キラ・ヤマトになってしまった…   作:星乃 望夢

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PHASE-85 前哨戦

 

 東の水平線が白み始め、夜の闇が群青色へと溶けていく空と海の境界線。

 

 最初に『その影』を捉えたのは、オーブ国防空軍の早期警戒網の最前線を飛ぶ、イカロスユニットを装備したM1アストレイの1機であった。

 

 本来、敵陣への強襲や空中での対MS戦闘を本領とするイカロス装備機が、何故このような海上索敵に出張っているのか。

 

 理由は明確である。水平線の遥か彼方を捉えるための高高度情報収集において、ローター駆動であるシュライク装備ではどうしても到達高度に限界があるからだ。

 

 それに加え、シュライク部隊のパイロットたちは昨夜から徹夜でオノゴロ島の民間人を一人残らず完全退避させるという過酷な輸送任務を完遂し、つい先ほど泥のように眠りについたばかりであった。

 

 彼らの尊い献身に報いるためにも、現在のオーブ空軍はシュライク抜きでの警戒シフトローテーションを組んでいたのである。

 

「……レーダーに感あり。間違いない、連中だ」

 

 朝焼けに染まる海面を滑るようにして、こちらへと真っ直ぐに向かってくる巨大な船団。

 

 高解像度カメラが捉えたその陣容は、イージス艦や輸送艦、さらには航空母艦までが入り混じる大規模なものであった。

 

 だが、M1のパイロットはモニターの映像を拡大し、思わず眉をひそめた。

 

 その艦隊陣形は、およそ正規軍のそれとは呼べないほどに乱れきっていた。

 

 統制された艦隊運動や対空・対潜の警戒網など欠片もなく、ただ「互いの艦が衝突しないように最低限の距離を保ちながら、とにかく前へ前へと群がって進んでいる」という、まるで腐肉に群がる羽虫のような不気味で無軌道な有様だったのだ。

 

「こちらオーブ国防軍。所属不明の艦隊へ通告する。貴艦隊は現在、我が国の領海へと接近中である。直ちに進路を変更せよ。繰り返す──」

 

 オーブの領海ラインまではまだ少し距離がある。

 

 交戦規定に則り、M1のパイロットはオープンチャンネルを開き、標準的な警告を発した。

 

 しかし、その理性的な問いかけに対する返答は、およそ対話とは呼べないものであった。

 

『黙れ、悪魔の手先どもが! 貴様ら宇宙の化物の手下に告げる言葉などない! 青き清浄なる世界のために、その穢れた島ごと浄化してやる!!』

 

 通信機から弾け飛ぶように響き渡ったのは、狂気に満ちた呪詛と金切り声。

 

 そして、警告に対する明確な回答とばかりに、敵艦隊の空母の甲板から迎撃機が次々と射出され、M1へと向かって殺到してきたのだ。

 

「話が通じない連中だってのは散々聞かされていたが……本当にイカれてやがる。……こちらキャッツアイ1! 本部、敵艦隊の接近を確認! 領海侵犯に対する警告を無視。これより交戦状態に入る!」

 

 迫り来るのは、大西洋連邦の主力戦闘機『スピアヘッド』の編隊。

 

 彼らは航空力学の粋を集めた戦闘機である。

 

 純粋な直線での加速力と最高速度という点においてのみ言えば、重いモビルスーツであるM1アストレイよりもわずかに分がある。彼らはその速度を活かし、数の暴力でM1を包囲し、ミサイルの十字砲火に晒そうと目論んでいた。

 

「だがな……そんな直線番長だけで、俺たちの『翼』を落とせると思うなよ!」

 

 M1のパイロットは操縦桿を強く引き、機体を急上昇させた。

 

 ただ真っ直ぐ飛んで旋回することしかできない通常の戦闘機と、モビルスーツの三次元機動を掛け合わせた空戦ドッグファイト。

 

