やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか   作:星乃 望夢

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PHASE-50 怒りの拳

 

 レジスタンスたちのバギー部隊が放ったバズーカの爆炎が収まらぬ内に、キラの駆るティエレン高機動B指揮官型は、滑るようなホバー移動で戦場の中央へと割って入った。

 

 あえて彼らと足並みを揃えなかったのは、キラにとってこの武力介入が「正義のためのゲリラ支援」などではなく、単なる「カガリ・ユラ・アスハの保護」という極めて個人的、かつオーブの国家防衛戦略上の絶対条件に過ぎないからだ。

 

 レジスタンスがどれだけ悲壮な大義を掲げようと、本来のキラには関係がない。

 

 だが、あの直情的な少女をここで死なせるわけにはいかないのだ。もし目の前にいながらカガリを失えば、ウズミに合わせる顔がないどころか、オーブという国の未来を形作るはずの重要な選択肢が一つ、永遠に失われてしまうことになる。

 

 だからこそ、レジスタンスが意地を見せ、バクゥに一撃を入れて戦場の均衡が僅かに崩れたこの絶好のタイミングを待った。

 

 キラは操縦桿を巧みに操り、ティエレンの超重量を乗せたホバー推進で砂丘を斜めに駆け上がる。

 

 圧倒的な質量と異次元の機動性をわざと見せつけることで、健在な2機のバクゥのヘイトを脆弱なレジスタンスのジープから完全に引き剥がし、高速移動戦闘に巻き込まれないよう離れた場所へと釣り上げていく。

 

『キラ!』

 

「ムウさん!」

 

 空から飛来したムウの駆るエールストライクが、的確なビームライフルの狙撃でバクゥの進路を塞ぐ。

 

 フェイズシフト装甲と高出力ビーム兵器。実弾しか持たない現在のバクゥ部隊にとって、ストライクの存在は「触れれば死ぬ」絶対的な脅威である。

 

 ムウのその絶妙な牽制のおかげで、バクゥのパイロットたちはティエレンとストライクへの対応で完全に手一杯となり、もはやレジスタンスのバギーなど相手にしている余裕はなくなっていた。

 

 頼もしい仲間に上空と背中の警戒を預け、キラは正面のメインモニターを鋭く睨みつける。

 

 先程レジスタンスの攻撃で一時的に擱座し、脚部にダメージを負っていたはずの「3機目」のバクゥが、再び砂埃を上げてゆっくりと起き上がってきていた。

 

 だが、センサーが捉えたその機体の挙動は、先程までのパイロットのそれとは完全に異なっていた。

 

 ダメージを負っているはずの脚部のバランスを瞬時にアジャストし、不規則な砂漠の地形を撫でるように滑らかに前進し始める。それはまるで、手負いの巨大な獣が、本能のままに最も危険な牙を剥き出しにして立ち上がったかのような、不気味なほどの凄みと静けさを纏っていた。

 

「……動きが、違う」

 

 あの機体に乗り代わったのは、間違いなくこの戦線の指揮官。

 

 数多の戦場を潜り抜けてきたザフトの歴戦の将──『砂漠の虎』アンドリュー・バルトフェルドだ。

 

(ここであの人を足止めできなければ、カガリたちがやられる……!)

 

 キラは深く息を吸い込み、ペダルを強く踏み込んだ。

 

 ティエレンの巨大なホバーユニットが爆音と共に火を噴き、熱砂を焦がす。

 

 キラは動き出した3機目のバクゥ──砂漠の虎へと向かって、真っ直ぐに機体を向けた。

 

「フォーメーション・デルタだ。ポジションを取れ!」

 

『『隊長!』』

 

 バルトフェルドの力強い号令が砂漠に響き渡ると同時、ザフトの誇る獣たちが見事な連携で地を蹴った。

 

 最も信頼する上官であり、誰よりもこの砂漠を知り尽くした『虎』が陸の王者に乗って前線へ現れた事実。

 

 それが部下たちの士気を爆発的に跳ね上げ、彼らは「これならば、あのティエレンも終わりだ」と確信しながら、完璧な包囲陣形を構築していく。

 

「流石に素早いが……ホバーは急制動と急旋回に弱い。これをどう凌ぐかね?」

 

