やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか   作:星乃 望夢

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PHASE-44 影の軍神

 

 漆黒の戦艦イズモは、地球軌道上に浮かぶ巨大なステーション『アメノミハシラ』の港へと、音もなく静かにその身を横たえた。

 

 オーブ本国ではなく、サハク家が絶対的な管轄権を持つこの軌道ステーションへと連行された事実に、キラは警戒を限界まで高めていた。

 

 エアロックを抜け、ステーションのメインロビーへと足を踏み入れた彼らを待っていたのは、その警戒が単なる杞憂ではないことを証明する、極めて特異な出迎えだった。

 

「随分な長旅。ご苦労だったな、オーブの子らよ」

 

 艶やかでありながら、空間を支配するような絶対的な威厳を帯びた声。

 

 そこに立っていたのは、豪奢にして暗い情念を感じさせる装束に身を包んだ一人の女性──ロンド・ミナ・サハクであった。

 

 本来、彼女はオーブの社交界にしかその姿を現さない、生粋の貴族である。しかし、アストレイのテストパイロットに就いていたアサギたちは、その顔を見た瞬間、弾かれたように息を呑み、極度の緊張に身を固くした。

 

 無理もない。彼女たちは、強烈な野心と苛烈な性格を持つロンド・ギナ・サハクの顔を知っている。

 

 目の前に立つミナは、そのギナと瓜二つの容貌を持ちながら、彼以上に底知れぬ、深淵のような冷たさを纏っていたからだ。

 

 サイ・アーガイルもまた、顔色を失っていた。彼はオーブの上流階級に連なる家柄の出身であるため、五大氏族の一角である「サハク」という名が持つ政治的な重みと、その背後で蠢く血生臭い噂を痛いほど理解している。

 

 彼は無意識のうちに背筋をピンと伸ばし、額に冷や汗を浮かべながら直立不動の姿勢をとった。

 

 ミナの流し目が、恭しく硬直する学生たちを滑り……やがて、ただ一人、静かに警戒の視線を返し続けている少年へとピタリと止まった。

 

「済まぬがキラ・ヤマト。そなたには話がある」

 

 それは提案でも打診でもない。王族が臣下へ下すような、拒絶を一切許さない命令だった。

 

「他はゆるりと休まれよ。ここまでの過酷な労苦、オーブを代表して労わせてもらおう。案ずるな、手厚く遇するよう手配してある」

 

 優雅に告げた後、ミナは微かに口角を上げ、キラへと視線で促した。

 

(鬼が出るか、蛇が出るか……)

 

 キラは内心で、深く、静かに息を吐いた。

 

 つい先日、大西洋連邦のムルタ・アズラエルという巨大な怪物との会談を、文字通りの綱渡りで乗り越えたばかりだというのに。今度は自国の、それもヘリオポリスが戦火に焼かれた直接的な元凶と言える影の権力者との、サシの対談である。

 

 彼女が自分を呼び止めた理由は明白だ。

 

 キラの技術的価値、ユーラシアや大西洋連邦と結んだ『TC-OS』の契約、そしてイズモの格納庫に降ろされたプロトアストレイや魔改造された機体群。

 

 サハク家がこれほどの「極上の餌」を前にして、素通りするはずがない。

 

「……わかりました」

 

 キラは短く応じると、不安そうにこちらを見つめてくるサイやアサギたちに「大丈夫だから、ゆっくり休んで」と小さく声を掛けた。

 

 自分がここで怯えを見せれば、彼らまで政治的な人質にされかねない。アズラエルを出し抜いたあの冷徹な「技術将校」としての仮面を再び深く被り直すと、キラは踵を返した。

 

 コツ、コツ、と硬質な足音を響かせ、漆黒のドレスを翻して歩き出すロンド・ミナ・サハク。

 

 その美しくも恐ろしい背中を、キラ・ヤマトは一切の迷いのない足取りで、静かに追っていった。

 

 待ち受けるのが牙を剥く蛇であろうと、すべてを喰らう鬼であろうと、自分の手札で渡り合ってみせるという強い覚悟を胸に秘めて。

 

 

◇◇◇

 

 

「そう身持ちを固くせずとも良い。茶でも飲むか?」

 

