と表立って接触、会談の場を設けるなど、本来であれば組織の理念に対する致命的な裏切りと受け取られかねない。
それこそ、アズラエルの失脚を虎視眈々と狙い、ブルーコスモスの神聖な教義を熱狂的に振り翳すだけのあの小悪党──ロード・ジブリール辺りが「それ見たことか」と狂喜乱舞し、ヒステリックに騒ぎ立てる姿が容易に想像できた。
だが、アズラエルにとって、ジブリールごときが鳴らす不協和音など、この『千載一遇のチャンス』を前にすれば、完全に路傍の犬の遠吠えに等しかった。
アズラエル財団のトップの椅子に座り、国防連合産業理事として算盤を弾くビジネスマンとしての彼の理性は、この事態を至極冷徹に、そして合理的に計算していた。
「ジブリールが裏でどんな陰口を叩こうが、議会にどんな嫌がらせの圧力をかけられようが、そんなものは自販機で売っている安物の缶コーヒー並みに安すぎるコストだ。……それとも何です? あいつらはあの使えない大西洋連邦製のOSをいつまでもしゃぶって、憎きコーディネイターに領土を切り取られ続けるのがお望みなんですかねぇ?」
アズラエルは内心、完全に大西洋連邦製の純正OSの独自開発を見限っていた。
兵器開発においてプライドや国家の面子を理由に、完成された優秀なシステムを排除して二番煎じにもならない拙劣なソフトウェア開発に金と人、そして何より一番貴重な『時間』という資源をドブに捨て続けてきた軍部の無能さには、とうにヘドが出そうだったのだ。
ビジネスにおいて最も重要なのは、最小のコストで最大のリターンを上げること。
そして今、その『成果の鍵』であり、TC-OSのすべての権利と技術を握っている本人が、自らアラスカへと入港してきたのだ。これを取り込まない、あるいは直接の交渉の場を持たないという選択肢は、ムルタ・アズラエルという経営者の思考回路の中には、万に一つも存在しなかった。
「コーディネイター、ね。……宇宙の猛獣だろうが、不法占拠者だろうが、僕に利益をもたらし、この泥沼の赤字戦争をさっさと終わらせるための特効薬になるなら、僕は悪魔とだって握手するさ。ましてや、従順で話の分かる天才エンジニアなんだろう?」
幼少期のトラウマからくる、コーディネイターという種族に対する本能的な嫌悪感や忌避感は、確かにアズラエルの胸の内に澱のように存在している。しかし、彼は自らの『感情』でビジネスを狂わせるような致命的なマヌケでは断じてなかった。
感情は檻に入れ、利性と計算で飼い慣らす。それこそが彼を若くして財団の頂点に君臨たらしめている所以だった。
「オーブの技術士官、キラ・ヤマト三尉。……さて、彼が我が大西洋連邦の、いや、僕とどのような『契約』を結んでくれるか。今から楽しみで仕方がないよ」
アズラエルは冷徹なビジネスマンの瞳を輝かせながら、会談の場となる迎賓室のセットを部下に命じるべく、卓上のインターホンを静かに押し下げた。
◇◇◇
(マズい、マズいマズいマズい……ッ!)
アークエンジェルの自室で、キラ・ヤマトは内心、文字通り縮み上がるような恐怖にビクついていた。
地球軍の軍令部回線からではない。大西洋連邦の国防産業連合理事からの、名指しでの直接の会談要請。
つまるところ、あのブルーコスモスの盟主にして軍産複合体のトップ、あのアズにゃん──失礼、ムルタ・アズラエルご本人が、一介のオーブ軍人でありコーディネイターである自分と直接会いたがっているという、全くもって想定外の事態に、キラの心臓は早鐘のように鳴り続けていた。
(コーディネイターである僕を、わざわざアラスカ本部の奥深くに呼び出すなんて……まさか、異端審問的な何か……!?)