 先頭を駆けるバルトフェルドのバクゥが、牽制のミサイルを絶妙なタイミングで放つ。ティエレンが被弾を避けるために一瞬の横滑りを行った、まさにその死角。続く2機のバクゥが恐るべき速度でティエレンの側面へ肉薄し、擦れ違いざまにその凶悪な脚部の履帯を、ティエレンへと強引に引っ掛けた。

 

「キラ! ……ええい、クソッ!」

 

 体勢を大きく崩し、砂塵を巻き上げてたたらを踏むティエレン。

 

 ムウは上空から即座にストライクを援護へ向かわせようとスラスターを吹かすが、それを読んでいたバルトフェルドが、ストライクの背部へと的確にミサイルの弾幕を張る。

 

「通常弾頭でも、76発喰らえばその効力を失う。それに……その背中の装備は、フェイズシフト装甲ではないのだろう?」

 

「クソッ、エンジンを狙って来やがるか!」

 

 実弾を弾く本体とは違い、無防備な背部の高機動ユニットを的確に狙い撃ちしてくる虎の狡猾さに、ムウは舌打ちをした。空中に留まったままでは格好の的になると判断し、ストライクを砂漠へと着地させる。

 

 そして、姿勢を低くして高出力のビームライフルを放つが──。

 

「ちっ、狙いが逸れる!」

 

「この灼熱の砂漠に滞留する熱の中では、ビームライフルも無敵ではないということさ。大気による熱拡散、ましてやバクゥの機動性の前では尚更な。そして!」

 

 虎の咆哮と共に、バクゥの編隊が砂埃の壁を利用してストライクとティエレンの分断を図る。

 

「ムウさん! うわっ……!」

 

「足を止めてしまえば、その出鱈目なスピードも関係ない。機動力を奪われたとなれば、あとは装甲が厚いだけのノーマルのティエレンとそう変わらんだろう。……さて、この状況をどうひっくり返すかね?」

 

 3機のバクゥによる、文字通り息の合った三位一体の連携攻撃。

 

 無重力の宇宙空間ならば、三次元的な回避軌道でその包囲を抜けられただろう。しかし、ここは地上。重力に縛られ、基本的には二次元的な機動しか許されないこの環境下において、ティエレンとストライクの選択肢は極限まで狭められていた。

 

「どうする、キラ!」

 

「僕に考えがあります。そのまま、今は耐えてください!」

 

「良いぜ。その話、ノッた!」

 

 ムウはストライクのシールドを前面に掲げ、キラの乗るティエレンと背中合わせになるように陣取った。互いの死角を完璧にカバーし合う陣形。

 

 その絶対的な防陣の中で、キラはメインモニターに映る3機のバクゥの動きを、冷徹な思考で見極めていた。

 

(2機のバクゥは、背部のミサイルポッドで中距離からの波状攻撃ができる。でも……1機は、さっき僕がポッドを破壊した機体だ)

 

 唯一の遠距離武装を喪失しているその機体。

 

 つまり、その1機だけは、確実に有効打を与えるために『自ら接近戦を仕掛けなければならない』ということだ。

 

「……来るッ」

 

 キラが自身のティエレンをあえて隙だらけのターゲットとして晒し、牽制のために腕部の滑腔砲を放つ。

 

 砲撃を掻い潜り、ミサイルポッドを持たないそのバクゥが、業を煮やしてティエレンの懐へと猛烈なスピードで突っ込んできた。

 

 その瞬間。

 

「なにィ!?」

 

「掴まえたあああっ!!」

 

 キラのティエレンは、回避行動を一切取らなかった。

 

 バクゥがその凶悪な履帯とスラスターの推力を合わせた全体重の突進を仕掛けてきた、まさにその正面。ティエレンは100トンの巨体を一歩も引くことなく沈み込ませ、バクゥを真正面からガッチリと受け止めたのだ。

 

 凄まじい金属の軋みと衝撃音が砂漠に轟く。

 

 機動性を活かした一撃離脱が持ち味のバクゥが、最も不得手とする『ゼロ距離での力比べ』。

 

 ティエレンを組み付かせたキラは、重装甲機特有の圧倒的なパワーに物を言わせ、万力のようにバクゥの首元をギリギリと締め上げた。

 

