やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか 作:星乃 望夢
大西洋連邦の首都、ワシントンD.C.。
その街角は今、異様な熱気と、血生臭い狂騒に包まれていた。
「青き清浄なる世界のために!!」
「裏切り者の国、オーブを焼き払え!!」
「宇宙の化け物どもに天罰を!!」
巨大なモニターに映し出されるヘブンズベースからのプロパガンダ放送に呼応し、群衆が拳を振り上げて絶叫している。
彼らの目は完全に血走り、プラカードを掲げ、オーブの国旗やコーディネイターのダミー人形を路上で火炙りにしていた。
ブルーコスモスの影響力が世界で最も色濃く根付いている大西洋連邦。
上は政府高官から、下は一般の民間人に至るまで、その思想の浸透具合は他国の比ではない。
特にエイプリルフール・クライシスによって、エネルギー枯渇、凍え、飢え、そして愛する家族を失った人々にとって、コーディネイターに対する積年の恨み辛みは、決して消えることのない業火であった。
「オーブを討てば、彼らが提示したNJCの恩恵が手に入らなくなる」という、極めてシンプルで致命的な現実。
その「目先の先の事」まで頭が回る人間は、今のこの国にはそう多くはない。
もちろん、ブルーコスモスの教義に染まりきっていない冷静な市民や知識人も存在してはいる。
だが、彼らがもし街頭で「オーブと交渉し、NJCの供給を優先すべきだ」などと正論を説こうものならどうなるか。
『この悪魔の手先め! 貴様も化け物の仲間か!!』
そう叫ばれ、文字通りその場で群衆に撲殺されるか、あるいは治安維持部隊(という名の私兵)によって反逆者として連行されるだけだ。
熱狂する同調圧力の前では、真実や合理性など紙屑以下の価値しかなかった。
この「狂熱」と「冷徹」の分断は、国の心臓部たる『財政界』においても顕著に表れていた。
現在の大西洋連邦およびユーラシア連邦の西側の内部は、まるで三国志や戦国時代かと見間違うような、極端な群雄割拠の勢力図と化していたのである。
その二大巨頭こそが、『アズラエル財団系』と、『ブルーコスモス系』であった。
「ムルタ・アズラエルの靴を舐めろと言うのか!? 我が社のプライドにかけて、そんな真似ができるか!!」
大西洋連邦の某軍需企業ビル。重役会議室で、社長がテーブルを叩き割らんばかりに激昂していた。
NJCの恩恵による莫大な次世代エネルギー産業の利権。
それを大西洋連邦で一手に取り仕切ろうとしているのが、ヤマト准将と裏で強固なパイプを持つムルタ・アズラエルである。
軍需・民需を問わず、生き残りを図る企業が取るべき道は二つに一つ。
アズラエルにプライドを完全に捨てて頭を垂れ、その巨大な利権の「おこぼれ」に与るか。
それとも、アズラエルを叩き潰すために、ブルーコスモスの盟主であるロード・ジブリールに合流するか。
「我々はジブリール卿の『オーブ討伐軍』に全資本を投資する! オーブさえ焼き払えば、NJCの技術は我が社のものになり、アズラエルなどあっという間に没落するのだ!」
アズラエルが気に食わないライバル企業。
どうしても彼に頭を下げられないプライド高き重役たち。
そして純粋にブルーコスモスの思想に心酔する資本家たち。
そうした「反アズラエル・反オーブ」の莫大な資金と技術、そして人材が、雪崩を打ってアイスランドのヘブンズベースへと流れ込んでいるのである。
アレだけの戦力を海に沈められ、さらには西ユーラシアからティエレンのパーツを買い漁って『アヘッド』という新型機を多数急造するという無茶苦茶な真似をしながらも、ジブリールが戦力を底なしに用意できたカラクリは、まさにここにあった。
大西洋とユーラシアの「アズラエルに与しない資本」が、すべてジブリールの手元に集約されていたからだ。
だが。
この壮絶な内紛状態を、大西洋連邦政府の中枢と、南米パナマ基地でムルタ・アズラエルは、極めて冷酷な、ある種の『歓迎』の眼差しで見つめていた。
「いやぁ、素晴らしい。実に素晴らしい経済の循環です」
パナマ基地の司令室。大西洋連邦の政府高官との極秘通信の中で、アズラエルはまるで極上のショーを見ているかのように手を叩いた。
「我が国の財界のライバル企業たちが、自らのプライドと狂信のために、自社資産を切り売りしてまでヘブンズベースへ投資してくれている。彼らが造り上げた兵器は、極東の海でヤマト准将の『射的の的』となり、毎日綺麗に海の藻屑となって消滅していく……」
アズラエルは意地悪く目を細めた。
「政府の皆様にとっても、悪い話ではないでしょう? 議会の中で日頃からギャーギャーと青き清浄なる世界を喚き散らしていた煩い議員どもが、自らジブリールの泥舟に乗り込み、勝手に政治的生命と私財をすり減らしてくれているのですから」
「……全くだ」
通信の向こうで、これまでブルーコスモスの過激派に頭を悩ませていた政府高官が、隠しきれない冷笑を浮かべて頷いた。
「我が大西洋連邦は、長年ブルーコスモスという名の寄生虫に国の中枢を蝕まれてきた。だが、連中がオーブという絶対に落とせない要塞に全戦力を注ぎ込み、全滅してくれれば……我が国の軍部、政界、財界から、過激な狂信者どもが一掃される」
ユーラシア連邦西側がティエレンを「踏み絵」にして内戦による粛清を始めたように。
大西洋連邦政府とアズラエル財団は、この防衛戦そのものを、国内の「巨大なゴミ箱」として利用していたのだ。
「オーブの戦いが終わる頃には、ジブリールに投資した企業はすべて倒産するか、資産を失い骨と皮だけになる。そこで我々政府が『無断出撃を行ったテロ支援企業』として奴らの残存施設を接収し……」
「それを、我がアズラエル財団が二束三文で買い叩き、NJCの民間プラントとして健全に再稼働させる。……ええ、完璧なシナリオです。これで我が国とユーラシアの『膿』は、最後の一滴まで綺麗に出し切れる」
アズラエルと政府高官は、通信越しに冷酷な乾杯のジェスチャーを交わした。
民衆は騙され、熱狂し、狂信のままに死地に赴く。
資本家たちはプライドのために全財産をオーブの海に投げ捨てる。
しかし、その血と炎の犠牲を土台にして、冷徹な大人たちはすでに「戦後の大西洋連邦の完全なる掌握」に向けた設計図を引き終わっていたのである。
極東の海で繰り広げられる惨劇は、もはや戦争と呼ぶことすらおこがましい。
それは、世界の膿をオーブという巨大な焼却炉に集め、ヤマト准将とアズラエルという二人の死の商人が、笑いながら点火ボタンを押しているだけの『壮大な廃棄処理作業』に過ぎなかったのだ。