しかし、極度の緊張と恐怖の裏側で、キラの生来の極めて冷静な、エンジニアとしての冷徹な思考領域が、この異常事態の背景を高速で演算し始めていた。
パニックになりかける感情を抑え込み、提示された条件と変数を並べていく。すると、このアズラエルからの名指しの接触は「決して有り得なくもない」、むしろ「極めて論理的な帰結である」という率直な見通しが導き出された。
まず間違いなく、デュエイン・ハルバートン提督率いる第8艦隊を通じて、アークエンジェルのこれまでの詳細な戦闘記録と技術報告書がアラスカの上層部へ回っているはずだ。
となれば、当然あの事実も知られている。大西洋連邦が莫大な予算を注ぎ込んで開発したG兵器のOSが、まともに二足歩行すらできない、絡まり合ったスパゲッティコードのゴミみたいな代物であったという事実が。
そして、その救いようのないポンコツOSに、キラが独自に開発した『TC-OS』の拡張パッチをインストールし、最適化したこと。
その結果、ナチュラルであるムウ・ラ・フラガがストライクを縦横無尽に駆り、ザフトのトップエリートである赤服たちを相手にバリバリに立ち回り、幾度となく退けてみせたという圧倒的な戦果も。
(……なるほど。そういうことか)
キラは一つ息を吐き、思考をクリアにする。
彼がジャンク屋組合向けに開発し、現在進行形でユーラシア連邦の戦線を支えている傑作機『ティエレン』。そして、その中枢を担う『TC-OS』。その開発者名簿には「キラ・ヤマト」の名前が記載されている。
あの抜け目ないムルタ・アズラエルが、すでに実戦投入され、目覚ましい稼働実績を上げているティエレンの存在とそのシステムをチェックしていないはずがない。
彼がブルーコスモスの盟主である以前に、軍産複合体を束ねる冷徹な「ビジネスマン」であり、「国防産業連合理事」であることを考慮すれば、アズラエルの狙いは自ずと透けて見えてくる。
(アズラエル理事は、僕をブルーコスモスの標的としてではなく……『TC-OSの権利を持つ技術者』として交渉のテーブルに着かせようとしているんだ)
自国の使い物にならないOS開発ラインを損切りし、すでに完成されて結果を出しているTC-OSを大西洋連邦の次期主力機に強引にでも取り込むための、トップ会談。
相手は海千山千の巨大財団のトップ。一筋縄でいく相手ではないのは明白だったが、相手が『狂信者』ではなく『算盤を弾くビジネスマン』として接してくるのであれば、交渉の余地と生き残る道は十二分にある。
キラは震える両手で自身の頬をパンッと軽く叩き、無理やりにでも気合いを入れた。
戦争の裏側でうごめく巨大なビジネスと政治の渦。その中心点であるムルタ・アズラエルとの会談に向けて、キラは自身の脳内にある技術的カードを、静かに、そして慎重に整理し始めた。
◇◇◇
「国防産業連合理事のムルタ・アズラエルです。お会いできて光栄ですよ、ヤマト三尉」
端正なスーツに身を包んだアズラエルが、柔和な笑みを浮かべて手を差し出す。対するキラは、軍服ではなく私服姿で、いくぶん緊張した面持ちで直立していた。
「オーブ国防軍、モルゲンレーテ社所属のキラ・ヤマト三尉です。……申し訳ありません、このような私服で。ヘリオポリスから焼け出されたまま離れてしまったものですから」
謝罪の言葉を口にした少年の態度は、驚くほど洗練されていた。自身の立場を弁え、かつ「被害者」という側面をさりげなく提示して相手の同情を誘う。
アズラエルは内心で、目の前の少年に対する評価を修正していた。十代半ば。しかし、ただの子供ではない。技術士官として席に着く相応の社交性と、場の空気を支配する術を心得ている。
天然か、あるいは食えないタヌキか。……どちらにせよ、単純な相手ではないと。
アズラエルは優雅に椅子をすすめると、自分も対面に腰を下ろした。
「構いませんよ。その程度で目くじらを立てるほど、僕は器量の狭い人間じゃありませんから」