『た、隊長、抜け出せな──ぐああああ!?』

 

 装甲がひしゃげ、火花が散る。

 

 キラはそのまま強引にバクゥの首の関節部をプレスし、メインカメラを完全に使い物にならなくさせると、巨大な鉄屑と化したその獣を、砂漠へ向けてボロ雑巾のように放り投げた。

 

 重々しい音を立てて砂丘に沈み、沈黙するバクゥ。

 

 これで、戦況は再び2対2となった。

 

「……なるほど。パワー勝負に持ち込まれれば、バクゥのフレームではあの重装甲を支えるトルクには耐えられんか」

 

 バルトフェルドは、砂に沈んだ部下の機体と、背中合わせで一切の隙を見せないストライクとティエレンを見つめ、戦況の明らかな『潮時』を感じ取っていた。

 

 このまま戦闘を継続したところで、ミサイル弾頭ではティエレンの装甲とストライクのPS装甲に決定的な有効打を与えられない。かといって、接近戦を仕掛ければ、先程のようにティエレンの規格外のパワーで叩き潰されるだけだ。それは完全な自殺行為である。

 

 ともすれば、これ以上意地を張って睨み合いを続けるよりも、冷静に退くべきであると、戦術家としての理性が彼に語りかけていた。

 

「ダコスタ、パイロットの回収!」

 

『はっ、今向かいます!』

 

 バルトフェルドは待機させていた副官のバギーを無線で呼び出し、中破して身動きが取れなくなったバクゥから、命に別状はないパイロットを速やかに回収させた。

 

「今日はここまでだ。……良いものを見せてもらったよ、ユーラシアの坊主君」

 

 砂漠の虎は、サンドカラーのティエレンへ向けて名残惜しそうに一度だけ牽制のミサイルを放つと、残るバクゥを連れて、統制の取れた見事な手際で撤退していった。

 

 

◇◇◇

 

 

 戦闘が終わった砂漠に、重苦しい金属の摩擦音が響き渡っていた。

 

 100トンを超えるサンドカラーのティエレンが、鈍い駆動音を立てながらレジスタンスたちの前へとやって来た。

 

 その巨大な腕に掴まれ、無惨に砂礫の上を引き摺られていたのは、先程まで彼らを恐怖のどん底に陥れていたザフトの獣──バクゥの残骸であった。

 

 圧倒的なまでの暴力の象徴であるMSを、文字通り力ずくでねじ伏せ、戦利品のように持ち帰ってきたティエレン。

 

 その信じ難い光景を前に、バギーから降りたレジスタンスの男たちは言葉を失い、水を打ったように静まり返っていた。

 

 ティエレンの超重量を支えていた脚が低い唸りを上げて停止し、分厚いハッチが重々しく開放される。

 

 姿を現したキラは、無言のまま機体を降りて砂埃に塗れた彼らの前へと歩み出た。

 

 結果として、キラの武力介入により、この無謀極まりない突撃における死者は一人も出ていない。

 

 だが、キラが纏っている空気は、味方を窮地から救い出した英雄のそれとは程遠い、酷く冷たく、そして鋭く尖った怒気に満ちていた。

 

 キラは立ち並ぶレジスタンスたちを一瞥することなく真っ直ぐに進み、群れの中で泥と煤に汚れながらも、ただ一人強い視線で自分を見つめ返してくる金髪の少女──カガリ・ユラ・アスハの目の前で立ち止まった。

 

 そして、一切の躊躇いも予備動作もなく、振り下ろした拳を彼女の頭頂部へと叩き込んだ。

 

「あああッ、ぐっ……な、何をする!!」

 

 不意打ちで頭を殴りつけられたカガリは、痛みで涙目を浮かべながら両手で頭を押さえ、反射的に怒鳴り声を上げた。

 

「さっき岩陰で、僕が言った事をもう忘れたのか!? 自分の立場がどんな悲劇を引き起こすか考えろって言ったよね! なのに、あんなおもちゃみたいな装備のジープで、バクゥの群れに挑もうなんて……どうかしてる! 本気で死にたいのか、君は!!」

 

