やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか   作:星乃 望夢

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PHASE-79 再会 キラとアスラン

 

 アラスカ、地球連合軍最高司令部『JOSH-A』。

 

 いや、今やここは、大西洋連邦の威信の象徴ではなく、ユーラシア連邦が血と鉄で死守した「ユーラシア極北方面軍・アラスカ基地」であった。

 

 ザフト軍による『オペレーション・スピットブレイク』。

 

 デブリベルトから牽引された巨大なコロニーの外壁を質量弾として投下するという、規格外のメテオストライクによって、アラスカ基地の地表施設は完全に消滅した。

 

 分厚い岩盤に守られた鉄壁の地下要塞も生き埋めとなり、暗闇と絶望の中、工作部隊が必死にメインゲートを外へ向かって掘削していたあの時。

 

 ロード・ジブリールを筆頭とするアラスカ基地司令部の将官たちは、最下層の地下ドックから潜水艦を使い、自軍の将兵を囮にしてとっくに逃亡していた。

 

 現場の指揮官が丸一日を掛けてようやく外へのルートを掘削し終え、泥だらけで報告に向かった司令室は、もぬけの殻だった。

 

 「青き清浄なる世界のために!」と叫びながら、基地に残されたブルーコスモスのシンパたちが万歳突撃を行く中。

 

 見捨てられたアラスカ基地駐留のユーラシア部隊は、格納庫で眠っていた『ティエレン』のパーツをその場で組み立て、即席の防衛線を構築した。

 

 彼らは、押し寄せるザフトの攻撃部隊の猛攻を、分厚い装甲で耐え凌ぎ、逆にザフトの攻勢ラインをジリジリと後退させてみせたのだ。

 

 そこへ、ヘブンズベースから救援としてやって来たストライクダガーの部隊が挟撃を掛けたことで、ついにザフト軍は撤退を余儀なくされた。

 

 以後、この血塗られたアラスカ基地の管理と実効支配はユーラシア連邦へと移り、現在も基地機能の回復と地表施設の再建が進められている。

 

 ──そして現在。

 

 冷たい極北の風が吹き荒れる仮設滑走路へと、次々と巨大な輸送機が降り立っていた。

 

 それを、瓦礫の撤去作業やティエレンの整備をしながら、横目で冷ややかに睨みつける多くの男たちがいた。

 

 あの日、ヘブンズベースからやって来て、今も居座り続けているストライクダガーのパイロットや士官たちが、輸送機から降りてくる自分たちの「仲間」を嬉々として出迎えているのだ。

 

「へっ。俺たちを置いて逃げ出した、オカマ野郎どものお帰りだとよ」

 

 油まみれのスパナを肩に担いだユーラシア兵が、地面にツバを吐き捨てて嗤った。

 

「カオシュン宇宙港を落としに行くための、一時寄港らしいぜ。使いっ走りだろ?」

 

「そいつぁおもしれぇ。大方、アズラエル理事にパナマを押さえられてるから、こっちの極北ルートを通るしかねぇんだろ。あんな腰抜けのヒョロガリ共で、ザフトの巣窟のカオシュンを攻めようってか? 笑わせるぜ」

 

 彼ら「見捨てられたアラスカ基地守備隊」にとって、もはや大西洋連邦もユーラシア連邦も関係なかった。

 

 国境も派閥もクソもない。あの絶望的な生き埋めの地獄と、圧倒的なザフトの猛攻を隣で支え合い、生き延びた『戦友』としての繋がりだけが彼らの全てであった。

 

 確かに、あの時のヘブンズベースからの救援には助けられた。

 

 だが、あのままでもティエレンの分厚い装甲と粘り強さがあれば、いずれザフトを押し切れたという自負が彼らにはある。

 

 それなのに、後から美味しいところだけを持っていったヘブンズベースの部隊は、鼻持ちならない態度で「ここは既にユーラシア連邦の管轄だからな」などと偉そうにほざき、瓦礫撤去の重労働はサボってばかりいる。

 

 そんな連中が、空から続々と降りてくる増援をはしゃいで出迎えている姿は、守備隊の男たちにとって不愉快極まりない光景だった。

 

「お前さんは、行かねぇのか?」

 

 とあるユーラシア兵の軍曹が、傍らでタバコを吹かしていた一人の少尉に声を掛けた。

 

 その少尉は、大西洋連邦の軍服を着ていた。かつては熱烈なブルーコスモス・シンパであり、その教義に染まっていた男だ。

 

 少尉は短くなったタバコを携帯灰皿に押し込むと、呆れたように空の輸送機を見上げた。

 

「俺は、宗教替えしたんだよ。……いまとなっちゃ、なんであんなにコーディネイターを憎んで、『青き清浄なる世界のために』なんて狂ったように叫んでたのか。自分でも全くわかんねぇ。けどな」

 

 少尉は、自身が背中を預けている巨大な鉄の塊──ティエレンの、傷だらけで無骨な緑色の脚部装甲を、裏拳でコンコンッと親しげに叩いた。

 

「アンタらの所為で、タチの悪い新興宗教に染まっちまったんだよ。どうしてくれんだ」

 

「ハッ。ウオッカとティエレンを愛するなら、俺たちは魂の兄弟だ。気にするな」

 

 軍曹がニヤリと笑って少尉の肩を叩く。

 

 守備隊にいたブルーコスモス・シンパの連中。あの絶望の中、教義に従ってストライクダガーや自走砲、戦車に乗って「万歳突撃」を敢行し、散っていった奴らは、ある意味で幸運であり、ある意味で不運だった。

 

 もう少しだけ我慢して、生き延びる道を探していれば、彼らも「目を覚ます」機会があったかもしれないのだから。

 

 少なくとも、あの時の少尉は違った。

 

 基地に取り残され、手元には雑多な小火器しかなく、教義への狂信と死の恐怖の間でガタガタと震えて立ち尽くしていた自分。

 

 そんな時、ユーラシアの兵士に首根っこを掴まれて放り込まれたのが、組み上がったばかりのティエレンのコックピットだった。

 

 初めて乗るモビルスーツ。しかも、憎きコーディネイターが設計し、そのOSで動く鉄屑。

 

 だが、その鉄屑は、素人同然の彼が操縦桿を握りしめるだけで、まるで無敵の歩く要塞のように完璧に動き、ザフトの砲火から彼を完全に守り抜いてみせた。

 

 コーディネイターを殺すために前へ前へと歩を進めたその鉄の案山子は、皮肉にも、彼の命を世界で一番安全に包み込んでいたのだ。

 

 戦いが終わり、アドレナリンが引いて落ち着いた時。

 

 少尉は、無傷のコックピットの中でむせび泣きながら、自分が今まで骨の髄まで信じていた「純血主義」や「ブルーコスモスの教義」が、いかにバカバカしく、空っぽでアホらしいものであったかを思い知らされた。

 

 血も涙もない上層部は自分たちを見捨て、憎きコーディネイターが造った鉄の案山子が自分を優しく守り抜いた。

 

