やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか   作:星乃 望夢

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PHASE-05 交差するもの

 

 血のバレンタインのあの日、ユニウスセブンが核の炎に焼かれ、僕が宇宙の彼方へ向けて祈りを叫んだあの夜から。

 

 僕は、遠く離れたプラントにいるラクスと日常的に『クロッシング』をするようになっていた。

 

 それは、以前アスランと毎日交わしていたテレビ通信のやり取りと、ある意味ではひどく似ていた。

 

「おはようございます、キラ」という鈴の転がるようなモーニングコールから始まり、昼食時には「今日はちゃんとゼリー以外のお食事を召し上がりましたか?」という少し小言めいた生存確認。そして夜、眠りにつく前の「おやすみなさい」の挨拶。

 

 もちろん、物理的な端末は一切介在しない。ヘリオポリスの学生の日常と、プラントの最高評議会議長の娘としての多忙な日々。そのふとした瞬間に、まるで隣の部屋から声をかけるような手軽さで、僕たちの意識は空間の壁を透過して繋がり合っていた。

 

 最初のクロッシングは僕からラクスを求めて繋がったものだった。

 

 けれど、それ以降の今に至るまでのクロッシングは、その殆どがラクスの方から主導して繋いでくるようになっていた。彼女の中に眠っていたアコードの因子が僕の思念によって完全に覚醒し、彼女自身がその超越的な能力の制御方法を、驚異的な適応力で完全にモノにしてしまったからだ。

 

 ただ、クロッシングという現象は、電波を通じた単なる通信や通話とは根本的に質が異なる。

 

 言葉のやり取りだけでなく、互いの思考、感情の起伏、さらには視覚や聴覚、触覚といった五感の端々までを無意識のうちに共有してしまう、生々しくも危険な精神の同調なのだ。

 

 初日のクロッシングは、僕もラクスも能力の加減が全く分かっていなかった。

 

 互いの魂の防壁を完全に取っ払い、自分という個の存在の中に相手の存在そのものを直接感じ取るという、自我が融解しかねないほど深く、重いレベルでの同期をしてしまった。あの時の、悲しみも絶望も全てが混ざり合い、一つの塊として溶け合ったような感覚は、今思い出しても息が詰まるほど鮮烈だ。

 

 けれども今は、お互いにその「繋がりの深さ」の加減をある程度コントロールできるようになっている。日常的なやり取りは、頭の中に声が響き、表面的な感情の波が伝わってくる程度の、浅い『思考共有レベル』に意図的に落ち着かせていた。これなら、僕が学校で授業を受けていようが、彼女がプラントで公務をこなしていようが、日常生活に支障をきたすことはない。

 

 それはそれで、とても便利で良いことなのだけれど。

 

 一つだけ、どうにも慣れない、というよりも僕の精神的な許容範囲を軽く超えてしまう問題があった。

 

 それは、朝のモーニングコールの時や、夜ベッドに入って「おやすみ」を言う時だ。

 

 この完全にプライベートな時間帯になると、ラクスは決まって、あの初日のような『深層レベル』での深いクロッシングを仕掛けてくるのだ。

 

 思考や声だけでなく、感覚そのものが直結する。

 

 目を閉じれば、僕のヘリオポリスのベッドの感触と同時に、プラントにある彼女の天蓋付きのベッドのシルクのシーツの滑らかさが肌に伝わってくる。彼女の細い手首の体温、髪から香る甘いシャンプーの匂い。僕の寝返りを打つ布擦れの音が彼女の耳に響き、彼女の穏やかな寝息が僕の首筋をくすぐるように感じられる。

 

 自分の中にラクスという存在がすっぽりと収まっていて、同時に、ラクスの中に僕という存在が包み込まれている。境界線が曖昧になり、二つの心と身体が一つの空間に完全に重ね合わされているような、錯覚以上の生々しい体験。

 

 それは、控えめに言っても、まるでラクス・クラインという美少女と一緒に、同じベッドで抱き合って寝ているのと全く同じ状態なのだ。

 

