やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか   作:星乃 望夢

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PHASE-71 蠢く策謀

 

「後退しただと!?」

 

 プラント最高評議会議長、パトリック・ザラの怒号が、重厚な造りの執務室の空気をびりびりと震わせた。

 

 その声音には、単なる作戦の頓挫に対する怒りを超えた、到底受け入れがたい現実に対する激しい拒絶が混じっていた。

 

「は、はっ……! げ、現場指揮官の判断により、アラスカ攻撃部隊は作戦の継続を不可能と認定。現在、攻撃を完全に中止し、海岸線の回収ポイントへ向けて後退中とのことです……ッ!」

 

 報告に立った通信参謀は、パトリックから放たれる射殺さんばかりの眼光に射すくめられ、顔面を蒼白にしながらしどろもどろに言葉を紡いだ。

 

 ザフト軍のエリートたる彼にとってすら、現在の戦況報告は自らの正気を疑うほどに理解し難いものだったのだ。

 

「何故だ! 地上の防衛施設も、対空砲火も、レーダー網も、最初の大質量爆撃で全て潰しておいたはずだ! その上で我が軍の総力を挙げた精鋭部隊を投入して、何故敗ける!!」

 

 デスクを叩き割らんばかりの勢いで拳を振り下ろしたパトリックの怒声に、参謀はビクッと肩を跳ねさせた。

 

「そ、それが……空挺降下によって飛来した大西洋連邦の新型量産MS部隊の増援と、地下から無尽蔵に湧き出したユーラシアの基地守備隊『ティエレン』による挟撃を受け、これ以上の交戦は部隊の全滅を招くと判断し、やむなく後退した、と……」

 

「くっ、忌々しいナチュラル共めっ……! 映像記録はあるのだろうな!?」

 

「は、はっ! ただいまっ!」

 

 参謀が震える指でコンソールを叩くと、執務室の壁面を覆う巨大なホログラムスクリーンに、アラスカ前線の偵察機や後退するモビルスーツのガンカメラが捉えた、地獄のような戦場の映像が投影された。

 

 パトリック・ザラは、屈辱と怒りに顔の筋肉を引き攣らせながら、その映像を食い入るように見つめた。

 

 スクリーンに映し出されていたのは、ザフトが誇る軍団が、二つの全く異なる思想を持つ兵器群によって『蹂躙』されているという、悪夢のような光景だった。

 

 映像の中心、泥濘のクレーター地帯には、数十機にも及ぶ緑の巨神──『ティエレン』が分厚い脚部シールドを何重にも連ね、文字通りの『動く巨大陣地』を形成していた。

 

 さらに驚くべきことに、ザフトの降下部隊が布陣していたはずの後方陣地までもが、地下のトンネルを通って背後に回り込んだ別のティエレン部隊によって完全に占拠され、前後から300mm大口径砲と200mm滑腔砲の猛烈な十字砲火を浴びせかけているのだ。

 

 そして、その弾幕の雨の合間を縫うようにして、大西洋連邦の細身の新型量産機──『ストライクダガー』が、ナチュラルが操縦しているとは到底思えないほどの軽やかな三次元機動で戦場を駆け抜け、苛烈なビームライフルの連射でザフト側のジンやバクゥを滅多撃ちにしている。

 

 動かざる鉄の壁であるティエレンが「金床」となり、高機動で飛び回るストライクダガーが「ハンマー」となる。

 

 地球連合軍の中で対立していたはずの二大国家の兵器体系が、極限の戦場において悪魔的なまでのシナジーを生み出し、ザフト軍を完全にすり潰すための処刑場を完成させていた。

 

 映像の中で、ザフトの現場指揮官が下した苦渋の決断が展開されていく。

 

 彼らは、装甲が厚すぎて倒すのに時間がかかるティエレンを完全に無視し、一撃でもビームを当てれば撃破できる『ストライクダガー』の一点へ向けて、残存兵力の全火力を集中させた。

 

 装甲の薄いストライクダガーの数機が爆散し、完璧だった連合の包囲網に、ほんのわずかな亀裂が生じる。

 

 その一瞬の隙を突くように、アラスカ沿岸で待機していたボズゴロフ級潜水艦艦隊が、VLSを開放。何十発もの長距離巡航ミサイルが空を切り裂き、ティエレンの要塞陣地とストライクダガーの部隊のど真ん中へと着弾した。

 

 凄まじい爆発と、視界を完全に遮る濃密な黒煙と炎の壁。

 

 それは敵を倒すための攻撃ではなく、味方を逃がすためだけに張られた決死の雷撃支援であった。

 

 その炎のトンネルを潜り抜けるようにして、ジン、ディン、バクゥといったザフトのモビルスーツ群が、泥と煤に塗れながら、我先にと後方の海岸線へと逃げ延びていく。

 

 その後ろ姿を、煙を突き破って現れたティエレンの不気味なモノアイが睨みつけ、無慈悲な滑腔砲の追撃が数機のジンを背後から撃ち抜いてスクラップへと変えていく。

 

 追い縋る鈍重なティエレンの追撃を、足の遅いザウートやゾノを文字通りの「捨て駒」にして時間を稼ぎ、どうにか振り切りながら後退していくザフト軍。

 

 いや、それはもはや戦術的な後退などではない。

 