「……ならばアズラエル理事、話は早い。ヘブンズベースに籠るあの狂人、ロード・ジブリールを我が国の正規軍で急襲し、始末すべきだ。奴の暴走のせいで、我が国は今や世界中から『テロ支援国家』のレッテルを貼られかねない状況なのだぞ!」
政府高官の提案は、至極真っ当な国家防衛の論理であった。
狂信の火種を元から断ち、世界の警察としての大西洋連邦の面目を保つ。それが政治家の考える「正解」だ。
だが、モニター越しにそれを聞いた死の商人アズラエルは、微かに肩を揺らして笑い、人差し指を立てて「待った」を掛けた。
「まあまあ、そう焦らないでください。……ジブリールを始末する? 冗談でしょう。あの愉快なピエロには、まだまだたっぷりと『利用価値』があるんですよ」
「利用価値だと……!? 奴のせいで、我が国の軍事資産は極東の海でドブに捨てられ続けているのだぞ!」
「だから良いのですよ」
アズラエルはニヤリと口角を吊り上げた。
「いいですか? 確かに我々は、軍や財界に巣食っていたブルーコスモスの『大物ども』を、ジブリールという名の泥舟に乗せて厄介払いすることに成功した。しかし、街の広場で『青き清浄なる世界を』と喚いている民衆どもはどうです? ああいう熱狂的で底辺の支持層は、まだ国内にウジャウジャと残っているじゃありませんか」
高官たちは言葉に詰まった。
アズラエルの言う通り、エイプリルフール・クライシスの傷跡からコーディネイターを憎悪する一般市民の数は計り知れない。
彼らを一斉に逮捕・弾圧すれば、それこそ大西洋連邦政府そのものが内戦で転覆してしまう。
「そうした『目に見えにくい下っ端の狂信者ども』をチャッカリ引き取って、ヘブンズベースというゴミ箱に集めてもらうためには、ジブリールという『象徴』が絶対に必要なんです。それに……」
アズラエルは葉巻の灰を落とし、ビジネスマンとしての冷徹な目を光らせた。
「国内に『いつ暴発するかわからないブルーコスモスというテロリスト』を残しておくことで、我々はどうなります? 当然、それに対応・警戒するための『防衛費』が必要になりますよねぇ? つまり、議会に国防予算を削らせず、我が軍需産業の規模を維持・拡大するための、最高の『スケープゴート』として機能するわけです」
「……ッ!」
政府高官たちは息を呑んだ。
自国内のテロ組織を泳がせ、それを理由に予算を分捕る。まさに死の商人の発想だ。
「し、しかし! もしそのスケープゴートが再び暴発し、大規模な軍事行動を起こしたらどうするつもりだ! その時、責任を取らされるのは我々政府だぞ!」
「その時? その時はまた、オーブが綺麗に『処理』してくれますよ」
アズラエルはさも当然のように言ってのけた。
「オーブにいるあのヤマト准将……あれは本当に『賢い子』です。彼は、この大西洋連邦という国がブルーコスモスの総本山であり、教義に狂った連中がどれほど根深く社会に蔓延っているかを、誰よりも正確に理解している。……だからこそ、民衆やテロリストが勝手に暴発しようと、他の国の馬鹿な政治家のように『政府の無能だ! 怠慢だ!』といちゃもんを付けてきたりはしない。暴徒と政府を、きっちりと分けて対応してくれる」
アズラエルは目を細め、どこか畏怖すら混じった息を吐いた。
「アレほどの圧倒的な力を持った男が、我々政府にキレて『大西洋連邦本土に直接核ミサイルをブチ込まない』だけの、恐ろしいほどの理性と冷徹さを持っている。我々はその奇跡のような事実に、日々ひれ伏して感謝すべきなんですよ。だからこそ──」
アズラエルは、手元の端末から一枚のダミー会社の貿易リストをモニターに表示させた。
「だからこそ、我々大西洋連邦は、オーブに対して希少鉱物やレアアースといった『戦略物資』を、ダミー会社をいくつも経由し、直接的には絶対にバレない偽装状態で、破格の値段で売っているんですよ」
「なっ……我が国の戦略物資を、オーブに裏で横流ししているだと!?」
「ええ。オーブは資源を持たない島国ですからね。大量のティエレンや防衛兵器をフル稼働させ続けるには、どうしても外部からの資源が要る。これはそのための『稼働コストのお支払い』です」
アズラエルは、まるでプレゼンテーションを締めくくるように、両手を広げた。
「隠れキリシタンならぬ『隠れブルーコスモス』がこの国から完全に消え去るまで。あるいは、彼らが広場で教義を叫んでも誰も見向きもしないような、無力な弱小コミュニティに成り下がるまで……ジブリールには生きてヘブンズベースで喚いてもらい、オーブには巨大な『ゴミ処理施設』として存分に頑張ってもらう」
狂信者はオーブへ向かい、オーブはそれをすり潰す。
大西洋連邦政府は、オーブが弾切れを起こさないように裏から資源を安く渡し、結果として自国から狂信者が全滅するのを待つ。
「労力と、兵士の血を流すコストはすべてオーブ持ち。我々はそこに『物資』という投資を少しするだけで、厄介な国内のゴミを半永久的に燃やし続けてもらえる……」
アズラエルは極上のワインでも味わうかのように、うっとりと目を閉じた。
「どうです? 全くもってよく出来た、効率も利益率も最高に高い、極上のビジネスだと思いませんか?」
モニター越しの政府高官たちは、完全に沈黙していた。
道徳や倫理など微塵もない。
ただ純粋に「国家の利益」と「生存」だけを追求した、悪魔的で完璧な経済循環システム。
彼らは今、ブルーコスモスという教義の狂気よりも、すべてを数字と利益に変換して世界を回す『ムルタ・アズラエル』と『キラ・ヤマト』という、二人の怪物の「ビジネス」の恐ろしさに、底知れぬ恐怖と圧倒的な安堵を同時に抱いていたのである。
◇◇◇
プラント本国、首都アプリリウス。
その中枢に位置する最高評議会議長執務室の重厚なデスクで、報告書に目を通すパトリック・ザラの表情は、怒りと屈辱によってどす黒く染まっていた。
「……ナチュラルの新興国家どもめ。ユーラシアと東アジアの残飯を寄せ集めた程度で、調子に乗りおって」
報告書には、地球の台湾戦線──カオシュン宇宙港に対する『人類革新連盟』の猛烈な侵攻作戦の推移が記されていた。
パトリックの優れた頭脳は、敵の意図を容易く読み取っていた。
人革連という新たな枠組みが成立した以上、彼らが独立を維持し、宇宙空間での利権や自陣営の軍備を拡張するためには、地球から物資を打ち上げるための『手頃なマスドライバー』が絶対に必要となる。