言葉とは裏腹に、アズラエルの瞳は鋭くキラの深淵を値踏みしている。しかしキラもまた、身を固くしながらも、その視線を真正面から受け止めていた。
「そんなに緊張しなくても良いでしょう。なにも君を今すぐ取って食おうなどとは思っていませんよ。例え君がコーディネイターであっても、ね」
アズラエルの声は平坦で、ビジネスライクだった。彼にとってコーディネイターという種族は、憎悪の対象である以前に、コントロール可能な「資産」であり「リソース」であるからだ。
「ヘリオポリスから休みなしで戦い続けてきた君には、本来ならゆっくりと休養を取らせたいところなのですがね。こちらにも、一刻を争う事情というものがありまして。不躾ながら、こうして呼び出させてもらいましたよ」
「……TC-OSの件、ですね?」
「御名答。話が早くて助かります」
アズラエルは満足げに目を細めた。前置きはこれで十分だ。ここからは数字と契約の話になる。
「僕はその、ナチュラルでも容易にモビルスーツを操縦可能にする素晴らしいOSの権利を、開発者である君ごと買いたいと思っているんです。……そうですね、先ず手付金としてオーブが提示している特許料の3倍を支払う用意があります」
アズラエルはさらりと莫大な数字を並べ、続けてカードを重ねた。
「さらに君を、僕の権限で特別任官の少佐として地位を用意します。少し頭を下げれば、大佐の椅子だって用意できますよ。君にとって、これまでの境遇とは比べ物にならないほどの厚待遇と、望むだけの開発環境を約束しますが? どうでしょう」
それは提示可能なカードの中でも、極めて上位のものだった。オーブ軍属の技術士官が一介の少尉待遇で燻るよりも、はるかに優雅で、かつ影響力を行使できる立場である。
これが金銭と地位に執着する凡百の人間であれば、即座に膝を屈する条件だろう。
しかし、キラの反応はアズラエルの予想を僅かに上回った。
「……ありがたいお話ですが」
キラは揺るぎない視線でアズラエルを見据えた。
「ライセンス契約の相談であれば喜んでお受けしますが、僕は自分の造った技術を、国籍や陣営を問わず、ただの金目当てで売り払う気はありません」
アズラエルは「ほう」と僅かに眉を動かした。
「おや。結構良いカードを揃えたつもりなんですけどね」
「それこそ、もし僕がいくらお金を積まれても、国益や防衛の柱を『ハイ、どうぞ』と渡してしまうような技術者だったとしたら……理事は、そんな裏切り者を、本当に信用できますか?」
アズラエルの指先が、テーブルの上でピタリと止まる。
なるほど、と彼は内心で快哉を叫んだ。単なる軍人としての忠誠心か、それとも高度な技術者としての矜持か。どちらにせよ、この少年は金を積めば転ぶような安っぽい人間ではない。
(ビジネスマンの打算が通じない相手か。……面白い)
アズラエルはキラに対する評価を、再び、そして大きく書き換えた。
今の交渉において、アズラエルは「ビジネス」を試みた。対してキラは「政治」と「国家への忠誠」で返してきた。金で釣れる小物ではなく、信念を持って動く者。そうした相手を動かすには、別の論理が必要になる。
アズラエルの表情からは、不快感は消えていた。むしろ、未知の強敵と対峙したときのような、冷徹な愉悦がその瞳に宿っている。
(技術者としての愛国心、か。……まあいい。引き抜きが通用しないなら、契約の形を変えればいいだけの話だ)
しかしアズラエルの脳裏には先程のキラが発した言葉が瞬時に反芻された。
ライセンス契約の話ならば喜んで受ける、と。
大西洋連邦の議事堂に巣食う老獪で厭らしい政治屋たちの顔が不快なノイズと共に浮かび上がっていた。
(成る程……そういう真似をしてくるわけだ、君は)
アズラエルは組み替えた脚の膝を指先でトントンと規則正しく叩きながら、仮面を被ったような笑みを崩さずにキラを睨み据えた。