「あ、はい。頂きます」

 

 アメノミハシラ最深部に位置するミナの私室。

 

 地球の重力から解き放たれた無重力区画のすぐ側にありながら、完璧な疑似重力と空調が保たれたその部屋は、戦艦の無機質なそれとは対極にある、豪奢で荘厳な静寂に包まれていた。

 

 ミナが流し目で合図を送ると、控えていた影のような給仕が音もなく進み出た。注がれた琥珀色の液体から、豊潤な香りが立ち昇る。

 

 キラは勧められるままにティーカップを手に取ったが、その所作には隙がなく、決して警戒を解いていないことはミナの目にも明らかだった。

 

(……良い目だ。ただ怯えるだけの子供でも、己の才を過信するだけの愚か者でもない)

 

 ミナは、優雅に自身のカップに口をつけながら、湯気の向こうに座る少年の輪郭を、文字通り舐め回すように観察していた。

 

 キラ・ヤマト。

 

 オーブ国籍を持つ、元・一介の民間人にして学生。

 

 彼が成し遂げた所業の数々を記した報告書に目を通した時、ミナは自らの目を疑い、次いで腹の底から湧き上がるような、暗く凶暴な歓喜に打ち震えたものだ。

 

 この少年は、自身が組み上げた『TC-OS』という奇跡のシステムを、オーブの軍政を司るサハク家ではなく、民政を司り表舞台に立つアスハ家のウズミへと明け渡した。

 

 当初は、政治の暗部を知らぬ無知な子供ゆえの行動かとも思われたが、その後の彼の立ち回りを見れば、それが極めて意図的で高度な政治的判断であったことは明白だった。

 

 軍国主義的なサハクに渡せば他国からの警戒を招くが、中立と平和を謳うウズミ・ナラ・アスハという『清廉な看板』を隠れ蓑にすれば、そのシステムは最も効率よく世界へと浸透していく。

 

 目の前の少年は、その力学を本能的に、あるいは意図的に理解して動いている。

 

 本来、サハク家の表舞台での立ち回りは、双子の弟であるロンド・ギナ・サハクの役割である。ミナは常に影として彼を支え、アメノミハシラという天空の玉座から世界を俯瞰する立場にあった。

 

 その彼女が、態々ギナを差し置いてこの少年を出迎えた理由はただ一つ。キラ・ヤマトという規格外の怪物を、是が非でもサハク家陣営へと──いや、ミナ自身の手元へと迎え入れるという、強烈な腹積もりがあったからだ。

 

 ミナとギナ、サハクの双子には共通する確固たる思想がある。

 

『世界は、優れた一握りの人間によって導かれ、統治されるべきである』

 

 冷徹なまでの選民思想。男児であるギナがサハク家を継ぎ、いずれ強大な武力によって世界をオーブの膝下に平伏させる。

 

 その壮大な覇業の第一歩として、彼らはウズミの目を盗み、大西洋連邦のG兵器開発計画をヘリオポリスへと誘致した。その技術を盗み出し、オーブ独自のMS『アストレイ』シリーズを完成させるために。

 

 だが、この目の前の少年は、自分達が血の滲むような暗闘の果てに手に入れようとしていたその『覇業』の半分を、たった一年にも満たぬ間に、武力ではなく『経済と技術』という全く別のベクトルから、いとも容易く叶えてしまったのだ。

 

 アストレイの心臓部たるTC-OS。素人のナチュラルであっても、わずか1時間シミュレーターに乗れば、ザフトの正規兵と渡り合えるほどの異常なまでの操作性。

 

 それを搭載したジャンク屋組合の『ティエレン』は、今やユーラシア連邦の絶対的な主力としてライセンス生産され、狂ったような速度で大量量産配備が進んでいる。

 

 当然、そのティエレンが一機組み上がるごとに、あるいは稼働するごとに、TC-OSのパテント料は雪崩のようにオーブの国庫へと流れ込んでくる。

 

 それだけでも過去に類を見ない莫大な富の集積であるが、少年はトドメとばかりに、あのムルタ・アズラエルという大西洋連邦の国防産業連合理事の首根っこまで掴み、TC-OSの顧客リストにその名を刻ませてみせた。

 

