やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか 作:星乃 望夢
「え〜、わたしら置いてっちゃうのぉ!?」
モルゲンレーテ本社の格納庫に、マユラ・ラバッツの不満げな声が反響した。
「仕方ないですよ。M1の倍重たいんですから、ティエレンって」
コックピットへと続くタラップの途中で振り返り、キラ・ヤマトは肩をすくめてみせた。その背後には、ジャンク屋組合のルートを介して極秘裏に手配された、地球連合軍の貨物輸送機への積み込み作業を待つ『ティエレン』が、鋼鉄の巨体を沈黙させて鎮座している。
軽量なフレーム構造を突き詰めたM1アストレイの本体重量がおよそ50トン強であるのに対し、全身を分厚い複合装甲で覆い尽くしたこの紺色の怪物は、単機で100トンを超える。
現実問題として、手配した旧式の輸送機にこの超重量級の鉄塊を積載した上で、さらにマユラたちのM1アストレイまで同梱するなど、物理的にも航空力学の観点からも不可能だった。無理に詰め込めば確実に重量オーバーを引き起こし、離陸すらままならない。
「それに、今回の目的地はアフリカの砂漠──ザフトの勢力圏内です。一刻も早く現地入りするには、燃料消費を抑えて巡航速度を上げるためにも、ペイロードは軽くしておく必要があるんですよ」
キラの論理的な説明に、腕を組んで不貞腐れていたマユラの隣から、アサギ・コードウェルが呆れたような溜め息をついた。
「キラ君の言う通りよ、マユラ。遠足じゃないんだら。それに、オーブのM1アストレイが中立の立場を破ってアフリカ共同体で戦闘行為に及んだなんてザフトに知れ渡ったら、それこそ本格的な国際問題になるわ」
「そうそう。その点、キラ君のティエレンなら出処を誤魔化せるものね。ユーラシア連邦か、ジャンク屋上がりの機体って言い張れば、オーブ政府の関与は完全に否定できる。……ウズミ様も、本当に悪どい手引きをするわよね」
ジュリ・ウー・ニェンが、手元の携帯端末でティエレンの凄まじい重量スペックを弾き出しながら、半ば感心したようにウズミの政治的判断を評した。
彼女たちの言う通り、この任務は『オーブ軍の作戦』ではなく、あくまで『一個人の身内探し』という体裁を貫かなければならない。
そのための偽装と、アフリカまでザフトのレーダー網を掻い潜るための超低空飛行。
それらの過酷な条件をクリアするためには、必然的にキラ一人がティエレン単機で出撃するしかなかったのだ。
「僕が留守の間、皆さんは自分たちの新しい機体のOS調整と、負荷テストを進めておいてください。そちらの仕事も、1日も早く終わる事に越したことはありませんから」
キラは携帯端末を操作し、ティエレンの環境設定を『宇宙空間用』から『重力下・砂漠戦仕様』へと高速で書き換えていく。
過酷な熱帯環境下におけるジェネレーターの冷却効率の最適化、そして、足場の悪い流砂の上でも100トンの巨体を支え、機動力を殺さないための接地圧とアクチュエータのトルク配分の再計算。
常人ならば数人がかりで何日も要するOSの改修を、彼は搭乗前のわずかな時間で鼻歌交じりに終わらせていく。
「ちぇっ、わかってるわよ。キラ君が帰ってくるまでに、アリュゼウスのデータはバッチリ取っておくから……気をつけて行きなさいよ」
マユラが少しだけ寂しそうな顔を隠すように、乱暴に手を振った。
アサギとジュリも、それぞれのやり方で無言のエールを送るように静かに頷いている。
「ええ、行ってきます」
キラは短く微笑み返すと、踵を返して分厚い装甲のコックピットへと身を滑り込ませた。
ハッチが重々しい音を立てて密閉されると同時に、ティエレンのモノアイが発光し、地響きのような低い駆動音を格納庫に響かせる。
オーブという国を、そして自身が手に入れたいと願う平穏な日常を守るため。