そして彼らの領土分布から見れば、自らの足元にあるカオシュン宇宙港を標的とするのは、軍事的にも政治的にも極めて当然の帰結であった。
「そのために、カオシュン守備隊にはジンやシグー用の対ティエレン特化型兵装……『バルルス改二』をはじめとするビーム兵器を優先的に回してやったというのに。なぜ、戦線が押されているのだ!」
パトリックは苛立たしげにデスクを叩いた。
原因は明白であった。
報告書に添付された不鮮明な戦闘映像。
そこには、鈍重なはずのティエレンの要塞陣地を縫うようにしてザフトの防衛線をズタズタに切り裂いている、13メートル級の小型機体の姿があった。
『フレック・グレイズ』。
ジャンク屋組合のグレーな物流網を通じて、ユーラシア東側に流出していたという新型の機動戦術機。
それが今、ティエレンの弱点であった『機動戦』を完璧に補完し、人革連部隊の先鋒としてカオシュン守備隊のビーム兵器を尽く弾き返しているのだ。
「またジャンク屋か! あの宇宙のハイエナどもめ、いずれ必ず根絶やしにしてくれる……!」
ギリッと奥歯を鳴らす。
ザフトにとって、カオシュン宇宙港は絶対に失うわけにはいかない最重要拠点であった。
欧州のジブラルタル基地のマスドライバーは未だ建設途上であり、地球に展開するザフト軍の兵站や、逆に地球からプラント本国への物資輸送路は、現在このカオシュンのマスドライバーとビクトリア宇宙港の制圧・封鎖状況に大きく依存している。
ビクトリアはすでに人革連の手に落ち、事実上の不可侵領域と化している。
ここでカオシュンまで喪えば、プラントの生命線である地球からの物資打ち上げルートに致命的な穴が開くことになる。
だが、パトリック・ザラがこれほどの焦燥と怒りを燃やしている理由は、単なる兵站上の問題だけではなかった。
「……南太平洋のソロモン諸島で、あの小国が、大西洋連邦という大国の艦隊を相手に、一歩も退かずに防衛戦を展開しているのだぞ」
パトリックの双眸に、どろりとしたプライドの炎が宿る。
オーブというたかが一介の島国が、地球連合の最大勢力であるブルーコスモスの猛攻を平然と跳ね返している。
その目と鼻の先にある台湾で、優れた遺伝子を持つはずのコーディネイターの正規軍が、ナチュラルどもの寄せ集め新興国家に敗北し、要衝であるカオシュンを奪還されるなどという事態は、ザフト軍の『威信の失墜』と同義であった。
「野蛮なナチュラル共に、我らコーディネイターが劣っているなどと……世界に思わせるわけにはいかんのだ!」
パトリックは即座に通信コンソールを立ち上げ、地球のオーストラリア大陸に位置するザフトの巨大拠点『カーペンタリア基地』の司令官を直接呼び出した。
『はっ、議長。カーペンタリア基地司令です』
「直ちにカオシュンへ増援を送れ。出し惜しみは無用だ、稼働可能な戦力と水上部隊をすべて北上させろ!」
画面越しの司令官が、一瞬だけ躊躇する素振りを見せた。
『しかし議長。現在、オーブ周辺海域の防衛線が激化しており、我が軍の制海権維持のためにも、カーペンタリアの戦力をこれ以上割くのは……』
「構わん!!」
パトリックの一喝が、司令官の懸念を完全に叩き潰した。
「これは単なる輸送路の防衛戦ではない! 誇り高きプラントの、ひいては全コーディネイターの威信を懸けた戦いである! あの鉄案山子と、ジャンク屋から買い集めたガラクタに、ザフトの軍旗を折られることなど断じて許さん!」
『……はっ! 直ちに、カーペンタリアよりカオシュン防衛のための大規模増援艦隊を出撃させます!』
通信を切り、パトリックは執務室の窓越しに広がるプラントの美しいコロニーの風景を睨みつけた。
「思い知らせてやる……。時代遅れのナチュラルの鉄屑どもに、我ら新しき人類の真の力をな」
狂信者たちが血を洗う南太平洋の海。
そのすぐ隣で、世界地図を塗り替えた鉄人たちの進撃を食い止めるべく、プラント最高評議会議長の執念とプライドが、新たな巨大な火種を戦場へと投下しようとしていた。
◇◇◇
「下も……かなり騒がしいようだな」
漆黒の宇宙空間に浮かぶ、地球連合軍の宇宙最大の軍事拠点・月面プトレマイオス基地。
その最深部に位置する基地司令室の巨大なモニターには、地球のオーブ周辺とカオシュンで繰り広げられている血と炎の惨劇が、赤や青の光点となって目まぐるしく表示されていた。
デスクに深く腰掛け、重いため息を吐いたのは、智将デュエイン・ハルバートン提督。
つい先日まで、このプトレマイオス基地に巣食っていたブルーコスモス系の将官たちが「オーブのアメノミハシラを落としてNJCを奪う」という狂気じみた名目で一斉に出撃した結果、プトレマイオス基地の上層部は文字通り「綺麗に掃除」されてしまった。
その圧倒的な人材の空白を埋めるため、彼は准将という階級のまま、事実上のプトレマイオス基地司令としての全権を握る椅子に座らされることとなったのである。
ハルバートンはモニターの隅に映る、オーブ軍の指揮官データに目をやった。
『オーブ国防軍 最高軍事顧問:キラ・ヤマト准将』
(……つい数ヶ月前まで、一介の三尉だった少年が、私と同じ准将か)
かつて、ザフトの強襲を受けた低軌道会戦の折、アークエンジェルに乗艦し、類まれなる技術と操縦センスで艦を守り抜いたオーブの技術将校。
オーブが決して人手不足というわけではない。
だが、世界をひっくり返す魔法を生み出したあの少年の身を守るためには、それほどの圧倒的な階級と権限を与え、「この少年は国家の最重要人物であり、絶対に手出しはさせない」と内外に強烈にデモンストレーションする必要があったのだ。
しかし。
その権威を与えられてからわずか一週間ほどで、彼は狂信者たちによって「悪魔」と糾弾され、全世界を敵に回す羽目になった。
その構図はハルバートンにとって、戦争というよりは『救国の英雄が、狂った教義によって火炙りにされる』という、歴史上の聖少女ジャンヌ・ダルクの悲劇を彷彿とさせた。
あの優しく、しかし誰かを守るためにはオーブの「専守防衛」という建前をギリギリまで拡大解釈し、アークエンジェルを第8艦隊のもとまで導いてくれた若き英雄。
そんな彼一人に背負わせるには、この世界の業はあまりにも過酷すぎた。
「提督……」
傍らに立つ副官のホフマン大佐が、心配そうに声をかける。
「現在、デブリベルトの哨戒任務に就かせているアークエンジェルより、再三にわたり『地球降下とオーブへの救援』の申請が上がってきております。いかがいたしましょうか」
