キラ・ヤマトになってしまった…   作:星乃 望夢

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PHASE-80 -家なかま族-

 

「さ、話して貰うぞ、キラ」

 

 シャンデリアの眩い光と、魑魅魍魎たちの視線が届かないバルコニーの影。

 

 夜の海から吹き込む冷たい風だけが通り抜けるその場所で、アスランは踵を返し、目の前の親友と真正面から向き直った。

 

 ザフトのエリート軍人としての顔。そして、かつて彼と共に無邪気に笑い合っていた幼馴染みとしての顔。

 

 その両方の感情を綯い交ぜにしながら、アスランは彼に問いただそうとした。

 

 なぜオーブの将官になったのか。

 

 なぜあんな兵器をばら撒いたのか。

 

 なぜ、自分と戦場であんな風にすれ違わなければならなかったのか。

 

 だが。

「お、おい、キラっ……!?」

 

 アスランの厳しい追及の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。

 

「ぅ、っっ、ぁぁ、ぅっ……」

 

 不意に、目の前の小柄な准将が、アスランの胸元に顔を埋めるように、真正面から力強く抱きついてきたからだ。

 

 最高級の生地で仕立てられた軍服の肩をガタガタと震わせ、子供のようにしゃくり上げながら。キラは、まるで堰を切ったように、声を押し殺して泣き始めた。

 

「……こわかった……こわかったよぉぉ……っ」

 

 それは、世界を裏から支配する『死の商人』の言葉でもなければ、人類の未来を握る『特異点』の言葉でもない。

 

 ただひたすらに死の恐怖に怯え、大切な人たちを守るために必死に背伸びをし続けてきた、16歳の孤独な少年の、痛切な本音だった。

 

「キラ……」

 

「誰も、死なせたくなくて……でも、どうすればいいか分からなくて……っ。戦場に出るのも、偉い人たちと笑いながら怖い契約をするのも……全部、全部、こわかったんだよぉ……っ」

 

 アスランの胸元をぎゅっと握りしめるキラの手は、ひどく冷たく、そして震えていた。

 

 その嗚咽を聞いた瞬間、アスランの頭の中で渦巻いていた、国家間のパワーバランスだの、NJCの軍事的優位性だの、そんな小難しい政治の疑問や疑念は、文字通り「全部どうでもよく」なってしまった。

 

 ああ、なんだ。

 

 こいつは、あの頃から本当に、何一つ変わっていないじゃないか。

 

 世界を震撼させる恐るべき兵器の数々も、他国を縛り上げるエゲツない契約も、それは彼が野心や権力欲から生み出したものではない。

 

 ただひたすらに「大切な人が傷つくのが怖かったから」。

 

 だから、自分が泥を被ってでも、誰も手出しできないほどの絶対的な防衛線を、狂ったように築き上げ続けるしかなかったのだ。

 

「………あぁ、っ、たく……」

 

 アスランは、大きく、そして深く、安堵の溜息を夜風に溶かした。

 

 自身の中にあった、親友が遠い怪物になってしまったのではないかという微かな恐怖と嫉妬が、キラの涙によって綺麗に洗い流されていくのを感じた。

 

「……本当に、お前は俺が居ないと、ダメな奴だな」

 

 アスランは、昔コペルニクスで彼が転んで泣きついてきた時と同じように、少しだけ呆れたような、けれど底知れぬ慈愛に満ちた声でそう呟くと、キラの背中にそっと腕を回し、その震える小さな身体を抱きとめた。

 

「あすらぁぁぁん……っ」

 

 その言葉に、ついにキラの張り詰めていた最後の糸が切れ、声を上げて泣きじゃくり始めた。

 

「まったく……。今は一応、一国の『准将』だろう、お前は。……ほら、ハンカチ」

 

「ん、ううっ、ぐすっ……」

 

 アスランは苦笑しながら、ポケットから自身のハンカチを取り出し、親友の顔を真っ赤にして流れる涙や鼻水を、乱暴に、しかしとても優しく拭ってやった。

 

 泣き虫で、甘ったれで、面倒くさがり屋の怠け者。

 

 自分がよく知る親友と、何一つ変わっていなかった。

 

 その事実が、アスランの心をどれほど救ったことか。

 

 

◇◇◇

 

 

「さあ、落ち着いたなら全部話してもらうぞ、キラ。お前が何を考え、何をしてここまで来たのかを」

 

 バルコニーの暗がり。

 