再び孤独な戦いへと赴く少年の乗る鋼の巨人は、火薬と砂の匂いが待つアフリカの空を目指し、静かに輸送機の貨物室へとその重い歩みを進めていった。
◇◇◇
「ウズミめ。あの少年を、そうした使い方をするか」
宇宙に浮かぶサハク家の牙城、アメノミハシラ。
その静寂に包まれた主の私室で、ロンド・ミナ・サハクは漆黒の宇宙に浮かぶ青い地球を見下ろしながら、呆れたように、そして酷く冷ややかな声で呟いた。
キラ・ヤマト。
今や彼という存在は、オーブという国家にとって欠かすことのできない、そして何があっても失ってはならない『最高の財産』となっていた。
TC-OSによる天文学的な莫大な利益。次世代モビルスーツの戦術ドクトリンを構築する新兵器開発。
まるで打ち出の小槌のように、オーブが抱える国防と経済の脆弱性という問題に対し、完璧な『正解』を提示してみせる若き天才。
その、国家の命運すら左右する至宝を、あろうことか『家出した娘の遣い』として紛争地帯のど真ん中へ寄越すなど、為政者として正気の沙汰ではない。
議会の疑念や氏族の不満など、キラが国内に留まり、これから先も絶え間なく齎すであろう莫大な国益と軍事的優位性をもってすれば、帳消しとなって余りあるはずなのだ。
それを態々、ザフトと地球軍が血みどろの殺し合いを演じているアフリカの砂漠へ送ろうなどと。
(万が一、あそこで彼が命を落とすようなことがあった時、その巨大すぎる責を一体誰が負い、どうやってオーブの未来を埋め合わせるというのか)
誰にも出来はしない。ウズミ・ナラ・アスハにすら、そしてこのロンド・ミナ・サハクですら、その代わりは絶対に務まらない。
オーブを富国強兵の『完全武装の武装中立国家』へと強引に舵を切らせ、武力と技術で世界を圧倒する覇者たる強国に仕立て上げようとしているのは、ひとえに『世界が破滅に向かわんとした時、それを第三者として横っ面を殴り倒して強制的に鎮圧する』ため。
そこまでの壮絶な大望を抱き、自らが泥を被る覚悟を決めて、世界中を巻き込みながら驀進する先導者なのだ。
あのような少年は、これまでの歴史にも、そしてこれからの歴史にも二度と現れはしないだろう。
「……或いは、兄妹への情けか。キラ・ヤマトよ」
ミナは窓から視線を外し、手元の端末へと目を落とした。
そこには、サハク家の諜報部を総動員して調べ上げた、キラ・ヤマトの『真の素性』に関する極秘のレポートが表示されていた。
それを辿り、遺伝子情報の奥底まで探りを入れた結果、ミナが知り得た一つの恐るべき事実。
キラ・ヤマトとカガリ・ユラ・アスハ。
あの二人の間には、間違いなく『血の繋がり』があるということ。
その事実を、当事者であるキラ自身が知らぬわけがないだろうと、ミナは推測していた。
でなければ、ウズミの個人的な頼みとはいえ、自身の立場で今、オーブの国防強化を最も急務と位置付けているあの合理的な少年が、すべての作業を放り出してまで態々国外の死地へ赴く理由がない。
(自らの半身。血を分けた、たった一人の妹……)
ミナはふっと、冷徹な仮面を緩め、僅かに柔らかな息を吐いた。
「……よかろう。その選択、この私が許容してやる」
兄妹ともなれば、どのような理屈や大義名分があろうとも、決して放っては置けぬものだ。
同じく血を分けた双子の弟──ロンド・ギナ・サハクを持つミナだからこそ、キラのその泥臭いほどの人間らしい感情と衝動は、痛いほどに理解できる所にあった。
身内を想う愛ゆえの行動であるならば、それを無機質な政治の理屈で縛り付けるのは野暮というもの。
故に──そのアフリカの砂漠で、彼に『万が一』すら絶対に起こさせない。
「ギナ。通信は繋がっているか」
回線の向こう側から、無機質なノイズに混じって、どこか愉悦を含んだ男の低い笑い声が響いてくる。
そこには今、ギナが自身の『新しい玩具』として弄り倒している、一機のMSが存在していた。