 ユーラシア連邦と、大西洋連邦。

 

 地球という大地の経済圏を二分する二大巨頭を相手取り、合法的に、かつ永続的に莫大な金を巻き上げるシステム。

 

 祖国オーブへその天文学的な利益と富をもたらし、世界経済の命綱を握る絶対的な経済大国へと押し上げた。

 

 これこそが、双子のサハクが喉から手が出るほど欲していた『他国を蹂躙し得る力』の究極の形ではないか。

 

 図らずも、圧倒的な軍事力を得たオーブによって世界を統治するという野望の土台を、一人で築き上げてしまったこの少年を、誰が手放すというのか。

 

 さらに、ミナがキラに対して決定的な魅力を、ある種の熱情すら感じている理由は別にもあった。

 

「……そなたの戦歴は、見事の一言に尽きる。よくぞあのアークエンジェルを守り抜き、大西洋連邦の理事にまで首輪をつけてみせたものだ」

 

 ミナの褒め言葉に対し、キラはカップをソーサーに置き、静かに首を振った。

 

「僕は、守りたかっただけです。戦わなければ、自分も仲間も死んでいた。だから、戦っただけです。戦わなければ、守れないものがあるから」

 

「そう。それこそが、そなたの持つ最大の価値だ」

 

 ミナは目を細め、肉食獣が極上の獲物を愛でるような蠱惑的な笑みを浮かべた。

 

「ウズミのような、血の通わぬ空虚な中立理念に殉じる気など、そなたには毛頭ない。必要とあらば、自らの手を血に染め、中立の立場を逸脱してでも武を振るい、敵を穿つ覚悟を持っている。……美しいな。それこそが、真の国防の姿だ」

 

 理想だけで国は守れない。理念だけで命は救えない。

 

 生き残るために地球軍の戦艦と手を結び、ザフトの精鋭を容赦なく撃ち落とし、悪魔と嗤われるアズラエルと平然と杯を交わした少年の苛烈なまでの現実主義は、ミナの抱く覇道の思想と、恐ろしいほどに強く結びついていた。

 

(この才覚、この冷徹さ、そしてこの強かさ……。ウズミの下で腐らせておくには、あまりにも惜しい)

 

 ミナは静かに息を吸い込んだ。

 

 自身の胸の奥で、単なる為政者としての野心を越えた渇望のようなものが渦巻いているのを自覚していた。

 

 この少年を、サハクの陣営に引き入れる。

 

 ただの技術顧問や将校としてではない。サハク家の『養子』として正式に迎え入れるか。あるいは──己が女であるという立場を最大限に利用し、彼を自身の『婿』として迎え入れることすら、今のミナは本気で許容できると感じていた。

 

 ロンド・ミナ・サハクと、キラ・ヤマト。

 

 もしこの両者が完全に結びついた時、オーブは、いや、この世界は、完全に自分たちの手のひらの上で踊る盤上へと変わる。

 

「キラ・ヤマトよ」

 

 ミナは立ち上がり、静かな足取りでキラの正面へと歩み寄った。そして、その白く細い指先で、少年の顎をそっと持ち上げた。

 

「そなたは、自らが築き上げたものの真の価値と、その恐ろしさをまだ完全に理解してはいない。……どうだ? 泥にまみれた理想論者の下を離れ、私と共に来ないか? そなたが望むのであれば、サハクの名のすべてを以て、そなたにこの世界そのものをくれてやろう」

 

 天空の玉座で紡がれたその誘惑は、底知れぬ野心と、背筋が凍るほどの甘い毒に満ちていた。

 

 絶世の美貌と、世界を統べる覇者の椅子。

 

 並の男であれば、あるいは野心に飢えた者であれば、その甘美な毒に脳を焼かれ、歓喜と共に彼女の足元に平伏していただろう。

 

 だが、キラの瞳は、一切の熱に浮かされることなく、凪いだ湖面のように静かにミナを見つめ返していた。

 

「僕は別に、世界が欲しいわけじゃありません」

 

 静寂に包まれた部屋に、少年の淡々とした声が響く。

 

 自身でも美しいと自負する己の誘惑を、そしてサハクの全存在を懸けた『世界の覇権』を、一切の迷いなく否定してみせた少年。

 