 普段の温厚なキラからは想像もつかない、肺の底から絞り出すような烈火の怒声。

 

 しかし、直情的なカガリは己の非を認めるどころか、真っ向から反発して声を荒げた。

 

「町を焼かれたんだぞ!! ザフトに生きる場所を、食べ物を、すべてを灰にされたんだ! みんな必死で戦ってるんだぞ! 故郷を取り戻す為に、誇りを守る為に、必死でなっ!!」

 

 血を吐くようなカガリの叫び。それは、確かにこの場にいるレジスタンスたちの悲痛な想いを代弁するものだったかもしれない。

 

 だが、その安っぽいヒロイズムに酔ったような言葉を聞いた瞬間、キラの瞳にさらなる怒りの炎が灯った。

 

 キラは無言のまま、再び腕を振り上げる。

 

 そして今度は、先程よりもさらに重く、本気の力を込めた拳を、カガリの頭へと容赦なく打ち下ろした。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!? な、何故二度も殴る!!?」

 

 膝から崩れ落ちそうになるほどの痛みに悲鳴を上げるカガリを見下ろし、キラは冷酷なまでの正論を突きつけた。

 

「殴ってなんで悪いんだ! 君は良いさ。そうやって可哀想な人たちに同情して、感情に任せて、自分のしたい事だけをしていれば、全部正しくて気分も晴れるんだからっ!!」

 

「ッ……!」

 

「自分が死んだらどうなるか。父親がどんな思いをするか。そんな事から完全に目を背けて、ただ『自分は正しい事のために戦っている』って陶酔してるだけだ! いい加減にしろ! 君のその身勝手な自己満足が、どれだけ多くの人の命を危険に晒して、取り返しのつかない事態を引き起こすか……その重さを、少しは自覚しろっ、バカッ!!」

 

「ッ、くっ……」

 

 キラの容赦のない言葉の刃に、カガリは返す言葉を完全に失った。

 

 彼女が掲げていた『正義』や『誇り』といったものが、いかに視野の狭い、幼い自己満足であったかを根底から叩き潰されたのだ。

 

 ギリッと唇を噛み締め、悔し涙をボロボロと砂にこぼしながら、カガリは深く俯くことしかできなかった。

 

 カガリを完全に沈黙させた後、キラは氷のような視線を、周囲を取り囲むレジスタンスの男たちへと向けた。

 

「……貴方方もです。怒りに我を忘れて無鉄砲に仕掛けて、少しは満足しましたか?」

 

 男たちはビクリと肩を揺らした。彼らを救ってくれた恩人からの、あまりにも冷ややかな問いかけ。

 

「だったら、焼け出されて、今この瞬間も心細い思いをして震えている、大切な家族の元へ帰ってください。……今、貴方方が本当にやらなきゃいけない事は、MS相手に無駄死にすることですか?」

 

「なんだと……!? 俺たちに、あの砂漠の虎の飼い犬になって、誇りを捨てて生き延びろって言うのか!!」

 

 一人の若いレジスタンスが、屈辱に顔を歪めながら反論した。だが、キラはその安いプライドを冷徹に切り捨てた。

 

「じゃあ、好きにしてください。無駄な意地を張ってここで全員死んで、町に残された奥さんや子供たちを放り出して満足するなら、ご自由にどうぞ」

 

 キラは吐き捨てるように言い放つ。

 

「どんなに泥水を啜っても、這いつくばってでも生きて、家族の命を守り抜く。……それが、大黒柱である『男』がするべき、本当の仕事だと僕は思いますけどね」

 

 その決定的な一言に、男たちの怒りに燃えていた瞳から、スッと熱が引いていくのがわかった。

 

 バクゥの装甲に傷一つ付けられない自分たちの無力さ。そして、命を捨ててでも守りたかったはずの『家族』を、自分たちの安いプライドのせいで本当の意味で見捨てようとしていたという残酷な真実。

 

 握り締めていたライフルが、たまらず砂の上へと滑り落ちた。

 

 彼らの戦意が完全に消失したことを確認し、キラは踵を返すと、再びティエレンの巨大なコックピットへと歩みを進めた。背後には、ただ重く、痛切な沈黙だけが横たわっていた。

 