「あぁ、聞こえているとも、ミナ。我が半身よ。……なんだ、調律の邪魔をしないでくれよ。こいつの機嫌を損ねたくないんだ」
「戯言を言うな、ギナ。その『玩具』のテストと調整を兼ねて、お前に一つ仕事を与える。喜べ、お前の大好きな実戦だ。しかも、相手は砂漠の虎の軍団だぞ」
ミナの言葉に、通信の向こう側の空気が明らかに熱を帯びるのがわかった。
「……ほう? アフリカか。それは悪くない余興だな」
「オーブの『最も価値ある剣』が、今からアフリカへ向かう。表向きはウズミの娘の回収任務だが、ザフトと衝突する可能性が極めて高い。……あとは言わずともわかるな?」
ミナは冷酷なまでの口調で、ギナへの勅命を下した。
キラ・ヤマトというオーブの心臓を、ザフトの有象無象の手に掛からせるわけにはいかない。そして、彼の負担を極限まで減らし、一刻も早く、無傷でオーブへと連れ帰らねばならない。
「いいだろう。ちょうど、こいつの『幻影』が実戦でどれほど通用するのか、試してみたかったところだ」
ギナの好戦的な声と共に、通信の向こう側から、重々しくも禍々しいその姿が露わとなる。
回線が切れると、ミナの切れ長な双眸が鋭い光を帯びて細められる。
「あの少年は、私が共に歩むと決めたオーブの未来そのものだ。砂漠の野良犬どもに噛み殺されることなど、断じて許さぬ」
オーブを世界の覇者とせんという野望。
それを叶え、超えていく程の狂気を宿す少年。
その大望を成就させるその日まで、ロンド・ミナ・サハクは己の持てるすべてを懸けて、彼を護り抜くと決意していた。
◇◇◇
通信回線が完全に切断され、モルゲンレーテ地下最下層の隔離ハンガーに再び重苦しい静寂が舞い戻ると、ロンド・ギナ・サハクはコックピットシートに深く背中を預け、格納庫に広がる虚空を見つめて小さく息を吐いた。
「……ミナも随分とロマンチストになったものだ。あの底知れぬ化け物じみたガキに、すっかり入れ込んでいるらしい」
ポツリとこぼしたその呟きは、次の瞬間、抑えきれない歓喜と苛立ちが入り混じった狂気的な哄笑へと変わった。
「くっ……くはははははっ! この私を! 次代の世界を統べる絶対者たるこのロンド・ギナ・サハクを、たかが一人の少年の『露払い』に使おうというのか! 呆れた女だ、私の半身は!」
コックピット内に反響する自身の笑い声を聞きながら、ギナの双眸には傲岸不遜な昏い炎が燃え上がっていた。
オーブを武力による完全なる覇権国家へと押し上げ、世界の頂点に君臨するというサハクの悲願。その野望を最短距離で、しかも想像を絶する暴力的な速度で叶えつつあるのが、他ならぬキラ・ヤマトという規格外の才能であることは、ギナとて嫌というほど理解している。
地球連合軍の無数のモビルスーツを稼働させる心臓部の絶対的な生殺与奪の権を握りながら、一方でオーブには『イカロスユニット』や『BWS』といった、既存の戦術概念を嘲笑うかのような次世代の牙を湯水のように与え続ける。
あの少年が提示する設計図は、ただの兵器開発ではない。世界中の大国をチェス盤の駒のように弄び、オーブという国を『誰も手出しできない絶対不可侵の神』へと祭り上げるための、冷酷極まりない暴力の数式だ。
「確かに、あれは失ってはならない至高のパーツだ。あのガキが描く青臭くも狂った妄想は、結果としてオーブを世界の覇者とする我らの道と重なり合う。……その神輿を担ぐことも、理解はしよう」
ギナはコンソールのパネルを滑るように撫でた。
だが、理屈では理解していても、ギナの肥大しきった自尊心が、素直に『使いっ走り』の屈辱を受け入れるわけではない。
本来ならば、サハク家の主たる自分が、一介の技術者上がりの少年の背後でコソコソと護衛任務など、プライドが許すはずがないのだ。