 それが、冷酷な戦場の真実だった。

 

「さあ、作業に戻ろうぜ、兄弟。……この最高の棺桶をピカピカに磨き上げなきゃなんねぇからな」

 

 極北の地で、かつての狂信者は完全に生まれ変わっていた。

 

 彼らはもう、遠い宇宙の遺伝子を憎まない。ただ、自分たちの命を預ける鋼鉄の装甲と、共に泥を啜った隣の戦友だけを信じ、アラスカの凍てつく風の中で不敵に笑い合うのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「ありゃぁ、中身はまんまティエレンだな」

 

「は? ティエレンなんですか、あれ? 外見は全く別物に見えますが……」

 

 輸送機から続々と降ろされてくる、赤銅色に塗られた四つ目の新型機『アヘッド』の大群を、コンテナの陰から苦々しい顔で睨みつけながら、アラスカ基地守備隊の整備班を統括するユーラシア連邦の壮年の曹長が低く呟いた。

 

 その隣で、元大西洋連邦の若き士官が、目を瞬かせて聞き返す。彼の目には、あの丸みを帯びた流線型の機体が、自分たちを死地から救ってくれたあの無骨で角張った緑色の鉄塊と同じ系譜の機体だとは、にわかには信じがたかったのだ。

 

「ったりめぇよ、坊っちゃん。この俺の耳が、ティエレンのサーボから出る、あの独特の野太いトルクの駆動音を聞き間違えると思うか?」

 

 曹長は、油とオイルの染み付いた軍帽のツバを深く下げ、忌々しそうに舌打ちをした。

 

「チッ……。あの鉄壁の垂直装甲をわざわざ引っ剥がして、不細工な四つ目のツラと、弾を滑らせるための曲面装甲にすげ替えやがって。それだけならまだしも、背中や脚に余計なスラスターまで後付けでベタベタと貼り付けてやがる」

 

 曹長の目は、単なる外見の違いではなく、機体が大地を踏みしめる際の「わずかな歪み」を的確に捉えていた。

 

「装甲を軽くしてスラスターを増設した結果、本来のティエレンが持っていた重量バランスが完全に狂って、機体の重心がズレちまってるんだ。それを無理やり支えて二足歩行させてるもんだから、股関節と膝のサーボモーターが、悲鳴どころか嘔吐してるレベルで異常な負荷がかかってるぞ。キュラキュラと情けねぇ軋み音が混じってやがるのが聞こえねぇか?」

 

「そ、そこまで一目見ただけで……いや、音だけでわかるんですか。あいや、でも中身がティエレンなのに、外見だけあそこまで変える理由って……」

 

「どうせ、ブルコス連中の腐った教義のせいだろうよ」

 

 曹長は携帯灰皿を取り出しながら、吐き捨てるように言った。

 

「『憎きコーディネイターが造った鉄案山子には乗れるか』とか、そういうくだらねぇプライドだ。だから中身のフレームはそのまま流用しといて、外見の装甲と、一番肝心な『OS』だけを自国製の粗悪品に載せ替えて、全くの新型機ですって顔して使ってんだろ。胸糞悪いったらありゃしねぇ」

 

 曹長は、アヘッドの頭部にある四つの不気味なカメラアイを指差して鼻で嗤った。

 

「あんな四つ目の武者みたいな仰々しい見た目にすりゃ、敵がビビるとでも思ってんのか? こちとら、鍛冶の神が鍛え上げた『1つ目の鉄人』だぞ。あの単眼のモノアイがギョロリと睨むプレッシャーに比べりゃ、あんなオモチャみてぇなツラ、ただの飾りだバカタレが」

 

 ユーラシア連邦に、ジャンク屋組合から初めて初期ロットのティエレンが納品されたあの時から。曹長は、この『歩く重戦車』の整備士として、誰よりも長く、深くこの機体と向き合い、対話してきた自負がある。

 

 彼にとっては、あの四つ目の赤銅のティエレンモドキが、今現在どれほど「機体として不健康な状態」にあるか、その駆動音が手に取るように教えてくれるのだ。

 

「いいか、坊っちゃん。もしあいつらに、本物の『TC-OS』がそのまま載ってたら、あんな情けねぇ音は絶対に出ねぇんだよ」

 

 曹長は、自分の背後で鎮座している正規のティエレンを親指で指した。

 

「TC-OSの歩行補助プログラムってのは、バケモノみたいに賢い。装甲をすげ替えられて重心が狂おうが、スラスターの推力がバラバラだろうが、自機の現在のステータスを瞬時に計算して、歩行モーションを最適化してくれる。だから、戦場のど真ん中でパーツをツギハギしてレストアしたような状態でも、ティエレンは絶対に倒れず、安定して歩けるんだ。……だが、あの赤銅色の連中は違う」

 

 曹長は、滑走路を移動するアヘッドの足元を鋭く見据えた。

 

「純国産OSかなんか知らんがな。あの狂った重心移動の計算に全く中身が追いついてねぇんだよ。歩くたびに、機体が前のめりになったり後ろに倒れそうになるのを、パイロットが手動で、あるいはOSが力任せの強引な補正で無理やり持ち直させてる。それを、ティエレンのフレームが元々持っている『バカみたいな頑丈さ』だけで、ギリギリ受け止めて誤魔化してるだけだ」

 

 少尉は、曹長の言葉を聞いて背筋が寒くなるのを感じた。

つまり、あの新型機は「機体の頑丈さ」を担保にして、システムとパイロットに極限の負担を強いている欠陥品だということだ。

 

「装甲を軽くして曲面装甲でビームや実弾を反らし、増設したスラスターの推力で敵の攻撃を避ける……コンセプト自体は、別に間違った設計じゃねぇ。いや、むしろ『ティエレンが目指すべき発展系の一つ』としては、正しい方向性だ」

 

 曹長は、技術者としての客観的な評価も忘れなかった。

 

「だがな。そのコンセプトを実現するためには、それを完璧に制御できる『頭脳』が絶対に不可欠なんだ。……あの赤銅色の機体は、頭と体が完全にバラバラに動いてる。あんな足腰に余計な負荷をかけ続ける機動をしてたら、股関節のフレームが金属疲労でへし折れるか、モーターが焼き切れる。あと2、3回出撃したら、脚部は完全に総取っ替えだ。整備効率も最悪だろうよ」

 

「……あのまま実戦に出れば、自滅するってことですか」

 

「ああ。ザフトのカオシュン基地を落とす前に、自分たちの足がもつれて終わるだろうな」

 

 曹長はタバコの煙を深く吐き出し、哀れなアヘッドの群れから視線を外した。

 

「兵器ってのはな、造り手の思想と、乗る人間の覚悟、そしてそれを支える整備士の愛が噛み合って、初めて『生きた機体』になるんだ。あんな、教義への狂信とプライドだけでツギハギされた、血の通ってねぇ偽物が、俺たちの愛した『鋼鉄の鉄人』に勝てるわけがねぇのさ」

 

 アラスカの冷たい風の中、吹き荒れる狂信の嵐を前にして。

 