 イカロスユニットの両肩に備えられたバッテリー内蔵ショルダーアーマースラスターが火を噴き、M1は物理法則を無視したような鋭角的なスライド移動でスピアヘッドの射線を容易く躱す。

 

「遅いッ!」

 

 反転。すれ違いざまに構えたロングビームライフルから放たれた一撃が、朝焼けの空に正確な閃光の軌跡を描き、スピアヘッドの片翼を易々と消し飛ばした。

 

 機動兵器としての次元の違い。

 

 空中で火球となって爆散するスピアヘッドの光が、世界を巻き込む狂信者たちと、絶対防空圏の守護者たるオーブ軍との、最も短く無慈悲な『開戦の狼煙』となったのである。

 

 

◇◇◇

 

 

 最初の火球が朝焼けの空に散るのを合図としたかのように、周囲の空域で哨戒に当たっていたイカロスユニット装備のM1アストレイが、凄まじいプラズマの尾を引いて続々と集結してくる。

 

 オーブの絶対防空圏に、あっという間に数十機のM1による『空の長城』が築き上げられた。

 

 スピアヘッドの編隊がミサイルを乱射しながら突きかかってくるが、M1のパイロットたちは涼しい顔で回避しながら、最小限のカウンター攻撃で次々と羽虫を撃ち落としていく。

 

 だが、空戦が本格化し、眼下に無防備な敵の艦隊が広がっているというのに、オーブの空軍部隊は誰一人として、下の海を進む船団に対して攻撃を仕掛けようとはしなかった。

 

 手を出せないのではない。「あえて手を出さずに、空での相手だけをして泳がせている」のだ。

 

 その理由は極めてシンプルかつ、冷徹な法に基づくものであった。

 

 現在の彼らの座標が示す下の海は、ギリギリで『まだオーブの領海ではない』からだ。

 

 向こうは「オーブはテロ支援国家である」という狂った大義名分を掲げて、遠路はるばる海を渡って攻撃を仕掛けてきている。

 

 しかし、その実態は軍隊の体すら成していない、ただ教義に狂ったテロリストの集団に過ぎない。

 

 そんな狂信者どもを公海上で先制攻撃して海の藻屑にしてしまえば、いくらこちらに非がなくとも、他国から「オーブが過剰防衛で先制攻撃を仕掛けた」と難癖をつけられる隙を与えかねない。

 

「あと数分だ! 連中の艦首が領海線を越えるまで、絶対に艦船には手を出すなよ!」

 

「わかってる! ああもう、的がデカすぎて指がムズムズするぜ!」

 

 編隊長からの念押しに、パイロットたちは操縦桿のトリガーにかけた指をピクピクとさせながらも、決して引き金を引かなかった。

 

『あとで国際社会に報告書を上げる時、「再三の警告を無視し、我が国の領海を侵犯して武力攻撃を仕掛けてきたため、自衛権を行使し撃沈しました」と書く方が、事務処理が圧倒的に楽な上に、国際社会に対してどちらに「義」があるかを完璧に証明できるからです』

 

 それは出撃前、ブリーフィングの席で彼らの最高軍事顧問たるキラ・ヤマト准将が、いつもの穏やかな、しかしどこか底冷えのするような笑顔で全軍に叩き込んだ『入れ知恵』であった。

 

「あのお優しい准将殿が、随分と腹黒……いや、頼もしい知恵をくれたもんだ!」

 

「違いない! 国際法と官僚の事務手続きまで武器にして、正当防衛という名目での『完全な合法の殺戮』を俺たちにやらせようってんだからな。まったく、うちの将軍様は最高にイカれてるぜ!」

 

 コックピットの中で、パイロットたちは口々に悪態をつきながらも、その声には若き司令官に対する絶大な信頼と痛快さが満ち溢れていた。

 

 狂信者たちは自分たちが「正義」だと喚きながら、自らオーブの用意した法的・軍事的な『処刑台』へと嬉々として進んでいることにすら気づいていない。

 

「……敵艦隊先鋒、領海ラインまで距離1000……500……」

 