アフリカの砂漠でウズミの阿呆な娘を連れ戻すという、茶番のようなお使い。そんなもののために、このオーブ最高の武力たる自分が動くなど、本来ならば唾を吐き捨てて拒絶するような真似である。
しかし──。
「……まぁ良い。ミナが私を指名したのは、単なる護衛などというつまらぬ理由ではないからな」
ギナの唇が、三日月のようにつり上がる。
彼の視線の先、コックピットのモニターには今まさに調整の最終段階に入っている自身の愛機──『アストレイ ゴールドフレーム』の機体ステータスが表示されていた。
ただのゴールドフレームではない。ヘリオポリスから回収し、さらには地球軍から奪取した技術の粋を極限まで組み込んだ異形の漆黒と黄金の魔神。
その機体の最重要システムである『ミラージュコロイドステルス』。あらゆるセンサーから己の姿を完全に消失させる絶対的なステルス機構。
ギナは、この恐るべき「新しい玩具」の実戦投入の機会に飢えていたのだ。
「ザフトの『砂漠の虎』……アンドリュー・バルトフェルド。そして、砂塵に紛れて蠢く無数のゲリラと正規軍。……ふふっ、私の黄金の魔神が初陣を飾るステージとしては、申し分ないではないか」
ギナにとって、キラの護衛などというのはあくまで「ついで」の建前に過ぎない。
本音は、ザフトの精鋭部隊が密集するアフリカの戦場へ、一切の制約なしに降下し、自身の圧倒的な力と新しい玩具の性能を存分に振るって、敵対するすべての有象無象を蹂躙し尽くすことにある。
「キラ・ヤマトよ。貴様はせいぜい、ウズミの使い走りを真面目にこなすがいい。その代わり、貴様の視界の外で蠢く目障りな羽虫共は、この私がすべて極彩色の地獄へ引きずり込んでやろう」
ギナはシートベルトを強く引き締め、機体のメインシステムを起動状態へと移行させた。
「露払い? 違うな。……これは、絶対者たる私が、狩り場に群がる愚図共を皆殺しにするための『遊戯』だ」
オーブを裏から支配する冷酷なる野心家は、暗闇の中で舌を舐めずった。
自らの大望と、血を分けた姉の勅命。そして何より、自身の中で沸騰する抑えきれない破壊衝動を満たすため。
「さあ、目覚めろ、私のゴールドフレームよ。アフリカの熱砂を、愚か者共の血で黒く染め上げに行くぞ!」
狂気を孕んだ笑い声と共に、黄金の魔神は誰の目にも触れることなく、モルゲンレーテの最下層からアフリカの広大な砂漠へと向けて、ひっそりと、だが圧倒的な殺意を伴って出立した。
◇◇◇
「まったく……どいつもこいつも、ビジネスというものを全く理解していない」
大西洋連邦の首都、ワシントンD.C.。
アズラエル財団の頂点にして軍需産業複合体『ロゴス』の代表たるムルタ・アズラエルの執務室に、苛立ちを隠そうともしない冷酷な声が響いた。
高級デスクに乱暴に放り投げられたタブレット端末には、東アジア共和国の有するマスドライバー施設──カオシュン宇宙港の陥落と、ザフト軍による完全制圧の報が赤々とした文字で映し出されている。
共に添付されていた戦場の映像データを見たアズラエルは、深い溜息と共に頭を抱えた。
ザフトのジンやシグーが、青白い閃光──ビームカービンを乱射し、シールドから出力したビームサーベルで、これまで鉄壁の壁として戦線を膠着させていたティエレンの重装甲を次々と溶断していく光景。
ヘリオポリスで奪われたG兵器。そこからリバースエンジニアリングで技術を吸い上げられ、いずれザフトが小型高出力ビーム兵器を実用化させてくるだろうことなど、アズラエルにとっては「想定の範囲内」のリスク減価償却に過ぎない。相手は優秀な頭脳を持つコーディネイターなのだ。技術の解析と転用が早いことくらい、計算に組み込んである。
だが、アズラエルが心底腹立たしく思っているのは、この事態そのものではなく、これによって「戦争がさらに長引く」という事実であった。
「……そもそも、だ」