 完璧な奇襲と大質量爆撃をもって必勝を期したはずの『オペレーション・スピットブレイク』の、大惨敗と完全なる「敗走」の光景が、ただそこには冷酷に広がっていたのである。

 

 

◇◇◇

 

 

「も、持ち堪えた、だと……バカなっ!?」

 

 光の届かない冷たく暗い北極海を、逃げるように潜行する大西洋連邦潜水艦。そのプライベートキャビンに、ロード・ジブリールの裏返ったような驚愕の叫びが響き渡った。

 

 手の中で弄んでいた高級なブランデーのグラスが床に叩きつけられ、琥珀色の液体とガラスの破片が無惨に散らばる。

 

「碌なMSも残っていなかったはずだぞ! あそこには旧式の戦車と、ストライクダガーしか置いていなかった! ザフトの総戦力を前に、残飯同然の守備隊が一体どんな魔法を使ったというのだ!?」

 

 血走った目で詰め寄るジブリールに対し、報告に訪れた側近の将校は、顔面を蒼白にしながら震える声で信じ難い事実を告げた。

 

「そ、それが……ユーラシア連邦の残存駐留部隊が、あろうことか地下の格納庫でその場にあるパーツから『ティエレン』を次々と組み立て、要塞陣地を即席で構築し、ザフトの猛攻に応戦したとか……!」

 

「ティエレン……だと!?」

 

 ジブリールの顔から、一瞬にして怒りの赤みが引き、土気色の屈辱へと染まり上がった。

 

 よりにもよって、あの薄汚い鉄屑か。

 

 忌々しい『コーディネイター』である一人の少年が作り上げたOSで動く、あの無骨な鉄の案山子が、ザフトの総戦力の猛攻を耐え凌ぎ、あまつさえ撃退したというのか。

 

 それは「青き清浄なる世界」を掲げるブルーコスモスの盟主たるジブリールにとって、思想の根幹を否定される完全なる敗北であった。ナチュラルの聖域であるはずの地球軍最高司令本部が、コーディネイターの知恵と技術によって守り抜かれたのだ。これほどの屈辱があろうか。

 

「如何なさいますか? ジブリール様……」

 

 側近が、おずおずと先の指示を仰ぐ。このままでは、総司令官でありながら部下を囮にして真っ先に逃げ出したという事実だけが、地球軍の歴史に醜悪な汚点として刻まれてしまう。

 

「如何も何もあるかッ!」

 

 ジブリールは苛立たしげに自身の髪を掻き毮り、血の滲むような声で吠えた。

 

「ヘブンズベースに到着次第、この潜行は『司令部機能の安全な移転と、敵の目を欺くための極秘の戦略的措置』であったと公式に発表して説明しろ! 情報統制を徹底し、私が逃げたなどという世迷言を口にする者は即刻処分だ!」

 

「は、はっ! しかし、防衛に成功したアラスカの処遇は……」

 

「この際、アラスカはアズラエルにくれてやっても構わんッ!!」

 

 ジブリールは忌々しげに吐き捨てた。

 

 アラスカはユーラシア連邦の裏切者共の鉄案山子によって「救われてしまった」のだ。

 

 あそこにのこのこと戻れば、彼らの政治的発言力が増長するだけであり、自分の居場所はない。

 

 ならば、自分は手付かずの戦力と資本が眠る絶対聖域・ヘブンズベースを新たな本拠地とし、そこから再び世界を裏で操れば良い。

 

 だが、どれだけ政治的な理屈を取り繕おうとも、腹の底で煮え滾るこのドス黒い憎悪の炎だけはどうしても消し去ることができなかった。

 

 この泥沼の戦況も、兵器開発の狂いも、自らの政治的失態も。

 

 すべては、あの中立国にいるたった一人の「イレギュラー」が生み出した、あの緑色の悪魔のせいだ。

 

 あいつさえいなければ。あのOSさえ存在しなければ。ザフトも、地球軍も、もっと自分たちの書いた美しいシナリオ通りに動いていたはずなのだ。

 

 屈辱に顔を醜く歪めながら、ジブリールは深海の暗闇に向かって、絞り出すような怨嗟の声を上げた。

 

 それはもはや人間の声ではなく、怒りと憎悪で腹を割かれた悪鬼の咆哮であった。

 

「おのれぇ……ッ! おのれおのれおのれおのれッ!!」

 

 潜水艦の冷たい金属壁が、その呪詛を反響させる。

 

「キラ・ヤマトォォォォォォォォォォォ!!!!」

 

 

◇◇◇

 

 

「あっはははははははは!! あははははははははは!!」

 

 パナマ基地地下私室。ムルタ・アズラエルの腹を抱えた爆笑が響き渡った。

 

 高級な調度品に囲まれた空間で、彼は涙目になりながら到底笑いなど堪えきれないといった様子で肩を震わせている。

 

 彼にとって、この報告はまさに『極上の喜劇』であった。

 

 自分が遣わせたヘブンズベースからの『増援部隊』たるストライクダガーの編隊。

 

 アズラエル自身、彼らが間に合うなどとは微塵も思っていなかった。あれはただのポーズだ。

 