 もちろん、彼女の深く包み込むような温もりに触れると、僕の中に澱のように溜まっている不安や恐怖は嘘のように溶けてなくなり、これ以上ないほどの絶対的な安心感を与えてくれる。僕が夜中に悪夢を見てうなされそうになっても、彼女が内側からそっと背中を撫でてくれるだけで、僕は再び穏やかな眠りにつくことができる。

 

 でも、それとこれとは話が別だ。

 

 夜の静寂の中、互いの心音の重なりまで聴こえるほど密着した深層クロッシングで、「今日も一日お疲れ様でした。ゆっくりとおやすみなさいませ、キラ……」なんて、あのとろけるように甘く優しい声と体温を直接脳髄と肌に注ぎ込まれれば、どうしたって動揺してしまう。

 

「……あ、あのさ、ラクス。その、もうちょっと浅く繋がるだけじゃ、ダメかな……?」

 

『あら? キラは、わたくしを感じるのはお嫌ですか?』

 

「嫌じゃない! 嫌じゃないけど……! その、色々と感覚が近すぎて、ちょっと……いや、かなり恥ずかしいというか……」

 

 僕が布団を頭まで被って赤面しながら訴えても、彼女は僕のその照れや動揺すらも心地よい波として受信しているらしく、くすくすと柔らかく笑うだけだ。

 

『ふふっ。わたくしは、キラが側にいてくださると、とても安らぎますわ。……だから、どうかこのままで。ダメ、でしょうか?』

 

 そう言って、意識の中でさらに僕に寄り添い、ぎゅっと抱きついてくるような感覚を送ってくるのだから、本当に性質が悪い。完全に僕の扱い方を理解し、僕が絶対に拒絶できないことを知った上で甘えてきているのだ。

 

 こんな毎晩毎晩、プラントの歌姫と感覚を共有した疑似同棲(しかも同衾)状態を強いられていたら、世界がどうこうなる前に、僕の理性が別の意味で爆発してしまうんじゃないかと、本気で心配になる日々だった。

 

 僕だって一応男なんだよラクス!

 

 

◇◇◇

 

 

 ラクスにとって、キラと日常的に交わすクロッシングという名の深層精神の同期は、決して「アスランが居ないからダメ人間になりかけている彼を、親友に代わって介護し、支えてあげよう」といった、献身的で自己犠牲的な母性のみから来ているわけではなかった。

 

 確かに、キラ・ヤマトとラクス・クラインという二つの存在は、彼が記憶している『正史』という名の定められた運命においては、最終的に結ばれるべき関係にあるのかもしれない。

 

 しかし、それが仮に「世界の都合」や「物語の終着点」であったとしても。今、この果てしない憎しみの連鎖が続くコズミック・イラという現実の時空を生きている自分達は、本来の運命の導き──宇宙を漂流する脱出ポッドとそれを救助したストライクという劇的な邂逅──とは全く異なる、イレギュラーな縁によって結ばれている。

 

 彼の、アスランを想うあまりに放たれた慟哭。それに共鳴してこじ開けられた、アコードという未知の因子。

 

 それは誰かに書かれたシナリオではなく、互いの魂が物理的な距離を無視して直接手を伸ばし合った結果生み出された、この世界でただ一つだけの、絶対的な「私たちの意志」 だった。

 

 この、血を血で洗い、憎しみがさらなる憎しみを生む終わらない明日へと続く狂った世界にあって。言葉を交わすだけでなく、痛みも、恐怖も、そして温もりも、その全てを魂の次元で繋がりながら共有出来る相手がすぐ側に居るという事実は、ラクスにとっても何にも代えがたい救いとなっていた。

 

 キラとのクロッシングを通じて、ラクスは自らの歩むべき未来の断片を垣間見てしまった。

 

 歌姫という平和の象徴を脱ぎ捨て、エターナルの艦長席に座り、自ら戦火の只中へと赴く己の姿。あるいは、さらに先の未来──世界平和監視機構『コンパス』の初代総裁として、全人類の業をその細い肩に背負い、冷徹なまでの決断を下し続ける己の姿を。