 真の兵器の価値を知るユーラシアの整備士と若き士官は、ただ静かに、やがて来るべき彼らの自滅を予見していた。

 

 

◇◇◇

 

 

「キラ・ヤマト!! 貴様ァッ!!」

 

 モルゲンレーテ本社地下格納庫。その広大で静謐な空間を切り裂くように、血を吐くような怒声が響き渡った。

 

「わっ、ちょ、カナード!?」

 

 弾かれたように飛び込んできたのは、ユーラシア連邦の特務部隊『X』に所属するカナード・パルスであった。

 

 彼は鬼の形相でキラに詰め寄るなり、その真新しい准将の軍服の胸倉を両手でガシリと掴み、親の仇にでも遭遇したかのように激しく前後に揺さぶり始めた。

 

「貴様がッ! 貴様の所為でッ! 俺と『ハイペリオン』は捨てられたんだぞッ!!」

 

「えっ? えーっと、それって一体どういう意味……?」

 

 突如として始まった暴行劇に、少し離れた場所で待機していた特務部隊Xの隊員たちや、モルゲンレーテの技術社員たちの顔から、サッと血の気が引いた。完全に凍りつき、誰一人として身動きが取れない。

 

 無理もない。当たり前である。

 

 今やキラ・ヤマトは、オーブ国防軍の『准将』にして、最高軍事顧問である。

 

 対するカナードは、ユーラシア連邦の極秘部隊に所属する、しがない『特務兵』に過ぎない。

 

 文字通り、天と地ほどに立場が違い過ぎる。もしオーブの憲兵隊がこの光景を見れば、カナードは「国防軍准将への暴行および暗殺未遂」として、その場で蜂の巣にされても文句は言えない状況であった。

 

「だ、誰か……状況の説明を……」

 

 キラが目を回しながら視線を彷徨わせると、カナードの背後から、静かな足音を立てて一人の女性士官が歩み寄ってきた。

 

 ユーラシア連邦特務部隊X所属、カナードの補佐役を務める冷静沈着なオペレーター、メリオル・ピスティスであった。彼女は胸倉を掴まれたキラに一礼すると、淡々と事実を告げた。

 

「大変お見苦しいところをお見せして申し訳ありません、ヤマト准将閣下。……実は先程、ユーラシア本国の最高司令部より通達がありました。我々『特務部隊X』は、本日付けをもって任務解除。部隊は事実上の解散となります。カナード特務兵他、数名の連絡要員のみをオーブへ残し、他の隊員は本国へと帰還せよ、とのことです」

 

「貴様がッ! 貴様が造り出したあの生意気なチビを、ユーラシアの連中が正式採用したからだ! あのチビと鉄案山子の混成部隊さえあれば、エネルギー効率の悪い俺の『ハイペリオン』などもう不要だと、無能な上層部が判断しやがったのだッ!!」

 

 カナードは、ギリギリと歯ぎしりをしながら、血走った目でキラを睨みつけた。

 

 アルミューレ・リュミエールという絶対防御の盾を持ちながら、全面展開時間はわずか5分という致命的な燃費の悪さを抱えていたハイペリオン。

 

 しかしカナードにとって、それは自身の存在証明であり、戦場を共に駆け抜ける半身であった。

 

「以後、現在配備されているハイペリオン1号機につきましても、稼働データ収集の終了を理由に本国へ移送されることが決定しました。……ですので、自身の存在意義であった愛機を取り上げられたカナード特務兵は、現在、非常に残念がって、そしてひどく拗ねておられるのです」

 

「余計な事を言うな、メリオル!! 誰が拗ねているなどと!!」

 

 顔を真っ赤にして部下を怒鳴りつけるカナード。

 

(……なるほど。つまり、フレック・グレイズという安くて使い勝手の良い機体をユーラシアが量産採用しちゃったから、コストの高いハイペリオン計画は凍結されて、カナードは機体を取り上げられた上に、僕への使いっ走りにされたから怒ってる、と……)

 

 キラは、自身の開発した兵器が思わぬ形で兄のプライドを粉々に打ち砕いてしまったことに、深い申し訳なさを覚えつつも、同時にある一つの名案を思いついた。

 

「……じゃあさ、カナード。部隊丸々、ウチに来る?」

 

「…………は?」

 

 突然の提案に、カナードはポカンと口を開け、胸倉を掴んでいた手の力を思わず緩めた。

 

「どういう意味だ、それは」

 

「うん。ユーラシア連邦には、ティエレンの局地対応の件でまだ『貸し』があるからね。それに……カナードのことを『僕の実のお兄さん』だって公式に伝えれば、ユーラシアの軍上層部だって、僕の専属護衛部隊として特務部隊Xを引き抜くことに『ダメだ』なんて絶対に言えないと思うんだ」

 

 キラの言葉は、恐ろしく理にかなっていた。

 

 ティエレンとTC-OS、フレック・グレイズを運用するユーラシア連邦にとって、オーブの裏の最高権力者であるキラとのパイプは生命線である。

 

 そのキラ自身が「特務部隊Xを自分の直属に欲しい」と言えば、喜んで彼らを差し出すだろう。というより、差し出す他なく、解散させた部隊とモルモット1人を差し出せば、さらなる恩恵が得られるのならば、断る理由が何処にもないのだ。

 

「ッ!! ふ、ふざけるな!! 誰が、貴様のような甘ったれの哀れみや情けなど受けるものか!!」

 

 カナードは激昂し、再びキラを突き飛ばすように胸倉を締め上げた。

 

「ですが、カナード特務兵。これは極めて合理的な提案です。本国は未だ、貴方が世界を牛耳るヤマト准将閣下の『兄』であるという重大な事実を知りません。もし知られれば、貴方はユーラシアの絶大な政治的カードとして一生利用され尽くす事となります」

 

「黙れメリオル!! 認めん、俺は絶対に認めんと言っているだろうが!! こんな泣き虫の甘ったれが、この俺の弟などと!!」

 

「なんだお前たち。またケンカしてるのか? 兄弟揃って血の気が多いな、ホント」

 

 そんな修羅場の格納庫へ、コツコツとヒールの音を響かせて一人の少女が姿を現した。

 

 普段の軍服姿ではなく、豪奢で気品のある淡いピンク色のドレスに身を包んだ、オーブの姫君──カガリ・ユラ・アスハであった。

 

 彼女の登場に、特務部隊Xの面々とモルゲンレーテ社員達は、ようやく心からの安堵の溜息を吐き、胸を撫で下ろした。猛獣使いの到着である。

 

「良い加減認めろよ、お前。血液検査の結果、ちゃんと出ただろ? お前とキラは、正真正銘、血の繋がった兄弟だって」

 

「フンッ! DNAの一致がなんだというのだ! 遺伝子構造が同じだったからといって、そんな紙切れ一枚で、この俺が大人しく『はいそうですか』と認めると思ったか!!」

 

 カガリに正面から詰められ、カナードは腕を組んでそっぽを向いた。

 