アズラエルは冷めた紅茶のカップを手に取りながら、忌々しい一年前の記憶──『血のバレンタイン』を引き起こした馬鹿どもへと思いを馳せた。
ユニウスセブンへの核攻撃。
一部の狂信者どもは「思い上がったコーディネイターへの見せしめだ」「青き清浄なる世界のためだ」と歓喜して酔いしれていたが、アズラエルからすれば、あれは「史上最悪の不良債権化」としか言いようのない愚行だった。
プラントの理事国が、あの宇宙の生産拠点を建造し、維持するために、どれだけの天文学的な資本と時間を注ぎ込んできたと思っているのか。あれは地球圏にとっての巨大な『投資物件』なのだ。
それを、利益の損得勘定を一切無視し、三流の感情論と薄っぺらいプライドだけで宇宙の塵に変えた。
結果として、即座に終わるはずだった独立鎮圧の紛争は、泥沼の戦争へと転がり落ち、『大赤字決算』へと変貌してしまった。
世界経済は停滞し、無駄な軍事費ばかりが湯水のように消えていく。軍需産業として一時の儲けは出ても、地球全体のマクロ経済で見れば致命的な損失である。
だからこそアズラエルは、キラ・ヤマトから手に入れたTC-OSという『特効薬』を用いて、大西洋連邦の量産機ダガーを一気に稼働させ、この間延びした赤字決算をさっさと強制的に畳むつもりでいたのだ。
戦争を早期に終結させ、戦後経済の復興とプラントの再接収による新たな市場支配。その甘美な算盤を弾き始めていた矢先に、カオシュン陥落によるザフトの勢力拡大と、戦争長期化のニュースである。
「冗談じゃない。本気で勘弁願いたいね……ッ」
ドンッ、と。
苛立ちのままにカップをデスクに叩きつけ、アズラエルは忌々しげに舌打ちをした。
そもそも、なぜ大西洋連邦の絶対的なアドバンテージとなるはずだった「小型高出力ビーム兵器」というオーバーテクノロジーが、ザフトの手に渡ってしまったのか。
原因は明白だ。軍部の致命的な無能と怠慢である。
機体をまともに動かすOSすら自分たちで組めないくせに、「軍の面子が」だの「議会の承認が」だのと下らない書類の束を弄くり回し、ヘリオポリスでのG兵器の引き渡しと運用テストを無駄に遅滞させた。
現場の効率よりも官僚主義的な手続きを優先した結果、完成の遅れた機体ごとザフトのクルーゼ隊に強奪され、自ら敵に最大の武器を献上してしまったのだ。
「馬鹿な官僚と無能な軍人。奴らにビジネスを任せると、いつもこうだ」
アズラエルはネクタイを乱暴に緩め、窓の外──ワシントンの整然とした街並みを睨みつけた。
軍部の怠慢に足を引っ張られ、手にするはずだった利益よりも、支払うべき損失が増えていく。
それは、ムルタ・アズラエルという冷徹な一人のビジネスマンにとって、決して看過することのできない最大の罪悪であった。
「……これ以上、無能どもに現場を任せておくわけにはいきませんね。僕の手で、この馬鹿げた赤字プロジェクトを終わらせてやらなければ」
アズラエルの瞳に、冷酷で攻撃的な企業買収者のような光が宿る。
ジブリールのようなイデオロギーに酔うだけの小物ではなく、数字と兵器の実権を握る真の支配者として。
アズラエルは、連合軍の指揮系統へ直接介入し、戦局を強引にコントロールするための次なる一手へと、その思考を鋭く研ぎ澄ませていった。
◇◇◇
軍需産業複合体『ロゴス』の会合の場において、ムルタ・アズラエルから実質的に投げ渡される形で『ブルーコスモス盟主』の座を手に入れたロード・ジブリール。
その新たなる権力の座──豪奢な調度品で彩られた私室の空気を、忌々しい一つの報告が唐突に切り裂いた。
「──なんだと? カオシュンが、落ちた?」
ジブリールの顔に、醜い焦燥と怒りの皺が刻み込まれる。
東アジア共和国の管轄下にあるマスドライバー施設、カオシュン宇宙港の陥落。
通常であれば、この報せを聞いたジブリールの第一声は、極東の黄色人種たちの脆弱さを嘲笑う冷酷な皮肉であったはずだ。