 

 どれほど未来の自分が凛とした芯の強さを持ち、揺るぎない象徴としての外見を取り繕えていたとしても。今のラクス・クラインは、プラントの温室で花を愛で、平和を祈って歌を歌うことしか知らなかった、まだほんの十五歳の少女でしかないのだ。

 

「……本当に、わたくしにそのような大役が務まるのでしょうか」

 

 夜の静寂の中、一人ベッドの上で膝を抱える時、どうしようもない不安と恐怖が彼女の胸を締め付ける。

 

 自分の選ぼうとしている道は本当に正しいのか。争いを止めるために武力を行使するという矛盾した己の行動に、正当性や正確性は担保されているのか。たった一度の決断のミスが、何万、何十万という命を散らすことになるかもしれないという重圧。

 

 その恐怖に押し潰されそうになるメンタルを回復させるための、ただ一つの絶対的な「安全圏」が、キラとのクロッシングだった。

 

 彼と繋がり、その心に触れている時だけは、未来の「象徴」でも「総裁」でもなく、ただの「ラクス」という一人の弱く怯えた少女でいることが許された。彼の持つ絶望と後悔に寄り添いながら、実はラクス自身もまた、彼の優しさと温もりに徹底的に甘え、癒やされていたのだ。

 

 そしてもう一つ。毎朝のモーニングコールと、毎晩の就寝時にあえて仕掛ける「深層レベルのクロッシング」には、ラクスなりの極めて個人的で、十五歳の少女らしい強烈な意図が隠されていた。

 

 言ってしまえば、今この世界で生きているキラは、十五歳の心身共に健康な男の子である。

 

 ヘリオポリスの学生生活において、彼が他の誰かに靡かないという保証はどこにもない。彼の記憶の断片には、赤毛の少女との歪で悲しい関係性の顛末も刻まれていた。彼が孤独と恐怖に耐えきれず、そうした身近な存在に慰めを求めてしまう可能性は十分にあり得るのだ。

 

 だからこそ、ラクスは無意識を装いながら、極めて戦略的に、そして情熱的に彼との繋がりを深めていた。

 

 視覚、聴覚、触覚、そして嗅覚に至るまで。自分の肌の柔らかさや、シーツの擦れる音、シャンプーの甘い香り、そして彼を包み込む絶対的な愛情の波動を、毎晩毎晩、彼の脳髄の最も深い部分に直接、これでもかというほどに刻み込んでいるのだ。

 

「ふふっ……わたくしを感じて、赤面していらっしゃるキラも、とても可愛らしいですわ」

 

 自分と彼が、まるで同じベッドで抱き合って眠っているかのように錯覚させる深層同期。

 

 彼が自分の存在の近さに動揺し、恥ずかしがっているのを如実に感じ取りながら、ラクスは内心で小さく、小悪魔的な笑みをこぼしていた。

 

 彼が他の女の子に目を向けようとした時、無意識のうちに「ラクスの匂い」や「ラクスの体温」の記憶がフラッシュバックして、誰にも触れることができなくなるくらいに。彼の心の最も柔らかい部分を、物理的な距離を超えて完全に独占し、甘い鎖で縛り付けておくための、意図的なアプローチ。

それは、「いずれ結ばれる運命だから」などという高尚で無機質な理由ではない。

 

「わたくしが、キラを誰にも渡したくないからですわ」

 

 世界の運命の定めなど、決して関係はない。

 

 これはわたくし自身の意思であり、わたくしが彼を選び、彼を愛し抜くための、わたくしだけの戦いなのです。

 

 その確固たる独占欲と、一人の少女としての愛おしい我儘を胸に秘めながら、ラクス・クラインは今夜もまた、遠い宇宙の彼方で丸まっている愛しい少年を、その精神の奥底から甘く、深く、徹底的に抱きしめるのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ヘリオポリスのシステムネットワークは、文字通り完全に僕の箱庭と言っても過言じゃない。

 