 分厚いガラス戸の向こうで繰り広げられる華やかな魑魅魍魎の宴から完全に切り離されたその場所で、アスランは泣き止んで目を赤く腫らした親友と真っ直ぐに向き直った。

 

 夜の海風が二人の間を通り抜ける中、キラはポツリポツリと、自身が辿ってきた血を吐くような軌跡を語り始めた。

 

「TC-OSを作ったのは……戦争を根本から止めるためには、とにかくお金を稼がないと何も始められないからって考えて」

 

「そうか……」

 

 アスランは短く応えた。かつてコペルニクスで「痛いのは嫌だ」と泣いていた親友の口から出た、あまりにも現実的で血生臭い結論。

 

 だが、それが万の軍勢を動かすための絶対の真理であることを、軍人であるアスランは痛いほど理解できた。

 

「ティエレンを作ったのも……最初は軍事目的じゃないんだ。ジャンク屋組合の仲間たちが、海賊や盗賊のジンに襲われて……彼らを守るための、ただの頑丈な重機が欲しかっただけなんだ」

 

「……そうだったのか」

 

 あの分厚い装甲と無骨なシルエット。

 

 あれは人を殺すためではなく、ただ仲間を死なせないための「鉄の盾」として生まれた。

 

 その純粋な動機に、アスランは胸の奥が痛むのを感じた。

 

「でも、そのティエレンがユーラシア連邦に渡って軍の主力兵器になっちゃったのは……僕、販路に関してはノータッチだったから、いつの間にかそんな事になってて……」

 

「……おい」

 

 アスランは思わずジト目を向けた。

 

「仕方ないだろ! 僕は設計とOSの面倒を見ただけなのに、ジャンク屋の人たちが商魂逞しすぎて、いつの間にか世界中に売られてたんだから!」

 

 少しムキになって言い訳をするキラ。

 

 これだけの大事をしでかしておきながら、根幹の部分がひどく行き当たりばったりであることに、アスランは深い溜息をついた。

 

 ただ、仲間を守るための機体を納品したからあとはそっちでお願いと丸投げしたのは、キラの性格を骨の髄まで知るアスランをしてそうするだろうという確信があった。

 

「ラクスと会ったのも、彼女がユニウスセブンの追悼慰霊団としてデブリベルトに向かう途中で、デブリ帯の航行に詳しいジャンク屋組合の人間として、僕が護衛と案内役に雇われたんだ」

 

「なるほどな。彼女なら、そういう中立の人間を選ぶのは理にかなっている」

 

 点と点が繋がっていく。プラントの姫君とオーブの少年を結びつけたのは、宇宙の屑を拾うジャンク屋のネットワークだったのだ。

 

「でも、一番死ぬかと思ったのはアラスカに降りた時だよ……。アズラエル理事に直接呼び出されて、「オーブの三倍出すからTC-OSの全権を寄越せ」って凄まれて……だから、逆にライセンス契約を吹っかけて、あの人を縛り付けてやったんだ」

 

「む、無茶をするなぁ……! お前、相手が誰だか分かっているのか!? 大丈夫だったのか!?」

 

 ブルーコスモスの盟主──だった男であり、地球軍を裏で操る死の商人。

 

 そんな怪物を前に、丸腰の16歳がハッタリで交渉のテーブルを引っくり返したというのだ。

 

「大丈夫じゃないよ!! 怖かったよ!! ずっと吐きそうだったんだから!!」

 

 本気で涙目になって叫ぶキラを見て、アスランは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 

 この親友は、震える足で文字通り「悪魔」とダンスを踊って生き延びたのだ。

 

「それに、やっとオーブに帰れると思ったら、迎えに来たのがアスハ家の「クサナギ」じゃなくて、サハク家の「イズモ」でさ……。そのままアメノミハシラに連行されて、そこでロンド・ミナ・サハク様に口説かれたんだ」

 

「サハクの……あの女にか」

 

「うん。彼女は、オーブを世界最強の覇権国にして、僕に「世界の椅子」を与えてやるって言った。だから僕は、条件を出したんだ。オーブを世界最強の武装中立国家にして……この先、世界が、ナチュラルとコーディネイターが互いに憎み合い、際限なく殺し合う泥沼になって、取り返しのつかない事態が起きた時に。その両方の横っ面を、全力で殴り飛ばしてでも戦争を止める。……その僕の野望を共有して、一緒に地獄に落ちる一蓮托生の手を組むなら、全てを捧げるって」