 ミナの双眸が微かに見開かれ、次いで、その奥に氷のような、あるいは燃え盛る炎のような興味の色が宿る。

 

 彼女は不快感を示す代わりに「……続けろ」と、強い視線だけで先を促した。

 

 キラは、真っ直ぐにミナを見据えたまま、自らの内にある確固たる『芯』を言葉にして紡ぎ出した。

 

「僕には、守りたい世界があります。コーディネイターとナチュラルが、互いに手を取り合って笑うことの出来る世界を……僕は知っている」

 

 それは、ジャンク屋組合で過ごした日常であり、今まさに眼下に広がるオーブ本国の姿だった。

 

「そんな世界が、憎しみの連鎖によって二分され、互いに滅ぶまで戦い続ける。……そんな狂った現実に『否』を告げる為に、僕は僕なりに出来ることをしてきました。オーブという、コーディネイターとナチュラルが共に暮らす国。僕の故郷だからこそ、その灯を絶やさないために武力と富を揃えこそすれ……その武力で世界を手に入れてしまえば、一時の平和は確かに訪れるのかもしれない」

 

 キラの言葉は、ミナとギナが抱く『選民による武力統治』という思想の根幹を正確に捉え、そして切り捨てた。

 

「でも、そうして圧倒的な力で抑えつけた果ては、何時だって新たな革命の芽を育てます。終わらない争いに血を流し続ける世界は、真の平和とは言えません。……でも、争いを全て無くせるだなんて、そんなお花畑みたいなことも思っていません」

 

 キラの口調に、諦観にも似た生々しい実感が混じる。

 

「人は他者より強く、他者より先へ、他者より上へと競い合う生き物です。けれども……憎み合い、奪い合い、殺し合う世界は絶対に間違っている。その『是非』を世界に問う為には、どうしても力が必要なんです」

 

 平和を謳いながら、その手に銃を取る。

 

 オーブの理念に反するその矛盾。

 

 キラはそれから目を逸らすことなく、己の業として背負い込んでいた。

 

「それもまた、悪しき選択だと理解しています。それでも……『想い』だけでは、何も守れない。力無き立場からの交渉なんて、誰も相手にしてくれない。大西洋連邦も、ユーラシアも、プラントも、力を持たない者の言葉を届かせる事は出来ません」

 

 だからこそ、彼はTC-OSという悪魔の知恵を使い、オーブに天文学的な軍事資本を流し込む仕組みを組み立てた。

 

「僕は確かに、オーブという国に圧倒的な力を持って欲しいと考えて行動しています。けれどもそれは、オーブが進んで血を流し、覇道を進む為じゃない。この混迷渦巻く世界で、取り返しのつかない、世界を破滅させてしまうような事態に陥った時に──」

 

 キラはそこで言葉を区切り、ジャンク屋組合の仲間たちと過ごした日々を思い起こすような、少しだけ泥臭く、しかし力強い笑みを浮かべた。

 

「──第三者としてしゃしゃり出て、その横っ面を思いっきり殴って止める。そのための抑止力として、オーブを誰も手出しできない強国にする。……それが、僕の描くビジョンです」

 

 世界を統べるのではなく、世界が狂いかけた時に、その横面を全力で張り倒すための絶対的な『力』。

 

 それが、キラ・ヤマトという少年が莫大な富とシステムを生み出し、戦争の泥沼を泳ぎ切ってきた真の目的であった。

 

 沈黙が降りた。

 

 ロンド・ミナ・サハクは目の前の少年をじっと見つめ続けていた。

 

 武力による世界の平定というサハクの野望を真っ向から否定された。

 

 だが、その否定の根底にあるのは、空虚な平和主義でも、非戦の誓いでもない。

 

 自国を世界最強の武装国家へと仕立て上げ、世界の運命に強引に割り込み、狂った大国どもの首根っこを力ずくで押さえつけるという、ある意味では世界征服よりも遥かに傲慢で、途方もないスケールの『エゴ』であった。

 

(……この少年は)

 

 ミナの胸の奥底で、先ほどまでの蠱惑的な誘惑とは全く異なる、強烈な戦慄と歓喜が泡立っていた。

 