「売る気はない」と大義名分を掲げて自らの清廉潔白さと技術者としての矜持を誇示してみせる一方で、「ライセンス」という形でこちらにシステムの使用を認め、その見返りとして莫大なロイヤリティをオーブへと永続的に還流させる道は残す。
金で釣られる気はないし、大西洋連邦の軍籍に身を置いてこちらの首根っこを掴まれるような愚は冒さない。けれども、自国の財布を際限なく潤すための「商談」のテーブルに金を積んで乗ってくるというのであれば、喜んでその甘い汁を吸い上げてやろうというわけだ。
そして、そのライセンス料という名目で地球の超大国から合法的に荒稼ぎした巨万の富は、そのままオーブ連合首長国の防衛予算へと姿を変え、彼らの国防の要たる軍事力をさらに強固なものへと造り変える資金源となる。
中立。非戦。平和。
聞こえの良い美辞麗句を国際社会に振り翳しながら、その裏では大西洋連邦のG兵器開発計画という最高機密の首謀者たちと平然と技術提携を結び、ヘリオポリスの設備を提供した見返りに、最新鋭のデータとノウハウをそっくりそのまま自国の量産型MS『アストレイ』の開発へと盗み転用した国。
(さすがは、あのウズミ・ナラ・アスハが統べる国の人間だ。強かさの年季の入り方が違う)
アズラエルは腹の底で冷ややかな感嘆を覚えていた。目の前の少年は、オーブという国家の持つ「欺瞞に満ちた強かさ」を、その血肉にそのまま宿している。
もはや、この少年を「コーディネイターの子供」という人種的・年齢的なフィルターを通して見るなど、ビジネスマンとしても政治家としても自殺行為に等しい。
手厚い待遇や目の前の大金に目を輝かせる十代半ばの子供でもなければ、自分の造った機械に盲目的な愛着を注ぐだけの一介の職人気質な技術者でもない。
自身の持つカードの価値を完璧に把握し、国家という最大の後ろ盾を背負いながら、大西洋連邦の国防産業連合理事を相手に一歩も引かずに「政治のゲーム」を展開できる、極めて老獪な将校。アズラエルは、キラ・ヤマトという存在をそのように完全に再定義していた。
アズラエルはわざとらしく、しかし芝居がかった深い溜め息を吐いてみせた。
「君は見た目に反して、随分と冷徹な算盤を弾く。一介の技術士官にしておくには、あまりにも勿体ないほどの政治的センスだ。……大西洋連邦に完全に技術を渡して依存させるのではなく、生殺与奪の権をオーブが握ったまま、僕たちの軍費を吸い上げようというわけだね?」
その問いかけに対し、キラは表情を変えなかった。ただ、怯えていたはずのその双眸の奥に、自らの信念を決して曲げないという、冷たく澄んだ意思の光が宿っているのを、アズラエルは見逃さなかった。
◇◇◇
「人と物は使い様、と言いますからね」
紅茶のカップをソーサーに戻す微かな金属音と共に、キラはごく淡々と、しかし明確に一線を引くようにそう言った。
先ほどまで彼の全身を覆っていたはずの、十代の少年特有の初々しい怯えは、その声からは完全に霧散していた。
「ティエレンもTC-OSも、元々はジャンク屋組合の仲間たちのために用意したものです。彼らが不当な暴力や海賊、盗賊から身を守るための『道具』。それが、国家という巨大な枠組みによって軍事転用されるというのなら……開発者として、それ相応の対価を要求するのは当然の権利です」
キラはわずかに上体を前に傾け、アズラエルの冷徹な瞳を真っ正面から見据えた。その視線は、対等な条件を携えて利害を調整しに来た、一人の辣腕な交渉人のそれだ。
「ですが──」
キラは悪戯っぽく、しかし極めて計算高い光を瞳に宿らせ、大西洋連邦の国防産業連合理事に向けて次なる話を提示した。
「アズラエル理事が僕と直接的な契約を結んでくださるというのであれば、話は別です。理事はTC-OSの使用権へダイレクトに結びついた、最大最高の『大口顧客』ということになります。……どうでしょう? ユーラシア連邦が、自国の戦線を維持するためにティエレンというMSのライセンス生産費とその中枢たるTC-OSの稼働ライセンス料を、言わば『二重』に支払っている傍らで、理事はハードウェアの取り分を抜きにした『TC-OSの使用権だけ』を独立して契約する。大西洋連邦には、すでに独自のG兵器という優れたハードウェアの開発ラインが存在するのですから。この提案、アズラエル理事個人にとっても、非常に実利の大きい『お得な話』だとは思いませんか?」