 大西洋連邦の軍需産業を牛耳るロゴスの盟主として、「私は同胞の危機に際して、迅速に最新鋭機を救援に向かわせた」という政治的なアリバイ作りのためだけに空へ放り投げた、いわば見栄えの良い供物である。

 

 ところが、どうだ。

 

 そのアリバイ作りの部隊が到着するまで、あの質量爆撃で完全に地表を吹き飛ばされ、対空網も指揮系統も蒸発したはずのアラスカ基地守備隊が、ザフトの猛攻を『持ち堪えた』というのだ。

 

 しかも、到着したストライクダガー部隊はさしたる決定的な働きもせず、なんとその場に居合わせたユーラシア連邦の駐留部隊が、あろうことか地下格納庫で『ティエレン』をかき集め、即席の要塞砲陣地を構築してザフトの機動部隊を物理的に押し返していたという。

 

 あの傲慢なコーディネイターたちが、泥臭い鉄の案山子の壁を前に血反吐を吐きながら敗走していった光景を想像するだけで、アズラエルは痛快極まりない気分だった。

 

「いやはや、あのジブリールも中々やるものですねぇ! 僕はてっきり、コーディネイターの影を見ただけで震え上がって地下室の隅で泣き喚いているかと思っていましたが。その根性、あの絶望的な状況下でユーラシアの連中を上手く使い潰したというのなら……ふふっ、少しは見直しましたよ」

 

 アズラエルがハンカチで目尻の涙を拭いながらそう賞賛した時だった。

 

「そ、それが……」

 

 報告に立った幕僚が、ひどく言いにくそうに、まるで死刑宣告でも待つかのように言葉を濁した。

 

 その只ならぬ様子に、アズラエルの笑い声がピタリと止まる。冷たく、底知れぬ凄みを帯びた瞳が、スッと幕僚へと向けられた。

 

「どうしたんです? なにか不都合でも?」

 

「そ、それが……その……」

 

 幕僚は額から滝のような冷や汗を流し、唾を飲み込んでから、致命的な事実を口にした。

 

「あのメテオストライク直後に……ジブリール以下、基地司令部の首脳陣は、既に地下の潜水艦で脱出。現地工作部隊が地上へのトンネルを掘削後に報告へ戻った時には『もぬけの殻』だったそうです……」

 

「………………は?」

 

 アズラエルの表情から、一切の感情が抜け落ちた。

 

 部屋の空気が、突如として絶対零度まで凍りついたかのような錯覚。幕僚はガチガチと奥歯を鳴らしながら、必死に報告を続ける。

 

「そ、それで、指揮系統を失った現地のユーラシア連邦部隊の将校たちが独自に指揮を代行し……結果として防衛に成功。現在、彼らからこちらへ、今後の指示を仰ぐ通信が来ておりまして……」

 

「……………っ、ふぅ……」

 

 アズラエルは、一度大きく、本当に大きく、鼻から息を吸い込み──そして、ゆっくりと吐き出した。

 

 だが、次の瞬間。

 

 ガァァァンッッ!!!!!

 

 凄まじい破壊音と共に、アズラエルの両の拳がデスクの中央に叩きつけられた。

 

「なにをやってくれたんだあのクソド三下のオカマ野郎があああああ!!!!」

 

 それは、普段は慇懃無礼な態度で他者を嘲笑うアズラエルが滅多に見せることのない、剥き出しの、それこそ腸の底からマグマのように湧き上がる『完全なるブチギレ』の怒声であった。

 

 整えられた金髪を振り乱し、首筋に青筋を浮かべて吠えるその姿に、幕僚は悲鳴すら上げられずに床にへたり込む。

 

「どうしてくれるんだ!! これじゃあユーラシアにバカみたいにデカい『借り』を作っただけじゃないか!!」

 

 アズラエルの怒りの源泉は、極めて冷徹な『政治的・経済的な損失』に対する激怒であった。

 

 地球軍の総司令部であるアラスカを、大西洋連邦軍のトップが真っ先に尻尾を巻いて逃げ出し、あろうことかライバルであるユーラシア連邦の現場部隊が『自力で』守り抜いてしまった。これでは、今後の地球連合内での発言権や主導権のバランスが根底から覆ってしまう。

 

「これならいっそ! あのまま土砂の生き埋めになって全滅してくれていた方が、まだ百倍マシだった!! 総司令官として華々しく玉砕していれば、悲劇の英雄としていくらでも利用できたものを……ッ!!」

 

「あ、アズラエル理事……っ」

 

 激しい息の乱れ。肩で息をするアズラエルは、やがて乱れたネクタイを乱暴に締め直すと、目を閉じて再び深呼吸をした。

 

「…………ふぅ。ええ、すみませんねぇ。大きな声を出してしまって」

 

 目を開けた時、そこにはいつもの、氷のように冷たく、ひどく理知的な『死の商人』の笑みが戻っていた。

 

「いや、僕も人間ですから。想定の底を抜いてくるほどの底抜けの馬鹿を見せられれば、我慢の限界くらいありますよ。だからそう怯えないでください。僕が怒っているのは、彼に対してであって、あなたにではありませんから」

 

「は、はぁ……っ。そ、それで、アズラエル理事……アラスカは如何なさいますか?」

 

 へたり込んだまま、幕僚がおずおずと尋ねる。

 

「如何も何も」

 