 分厚いハッチが閉まり、コックピットの密閉空間に一人になった瞬間、通信用のサブモニターにストライクのコックピットにいるムウの顔が映し出された。

 

『憎まれ役、ご苦労さん。……見掛けによらず、結構厳しいねぇ、お前さん』

 

 少しばかり呆れたような、それでいてどこか感心したようなムウの言葉に、キラはシートに深く背中を預けながら小さく答えた。

 

「……殴られないで、一人前になる人間が何処に居るって言うんです?」

 

『ま、そりゃそうだな。……これで少しは、あの跳ねっ返りのお姫様も、奴さんらも目が覚めるだろうさ』

 

「だと良いんですけどね……」

 

 キラはムウへの返答を終えると、柄にもなく怒りを爆発させたことで異常に跳ね上がっていた心拍数を落ち着けるように、長く、深い溜め息を吐き出した。

 

 コックピットの中で目を閉じ、キラは自身の内側で渦巻いていた感情の残滓を見つめ直した。

 

 人間の持つ喜怒哀楽の中で、キラ・ヤマトという少年に最も無縁な感情は『怒り』だ。

 

 もちろん、彼とて完璧な機械ではない。理不尽な状況や他人の悪意に対して、瞬発的な苛立ちを覚えることは確かにある。だが、それは少しばかり心の中で悪態を吐けば、すぐに霧散してしまう程度のものだ。

 

 キラの根底にあるのは、「怒ったところで疲れるだけだし、状況が好転するわけでもない。しょうがないから、自分が我慢して片付ければいい」という、ある種の諦念にも似た冷めた合理主義であった。

 

 だが、今回ばかりは違った。

 

 自分の命の重さを理解せず、ただ感情の赴くままに死地へと突っ走るカガリの愚かさ。そして、守るべき家族を残して自死に等しい突撃を敢行しようとしたレジスタンスたちの身勝手さ。

 

 それらを目の当たりにした時、キラの内部で、これまで強固に保たれていた『堪忍袋の緒』が音を立てて千切れたのだ。

 

 オーブという国家の防衛戦略を背負い、技術革新を推し進め、血生臭い政治の暗闘にも片足を突っ込んで、故郷の島国を富国強兵の国家へと押し上げている真っ只中。

 

 世界を破滅から救うという途方もない重圧に耐え続けているキラもまた、皮を剥けばただ平和な日常を愛し、身勝手な大人や同世代の愚かさに腹を立てる、何処にでも居る『人間』なのだ。

 

 ジンジンと痛む右拳を見つめながら、キラはゆっくりと目を開き、メインモニターに映る砂漠へと視線を向けた。

 

 感情を吐き出した後の疲労感と、己の未熟さを噛み締めながら、鋼鉄の巨人はただ静かに熱砂の上で踵を返した。

 

 

◇◇◇

 

 

 ストライクのコックピットの中で、ムウ・ラ・フラガはメインモニターに映し出される一連の光景を、半ば呆気に取られたような、それでいて深い感嘆の入り混じった眼差しで見つめていた。

 

 砂塵に塗れたレジスタンスたちを前にして、一人異質な空気を放つサンドカラーのティエレン。そして、その足元で繰り広げられた、あまりにも一方的で苛烈な『説教』。

 

「……痛ぇ痛ぇ。あんな容赦なく振り抜かなくてもいいだろうに」

 

 モニター越しにカガリの頭に叩き込まれた二発の拳。その鈍い音を想像し、ムウは思わず自分の頭を押さえて顔を顰めた。

 

 ムウの知る『キラ・ヤマト』という少年は、極めて穏やかで、理性的で、争いを好まない人間だった。

 

 窮地に陥れば、あり合わせのジャンクパーツと神懸かったプログラミング能力で即席の装備をでっち上げる天才メカニック。一度モビルスーツの操縦桿を握れば、無類の強さを発揮する怪物パイロット。

 

 だが、その本質はいつだって「戦いたくないのに、戦わされている」という、運命の濁流に巻き込まれただけの線の細い少年であったはずなのだ。

 

 理不尽な状況に涙を流し、人を殺めることが嫌で相手を無力化する事を第一に考え、誰かの期待に応えるために自己犠牲を強いる。

 