静寂が、要塞の奥深くの迎賓室を支配した。
アズラエルは凍りついたような笑みを浮かべたまま、目の前の少年をじっと凝視した。
「……君という人間は、実に悪魔的ですね」
アズラエルの口から漏れたのは、低く、そして心底からの畏怖と歓喜が混ざり合った感嘆だった。
目の前の少年に対する評価の引き出しに、「食えない政治将校」というラベルが貼られたばかりだったが、今やその隣に「とてつもなく獰猛で強欲な商売人」という凶悪な評価を付け加えざるを得なくなった。
もしここに、あの脳までブルーコスモスの狂信に染まりきった小悪党──ロード・ジブリールが居合わせたなら、顔を真っ赤にして「これだからコーディネイターという遺伝子の化け物は!」とヒステリックに罵っていただろう。ナチュラルを小馬鹿にする悪魔の知恵だと、人種論にすり替えて思考を停止させていたに違いない。
だが、アズラエルのビジネスマンとしての思考は、そんな安易な結論を即座に撥ね退けた。
遺伝子を弄り、知能指数を高め、反射神経を強化したところで、これほどまでに「生々しく、泥臭く、そして最高効率の利益を弾き出す商談センス」までが遺伝子のカタログに載っているはずがないのだ。
もしそんな遺伝子の塩基配列が存在するなら、世の投資家の二世や三世は、揃いも揃ってコーディネイターとして世界経済を手玉に取る大富豪になっているはずである。
だが、現実はそうではない。プラントのコーディネイターたちの多くは、傲慢な技術的エリートではあっても、これほど国際政治のパワーバランスを冷徹に見定め、相手の懐をピンポイントで抉るような「商売の極意」を理解している者は稀だ。
(一体、どこで培ったのやら……)
アズラエルは背もたれに深く体を預け、内心の驚愕を覆い隠すように優雅に足を組み替えた。
この少年の持つ、戦術的・戦略的な政治センスと、あまりにも商売上手な契約の組み立て方。
それは、「才能」という安っぽい一言では、決して片付けられない性質のものだった。
様々な利権と組織が蠢くジャンク屋組合のド真ん中で、文字通り泥に塗れて生き残るために磨き上げられた「生きた知恵」の結晶なのだろう。
ユーラシア連邦というライバルを引き合いに出し、大西洋連邦のプライドを絶妙に刺激しながらも、「ハードウェアの独自開発」という無能な軍部のメンツを潰さない形でのOS単体契約を持ちかける。その上で、ユーラシアよりも安価なコストで最新鋭のシステムを手に入れられるという「実利」を、アズラエル個人の手柄として差し出してみせたのだ。
大西洋連邦は、莫大なライセンス料を支払う。しかしそれはユーラシアが払っている額よりも確実に「割安」であり、アズラエルにとっては軍部に対する圧倒的な発言権の強化につながる。
一方でオーブは、大西洋連邦という超大国を事実上の「お得意様」として経済的・政治的に縛り付け、自国の防衛基盤をノーリスクで拡大していく。
「お安く契約できますよ、と国防産業連合理事の僕に直談判をしてくるわけだ。……買い叩くつもりが、いつの間にか君の提示した土俵の上で、一番割の良いプランを選ばされている気分だよ」
アズラエルは首を左右に振り、クスクスと肩を揺らした。その表情には、引き抜きを拒絶されたことへの不快感など微塵もなかった。あるのは、自分と同等、あるいはそれ以上に冷徹な算盤を弾くことができる「対等な怪物」を見出したことへの、極上の愉悦だけだった。
「良いでしょう、ヤマト三尉。いや、キラ君。その悪魔的な商談、国防産業連合理事の名の下に正式に受け入れます。大西洋連邦製のあのゴミみたいなOS開発ラインは、今この瞬間を以てすべて廃棄だ。僕たちは君のTC-OSを買い、我が軍のG兵器、そして次期主力MSのすべてに導入させてもらう」