 アズラエルは冷笑を浮かべ、ヒビの入ったデスクの上の端末を指で弾いた。

 

「元々、捨てる気だったんです。欲しかったら、そっくりそのままユーラシアにあげちゃってください」

 

「よ、よろしいのですか!? 地球軍の最高司令本部を……!」

 

「構いませんよ」

 

 アズラエルの脳内では、既に今回の不始末を最大の利益に転換するための、悪魔的な算盤が弾かれ切っていた。

 

「どうせ奴の事だ。あそこから近くて、ユーラシアにも近い『ヘブンズベース』に逃げ込んで、安全な場所から『司令部移動のためだ』とかなんとか、見え透いた理由を付けて言い訳してくるでしょう。なら、今のアラスカはただの『空き家』です」

 

 アズラエルはそう言って『お手上げ』というジェスチャーをしながら面倒くさそうに肩を落とす。

 

「でも、御免ですよ? あんな質量爆撃で地表施設を丸ごと吹きっ晒しにされた地下要塞を、再び機能するように一から再建するなんて。面倒ですし、莫大なコストも割に合わない、どう見ても完全な『不良物件』です。……なら、こっちの代わりにその莫大な再建費用と労力を払ってくれる相手に、ポイっと押し付ける方が遥かに賢い。僕たちの懐を一切痛めず、ユーラシアの資本で再建されたアラスカは、そのままザフトのカオシュンとカーペンタリア基地に対する強烈な『牽制』として機能し続ける」

 

 振り返ったアズラエルの瞳には、冷酷なビジネスマンとしての光が宿っていた。

 

「防衛達成の莫大な見返りとして、あの生きている地下要塞をプレゼントしてやるんです。それで、ジブリールが勝手に作ったユーラシアへの『借り』も、十分すぎるほどにお釣り付きで返せる。コスト削減、戦力維持、そして政治的負債の清算……まさに一石三鳥というものです」

 

 アズラエルの思考は、さらにその先、世界地図の勢力図の再編へと及んでいた。

 

(アラスカからジブリールが居なくなった上で、あそこが純粋なユーラシアの軍事管理下になるのなら……それは対ザフトだけの問題に留まらない)

 

 今回の屈辱的な逃亡で、ジブリールの腹は相当に煮えくり返っているはずだ。そして、己の失態を誤魔化すために、さらに強硬な手段に出る可能性が高い。

 

 だが、彼が北極圏のアラスカから、アイスランドの『ヘブンズベース』へと本拠地を移したことで、地政学的な巨大な壁が生じる。

 

(ヘブンズベースからでは、どうあっても太平洋の赤道直下にある『オーブ』へは直接手が届かない)

 

 ジブリールの極端な純血主義に邪魔されることなく、自分にとっての「最高のビジネスパートナー」──すなわち、中立国オーブに潜み、あの恐るべき『TC-OS』とティエレンを生み出した超法規的天才との、蜜月の関係を維持しやすくなるのだ。

 

 アズラエルにとって、地球軍総司令部がどうなろうと、コーディネイターがどうなろうと、ブルーコスモスがどうなろうと、最終的に「自分が勝者の側に立ち、最も利益を得られる世界」であればそれでよかった。そのための最強のジョーカーは、今や間違いなくあのオーブの少年の頭脳にある。

 

「ふふっ……世界が動きますよ? さて、わかればちゃっちゃとユーラシアの連中と、アラスカの現地部隊へ伝達してください。『大西洋連邦は、貴軍の勇猛なる働きに最大限の敬意を表し、アラスカの全権を委譲する』……とね」

 

「りょ、了解致しましたッ!!」

 

 幕僚は転がるようにして退室していった。

 

 扉が閉まる音を聞き届けた後、アズラエルは今一度、深く息を吐き出した。

 

 手元の端末には、『ストライクダガー』の運用データと、アラスカで圧倒的な防衛力を見せつけた『ティエレン』の戦闘データが並べられている。

 

「さて……ジブリールの馬鹿が撒き散らした泥の掃除は終わった。ここからは、僕のビジネスの時間だ」

 

 窓に映る自身の冷たい笑みを見つめながら、ムルタ・アズラエルは、来るべきユーラシアとの兵器市場における覇権争いと、この戦争を終わらせるための次なるビジネスへと思考を巡らせた。

 

 

◇◇◇

 

 

「ふぅむ……」

 

 オーブ連合首長国行政府。黄昏時の赤い陽光が差し込む執務室の静寂の中、元代表首長であるウズミ・ナラ・アスハの重々しい溜息が落ちた。

 

 重厚なデスクの上に広げられているのは、本来ならば中立国の──ましてや元首長が到底目にするはずのない、極秘中の極秘たる他国の戦闘詳報であった。

 

 情報の出処は、激戦地アラスカを生き延びたユーラシア連邦軍。それが特務の任に就くカナード・パルスを経由し、オーブの技術士官であるキラ・ヤマトの手へと渡り、最終的にウズミの元へと回ってきたのだ。

 

 地球連合軍の最高司令本部アラスカに対する、ザフトの大質量兵器群によるメテオストライク。

 

 地上のありとあらゆる軍事施設、対空網、そして幾多の将兵が一瞬にして蒸発したという、この世の地獄。

 