 キラにはどれだけ暴言を吐き、食って掛かるカナードだが、不思議なことに、カガリに対しては手を出そうとしない。

 

 カナードはカガリには妙に弱い。それは、オーブ軍内部でもすっかり周囲の共通認識となっていた。

 

「カガリ、そろそろ時間?」

 

 キラが乱れた襟元を直しつつ尋ねる。

 

「ああ。……ほら、カナード。お前もいつまで不貞腐れてるつもりだ。さっさと着替えろ」

 

「はぁ!? 貴様まで、この俺を小間使いのドレスアップ要員として扱う気かっ!!」

 

「小間使いもなにも、お前はキラの護衛なんだろ? なら、パーティに出るなら、ちゃんとした礼装に着替えないと中に入れないだろ。当たり前のことだ」

 

「…………チッ」

 

 カナードは派手な舌打ちをしたものの、カガリの言っていることには全くもって筋が通っており、何も言い返せなかった。

 

 その様子を見て、キラは少しだけ寂しそうに、けれど決意を秘めた瞳でカナードを見つめた。

 

「ね、カナード? ……護衛をしてくれるなら、やっぱりちゃんとした部隊とMSが要るでしょ?」

 

「……貴様の飼い犬になれというのか、この俺に! 武器まで与えられて、貴様を守るために尻尾を振れと!?」

 

「違うよ」

 

 キラは、静かに、けれど強く首を横に振った。

 

「僕はただ……カナードが、『ちゃんとした扱い』を受けてこなかったのが嫌なんだ。実験体として扱われ、失敗作だと蔑まれ、最後には機体ごと使い捨てにされるような、そんな理不尽な思いを、二度とさせたくないんだ」

 

 それは、打算でも哀れみでもない。

 

 世界中を敵に回してでも、自らの愛する者たちを守り抜こうとする、キラ・ヤマトという少年の純粋な『家族愛』の吐露であった。

 

「…………チッ。勝手にしろ、泣き虫が」

 

 カナードは、キラの真っ直ぐすぎる言葉に数瞬だけ言葉を詰まらせ、目を伏せた。

 

 そして、照れ隠しのように乱暴に頭を掻きむしると、吐き捨てるように言葉を紡いだ。

 

「だが勘違いするな! 俺は貴様を弟と認めたわけじゃない。ただ、俺の命を懸けるに足る『戦場』が、貴様の側にしかなくなったから、仕方なく居座ってやるだけだ!」

 

 そう言って背を向け、更衣室へとズンズンと歩き去っていくカナードの背中を。

 

 メリオルたち特務部隊Xの面々と、キラとカガリは、どこか温かい、呆れと安堵の混じった笑顔で見送るのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 シャンデリアの眩い光、鼓膜を撫でる優雅なオーケストラの調べ、そして最高級のシャンパンと葉巻、むせ返るような香水の匂い。 

 

 オーブ連合首長国の最高級ホテル、その貸し切られたメインホールには、軍部の上層部、行政のトップ、財界の重鎮、そして社交界の華たちがひしめき合っている。

 

 ここは、硝煙の匂いこそしないものの、ミサイルやビームよりも厄介な「権力と利権」が飛び交う、もう一つの凄惨な戦場であった。

 

 オーブ国防軍准将、キラ・ヤマト。

 

 将官という雲の上の立場に就いた以上、この「政治の舞台」である公式のレセプションパーティは、決して避けては通れない道である。

 

 ましてや今回は、彼が准将に昇進して初めて出席する公式行事だ。

 

 ただ壁際でグラスを持って微笑んでいるだけでは済まされない。魑魅魍魎がうごめくこの場で、顔を繋ぎ、コネを作り、自らの「准将としての政治基盤」を盤石なものにしなければならないのだ。

 

 もしこれが、本来の歴史を辿った「キラ・ヤマト」であったなら、恐らくこのような場には一切顔を出さなかっただろう。

 

 同じ『准将』という立場であっても、今のこの世界を生きる「キラ」と、「キラ・ヤマト」とでは、その中身も、背負っている業の重さも、置かれている状況も全くの別物である。

 

 第一に、年齢と立場の違いだ。

 

 こっちのキラはまだ16歳の少年であり、自身がカガリと双子であるという重大な事実を世界、そしてカガリ本人にすら明かしていない。

 

 対するあっちのキラ・ヤマトは20歳の青年であり、18歳の頃にはカガリと双子であると明かしていた。

 

 キラ・ヤマトが組み上げた『ナチュラル用OS』によってオーブは国防体制とマスドライバーを再建し、フリーダムを駆って戦った、国家の存亡を救った「救国の英雄」であった。

 

 莫大なライセンス料を国庫に齎した事実もあり、本来であればカガリと双子であることを抜きにしても、国家の最高権力者として君臨して全く不思議ではないほどの圧倒的な功績を持っていた。

 

 しかし、彼はそうしなかった。

 

 戦場で負ったあまりにも深い心の傷を癒すため、そして「自分にはモビルスーツに乗って戦うことしかできない」という、ある種の強迫観念と自己否定に囚われていた節のある彼は、政治の世界に脚を踏み入れることはなく、或いは疲れ切ったキラを気遣ったカガリがそんな世界から遠ざけて、海辺の孤児院で隠居生活を送っていた。

 

 その結果どうなったか。カガリはオーブの代表首長という「お飾り」に祭り上げられ、実権はセイラン家をはじめとする氏族たちに握られ、結果的にオーブが親大西洋連邦路線へと傾いていくのを止めることができなかったのである。

 

 根底にある本質は、こっちのキラも、あっちのキラ・ヤマトも同じだ。

 

 面倒くさがり屋で、争いを嫌い、本質的には甘ったれで泣き虫。それに輪を掛けて、こっちのキラは自らの世話や精神的ケアを周囲の人たちに依存しまくっている、ある種の「究極のダメンズ」である。

 

 だが、運命の歯車が狂いまくって何処かへと弾け飛んで締まったこの世界でも、世界はキラを放っておかなかった。

 

 大西洋連邦国防産業連合理事ムルタ・アズラエルと直接パイプを持ち。

 

 ユーラシア連邦、東アジア共和国、さらにはプラントからさえも『TC-OS』のライセンス料を根こそぎ巻き上げ。

 

 ジャンク屋組合を通じて『ティエレン』や『フレック・グレイズ』が各国の軍事ドクトリンを改変し、オーブはM1アストレイの強化パーツを次々と供与される。

 

 極めつけは、地球のエネルギー危機を救う『ニュートロンジャマーキャンセラー』を開発した上で、「軍事転用禁止・違反すれば全ライセンス契約打ち切り」という悪魔の契約を世界中に締結させた。

 

 これらは全て、彼が「やりたくてやっている権力闘争」ではない。

 

 「大切な人たちを守り、これ以上悲しい思いをしないために、やらなければならなかったことの積み重ね」である。

 

 そしてキラ・ヤマトと、現在のキラの決定的な違い。

 

 それは、自らの意思に関わらず「政治の世界に両足の底まで泥を浸し、踏み込まざるを得なかった」という事実だ。

 