アズラエルはデスクの上の通信端末を引き寄せ、即座に契約書調停のための実務部隊へ連絡を入れるべく指を走らせた。
「ただし、僕もタダの顧客で終わるつもりはない。それ相応の金額を支払う以上、今後のサポートと、大西洋連邦の環境への最適化パッチの開発には、君自身にもたっぷりと付き合ってもらう。……オーブへのライセンス料という名の『国費の流出』を上回るだけの戦果を、僕たちに持ってきてもらうよ?」
「ええ、もちろんです、アズラエル理事。それが『契約』というものですから」
少年の皮を被った技術士官は、そう言って、アラスカ要塞の冷たい光の中で、悪魔のようにつややかに微笑んでみせた。
◇◇◇
実務的な調印式を終えた後、アズラエルから投げかけられた「どうです? 張り詰めた交渉の後だ。一緒に食事でも」という誘いは、実質的な強制イベントのようなものだった。
ジョシュアの最上層に位置する、およそ地下要塞の中とは思えないほど豪華絢爛な晩餐室。そこで供されたのは、地球の特権階級にしか許されないような最高級の食材をふんだんに使ったフルコースだった。
だが、給仕される美酒や完璧にローストされた肉の味など、キラの舌には全くと言っていいほど残らなかった。対面に座るアズラエルは、極上のワインを傾けながら、終始にこやかに、しかし蛇が獲物を観察するような油断のない視線をキラへと注ぎ続けていたからだ。歓談という名の、二回戦の心理戦。それを笑顔のポーカーフェイスで耐え抜き、デザートの皿が下げられたところで、キラは席を立った。
「至高のディナーをありがとうございました、アズラエル理事。ですが、僕はオーブの軍人ですので……まだ、持ち込ませていただいた機体群のデータログチェックと、明日の整備スケジュールが残っています。お気持ちは嬉しいのですが、ご用意いただいた客室ではなく、アークエンジェルの方へ戻らせていただきます」
技術士官としての職務をこれ以上ない盾にした丁重な辞退。アズラエルは「本当に熱心な技術者だ」と愉快そうに笑って見送り、キラはようやくその息の詰まる空間から解放された。
ジョシュアの冷たいリニアレールを乗り継ぎ、アークエンジェルの見慣れた強襲揚陸艦のハッチをくぐる。馴染みのある油とオゾンの匂いが漂う格納庫を早足で通り抜け、支給されている狭い個室へと滑り込んだ。
電子ロックがガチリと閉まり、完全なプライベート空間が確保された、まさにその瞬間だった。
「ぬあああああああん!! 疲れたもおおおおおん!!!!」
キラは私服の上着を脱ぎ捨てるよりも早く、備え付けの狭いベッドへと顔面から勢いよく突っ伏し、枕に声を押し殺しながら魂の叫びを上げた。
そのままシーツに顔を埋めた状態で、芋虫のようにジタバタと全身を激しく悶えさせる。
「無理! 絶対無理! あんなの二度とやりたくない!! 死ぬ! 本気で寿命が5年くらい縮んだ気がする……っ!!」
ベッドの上で仰向けにひっくり返ると、無機質な天井を見つめながら、キラは今更になってガタガタと震え出した両手を顔に当てた。背中には、冷や汗がびっしょりと張り付いている。
あの大西洋連邦の国防産業連合理事であり、コーディネイターをこの世から根絶やしにせんと企む過激派組織『ブルーコスモス』のトップ、ムルタ・アズラエルを相手に、あろうことか直談判の商談を持ちかけるなど。
冷静に考えなくとも狂気の沙汰、コーディネイターであると知れている自分がやるには自殺行為に等しい綱渡りだった。
もし、アズラエルが合理性よりも狂信を優先する男であったなら、キラは今頃ディナーの席に着くどころか、ジョシュアの最深部にある実験室の解剖台の上で、コーディネイターのサンプルとして無残に解体されていただろう。
(でも……あそこで弱気になって、はいどうぞって技術をタダで渡しちゃったら、オーブが泣くし、何より僕の懐に1円も入ってこないじゃないか……っ!)