 M1の戦術モニターに引かれた、赤く細い絶対防衛線。

 

 あと数十秒で、狂信者たちの艦首がその線を越える。

 

 その瞬間こそが、ただの「軍事衝突」が、オーブという国家による完全合法の「害獣駆除」へと切り替わる合図であった。

 

 空の長城を形成する全機が、一斉にロングビームライフルとリニアレールガンの射角を下方の艦隊群へと固定する。

 

 法を盾にし、大義を剣としたオーブの冷徹なる防衛軍は、狂信者たちが自ら「引き金」を引くその歓喜の瞬間を、息を殺して待ち構えていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 オノゴロ島の基地からスクランブル発進を受けたBWS装備のM1アストレイ部隊は、凄まじいプラズマの噴射音を響かせ、超音速の航空機形態で朝焼けの空を切り裂いていた。

 

 先行して海上索敵に当たっていたイカロスユニット隊が交戦状態に入ったとの急報を受け、全速力で戦闘空域へと急行した彼らの眼下に飛び込んできたのは──すでに無数の黒煙と炎に彩られた、太平洋の凄惨な光景であった。

 

「おいおい、陸の連中、いくらなんでも頑張り過ぎだろ。マトがもう殆ど残ってねぇじゃんか」

 

 編隊長がコックピットの中で呆れたように声を上げる。

 

 オノゴロの海岸線から放たれたティエレン部隊の300mm砲による超長距離狙撃の嵐。

 

 それによって、敵艦隊の先陣は見事に粉砕され、海上を進む船舶の数はすでに目に見えて半減していた。

 

 さらに上空を見上げれば、イカロスユニット隊がスピアヘッドの群れと激しいドッグファイトを繰り広げている。

 

 だが、イカロス隊は敵の航空戦力を削りながらも、眼下の敵艦艇が放つ濃密な対空砲火の弾幕にまでは、あえて無茶な突撃を仕掛けようとはしていなかった。

 

 彼らは決して臆病風に吹かれたわけではない。

 

 命は惜しくない。祖国の為に戦い、祖国の為に死んでいこう。

 

 無辜の民の明日の為ならば、あらゆる外敵を打ち砕き、笑って死地へと赴く『笑顔の盾』となる覚悟は、このオーブ軍に属するすべての将兵が胸に抱いている。

 

 だが、今回相手にしているのは、大西洋連邦という北米大陸を丸ごと飲み込んだ超大国が襲って来たに等しい大兵力だ。

 

 こんな最序盤の、文字通りの小競り合いのような前哨戦で、焦って対空砲火の餌食になって落ちてみろ。

 

 そいつは同じ空を飛ぶ仲間たちから末代までの笑いものにされる。

 

 いや、笑いもので済むならまだマシなのだ。

 

 もし自分たちがここで無駄死にをしたと知れば。

 

 オノゴロ島で指揮を執っているあの若き『双子の獅子』たちは、その優しすぎる心を痛めて、密かに泣き崩れてしまうだろう。

 

 戦場に犠牲は付き物だ。そんなことは百も承知である。

 

 だが、こんなつまらない所で功を焦り、あのお方たちの美しい顔を涙で汚したバカがいたとすれば。

 

 そいつの魂を地獄の底から引きずり出して、味方の手でもう一回撃ち落としてやる。

 

 オーブ軍の将兵たちの根底に流れるのは、最高司令官たる双子への強烈な「愛」と「過保護」であった。

 

 だからこそ、イカロス隊は絶対に落とされない安全マージンを取りながら、空戦に徹していたのだ。

 

 ならば。

 

 艦船を沈めるのは、圧倒的な速度と火力による「一撃離脱」を得意とする、自分たちBWS部隊の仕事である。

 

「良いなお前ら、陸の鈍亀どもにこれ以上いい格好をさせるな! 下を這いずるマトはバカみたいにでかいぞ? 外した間抜けは今日の晩飯抜きだ!」

 