 そのキラが、あれほどまでに激しい感情を爆発させて怒りを顕にしたのだ。

 

『自分が死んだらどうなるか。父親がどんな思いをするか。そんな事から完全に目を背けて、ただ「自分は正しい事のために戦っている」って陶酔してるだけだ!』

 

 ストライクの集音マイクが拾い上げたキラの怒声は、薄っぺらい大義名分を粉々に打ち砕く、あまりにも鋭利で残酷な正論だった。

 

 さらに、キラのその刃は、無力な少女だけでなく、死を覚悟していたはずのレジスタンスの大人たちにも容赦なく振り下ろされた。

 

『無駄な意地を張ってここで全員死んで、町に残された奥さんや子供たちを放り出して満足するなら、ご自由にどうぞ』

 

 それは、戦場の現実を嫌というほど知るベテランの古参兵が、死に急ぐ新兵の鼻っ柱をへし折る時に使うような、歯に衣着せぬ劇薬の言葉。

 

 彼らが命懸けで縋り付こうとしていた『誇り』という名の自己満足を、ただの『身勝手な現実逃避』だと断じ、あえて泥を被って『憎まれ役』を買いに出たのだ。

 

「……大したタマだぜ、まったく」

 

 ムウはヘルメットの中で小さく息を吐き、唇の端を吊り上げた。

 

 命を懸けて戦おうとしていた男たちに向かって、「家族を放ったらかして死ぬのが男の仕事か」と真正面から殴りつける。

 

 言われた方は当然腹が立つだろう。屈辱だろう。しかし、その強烈な怒りと悔しさが、熱で沸騰しきっていた彼らの頭に冷水を浴びせ、結果として『死に急ぐ』という最悪の選択肢を完全に潰してみせたのだ。

 

 並の神経の十代の子供にできる芸当ではない。

 

 誰かに憎まれる覚悟。自分の言葉で他人の人生の責任の一端を背負う覚悟。それらが無ければ、あんな氷のように冷たく、それでいて熱の籠もった言葉は吐けない。

 

(……俺は、あの坊主のことをまだ何も分かっちゃいなかったのかもしれねぇな)

 

 ムウは、通信モニター越しに聞こえた『殴られないで一人前になる人間が何処に居るって言うんです?』という、ひどく大人びた、疲労感に満ちたキラの声を反芻した。

 

 あの怒りの裏側にあったのは、ただの苛立ちではない。

 

 オーブという一国の運命、そこに関わる人々の命。そして、自分自身が背負い込んでいる途方もない重圧。それらをすべて理解し、見通しているからこその、血を吐くような『警告』だったのだ。

 

「……やれやれ。お前さん、いったいどれだけのモノをその細い肩に背負い込んでやがるんだか」

 

 誰もいないコックピットで、ムウはポツリと独り言をこぼした。

 

 自らの意思で盤面を動き、怒り、誰かを守るためにあえて冷酷な鬼にすらなる。その姿は、ムウがこれまで出会ってきたどの将官よりも、痛ましいほどに『指揮官』としての孤独な責任を背負っているように見えた。

 

「ま、頼もしいっちゃあ、これ以上なく頼もしいけどな。……アイツが一人で抱え込んでパンクしちまう前に、俺たち大人が少しは気の利いたフォローをしてやらねぇとな」

 

 ムウはストライクのメインシステムをアイドリング状態に切り替えながら、静かに佇むティエレンを見つめた。

 

 規格外の天才少年が見せた、泥臭くも人間味に溢れた『怒り』。

 

 それは、鷹の異名を持つエースパイロットの胸の内に、これまで以上の深い信頼と、一人の男としての強烈な敬意を抱かせるには、十分すぎる出来事であった。

 

 

◇◇◇

 

 

 砂漠の夜風が、火照ったカガリの頬を冷たく撫でていく。

 

 カガリは荒い息を吐きながら、キラの拳が打ち下ろされた自分の頭頂部にそっと手を当てた。鈍い痛みはもう引いている。けれど、その痛み以上に、胸の奥で渦巻く得体の知れない熱と重苦しさが、消えずに残っていた。

 

(二度も……あいつは、私を殴った)

 