 

「あ、あ、あぁ……」

 

 アスランは激しい頭痛を覚え、額に手を当てて天を仰いだ。

 

 たった一人の少年が、国家の影の支配者と結託し、地球軍とザフトという二大勢力に武力介入するための「第三の極」を創り上げた。

 

 それが、かつて平和を謳っていた技術中立国家オーブが、狂気の武装中立国家として産声を上げた真実。

 

「カオシュンが陥落した後くらいから、なんかユーラシア連邦が陸戦兵科を全部ティエレンにやらせ始めたらしくて……」

 

「それは、お前は悪くないな……。完全にユーラシアの軍部の狂気だ」

 

「ザフトのビクトリア基地攻略も、アラスカ基地攻略も、ユーラシア連邦の現場の人達がティエレンで頑張り過ぎちゃって、落ちなかったんだって……」

 

「…………なんなんだ、ユーラシア連邦って」

 

 アラスカの最前線で、あの異常なまでに硬い鉄壁のティエレン部隊に血反吐を吐かされたザフトの一員として、アスランは心底からの疑問と疲労感を漏らした。

 

「僕にもわかんないよ……」

 

 キラもまた、自らの生み出した兵器が想定外の戦果を上げていることに頭を抱えていた。

 

「ただ、ユーラシアが大量生産しまくったティエレンが闇市場に溢れて、テロリストや海賊まで使い始めたせいで、本家のジャンク屋組合の人達が「ユーラシア軍だ」とか「テロリストだ」って誤認されて撃たれることが相次いで……だから、逃げ足が速くてビームも弾ける「フレック・グレイズ」を作らなきゃいけなくなったんだ」

 

「それは……完全に自業自得じゃないか?」

 

 アスランの呆れたツッコミに、キラはぐうの音も出ずに俯いた。

 

「そして、ニュートロンジャマーキャンセラー……。あれは、シーゲル・クライン様からの依頼で、マルキオ導師のルートから世界中に無償で解放するはずだったんだ。でも……そのまま何も縛りを設けずに渡したら、ブルーコスモスのジブリールは絶対に、一秒の躊躇いもなくプラントに向けて核ミサイルを撃ち込むって確信してた。……だから僕は、シーゲル様の意図を裏切って、主権国家オーブでガチガチの「軍事転用禁止」のライセンス条項を作って、世界に首輪をはめたんだ」

 

「……! むしろ、良くやったな。でなかったら、プラントは今頃……」

 

 アスランは息を呑んだ。NJCの公開は、地球をエネルギー危機から救うためだけではない。

 

 あの強烈なライセンスの縛りがなければ、故郷であるプラントはとうの昔に核の炎で焼却されていたのだ。

 

 キラは、たった一人で全人類のライフラインと、コーディネイターの命運の両方を護り抜いたのである。

 

 しかし、キラの口から紡がれた「最大の真実」は、その後に続いた。

 

「血のバレンタインの時……」

 

 キラの声が、微かに震えた。

 

「核ミサイルが使われるって知った僕は……地球軍の軍事ネットワークをハッキングして、使われる弾頭の型式と、それを積み込んだメビウスの母艦を特定して……匿名で、ザフトの統合参謀本部にそのデータを丸投げしたんだ」

 

「っ……!? な、なら、お前は、母上をっ……。クソッ!!」

 

 アスランは、胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いで身を乗り出した。

 

 怒りではない。凄まじいまでの恐怖と、張り裂けそうなほどの悲痛だ。

 

「なんでそんな危ないことをしたんだ、お前は!! 一歩間違えたら、地球軍とザフト、両方の諜報部からも命を狙われて、殺されてたんだぞ!! 狂ってるのか!!」

 

 国家の最高機密である核攻撃の暗号を単独でぶち抜き、それを敵国に流す。

 

 発覚すれば、オーブにいようが確実に極秘裏に消される大罪だ。

 

 なぜ、そこまでして。

 

「だって……っ! レノアさんのこと、助けたかったんだよ!!」

 

 キラの目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。

 

「あんな優しい人が……アスランのたった一人のお母さんが、あんな冷たい宇宙で焼け死ぬなんて、絶対に嫌だったんだ!!」

 

 その叫びを聞いた瞬間、アスランの脳裏に、あの日──血のバレンタインの数日前の記憶がフラッシュバックした。

 