 極端な話、あっちのキラ・ヤマトは、いざという時にフリーダムに乗って空から舞い降りる「最強の剣」でありさえすればよかった。

 

 政治的な折衝や国家間の駆け引きは、カガリやラクスといった周囲が担ってくれていたからだ。

 

 しかし、今のキラは違う。

 

 彼は、戦場で誰よりも前を飛ぶ『最強のパイロット』であり、世界の軍事技術を10年先へと進める『狂気の技術将校』であり、そして各国の首脳陣や死の商人たちと笑顔でグラスを交わし合いながらエゲツない契約書にサインをさせる『冷酷な政治将校』でもあるのだ。

 

 16歳の少年にとって、それはあまりにも重く、いびつな十字架である。

 

 キラは、自身の専用に仕立てられた豪奢な准将の軍服の襟を軽く正すと、胃の痛みを堪えるように小さく息を吐いた。

 

 パイロットスーツの代わりに重圧な軍服を纏い、操縦桿の代わりにワイングラスと契約書を握る。

 

 怠け者で泣き虫なダメンズの少年は、今日も偽りの笑みを顔に貼り付け、自らの大切な居場所を守るため、華やかで血生臭い「政治」という名の底なし沼へと歩みを進めていくのである。

 

 と、キラは思っていたのであるが。そこは今、各国の駐在武官や外交官、オーブの有力氏族たちが最も群がりたいと渇望しながら、同時に「恐ろしくて誰も迂闊に近づけない」という、極めて異様な、一種の不可侵領域と化していた。

 

 無理もない。今宵の主役である16歳の新任准将、キラ・ヤマトの周囲に構築された陣容は、常軌を逸した『絶対防衛線』であった。

 

 まず、キラの背後。

 

 そこには、仕立ての良い礼装に身を包みながらも、隠しきれない野生と暴力の匂いを漂わせるカナード・パルスが、腕を組んだ完全な仏頂面で睨みを利かせている。

 

「俺の弟(とは口が裂けても言わないが)に気安く近づく蛆虫は、この場で首の骨をへし折るぞ」と言わんばかりの凄まじい殺気。

 

 並の文官や社交界の令嬢ならば、彼と目が合っただけで足がすくんで一歩も動けなくなるほどの威圧感だ。

 

 そして、そのカナードの隣で優雅にグラスを傾けているのは、ユーラシア連邦の財団特使という建前でオーブに滞在する青髪の美女、イングリット・トラドール。

 

 彼女はアコードとしての『読心能力』を研ぎ澄ませ、キラに近づこうとする有象無象の心を片っ端から読み取っていた。

 

(……右斜め前の大西洋連邦の武官、TC-OSの裏コードを探ろうとしています。左の赤道連合の令嬢、ただのハニートラップですね。胸元をわざと開けて躓く気です)

 

 イングリットは、読み取った「欲」や「悪意」の情報を、キラの斜め前に立つ少女へと次々に伝達していく。

 

 その情報のすべてを受け取り、キラへの『物理的な関所』として立ち塞がっているのが、オーブの獅子の娘、カガリ・ユラ・アスハである。

 

 彼女はイングリットからの警告を受け、キラを利用しようとする輩や、色仕掛けで籠絡しようとする女たちが近づいてくると、すかさず前に出て「休日の父親のような厳しい目」で射抜き、巧みな、そして時には身分を笠に着た強引な話術で彼らをことごとく撃退していく。

 

 イングリットの『心眼』と、カガリの『権威』。

 

 いつの間にか、「オーブの姫君の厳しい眼鏡にかなった下心のない者だけが、ようやくヤマト准将と口を利くことを許される」という、鉄の掟がこのパーティ会場に完成してしまっていたのである。

 

 だが、他国の首脳陣や特命全権大使たちを最も戦慄させたのは、それだけではない。

 

「……少し、酒が過ぎるのではないか? キラ」

 

 不意に、社交界の闇の奥底からしか姿を現さないはずのオーブ軍政の絶対者ロンド・ミナ・サハクが、周囲の喧騒を切り裂くように滑り込んできた。

 

 彼女は、まるでそれが当たり前の権利であるかのように、然りげ無く、しかしひどく艶めかしい所作でキラの手を取り、その傍らに寄り添った。

 

「あ、ミナ様。いえ、これはただのジンジャーエールで……」

 

「そうか。ならば良い」

 

 微笑むミナのその行動は、会場中の政治家や軍人たちに向けた、強烈すぎる『牽制』であった。

 

 オーブの影の軍神であるミナが、公の場で一人の若き将官の手を取る。

 

 それは即ち、「この少年は我らサハクの庇護下である。手を出せば、オーブの闇の軍団が貴様らの寝首を掻き切るぞ」という明確な政治的メッセージだ。

 

 少し離れた場所では、彼女の双子の弟であるロンド・ギナ・サハクもまた、ワイングラスを片手に、キラの周囲の有象無象へ向けた値踏みするような、それでいてキラ本人への執着を隠そうともしない鋭い視線をチラチラと送っている。

 

 さらに会場を見渡せば、オーブの前代表首長にして真の支配者たるウズミ・ナラ・アスハが、キラの親友であり、現在は自身の秘書官見習いとして鍛え上げているサイ・アーガイルを連れ、各国の大使たちへとにこやかに挨拶して回っている。

 

 それは、見事なまでの『力の誇示』であった。

 

 これまでも、キラ・ヤマトが「技術三尉」という異様に低い階級のままでいながら、ウズミやミナの強烈なお気に入りであり、莫大な後ろ盾を持っているという噂は、オーブの社交界だけでなく各国の諜報機関の間で囁かれていた。

 

 だが、こうして『准将』という地位を得た今。改めて公の場に晒されたその陣容は、各国の外交官たちが想定していた甘い見通しを完膚なきまでに叩き潰した。

 

「……なんということだ。あの少年は、ただの優秀な技術屋ではないのか」

 

 冷や汗を拭いながら、大西洋連邦の特使が呻く。

 

 彼らは、16歳の世間知らずな少年将官ならば、金か、女か、あるいは名誉で簡単に丸め込めると踏んでいた。

 

 だが、現実のキラ・ヤマトの周囲はオーブの表の権力と影の権力に完全に守護され。

 

 さらに、ユーラシア連邦の軍部代表と財団特使という「他国すら巻き込んだ物理的・精神的な絶対防衛線」が、彼という一個人を要塞のように取り囲んで睨みを利かせているのだ。

 

「あの少年に触れようとすれば、オーブとユーラシアを同時に敵に回すことになる!」

 

 その事実に気づいた魑魅魍魎たちは、もはや愛想笑いを浮かべて遠巻きに眺めることしかできなかった。

 

「……なんだか、みんな僕を見る目がすごく怖いんだけど」

 

 当の本人であるキラは居心地悪そうに身をすくめ、後ろに立つカナードや隣のカガリ、イングリットを見回した。

 