 自身が思い描いていた『覇者』の器すらも軽々と飛び越え、世界そのものの『監視者』であり『調停者』たらんとするその在り方。

 

「……くっ、ふふ……あははははっ!」

 

 不意に、ミナの艶やかな唇から抑えきれない笑い声が漏れた。それは社交界で見せるような作られた微笑みではなく、心底からの愉悦に満ちた笑いだった。

 

「だが、それでは我らの思い描く『オーブによる武力統治』と何ら変わらぬのではないか?」

 

 ミナの声が、それまでの蠱惑的な響きから一転して、冷たく鋭利な刃のような剣呑さを帯びた。

 

 彼女はその長身から見下ろすようにして、少年の理想に潜む矛盾を容赦なく抉りにかかった。

 

「武力を盾に、大国同士の争いに割って入り、世界に睨みを利かせようなど。……それは『覇道』よりもさらに過酷だ。己が世界の頂点に立ってルールを敷き、統治するよりも、絶対的な力を持つ第三者として双方の横面を張り飛ばす行為のほうが、よほど全方位から際限なく敵を作る『修羅の道』ぞ。連合からも、プラントからも、オーブは世界の秩序を乱す最大の障害として憎悪を向けられることになる」

 

 ミナの言葉は、為政者として世界の暗部を熟知しているからこその重みがあった。

 

 第三者としての武力介入。それは聞こえこそ良いが、現実の政治や軍事において最も憎まれるのは、勝敗の決着を力ずくで有耶無耶にする横槍なのだ。

 

「その修羅の道を歩めば、当然、他国の軍勢は我らが祖国へと牙を剥く。オーブを焼こうと殺到する大軍勢を前に、防衛の最前線で流されるオーブの民の、兵士たちの血を、そなたは何とする? 理念を守るための尊い犠牲だと、彼らに死を強要するのか?」

 

 ミナの漆黒の瞳が、キラの覚悟の底を試すように鋭く射抜く。

 

 平和を謳いながら銃を取る矛盾。争いを止めるために武力を振るうという詭弁。

 

 それに伴って確実に生じるであろう自国民の流血の責任を、一介の技術者から政治の舞台へと足を踏み入れたばかりのこの少年が、本当に背負いきれるというのか。

 

 しかし、キラの眼差しは、ミナの放つ圧倒的な威圧感を前にしても、ただの一度も揺らがなかった。

 

「……いたずらに血を流そうと考えているわけじゃありません」

 

 キラは静かに、だが岩のように揺るぎない声で答えた。

 

 血を流すことの痛みと恐ろしさは、前線で引き金を引いてきた彼自身が誰よりも痛感していた。

 

「オーブの民を兵士として死地に送ることが正しいなんて、少しも思っていない。誰も傷つかずに済むのなら、それに越したことはないんです。……けれども」

 

 キラは一瞬だけ目を伏せ、再びミナを真っ直ぐに見据えた。

 

「今の地球軍とザフトの憎悪の連鎖は、もはや互いの首を絞め合うだけでは済まないところまで来ようとしている。ナチュラルを野蛮と見下し、コーディネイターを宇宙の化物と忌み嫌い……もし彼らが、その憎悪の果てに大量破壊兵器を持ち出し、世界そのものが滅んでしまう事態になった時。それを止めるだけの物理的な『力』がこちらに無ければ、中立を謳うオーブもその巨大な破滅の巻き添えになって滅んでしまう」

 

 正義や中立という言葉の盾など、核ミサイルの熱閃の前では和紙よりも薄い。

 

 話し合いのテーブルに着かせるためには、まず相手の凶器を叩き落とすだけの圧倒的な暴力が必要になるという絶望的なパラドックス。

 

「オーブの人々を、そしてコーディネイターとナチュラルが共に生きられるという『希望の証』を、そうしたどうしようもない戦火と破滅から守る為にも、力は絶対に必要なんです。世界を支配する為の剣ではなく、狂気を斬り捨てる為の剣が」

 

 それは、サハクの掲げる「支配による平和」への明確な拒絶であり、同時に、ウズミの掲げる中立への静かな反逆でもあった。

 

「その為に流れる血の責任は……僕の造ったシステムや兵器が奪う命の重さは、僕自身が背負います。その覚悟がなければ、こんなバカみたいな大望を口にすることなんて出来ません」