 その後に展開された、血みどろの防衛戦の全容が、無機質なデータと生々しいガンカメラの映像群によって記されている。

 

 軍事行動の詳細な戦術データや被害報告を態々中立国であるオーブへと送ってくるなど、機密保持の観点からすれば異常を通り越して狂気の沙汰である。

 

 しかし、その防衛戦を成立させた最大の立役者が、他でもないキラ・ヤマトがジャンク屋組合向けに開発した『自衛用民生MS・ティエレン』であり、ましてやオーブからライセンス生産という名目でユーラシアへと渡った『ティエレン長距離射撃型』の運用実績であるとなれば、話は根底から変わってくる。

 

 これはユーラシア連邦からの「暗黙の感謝」であると同時に、「我々は貴国の技術の真価をこうして証明した」という、強烈な政治的アピールに他ならなかった。

 

「もう少し、配備する数を増やすか……」

 

 ウズミは、一枚の書類に添付された静止画に目を細めた。

 

 それは、全てが吹き飛んだアラスカの吹き晒しの荒野──その地下へと続く唯一の出入り口を塞ぐようにして立ち並ぶ、異形の鋼鉄の城壁であった。

 

 現場のユーラシア駐留部隊によって急造で改修されたという『長距離射撃・要塞型』。

 

 両脚に巨大なバラスト・シールドを備えた長距離射撃型の空いている両手マニピュレーターに、脚部シールドを二枚追加で持たせただけという、極めて原始的で泥臭い現地改修機。

 

 だが、それだけでこの機体は、ザフトのMS部隊による猛攻を正面から弾き返し、味方を護る『絶対の盾』──簡易的な重装甲要塞砲として機能していた。

 

 ウズミの脳裏に、自国オーブの防衛ドクトリンが過る。

 

 キラの手によって、オーブ本国で生産されているティエレンには、既に『長距離射撃型』と『対空型』が存在している。

 

 オーブの国是は「他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない」。

 

 この理念を貫き通すためには、いざという時に他国が侵略を躊躇うほどの、強大で絶望的なまでの『抑止力』が必要となる。

 

 万が一、オーブが狂気に呑まれた大国によって本土決戦を強いられた場合、このティエレンの『要塞型』は、国土を、そして非戦闘員たる民を護るための、文字通りの強固な盾となる可能性を大いに秘めていた。

 

 現在、オーブ国防軍の主力を担っているのは、同じくキラの手が加わった量産型MS『M1アストレイ』である。

 

 航空戦力としても十二分に使用できるよう、キラが齎した設計図を元に、『シュライク』、『イカロスユニット』、『BWS』、そして『アリュゼウスユニット』と、戦況に応じたオプションが次々と実用化され、充実の一途を辿っている。

 

 本土防衛の火蓋が切って落とされた時、これら空を飛ぶアストレイの部隊が、早期警戒・迎撃・緊急展開機として、いち早くオーブの空を舞い、敵の上陸を水際で防ぐ『鋭い槍』となるだろう。

 

 だが、戦争というものは常に想定通りに運ぶとは限らない。万が一、防空網を突破され、あるいは物量で押し切られ、敵のモビルスーツが本土の土を踏むような本土決戦へと引きずり込まれた時、機動力を削がれた槍だけでは国土は守りきれない。

 

 槍だけでは戦えぬ。自らの身と、背後にいる民を護る『絶対に砕けぬ盾』があってこそ、槍はその真価を振るうことができるのだ。

 

 故に、ウズミはジャンク屋組合を通じてティエレンを購入し、配備を進めていたのであるが──このアラスカでの常軌を逸した運用報告書を読み解くにつれ、その数をさらに増強する必要性を強く肌で感じていた。

 

 流石にM1アストレイという、オーブの技術の粋を集めた自国の主力純製量産MSがある手前、国防予算の都合上、ジャンク屋組合のライセンス機であるティエレンを際限なく増やすわけにはいかない。議会の承認も必要になる。

 

 しかし、いざという時の「後備の盾」として、あるいはアストレイ部隊を後方から支援する「動く要塞砲陣地」として、この長距離射撃型の持つ狂気的なまでの防衛力は、何物にも代えがたい利点であった。

 

「……もはや、ユーラシアはティエレンを手放せんな」

 

 ウズミは顎髭を撫でながら、苦笑にも似た息を吐いた。

 

 アラスカという、地表の全てを失った絶望的な状況を生き抜き、耐え抜き、あまつさえザフト軍の精鋭を押し返してしまったという鮮烈すぎる実戦データ。

 

 事実、ユーラシア連邦の上層部からは、この報告書の提出とほぼ同時に、オーブが保有している『ティエレン対空型』の追加ライセンス契約の熱烈な打診が来ている。

 

 そればかりか、「TC-OSの開発者であるキラ・ヤマト氏を交えた、次世代型新型ティエレンの共同開発」、あるいは「新型ティエレンの供給要請」までが、半ば懇願のような形で舞い込んできているのだ。

 

 大西洋連邦の裏切りに遭い、独自の防衛網構築が急務となったユーラシアにとって、いかなる素人でも熟練兵並みに動かせ、いかなる猛攻にも耐えうるこの鋼鉄の鉄人は、もはや国家の存亡を預けるべき『信仰の対象』にすらなりつつあった。