 人生で2人目だった。自分を殴る人間など、この世界には父であるウズミ・ナラ・アスハしかいないと思っていた。

 

 キサカでさえ、どれほど自分を止めるのに必死になっても、決して無礼な振る舞いや暴力で制することなどしなかった。

 

 だが、今、この灼熱の砂漠で再会したキラ・ヤマトという少年は、迷いなくその拳を振り下ろした。

 

 父からの愛の鞭は、いつも厳しかった。けれど、それは「危ないから」「お前を守りたいから」という慈愛に満ちた、親の権威ある手だった。

 

 キサカはどんなにカガリが理不尽な暴走をしても、軍人として、一人の大人として、決して子供扱いするような暴力は振るわなかった。

 

 だが、あの少年は違った。

 

 キラ・ヤマト。

 

 ヘリオポリスで出会い、今またこの砂漠で再会したばかりの、自分と何ら変わらない年齢の少年。

 

 彼の拳は、父のような権威でも、他人事のような冷たさでもなかった。

 

 それは、自分と同じ地平に立ちながら、自分よりも遥かに遠くを見据えている人間の、突き放すような『導き』だった。

 

(……私が、自己満足?)

 

 キラの放った言葉が、脳内で何度も再生される。

 

『君は良いさ。そうして感情に任せて自分のしたい事をしてれば、全部正しくて気分も晴れるんだからっ!!』

 

 耳が焼き切れるような屈辱。けれど、それ以上に胸に刺さったのは、その言葉が揺るぎない「事実」であることを、自分自身がどこかで理解していたからだ。

 

 カガリは、自分は「虐げられる人々を救うために戦っている」のだと信じていた。ザフトの非道を許せず、戦う仲間と共に汗を流し、バズーカを抱えて戦場へ赴く。それは確かに、彼女なりの誠実な正義だったはずだ。

 

 しかし、キラはその「正義」が、どれだけ無責任で、どれだけ独りよがりなものかを、冷酷なまでに暴いてみせた。

 

(ザフトを怒らせれば、オーブが攻撃される……。お父様が、みんなが、戦火に巻き込まれる……)

 

 キラの言葉を借りれば、自分の行いは「オーブの代表の娘」という重い立場を捨て、ただ「一人の少女」として振る舞うための甘えに過ぎなかったのかもしれない。

 

 人々の苦しみに寄り添っているつもりで、実際は、その人々を守るはずの「国家の首長」を追い詰め、危機に陥れる引き金を引こうとしていた。

 

 戦うこと、戦場に立つこと。それは、それだけで何かを成し遂げた気になる、麻薬のような高揚感があった。キラは、その薄っぺらな高揚感を、真っ向から否定したのだ。

 

「……ッ、ぐっ……」

 

 溢れてくるのは、怒りではない。

 

 自分の幼さ、無力さ、そして、自分よりも遥かに深い苦悩と責任を背負いながら、それでも自分を殴ってまで目を覚まさせようとしたキラという少年の「強さ」に対する、どうしようもない悔しさだった。

 

 見上げれば、砂漠の空には満天の星が広がっている。

 

 その星明かりの下で、カガリは自分の手のひらを見つめた。

 

 レジスタンスのバギーを走らせ、銃を撃ち、何かを守っているつもりになっていたその手は、実際には何も守れてはいなかった。

 

(私は……私は、本当に、何も分かっていなかったのか)

 

 叩かれた場所の痛みは、やがて引いていくだろう。

 

 だが、キラの拳によって、自分の内側にあった「脆い正義の殻」が砕かれたことで、カガリは初めて、泥の中に立つ自分の等身大の姿を鏡で見せつけられたような気がした。

 

 父ウズミの盾の裏側で、自分は今まで、どれだけ平和ボケした「お姫様」ごっこをしてきたのか。

 

 その事実に気づいてしまった今、もう二度と、あんな無責任な「正義」を口にすることはできない。

 

 砂嵐が吹き抜け、彼女の金髪を乱す。

 

 夜の砂漠は、昼間の灼熱が嘘のようにひどく冷え込む。

 

 タッシルの焼け跡から離れ、冷たい岩肌に背を預けながら、カガリは身を縮めるようにして膝を抱えていた。

 