「当然だ。貴様のような隙だらけの甘ったれが、無防備に笑っているから舐められるのだ。……チッ、胸を張れ。俺が背中にいる以上、貴様を討てる奴などこの会場には存在しない」

 

 カナードが、悪態をつきながらも頼もしい言葉を吐き捨てる。

 

「カナードの言う通りだぞ、キラ。お前はただ堂々としていればいい。面倒なヤツは、私とイングリットが全部弾き飛ばしてやるからな!」

 

 カガリが頼もしく胸を張り、イングリットもまた、青髪の奥で密かに嬉しそうな、誇り高い微笑みを浮かべて小さく頷いた。

 

「フフッ……お前は相変わらず、無自覚に恐ろしい盾を築き上げるのが上手い男だ」

 

 ミナが、キラの腕にさらに深く身を寄せながら、クスクスと妖艶に笑う。

 

 自らを「ダメンズ」だと自覚し、周囲に甘えることでしか生きられないとすら思っているキラ・ヤマト。

 

 しかし、その甘えと優しさが人を惹き寄せ、こうして彼を守る斯衛軍を形作っていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「お顔が優れませんわね、アスラン。何かお気に病むことでも?」

 

 オーブの夜景を望むホテルのラウンジ。その一角で、柔らかな光を帯びたピンク色の髪を揺らしながら、ラクス・クラインは静かに問いかけた。

 

 その口調はあくまでも穏やかで、しかし相手の心の深淵を覗き込むような、特有の静謐な威圧感を孕んでいた。

 

「あ、いえ。……大丈夫です、ラクス。少し、この空気に慣れていないだけですから」

 

 アスラン・ザラは、グラスに注がれたミネラルウォーターを見つめながら、努めて冷静な声音でそう返した。

 

 だが、その言葉とは裏腹に、彼の心境はまさに万華鏡のように複雑に砕け、際限なく乱反射を繰り返していた。

 

 事の始まりは、あのアラスカ基地JOSH-A攻略作戦──『オペレーション・スピットブレイク』であった。

 

 あの苛烈な戦場に、アスランも参加していた。

 

 しかし、結果はザフト軍の血を吐くような撤退劇。

 

 ユーラシア連邦の圧倒的なティエレン部隊の防衛線と、大西洋連邦の増援による挟撃の前に、彼らは作戦の完全な失敗を突きつけられたのだ。

 

 その後、部隊の再編のため、カーペンタリア基地に滞在していたアスランの耳に、ある日、世界を根底から震撼させるニュースが飛び込んできた。

 

 『ニュートロンジャマーキャンセラー』の開発。

 

 そして、その奇跡の技術を生み出し、地球に核の火と命の温もりを取り戻した「オーブの技術者」の名。

 

 ──キラ・ヤマト。

 

 その名を聞いた瞬間、アスランの呼吸は止まり、全身の血液が沸騰するような錯覚に陥った。

 

 キラ・ヤマト。アスランにとって、彼はただの技術者などではない。

 

 幼い頃、月の都市コペルニクスで共に過ごし、目の中に入れても痛くも痒くもない親友。

 

 ……面倒くさがり屋で、すぐに泣き言を言って甘えてくる、優しすぎて不器用な少年。

 

 あのヘリオポリスの紅蓮の炎の中で、彼らは最悪の形で再会を果たした。

 

 ザフトの赤き軍服に身を包んだアスランは『イージス』に乗り、そしてキラは──あろうことか、あの不格好で分厚い装甲を持つ紺色の鉄の塊『ティエレン』に乗り込んで、互いに銃口を向け合ったのだ。

 

 その後、幾度となく戦場の空を見上げては、親友の無事を、そして再び相見える日を願っていた。

 

 その親友が、あろうことか世界中の軍事ドクトリンを握る死の商人となり、ついには地球全土を救う「救世主」として、世界にその名を轟かせたのだ。

 

 さらに、キラがオーブ国防軍の『准将』に昇進し、今宵その披露パーティーが開かれるという事実を知ったアスランは、居ても立っても居られなくなった。

 

 彼は、本国プラントの最高評議会議長にして、自身の厳格なる父親であるパトリック・ザラへと直接通信を繋ぎ、身分を伏せてでもこのパーティに出席したいと、半ば強引に懇願した。

 

 当初、パトリックはアスランからの無謀な申し出を強く渋った。

 

 いくら中立国を標榜しているとはいえ、現在のオーブはNJCのライセンスを盾に取り、ユーラシア連邦と大西洋連邦とも裏で莫大な取引を行っている「世界最強の武装中立国家」である。

 

 その底知れぬ魑魅魍魎の巣食う中枢へと、軍人としての技量は一流であっても、政治の裏側を全く知らない真っ直ぐすぎる息子を単身放り込むなど、あまりにも未熟が過ぎるし、危険極まりないからだ。

 

 しかし。

 

「議長……いえ、父上。実は……そのキラ・ヤマトは、私がコペルニクスに住んでいた時に、一番の親友だった幼馴染みなのです。私は、彼と直接会って、その真意を確かめなければなりません」

 

 アスランがその事実を口にした瞬間。

 

 通信の向こう側で、常に冷徹で強硬な姿勢を崩さないあの父親が、息を呑む気配が伝わってきた。

 

『……何故、もっと早く言わなんだ、アスラン……』

 

 それは、憎悪でも怒りでもなく。

 

 あの血のバレンタイン以降、コーディネイターの純血主義に取り憑かれ、地球軍への復讐のみを生き甲斐としているかのように見えた厳格な父から放たれたとは思えない、酷く後悔に満ちた、絞り出すような声音だった。

 

 コペルニクスで暮らしていた、あの平和だった頃。

 

 プラントで多忙を極めていたパトリック・ザラは、自分の息子がどのような友人を持ち、誰と笑い合っていたのか、全く知ろうともしなかったのだ。

 

 もし、彼が息子の交友関係に少しでも興味を持ち、キラ・ヤマトという少年の類稀なる才能と存在をプラントへと引き抜いていれば……この狂った戦争の趨勢も、NJCの独占権も、全ては全く違った形になっていたかもしれない。

 

 その想像を絶する損失と皮肉に、パトリックは一瞬だけ、一人の父親としての致命的な後悔を見せたのだ。

 

 結局、父の許可を取り付けたアスランは正式な外交ルートを通じてオーブへと入った。

 

 しかし、彼がホテルへと足を踏み入れたその瞬間、まるで蜘蛛の巣の中心で獲物を待ち構えていたかのように、元婚約者であるラクス・クラインが、見透かすような笑みを浮かべてアスランの前に立っていたのだ。

 

 強硬派のパトリック・ザラと、穏健派のシーゲル・クライン。

 

 両家の父親たちが政治的に決定的に袂を分かってから、アスランとラクスの婚約は事実上、暗黙の了解のもとに解消されていた。

 

 その彼女と、まさかこの遠く離れたオーブの地で、しかもキラ・ヤマトの祝賀パーティの会場で出くわすことになるとは、アスランは夢にも思っていなかった。

 