 通信制限で連絡が取れなくなる前、キラは異常なまでに口酸っぱく「バレンタインの日は、絶対にレノアさんと一緒にいてね」「プレゼントを渡したいから、絶対にプラント本国から離れちゃダメだよ」と、縋るように念を押してきていた。

 

 しかし、アスランが連絡した母レノアは、農業ブロックの研究が大詰めで、どうしてもユニウスセブンを離れられない。キラには謝っておいて欲しいと、少し寂しそうに微笑んで通話を切ってしまったのだ。

 

 アスランは、今更ながらに全てを理解した。

 

 キラはあの時、すでに地球軍の核攻撃の計画を知っていたのだ。

 

 自分が死ぬかもしれないリスクを負ってザフトに警告を送り、せめて親友の母親だけでも助けようと、必死にアスランにすがりついていたのだ。

 

 だから。遠くから見ているだけでは、戦争は終わらない。

 

 何もしなければ、大切な人がまた理不尽に奪われていく。

 

 だから、この優しすぎる親友は、自らの手を底知れぬ泥と血で汚し、やりたくもない政治闘争に身を投じ、兵器を造り、世界中の大人たちを脅迫してでも、この戦争を終わらせるために駆け回っていた。

 

「そうして……やれることを、僕なりに精一杯やって来たら……気付いたら、こうなっちゃったんだ。こう、出来ちゃったんだよ……」

 

「キラ……」

 

 アスランはただただ絶句し、自身の無力さと、親友の背負った凄絶な痛みに打ちのめされていた。

 

 キラは、何も悪くなかった。

 

 野心も、支配欲も、悪意も、何一つ持っていなかった。

 

 ただこの残酷な世界が、たった16歳の親友の細い肩に、コーディネイターとナチュラルの憎悪の連鎖という、果てしなく重い『業』を全て押し付けたのだ。

 

 その理不尽な重圧の中で、藻掻いて、足掻いて、血の涙を流して苦しんで。

 

 それでも誰一人見捨てたくなくて、たった一人で耐え抜いてきた。

 

 その結果が、この『キラ・ヤマト准将』という、孤独でいびつな怪物の正体だったのだ。

 

「……もう、いい」

 

 アスランは、夜風に冷え切ったキラの身体を、もう一度、今度は骨が軋むほど強く抱きしめた。

 

「もういい、キラ。……よく、一人で耐えたな。よく、生きていてくれた」

 

「あすら……んっ…」

 

「もうお前一人に、こんな馬鹿げた重荷は背負わせない。……俺も一緒に、このふざけた世界を殴り飛ばしてやる」

 

 プラントの議長の息子と、世界の生殺与奪を握るオーブの准将。

 

 立場の違いも、国家のしがらみも、今はどうでもよかった。

 

 

「うん。でも、本当にできると思う?」

 

「出来るさ、俺とお前なら。そうだろう?」

 

「…………うん」

 

 冷たいバルコニーの影で、二人の少年は互いの体温と涙を通して、かつてコペルニクスで誓い合った「ずっと一緒だ」という約束を、真の意味で取り戻したのである。

 

 

◇◇◇

 

 

 キラがたった一人で歩んで来た、血の滲むような暗く険しい路。

 

 あの日、すべてが狂い始めた『血のバレンタイン』の悲劇から数えれば、およそ1年と4カ月ほどの月日が流れていた。

 

 冷たい夜風が吹き抜けるバルコニーの影で、声を殺して泣きじゃくる少年の告白を密かに聞いていたカガリ・ユラ・アスハの胸には、彼と出会ってからの目まぐるしい記憶の奔流が、痛いほどの鮮烈さで蘇っていた。

 

 ヘリオポリスで、初めて彼と会った時のこと。

 

 アサギ、マユラ、ジュリという年上の女性テストパイロットたちに囲まれ、人の良さそうな困り顔で好意的に絡まれていた彼を見て、最初は「なんとなく気に食わないやつ」。

 

 だが、ザフトの襲撃により炎に包まれた工廠の中で、秘密裏に兵器開発を行っていた「お父様の裏切り者!」と叫んだ私を、彼は迷うことなく強引に押し倒した。

 

 頭上を飛び交う実弾から私を庇い、紅蓮の炎と爆音の中で「こんな銃撃戦のど真ん中で叫ぶなんて、正気か!」と本気で叱りつけてきたのだ。

 

 そして、安全なシェルターへと無理やり私を押し込んだ、あの必死な横顔。

 