 編隊長は操縦桿を力強く握り込み、目標である敵空母と大型輸送艦の群れにロックオン・サイトを重ねた。

 

「全機、フルブラストッ!!」

 

 その号令と共に、空を覆っていたBWS装備のM1部隊が一斉に機首を下げ、音速を超えた急降下攻撃を開始する。

 

 機首に備えられた大口径ビーム砲と、バックパックのハイパービームサーベル兼用ビームキャノン。

 

 一機あたりが戦艦の主砲にも匹敵する極太の光の奔流が、束となって朝焼けの空から撃ち下ろされた。

 

 実弾の雨を降らせていたティエレンの砲撃とは違う、一切の物理装甲を無意味化するビームの飽和攻撃。

 

 回避運動すらままならない大西洋連邦の残存艦艇は、甲板をぶち抜かれ、機関部を焼かれ、悲鳴を上げる間もなく次々と巨大な火柱を上げて太平洋の海へと沈んでいく。

 

 オーブの空を守る元戦闘機乗りたちは、その一切の情け容赦のない光の雨を降らせながら、祖国を脅かす者たちへの完璧な『蹂躙』を完遂していくのであった。

 

 

◇◇◇

 

「クソッ、こんなはずじゃ……っ!」

 

 ストライクダガーのパイロットは、炎上する輸送艦から決死の脱出を果たした安堵も束の間、コックピット内のモニターに映し出された地獄絵図に息を呑んだ。

 

 海面を突破し、冷たい海へと逃げ込んだはずの機体。

 

 しかし、そこは「逃げ場」ではなかった。

 

 機体重量と抵抗で思うように動かないストライクダガーは、水中でただ沈んでいくだけの鉄の棺桶に過ぎない。

 

「へっ、おいでなすったな」

 

 通信回線に響いたのは、獲物を前にした狩人の獰猛な笑い声だ。

 

 海面で炸裂する空軍のビームと陸軍の砲火をBGMに、オーブ国防海軍・水中戦仕様のM1アストレイ部隊が、音もなく水底から滑り出してきた。

 

 彼らの背中に装備されたバックパックには、『スケイルシステム』が搭載されている。

 

 その動きはMSというよりは、海中を自在に駆け巡る巨大な肉食魚、あるいは優雅にして残忍な「人魚」の姿であった。

 

「俺達のM1は、空も飛ぶが海も泳げる人魚だぜ! 陸で腐ってるダガー野郎に、深海の味を教えてやれ!」

 

 水中仕様M1が右腕に携えたランチャーから、白煙を引いて射出されたのは『スーパーキャビテーション魚雷』。

 

 気泡に包まれて水中抵抗を無視し、弾丸のごとき速度で深海を突き抜けるその凶弾は、逃げ惑うストライクダガーを貫いた。

 

「バカな!? モビルスーツが、なんでこんな速度で動けるんだ!」

 

 驚愕の叫びを上げるストライクダガーパイロットの耳に、重厚なメタルキックが突き刺さる。

 

 水中仕様M1は、その機動力で、鈍重なダガーの懐へ瞬時に飛び込んだ。

 

 そして、ストライクダガーが背中のビームサーベルを抜くより早く、至近距離からアーマーシュナイダーが装甲を貫く。

 

 次々と深海の底へと沈められていくストライクダガーたち。

 

 彼らにとってオーブという国は、空を見上げれば空軍の翼が焼き払い、陸を見ればティエレンの壁が立ち塞がり、そして海に潜れば深海の捕食者が獲物を待つ。

 

 逃げ場など最初から存在しなかった。

 

 海中を優雅に舞い、ストライクダガーを次々と「スクラップ」に変えていくオーブ軍の人魚たちは、狂信者たちが信じた「神の正義」が、この海では一切通用しない現実を、深海という冷たい墓標と共に突きつけていたのである。

 

 しかしこれは武装中立国オーブの持つ力のほんの一部でしかなかった。

 

 

 

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