 スーパーコーディネイターとしての並外れた情報処理能力と、前世の知識という俯瞰的な視点。その二つを掛け合わせれば、モルゲンレーテ社が敷いた堅牢なファイアウォールでさえ、少し手のかかるパズルゲーム程度の意味しか持たなかった。

 

 この箱庭の裏口からオーブ本国のシステムネットワークに侵入し、国家機密の深淵を覗き見ることは容易いし、やろうと思えばそこを経由して再び大西洋連邦の軍事ネットワークの中枢へアクセスすることだって十分に可能だ。

 

 けれども、あの『血のバレンタイン』で己の無力さと世界の裏側に潜む怪物の気配を悟って以来、僕は大西洋連邦の軍事ネットワークへのハッキングを完全に封印している。

 

 あんな危ない橋を渡って『一族』や『ロゴス』といった闇の組織に目を付けられれば、最悪の場合、僕だけではなく、僕を愛し育ててくれた両親──ハルマ父さんとカリダ母さんまで血みどろの陰謀に巻き込んでしまう。それだけは絶対に避けたかった。

 

 それでも、オーブのネットワークへのアクセスだけは、息をするように密かに続けていた。

 

 情報の優位性こそが、今後の生存戦略において最大の武器になるからだ。

 

 それこそ、この平和を偽装したヘリオポリスの最奥、モルゲンレーテの極秘区画で、大西洋連邦のG兵器開発計画──GAT-Xシリーズが着々と形になりつつあるデータはとうに押さえている。そして、オーブという国家がそれを単なる下請けとして甘んじて受けているわけではなく、連合の技術をちゃっかりと盗用──もとい吸収し、隠れ蓑にして『プロトアストレイシリーズ』のフレームを極秘裏に開発しているという事実も。

 

 さらに深く潜れば、オーブ本国のアカツキ島の地下深くで、オノゴロの防衛を担うであろう黄金のモビルスーツ『アカツキ』の基礎設計が既にスタートしているというログまで残っているのだ。国家機密というものは、どれほど秘匿しようとも、開発資金の動きや特殊資材の調達ルートといった物理的なログとして必ずネットワークの海に漂うものである。

 

 そんな水面下のきな臭さを横目に、僕はラクスとのクロッシングという精神的な安らぎを得ながら、表向きは変わらずヘリオポリスのカレッジに通うしがない学生を演じている。

 

 最近、ゼミのカトー教授が僕に「ちょっと見てくれないか」と持ち掛けてくる『頼み事』の数々。渡されるのは常に断片的なシステム要項や不自然なほど細分化されたプログラムのモジュールばかりで、全体像は意図的に隠されている。

だが、僕の目から見れば、これが何のためのプログラムかは火を見るより明らかだった。

 

(多分これ、ストライクに積まれるGの基礎OSのモジュールだ……)

 

 地球連合軍が開発しようとしている、ナチュラル用のモビルスーツ操縦OS。その根幹部分の構築を、あろうことか敵対種族であるコーディネイターの学生(しかも最強の個体)に無自覚に外注しているという、あまりにも皮肉で滑稽な構図。

 

 原作アニメの第1話で、炎上するコロニーの中でジンに襲われながら、キラ・ヤマトが「こいつ……動くぞ!」ならぬ神業タイピングで、伝説の早口呪文と共にストライクのOSを一瞬で書き換えるあのシーン。

 

 ──あんな長台詞を叫びながら、被弾の恐怖と隣り合わせの極限状態で、複雑怪奇なOSを書き換えるなんていう真似。前世の記憶を持ったただの面倒くさがり屋の僕に、実際に本番一発勝負で出来るかなんて全く自信がない。万が一タイピングをミスしてストライクが起動しなかったら、その瞬間に僕もマリューさんもジンの重斬刀でミンチにされてゲームオーバーだ。

 

 だからこそ、普段ならいかに手を抜くかしか考えていない筋金入りの怠け者の僕が、今は珍しくゼミの課題(という名のG兵器OS開発の手伝い)に真摯に取り組んでいる。親友のトールに「お前がそんなに真面目にPCに向かってるなんて、明日はヘリオポリスに雪でも降るんじゃないか?」と本気で心配される程度には、異常事態だ。