 その後、地球の本国へと帰還した私は、キサカを連れて彼の故郷であるアフリカの砂漠の町、タッシルへと家出同然に飛び出した。

 

 そこで目の当たりにしたのは、ザフト軍の圧政に苦しむ人々の惨状。

 

 自分の『オーブ連合首長国代表首長の娘』という重すぎる立場も、それが及ぼす国際的な影響も何一つ考えず、ただ湧き上がる義憤と正義感だけでレジスタンス『明けの砂漠』に身を投じ、砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルドと無謀な戦いを繰り広げた。

 

(……今の私なら『バカなことやる前に、もっと頭を使って出来る政治(こと)があるだろ!』って、胸ぐら掴んで全力で殴り飛ばしてるな。ホントに)

 

 カガリは自嘲気味に口の端を歪めた。それは他でもない、キラから徹底的に叩き込まれた「受け売り」の思考回路だった。

 

 あのアフリカの熱砂の地へ、お父様の密命を帯びた「迎え」としてやって来たキラは、レジスタンス気取りで銃を振り回していた私の頭を、容赦なく2回も拳で殴りつけた。

 

 『少しは自分の立場と国の事を考えろ!』と、怒鳴りつけて。

 

 そして、敵将である砂漠の虎の拠点、バナディーヤの屋敷に連れ込まれた時。

 

 キラは、今のバルコニーと同じように、震えながらボロボロと泣いていた。

 

 『僕がやるしかないんだ』って。

 

 相手は歴戦の猛将、砂漠の虎に向かってだぞ? 普通なら命乞いか、強がって見せる場面だ。

 

 なのに、そのあまりにも純粋で無防備な涙を見た虎は、毒気を抜かれたようにキラと妙に仲良くなってしまっていた。

 

 キラも、虎も、個人的には誰とも戦いたくなんてなかった。

 

 でも、互いに「絶対に譲れないもの」があるから、殺し合うしかなかったのだ。

 

 キラは、アークエンジェルに乗る仲間たちを守りたい。

 

 虎は、もしここでアークエンジェルを見逃せば、ザフト軍内部での自分の立場が失われ、部下たちの立場と命も危なくなるから。

 

 誰も悪くないのに、優しい人間から順番に血を流していく残酷な世界。

 

 私は、泣きじゃくるキラの背中を見つめながら、心に固く誓ったのだ。

 

 『絶対に、私がこの泣き虫を守ってやるんだ』と。

 

 だが、真実はどうだ。

 

 今、バルコニーでアスランに吐露されたキラの軌跡を聞いて、カガリは自身の無力さに唇を噛んだ。

 

 こいつ、本当に、何一つ悪いことなんてしてなかったじゃないか。

 

 野心も、支配欲も、悪意すら微塵もなく。

 

 ただただ「大切な人が死ぬのが怖い」という一心で、あの細い腕で泥を掻き分け、血反吐を吐きながら世界中を騙し、脅し、武装中立国家オーブという強固な防衛線を築き上げたのだ。

 

 ホッとした。彼が怪物になっていなかったことに、心の底から安堵した。

 

 だが、だからといって、世界の軍事バランスを根底からひっくり返し、オーブをここまで過剰な武装国家に仕立て上げるのは、少し……いや、かなりぶっ飛びすぎだろう。どんだけ心配性なんだ、この弟は。

 

 でも、その狂気とも言える過保護なお陰で、今のオーブは強くなった。

 

 誰も手出しできないほどの武力と経済力を持ち、民の笑顔が絶え間なく続く、真の平和な国になった。

 

 だから私は、お父様から政治を学び、そんな強大な国を導くに相応しい『獅子』になると決めたのだ。

 

 キラが作ってくれたこの国を、私が守り抜くために。

 

 なのにアイツは、私が死に物狂いで守りたいと願うキラは、いつだって私の手の届かない場所へ、血を吐き、涙を流しながら、一人でどんどん先へと進んでいってしまう。

 

 ああ。

 

 本当に、お前ってやつは、どんだけ私を置いてけぼりにすれば気が済むんだ。

 

「──入るぞ」

 

 カガリは、それ以上隠れて聞いていることに耐えきれず、バルコニーへと足を踏み入れた。

 

「か、カガリ……っ!?」

 

 親友の胸で号泣していたのを見られたキラが、弾かれたように顔を上げ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を真っ赤にして狼狽える。