アークエンジェルの艦長マリュー・ラミアスをはじめ、乗組員たちはキラ・ヤマトと生死を共にし、彼と最も深い絆を結んだ者たちだ。
友が地獄の火に焼かれているのを、彼らが黙って見過ごせるはずがない。
ハルバートンはプトレマイオス基地の司令として、また「軍人」として、彼らをブルーコスモスの政争や無謀な作戦に巻き込まぬよう、あえてデブリベルトへと遠ざけていたのだ。
だが。
「……オーブは現在、他国からの軍事介入を一切断っているな?」
「はい。連合・ザフトを問わず、正規軍の介入は『国家主権の侵害』として断固拒否する構えです」
「ならば……」
ハルバートンは、ふと口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「地球連合軍の最新鋭艦アークエンジェルが、哨戒任務中に突如として軍の指揮系統を離脱。『海賊』となって地球へと降下した……という事態になれば、どうなる?」
「なっ……! て、提督!?」
ホフマンが目を丸くする。
「海賊ならば、国家の正規軍ではない。ただのならず者が、かつての友の窮地に馳せ参じて勝手にオーブの海に降り立っただけだ。オーブの国家主権を侵害するものではなく、大西洋連邦から我々プトレマイオス基地へ責任を問うこともできん。『無断で逃げた海賊艦』なのだからな」
ハルバートンは手元の端末を操作し、アークエンジェルへの暗号通信ラインを開いた。
「オーブの海は、狂信者どもの流す血で淀んでいる。あの少年がこれ以上己の手を汚し、心をすり減らす前に……彼の最も身近にいた『大人たち』が、少しでも泥を被ってやらねばならんだろう」
回線が繋がり、モニターにマリュー・ラミアスの凛とした、しかし焦燥に駆られた顔が映し出される。
『ハルバートン提督! どうか、降下の許可を……!』
「まぁ、待て。ラミアス艦長」
ハルバートンの声は、軍の司令官としてではなく、かつて彼女たちを導いた一人の上官としての響きを持っていた。
「当基地はこれより、貴艦の哨戒空域からの離脱、および一切の通信途絶を『確認できなかった』ものとする」
『……! 提督、それは……』
「往け、マリュー・ラミアス。そして、不屈の天使の乗組員たちよ」
ハルバートンは、画面越しの彼女たちに向けて、ゆっくりと、力強く頷いた。
「君たちの刃が、かつての戦友の背中を守り、この狂った宗教戦争を終わらせる一助となろう。……ヤマト准将に、いや、キラ君によろしく伝えてくれ。決して一人で世界を背負い込むな、とな」
『──っ! はい! ありがとうございます、提督!!』
通信が切れ、プトレマイオス基地のレーダーから、一隻の特装艦の光点が『ロスト』した。
智将の粋な計らいによって軍の軛を解き放たれた「白き海賊船」は、狂信の炎に包まれる地球を目指し、その美しい翼を広げて真っ直ぐに降下軌道へと突入していったのである。
◇◇◇
地球の南太平洋で狂信者たちが一方的な蹂躙劇の的となっている頃。
その遥か上空、漆黒の宇宙空間に浮かぶオーブの軌道ステーション『アメノミハシラ』の中枢指令室でも、冷徹な将官たちによって次なる絶望のカードが切られようとしていた。
このステーションの主であるロンド・ミナ・サハクとロンド・ギナ・サハクの双子は現在不在。
しかし、彼らの留守を預かる司令部の面々もまた、サハク家の薫陶を受け、オーブの国益とヤマト准将への絶対的な忠誠を誓う精鋭たちである。
モニターには、地球の宇宙艦隊がアメノミハシラを目指して接近してくる光点が映し出されていた。
「第7格納庫にある『アレ』を出せ。折角ならば、実戦データを准将閣下も欲しいところだろう」
司令官が薄暗い室内で静かに命じると、オペレーターの士官が口元に歪な笑みを浮かべた。
「了解! しかし……アレを出すとなると、いよいよ向かってくる連中も可哀想になりますなぁ」
「同情は要らんさ」
司令官は、画面の中で無様に進軍してくるブルーコスモスの艦隊を、まるで羽虫を見るような冷ややかな目で見据えた。
「我らの准将閣下を悪魔と蔑み、このオーブに死の刃を向ける者を、一片たりとも許す必要はない。灰すらも宇宙の塵にしてやれ」
「御尤もですな。──第7格納庫、スパーダを出せ!!」
その号令と共に、アメノミハシラの巨大な外殻の一部が音もなくスライドし、暗黒の宇宙空間へと漆黒の開口部を現した。
「メインリアクター、臨界点到達。レビテーター、起動します!」
ステーションの深部から這い出してきたのは、モビルスーツでも、モビルアーマーと呼ぶのすら躊躇われるほどの、あまりにも巨大な『異形の鋼鉄』であった。
その機体には、手も足も存在しない。
ティエレンの系譜を思わせる、一切の無駄を削ぎ落とした無骨で角張ったフォルム。
宇宙の闇に溶け込むような深い青の重装甲に身を包んだその姿は、機動兵器というよりは、最早『一つの砲艦』であった。
オーブ宇宙軍・拠点防衛用大型機動兵器──『ジガンスパーダ』。
全長132.2m、重量270.6t。
機体の心臓部には、モビルスーツ用のバッテリーではなく、大型艦船に搭載されるクラスの『核融合炉』が鎮座している。
そして、その規格外の巨体を推進剤の消費なしに無重力空間で滑るように機動させているのは、かつてアークエンジェルに搭載された大気圏内離脱用の擬似反重力制御装置『レビテーター』の発展技術であった。
「スパーダ1、スパーダ2、共にシステムオールグリーン。ABフィールド、展開完了」
機体の周囲に、淡い光の層が展開される。
ビームコート技術を根本から進化させた絶対防御機構『AB(アンチビーム)フィールド』。戦艦の主砲クラスのビームであっても、このフィールドの前では水面に落ちた雨滴のように弾かれ、機体には熱量すら届かないという狂気のバリアである。
さらに、この要塞の真価はその『圧倒的な火力』にある。
4門の大口径ビーム砲『ジガンテ・カンノーネン』。
その砲身の後部には、死角からの接近を許さない近接防御用の無数のVLSがハリネズミのように備わっている。
そして極めつけは、機体中央部の巨大な砲口──広範囲の敵艦隊を一撃で焼き払う超絶熱線砲『ギガ・ワイドブラスター』である。
「……よくもまあ、こんなバケモノを隠し持っていたものですな」
「『イズモ級戦艦の増産計画』という隠れ蓑があったからこそさ。予算も資材も、戦艦を一隻造るという名目ならば誤魔化しが利く」
司令官が呟く通り、このジガンスパーダはオーブの建前である専守防衛の裏側で、ヤマト准将とサハク家が極秘裏に建造を進めていた切り札であった。