 

 だが、僕が本当に心血を注いで構築しているのは、モルゲンレーテの未完成なポンコツOSの修正なんかじゃない。

 

 本当の意味で「ナチュラルでもMSを思いのままに動かせるようになる」全く新しいアーキテクチャ。

 

 それが『TC-OS』──「タクティカル・サイバネティクス・オペレーティング・システム(Tactical Cybernetics Operating System)」、即ち「戦略的動作思考型OS」である。

 

 前世で熱中したゲーム『スーパーロボット大戦』シリーズに登場するパーソナルトルーパーに採用されていた、あの革新的なシステムを、コズミック・イラの演算技術と僕のスーパーコーディネイターの頭脳で構築したOSだ。

 

 このOSの真髄は、「パイロットの反射神経や身体能力に依存しない」という点にある。

 

 パイロットが操縦桿とペダルで大まかな「行動(前進、回避、射撃、格闘)」を選択すると、TC-OSが瞬時に自機と敵機の距離、相対速度、周囲の地形データを割り出し、機体に予め登録された数万パターンにも及ぶ「モーションデータ」の中から、その状況における最適解を自動で選択し、流れるように実行に移す。

 

 これにより、操縦プロセスは劇的に簡略化され、ナチュラルの脳の処理速度でも機体を自在に操ることが可能になり、パイロットの負担は極限まで軽減される。

 

 さらに、状況に応じてマニュアル操作でモーションパターンの種類の選択や優先順位をリアルタイムで変更・アレンジすることも可能。パイロットの操縦の癖や戦術の好みに合わせて、システム自体が学習し、モーションパターンを微調整していくという、極めて汎用性と拡張性の高い自己進化型のオペレーティングシステムなのだ。

 

 地球連合軍が莫大な予算をかけて構築しようとしている「ナチュラルの神経系を無理やり機械の挙動に合わせる」という力技とは根本から異なる、真の兵器用OS。コーディネイターなんて概念が存在しない世界で、人類の剣たる人型機動兵器を運用するために生み出されたその至高のシステムを、僕は自室の暗闇の中で一人、ひっそりと組み上げていた。

 

 膨大なモーションサンプリングデータと学習に関しては、僕の部屋のデスク周りを改造し、スロットルレバーやフットペダル、マルチモニターを増設した即席の「シミュレーター環境」を通じてテストを繰り返している。

 

 だが、机上の空論はどこまで行っても空論でしかない。

 

 実際の物理演算、無重力空間での慣性制御、AMBACの作動テストなどは、実機を用いた宇宙空間での環境動作テストでしか確かなデータを得ることはできない。

 

 では、一介の学生に過ぎない僕が、どうやって自作のモビルスーツ用OSの実機テストを行っているのか。

 

 SEEDの本編アニメだけを見ていると、この世界の宇宙はどこか寂しげで、戦闘宙域ばかりが映し出され、人の営みを感じにくい殺伐とした空間だという印象を抱きがちだ。宇宙世紀のように数え切れないほどのスペースコロニーが密集し、スペースノイドたちの巨大な経済圏が構築されているような描写は少ない。

 

 けれども、『SEED MSV』や『機動戦士ガンダムSEED ASTRAY』シリーズといった拡張世界に目を向ければ分かる通り、コズミック・イラの宇宙も決して無機質な真空の荒野ではない。

 

 巨大な月面都市群が存在し、民間企業や中立組織が運営する宇宙ステーションが交通の要衝として各宙域に点在し、遠く火星にはマーシャンと呼ばれる入植者たちさえいる。木星開発や木星船団のような極地開拓に関しては宇宙世紀に一日の長があるかもしれないが、それでもこのC.E.の宇宙には、逞しく生きる民間人たちの熱気と経済活動が確かに存在しているのだ。

 

 だからこそ、今の僕には「モビルスーツに乗る」という裏技的な手段が用意されていた。

 