 

「……」

 

 アスランが、突然入ってきたカガリに対し、警戒と戸惑いの混じった視線を向けた。

 

 だが、カガリは一切怯むことなく、その視線を真っ向から見据えた。

 

「そう睨むな。アスラン……っていったよな」

 

「ああ。……君こそ、オーブの前代表首長の息女、カガリ・ユラ・アスハか」

 

「ああ。そこの甘ったれな泣き虫の保護者だ」

 

 カガリは、アスランの探るような視線を完全に無視し、ずかずかと二人の間に割り込んだ。

 

 そして、アスランの腕の中からキラを強引に取り戻すと、その柔らかい青年の頭を、自身の胸元へと力強く掻き抱いた。 

 

「か、カガリ!? ちょ、ちょっと、苦し……っ! 恥ずかしいってば……!」

 

「暴れるな、馬鹿」

 

 さっきまで死にそうな顔で泣いていたくせに、今はあたふたとして分かりやすく恥ずかしがっているこの愛おしい少年。

 

 カガリは、キラの背中にそっと腕を回し、その不器用な生き様を全て肯定するように、ただ一言、優しく耳元で囁いた。

 

「……頑張ったな、キラ」

 

「カガリ……」

 

 その一言で、キラの抵抗する力が抜け、再び小さな嗚咽がカガリの胸元に吸い込まれていく。

 

「私は、まだお父様やミナの様に、巨大な権力でお前を完璧に守ってやれるほどの力はない。……でも、それでも。お前のことは、私の命に代えても、絶対に守ってやる」

 

 優しくキラの背中を撫でながら、カガリの胸の奥底で、一つの確信が静かに、しかし鮮烈に燃え上がっていた。

 

(お前……私と『双子』だってこと、最初から知ってたんだな)

 

 ヘリオポリスのあの時から、私を庇って、砂漠で再会してからは兄貴面をして、お父様の代わりになって本気で叱ってくれていた理由。

 

 私の甘さを容赦なく叩き潰し、目を覚まさせてくれたのは、彼が「血の繋がった家族」として、私がちゃんと、オーブの獅子の娘としてやっていける様に。

 

 なんて残酷で、酷い世界なんだろう。

 

 何も知らない私を、この底抜けに優しい少年はずっと一人で見守り、一人で傷ついていたのだ。

 

 私とキラが、双子?

 

 同じ腹から産まれ、同じ遺伝子を分け合った姉弟?

 

 ……知るか、バーカ。

 

 私は、お姉ちゃんだ。

 

 こいつが泣き喚いて立ち止まった時、代わりに前に出て背中に庇ってやる強くて頼もしいお姉ちゃんだ。

 

 血の繋がりなんて、ただの生命の仕様に過ぎない。

 

 ただの双子の弟なら、ここまで胸が締め付けられるほど愛おしいとは思わなかっただろう。

 

 ただの弟なら、私の全てを懸けて、世界の全てを敵に回してでも独り占めしたいなんて、こんな狂おしい感情を抱くはずがなかった。

 

(……でも、私がこの世で一番好きになった相手が、たまたま『双子の弟』だったってだけだろ?)

 

 カガリ・ユラ・アスハは、誰に見せるでもなく、夜の闇に向けて不敵な獅子の笑みを浮かべた。

 

 禁忌すらもへし折るような、強烈で真っ直ぐなエゴイズム。

 

 彼女は、自身の胸で震える愛しい少年の体温を抱きしめながら、彼が創り上げたこの狂った箱庭の真ん中で、彼と共に最期まで生きていくという、決して揺るがない禁断の誓いを立てたのであった。

 

 

◇◇◇

 

 

「バカだバカだとは思ってはいたが。……底抜けのバカだったとはな」

 

 華やかな喧騒から隔絶されたバルコニーの入り口。

 

 分厚いガラス戸の縁に背を預けながら立ち塞がるカナード・パルスは、腕を深く組んだまま、呆れ果てたような、それでいてひどく心地よい疲労感を伴った溜息を夜風に溶かした。

 

 スーパーコーディネイター。

 

 人類の夢と狂気が生み出したその頂点に至るための、無数の『失敗作』の一つ。

 

 それがカナードという人間の出処だった。

 

 ユーラシアの冷たい研究所の奥深くで、真のスーパーコーディネイターを造り上げるためのただの『モルモット』として扱われ、人間としての尊厳など微塵も与えられずに生きてきた。