 

「フッ。……流石の彼も、自分が生み出した機械が『ここまで』の使われ方をし、大国の運命を左右することになるとは、想定外だった様だがな」

 

 ウズミは、この血と硝煙の匂いが染み付いた報告書を執務室まで持ってきた、一人の少年の顔を思い出す。

 

 キラ・ヤマト。

 

 類稀なる頭脳と、誰よりも優しく、戦争という行為そのものを憎む心根を持った少年。

 

 彼がこの報告書をウズミのデスクに置いた時の表情は、なんとも筆舌に尽くしがたいものであった。

 

 自分が「自衛用」という建前で作り上げた民生機が、何千、何万という兵士の命を救ったことに安堵し、喜んでいいのか。

 

 あるいは、自分の作ったシステムが、狂信者たちの特攻兵器として利用され、敵軍を文字通り挽肉に変える凄惨な『処刑装置』として機能してしまったことに、深く絶望し、困惑すべきなのか。

 

 そのどちらにも振り切れない、自らの生み出した技術の持つ『業の深さ』に打ちひしがれたような、ひどくアンビバレントで痛々しい顔をしていた。

 

「技術とは、常に使い手の心を映す鏡だ。……だが、案ずるな、キラよ。お前が世界に落としたその波紋が、どれほど巨大なうねりとなろうとも、オーブの獅子たるこの私が、その業のすべてを盾として受け止めてみせよう」

 

 ウズミは誰に聞かせるでもなくそう独りごちると、決意を込めた力強い筆致で、オーブ国防軍におけるティエレン追加配備の承認決裁書にサインを刻んだ。

 

 世界が狂気の泥沼へと沈みゆく中、中立国オーブは来るべき嵐に備え、静かに、そして着実に、その『不落の盾』を磨き上げていくのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ユーラシア連邦の首都機能を内包する巨大な軍事司令部中枢。

 

 平時であれば、重苦しい沈黙と、ザフトの侵攻や大西洋連邦からの政治的圧力に頭を抱える将官たちの怒声が響くその空間は、今夜ばかりは完全に『カーニバル』と化していた。

 

「あっははははッ! 痛快! まさに痛快極まりないぞ!!」

 

「大西洋の気取った坊ちゃん共め! 尻尾を巻いて逃げたばかりか、アラスカ本部の全権を丸ごと我々に委譲してきたぞ!!」

 

 最高級のウォッカとシャンパンの栓が次々と抜かれ、琥珀色の液体が惜しげもなくグラスに注がれる。

 

 分厚い軍服に身を包んだ白髪の将軍たちも、恰幅の良い政治家たちも、顔を真っ赤にして葉巻の煙を吹かし、互いの肩をバンバンと叩き合って下品なまでの歓声を上げていた。

 

 長年、地球連合内において大西洋連邦の「金魚のフン」として扱われ、軍事予算を削られ、危険な戦線ばかりを押し付けられてきたユーラシア連邦。

 

 その鬱憤が、この一日で完璧に、それもお釣り付きで晴らされたのだ。祝杯を通り越して「お祭り騒ぎ」になるのも当然であった。

 

「見たか、あのアラスカの映像を! 我らユーラシアの駐留部隊が、あの絶望的な状況下で大西洋の狂信者どもを『肉壁』として使い潰し、ザフトの精鋭をすり潰してやったのだ! これ以上の痛快事があるか!」

 

 歓喜の輪の中心にある巨大な戦術ホログラムテーブルには、アラスカ防衛戦のデータが輝かしく映し出されていた。

 

「しかもだ。現地の整備兵たちの発想には恐れ入った。長距離射撃型だけでなく、通常のティエレンにも『予備の脚部シールドを手持ちで構えさせる』という単純な現地改修……。なぜ我々は今までこの簡単な理屈に気づかなかったのだ!」

 

 将軍の一人が、興奮気味にテーブルを叩く。

 

 本来、ティエレンは両脚に分厚いシールドを備えているため、わざわざマニピュレーターで盾を持つ必要はないと考えられていた。しかし、あの分厚い装甲板を『一つでも』前面に構えながら滑腔砲を撃てば、それだけで機体の防御力と生存性は文字通り跳ね上がる。

 

 余計な小細工は要らない。ただ「物理的な鉄の厚み」を増すだけで、ザフトのビーム兵器すら凌ぎ切れることが実戦で証明されたのだ。

 

「さらに大きな収穫は、このアラスカの泥沼から『次世代の基本戦術』が完璧に立証されたことだ」

 

 作戦参謀が、ホログラムの映像をストライクダガーとティエレンの連携戦闘のシーンへと切り替える。

 

「ティエレンという絶対に砕けない『鉄の金床』を構築し、その周囲を機動戦に優れた機体が『ハンマー』となって駆け回り、敵を挟撃してすり潰す。……大西洋のダガー部隊は、図らずも我々に最高の戦術デモンストレーションを見せてくれた」

 

 その言葉に、将官たちの顔にさらにドス黒く、そして野心に満ちた笑みが広がる。

 

 ティエレンが壁となり、機動戦を行える機体が敵を狩る。

 それこそが、ユーラシア連邦が極秘裏に進めている『プロジェクトX』──次期主力機開発計画のピースと、完璧に合致したからだ。

 