 それは、週末の休日を利用して民間宇宙ステーションに赴き、あらゆる機械の修理とサルベージを生業とする『ジャンク屋組合』が管理している区画へ、アルバイトとして潜り込むことだった。

 

 ジャンク屋組合のネットワークは国家の枠組みを超えており、そこではザフトの汎用量産機である『ジン』のジャンク品が、工業的なコピーの容易さもあって大量に流通している。それらを武装解除し、クレーンやウィンチを取り付けて民間の土木作業用にレストアした『ワークスジン』という機体が、作業用重機として普通にレンタルされているのだ。

 

 週末になると、僕は遊びに行こうと言うトールを巻き込んで、ヘリオポリスを出港する定期シャトルに乗っていた。

 

トールは最初は「なんで休日にわざわざコロニーの外へ……」と渋っていたが、男の子特有の機械への好奇心と、ヘリオポリスの閉鎖空間から抜け出せるという解放感から、今では僕以上に週末の小旅行を楽しみにしている節がある。

ヘリオポリスからシャトルに揺られること数時間。

 

 無数のデブリや廃コロニーの残骸を縫うようにして進んだ先にある、ジャンク屋組合が運営する巨大なステーションのドック区画。オイルとオゾンの焦げた匂いが充満するその騒がしい空間に足を踏み入れると、いつもの快活な声が僕たちを出迎えてくれる。

 

「おう! また来たのかキラ! トールもいらっしゃい!」

 

「はい。今日もお世話になります、ロウさん」

 

 頭に青いバンダナを巻いた赤髪の熱血メカニック。彼こそが、ジャンク屋組合の若き天才にして、後に『アストレイ レッドフレーム』のパイロットとして歴史の裏側を駆け抜けることになる男──ロウ・ギュールだ。

 

 僕はここで、偶然にも彼と出逢うという強烈な運命の引き寄せを経験した。そして、持ち前のスーパーコーディネイターとしての電子工学の知識をフル活用して彼のジャンク稼業を手伝い、急速に親睦を深めつつ、アルバイトとしてジャンク屋のコミュニティにちゃっかりと入り込んでいたのだ。

 

 ここでは、ザフト軍から流れてきたジンのジャンク品が山のように積まれ、日々解体と再構築が繰り返されている。

 

 ジャンク屋組合には、ロウの相棒である冷静沈着なリーアム・ガーフィールドさんのように、プラントの政治的対立から距離を置いたコーディネイターたちも少なからず所属している。そのため、彼らコーディネイターの身体能力に合わせてチューンされた、本物のジンと遜色ないレスポンスを持つ作業用の『ワークスジン』が何機も稼働可能な状態で鎮座していた。

 

 僕はそのレンタルのワークスジンを「作業効率の向上のため」という名目で借り受け、実際にコックピットに座って本物のモビルスーツの操縦感覚を身体に叩き込んでいる。

 

 そして、それだけではない。

 

 機体のシステムの中枢に、僕が自室で組み上げたあの『TC-OS』のテストバージョンをぶち込み、本物の無重力空間での挙動データとAIの学習ログを収集しているのだ。さらに、その仕上げとして、生粋のナチュラルであるトールやロウさんにコックピットに座ってもらい、実際に機体を動かして手触りやレスポンスを確かめてもらっている。

 

「うおおおっ!? な、なんだこれ! 俺、今MS歩かせてるぞキラ! しかもすっげぇスムーズに!」

 

「マジかよ……このOSの論理ツリー、どうなってんだ!? パイロットの操作を先読みして、一番無駄のない姿勢制御のパターンを機体が勝手に繋ぎ合わせてるのか……。キラ、お前本当に学生か!?」

 

 コックピットの中で興奮の声を上げるトールと、モニターのソースコードを食い入るように見つめながら戦慄するロウさん。

 

 このOSの核心部分に関してだけは、絶対に外部に漏らさないでほしいと内緒にしておくよう念を押せば、彼らは決してペラペラと他人に喋るような底の浅い人間ではない。だからこそ、僕は彼らを信じてテストパイロットを任せている。

 