大西洋連邦が自前のOS開発で行き詰まり、喉から手が出るほどに『ナチュラルでも動かせるOS』を欲している。そして、向こうが人種的な偏見を一時的に棚に上げ、冷徹な『ビジネスマンの顔』をしてこちらに引き抜きをかけてきた。
これ以上の好機は、この先二度と訪れない。相手がビジネスの論理で動いている今この瞬間だからこそ、逆に大西洋連邦という超大国の懐に向けて、ライセンス契約をふっかけて勝ち取るしかない。
それは一世一代の大博打だった。
そしてキラは、その見返りがオーブの防衛基盤を爆発的に強化し、自身の今後の活動資金を無限に膨らませるという、最高の形で博打を当ててみせたのだ。
結果だけを見れば、地球連合の最高権力者の一人を完全に手玉に取った、歴史的な快挙である。
「うう……勝った、勝ったんだよね……。これでオーブの国庫も、僕の個人口座も、新型を色々開発できるくらいには潤うはず……」
キラは自分の両手を見つめ、深く、深く、溜め息を吐き出した。
博打に勝った高揚感と、得られたであろう天文学的な数字のロイヤリティに対する満足感は、確かにある。
だが、それによって消費した精神的エネルギーの代償はあまりにも大きすぎた。戦場でザフトの赤服を纏めて同時に相手にする方が、よっぽど精神衛生上マシだと本気で思えるほどだった。
「もうダメ……頭が働かない……。明日からの最適化パッチの作成とか、アズラエル理事への技術サポートとか……今はもう何も考えたくない……」
完全に燃え尽き、魂が口から抜け出かけたような顔になったキラは、私服のまま、這うようにして掛け布団を頭から被った。
外では大気圏を降下したアークエンジェルを巡って、地球軍の政治的な思惑が渦巻いているのだろうが、今のキラにとっては知ったことではなかった。
◇◇◇
最高級のヴィンテージワインが、クリスタルグラスの滑らかな内側を伝い、不気味なほど深い真紅の軌跡を描く。
キラを見送った後の迎賓館の個室で、アズラエルはソファーに深く腰掛け、一人でグラスを傾けていた。
机の上には、先ほど署名が完了したばかりの、『TC-OS包括的ライセンス供与契約』の暗号化データファイルが、淡いブルーの光を放っている。
「……大した少年だよ、本当に」
アズラエルは贅沢な革の背もたれに頭を預け、天井の豪奢なシャンデリアを見上げて、くつくつと喉を鳴らした。
コーディネイターの少年。それも十代半ば。通常の軍隊であればろくに発言権すら与えられない少年兵が、大西洋連邦の国防産業連合理事という怪物を前にして、一切の物怖じもせず、自国の利益を最大化するプランを笑顔で売り込んできたのだ。
金で魂を売るような安い真似はしないという「プライド」を見せつけ、こちらの出鼻を挫く。その上で、ライバルのユーラシア連邦を引き合いに出し、大西洋連邦が最も欲している『OS単体でのダイレクト契約』という、これ以上ない最高効率の妥協点を提示してみせた。
「ジブリールの様な頭がお花畑の連中なら、あの態度に激昂して部屋から追い出していただろう。……だからあいつは二流の政治屋止まりなんだ。感情で帳簿の数字を書き換えることなんてできやしないというのに」
アズラエルは冷ややかに笑うと、手元のコンソールを叩き、アラスカ要塞内に居るサザーランド大佐への直通回線を開いた。
『これは、アズラエル理事……。こんな夜更けに、一体どのような御用で? アークエンジェルの査問委員会に関する件でしたら、明朝の会議にて──』
「そんな退屈な政治ごっこの話はどうでもいいんですよ、サザーランド大佐」
アズラエルはサザーランドの言葉を冷酷に遮った。その声には、冷徹な経営者が無能な部下を切り捨てる際の一切の容赦のなさが満ちていた。
「今すぐ、我が大西洋連邦が主導していた『MS専用独自OS開発プロジェクト』を全面的に凍結してください。関連する予算は今この瞬間を以て全額引き揚げます。開発チームは解散、人員はすべて他の部門へ再配置、あるいは整理解雇の手続きを進めて結構です」
『な、何をおっしゃるのですか、理事!?』
画面の向こうでサザーランドが、文字通り椅子から飛び上がらんばかりに驚愕の声を上げた。顔の血の気が一気に引き、額に脂汗が浮かぶ。
『独自OSの開発は、我が大西洋連邦の威信に関わる最重要案件です! 確かにハードウェアである『ストライクダガー』のロールアウトに対し、ソフトウェアの最適化が遅れているのは事実ですが、我が軍の優秀なプログラマーたちが血の滲むような努力を──』
「血の滲むような努力、ねぇ」
アズラエルはワイングラスを弄びながら、侮蔑を隠そうともせずに鼻で笑った。