ヘリオポリスに1機、そしてこのアメノミハシラに2機が配備されている。
「目標、ブルーコスモス艦隊。……沈めろ」
「な、なんだアレは!? アメノミハシラの影から、巨大な熱源が!」
「戦艦か!? いや、形が違う……っ!」
NJC強奪という功名心と狂信に駆られてアメノミハシラへと迫っていたブルーコスモス艦隊のブリッジに、絶望の悲鳴が響き渡る。
彼らの視界の先、漆黒の宇宙空間に、青き装甲を持った巨大な砲艦が2機、音もなくその巨体を現したのだ。
「構わん、撃て! 相手はたかが2隻だ!」
地球軍の艦隊から放たれた無数のビームが、ジガンスパーダに着弾する。
しかし──。
「ビ、ビームが弾かれた!? 装甲に傷一つ付いていません!」
「馬鹿なっ、戦艦の主砲だぞ!?」
信じられない光景にブルーコスモスの将兵たちが言葉を失ったその瞬間、ジガンスパーダの中央砲門に、太陽の如き眩い熱量が収束し始めた。
「──ギガ・ワイドブラスター、照射!」
トリガーが引かれると共に宇宙空間に極太の閃光が迸る。
それは、回避や防御といった概念を完全に無視した、ただの『暴力的な光の津波』であった。
熱線に触れた瞬間、地球軍のストライクダガー部隊は装甲が蒸発して消滅し、後方に控えていたネルソン級宇宙戦艦は、断末魔を上げる間もなく艦体ごと真っ二つに融解して爆散した。
たった一撃。
その一撃で艦隊の先陣が完全に蒸発したのを見て、生き残ったブルーコスモスの狂信者たちも、ついに理解した。
自分たちが相手にしているのは、技術力が高いだけの小国などではない。
キラ・ヤマト准将という天才的頭脳が、世界中のありとあらゆる「軍事的最適解」を悪魔的な合理性で組み合わせ、具現化させた『防衛という名の殺戮システム』そのものであるという事実を。
アメノミハシラの影から現れた青き移動要塞は、逃げ惑うブルーコスモス艦隊に対し、一切の慈悲もなくジガンテ・カンノーネンの照準を合わせ、静かに処刑の火蓋を切って落とした。
◇◇◇
その姿は、海面を滑走する動く山脈か、あるいは神話に登場する鋼鉄の巨神のようであった。
凄まじい水飛沫を上げながら、台湾海峡をホバー移動で悠然と渡るその規格外の巨影。
カオシュン宇宙港の防衛線で迎え撃つザフト軍の将兵たちは、モニターに映し出されたその圧倒的すぎる質量と威容を前に、一瞬、戦場にいることすら忘れて完全に呆然と立ち尽くした。
「……なんだアレは。戦艦か? いや、手足がある……モビルスーツだと……!?」
彼らの絶望は、ユーラシア連邦の軍部が抱いた「ある極めて実利的な思考」の産物であった。
事の発端はユーラシア連邦の軍事企業『アドゥカーフ・メカノインダストリー社』が、戦後を見据えた戦略級大型MSを設計・開発しているという情報が、当時のユーラシア東側軍部の耳に入ったことである。
東側の将官たちは、その複雑怪奇でコストのかかる可変型巨大MSの設計図を一瞥し、そして鼻で笑ってこう言い放った。
「それ、ティエレンをデカくすれば良くね?」
ウォッカとティエレンを愛する彼らにとって、兵器の絶対条件とは「頑丈さ」「生産性の高さ」、そして「現場での使い勝手の良さ」である。よくわからない変形機構や繊細なパーツなど言語道断。
その単純明快かつ脳筋な思考のまま、彼らはハイペリオンガンダムの開発で深い縁がありる『アクタイオン・インダストリー社』へと、大型ティエレンの開発を打診した。
そして、アクタイオン社が東側の「凄くデカい凄く強い凄いティエレンが欲しい」という雑なオーダーに対し、持てる限りの技術力を全力でつぎ込んで完成させた回答が、全高50mという常軌を逸した巨体を誇る『超大型ティエレン』であった。
その機体設計は、既存のMSの常識を根本から嘲笑うものであった。
まず、50mの巨体をすべて従来の超高張力鋼で覆えば、自重で動けなくなるのは明白だ。
そこでアクタイオン社は、装甲に『トランスフェーズ装甲』を採用。
これにより、被弾時のみ装甲を通電・硬化させることで、単純な装甲厚による対実弾性能の高さを維持したまま、機体総重量の劇的な軽減に成功した。
さらに、ビーム攻撃に対する耐性として、ユーラシア連邦が誇る絶対的防御技術である光波防御帯『アルミューレ・リュミエール』を全方位に搭載。
この無茶苦茶な装甲と防御兵装、そして50mの巨体を駆動させる心臓部には、当然のごとくMS用のバッテリーなどではなく、大型艦船用の高出力『核融合炉』がそのままねじ込まれていた。
主兵装は、右腕にマウントされた規格外の巨大砲──『460mm滑腔砲』。
戦艦の主砲をも凌駕するその砲弾は、直撃せずとも衝撃波だけで周囲のMSを粉砕する。
同基軸には牽制用の25mm機銃が備えられ、さらに機体胸部に内蔵された近接防御用の機銃も、元の30mmから40mmへと凶悪に強化されていた。
外観は、ティエレン指揮官型の特徴である角張った頭部のセンサーモジュールを踏襲しつつ、両肩には巨大なシールド兼通信アンテナ追加センサーモジュールを装備。
そして、この山のような巨体を移動させるのは、脚部に組み込まれた巨大な『大型ホバーユニット』である。
両肩のシールドを空力制御の整流板として使用し、ティエレン高機動B型の機構を限界までスケールアップしたこのホバー推進システムは、流石に通常のMSと比べれば直線的な最高速度こそ劣るものの、その50mの巨体からは到底想像できないほどの滑らかで暴力的な機動性を機体に持たせていた。
背中からは、巨大な発振器が展開する。そこに内蔵されているのは、ハイペリオンと同じだが口径も巨大化した高出力ビーム砲『フォルファントリー』。
この巨体から放たれるそれは、もはや一筋の光ではなく、海を割る光の津波である。
そして何より、この超大型ティエレンの真の恐ろしさは、その『運用思想』にあった。
コックピットブロックには、機体を操作するパイロット、通信管制や電子戦を担当するオペレーター、そして戦域全体の部隊指揮を執る指揮官が同乗している。
つまり、この機体そのものが、最前線を移動しながら味方部隊に完璧な指示を出し続ける『移動基地司令部』としての役割を担っているのだ。
そんな、ユーラシア東側とアクタイオン社の狂気が生み出した大鉄人の名は、『ティエレンダーフォン』。
中国語で表記するならば、『鉄人大豊』である。
「……
人革連の艦隊の只中、ダーフォンの司令部コックピットで、腕を組んだ指揮官が満足げに頷いた。