 だが、冷静に考えれば、穏健派のトップであるシーゲル・クラインの娘が、世界中を救ったNJCの開発者とのコネクションを求めてこの場に潜入していること自体は、少しも不思議なことではない。

 

 むしろ、彼女の平和を願う想いとクライン派の情報網を考えれば必然ですらあると、アスランは必死に自分を納得させた。

 

 ナチュラルへの復讐を掲げる祖国。

 

 復讐心に戦争を推し進めようとする父、パトリック・ザラ。

 

 世界を裏から支配しようとする親友、キラ・ヤマト。

 

 そして、底知れぬ笑みを浮かべてる元婚約者、ラクス・クライン。

 

 いったい誰が正しくて、誰が狂っているのか、自分は何を信じ、誰のために力を振るえばいいのか。

 

 アスラン・ザラの心は、パーティ会場の華やかな喧騒の中で、ただ一人、出口のない深い迷宮の中を彷徨い続けていたのである。

 

 

◇◇◇

 

 

「こんばんは、キラ」

 

「うん。こんばんは、ラクス」

 

 シャンデリアの眩い光が降り注ぎ、各国の諜報機関や外交官たちが息を潜めて窺うその『絶対防衛線』の中心部において、あまりにも場違いなほどに穏やかで、親しげな声が響き渡った。

 

 ただでさえ果てしない混迷の底に沈んでいたアスラン・ザラを、さらなるカオスの坩堝へと突き落としたのは他でもない。

 

 かつて月で共に過ごした幼馴染みにして親友のキラと、プラントの政治闘争の果てに婚約を解消した元婚約者ラクス・クラインが、まるで長年連れ添った旧知の仲であるかのように、極めて自然に、微笑みを交わしながら挨拶を交わしたという事実であった。

 

(……は? 何故、二人が?)

 

 アスランの優秀な頭脳は完全に思考の泥濘にハマり込み、ショートを起こしかけていた。

 

 オーブのモルゲンレーテでMS開発の根幹を担っていた中立国の少年と、プラント最高評議会前議長の愛娘にして、プラントのアイドルである『ピンクの姫君』。

 

 二人の接点など、アスランの知る限りどこにも存在しないはずなのだ。

 

 その異常な光景を前にいち早く動いたのは、キラの腕に艶めかしく絡みついていたオーブの影の軍神、ロンド・ミナ・サハクであった。

 

 彼女は、突如として現れたラクス・クラインの姿と、その背後に控えるアスラン・ザラを一瞥すると、ふっと意味深な笑みを浮かべ、然りげ無くキラからその手を離した。

 

 それは決して退却ではない。

 

 「光の姫君」が盤上に現れたことで、これから巻き起こるであろう極上の劇を特等席で楽しむための、彼女なりの粋な計らいであり、同時に「オーブの准将はプラントの重要人物とも太いパイプを持っている」と周囲の有象無象に知らしめるための、高度な政治的演出でもあった。

 

「知り合い、だったのか……?」

 

 呆然と立ち尽くしたまま、アスランは乾いた唇からようやくその一言を絞り出した。

 

 問いかけられたラクスは、ふわりと花が咲くような笑みを深めた。

 

「ええ。ですが今は、わたくしよりも……貴方がお話をするべきでしょう、アスラン」

 

 ラクスはそう言うと、アスランへと道を譲るように、ドレスの裾を翻して一歩横へとズレた。

 

 彼女によって開かれた道の先。

 

 そこには、真新しいオーブ国防軍准将の軍服に身を包んだ親友が立っていた。

 

「久し振り、って……言えば良いのかな。アスラン」

 

 少し困ったように眉を下げ、遠慮がちに言葉を紡ぐその姿は、世界を裏から牛耳る「死の商人」でも、各国の軍事ドクトリンを破壊した「悪魔の特異点」でもなかった。

 

 コペルニクスのあの頃のまま、あの泣き虫で甘ったれな『キラ』そのものであった。

 

「キ、ラ……」

 

 アスランは、己の胸の奥底に荒れ狂う感情の渦に、どうしても名札を付けることができなかった。

 

 ヘリオポリスで再会した時の絶望。宇宙でティエレンとイージスで殺し合いになりかけた時の恐怖。彼を戦場から救い出せなかったという罪悪感。そして、いつの間にか自分など遥かに及ばないほどの高みに登り詰め、世界の覇者として君臨していることへの、微かな劣等感と嫉妬。その親友が生み出した兵器で多くの仲間が傷つき散った事への怒りと遣る瀬無さ。

 

 それら全ての感情がごちゃ混ぜになり、アスランはただ、震える両の拳をきつく握り締めることしかできなかった。

 

 張り詰めた沈黙。二人の少年の間に横たわる数奇な運命の糸を、周囲の者たちが固唾を飲んで見守っていた、その時である。

 

「ああ、そうだ。紹介するね、アスラン。……僕のお兄さんの、カナードだよ」

 

 キラは緊迫しきった空気を全く読むことなく、自身の背後で腕を組み、ザフトのエリートであるアスランを「今すぐ八つ裂きにしてやろうか」と言わんばかりの凄まじい眼力で睨みつけていたカナードを、事もなげにそう紹介した。

 

「…………バカか、お前はっ!」

 

 名指しされたカナードは、頭痛を堪えるように片手で顔を覆い、血を吐くような低い声で呻いた。

 

 各国の諜報員や大使たちがうごめくこの公式な社交の場で、よりにもよって『オーブの裏の最高権力者の実兄』として大々的に身バレさせられたのだ。

 

 彼のこれからの人生設計が、この一瞬で完全に崩壊した音が聞こえた。

 

 だが、カナードの嘆きなど比較にならないほどの致死量のショックを受けたのは、他ならぬアスランであった。

 

「あ、あぁ、………………………はあああ!?!?」

 

 ザフト軍の士官学校を首席で卒業し、いかなる状況下でも冷静沈着を保つよう訓練されてきたはずの赤服のエリートが。プラント最高評議会議長を父に持つ、誇り高き貴公子が。

 

 ここが世界中のVIPが集う社交の場であるという事実を完全に忘却し、目を限界まで見開きながら、口をあんぐりと開けて、あまりにも素っ頓狂で間の抜けた叫び声を上げてしまったのだ。

 

「お、お兄さん!? キラは一人っ子だったはずだろう!? しかも、彼はユーラシア連邦の軍章を付けているじゃないか! どういうことだ、キラ!!」

 

 パニックに陥り、思わず一歩詰め寄るアスラン。その行く手を「俺の弟に気安く近づくんじゃねぇ」とばかりにカナードが立ちはだかり、さらに事態はカオスを極めていく。

 

 そして、このコントのようなやり取りを遠巻きに眺めていた、会場の有象無象の権力者たち、大使たち、そして各国スパイたちの背筋には、致死量の氷水がぶち撒けられたかのような悪寒が走っていた。

 

 プラント最高評議会議長パトリック・ザラの血を引く息子、アスラン・ザラ。

 

 穏健派の前議長の娘、ラクス・クライン。

 

 その二人と、まるで幼馴染みや家族のように親しく、かつ対等に言葉を交わすオーブのヤマト准将。

 

 さらに極めつけは、ユーラシア連邦軍人カナード・パルスを、己の『実の兄』として公の場で宣言したのだ。

 

(……バ、バカな。それではオーブは、プラントのザラ派とクライン派の双方のトップ層と個人的な太いパイプを持ち、さらにユーラシア連邦軍と『血の繋がり』という強固極まる同盟関係を結んでいるということか……!!)