そして何より、カオシュン防衛において戦線を後退させたライバル・ユーラシア連邦の失態を、鼻で嗤う絶好の材料となるはずだった。
あろうことか、憎きコーディネイターの少年が開発を行い、大西洋連邦の裏切り者たるアズラエルがOSの利権を握る『ティエレン』などという、重苦しいだけの鉄の棺桶を陣地に並べ立てた無能ぶりを、議会で徹底的に糾弾し、失脚させるための最高のカードになる、と。
だが、失われた拠点が『単なる前線基地』ではなく『マスドライバー』であるという事実が、ジブリールの狂信的な余裕を完全に吹き飛ばしていた。
「ええい、ユーラシアの腑抜け共め! あの悍ましいコーディネイターが造り出した鉄屑の山に頼りきり、挙句の果てに我らが地球の神聖なる大地を、宇宙の化け物共に明け渡すとは何事か!」
ガチャンッ! と、手元にあったクリスタルガラスのワイングラスを床に叩きつける。
真紅の液体が、高級な絨毯に血のような染みを作っていくが、ジブリールの血走った瞳はそれどころではなかった。
マスドライバー施設。それは地球から宇宙へと物資や部隊を打ち上げる、絶対不可侵の『玄関口』である。
マスドライバーを喪失するということは、月面プトレマイオス基地の安定稼働に支障が出ることを意味している。
月への補給線が細り、人員と兵器の増強が滞る。
それが何を意味するのか。
「……時間が掛かるということではないか! あの忌まわしい宇宙の砂時計の中に巣食う、思い上がった化け物共を、一匹残らず業火で焼き払うための……我らが『清浄なる世界』を取り戻すための聖戦が、遅延するなどということがあってたまるものか!!」
ジブリールの口から、飛沫と共にヒステリックな絶叫が飛び出した。
彼にとって、コーディネイターの殲滅は損得勘定などではない。地球という美しき星を汚す病原菌を駆除するための、絶対的で神聖な義務なのだ。
それを果たすための月面基地が、物資不足で機能を低下させるなど、彼の肥大化したプライドと狂信が絶対に許さなかった。
「繋げ! すぐに軍総司令部と、第4艦隊の連中へ回線を繋げ!」
ジブリールは、通信コンソールに向かって血相を変えて怒鳴り散らした。
いずれも、ブルーコスモスの理念に深く傾倒している『シンパ』の将官たちである。軍の正規の指揮系統など知ったことではない。盟主たる自身の特権と、彼らの狂信を利用し、強引にカオシュン奪還作戦を立案・決行させる。
「新型のダガー部隊を惜しみなく投入しろ! 東アジアの無能共が後退したというのなら、我々ブルーコスモスの剣が直接、奴らの喉笛を掻き切ってやるのだ! 宇宙の化け物共に、地球の重力と我らナチュラルの怒りの重さを思い知らせてやれ!!」
ロード・ジブリールは、自らのイデオロギーと焦燥感に完全に目を焼き切られ、地球軍の貴重な戦力を、奪還の極めて困難なマスドライバー防衛陣地──ザフト軍のビーム兵器が乱れ飛ぶ死地へと、次々とすり潰すための号令を下し始めたのであった。
◇◇◇
プラント最高評議会、その厳かなる円形議事堂は、かつてないほどの熱狂と割れんばかりの拍手に包まれていた。
プラント最高評議会議長の任期は1年。
その任期満了に伴う次期議長選出の議決において、新たなプラントの最高指導者として選ばれたのは、前議長であるシーゲル・クラインではなく、急進的な戦争完遂を掲げる国防委員長、パトリック・ザラであった。
議長席へと歩みを進める盟友の背中を、シーゲルは静かに、そして底知れぬ憂いを帯びた瞳で見つめていた。
パトリック・ザラを次期議長の座へと強烈に押し上げ、プラント国民の支持を決定づけたもの。
それは他でもない、膠着していた重力下戦線を一気に押し上げ、地球軍から宇宙への玄関口を奪い取った『カオシュン宇宙港陥落』という、輝かしい軍事的戦果である。