「さあ、ザフトの防衛線など、我らが鉄の山で踏み潰してやれ。全軍、ダーフォンに続け! カオシュンを取り戻すぞ!」
ティエレンダーフォンが460mm滑腔砲の引き金を引いた瞬間、台湾海峡の海面が爆圧で大きく窪み、放たれた超大質量弾が、ザフト軍の強固な陣地を、周囲の地形ごと一瞬にして地図から消し飛ばした。
それが、新興国家『人類革新連盟』が世界に向けて見せつけた、圧倒的すぎる軍事力の証明であった。
◇◇◇
最高評議会議長執務室は、完璧に制御された環境下にあるはずにも関わらず、パトリック・ザラはこめかみをハンマーで殴られ続けるような頭痛と、胃の腑を鋭利な刃で抉られるような激痛に苛まれていた。
「……たったの、2時間だと?」
絞り出すような声が、静まり返った執務室に空しく響いた。
先ほど、オーストラリアのカーペンタリア基地へカオシュン宇宙港への全力増援を指示してから、まだ1時間も経過していない。
そして、カオシュン守備隊が人類革新連盟の侵攻部隊と戦闘状態に入ったという第一報から数えても、わずか2時間程度しか経っていなかった。
その守備隊司令部から、悲鳴にも似た「全面撤退および降伏許可」の通信が入ったのである。
優れたコーディネイターで構成されたザフトの精鋭部隊が、陣地防衛という圧倒的有利な状況にありながら、ナチュラルの新興国家相手にたった2時間で白旗を上げるなど、パトリックの常識では絶対にあり得ない事態だった。
「敵の攻撃が激しかろうと、マスドライバーは死守しろと言ったはずだ! 貴様らにはプラントの誇りがないのか!」
と怒鳴りつけようとしたパトリックの言葉は、守備隊から送られてきた一枚の戦闘映像によって、喉の奥で完全に凍りついた。
モニターに映し出されていたのは、台湾海峡の海面を割って進み来る、全高50メートルに及ぶ巨大な緑色の『山』であった。
「……何だ、これは。夢でも見ているのか、私は……ッ」
映像の中で、その巨神──超大型ティエレン『ダーフォン』は、まさに暴虐の化身であった。
ザフト守備隊が放つバルルス改二の重粒子砲や、ガナーバクゥのオルトロス、果ては対艦用ミサイルの飽和攻撃。
それらありとあらゆる攻撃が、機体の周囲に展開された光の防壁……ユーラシア連邦の絶対防御兵器『アルテミスの傘』の光波防御帯によって、水しぶきのように弾け飛び、一切の傷をつけることなく霧散していく。
そして、巨神の右腕に据えられた460mm滑腔砲が火を噴くたびに、ザフトが誇る強固なトーチカやMSの小隊が、反撃の暇すら与えられずに地形ごと抉り取られ、消滅していく。
さらに、機体の周囲をチョコマカと飛び回るフレック・グレイズや高機動型ティエレンが、陣形を崩されたザフト機を容赦なく仕留めていく様は、まさに統率された狩りであった。
「こんなバケモノを……ナチュラルどもが造り上げただと……?」
パトリックはワナワナと震える手でデスクの縁を握りしめた。
コーディネイターの技術力こそが絶対であり、ナチュラルの造る兵器など所詮は時代遅れのガラクタに過ぎない。
その強固な選民思想とプライドが、根元からミシミシと音を立ててへし折られていく感覚。
あんな規格外のバケモノを相手に、ジンやシグーで正面から交戦を続けさせるのは、もはや戦闘ではなく単なる「自殺」である。
次世代のプラントを背負う優秀な若者たちを、無意味にすり潰して兵力と戦意を消耗し尽くすことは、最高責任者として絶対に避けねばならなかった。
「……カーペンタリアへの増援指示を直ちに撤回せよ。カオシュン守備隊には、施設の完全破壊を禁ずる。……全軍、撤退、および降伏を許可する」
血を吐くような思いで、パトリックはそう命じた。
カオシュンを無傷で明け渡すという屈辱。
しかし、あの巨人機を前にマスドライバーの破壊工作など試みれば、守備隊は文字通り一人残らず挽肉にされるだろう。
生存者を一人でも多くカーペンタリアか宇宙へ逃がすためには、潔く敗北を認める他になかったのだ。
通信を切り、パトリックは暗く沈んだ執務室の中で、冷たい汗を拭いながら思案に沈んだ。
アレが、ユーラシア東側と東アジアの残飯から生まれた「人革連」の機体であったことは、地球連合という巨大な敵の戦力が分散したという意味では不幸中の幸い……などとは到底思えなかった。
なぜなら、あの機体の根底にある技術と開発母体は、紛れもなく『ユーラシア連邦』のものだからである。
(もし、あの巨人機の設計図や同等の技術が、未だ大西洋連邦と組んでいる西ユーラシアにも存在していたら……?)
背筋に悪寒が走る。
現在、ザフトは欧州方面へのクサビとして『ジブラルタル基地』を保有し、そこにも巨大なマスドライバーを建設している。
もし、ユーラシア連邦正規軍が、あんな光波防御帯を纏った50メートルの化け物をジブラルタルの目と鼻の先へ進軍させてきたら、果たして現在のザフトの戦力で防ぎきれるのか。
プラントにとって、地球からの物資を打ち上げるマスドライバーは、国家の存亡を懸けた文字通りの『生命線』である。ビクトリアを奪えず、カオシュンまで奪われた今、ジブラルタルまで喪失すれば、プラントは完全に宇宙の孤島と化し、干上がるのを待つしかなくなる。
「対抗手段が、必要だ……。アレを遠距離から粉砕できる絶大な火力か、あるいはアレと同じように単機で戦局を覆す『規格外の大型機動兵器』が……!」
パトリックの眼に、再び狂気に似た黒い炎が宿った。
通常サイズのモビルスーツの性能向上だけでは、もはやあの暴力的な質量と防御力には対抗できない。
ならば、ザフトも造るしかない。
コーディネイターの持つ最高の英知を結集し、あのナチュラルの鉄塊を嘲笑うかのような、さらに巨大で、さらに圧倒的で、悪魔的な殲滅力を持った新兵器群を。
例えば、機体そのものに巨大なビーム砲とミサイルポッドを無数に備えた巨大な強化モジュール。
あるいは、NJCを搭載し、核の無限のエネルギーをもって稼働する究極のモビルスーツ。
「ナチュラルどもめ……一時の勝利に酔いしれるがいい。我々が血のバレンタインの悲劇を忘れぬ限り、貴様らにこの世界を渡すことなど絶対にないのだ!」
極東で暴れ回る鉄人たちがもたらした特大の衝撃は、プラント最高評議会議長の心に潜む「力への渇望」に致命的な火をつけ、のちに世界をさらなる破滅の淵へと追いやる『軍拡競争の狂気』を、静かに、しかし確実に芽吹かせていたのである。
◇◇◇
台湾海峡の風が、硝煙の熱を帯びて静かに吹き抜けていた。