「ならば、我々の『ハンマー』は、大西洋のダガーなどという貧弱な代物である必要はないな」

 

「御意。……『ハイペリオン』の出番というわけです」

 

 ユーラシアが誇る最新鋭技術『アルミューレ・リュミエール』。

 

 いかなる実弾もビームも完全に遮断するその無敵の光の盾を全方位に展開できるハイペリオンならば、ティエレンの壁を飛び越えて敵陣に突撃し、高機動戦闘を行いながら、自らも無敵の盾で身を守ることが可能となる。

 

 絶対に破られない物理の壁と、絶対に破られない光の壁。

 

 この二つが戦場で連携した時、ザフト軍にそれを突破する手段は存在しない。大西洋連邦のストライクダガーなど、ただの的当ての玩具に成り下がるだろう。

 

「そして皆様。ビクトリア基地に駐留している我が軍の部隊より、さらなる『吉報』が届いております」

 

 情報将校が声を張り上げると、喧騒がわずかに収まり、全員の視線が彼に集まった。

 

「あのティエレンの生みの親にして、今や我がユーラシア連邦軍の『真の救世主』と呼ぶべき、オーブのキラ・ヤマト。……彼自身が所有しているという、ティエレンのカスタマイズモデルのデータを入手しました」

 

 スクリーンに映し出されたのは、砂漠をホバー走行で高速滑走する『陸戦高機動型ティエレン』の不鮮明な映像だった。

 

「バカな……あの鈍重な鉄塊が、ここまで動くというのか!?」

 

「信じられん……っ。中身は本当に同じティエレンなのか!?」

 

 将官たちの間に、どよめきと、それ以上の『熱狂』が巻き起こった。

 

 もし、この高機動型の技術スペックを手に入れることができれば。

 

 高価なハイペリオンの量産を待たずとも、あるいはハイペリオンと並行して、ユーラシア連邦は『最強の盾』と『最強の矛』をティエレンという単一のプラットフォームだけで揃えることができてしまう。

 

「何としても手に入れろ!!」

 

 軍の最高司令官が、シャンパングラスを掲げて絶叫した。

 

「金ならいくらでも積む! 資源も出す! オーブに対し、我がユーラシア連邦の国家予算を注ぎ込んででも、その『高機動型』のライセンスと、キラ・ヤマトの頭脳を買い叩け!!」

 

「ははっ!! 既に特務部隊のカナード・パルス特務兵を通じ、パイプの強化と交渉を開始しております!」

 

 もはや、彼らの目には大西洋連邦の顔色を窺うような卑屈さは欠片も残っていなかった。

 

 手元には、大西洋連邦が手放したアラスカという巨大な地下要塞がある。

 

 カオシュンとビクトリアで証明されたティエレンの不落の防衛力がある。

 

 そして、プロジェクトXという無敵の剣と、天才キラ・ヤマトという無限の技術の泉へのコネクションがある。

 

「諸君! もはや大西洋連邦の時代は終わった! 宇宙のコーディネイターどもをすり潰し、この戦争の趨勢を握り、世界を統治するのは……我らユーラシア連邦だ!!」

 

「「「ウラーーーーッ!! ユーラシアに栄光あれ!!」」」

 

 首都の地下深く、祝祭の喧騒は夜を徹して続いた。

 

 一人の少年が中立国で「誰かを護るため」に作った泥臭い機械は、大国ユーラシアの野心に致命的なまでの火を点け、地球圏のパワーバランスを決定的に狂わせる『覇権への鍵』として、猛烈な熱を放ち始めていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「どうやらアラスカは落ちなかった様です、母上」

 

 ファウンデーション王国。外界から完全に隔絶されたその深奥で、大理石の床に静かな靴音を響かせながら、オルフェ・ラム・タオは冷徹な眼差しをスクリーンから母たるアウラへと向けた。

 

 黒煙を上げるアラスカの荒野と、そこに不気味なほどの威容で立ち並ぶ緑色の鉄塊──ユーラシア連邦が誇るティエレンの要塞陣地が、ザフトの精鋭を無惨にすり潰していく地獄の光景が映し出されていた。

 

「くっ……忌々しい! ユーレン・ヒビキの出来損ないが造った、薄汚い鉄人形めッ……!」

 

 幼い少女の容姿に不釣り合いな、底知れぬ憎悪と呪詛。アウラは自身の膝の上で、最高級の絹と象牙で設えられた扇子を、今にも捩じ切らんばかりの力で握り締めていた。ミシッ、と不吉な音が豪奢な部屋に響く。

 

 ファウンデーション王国として来たるべき計画の成就に向け、今は静かに雌伏の時を過ごしている彼女らにとって、この戦況の推移は到底看過できるものではなかった。

 

 いずれ自分たちが世界を統治する際、確実に軍事的な障壁となるユーラシア連邦が、よりにもよってアウラが最も憎悪する男──ユーレン・ヒビキが造り出した「最高のコーディネイター」の手による産物で、想定を遥かに超える盤石な戦力を整えつつあるのだ。その屈辱と怨嗟は計り知れない。

 

 しかし、オルフェの怜悧な頭脳は、母の感情的な憎悪とは別に、あの『ティエレン』という兵器の異常性を極めて冷静に分析していた。

 