 

 いつか必ず、その忌まわしい『完成品』を探し出し、己のこの手で打ち倒す。

 

 そうして初めて、底辺を這いずり回ってきたこの俺の強さと、存在意義を世界に証明してやるのだと。

 

 そのどす黒い復讐心とプライドだけを支えにして、血と泥を啜りながら戦場を生き抜いてきた。

 

 だが、いざ蓋を開けてみれば、どうだ。

 

 俺が人生のすべてを懸けて憎悪し、殺してやろうと決めていた標的の正体は。

 

『紹介するね。僕のお兄さんのカナードだよ』

 

 見ず知らずの他人の前で、俺を屈託なく「兄」と呼ぶ。

 

 最高の遺伝子を与えられたスーパーコーディネイターであるはずなのに、面倒くさがり屋で、怠け者で、甘ったれで、泣き虫で、どうしようもないバカで。

 

 さぞかし安全な温室の中で、愛され、大切に守られて育ってきたのだろうと高を括っていた。

 

 ……恐らく、幼少期に関してはそれは間違いないのだろう。彼が持つ底抜けの「優しさ」は、決して血みどろの研究所では育たないものだからだ。

 

 しかし。

 

 先程、このバルコニーの暗がりで吐露された少年の軌跡を聞いて、カナードは己の浅薄な思い込みを恥じた。

 

 たった1年と少し。

 

 それは、どれほど狂気に満ちた世界であっても、たった1人の16歳の人間が背負うには、いや、自ら背負おうと狂奔したところで到底背負いきれるはずのない、あまりにも巨大で醜悪な『人間の業の山』だった。

 

 ユニウスセブンへの核攻撃を止められなかった。

 

 だから、戦争を終わらせるために、まずは兵器の概念を書き換えて、世界中から金を毟り取る仕組みを創った。

 

 そして、コーディネイターとナチュラルが互いに絶滅するまで殺し合うという最悪の結末を阻止するために、自分の国を世界最強の武装中立国家へと作り変え、その圧倒的な武力と権力をもって、暴走する世界の両方の横っ面を全力で殴り飛ばす?

 

「……フッ。バカも突き抜けると、とんでもないアホみたいな事を思いつき、そして平然と実行するらしいな」

 

 カナードは、自嘲するように小さく肩を揺らした。

 

 緻密な政治的計算でも、崇高な理念でもない。

 

 「誰も死なせたくない」という、ただそれだけの子供じみたエゴを押し通すために、己の魂をすり減らして世界を箱庭に閉じ込めたのだ。

 

 そんなバカげた真似、出来損ないの俺には逆立ちしたって思いつきもしないし、真似もできない。

 

 カナードは腕を組んだまま、視線だけを動かして背後を見やった。

 

 そこでは、オーブの姫君の胸元に顔を埋め、プラントの親友に頭を撫でられながら、未だにヒグヒグと情けなく鼻を鳴らしている、愛すべき「バカなアホ」がいた。

 

 あの泣き虫こそが、間違いなく人類の最高傑作であり、そして、俺のたった一人の『弟』なのだ。

 

 カナードは、ふっと一度だけ優しく鼻を鳴らすと、すぐに鋭い眼光を取り戻した。

 

「チッ……。どいつもこいつも、隙だらけで甘ったれやがって」

 

 彼は悪態をつきながら、背筋を真っ直ぐに伸ばした。

 

 華やかなホールからこのバルコニーへと近づこうとする不届き者はいないか。

 

 彼らの静かな時間を邪魔しようとする無粋な輩はいないか。

 

 もし、あの中で泣いている底抜けのバカを害しようとする者がいるならば。

 

 それが大西洋連邦の暗殺者であろうと、ザフトの特殊部隊であろうと、あるいはユーラシア連邦の軍であろうと。

 

 この俺が、全員まとめて肉片一つ残さず叩き潰してやる。

 

 カナードは誰よりも強大で頼もしい『兄』として、夜の闇の中で爛々と目を光らせ、弟の涙を守るための絶対的な盾として立ち続けていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 煌びやかなシャンデリアの光と、虚飾に満ちた権力者たちのざわめきを背に。

 

 イングリット・トラドールは、バルコニーの前に佇みながら、そっと自身の胸元に手を当てた。

 

 そこには、彼が与えてくれた確かな温もりが、今も静かに、けれど力強く脈打っている。

 