ユーラシア連邦と東アジア共和国が並べ立てた『ティエレン』という鋼鉄の防衛線を、新兵器である小型高出力ビーム兵器をもって強引に粉砕し、多くの血を流しながらもプラントに巨大な戦略的優位を齎した。
我らコーディネイターの力をもってすれば、ナチュラルなど恐るるに足らず。
その熱に浮かされたような勝利の報は、血のバレンタイン以降、出口の見えない戦争に疲弊しつつあったプラントの市民たちに、劇薬のような『熱狂』を植え付けたのだ。
「……もはや、止まらんな」
シーゲルは、議事堂を埋め尽くす拍手と歓声──その奥底でドロドロと渦巻いている、同胞たちの『戦争への熱狂』と『ナチュラルへの果てなき憎悪』の空気を肌身で感じ取り、密かに嘆息した。
カオシュンという戦果を前にしては、いかにシーゲルが「対話」と「早期講和」を説こうとも、もはや誰の耳にも届かない。
市民は痛みを伴う和平よりも、武力による完全なる勝利という甘美な幻想を求めてしまったのだ。
だからこそ、シーゲルは抗うことなく、議長の座をパトリックへと明け渡した。
表舞台で声を張り上げ、議会の多数決でこの狂気を止めることは、もはや不可能であると悟ったからだ。
議事堂での喧騒を後にし、シーゲルは足早に自身の私邸へと向かった。
厳重なセキュリティに守られた地下の隠し部屋。そこには、すでに水面下でプラントに張り巡らされた情報網を構築する愛娘──ラクス・クラインの姿があった。
「……お疲れ様でございました、お父様」
静かに頭を下げるラクスに対し、シーゲルは疲労の色を隠すことなく、しかし、確かな決意を込めて頷いた。
「表の舵取りは、パトリックに譲った。……今のプラントは、自らが破滅の道へ向かって全速力で進んでいることに気づいておらん」
「はい。武力による勝利の果てにあるのは、果てしなき報復の連鎖と、互いの種の絶滅のみ。……それは、決して歩んではならない道です」
ラクスは、自身の端末に表示された無数の暗号化されたデータ群──キラ・ヤマトが莫大な資金を投じてまで支えてくれている、巨大な秘密ネットワーク組織『ターミナル』の萌芽を見つめながら、毅然とした声で応じた。
「あぁ、その通りだ、ラクス。議長という足枷が外れた今、私もお前の戦いに加わろう」
シーゲルは、娘の肩にそっと手を置いた。
最高評議会議長という、光の当たる場所での戦いは敗北に終わった。
しかし、それは彼が平和への道を諦めたことを意味しない。むしろ、軍事国家と化していくプラントの内部で、パトリック・ザラの監視の目を掻き潜りながら『クライン派』というレジスタンスを完全に纏め上げ、水面下で地球軍の穏健派や中立国オーブと結託するという、命懸けの『暗闘』の始まりであった。
「この狂った戦争を終わらせる『路』は、もはや議事堂の中にはない。……我々の手で、泥に塗れてでも、その路を切り拓かねばならんのだ」
表舞台の華やかなスポットライトを背に、プラントの元最高指導者は、愛娘と共に深く冷たい地下へと潜る。
シーゲル・クラインの真の戦いは、ここから幕を開けたのであった。
◇◇◇
重苦しい空気に包まれた作戦会議室において、ユーラシア連邦将官たちの顔は、一様に怒りと屈辱で土気色に染まっていた。
「カオシュン宇宙港、陥落」という最悪の報告。
それは、長らく東アジア共和国に代わって同地の防衛線を維持し、莫大な血と予算を注ぎ込んできたユーラシア連邦にとって、あまりにも手痛く、そして理不尽な失陥であった。
何しろ、タイミングが悪すぎる。
もともとモビルスーツを持たなかった東アジア共和国に対し、ユーラシア連邦はザフトの攻撃予兆を掴んだ段階から、進んでカオシュン防衛を代行してきた。宇宙への玄関口たるマスドライバーという超重要拠点であり、何よりユーラシア連邦の首都モスクワにも地理的に近い。あのような場所にザフトの橋頭堡を築かれることなど、国防上の観点から絶対に許容できなかったからだ。