 「鈍重で堅牢な鉄人形」──世間一般の評価はそうかもしれない。だが、軍事的な観点から見れば、その評価は根本から改められねばならない。

 

 中立組織「ジャンク屋組合」向けに開発された自衛用の民生モビルスーツ。

 

 デブリ帯での過酷な作業や、重機の延長線上としての拡張性に優れている点は、確かにジャンク屋向けという隠れ蓑としては完璧に機能している。

 

 だが、あの機体はあまりにも『戦場』を理解しすぎている。

 

 ザフトですら実用化に苦慮していたビーム兵器が、いずれ戦場の主役となって飛び交う未来をまるで予見していたかのように過剰なまでの特殊な耐ビームコーティングが施されていた。

 

 単なるデブリ避けや作業用バラストとしては、明らかに異常なほどの物理的強度を誇る装甲材。

 

 そうして軍事転用された途端に、カオシュン、ビクトリア、そしてアラスカ──ザフト軍の猛攻を何度も耐え切り、反転攻勢の要として機能するその姿を見れば、誰の目にも明らかだ。

 

(あれは初めから、最も過酷な戦争の泥沼で、最も確実に生存し、敵を殺すための兵器として設計されている……)

 

 そして、オルフェにとってティエレンの装甲以上に理解し難いのが、あの機体を制御する悪魔的な頭脳──『TC-OS』の存在であった。

 

 ザフトのモビルスーツは、コーディネイターの優れた処理能力を前提とし、量子コンピューターを介した機体との疑似的な神経接続によって、パイロットの能力をそのまま機体に反映させる思想である。

 

 つまり、「優れた人間が、優れた機体を操る」という理にかなった設計だ。

 

 対してTC-OSは、膨大なモーションサンプリングデータから機体の姿勢、目標物との相対距離、地形の環境データ、果ては敵機の機動予測までを瞬時に演算し、パイロットの意図を汲み取って『機体側が最適なモーションを自動で実行する』という代物だ。

 

 ナチュラルという劣った種族をモビルスーツに乗せるためとはいえ、機体側が人間に合わせるという、途方もなく手厚く、過保護なサポートシステムである。

 

 自らの能力よりも劣る者達のために、なぜこれほどの心血を注いでシステムを組んだのか。その理由が、アコードであるオルフェには全く計りかねていた。

 

(愚かな。優秀な者達を選抜し、その者達にふさわしいシステムと機体を与えれば済むこと。なぜ、凡百の劣等種を、わずかな時間で熟練兵の領域まで引き上げる必要がある?)

 

 一部の優秀な統治者が、劣った者たちを適材適所に振り分け管理し、導く。それこそが完全なる世界であり、争いを無くす唯一の真理であるはずだ。

 

 弱者を強者に仕立て上げ、持たざる者に力を与えるキラ・ヤマトの設計思想の根幹は、オルフェたちが信奉するアコードの存在意義に対する、明確な冒涜に他ならなかった。

 

 だが、思想の相違はどうあれ、それが世界を動かすほどに有用な力であるならば、利用するまでだ。

 

 そしてあわよくば、その技術の髄を吸い尽くし、あの泥臭い鉄人形を遥かに凌駕する「我々アコードにふさわしい絶対の力」を引き摺り出す。

 

(キラ・ヤマト……。巷の噂では、あの男は「女に弱い」らしいからな)

 

 情に流され、他者の痛みに寄り添うなどという、統治者としては致命的すぎる欠陥。それこそが、彼がユーレン・ヒビキの『失敗作』である何よりの証左だ。

 

「……母上。イングリットを遣わせます。よろしいですか?」

 

 オルフェの提案に、アウラはぴたりと扇子の動きを止めた。

 

 イングリット・トラドール。アコードの一員であり、その可憐な容姿と忠誠心は、情に脆い男の懐に潜り込ませるにはこの上ない駒となる。

 

「……今はまだ、妾もファウンデーションも雌伏の時。表立って動くわけにはいかぬ。だが、来たる日にあの鉄人形どもを蹂躙し、超える兵器を手に入れられねば、我らが計画は果たせぬ。……よしなに頼むぞ、オルフェ。あの出来損ないの技術、余すところなく簒奪して参れ」

 

「御意に」

 

 恭しく一礼し、オルフェは踵を返して母の御前を後にした。

 

 磨き上げられた大理石の回廊を歩きながら、彼の端正な顔立ちに、冷酷で傲慢な嘲笑が浮かび上がる。

 

「キラ・ヤマト……」

 

 唇に乗せたその名前には、見下すような優越感と、ほんのわずかな──絶対に認めたくない苛立ちが混じっていた。

 

 アコードという完璧な存在ではない、あの『失敗作』が、ただの一介の技術者として振る舞いながら、間接的にこの世界の戦局を牛耳り、新たな秩序を形成しようというのだろうか。

 

 だとするのならば――。

 

(お前の造り上げたその不格好な盤面ごと、我々がひっくり返して見せよう。弱者たちに与えたその希望が、どれほど無力で無意味なものか、運命の名の下に思い知らせてやる)

 

 白亜の宮殿の奥深くで、絶対の支配を目論む超越者たちの静かなる謀略が、オーブに眠る一人の少年へとその冷たい刃を向け始めていた。

 

 

 

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