 そして、その光景を少し離れた場所から見ていたリーアムさんは、いつものクールな表情を完全に崩し、信じられないものを見るような目で絶句していた。

 

 ナチュラルが、コーディネイター専用のOSが積まれていたはずのジンを、まるで手足のように滑らかに操っている。それがどれほど軍事常識を覆す異常な光景であるかを、優れた知能を持つ彼が理解できないはずがないのだ。

 

 ただ、僕の中で一つだけ懸念があるとすれば。

 

 ロウさんたちを見守っている謎多き人物──『プロフェッサー』の存在だ。

 

 彼女はオーブのモルゲンレーテ社でアストレイの開発主任を務めるエリカ・シモンズさんと深い繋がりがある。もしプロフェッサーが、僕の持ち込んだTC-OSによってナチュラルが動かしているワークスジンのデータを入手し、その異常性に気づいてしまった場合、彼女がその事実をどう捉え、モルゲンレーテ側にどう報告するかは僕にも予測しきれない。

 

 だが、それでも構わない。

 

 僕は強烈な焦燥感に背中を押されるようにして、キーボードを叩く指を加速させる。

 

 いずれヘリオポリスは戦火に包まれ、崩壊するかもしれない。あの地獄のような時間がやってきた時、ストライクのコックピットに座るだろう僕が、あるいは僕の代わりに機体に乗り込むかもしれない誰かが、生き残るための絶対的な『力』が必要なのだ。

 

 プラントで母の死に悲しみ、軍服に袖を通すであろう親友と、血みどろの殺し合いをせずに済むだけの、圧倒的で暴力的とも言えるまでの余裕を手に入れるために。

 

 僕は今日という平和な一日すらも、来るべき破滅を生き抜くための仕込みの時間として消費し続けている。

 

 

◇◇◇

 

 

 トール・ケーニヒは最初、同じゼミの友人の言葉を耳を疑うような半信半疑の思いで聞いていた。

 

「モビルスーツに乗るアルバイトがあるんだけど、一緒に行ってみない?」

 

 いつもなら休日は部屋でゴロゴロしているか、誘っても生返事しかしない筋金入りの面倒くさがり屋であるキラ・ヤマトが、珍しく自分から目を輝かせて持ち掛けてきたのだ。しかも、その内容が「MSに乗る」などという、ヘリオポリスのしがない学生にとってはSF映画か悪い冗談にしか聞こえないような代物だったからだ。

 

 だが、トールにはその怪しげな誘いに乗らざるを得ない、切実かつ思春期の男子としては極めて重要な理由があった。

彼にはミリアリア・ハウという、可愛くて元気な自慢の彼女がいる。同世代の遊び盛りの同級生たちと比べても、デート代やちょっとしたプレゼント、おしゃれなカフェでの食事など、なにかと財布から出て行くものが多いのだ。

 

 それに何より、男の甲斐性として、デートのたびに彼女に割り勘でお金を出させたり、親から貰ったお小遣いの範囲内でしかエスコートできないというのは、トールのプライドが許さなかった。彼女の前では、いつだって余裕のあるカッコいい彼氏でいたい。だからこそ、割の良さそうなキラの誘いを「まぁ、キラが言うなら騙されたと思って行ってみるか」と引き受けたのだった。

 

 そうして足を踏み入れた民間ステーションのジャンク屋組合の区画は、トールの価値観を大きく揺さぶった。

 

 そこでは、ニュース映像の中で火線を交え、連合のMAや戦艦を破壊する「恐ろしい戦争の道具」であるはずのモビルスーツが、全く違う顔を見せていたのだ。

 

 油とオゾンの焦げる匂いが充満するドックで、黄色に塗装されたワークスジンが巨大なコンテナを軽々と運び、宇宙空間での溶接作業をこなしている。ジャンク屋たちからすれば、MSは決して殺人兵器などではなく、人間の手足をそのまま拡張したような「人の様に動ける便利で巨大でパワーのある船外宇宙作業機械」であり、日々の糧を得るための頼もしい仕事道具として扱われていた。

 