「その優秀なプログラマーたちの成果が、まともに二本足で歩くことすらできないスパゲッティコードの山ですか? 君たちの言う『威信』とやらのために、僕らがどれだけの資本をドブに捨ててきたと思っているんです? 11ヶ月ですよ、大佐。戦争が始まってから11ヶ月間、君たちはただの一機分の実用OSすら完成させられなかった」
『それは、ナチュラルとコーディネイターの脳の演算処理速度の絶対的な差が原因で──』
「言い訳は決算書の赤字を埋めてはくれませんよ?」
アズラエルの声が、一段と低く、刃のように冷たくなった。サザーランドはその威圧感に圧され、開いた口を情けなく震わせることしかできない。
「ビジネスにおいて最も愚劣な行為は、失敗が確定している投資に『これまでに注ぎ込んだ資金がもったいないから』という理由だけで、さらに資本を投下し続けることです。いわゆるサンクコスト効果というやつですがね。僕は無能な軍部の面子付き合いに付き合うほど、暇でもなければ優しくもありません。あのゴミ山は今夜で損切りです」
アズラエルはコンソールを操作し、先ほどキラと交わしたライセンス契約の電子署名契約書を転送した。
「今から送るデータを、アラスカとパナマの地下ドックに眠っている、ハード面だけは完成している『ストライクダガー』の先行ロット、および現在生産ラインにあるすべての機体へ即座にインストールしてください。ユーラシア連邦が採用している、ジャンク屋組合謹製の『TC-OS』です」
『TC-OS……!? 民間の、それもオーブやユーラシアが使っているシステムを、我が軍の主力機に導入しろと言うのですか!?』
「民間だろうが、出処不明だろうが、関係ありません。それは既にユーラシアの『ティエレン』で、ナチュラルの素人でも熟練パイロット並みにMSを操れるという絶対的な『実績』を出している。そして貴方も報告書を読んだのなら知っているでしょう? 我が軍のムウ・ラ・フラガ大尉が、そのOSを積んだストライクでザフトのMSを完封してみせた」
アズラエルはグラスに残ったワインを、一気に飲み干した。その瞳には、ブルーコスモスの盟主としての光ではなく、この泥沼化して赤字を垂れ流す戦争を終わらせるための鍵を手に入れた経営者としての高揚が滲み出ていた。
「ストライクダガーのハードウェアとしてのポテンシャルは、戦時急造簡略型とはいえ極めて優秀だ。ビームライフルとビームサーベルを標準装備し、純粋な火力と出力ではザフトのジンを上回っている。足りなかったのは、それを『ナチュラルが制御するためのOS』だけだった」
アズラエルは身を乗り出し、画面の中の大佐を冷徹に指差した。
「ゴミのような独自OSを捨て、このTC-OSを組み込めば、地下ドックでただの鉄屑として眠っていたダガーは、一瞬にしてザフトのコーディネイターどもを貪り尽くす最凶の『猟犬』に化ける。……分かりますか、大佐? これが何を意味するのかを」
サザーランドは言葉を失い、ただごくりと唾を飲み込んだ。
ユーラシア連邦が重装甲のティエレンでザフトの進撃を泥臭く防いでいる間に、大西洋連邦はビーム兵器を標準装備した量産MS『ストライクダガー』を、TC-OSという完璧な翼を与えて戦場へと一気に解き放つ。
それは、膠着していた大戦のパワーバランスを、大西洋連邦の絶対的優位へと、力ずくで傾斜させることを意味していた。
「徹夜してでも、明朝までに最初の1個大隊分の機体調整を終わらせてください。テストパイロットたちを乗せて、すぐに模擬戦です。……僕を失望させないでくださいよ、サザーランド大佐」
アズラエルはそれ以上の反論を許さず、一方的に通信を遮断した。
静寂が戻った執務室で、アズラエルは満足げに息を吐き、空になったグラスを見つめた。
あのオーブの少年、キラ・ヤマトは、大金をふっかけたつもりでほくほく顔でアークエンジェルへ戻ったことだろう。だが、アズラエルからすれば、OSのライセンス料など、これから手に入る『世界の主導権』という莫大な利益に比べれば端金に過ぎない。
「素晴らしいよ、キラ君。君の造った『道具』で、この赤字垂れ流しの退屈な戦争は、いよいよ終わりのフェーズへ向かう。……檻の中の猛獣がどれだけ優秀な牙を持っていても、それを遥かに凌駕する猟銃の群れが完成すれば、勝負は一瞬で決まるんだからね」
アズラエルは立ち上がり、アラスカの冷たい闇が広がる窓の外を見下ろしながら、勝者の歪んだ、しかし極めて理性的な笑みを浮かべ、次なるチェスの駒を動かすための思考を巡らせ始めるのだった。