超大型ティエレン『ダーフォン』を筆頭とする人類革新連盟の圧倒的な武力の前に、ザフト軍のカオシュン宇宙港守備隊が白旗を揚げたのは、人革連部隊の強襲揚陸開始からおよそ2時間半後のことであった。
「……抵抗をやめろ。全機、パワーダウン。パイロットは機体を降りて降伏せよ。……繰り返す」
ザフト守備隊司令部から発せられた悲痛な撤退・降伏命令に従い、傷ついたジンやシグー、バクゥたちが次々とその武装を大地に投げ出し、膝を突く。
コックピットから這い出てきたザフトの将兵たちは、一様に武器を捨て、両手を後頭部で組んで投降の姿勢をとっていた。
彼らの顔を支配しているのは、敗北の屈辱だけではない。
そこにあったのは、明確な『死と凌辱への絶対的な恐怖』であった。
男たちは歯を食いしばって悲壮に悔し涙を流し、女性兵士たちはこれからの運命に絶望して泣き崩れ、互いに身を寄せ合って震えていた。
無理もない。
このコズミック・イラの狂った大戦において、戦時条約などは締結されていない。
そして特に最前線において、ザフト軍は投降した地球軍の兵士に対し「野蛮なナチュラルの捕虜など要るか」と、無抵抗のまま射殺するという冷酷な処断を平然と繰り返してきた。
自分たちがナチュラルに対してやってきたこと。
コーディネイターの優生思想の下、占領地でナチュラルの民衆にどのような圧政を敷いてきたか。彼ら自身が一番よく知っている。
だからこそ、投降したところで命が助かるとは誰も思っていなかった。
男は並ばせて一括りに滑腔砲で吹き飛ばされ、女は無惨に犯され、嬲り殺しの慰み者にされる。それが、血で血を洗うこの戦争の「常識」であったからだ。
そのザフト兵たちを包囲する人革連の部隊──とりわけ、東アジア共和国出身の兵士たちの瞳には、ドス黒い憎悪の炎が燃え盛っていた。
ティエレンから降り立った東アジアの歩兵たちは、アサルトライフルの銃口をザフト兵たちに向けたまま、ギリッと奥歯を噛み締めている。
無理もない。
彼らにとってこのカオシュンは、かつて多くの戦友の命と共に奪われた故郷の土地である。
占領下で、同胞たちがコーディネイターから虫ケラのように扱われ、どれほどの無念の涙を飲んできたことか。
(こいつら……よくも俺たちの仲間を……!)
(殺してやる。男は皆殺しにして、女どもには同胞が味わったのと同じ絶望を味合わせてやる……!)
東アジア兵の一人が、怒りに身を震わせながらアサルトライフルの安全装置に指をかけた。
復讐の連鎖、血の報復──。
その一発の銃声が響けば、カオシュンの大地は投降兵の血の海へと変わるはずだった。
だが。
「──銃を下ろせ、兄弟」
一触即発の空気を断ち切ったのは、太く、野太い声だった。
東アジアの兵士の肩をガシッと掴んだのは、水色に塗られたティエレン水中型から降り立った、大柄なユーラシア東側出身の将兵──『
「……離してくれ! こいつらが俺たちに何をしたか、あんたたちだって知ってるはずだ! 最前線でザフトの連中が、投降した味方をどう扱ってきたか!」
「ああ、知っているさ。俺たちも西側の戦線で、血も涙もない無情さは嫌というほど見せられてきた」
雪熊の兵士は、深く頷いた。
彼らとて、コーディネイターに対する遺恨がないわけではない。
むしろ、激戦地帯で泥水を啜ってきた彼らだからこそ、報復の甘美な誘惑は誰よりも理解できた。
「だが、撃つな」
雪熊は、真っ直ぐに東アジアの兵士の目を見据え、そしてカオシュンの空……その遥か遠く、オーブの海があるであろう方角へと視線を向けた。
「ここで俺たちが、丸腰の連中を撃ち殺し、女を慰み者にするような『ケダモノ』に堕ちてみろ。……あの海で、血の涙を流しながら理不尽な世界と戦っている『俺たちの英雄』に、どんな顔して会わせろってんだ?」
その言葉に、東アジアの兵士がハッと息を呑む。
「あのお方は、オーブという国で、敵も味方も問わず、人としての理性を保つために必死に戦っている。俺たちにティエレンという名の命をくれ、明日を生きるためのパンをくれた救国の英雄だ。……俺たちがここで野蛮な真似をして、英雄の顔に泥を塗るような真似ができるか? 俺達ティエレン乗りの誇りは、そんなに安っぽいのか?」
「…………っ」
東アジアの兵士は、ゆっくりと銃口を下げた。
憎しみは消えない。だが、それ以上にキラ・ヤマト准将──ティエレン乗りの兵としての強烈な矜持と大義が、彼らの心を復讐の暗い淵から引き留めたのだ。
絶望に震えるザフトの投降兵たちの前に、ダーフォンから降り立った人革連の部隊指揮官が、拡声器を持って進み出た。
『ザフト軍カオシュン守備隊の諸君。我が人類革新連盟は、貴官らの武装解除を確認した』
ザフト兵たちが、怯えながら身をすくめる。
いよいよ、処刑の宣告が下されるのだと誰もが目を閉じた。
『──よって当軍は、貴官らの投降を正規の捕虜として人道的に受け入れる。すでにオーストラリアのカーペンタリア基地へ、非武装の回収船の寄港を許可する通達を出した。回収船が到着するまで、指定のエリアで待機せよ。食事と水、負傷者への医療物資は我が軍から支給する』
「……え?」
ザフト兵の間に、どよめきが広がった。
自分たちの耳を疑うような通達。
殺されないのか。
略奪も、暴行もないのか。
男たちも女たちも、呆然として指揮官の顔を見上げた。
『我々は、貴官らが想起する血に飢えた教義や、西側の野蛮なテロリストどもとは違う』
指揮官は、背後にそびえ立つティエレンの装甲を叩き、誇り高く宣言した。
『我らは『人類革新連盟』。英雄より鉄の盾を授かりし、理性を重んじる国家の軍隊である。……安心しろ、手出しは無用と全軍に徹底してある。生きて、プラントの家族の元へ帰るがいい』
ザフトのパイロットの一人が、その場で崩れ落ちるように泣き崩れた。
それは絶望の涙ではなく、自分たちがどれほど愚かな思想に囚われていたか、そして、ナチュラルの彼らがどれほど気高い心を持っているかを知った、恥辱と安堵の涙であった。
遠く離れたオーブの地で戦う一人の少年。
彼が蒔いた「ティエレン」という名の種は、単に軍事的な勝利をもたらしただけではない。
「あの優しい英雄に恥じない生き方をしたい」という思いが、憎悪の連鎖を断ち切り、戦場に人としての理性を呼び戻すという、真の『人類の革新』を東側の将兵たちの心に起こしていたのである。
◇◇◇
「ディアッカ!!」
硝煙と海風が混ざり合うカオシュン宇宙港の片隅で、イザーク・ジュールの悲痛な絶叫が響き渡った。