 

 キラの言葉には、青臭い理想論をとうの昔に捨て去り、血みどろの現実の中で泥を啜ってでも大切なものを守り抜くという、凄まじいまでの執念が宿っていた。

 

 ミナは、目の前で静かに燃え盛る少年の意志を前に、ふっと口元を綻ばせた。

 

 それは嘲笑でも冷笑でもない。心底からの感嘆と共鳴の笑みであった。

 

 

◇◇◇

 

 

 キラの口から語られた、あまりにもバカげた、そして底知れぬ狂気を孕んだ大望。

 

 それは恐らく、彼を保護し、その類稀なる才能を高く評価しているはずのウズミにすら、決して明かしていない秘中の秘であるはずだ。

 

 「オーブの獅子」と渾名され、国家存亡の危機にあっては清濁併せ呑む覚悟を持つウズミであっても、もしこの少年の真意──『世界を力で殴りつけるための抑止的強国化』という暴論を聞かされれば、どう反応するだろうか。

 

(間違いなく、この少年を国家の根幹を揺るがす『危険思想の持ち主』として断罪するだろうな)

 

 いかに彼がオーブの国庫を天文学的に潤し、国防の要たるシステムを構築した最大の立役者であったとしても、ウズミは理念を重んじる。

 

 第三者としての武力介入などという、一歩間違えればオーブを世界の敵に回しかねない劇薬のような思想を抱く怪物を、決して野放しにはしない。

 

 オノゴロ島の地下深くに特別監房を設え、国家機密という名目で彼を幽閉し、その天才的な頭脳だけを搾取しつつ、二度と自由に動けぬよう厳重に隔離するはずだ。

 

 ウズミ・ナラ・アスハという男は、そうした冷酷なまでの国家防衛の線引きができる為政者である。

 

 しかし、このロンド・ミナ・サハクは違った。

 

 ウズミが恐怖し、拒絶するであろうその「劇薬」こそが、ミナにとっては甘美なる美酒であったのだ。

 

(だからこそ……この目の前に立つ恐ろしい少年は、やはり何としてでも、是が非でも我が手元に置かねばならない)

 

 ミナは、己の決意を微塵も変えることはなかった。否、むしろ彼を手に入れたいという渇望は、先ほどよりもさらに熱を帯び、確固たる執着へと昇華されていた。

 

 世界全体を俯瞰する恐るべき視野。

 

 ユーラシアと大西洋連邦を手玉に取り、オーブを真の強国へと押し上げるだけの冷徹な手腕。

 

 そして何より、自らの手を血で汚し、世界の横っ面を張り飛ばすという重すぎる業を背負う『大望と覚悟』。

 

 これらすべてを、キラ・ヤマトは今、他でもないミナの目の前で、自身の口から明かして見せたのだ。

 

 何故、恩人であるウズミではなく、このロンド・ミナ・サハクに語ったのか?

 

 その答えは、火を見るよりも明らかだった。

 

 目の前の少年は、オーブという国家における権力の二面性──すなわち、アスハが「民政と理念」を司り、サハクが「軍政と国防の暗部」を司っているという事実を、完璧に理解して動いているのだ。

 

 理念のウズミには、建前としての『専守防衛の盾』を渡す。

 

 武力のミナには、本音としての『世界を調伏する剣』を示す。

 

 キラ・ヤマトは、自分達サハクが武力による覇道を歩んでいることを百も承知の上で、己のビジョンを実現するための『最も強力な共犯者』として、ミナを選び、自らの手札を晒したのである。

 

 彼がそれを判らぬ馬鹿でも阿呆でもないことは、ここに至るまでの彼の行動が何よりも雄弁に物語っている。

 

(私が己の野望のために、彼のその『力』を喜んで利用することも、すべて計算尽くか……!)