 自分を偽り、心を殺し、ただの「機能」として彼に抱かれようとした日。

 

 軽蔑されて当然の、自暴自棄に陥った醜い自分を、彼は決して突き放さなかった。

 

 哀れむことも、利用することもしなかった。

 

 ただ、血の通った温かい手で包み込み、「君は綺麗だ」と、一人の女の子としての『イングリット』の存在を、真っ直ぐに認めてくれたのだ。

 

 その瞬間、彼女の中で何かが決定的に壊れ、同時に、本当の意味で産声を上げた。

 

 向こう側では、世界を牛耳る「死の商人」にして「オーブの准将」が、親友の胸に顔を埋め、姉の腕に抱かれて、子供のように声を上げて泣きじゃくっている。

 

 その背中を塞ぐように立つ、粗暴だが誰よりも頼もしい兄。

 

 そして、隣で静かに、慈しむように微笑むピンクの髪の姫君。

 

 滑稽なほどに隙だらけで、不格好で、感情的で、弱々しい。

 

 『デスティニープラン』に照らし合わせれば、彼らは皆、役割を逸脱した「不要な失敗作」や「愚かな劣等種」に分類されるのかもしれない。

 

 だが、イングリットの目には、その光景がこの世の何よりも美しく、尊く映った。

 

(……ええ。彼らは弱いわ。だからこそ、互いの傷に気付き、寄り添い、手を取り合うことができる)

 

 心を読めるがゆえに、他者の心の痛みを見ようとせず、自身の傲慢さにすら気付けないアコードたち。

 

 心が読めないからこそ、血を流し、涙を流し、言葉を尽くして相手の心に触れようと足掻く人間たち。

 

 どちらが本当に『世界を導く者』に相応しいのか。

 

 その答えは、彼が創り上げたこの強固で温かい「家族」の姿が、雄弁に物語っていた。

 

 イングリットは、青髪の奥の瞳を伏せ、遥か遠い地の彼方──冷たい玉座に座る、かつての同胞であり、指導者であった少年の姿を思い浮かべた。

 

(可哀想なオルフェ。……貴方はきっと、最後まで気付けないのでしょうね)

 

 アウラという母親の腕の中から一歩も出ず、遺伝子という名の見えない檻に閉じ込められたまま。

 

 与えられた運命だけを拠り所に、自分たちこそが世界で一番優れているのだと、空っぽの王冠を被って虚しい玉座で踊り続ける。

 

 愛を知らず、弱さを知らず、真の強さを知ることもないまま。

 

(私はもう、貴方たちの元へは帰らないわ)

 

 イングリットは、ゆっくりと目を開いた。

 

 その瞳には、かつての絶望も、アコードとしての呪縛も、もう欠片も残っていなかった。

 

 あるのは、一人の男への絶対的な愛と、彼と共に地獄の底まで歩み続けるという、凄烈なまでの覚悟だけ。

 

「イングリットさん」

 

 不意に、隣に立っていたラクス・クラインが、彼女の微かな心境の変化を感じ取ったのか、優しく声をかけてきた。

 

「……なんでもありませんわ、ラクス様。ただ」

 

 イングリットは、ふわりと、この世界に生まれ落ちて初めての、心からの美しい微笑みを浮かべた。

 

「ただ……夜風が少し冷たいですから。あの泣き虫な私たちの『准将殿』が風邪を引かないように、そろそろハンカチを持って、お迎えに行ってさしあげましょうか、と」

 

「ふふっ。ええ、そうですね。すっかり甘えん坊になってしまわれましたから」

 

 クスクスと笑い合う二人の少女。

 

 アコードという運命を自らの意思で捨て去り、「愛される喜び」を知ったイングリットは、愛しい彼が待つバルコニーへと迷うことなく、その一歩を踏み出した。

 

 母の腕を抜け出した彼女は今、無限に広がる『人間』の世界で、彼を照らす一筋の光として生きることを、ただ静かに誇っていた。

 

 

 




やはり最強はアスラン・ザラか。

これはホモじゃなくてピュアな男の親友同士の深い友愛と親愛である。

ラクスの視点がなかった?

クロッシングで全部知ってるのでね。

多分今夜はヨスガってロマンティクスしそうな勢いかも知らんが知らん。勝手に筆がそう動いたからあとは知らん。

しかし可哀想なオルフェだ。

雌伏の時だからイングリット遣わせないで自分が赴けばきっとキラとMAVになれたぞ。
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