彼が取り付いているのは、右脚と左腕を肩の根元から完全に喪失し、無惨な姿で擱座した『バスター』であった。
すでにフェイズシフトダウンを起こし、冷たいディアクティブカラーへと変色した装甲からは、断線したケーブルが火花を散らし、黒煙が立ち昇っている。
イザークは外部アクセスパネルを操作し、強引にバスターのコックピットハッチを強制開放させた。
爆砕ボルトの音と共にハッチが開き、薄暗いコックピットの内部が露わになる。
「よぅ、イザーク……あんま、耳元でがなるなよ……頭に響く」
シートに深くもたれかかったまま、力なく片手を上げた親友の姿を見て、イザークは血を吐くような声で叫んだ。
「傷は!? 何処が痛む、ディアッカ!」
無理もない。バスターの受けた損傷は、パイロットが原型をとどめているのが不思議なほどの惨状だった。
フェイズシフト装甲を持っていたから──いや、フェイズシフト装甲を持つ機体だったからこそ、かろうじて即死を免れたと言うべき威力の直撃だったのだ。
数十分前。
戦略上最重要施設であるカオシュンのマスドライバーを防衛するため、イザーク、ディアッカ、ミゲル、そしてシホ・ハーネンフースという、元クルーゼ隊現ジュール隊の精鋭たちは、この宇宙港守備隊の中核として配置されていた。
そこへ、海を割って現れたあの『出鱈目な巨人機』である。
あの50メートル級の化け物が放った460mm滑腔砲の砲弾は、直撃せずとも周囲の空間を爆圧で完全にすり潰すほどの異常な破壊力を持っていた。
回避不能の爆風と衝撃波がジュール隊を襲った瞬間。
イザークのデュエルは、咄嗟にシホのシグーディープアームズの前に立ち塞がり、彼女を庇った。
デュエルはアサルトシュラウドという追加装甲とシールドを装備していたため、その致命的な衝撃をギリギリで耐え凌ぐことができた。
だが、ディアッカのバスターは違った。
遠距離砲撃戦に特化したバスターには、シールドも追加装甲もない。
それでもディアッカは、先輩であるミゲル・アイマンの専用ジンハイマニューバ2型へ向かっていた致死の爆風に対し、一切の躊躇なく機体を割り込ませ、己の機体そのものを『盾』にしたのだ。
結果としてミゲルのジンは守り切れたものの、バスターは右脚と左腕を爆圧で吹き飛ばされ、こうして中破の憂き目に遭ってしまったのである。
「大丈夫か、ディアッカ。……イザーク、お前はシホの方に付いててやれ」
ハッチの傍らに、いつの間にかミゲルが立っていた。
彼のパイロットスーツには煤がこびりついているが、怪我はない。
「しかし!」
イザークが血走った目でミゲルを振り返るが、ミゲルは静かに首を振った。
「シホだってあの爆発でかなり揺さぶられてるはずだ。女の子ほったらかして、一人にすんな。こっちはこっちで、俺がちゃんと診とくから」
「…………ッ、わかりました。あとを頼みます!」
普段なら噛み付くところだが、ミゲルの言う通り、シホの安否も確認しなければならない。
イザークは先輩であるミゲルの言葉を飲み込み、後方に倒れているシホのシグーの方へと走っていった。
それを見送った後、ミゲルはコックピットの中へ身を乗り出し、ふう、と息を吐いた。
「んで? 実際どうよ、ディアッカ」
「ええ、まぁ……」
ディアッカは苦笑いしながら、割れたヘルメットを脱ぎ捨てた。
「ヘルメットのバイザーが砕けて、顔をちょっと切ったくらいッスけど……。流石にあれだけの衝撃を食らったら、まだ頭ン中がグラグラしますね。吐き気がやべぇッス」
額から流れた血をグローブで乱暴に拭いながら、ディアッカはいつもの飄々とした軽口を叩こうとするが、その顔色はひどく青ざめていた。
脳震盪を起こしているのは明らかだ。
「……わりぃな。後輩に、身体張らせてよ」
ミゲルは申し訳なさそうに、目を伏せた。
『黄昏の魔弾』の異名を持つエースパイロットである自分が、あんな理不尽な火力の前に反応しきれず、後輩の機体を盾にして生き延びた。
その事実が、彼の胸をチクリと刺していた。
「別に。気付いたら身体が動いてた、ってヤツ?」
ディアッカは痛む頭を押さえながら、ニヤリと笑った。
「そういうことにしておくぜ」
ミゲルも小さく笑い返し、ディアッカの肩を軽く叩いた。
そして、ミゲルはバスターのコックピットから身を乗り出し、周囲の光景──カオシュン宇宙港の制圧を完了し、武装解除して投降したザフト兵たちを整列させている『人類革新連盟』の部隊へと思わず視線を向けた。
「……地球軍、じゃねぇんだよな。にしても、ナチュラルも変わったな」
ミゲルの呟きに、ディアッカもまた薄目を開けて外を見る。
そこにいるのは、青き清浄なる世界を喚き散らす狂信者たちではない。無骨なティエレンから降り立ち、ザフトの捕虜たちに対して手荒な真似を一切せず、淡々と戦後処理を進めているユーラシア東側や東アジアの将兵たちの姿だった。
(恨み辛みは、嫌ってほど溜まってるだろうに……)
ミゲルは内心で舌を巻いた。
カオシュンを落とした時の東アジアの損害。
自分たちザフトが占領下で行ってきたナチュラルへの圧政。
彼らがザフトを憎む理由は山ほどある。
いくらでも「報復」の引き金は引けたはずだ。
それでも彼らは、投降したこちらを殺さないで、生かして返す道を選んだ。
それは、かつてのミゲル自身がアラスカで見た光景──『味方が投降した地球軍のナチュラル兵を、ゴミでも見るような目で撃ち殺す姿』とは、対極にあるものであった。
復讐の連鎖を断ち切る。
口で言うのは簡単だが、血の通った人間が、しかも戦場の極限状態の中でそれを実行することがどれほど困難で、どれほど強靭な精神力を必要とするか、百戦錬磨のミゲルには痛いほど分かっていた。
(あの鉄屑をばら撒いたヤマト准将って男は……兵器の戦術だけじゃなく、ナチュラルのタガまで作り変えちまったってのか)
傷ついた後輩を背に庇いながら、ミゲルは空を見上げた。
勝者として驕ることなく、ただ静かに、人としての尊厳を守り抜こうとする鉄人乗りたちの背中が。
黄昏の魔弾と呼ばれた歴戦の戦士の目に、今は少しだけ、眩しく見えた。
ティエレンだから『変革』の方が合ってるかもと思ったが、あの頭C.E.の世界で常識を超えて行くとなると『革新』の方が合ってるかな、と。
ジブリールを退場させない理屈を捏ねるアズにゃんを書いてる時、けっこう楽しかったですハイ。
アークエンジェルどーしよっかなーって悩んだら、そうだ、ミレニアムすればええねん!
と、そんなわけでアークエンジェルが降ってきます。