しかし、東アジア共和国も『ティエレン』を導入し始め、その数が防衛ラインを維持するのに「充分」だと判断してユーラシア軍が部隊を引き上げた、まさにその直後の出来事だったのである。
結果として、カオシュンはザフトに明け渡され、ユーラシア連邦がこれまで投じてきた防衛費や人的損失は、文字通りただの「水の泡」と化してしまった。
「東アジアの無能共め! 少しばかり鋼鉄の盾を並べただけで、防衛戦術の何たるかも理解していなかったというのか!」
一人の将官が机を叩き、怒声を上げる。だが、彼らが真に激怒し、憎悪を向けている対象は東アジア共和国の拙劣な采配だけではない。
ザフトが急激に「小型高出力ビーム兵器」を実戦投入し、ティエレンの装甲を撃ち抜いたという事実。
その背景に何があるのかなど、軍事情報の専門家でなくとも火を見るよりも明らかだ。大西洋連邦がヘリオポリスで極秘裏に開発し、あろうことかザフトにまんまと掠め取られた『G兵器』。そのリバースエンジニアリングによる技術的恩恵以外の何物でもない。
「大西洋連邦の阿呆共が、自らの無能で敵に最悪の武器を献上したのだ! 奴らの失態のせいで、我が国の前線が崩壊したも同然だぞ!」
このカオシュンの失陥に関する責任追及と、大西洋連邦の杜撰な兵器管理に対する糾弾は、当然のごとく国際社会の場で徹底的に行うつもりである。ユーラシアの外交官たちは今頃、大西洋連邦の首根っこを噛み千切るための声明文を喜々として書き上げているはずだ。
だが、会議室の将官たちは、決して絶望に打ちひしがれているわけではない。
「……とはいえ、ティエレンがただの『鉄の棺桶』に成り下がったわけではない」
司令官が重々しい声で告げると、将官たちは深く頷いた。
東アジア共和国の練度不足な部隊はビームカービンの前に蹂躙されたが、それは彼らがティエレンを「ただの動く壁」としてしか使えなかったからに過ぎない。
機体の癖を知り尽くし、運用に長けたユーラシア連邦の歴戦の部隊であれば話は別だ。ザフトがビーム兵器を持ち出してこようとも、地形を利用した待ち伏せや、一撃離脱を許さない徹底した面制圧の十字砲火を用いれば、十分に戦線を持ち堪えられるという絶対的な自信と自負が彼らにはあった。
それでも──ただティエレンという「鈍重な盾」にばかり、国家の命運と戦線を支えさせる気はユーラシア連邦にもなかった。
司令官は手元の端末を操作し、メインモニターの戦況図を切り替えた。
そこに映し出されたのは、民間軍事企業『アクタイオン・インダストリー社』の全面協力を経て、ユーラシア連邦の威信を懸けて極秘裏に開発・完成させた、独自のG兵器の姿であった。
「我々ユーラシアは、大西洋連邦のような間抜けな真似はせん。見よ、これが我が国の誇る新たなる『盾と剣』だ」
モニターに映る機体。その名は『ハイペリオン』。
特筆すべきは、その機体に搭載された、ユーラシア連邦の軍事技術の結晶たる絶対的なシステムである。
ユーラシアの宇宙要塞アルテミスを鉄壁たらしめている光波防御帯を、MSサイズにまで小型化し、搭載することに成功した『アルミューレ・リュミエール』。
機体の周囲に展開されるその光の絶対防御壁は、実体弾を容易く弾き返し、そして大西洋連邦のG兵器が齎したビーム兵器の直撃すらも完全に拡散・無力化してしまう。
「ティエレンが泥に塗れた実直なる盾ならば、ハイペリオンは我らユーラシアを守護する『光の盾』だ」
大西洋連邦のアズラエルがOSの利権でふんぞり返り、ザフトがビーム兵器を手に入れて戦局を優位に進めようとも。
このハイペリオンが戦場に降り立てば、あらゆる兵器の優劣は意味を成さなくなる。
カオシュン陥落の報という苦い屈辱を噛み砕きながら、ユーラシア連邦の将兵たちは、自国が独自に生み出した『絶対無敵の機体』と共に、反撃の狼煙を上げようとしていた。