 

「……ふふ、ふふふふっ!」

 

 張り詰めた沈黙を破り、ミナの艶やかな唇から、抑えきれない歓喜の笑い声が漏れた。

 

 自身を利用しようとする少年の不敵さ。そして、互いの目的のために手を結ぶという、極めて高度で冷徹な政治的取引の提示。

 

 サハクの覇道と、少年の抱く狂気的な抑止力。目的の最終地点こそ違えど、オーブを絶対的な軍事・経済大国へと変貌させるというプロセスにおいて、これほど完璧に利害が一致する相手は他に存在しない。

 

(今日、このアメノミハシラで彼を出迎えたのが、私であって正解だったな)

 

 もし仮に、ここで彼と対峙したのが、もう一人の自分──双子の弟であるロンド・ギナ・サハクであったならば。

 

 おそらく、目の前の聡明な少年は、己の内に秘めた狂気にも等しい『大望』を、決して口にすることはなかっただろう。

 

 表面上の技術的取引だけを済ませ、サハク家の本質を冷徹に見切り、決して手を結ぶという選択肢を取らなかったに違いない。

 

 ミナとギナ。二人は同じ思想を抱き、同じくオーブによる世界統治という覇道を歩んでいる。

 

 しかし、決定的に異なる点があった。

 

 ミナは、オーブという国を、そしてそこに生きる『民』を心から愛している。だが、ギナの視点は違う。

 

 彼は己の野望とサハクの覇権の為ならば、民がどれほど血を流そうとも、それを「必要な犠牲」として冷酷に切り捨てることのできる男だった。

 

 表面上だけを見れば、キラの掲げた「抑止力として世界の横っ面を張り飛ばす」という大望も、結果としてオーブの民を世界の敵に仕立て上げ、戦火に巻き込むという点で、ギナの冷酷さと変わらぬように見えるかもしれない。

 

 だが、ミナには見えていた。

 

 キラ・ヤマトの紡ぐ言葉の奥底に、そして決して逸らされることのない、その曇りなき双眸の中に宿る、オーブという国と民に対する不器用で、しかし圧倒的な『愛』を。

 

 本当に民を使い捨ての駒としか見ていないのであれば、彼ほどの才覚と手札を持つ者が、わざわざオーブという狭い島国に固執する必要などない。

 

 その気になれば、TC-OSの利権と技術を完全に私物化し、オーブ以外の国──それこそ大西洋連邦の暗部にそのまま潜り込むこともできただろう。

 

 あるいは、稼ぎ出した莫大な資金で、己の意のままに動く私兵組織や、新しい国そのものを創り出すことすら不可能ではなかったはずだ。

 

 しかし、彼はそうしなかった。

 

 オーブという国に生まれ育ち、共に笑い合った友人たちを愛し、その民の平穏な生活と、彼らが暮らすこの世界を愛してしまったからこそ。自らが泥を被り、世界の憎悪を一身に引き受ける『修羅の道』を選んででも、祖国を絶対的な強国にするという苛烈な策を打ったのだ。

 

 その愛の深さと、背負った業の重さが、ミナの心を強烈に揺さぶっていた。

 

(……すまぬな、ギナ。もう一人の私よ)

 

 ミナは胸の内で、己の半身である双子の弟へ向けて、ひっそりと訣別の辞を呟いた。

 

 サハク家が真にオーブを導き、その民を愛し守り抜くというのなら。ギナの掲げる独善的な覇道ではなく、この少年が描く『血塗られた守護者』としての道こそが、オーブの明日を築く最適解なのかもしれない。

 

「……良いだろう。そなたのその狂気、そしてオーブを想うその愛、このロンド・ミナ・サハクが共に背負ってやろう」

 

 ミナはふっと柔らかく、しかしこれまでにないほど力強く、女神のような微笑みを浮かべた。

 

 そして、キラもまた、静かに頷き──差し出されたオーブの影の軍神の白い手と、己の火薬の匂いが染み付いた手を、しっかりと結び合わせた。

 

「ありがとうございます、ミナ様。……共に、オーブの明日を」

 

 天空の城『アメノミハシラ』の最深部。

 

 歴史の表舞台には決して記されることのない、理念と武力、そして狂気と愛が交差したこの瞬間。

 

 世界の運命を大きく狂わせ、そして導くことになる、最強にして最凶の『盟約』が、ここに結ばれたのであった。

 

 

 




感想欄で今のキラがやっていることを羅列され、性格は違うけどシロッコやんけ!ってのを見た時は腹を抱えて爆笑しました。
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