 その光景は、トールの中のMSに対する恐怖心を拭い去るのに十分だった。さらに言えば、MSの操縦や作業補助のアルバイトは、危険が伴う分だけ学生の小遣い稼ぎとしては破格の金額を叩き出してくれた。

 

 だが、トールが本当に驚愕したのはそこからだった。

 

 遺伝子操作を受けていない「ナチュラル」である自分が、MSなどという複雑極まりない機体を動かせるわけがない。最初はそう思っていた。実際、普通のワークスジンのコックピットに座らせてもらった時は、無数にある計器とペダルの意味すら分からず、機体はピクリとも動かなかった。

 

 ところが、キラがワークスジンのコックピットに乗り込み、コンソールのキーボードで信じられないような速度で何かのプログラムを走らせた『その機体』でだけは、まるで魔法にかけられたように機体を動かすことが出来たのだ。

 

 操縦桿を握り、ペダルを踏み込むだけで、鋼鉄の巨体がトールの思考を先読みしたかのように滑らかに、そして正確に手足となる。自分がまるで巨大なロボットアニメの主人公にでもなったかのような、圧倒的な全能感と高揚感。

 

「すっげえ……! なんだよこれ、キラ! 俺、MS動かしてるぞ!」

 

 コックピットの中で興奮冷めやらぬトールに対し、キラは作業後の休憩中、缶ジュースを握りしめながら、誰にも聞かれないように声を潜めて重大な秘密を打ち明けた。

 

「……絶対に内緒にしてほしいんだけど。僕、実はコーディネイターなんだ。それで……ナチュラルでもMSを動かせるような新しいOSを作って、さっきの機体に組み込んだんだよ」

 

 その告白を聞いた瞬間、トールは目を丸くして固まった。

 

 オーブは中立国であり、国家理念としてナチュラルとコーディネイターを区別しない。だからこそ、ヘリオポリスにもコーディネイターは数多く暮らしており、日常的に彼らと接しているトールにとって、キラがコーディネイターであること自体は、そこまで嫌悪感や偏見を抱くような事実ではなかった。

 

 むしろ、「あー、なるほど。だからあいつ、いつも授業中寝てるくせに、テストは余裕で満点だったり、ゼミの面倒な課題も瞬殺で終わらせてたのか」と、今まで感じていた友人の『理不尽なまでの優秀さ』に対する辻褄が完璧に合い、妙に納得してしまったほどだ。

 

 だが、いくら優秀なコーディネイターだからといって、「一介の学生が、コーディネイターにしか動かせないはずのMSをナチュラルでも動かせる様にするMSオペレーティングシステムを個人で開発した」などというのは、納得の範疇を完全に超えている。

 

 キラがどれほど規格外の才能を隠し持っていたのか。そして、そのチート染みた頭脳で、こんなとんでもない代物を一人で作り上げていたという事実に、トールは改めて背筋に冷や汗が伝うのを感じた。

 

 しかし、それと同時に、トールの胸の奥底には静かな熱いものが込み上げていた。

 

 これほどまでに巨大で、ともすれば国家の軍事バランスすら覆しかねない危険な秘密。

 

 それを、キラは自分に打ち明けてくれたのだ。

 

「絶対に内緒だからね」と念を押す友人の瞳には、怯えと、そしてトールに対する絶対的な信頼が宿っていた。

 

 いつもは面倒くさがり屋で、誰かの後ろに隠れているようなおとなしい親友が、自分という人間を信じ、心の一番奥深くにある扉を開いて招き入れてくれたのだ。

 

「……ああ、分かってるよ。誰にも言うかよ、こんなヤバい話」

 

トールは、ミリアリアの彼氏としての誇りとはまた違う、男同士の『親友』としての熱い誇りを胸に抱きながら、力強く頷いた。

 

 キラが色々と心を拓いてくれたことが、純粋に嬉しかった。そして、この途方もない才能を持ちながらもどこか危うっかしい友人の秘密を、自分だけは絶対に守り抜いてやろうと、星空を見上げながら密かに固く決意したのだった。

 

 

 

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