 

(あのアヘッドの大量配備で息巻いている大西洋連邦のブルーコスモスでさえ、ヤマト准将には手も足も出ないはずだ。なんという恐ろしい少年だ……彼は、16歳にして地球と宇宙の全ての陣営の『首根っこ』を完全に握りしめている!)

 

 誰もが、顔面を蒼白にして震え上がった。

 

 彼がこれまでに積み上げてきた規格外の功績と、背負ってしまった狂気のような権力が、その何気ない一言を『世界全土に向けた、オーブの絶対的な軍事・政治的覇権の宣言』へと自動的に変換してしまったのだ。

 

 軍部、行政、財界、そして社交界。

 

 世界を動かす魑魅魍魎たちが集うこの夜のパーティは、ただ一人の心優しき泣き虫の少年が放った爆弾によって、その勢力図を根底から書き換えられたのであった。

 

 

◇◇◇

 

 

「阿呆か彼奴は。でなければ、底抜けの狸だ」

 

 呆れ果てたような、しかしどこか底知れぬ戦慄を隠しきれない声が、喧騒から切り離された特等席でこぼれ落ちた。

 

 キラの周囲で起きた阿鼻叫喚の喜劇──あるいは世界を揺るがすパワーバランスの劇的な変動を少し離れた場所から冷ややかに観察していたロンド・ギナ・サハクは、ワイングラスのステムを指先で弄びながら、双子の姉であるロンド・ミナ・サハクの傍らへと歩み寄った。

 

 ギナの美貌には、明らかな苛立ちと、理解の範疇を超えた存在に対する不快感が張り付いている。

 

 無理もない。彼らサハク家が武力と冷徹な政治的策謀をもって長年かけて築き上げようとしてきたオーブの覇権を、あの甘ったれた風貌の少年は、ただ「兵器の規格を統一する」という力技と、「身内を紹介する」という無邪気な爆弾の発下だけで、あっさりと世界規模で成し遂げてしまったのだから。

 

「ククク……良い子だろう? ギナよ」

 

 だが、弟の苛立ちを他所に、ミナは艶やかな扇で口元を隠し、その妖艶な双眸に慈しみと、自身が最高傑作を見出したかのような深い愉悦の光を湛えて微笑んだ。

 

「お前には、あの行動がただの無自覚な阿呆の所業に見えるか? あの年齢でロゴスの盟主──ムルタ・アズラエルを直接口説き落とし、手玉に取った子だぞ。見えている盤面の広さも、そしてそれを背負い込むだけの『腹構え』も、そこらの凡百の政治家とは次元が違う」

 

「………気に食わぬな」

 

 ギナは美しく整った顔を微かに歪め、吐き捨てるように呟いた。

 

 最強の軍事国家となったオーブの武力で世界を統治すべきだという己の覇道とは対極にある、あの少年の「優しさと自己犠牲による支配」。

 

 それが結果的に誰よりも強固な結界を構築しているという事実が、ギナの自尊心をひどく逆撫でするのだ。

 

 そんなサハク姉弟の密やかな会話や、周囲の魑魅魍魎たちが一斉に青ざめていく異様な空気の変容など意にも介さず、台風の目であるキラは、目前のアスランとの会話を静かに続けていた。

 

「俺は……俺は、お前のことがわからなくなったぞ、キラ」

 

 アスランは、震える声でそう絞り出した。

 

 ザフトの赤服として、合理的な判断と大義を重んじてきた彼にとって、目の前の光景はあまりにも不条理だった。

 

 MSを生み出して世界中にバラ撒いて、地球軍の中枢に食い込みながら、なぜプラントのアイドルであるラクスと親しげに笑い合えるのか、なぜユーラシアの兵を「兄」と呼んで背中を預けられるのか。

 

 かつて泣きながら「戦いたくない」と叫んでいた親友は、いったいどこで、どのような地獄を潜り抜け、こんな得体の知れない怪物へと変貌してしまったのか。

 

「そうかな……」

 

 アスランの悲痛な問いかけに対し、キラは自嘲するような、ひどく寂しげな笑みを浮かべた。

 

 変わってしまったのは自分でも分かっている。

 

 だが、こうしなければ、アスランと再び向かい合って言葉を交わすこの日を迎える前に、どちらかが宇宙の塵になっていたはずなのだ。

 

「ミナ様。……少し、席を外させて頂きます」

 

 キラは、自身の庇護者たるミナへと向き直り、准将としての礼節をもって一礼した。

 

「ああ。久方ぶりの友との再会だ。己の腹が据わるまで、存分に語り合うが良い」

 

 ミナの鷹揚な許可を得ると、キラは再びアスランへと向き直った。

 

「はい。……みんな、少し周りをお願い。アスラン、いこ」

 

「あ、ちょっ、待てキラ!」

 

 キラが踵を返し、夜風の吹き込む広大なバルコニーへと脚を進めると、アスランはザフトのエリートとしての威厳も忘れ、慌ててその後を追った。

 

 その背中を見送った面々も、即座に行動を開始した。

 

「……チッ。本当に手のかかる、面倒な奴だ」

 

 カナードはこれ見よがしに深い溜息を吐き出し、首の骨をバキバキと鳴らすと、鋭い眼光を取り戻し、不審者が近づかないよう一定の距離を保ちながらバルコニーへと続く動線を確保するために歩き出した。

 

 一方、その場に残されたイングリットとラクス。

 

 アコードの悲しきスパイと、プラントの政治闘争の渦中にいる光の姫君。

 

 二人は言葉を交わすことなく小さく頷き合い、彼女たちもまた、ドレスの裾を翻し、キラの背中を守るためにその後を追う。

 

 そして。

 

「あ、あいつ……!? プラント最高評議会議長と、前議長の子息子女と知り合いだったなんて、聞いてないぞ!?」

 

 アスランが悲鳴を上げた時以上の、頭を抱えたくなるような国家機密級の爆弾事実を今この瞬間初めて知らされ、完全にショートして石化していたカガリ・ユラ・アスハは。

 

「ま、待てキラ! 私を置いていくな! おい!!」

 

 ようやくシステムを再起動させるなり、オーブの姫君としての優雅な振る舞いなど完全に放り投げ、ドレスの裾を豪快に掴み上げながら、ドタバタと全力で追いかけていったのである。

 

 シャンデリアの偽りの光が届かない、波の音だけが響く夜のバルコニー。

 

 重すぎる業を背負った少年たちの、本当の意味での「再会」が、今ようやく始まろうとしていた。

 

 

 

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