 レジスタンスの男たちも、今はもう誰も猛っていない。

 

 キラが叩きつけた冷酷なまでの現実と、残された家族の存在を突きつけられた彼らは、ただ黙々と身を寄せ合い、これからの『生存』について重苦しい議論を交わしていた。

 

 カガリは毛布に包まりながら、そっと自身の頭頂部へ指を這わせた。

 

 触れると、まだ微かに熱を持っていて、鈍い痛みが走る。

 

「……痛いな、ホントに」

 

 小さく呟いたその声は、ひどく掠れていた。

 

 痛い。確かに痛い。しかし、それは決して不快な痛みではなかった。その痛みが走るたびに、カガリの脳裏には、自分を真っ向から睨みつけ、肺の底から怒声を絞り出したキラの顔が鮮明にフラッシュバックするのだ。

 

『君のその身勝手な自己満足が、どれだけ多くの人間の命を危険に晒して、取り返しのつかない事態を引き起こすか……その重さを、少しは自覚しろっ、このバカッ!!』

 

(……あいつ、本気で怒ってた)

 

 あんなにも大勢の男たちの前で、自分の掲げていた正義を「自己満足」だと一刀両断され、プライドを粉々に打ち砕かれ、あまつさえ容赦なく二度も殴られた。

 

 普通なら、屈辱で顔から火が出るほど怒り狂い、一生恨んでもおかしくない出来事だ。

 

 なのに、憎しみは微塵も湧いてこない。

 

 それどころか、キラを思い出すたびに、頭の痛みとは全く違う場所──胸の奥の、ひどく柔らかい部分が、ぎゅっと締め付けられるように疼いてやまないのだ。

 

 オーブの代表首長の娘という立場。それを知る者は皆、キサカでさえも、どこか彼女を「姫君」として扱い、決定的な場面では守り、庇おうとしてきた。腫れ物に触るような、あるいは身分をわきまえた一線を引かれた対応。

 

 だが、キラは違った。

 

 彼はカガリの身分など一切関係なく、一人の人間として、その行動の愚かさと責任の重さを、一切の逃げ道を与えずに突きつけてきた。

 

 躊躇いもなく振り下ろされたあの拳は、カガリの周囲を覆っていた「甘え」や「言い訳」という名の分厚いガラスを、木端微塵に粉砕したのだ。

 

(私を……ただの『カガリ』として、あんなに本気で叱ってくれた人間なんて……)

 

 自分を飾らない、一介の少年。

 

 それなのに、彼が背負っているものの重さや、状況を俯瞰するその冷徹なまでの理知は、到底同じ年頃の少年とは思えないほど高く、そして深い孤独を帯びていた。

 

 自分は、彼にあれほどまでの怒りと絶望を抱かせてしまったのだという申し訳なさ。

 

 それと同時に、そんな彼に『見限られず、真っ向からぶつかってもらえた』ことに対する、説明のつかない熱い感情が、カガリの胸の中で暴れ回っている。

 

「……あいつ、今頃どうしてんだろ。手、痛くなかったのかな」

 

 無意識のうちに、そんな言葉が口をついて出た。

 

 自分が殴られた側だというのに、彼の拳の痛みを心配している自分に気づき、カガリは顔を真っ赤にして両手で頬をバシッと叩いた。

 

「バカか、私は! 殴られたんだぞ! 説教されたんだぞ! なのに……っ」

 

 どうして、あいつのことばかり考えてしまうのか。

 

 目を閉じても、あの哀しそうな、それでいて全てを射抜くような深い瞳が、頭の中からどうしても離れてくれない。

 

 あの瞳に見合うだけの、本当に自分の足で立ち、責任を背負える『大人』にならなければいけないと、疼く心がひたすらに急かしてくる。

 

 見上げた夜空には、砂漠特有の凍てつくように美しい星々が瞬いていた。

 

 その星明かりの下で、カガリ・ユラ・アスハは膝に顔を埋めながら、自分の中に芽生えたこの全く新しい、痛みを伴うほどの強烈な感情──自分を躊躇なく殴りつけた少年への、熱を帯びた『執着』と『憧憬』の正体を測りかねて、ただ夜風の中で身をよじり続けていた。

 

 

 

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